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真宗研究3号全

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全文

(1)

、 ホ 仁

心 ブ

慎宗連合學會研究紀要

ー ー 第 三 輯 ― ―

暉 和 32 10

虞 索 碑 介 囀 會

(2)
(3)

顆蔀土属官教行證文類}「: 専信房専海策 導修寺蔵

(4)
(5)

大 小

ー 安 井 氏 の 所 説 に 応 え て

1

行 信 両 巻 の

四種三昧の本尊について

口絵

顕浄土真実教行証文類序

第 三 輯

専 信 房 専 海 筆

•••••.•••••..••..•••••...•••.•••••••.•.••••••.••••••••

見 方

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非僧非俗の実践的意義:·…•••………·:·:·……·:·:·:••川

真 宗 学 に 於 け る 伝 統 の 本 質

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.  

化 第四回大会研究発表︵昭和三二︑五︑二六︶

研 究

西

諦 住

瀬 和 敬

江 淳 誠

田 瑞 麿

(

 

(6)

の 関

係 :

: ・

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

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”•••………

...•.•.••

. . . . . . . . . .  

︑ 小

真宗信者の社会的態度………·:··………•西

親 鸞

研 究

に 於

け る

時 代

超 時

代 両

契 機

の 分

析 :

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ・

・ ニ

大谷振に於ける異安心調理の方法:・⁝⁝⁝⁝

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  ……·:·:·:•松

造 悪 無 碍 者 と 親 鸞

. . .

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談 集 録 :

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・ : 屈 :

. . .

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︐ : :  

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. .  

教行信証後序に就い

念 五 正

1

純 谷 光

香 散 成

^  ^ 

︱ ‑ ︶   (0 i︱ ‑ ︵九 ︵六七︶

(7)

四称三昧の本尊について ところがこれら四種三昧の本尊の上に融合作用が行われて来たのであろ︒まず常行三昧と法華三昧であろC法華と

念彿との融和結合が極めて早くから行われていたことは衆知の事賓てあるが︑もつとも具閤的には初期の各釉往生俯 局本来寂静の理観にるものとして賓賤されたことは勿諭であろ︒

もつ

つ ら ︑

し\

にせても︑結 たらしい︒したがつてようになったわけ

昧は

文殊

︑あるい

普賢

昧は観音を本尊とし

なっ

一昧堂が建宣されるようになり︑常坐 これらの一二昧の所観の

をはじめて述べた﹃摩詞止観﹄には︑常行三昧が阿禰陀佛と明示されていろだけである︒ただ同じ冒瓦の言方等三昧行

法﹂や﹃法華三昧懺儀﹄には︑方等︱f昧は二十四菩薩︑法華三昧は籾迦︑多賓一一佛︑

うものであることが示されている︒しかしそれが日本にくると︑具慨的に 坐

一二

昧あ

るい

二昧と呼ばれるものである︒

{

し 卜し `

四種三昧の本尊について

ある

あるい

については

この四種三昧

その他十方常住佛等を請じて行

麿

(8)

の久遠宵成はまた是れ此の﹂といつていることもそれを示しているし︑闘珍の

﹁彼

切虞と名づける

︑︑

︑︑

とあるのは︑籾迦牟尼のこと

る︑法華持癌者が禰陀浄士を願生したという記録に端的に物語られていると考えられる︒

一般の傾向として矛盾なく行われていて︑後に朝題目︑夕例時と稲せられたように

う風潮の底には次のような考え方が流れていたことを知ろことが出来る︒

岩し妙法蓮華経を修持する片しくは男︑若しくは女は︑則ち異言に依りて修すぺく︑密行を行ずる菩薩の追は︑

(S

) 

應に先ず大悲胎蔵大曼茶羅に入るべきである︒

在ると想うこ この風潮は天台敦圏

大日の同化としてとらえられ

(1) ﹁成就妙法蓮華糀喩伽観智儀軌﹂にあらわれているところであるが︑

勝義諦の宵相観門に入れ︒︵すなわちそれは︑︶所謂ろ昆慮遮那佛如来心の異言種子であろ阿字が︑己れの身心の

( 3 )  

る︒郎ち此の字の異言義門を思え︒阿字とは一切法の本不生を謂う︒

とものべて︑法華の諸法賓相を箕言密敦の︑毘慮造那如来心の奨言種子である阿字本不生と合せしめている︒ここに

明らかに法華と大日との同化思想が興えられていたのである︒

これは言菜を換えれば︑大日︑繹迦同儒の思想である︒たとえば﹁観普賢菩薩行法経﹂に︑

つて

これ

を一

﹁繹迦牟尼佛を昆慮速

(6

) 

とあるが︑また﹁大昆慮遮那成佛神愛加持経﹂の第十九品︑説百字生品の偶に︑﹁法自在牟尼﹂

(6

) 

﹁繹

﹂や

と繹していろものがそれであろ︒あろいは闘仁が﹁金剛頂癌疏﹂に︑大興善寺阿闇梨の説を録して︑

毘凍遮那佛で

﹁講

演法

華略

こよ

•9.~•~~

﹁この法自在牟尼は昆慮遮那の別名であ 華の華胎上の堺中には︑二佛を同座させ︑更に とあって︑大悲胎蔵大曼茶羅に入り︑よって法華を修得することがのべられ︑胎蔵曼茶羅の中内院の︑ るものである︒例えば︑既に それは︑まず天台密数の盛行によってなされった法華と密教との同化で︑ 般化したものであって︑ 四種

1 1一昧の本尊について

こうし

(9)

四種一二昧の本尊について であって︑賓︵成︶の佛ではな︑ 偽文を辿る

最秘密は久遠賓成の大覺尊﹂として繹迦を明らかにしたことにある︒ ように語られている︒ こうして秤迦︑大日一蜀の思卸は天台教圃の中では廣く一般的な考え方として滲透して行ったと考えられるが︑他

e i )  

その第一歩を踏み出しているものは︑闘珍の﹁入異言門講法華法門﹂である︒それによると︑1

浅略

2

深秘

3

秘中

深秘

4屈秘中深秘︑の四種の繹義を立てて︑法華の経憫を次の如く秤している︒

﹁此

の経

一切

衆生

の整

を認

め︑

2深秘郡には︑阿禰陀の種子孔字を蓮華と繹して︑

妙法蓮華糀の文字︑妙法迎華は又我が身﹂となし︑4秘秘中深秘繹では︑法を日・

四品を胎蔵界日輪︑本門十四品を金剛界月輪にあて︑自己の内心中に本覺の日月輪を観じて︑我等は即ち日月の憾で

これによると︑観音︑禰陀︑

に融和されてくることがわかる︒

また表現はことなるけれども︑覺連の﹁念佛賓琥﹂の﹁念佛偏﹂の中にも︑この思想が登展させられていろ︒その

﹁極築の禰陀佛もまた垂迩︵應

が︑この法華開顆の秘密に立てば︑憐陀もまた﹁︵久遠︶宵成の強陀﹂であ は法華を中心として︑これをとする理が窺われ︑禰陀と繹迦が直接的 ある︑とする如き行き方が見られている︒ 1

つに

分け

述門十 中深秘籾には︑妙は五智賓冠︑

の身

燈︑

蓮華蔵世界で︑即ち法華即孔字と繹して︑ 外に阿禰陀佛は無い﹂とし︑3秘 まず1浅略籾には︑観音の種子孔字について︑一部八巻は但だ此の 方繹迦︑禰陀一開の思想も生じていたのである︒ に此の彿をまた毘鷹遮那と名づけろ﹂と説いているのも同様の考え方である︒

に︑

この

秤迦

閤に

つい

て︑

ある﹂と秤して︑この観音に ﹁繹迦如来は一切如来の大智を緊集して以つて自からの身と為した︒是の故

(10)

そしてこのような常行三昧の盛行にひきかえ

ついてであるがー

'i

これは全く想 とは前述のごとくである︒ 所成を法身として密教の胎蔵界理佛とし︑能成は報佛の金剛界笥佛とあて︑この久遠賓成の粽迦︑禰陀を本師大日尊と

して

佛ぱ共に久遠賓成の彿として二佛一閤である︒そして更に︑久遠賓成に能︑所を分け︑

乙我等は珂としては三佛性を具している﹂から︑大符慧を得て大菩提を證したいものである︑と結んでいる

せ︑弧陀巾心の思想を展聞したものであることがうかがえる︒

C 12 )  

これらの思想は︑法報應の一二身即一の思想︑

一 儒 一

1一賓︵佛法僧︶の思想と固く結びついているのである︒

( 1 3 )  

さて︑良源の時代では︑常行一二昧のみがもつとも盛行していたといわれるが︑源信や覺運の時代をすぎろと︑念佛

信仰は極めて廣く深く滲透して行き︑常行堂の建立も賓に年を追つて増加した︒ただ源信や覺運などでは念佛を九十

ても︑その

されたが︑さらにここに不断念佛という形で祉會層に廣<滲透したのである︒

じ︑夕には念佛三昧に入りて心を安養九品に遊ばしむ﹂

をみ

ても

日︑七日と限つ

︵慮山寺緑起︶といわれているが︑

行われたことがなかったのではないかとさえ考えられる︒

に;

よってもたら

住して闘頓一賓を観

その中心は禰陀にあったこ

一行芝味や覺怠三昧が行われた形跡は全くつかめない︒恐らくそれ

あっ

て︑

この

おい もつ

︑ ︑

日の

とる面は他と比し

いよ

うで

昧は九十日と規定し こ

佛と

し︑

︑る

し が

﹁南無為買施櫂開描頴貫閲述顕本久遠賞成従本韮迩 る︒かくして繹迦︑傾陀の

四種三昧の本尊について

(11)

籾﹂

に︑

四種三昧の本尊について

は観自在王如来0異名で︑則

C

ここに説か

いる

こと

は︑

は本来こi 法華者と阿禰陀佛とは依正という て ︶ ︑

ないのは観音は即ち法雄経だからである︒ を現ずるこできようかつていろ︒これを以つて見れば︑観音品の中に︑観音の功悠のみを︵とい つていろし︑妙築大師も︑よって不可思議身を證得するのでなかったら︑どうして能< 答︒弘法大師は︑

ベ苔

であ

る︒

いわれているが︑鞣源作と推定されている一自行念佛間答﹂がそ

れである︒そこには︑四種一二昧の修行人は必ず憐陀を本尊と立てること︑

︵菩

薩︶

ける︒若し罪妙なる佛の罰土に於いては︑佛身と成つて住し︑五濁恨界に深く︵身を沈めて

︵佛

︶︑

法華

︵法

︶︑

観音

︵僧

配謹して︑こ

に過ぎない︑という理である︒その文献證佐として掲げられた空海

﹁時に婆伽梵とは前に繹する所の如くである︒得自性消浄法性如来とは︑ 観自在菩薩と為る︒

法語が郎ち阿孤陀佛だというのは︑

( 1 4 )  

つのあり方をとつてあらわれているものだからである︒

の一

呻理

であろ︒則ちこ

して

問︒共の文證はどうか︒ なるので︑その故に︵憐陀を︶本尊とするのである︒ 爛陀と法華と観音とは一儒三賓ある︒だかよって修行して成佛する者は︑必ず阿禰陀佛に 両方と指さねばならないこと︑について閻答を構えような答秤を典えている︒ の颯陀の のがあらわれたこと

この

よう

に︑

いわば念佛中心的な勢いが除除にたかまりだ 昧は法樺三昧あったのではないか︒︶ 像3域を出ない

こ ︑

9/ 1 

なかにあって︑はつきりとこれを明ぷしたも

昧の

とさ

とあろところをみると︑既に

(12)

ち此れは佛としては無量壽如来と名づける︒布し浄妙な佛の國土に現われたときは佛身と成り︑雑染の五濁世界に住

1 0

)

めば︑則ち観白在許薩と為る︒﹂とあるところより︑進展したものと思われる︒﹁理趣秤﹂の文は︑禰陀は観音と同盟

異名︑観音は因位の佛︑顔陀は果位の佛という趣意を語り︑空海はこれを進めて法華純を観音の栢院と説くから︑こ

こから法華続は禰陀の法門と考えられることになる︒更に妙築大師湛然の言葉によると︑観音︵普門︶品々︑三十三

身に髪現して衆生を利盆する観音の功穏がとかれているが︑これは三十三身が法華三昧によって不可思議身として證

得されたためで︑法華統そのままが一二十三身とあらわれたものだといえるというので︑

らに空海にみられなかった法華と憐陀との直接闊係について﹁依正二報﹂という立場を把つてその同盟を指悩し︑

こに憐陀︑法華︑観音の三賓同盟の説明としたものである︒このように三賓同盟が説かれるから︑

﹁自行念佛問答﹂は説くが︑それは同じくこの﹁問答﹂の中に︑ この湛然の言葉に基づき︑さ

﹁法華を修行して

本尊と立てる︑と

﹁法華の眼目は摩詞止観である﹂というように︑法

華の修行とは摩詞止観の修行であるし︑摩詞止観の修行とは四種三昧のそれであるから︑四種一1一昧の行者は法華︑郎

このような考え方は﹁修輝寺相博私註及日記﹂にも見えている︒この書は制作年次が明らかでなく︑硲慈弘氏によ

ると︑鎌倉初期の末から中期にかけて︑または平安末ともされている︒このうち行門の一心三観を説く中に︑別時の

一 心 一

1一観として︑追場の四方の壁に本尊を安置し︑北方に繹迦︑西方に禰陀︑南方に観音︑東方に文殊と規定してい

ることが注目されるが︑行門の一念三千を設く中にも注目すべきことが説かれる︒卯ちこの中に明らかに四種一1

一昧

本尊は禰陀であると示されているのである︒このことはさきの別時の一心三観に應ずるもので︑秤迦は数授行法のた

め︑観音は不退輯のため︑文殊は外護破魔のためであるにたいして︑禰陀は観懇培進のためと説かれ︑行者は西方憐 ち阿禰陀佛を本尊とするわけである︑と解せられる︒ 成佛するものは必ず阿頷陀佛として成佛するのであって︑この故に︵四種三昧の行者は禰陀を︶

(13)

13 

四種

一一

一昧

の本

尊に

つい

12  11  10 

︐ 

8  7  6  5  4  3  2  註1 つものが多いのではないだろうか︒ 陀に向つていることが︑禰陀中心観念を明示していることと一致するといえよう︒

( 17 )  

旨が更に細説されている︒

院政期以来の観心主義の中でこのような禰陀中心の観念が生れて来たのはどうしたわけであるか︑その貼は問題の

焦貼であるが︑必ずや四種三昧中常行一二昧だけが行われるようになった憐陀信仰の一般における駆倒的風濶に動かさ

れていることは見逃しえないであろう︒そしてさきに見て来たように︑従来の三身即一︑

なっていたであろうことも動かせないであろう︒本覺思想といつて良いと思うが︑自由な肯定的思灼風期の流行に佼

前田

慧雲

博士

﹁犬

台宗

綱要

﹂二

八︱

︱°

大正

蔵一

九︑

五九

四下

同︑

五九

六中

大正

蔵九

︑三

︱二

下︒

同一

八︑

四0

中︒

績蔵

三六

套︑

五ノ

四六

九上

大正

載三

九︑

七六

七中

佛全

四一

1

︑六

九上

︒ I i ‑

︱四

︑九

九上

鳳一五四上ー一五五下︒

詞二

四︑

三四

一玉

'│

三四

一二

上︒

例えば﹁本朝文粋﹂三に︑後中書王の﹁西方極楽讃﹂をのせているが︑それには﹁四土不二極築罰︑一1

一身

即一

阿禰

陀﹂

と冒

頭か

ら詠

われ

てい

る︒

天緑元年(970)

の﹁

廿六

箇條

﹂に

は︑

一憫三喪等の思考が礎地と ﹁修廊寺相偲日記﹂にも同一の趣

(14)

17 16  15  14 

﹁又龍内十二年︑修︱一習四種三味﹁雖如竺同式﹁当今所レ習︑只常行三昧﹂とある3

佛全三一︑ニ︱二下︒

大正歳一九︑六︱︱︱上︒

﹁日本佛敦の開展とその基調﹂下ノ三七︑

﹁博殺大師全集﹂一1

一ノ

六九

一︱

a 四柿三昧の本尊について

︱︱

(15)

宗の

行信両巻の見方について いては︑最も中心であると共に︑い所綸でもある︒短篇の論文

いてつくすことは出来ぬ︒さりな 見解を一にすろ所もあるが︑行信雨窃の

つい

ては

った意見の様でもある︒ 対して批評を加へていられる︒私はそ 上

と共

に︑

とめてのべるのである︒然るところ本年に至って︑大谷載り

學報誌

なら

ば︑

方に閲する論逮が吾人年来の所見と具り︑い︑閏つてその論採につ限りに於いては︑信文類の別撰説 ︵安井廣度氏

せんとするのではないが︑結城教授か其の論證の巾に取投つて

には同意し難いとしたのである︒またもとより行信論をのべんとしたのではない︒結城敦授が行信論をその中にのベ

ておられろから︑私の論説もおのづから行信論に及んだのである︒もし行信を論逍

と題して︑相常長︑

別刷を友人の方から見せてもらった︒その所論の中にはもとより私と

る内

容の

間閣

ことにその行偉雨巻の

せ紐

︑私がそれに対し て ︶

行信雨巻の見方について

のべた︒それは私が放えて撰逮問題

(16)

であ

るか

ら︑

一生の努を捧げて先哲のつくさ

いつ

では

また

では

なく

つい

のではないとしても︑ の泥沼にんだことがあべておられる︒然しながら

用語なりとし こ9i 

就 し て

べること こととなったのではあるが︑こる紙敷は少ない︒それでその

つて

いまはたゞ 故にこれは結城教授に封するの意とは異つて︑純然たる翼宗學上の問題であろ︒本年五月高田振本山で開催された翼宗連合學會の第四回大會の席上に於いて︑取り敢へずこれに射する私の意見をのべたのであるが︑典へられ時間は僅かに十互分であって︑もとよりその項目だけの羅列も出来ぬ がら私の所論に射して御批評をうけたからには︑ 行信両窃の見方について

一往これに就いてお答へし︑且またお尋ねを致す可き筋合と考へるc

であった︒ところで

安井講師は先づ行文類の行の見方に就いて︑古来能行所行の名目を立つることに就いて︑此れは不用意なる學者の

La

六要紗﹄に使っておられる意味と異なるとし︑また所謂行の能行所行の論は泥沼で︑自分も曽てそ

この

上人の念佛為本をうけられて︑これを行信に開示せられた宗祖の功績を窺ふために︑ あって︑行文類

れた努力のあとであろ︒私はこの研究の上に奥深い行信の妙味をくむことか出来ると似ずるものてある︒

安井講師は﹁行巻の行は本願の念佛であって︑祖典の何れのところに名杭と害いてあっても︑それは十念の名であ

つて︑稲名以外のものではない﹂といひ︑また行の意義に於いて﹁名暁行は佛揮化の行を意味し︑

とし正佛蜀化の行と去ふことをいひだすと︑本願も光明も佛摘化の

れる

10

 

(17)

行信両窃の見方について 使はない︒それぱ安井氏の指摘されるが如く︑その

よっ

であり︑またその様な言葉を使わなく

らカ

示されてある︒これであろうか︒こヽが名琥と稲名との闊係を語 ならぬ︒第一而して扁四れの行も及び難さわれわれ衆生が行ふようにと︑彿が選探し廻向し給ふの衆生往生の行を説かれたものでろの行とされる 極速騨満︑顔如一賓功憶賓海︒故名ー一大行

は證果に到らしむる因法の義である︒即ち衆生が行ずるが故に行と名くとされるのではなく︑また衆生の行ずるとこ

て縛迷開悟せしめる因法とされるの い︒この行の中に へと異なるとこ

封する因法である︒因に行信があって︑行は所謂往相壬業であり︑

と示されてある︐行文

切の行癒を闘具し︑衆生に極速闘満の盆を典ふるが故に行と名づくとす

るのである︒極速闘満とは︑もしこれを現生にとれば聞信のところに報土の箕因を闘満せしむるの

を常来とすれば︑罪士に到つて速疾に無上王属道を超證せしむるの義とせねばならぬ︒何れにしてもそれは衆生をし

然るにこの出鉢郡の交には﹁大行者則稲一一無碍光如来名ことあって︑明

て稲名を大行とされるの

るところであつて︑安井氏が所謂泥沼と云はれる能竹所行の論の出て来るところである︒能行所行と云 べく︑これ と示されてある︒この1﹂とはこの一段の交を以て行のとされるのであって︑明らかにこれ 斯行郎是贔絃諸善法 類の大行の出鉢秤には 倍は證大涅槃之顔因である︒往相四法の結びには︑行信を合して因とし ない︒ところで行交類の第四券證交類の 門に於いて語ろうと︑四法門の義に開いていはうと別があまた盟に於いても別は 衆生の行ずるところの行とされる様である9さて私のへを申すならば︑行文類に立つるところの行は︑それ

あらうつておられる︒これは先づ私のある︒名贖苓以て彿船化の行とし︑栂名を以つて 混

i L

招く

八願は旧十いわれ︑十行といわれることになろ﹂といひ

(18)

つて︑稲のところ 名は大行とは

ので

はな

い︒

しゞ

こオカ 名を即ふるものは︑それが如宜なる梱名の 梱名を以て﹁牧者頓面根各漸機﹂といひ

つて

ある

めて詳しく破闇漏願を籾する︒破満は法林に有する力用であり︑而してこの

文類0出林秤でめる︒そ 如質の稲名には破満の憶を詔り得となすのである︒稲名に就いて

如宜と不如貫とを簡別し︑法帖に相應する如買の稲名を以て破満を語り得る

る第二十願の念彿の如きに簡別する︒箕門秤には第

つて

あろ

て︑如買なれば大行といひ︑不如打ならば大行と云はぬ︒さすれば大行のあるのであ

に破満の力用を法儒に語ると同じく︑大村の宜義を怯閤に任り るところは

 

a) 

は化身士文類箕凹籾十願の こられるのが︑行 は破滴の偲は語られず︑これと相應する こ9f

・~る凹闇不如質の稲名に

に し

のベ

こ細せし

稲殷如来名﹁如狡如来光咀行相﹁

欲下

如レ

宵修

打柏

應知

明で

あり

, "  

り ︑

それが讃嘆の行と云のは︑所謂如貫なるが故であり︑如貫の法鉢の

註 ﹄

ろところである︒讃咲門はもとより五念門行の第 出鉢秤の﹁大行若則稲扁応碍光如来名こ る課題

る °

行所行0名目を使って論ぜられ

よられるこ を得ざ 必要上それに閲つてその とも︑名貌と稲名と云 行信両器の見万について

うるからである︒たゞそうい

れる稲名破満の秤と封映し︑ こともあるが︑私としては所謂能行所行の語は用ひぬのである︒然しながらその

ところの︑名帆を行とするか︑稲名を行とするかの閻娼は︑ つかつて論ずる人に封すろときは︑

(19)

行伯両窃の見方について 来ぬ︒今あげたところの

の文

は︑

間答以下の七間答を似文類の終りに出し︑讃嘆門の繹は偉交類 のと同 とあろの︒雨虞の文は同じく下々

そ をあら 品

の ﹃

論註

t一には朋名と名院とを並び出して示されろ所が語虞に在る︒上巻の終り所訓八番間答の秤は︑

て︑論主所共の機と判ぜられるのであるが︑

︒而してこれが下巻観察鉢相章の國土鉢相繹の終りに於けろ問答に︑詞じく下々晶0十念往生を出し︑

生の所由を明して︑名琥を以て睾尼如意賓珠に替へ︑滅罪得生の珂由は全く名帆の力用に在りとして

1価彼阿禰陀如来至極無生消罪賓珠名猜﹁投一之薗心一念々之中罪滅心浄即得二往生︱

十念往生を秤し︑そ ものとする0

であ

ろ︒

はとらす︑出鉢秤の﹁故夕り大行こ とするの紅であろ︒尤も打の

1{ii 

は︑全く仰呆に進趣せしむる囚力の方から大行の名を立てられだ

その始六間答は︑々佛と五逆の

ろのであり︑而し

安井講師は︑祖典の上にはどこに名帆とあっても︑稲名の外の何物でもないと申されてあるが︑もとより稲名を名

腕として出されるところもある︒然しながらどこに名披とあっても稲名の外の何物でもないと云はれることは首肯出

が行信雨巻に引用されろものであって︑此等の文は出されるところの

れ に

てあ

る︒

るの

であ

って

その得 て

あろ

﹃観

経§

]下

︑まだ別であるが︑私はそうい

(20)

是以設如来本願 科祖は別して

こ也

? i,

h T

即以

瓦血

彿名

1

痙 盟

゜釦ち

とい

つて

4二紐の所詮を以て隠咽婚佛0荘厳功應とし︑而して︑此れを名陳

とするわけにはゆかぬ︒而してこれを承けられたのが敦文類の宗鉢繹である︒ るならば︑かの繹は

3

大意を結んで 繹迦牟尼佛伍二玉令城及舎衛姻﹁於

1・大衆之中玉呼無拭壽佛荘厳功徳↓即以二佛名聾

せしめて名就為憫とするのである︒

は凸にのべるが如く︑名琥と十念々佛とを法盟と機受とに分ける︑閲つていまの名祝応帖の名挑を以て栂名 更に教文類の宗林繹に就いのはじめに一二親の鉢をのべて とあるが如苔︑何れも名挑そのものるのであって︑稲名を指して名帆とされるものではないであろう︒ 衆謀ノ萬川帰シヌレパ 名暁不思議ノ海水ハノ屍骸モトトマラスノウシホニ一味ナリ

とい

ひ︑

無明長夜ノ闇ヲ破シ衆生ノ志願ヲミテタマフ 無碍光如来ノ名琥卜カノ光明智相トハ

とい

ひ︑

ヒトッニテ無別道故トトキタマフ 安築佛國ニイタルニハノ名陳卜 琥とは稲名なりと云はるヽ﹃高僧和讃﹄に﹃論註﹄

によ

って

て芝経に就い 語がすべて稲名を指すと云ったのでは解繹は出来まい︒また若しそれは引文であり︑高祖御自身の御文では名 行債両窃の見方について

(21)

行信両怨の見方について

と云ふ︑この名暁をもつて稲名を指すものとすることは出来ぬ︒印ちこれはCし大鰐]の能詮所詮の闘係をぷすもので

あって︑願に就いて云へば第十七願の怠である︒第十七願は名嘘の各廂栂揚を臀へろものであって︑そ

n

腎ひこ應じ

て現はれたる滸佛中の閏一の彿が籾迦である︒故に枚文類の素林籾は︑第十七願

o

︳吝晩耶伐名﹂にあたるものであ

り︑第十七願の我名が梱名でないならば︑牧文類の名嘘応外の名悦も拇名てはない筈である︒た井氏は疇﹂ハ要紗﹄の

怠に依るとしてこの宋鉢秤に出づる名愧も朋名とされる様であろが︑

典は木典の文の照應によらねばならぬ︒﹃六要紗ごは木註の一であり︑面して﹃六妥紗﹂

C i J

怠も児してしかろであろうか︒

変に於いて行文類の様祭の怠によってこれを過べること\する︒行文類に椋翠せらろ\﹁語彿栂名之願﹂と云ふの

はもとより第十七願であるが︑これは行の願として出されるのであることは︑その細註の初めの句に﹁咽十鞣賞之臼︐

とあるによって明らかである︒然るに第十七願は︑已にのぶるが如く能詮︑所詮に豆り︑能詮は吝陪稲︑所詮は我名

諸佛稲名ノ願トマフシ︑諸佛容嵯ノ願トマフシサフラフナルハ︑十方衆生ヲス︑メンタメトキコエタリ︒

衆生ノ疑心ヲト︑メン料トキコエテサフラフ︒弾陀経ノ十方諸佛ノヤウニテキコエタリ

等とあるが如く敦の願となるのであるが︑いま行文類は置賓行の願とされるのであるから︑所詮の我名の側によって

語られるものであろう︒而して古来この各睦稲を廣略一一讃と分けて︑杏磋を以て席讃とし︑稲を略讃の稲名として︑

いまは諸佛稲名之願とされてあるから︑略讃の稲名を標翠するとの見方も一義にはあるが︑

所である︒然し今はそれを論逮する退はない︒たゞ一言するならば︑高祖が第十七の願名を出される中に﹁諸佛稲揚 である︒その能詮によって第十七願を語れば︑﹃御消息集﹄に 其認宵行願苦諸佛稲名願也 とし︑同じく行文類の終り偽前の繹に

in

tn

 

L偉 .

; "

U e

一五

それは吾人の首肯し難い マタ十方 はべ圃註口の文の照應による可<︑本

(22)

故であるか︒ を稲であって略讚とする義がある︒

タリ

﹃唯似紗文意﹄に 之願﹂と巾されるのは︑杏磋稲の稲によられたのであって︑稲を稲揚とされるからには廣讃の意であらう︒正依の﹃大癌﹄に稲の字を出されてあるのはすべて廣讃の意である︑卯ち﹃大糀﹄下谷の文︑行文類に願成就文として出されるのに

十方世界無最無透不可思議諸佛如来︑葵レ不1一稲嘆︱

といひ︑第十二願成就文の中には﹁不h

但我

今稲

1一其光明こ﹁日夜稲説﹂﹁歎春稲・一其功徳こといふ︒又第十三願の成就

文にも﹁其敷難盤不レロ揺ぷ竺﹂とあるが如く︑即ち魏諄の﹃大癌﹄の繹例として︑稲を略讃稲名としてあるところはない︒

また三経は第十七願の誓に應じて︑語彿中の問一として出現された繹迦の敦説であるが︑その三純の中の何虞にも︑

翻迦や諸佛が略讃稲名しておられるとする所はない︒然らば第十七願の稲を容睦と賑別して︑杏睦を以て廣讃とし︑

稲を以て略讃とすべき典掠はないである︒各磋稲は歎春稲と云ふも同じく︑

示で

ある

第十七ノ願二十方無撒ノ諸佛ニワカナヲホメラレムトナヘラレムトチカヒタマヘル︑

マヘルニョリテナリ︒阿豫陀経ノ證誠護念ノアリサマニテアキラカナリ︒證誠護念ノ御コ︑ロハ大紐ニモアラハレ

とあ

って

ホメラレム︑トナヘラレム︑と切つてある為に﹁ホメラレム﹂を杏磋であって廣諮とし﹁トナヘラレム﹂

﹁トナヘル﹂とは﹁タヽヘル﹂といふに同じく口業に稲揚するの意であって︑古人か口音練附の義を示

す意であるとするの解籾が

J E しい︒店しそれを餃りに各磋と稲を駁別して︑廣略二限とするとしても︑諸佛讃嘆は敦

行二法の巾では数の所廊であって行の所脳ではない︒さて廣讃略讃のことで紙を費やしたが︑

稲は能讃で﹃論註﹄の秤にあてミ不へば﹁説珈邸屎壽佛荘厳功徳こといふ説であり︑我名は﹁無鼠壽佛荘厳功徳﹂を略撮 行信両怨の見方について

たゞ︱つの廣諧であって︑例は三経の説

一乗大智海ノ誓願ヲ成就シタ

﹁トナヘラレム﹂が稲の字義であることは勿論であるが︑これを略讃とするは何

この各磋稲我名の吝睦 一

(23)

行棺両窃の見万について

界に動いて︑如賓なる行者の

の不虚作住持功徳の繹に

f ‑ j といふ︑この稲念は名猜を稲することであるが︑名琥は稲名ではない︒

次にはその名琥と稲名との闊係であるが︑これは相即不二である︒私はこれに就いて︑稲即名であると共に︑名即

稲なりとするのである︒卯ち稲名即名琥と云っただけでは片不二であってほんとうの不一一にはならぬ︒名琥即稲名で

問つて稲即名となるのである︒

べて届られるが︑なる程そういふ一派もある︒然しそれではいま云ふが如く片不一

りとするのである︒ 稲せしめつヽあるものである︒故にその如賓なる行者の稲名は︑畢儒名院の動きっ

Aあるものに外ならぬから︑稲郎名である︒而して私が名琥即稲名とする理由は︑名琥は本願成就の嘉琥なるが故な あるからこそ安井講師の論文の中には︑

一 七

である︒蓋し名院は常に法 稲名を名挑に蹄して稲即名と云ふ

1一助正間雑心郡竺念名琥 のべたところであるが︑ の名琥も 解秤出来ぬことになるからである︒また一乖海繹に念佛諸善比狡封論といふ︑そのるのも︑念佛を名琥と呼べるものと思はれる︒更にまた化身土文類に要門の行を秤せられる巾に

助者除二名琥︱已外五種是也

心専念禰陀名琥の意味で︑稲名を指されるものと私は考へている︒然し乍ら名院とあるのを︑すべて稲名

以外の何物でもないとされる設には同意出来ぬ︒敬文類の宗鉢秤に出づる名猜のこと

その他の文にもこれが見られる︒卸ち奨門の行信を繹せられるところに 教封の中に﹁名琥定散酎︐一とあ の中には︑稲名を指して名猜とさるA所もある︒信文類の三心籾の結びに一・炭賓信心必具二名桃二とある

ff"A./名琥は明らかに稲名を指すのである︒何となれば法蜀名琥とすれば︑次の﹁名琥必不レ具酷願力信ヽ心也︐﹂とあるの文が せる﹁名披為林﹂のる︒故に敦文類の宗閤繹に於ける名琥為儒の名琥は法閥名桃であって稲名てはない︒﹁敦

(24)

行者ャ本願トイフ︑コノイハレナリ チカヒナクハ︑ に︑因願累力畢寛じて差はぎるものとするのである︒﹃執持紗﹄に ついて語るのである︒惟ふに四十八願は︑ 願以成レカ︑力以就レ願︑願不

1徒然﹁力不二虚設f

力願

相符

畢意

不レ

差︑

故日

一一

成就

と云つてある︒高祖はこれを行文類の一乗海籾︑及び員佛土文類の中に引用されてあるが︑

就の成就の籾名であって︑願は法蔵因位の誓願︑力は果上の自在神力︑ これは不虚作住持功癒成

この因願と果力が畢党不差であって︑果上の

自在神力は︑常に因位の誓の如くはたらくとするの義である︒果上の神力が因位の誓願に應じて動かなかったならば︑

本願成就の果ではないことになる︒是を以て如来果上の自在神力は︑その囚位の所誓の如くに活動する︒衆生をして

往相還相せしめつつあることが︑果上の誹力の活動である︒衆生より云へば縛迷開悟の始終であるが︑

り云へば如来の自在神力の活動である︒面してこの如来果上の帥力を撮めて示すものが名琥である︒故に名琥は︑常

に法界に動いて︑衆生をして往相還相せしめつ\ある︒而していまは行文類であるから︑ これを如来よ

これを往相四法中の稲名に

一の第十八願に蹄し︑第十八願は︑ズ心十念と往生とを誓ふてある︒一二心

十念は因であり︑往生は果である︒その三心十念について云へば︑信せしめ稲せしめんとの誓願である︒誓願が已に

偉ぜしめ稲せしめんとの誓願であるならば︑その誓願に閲ふて成就せる名琥は︑常に法界の衆生に喚びかけ︑而して

伯ぜしめ稲せしめねばならぬ︒郎ち信ぜしめ稲せしめざる固然たる名桃はない筈である︒斯の如く動きっ\あるが故

サレハ名琥ニッキテ信心ヲオコス行者ナクハ︑禰陀如来疵取不捨ノチカヒ戊スヘカラス︒憐陀如来ノ撮収不捨ノ御

マタ行者ノ往生浄土ノネカヒナニ︑ョリテカ成セン︒サレハ本願ャ名杭︑名桃ャ本願︑本願ャ行者︑

とあるのがこの意である︒本願の成就せる名猜であれば︑名桃と本願とはたゞ同一法の因果である︒問つてまた本願

は︑名就果法の内在の性格をあらはすものとも云はれる︒かく名琥は囚位の誓願の孵ひの如く︑行者をして信ぜしめ︑ 行信両窃の見方について

一 八

(25)

行信

両窃

の見

方に

つい

つて

るの

であ

る︒

一 九

るが︑氏の所謂行とは念佛を指されるのであるが︑願則行︑行則願と由される表現は︑私の法謄の名

琥と衆生の稲名との相郎不一一とするの義と一面通ずる様にも田心はれる︒然し乍ら行の定義を稲名とする限り︑未だ稲

ヘざるに念佛成佛の義を成ずると云ふ様になつて︑初起一念の行の上に不稲而稲の義をかけることヽなり︑これは吾

人のとらざるところである︒ 安井講師の論文の中に

ていよ

l

\こ その行ぜしめつ\あるが故に大行と名づくとするものではない︒

斯の如く名琥は固然たらず︑常にその因位の誓ひに随ふて活動し︑如買の行者をして信ぜしめ稲せしめつヽある︑

故に名即稲である︒また名猜の動いて稲せしめつ\あるのであるから︑稲名の償鉢が名挑である︑故に稲印名である︒

願則行のゆへに本願を聞いてこれに錨すれば未だ梱へざるに念佛成佛のJE業を成じ︵中略︶また行則願のゆへに終 ぜしむ

せぬ

しめつ\しめつ\

つて

も︑

しめ

て︑

て稲名するま\が︑本願成就の果隙の動く相なのである3これを私は行者をして稲へしめつ\ある名猜大行と云ふの

である︒安井講師は私の此の義を評して﹁もつてまわった解繹しと巾されてあるか︑もつて釦つだ解秤のつもりでは

なく︑行文類に示される大行の本然の解籾が然りとするのである︒安井講師は行を稲名とし︑彿が衆生をして行ぜし

むる様に廻向し給ふの訟であるから大行とす︑と云われる様である︒私はさきにのべた様に︑行の腔を名琥とし︑名

しめ

る︒

った

なら

ば︑

ので

あっ

て︑

はいばれぬことになる︒

にそ

(26)

結城教授が信巻はなくとも︑行巻の中に己に信は説明しつくされている等の理由で︑信窃は後の時︑別の意圃から

撰述されたものとされるのに封して︑私は行文類には信は出ているが︑信の説明はしてない︒即ち信に言及はしてあ

るが︑信についてそれが正因となる理由は︑信文類なくしては分らぬと申したのであるが︑これに就いて安井講師は

雙方に批評を下して︑私の所説に封して﹁先づ大江教授が信巻のような信の説明でなくては︑信そのものヽ説明にな

らないといはれるのは︑どうも行きすぎであろう︒信を表現するのに︑蹄命とか獲るとか憑むとか聞信とか倍築とか

憶念とか︑種々なる名目を用ひること︑それ自儘が信そのものヽ説明ではないか︒例へば煩懐の異名のように︑それ

らの名目は信相を詳かにするものである﹂等と申されてある︒これは私としては甚だ解しかねる言葉である︒名目を

並べることが信相を詳しく説明されるものであるとは︑如何なるわけであろう︒それなれば願文にも至心信築欲生と

あり︑成就文には信心歌喜とあるのでこれも説明とされるのであろうか︒相承七祖の中で特に三心の詳繹をされるの

が善導であり︑高祖は﹃二巻紗﹄の下巻の最初に﹁唐朝光明寺観癌義云﹂と標して︑善導の三心繹によって異仮の行

信を示されてある︒信な類の三一問答の繹︑化身士セ類の一1盃竺異の繹︑共に心についての問答であり︑また同じく

善導の繹意によられるのであって︑興俵を封簡していよいよ他力の信を明らかにされるのである︒行文類に伯に言及

されてあることは︑己に吾人ののぶるところであって︑それも軍なる名目の出ているばかりではない︒行文類の中に

倍の義の出ている所といへば︑かの六字秤である︒行文類の六字籾は︑信文類の三心秤の︑約佛三心の義に該営する

ものである︒しかしながら衆生の上の三心の義に就いては︑詳しい説咀とは巾されぬ︒私の信心の説明とは︑三心の

説明である︒第十八願を以て﹁木願一二心之願﹂と申される高祖が︑未だ芝心の解秤を示されぬのに信心の翻が出てい

信 に つ

行信両巻の見方について

し て

1 1

0  

(27)

行信両窃の見方について 次に化身土文類に 化身土文類の横趙の繹について 其蹂賓信願者至心信党之願

一巻の始終に亘つて示されてある︒ 一心は正囚なりと顕示し︑また念佛往生と ると云ふべきであろうか︒化身土文類の三経一異の間答にも︑大本の三心と観痙の一f.心と一異如何といひ︑また大本

の三心と憫緑の三心と小本の一心と一異如何ぞや︑とも申されてある︒三心の解繹をせずして︑本願の信心の解繹あ

りとは申されぬ︒行文類の巾に三心の名があるであろうか︒偽前の秤に

といひ︑正信低に﹁至心偉築願為因﹂とあるだけであって︑三心の名すら出してない︒況んや説明をやである︒信築

とか信心とか云ふ名目だけならば︑すでに継序の文に出ており︑敦文類の首めの二相四法の名目の中に出してある︒

蓋し行文類の雨軍因綜郡は︑行信雨巻の闊係をあらはすものであり︑後菫のはじめに

能所因緑雖品印和谷ゲ非一一信心業識伽竺到

1

1

明土

とあるの文は︑全く信空類の所頴を侯つの意であろう︒而して揺文類の別序は︑正に癌繹の意を承けて︑且らく疑問

を至して遂に明證を出すとして︑この一巻に来つて︑三心は郎一であり︑

棺心往生との祖郎の意を明らかにされるものである︒是の故に︑行文類には信に言及はしてあるが︑信の説明はなく︑

信の説明は伯文類を侯つとする所以である︒行文類には︑すでに衆生の念佛を︑

口稲の念佛を出してある以上︑口稲のよって出る信心に言及されるのは常然である︒そのこれに言及し︑また名詞の

出でたることを以て︑それが直に説閲と見る可しとせらるA安井講師の意見には同意出来ないのである︒

﹁門除八萬四千﹂の語について破文の籾を施され︑門を八萬四千の骰門とし︑餘を本願一乗海

とされてある︒而してそこに通じて秤迦一代の佛牧を判じて聖浄二門とし︑其の所土門に摘屈する法をあ

I f

(28)

叫か の

だの

であ

る︒

れてはいない︒絃に

︑ こ

る と こ

めて三心卯一心↓心卯金剛心の没を頴わし︑他刀の伍心に名被︵栂名︶ 諒叫の不備なとこ

七よいふこ

てい

唯こ べき旨をも注むし︑以て沢槃罠因雁以 願を信じて自力の伍を離れよとすヽめ︑それを一乗とする行を頻はし畢られたのてあるが︑未だその本厠と槌念との闊係︑即ち他力包向の伍槃といふ義を駈わされす︑い心

J E 因

o J 義を示されなかったから︑似窪に於いて侶向の典を極 る︒即ち行谷

︑ . ︑

會 刀

て日力の

で て

はなく︑そしりに他力の の附敦授の見方は疎糾であろう

︑ r

9 V, c

,   ¥ 

9 ] f

べられるところに︑結城牧授しl i れるのは数授のいわれるように︑こヽは数判の下であるから︑営を得ているけれど︑また二来は他力伍心以外のもの に私の説を︑ともに評しておられるが︑その私の院に射して一已頻︱箕賓行之中一畢の句を一采の出にかけて云々せら

でないから︑全然憶念本顧の句融を部れて此文を解するのは無理であろう﹂といひ︑また['化谷の横超酋云々に就いて を以 と標し︑その超を秤して

ではないとした︒ところがこれについて︑安井講師は︑

これはた

あり

行信

両咎

の見

方に

つい

︑こ︑さき

し ︸

就二此門巾「布1一横出横超俵〗懸漸頓助王雑行雑修専修一也

この巾に已 横超者︑億t念本願如呼自力之心﹁是名紬罰盆芹夕也︒斯郎専中之専︑頓中之頓︑冥巾之j

つて

乗中

之一

乗°

)

斯乃異

(29)

の見 J j

所であるが︑その]祖讃﹄の深心籾は︑

椙底一知禰陀本弘誓願五合稲l

名腕

一下

至十

啓等

尺定

得"

社往

生↓

深心繹を引かれるのは︑行文類の行一念秤と︑

一念年抄有二疑心﹁故名探心

心籾を引かれたあととのニケ にのべだので

その

ま 行は法界のに対して動合︑如官の行者をししめ︑稲せしめつヽありと繹されるのが祖怠なりと︑

偉知

して

と 述べていられろ︒この叙述は︑安井講師がさきに︑師命とか憑むとか間偉とか伯党とか岱念とか︑ることが信そのものヽ諒間ではないか︑それらの名目は信相を詳らかにするものであると主伽されたのと矛府すろよ

一ケ虞である︒行文類の行一

るの

であ

る︒

とあろ︒而してこのご来の義を承けて︑更に本願一乗の分齊を示されろのが一乖海であり︑此等の籾と針映して出さ

れるのが︑化窃の門餘の秤であろ︒されば化巻に出される横超者等の籾意は︑行文類の繹恵を出されるのであるが︑

かの文中の﹁憶念本願離自力之心Lの句は行文類の籾の何虞と針照するか︑行文類全閤の繹が名貌を大行とし︑此の大

てあ

る︒

﹃散

善義

iの深心籾の巾︑高祖の所謂第七深偉の﹁一心専念弱佛名陳﹂等の

文意を撮めたものである︒かの信法辺鐸には︑稲名を出して語ってある︒

" t  

の中

に︑

乗の義をぷされるところ二乗海籾︑面して化身士文類の凹餘の郡 うに思はれる︒それはとにかくとして﹁横趙者﹂云云の文意に就いて私の意見をのべるならば︑ のすヽめて願心郎似心︑即ち他力侶心の

ま ︑

. 

﹃敦

行似

證文

類﹄

の名目を用い ている一と

(30)

いので︑後日詳諭する時に改めたいと思つている︒ 日少閑を得てかいたのであるが︑叙述のであり︑而も粗末になっ

︵八

月I

i H

しろ

す︶

つていろ︒しかしかき虹す暇がな

めら

れ︑

ていたの七月以来かれこ

つて

つて

いた

雨 つ

ある︒この

たも

して

こ 所流に肘し︑たゞ部分だけ私の意見を述べたのであって︑これは猶ほ未完である︒適嘗な機會 はなく、本願の三心の成明、1•1心即一心、

あろ

ば化身士交類の此の支は︑

たろ

牧判

とすろのである︒

す如く私は︑行文類に信を含まぬといふのではない︑もとより侶に言及してあろ︒さり乍らその信の説明がなく︑信

の説明は之を信文類に侯つのであろ︒而して所闊位の説明とは︑たゞ信心に闘すろ名目の出ているのを以て云ふので

一心即正因の義を明らかにせねば︑侶の説明とは見られぬとするのである︒

ので

て他

力で

あり

るの

であ

る︒

示される0唸である︒またこれを承けて︑更に詳しくされる一乗海籾には︑念佛諸善比校封論と椋して︑二敦封二機

0‑

い—

自力他刀封﹂があり︑機封の中にがある︒此れは明らかに︑ 空を︑行一念繹['1引用さ九るものは

とい

ふ︒

一磐

の見方について

で︑無有疑心を以て稲へる︑これが信知本弘誓願の義なりとするのであろ︒

ニ四

いまこの

一評十聾みな無有疑心であり︑所謂行の一念も無有疑心の他力の義なろことを

ご来法を以

(31)

﹁敦行證文類﹄後序と稲されるところに︑

F

主上臣下背レ法違レ義成レ急結レ怨因レ絃顔宗輿隆大祖源空法師井門徒敷輩不レ考1

罪科

一猥

坐二

死罪

1或改=僧儀血翌姓名

1

ツミシテ

虞一

菌流

1予其一也溺者已非レ僧非レ俗是故以

1

禿字一為レ姓空師井弟子等坐二諸方没州1

1

二五

年居

諸︱

と︑承元元年の念佛停止の法難が記述されてある︒賓は元久二年十月輿幅寺奏達が行われ︑その奏逹の功を奏した

のが︑承元元年二月であるといわれる︒開山聖人の御生涯中︑璽要な縛機を︑その事件の時より約二十年も程癌て︑

記述されたものであろうが︑その時の全身心に響いたものを深く内に包み︑しかも冷静に事態を凝視して︑

賓を明記し︑偶然の中に必然を讀みこみ︑自己の位置とその使命を適確に把握されたのである︒

聖道門の僧逹が︑時の櫂力者と結托して︑理不盛にまことの佛法を弾黙し︑高く法統を掲げて法義に立脚するもの

とおもいつ\︑本願箕宗の時機相應の教法なるに封すろ誤解のため︑彼等こそ法義に違背し︑敵とすべからざろ者を

(l

) 

敵視し︑成盆結怨︑念を成すべからざるに構えてな心を成し︑怨を結ぶべからざろに殊更に怨を結んで︑念佛停止の令

非憎非俗の賓践的意義

非 俯 非 俗 の 質 践 的 意 義

J I   I 

1一 五

一々の事

(32)

非僧非俗の賓践的意義

︵京都の二緯院に嘗時の起請文かある となり︑師弟もろともに罪科を負うことヽなった︒賓は憤つているのは︑櫂力者︑弾堅者の側であって︑聖人は末法の時︑五濁の機を見るが故に︑個人の運命などいうものをすでに超えて︑問題のありかを詞察し︑熾然として燃えつつ︑内はいかにも静かであり︑佛法の櫂威に立つが故に︑強がつて櫂力者に抵抗する必要を認めず︑はからずも︑身にふりかヽりたる地上の災尼流罪の官一告を︑盆り心を起さず︑怨み心にかきみだされることなく︑受容の過程に無用の抵抗がなかった︒行證久しく啜れたる聖道の諸敦は︑救惰の敦法としての櫂威を喪失したる故に︑俗に媚び︑楠カと合罷せるものであることを本質的に意識しておられたのであろう︒これほどの危機に直面したるにも拘らず︑動描なく堪えてゆかれたのは︑この輯髪のなかに證操だてられている未来に封する新しい信念のゆるぎなさであった︒

國家の支配梱力により︑度牒剥奪︑僧の俵を改めて︑公認の僧位を失い︑還俗︑流人とならしめられたのであるが︑

叡山離脱より︑この時まで六年間︑聖人自身の僧の感知は︑如何なる位態であったものか︒無戒名字の比丘の意識は︑

いつ頃から生じたものであったか︒叡山離脱の際︑受けた戒を返上して︑捨戒されたものとみれば︑侑の必須條件た

る戒を捨てることによって︑僧にあらざる僧となられたものであるか︒しかも戒を雑行として棄て︑本願に蹄し念佛を

修することによって︑戒閤消涅を得しめられ︑以後他律的な戒律を顕みる要を認められなかったものであるかどうか︒

浄肉の文或は殺盗姪妄語綺語源口雨舌貪隕炭の十忍の文が︑いつの頃にか別に選ばれてあるのは︑他に典えたという

よりは︑自誡のための深いつつしみを示すものではなかったか︒

聖人一二十ニオ︑元久元年十一月七日︑法然上人以下門弟百九十人連製しての﹁七箇條起請文﹂か製作され︑延暦寺

(2

) 

の非難を宥めんとされたか︑そこに聖人が︑僧却寮と自署されてあるという︒ 二六

(33)

かく雲霞に覆れつ\も︑事賓として法然上人以下流死罪の断は下った︒師弟流離︑従って︑吉水敦園の解散という

危機に直面することによって︑却つてこれを縛機として肯い︑信が敦法を行證せず︑現恨的勢力にのみ奉仕し︑自己

否定なき闘争と自己喪失の堕落に終始せる現質を祖︑教法批會に謙譲に責任を粛していない硯買を痛みこそすれ︑流

罪の虞罰を少しも恐る\ところなく︑よく受けて耐え忍び︑自己の命懸けで求め値遇した敦法の故に疎外されるとい

う連命を︑白己の本質を顕わならしめる︑宗数的決断の内的行為に縛じ︑糀誹の自党を完結し︑

の事緑として頂かれたのであった︒正像末の史観を通して︑歴史の判決として︑今や聖道の諸教は︑その教説が正し

いにも拘らず︑像末法滅の時機に非ず︑歴史から没落したとの知見に立てば︑危機を突破して危機を輯機たらしめ︑

却つてこの法難は軍なる外部事件ではなく︑佛法的事貰として︑異宗佛法が萬人に公開さる\機縁と受取ることが出

来るのである︒

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非憎非俗の賓践的意義

白律の新しき僧道として︑食肉幣妻にす\まれ︑ し︑その理不虚な断罪に対して 儀を守ろ酋を雑行人と名ずく︑蒻陀の本願をたのむもの︑説いて造源を恐る\ことなかれということを停止すべき事﹂と︑あろよりみれば︑この前後に於ては︑食肉惜席のことはなかったとみるべきではないか︒だから承厄の法難に際

﹁罪科を考えずみだりかわしく﹂と︑難詰されたのではなかったか︒或は逆に自立 と結ばれてある︒︶しかもその﹁起請文﹂

ヽ ゞ

としぅカ

こま

﹃西方指南抄﹄中末のはじめにこの起請文をのせ︑僧綽空でなく善信とあって︑

1一 七 ﹁已上二百除人連特了﹂

﹁一︑念佛門に於て戒行無しと腱して︑専ら姪洒食肉を勒め︑適ま律

そのために門徒敷輩の巾に連引されたことを難詰されたのであった

﹃教行證文類﹄製作

(34)

直前︶にに節依せよに船依する者は外追 ︑︒そしし菩︑民衆の啓に直ちねばならぬということはない︒ 己が分を思賦するならは︑如来の追弟としては悲泣せざるを得ぬ深い懺悔を通して︑如来の数法に應ぜねはならな 旨際に直面するのでなければならない︒鉗依なくしてなされたる批判は妄断に外ならない︒ 思猷し︑自己批判に立たなければ︑批判として営を得たものでない︒坦賞を傍観するのでなく︑ よ

り︑

しられているのは︑

いも

る つて末代の めざる

るの

が︑

であ

るが

ス ノ

時に

於て

祓悪濁世の群生︑末代の旨際を知らず︑僧尼の威儀をそしる︑今の時の道俗己が分を思娯せよ

時は五濁悪世の末法︑救いがたき凡愚の時代︑そしる者もそしらる\者も︑末法のこの現賓の自己の分際を凝視せ

よ︑と呼ぴかけられてある︒世俗を捨て\出家して入山した者が︑求道聞法の為には︑再び山を捨てねばならぬとい

の分限に立ちかえらねばならぬ︒憎尼はその生死超脱の立場より︑生死流 こ9

, '  

せしめらろヽこと︑

︑ ︒

いう

はなかったのではないさき

て ︑

の︑俗世におとらぬ恨俗俗流に失望し さて重ねて︑遠流に際し︑僧の儀を改めるという︑その僧の儀の内容は何を指すのであろうか︒先輩によれば︑憎の儀とは諷家櫂力に封する紹封服従︑持戒による祈願の有効な遂行︑と規定されているが︑北嶺の寺門を離脱した専修

念佛

者も

この規定の中にあったのであろうか︒世俗的櫂力を有し︑世俗的機構によって維持されている南都北嶺

にとつて︑憎より追放され︑伶儀を脱せしめられたことは︑むしろ望まし

弓 八

参照

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