ISSN 0288‑0911
宗 心 九
慎宗連合學會研究紀要
—第五十五輯―
乎 成
2 3
年1
月慎 宋 連 合 學 會
真 宗 研 究
真 宗 連 合
第五十五輯
学
会
親鸞の主体形成………••大
│
﹁ わ れ ら
﹂ の 自 覚 を 通 し て
善導の三心釈………••大
三心一心問答の思想的背景として││'
横出の菩提心………••大谷大学
│
﹁ 化 身 土 巻
﹂ 開 顕 へ の 視 座
I
…••大谷大学
﹃坂東本・教行信証﹄﹁一乗釈﹂における 御自釈の訓みと意義について
唐初の景教と善導大師:………•京都女子大学
伝道学としての真宗人間学………••龍谷大学
ー真宗における人間の存在と当為│ーー
大
近代の真宗大谷派における
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
. . . .
.
﹁恩寵主義﹂の輿隆と衰退
﹃御文﹄にみる蓮如の女人理解⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝大 真 宗 研 究
第五十五輯
谷 派
谷 派
谷 派
谷 派
目 次
沼 波 芳
楠 深
J I
I
森 田
藤 藤
原
寛 宜 慎
冗 雅
山 高 秀
介︵ 一直
︶
文︵羞︶
円
︵ 七
0 ) 暢
︵ 八 七
︶
大
(‑0写︶
子︵ 三︱
︱‑ )
智 ( ‑ ︱
︱ ︱ ︱ ‑
︶
難 波 教 行
︵
存覚撰『歩船紗』における聖道門理解………••龍谷大学
│﹁華厳宗﹂項の検討を中心にー│'
近世初期における高田派の教団形成…………••高
│﹁出家衆帳﹂の分析から
1
曇鸞の念仏止観………••同朋大学
︿ 記 念 講 演 ﹀
…•………·:武蔵野大学教授
多様化する現代社会における 真宗研究・伝道の姿勢
ーグローバル的視点より1
学会彙報………•
田 派
ケネス田中︵︱‑天︶ 中
村
薫︵ 一会
︶
太 田 光 俊
︵ 一 六
︿
︶
野 呂
靖︵ 一璧
︶
( ︱ ︱ ︱ ︱ ︱ 四
︱ ‑ ︶
親鸞の主体形成
する
中で
︑
﹁ わ れ ら
﹂
一︑問題の所在 の自覚を通して
仏教において︑無我を説く点において︑我とは否定されるものである︒親鸞より古く曇鸞は︑﹃浄土論﹄を註釈
(l )
世尊我一心帰命尽十方無碍光如来顧生安楽国
の我の表白の﹁我﹂について︑
問うて日く︒仏法のなかには我なし︒この中に何をもってか我と称するや︒答えて日く︒﹁我﹂といふに三の
根本あり︒一にはこれ邪見語︑二にはこれ自大語︑三にはこれ流布語なり︒いま﹁我﹂といふは︑天親菩薩の
自ら之を指しふる言なり︒流布語を用いる︒邪見と自大とにはあらず︒
と︑無我と説く仏教の中で︑天親が称した我に論及し︑その我は邪見語と自大語の我ではなく︑流布語としての我
と了解している︒曇鸞は仏教の無我の教説を聞いた上で︑その否定される我とは︑邪見語︑自大語と表される
大谷派
難
波
教
行
かを考察したい︒ 親鸞の主体形成
各々処々に﹁われは﹂といふことを思ふて争ふこと︑
弥陀の五劫思惟の願をよ</\案ずれば︑
を﹁たすけんとおぼしめ﹂す﹁本願﹂に﹁かたじけな﹂
つまり主体の形成にいかなる意義をもったの ﹁我﹂であることを明らかにしている︒親鸞はこの文言を﹃顕浄土真実教行証文類﹄︵以下﹃教行信証﹄と記す︶に
(3 )
ゆめゆめあるべからずさふらう︒
(4 )
と恐らく先の曇鸞の教言に導かれて︑厳しく自我心の我を否定している︒また親鸞はむしろ︑
ひとえに親鸞一人がためなりけり︒それほどの業をもちける身にて
(5 )
ありけるを︑たすけんとおぽしめしたちける本願のかたじけなさよ
と自らを﹁我﹂というより︑むしろ﹁親鸞﹂と名告ることが注意される︒それは︑先に挙げたような︑﹁邪見語﹂
﹁自大語﹂の我ではなく︑﹁五劫思惟の願をよくよく案﹂じたとき︑﹁それほどの業をもちける身﹂である﹁われ﹂
いと応じる親鸞の自己の表白である︒その意味でこの﹁親
鸞一人﹂の表白は︑﹁われこそは﹂という自已主張ではなく︑先の天親の表白と同じく︑仏教との値遇において見
出された我の表白であると言わなければならない︒そのような親鸞における自己の表白︑言い換えるならば︑﹁親
鸞一人﹂という言葉に代表される親鸞という主体はいかに形成されたのであろうか︒これが︑私の大きな課題であ
このように親鸞は﹁一人﹂と自己を表すと同時に︑﹁われら﹂という言葉を和讃や所謂仮名聖教において使用し
て自己を表していることに私は注意したい︒﹁われら﹂は確かに自他を他括した意味で用いられるが︑親鸞の述べ
る﹁われら﹂は決して一人の自覚を失うような没我的な言葉ではないからである︒そこで小論では︑この親鸞の
﹁われら﹂の自党がどのようにされ︑それが︑親鸞の﹁一人の自党﹂︑ る ︒ 引用はしていないが︑
(6 )
親鸞が﹁われら﹂と述べるのは︑基本的に﹁承元の法難﹂に際し︑流刑地での生活以降に値遇した﹁ゐなかの
(8 )
人々﹂を含んでいることはすぐに了解出来るだろう︒ここに﹁承元の法難﹂は親鸞に﹁われら﹂の自覚をさせた大
きな事件でもあったと言うことが出来るのではないか︒
法難によって︑親鸞のいた吉水教団は︑四人の門徒は死罪に処され︑他の門徒︑師︑法然︑そして親鸞は流罪に
処されるのである︒では︑具体的に流罪に処された親鸞自身に﹁承元の法難﹂によって︑どのような変化があった
まず第一に︑法然との別離を挙げなければならない︒師と別離したことによって︑親鸞の生きる環境は大きく変
化した︒法然と別離したことにより︑仏道を独立してあゆむ者にならなければならなかった親鸞は︑流刑地で︑師
の言葉を聞思する中で︑まさに主体形成の大きな一歩を踏み出すことになる︒ここに親鸞は︑法然と単に別離した
だけではなく︑間思していくということをもって︑法然個人とではなく︑その教えと出遇い直したと言えるのでは
ない
か︒
二︑承元の法難
第二に︑流刑地での人々との値遇が挙げられる︒流刑地での具体的な生活について親鸞には著述がない︒しかし
ながら︑当時の資料︑またいくつかの研究から想像していくことが出来る︒たとえば︑﹃延喜式﹄によれば︑流罪
の規定は︑身分︑男女︑年齢は問わず︑
(9
)
支給されるというものであった︒親鸞には生活を繋いでいくために︑今まで従事しなかった田畑等での労働を余俵
なくされただろう︒都での生活からの大きな変化の中︑生を繋いでいくためには︑その土地に生きる﹁ゐなかの
親鸞の主体形成 のであろうか︒
一年
H
に日米一升︑塩一勺が給されるが︑翌年には打ち切られ種子だけをぶという了解であろう︒それは﹃歎異抄﹄にあらわされる︑ 親鸞の主体形成
人々﹂と協力して生きていくしかない︒ここに﹁承元の法難﹂による値遇がある︒
流刑地において値遇した﹁ゐなかの人々﹂を親鸞は︑単なる他者ではなく﹁われら﹂と呼ぶことが少なくない︒
自力のこ︑ろをすつといふは︑
をす
て︑
やう/\さま人\の大小聖人善悪凡夫の︑みづからがみをよしとおもふこ︑ろ
みをたのまず︑あしきこ︑ろをかへりみず︑ひとすぢに具縛の凡愚屠泊の下類︑無碍光佛の不可思議
の本願︑廣大智慧の名号を信築すれば︑煩悩を具足しながら︑元上大涅槃にいたるなり︒具縛はよろづの煩悩
にしばられたるわれらなり︑煩はみをわづらはす︑悩はこ︑ろをなやますといふ︒屠は︑
のをころしほふるものなり︒これはれうしといふものなり︒泊はよろづのものをうりかうものなり︑これはあ
き人なり。これらを下類というなり。(中略)れうし•あき人さま人\のものは、みないし・かわら・つぶて
( 10 )
のごとくなるわれらなり
親鸞にとって︑流刑地で値遇した人々は﹁われら﹂と自覚する人々へと変化したのである︒ここに親鸞の宿業の
身の自覚の深まりを感じざるを得ない︒叡山時代の親鸞の宿業の身の発見は︑断惑証理を果たすことが出来ないという、言わば、常人から覚者になれないという自覚であった。しかし、親鸞は流刑地で「れうし•あき人」に値遇
し、「われら」と頷いた。その「れうし•あき人」について、「れうし」は「よろづのいきたるものをころしほふる
もの﹂であり︑﹁あき人﹂は︑﹁よろづのものをうりかうもの﹂と具体的かつ現実的に説明している︒特にこの﹁れ
うし﹂に代表される﹁屠﹂殺をする人々を﹁われら﹂と頷いたことは︑人間は条件によってどのような行為にも及
︱ ︱
‑
﹁ゐなかの人々﹂を﹁われら﹂として
よろづのいきたるも
四
( 13 )
然に愚禿釈の鸞︑建仁辛酉の暦︑雑行を棄てて本願に帰す︒
と明確に親鸞の言葉によって記されている︒親鸞において﹁本願に掃す﹂と述べられた内容は︑法然との値遇と別
親鸞におきては︑たゞ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと︑
( 14 )
に︑別の子細なきなり︒
親鸞の主体形成
でなかった︒しかし︑ 親鸞の本願との値遇を考えるとき︑すでに﹁後序﹂には︑ ただし︑ここで注意しなければならないのは︑親鸞は単に同じように最底辺の暮らしを強いられているという点において﹁われら﹂と述べているのではないということである︒親鸞の﹁われら﹂という言葉遣いは︑基本的に本願との関係の中にあるということに注意したいのである︒そうであるから︑親鸞の言う﹁われら﹂は自己主張︑グ
( 12 )
ループ主義︑排他性を伴う﹁われわれ﹂の意識ではないと言える︒親鸞が﹁具縛の凡愚屠泊の下類﹂としているの
は﹁大小聖人善悪凡夫﹂である︒ここに﹁われら﹂とは︑具体的には︑流刑地で出遇った人々でも︑そこにグルー
プ主義︑排他性を持った主体ではないことが了解される︒そしてその根本ともいうべきものが︑﹁ひとすぢに﹂﹁無
碍光佛の不可思議の本願︑廣大智慧の名号を信築すれば︑煩憐を具足しながら︑元上大涅槃にいたるなり﹂といわ
れる本願との値遇である︒ まいもす﹂るという宿業の身の自覚をもったのである︒ 間
観が
︑
五
という文言を想起させる︒そこに述べられる﹁さるべき業縁のもよおせば﹂といかにも親鸞の体験的に了解した人
つまり人間とは縁によってどうにでも変化する存在であることが︑親鸞の生の声を書き記す形で残されて
いる︒親鸞は先に﹁下類﹂と述べたように︑社会の最底辺に身を置いたことにより︑体験をもった﹁いかなるふる さるべき業縁のもよおせば︑
( 11 )
いかなるふるまいもすべし
よきひとのおほせをかぶりて︑信ずるほか
それは︑親鸞自身が﹃教行信証﹄﹁教巻﹂において︑ を強いられた人々であった︒それは︑まさに﹃大経﹄が︑ 親鸞の主体形成
と伝えられるように︑法然の教えは﹁ただ念仏﹂に集約されていた︒それは法然が自身の回心を︑
( 15 )
立ちどころに余行をすてて︑ここに念仏に帰しぬ︒
と伝えることからも了解出来る︒よってすでに先学によって指摘されているが︑親鸞の回心は自身が記すように法
然との値遇に他ならないが︑その端的にはやはり法然と同じように﹁念仏に掃﹂すという自覚であり︑その後︑そ
の内実が﹁本願に帰す﹂というものであったことが自覚されたと考える方が無理がないであろう︒周知の通り︑親
鸞は吉水時代に﹃観無量寿経・阿弥陀経集註﹄を著している︒また真蹟の残っていない
時代に原型が出来ていたと推測される︒ここに吉水時代は︑﹃観経﹄また善導の影響を多く受けていたことが了解
出来る︒それを踏まえて考えるならば︑法然との値遇の意味が﹁本願に帰す﹂ことであったと自覚したのは︑
やは
り流罪を契機としたのではないだろうか︒そこに︑法然との別離によって一人で仏道に立たなければならなかった
親鸞が︑法然の教えを聞思した中から︑本願を説く﹃大経﹄
そして︑この の教説を聞いていったことが推測されるのである︒
﹃大経﹂に仏道を学んでいった背景に︑私に﹁群萌﹂という言葉が想起されるのである︒流刑地で
の人々は、「いし•かわら・つぶてのごとく」人間としてというより、無価値なものとして、沈黙して生きること
如来無蓋の大悲を以て三界を衿哀したまうふ︒世に出興する所以は︑道教を光闇して︑群萌を柩い恵むに真実
の利をもってせんと欲してなり︒
と釈尊の出世本懐を語る教説にある﹁群萌﹂とまさに同じではないか︒﹁群萌﹂とは雑草であり︑邪魔とされ︑泥
にまみれて生きることを強いられている姿ではないか︒そうであれば︑﹁群萌﹂とは親鸞が流刑地で値遇した﹁ゐ
なかの人々﹂そのものであり︑また自己自身の姿そのものであるという体験的了解がされたと考えられるのである︒ ﹃愚禿紗﹄についても吉水 六
﹁十方衆生﹂とは︑親鸞によって端的に︑ 四︑本願の呼びかけに聞く﹁われら﹂の自覚 8)
夫れ︑真実の教を顕わさば︑則ち﹃大無量寿経﹄是也︒
﹃大経﹄を真実の教とした上で︑続けて︑
七
斯の経の大意は︑弥陀︑誓いを超発して︑広く法蔵を開きて︑凡小を哀て︑選びて功徳之宝を施することを致
す︒釈迦︑世に道教を光蘭して︑群萌を極い︑恵むに真実の利をもってせむと欲すなり︒是を以って如来の本
( 1 9 )
顧を説て経の宗致と為す︒即ち仏の名号を以って経の体と為る也︒
としていることから考えても︑群萌と表されるような流転する人間の枢いを実現するために本願が起こされたとし
つまり︑人間はいかに共に罪業の身を感じたとしても︑本願に帰すことがなければ︑それは︑どこまでも自己主
張などを伴う﹁われわれ﹂の意識になってしまう︒ここに﹃大経﹄に自己自身を主体的に尋ねるところに︑﹁われ
ら﹂と頷ける境界が開かれることが明らかになる︒
先に︑親鸞は﹁われら﹂という言葉を本願との関係の中で使うと確かめたが︑親鸞において︑第十八顧はいかに
了解されたのだろうか︒﹃教行信証﹄﹁信巻﹂所引の第十八願を見てみたい︒
至心信楽の本願の文︑﹃大経﹄に言はく︑設い我佛を得たらむに︑十方の衆生︑心を至し信楽して我が国に生
れむと欲ふて︑乃至十念せむ︒若し生れざれば正覚を取らじと︒唯だ五逆と誹謗正法を除く︑と︒已旦
親鸞はこの﹁十方衆生﹂と呼びかける顧文を﹁至心信楽の本願の文﹂として引用する︒ここで呼びかけられる
親鸞の主体形成 て︑親鸞は﹃大経﹄の教説を具体的に聞思したのであろう︒ と
親鸞の主体形成
( 21 )
十方衆生といふは︑十方のよろづの衆生也︑すなわちわれらなり︒
と述べられている︒つまり﹁われら﹂とは﹁十方衆生﹂と本願に呼びかけられる﹁われら﹂である︒それは親鸞に
おいて︑流刑地での﹁具縛の凡愚屠泊の下類﹂という具体的な事実︑﹁いかなるふるまいもす﹂る体験的な宿業の
身の自覚を通して︑感得された本願の呼びかけの内実である︒
﹃大経﹄下巻に説かれる第十八願成就文を﹁教行信証﹄﹁侶巻﹂に引用する︒
本顔成就の文︑﹃経﹄に言はく︑諸有衆生︑其の名号を聞きて︑信心歓喜せむこと︑乃至一念せむ︒至心に回
向せしめたまへり︒彼の国に生まれむと願ぜば︑即ち往生を得︑不退転に住せむ︒唯だ五逆と誹謗正法とをば
( 2 2 )
除く︑と︒已上
その中で︑親鸞は︑呼びかけられている対象が︑まさしく﹁われら﹂を離れていないことを示すように﹁諸有﹂
の文の右に﹁アラュル﹂と書き込んでいる︒先に引用した第十八願の因願文には︑その呼びかけが﹁十方衆生﹂に
誓われている︒成就文の﹁諸有﹂に親鸞が﹁アラユル﹂と訓を付けたことによって︑﹁十方衆生﹂と﹁諸有衆生﹂
の呼応性をより明確化させている︒この親鸞の﹁アラユル﹂という訓読によって︑如来の呼びかけによって成立す
る﹁われら﹂の自覚は︑﹁われわれ﹂という限定性を持たないことが明確に読み取れる︒
このように︑親鸞は﹃大経﹄の﹁群萌﹂という文言により︑﹃大経﹄に説かれる本願を推求し︑﹁十方衆生﹂﹁諸
ュル
有衆生﹂という本願の呼びかけに︑﹁群萌﹂である﹁われら﹂の仏道を教えられたのではないか︒換言すれば︑﹁わ
( 23 )
れら﹂の自覚をする親鸞からは︑本願の教説を主体的に聞いていったことが窺われる︒ また︑親鸞は
八
五︑
﹁わ れら
﹂
九 ﹃大経﹄を中心にし 親鸞における﹁承元の法難﹂の意義は︑法然との別離であり︑﹁ゐなかの人々﹂との値遇であった︒そして︑法
一人で仏道をあゆむため︑法然その人ではなく︑その教えに依らなければならないというこ
とと︑﹁ゐなかの人々﹂の姿︑また親鸞自身の流人としての姿が︑﹃大経﹄の﹁群萌﹂という言棄に言い当てられて
いると親鸞において了解されたことから︑﹃観経﹄中心であった吉水時代の仏道の学びから︑﹃大経﹄を根源に据え
た仏道のあゆみへと変化し︑﹁ゐなかの人々﹂を﹁われら﹂と自覚したのである︒そしてその
た仏道のあゆみとは︑﹁群萌﹂という文言に︑﹃大経﹄に説かれる本願を推求したことである︒そしてその本願に
﹁群萌﹂と言い当てられるような﹁われら﹂の仏道を教えられたのである︒前節までで確かめたのは︑以上のよう
な内容である︒
親鸞は︑そのように法然との値遇の意味を︑﹁本願に帰す﹂と根源化し︑そうさせたのが︑本願の推求であった︒
その本願の推求を親鸞にさせたのが︑﹃大経﹄を根底に据えた仏道をあゆませた﹁群萌﹂という言説であり︑体験
的には﹁ゐなかの人々﹂を﹁われら﹂と頷いたことであったであろう︒そうであれば︑親鸞において﹁われら﹂の
自覚とは︑﹁本願に帰す﹂と自覚したことと別ではない︒さらに言えば︑﹁われら﹂という自覚をもって親鸞をして
﹁本願に帰す﹂と言わしめたと言えるのではないか︒ここに﹁後序﹂に述べられる﹁愚禿釈の鸞﹂という主体の表
( 24 )
白の背景に親鸞の﹁われら﹂の自覚があると考えられる︒
ここにもう一度︑親鸞によって書かれた﹁承元の法難﹂が記されている﹁後序﹂全体について考えたい︒その
﹁後序﹂は常に言われるように︑自身の行実についてほとんど言及しない親鸞が︑自身について記している箇所で
親鸞の主体形成
然との別離によって︑ の自覚による主体形成
親鸞の主体形成
( 2 5 )
ある︒そのことから︑﹁後序﹂を親鸞の唯一の﹁自叙伝﹂に相当すると考える先学もいる︒その﹁後序﹂における
﹁承元の法難﹂を含む歴史的事柄は︑親鸞の﹁選択﹂によって記されている︒親鸞の身に起きた多くの出来事を考
えるとき︑数頁で記された﹁後序﹂は非常に短いと言えるだろう︒それは書かれた事柄が︑ある一定の理由をもっ
て選ばれたことを意味し︑またそれ以外の事柄は﹁取捨﹂︑つまり書かないことを選んだことが指摘されるだろう︒
また﹁後序﹂における﹁承元の法難﹂についての文書の位置にも注意が必要と考えられる︒﹁後序﹂を単に﹁自
叙伝﹂と考えるならば︑いかにある一定の理由を元に事柄を﹁取捨選択﹂しても︑時系列で書くのが当然であろう︒
ク ロ ノ ロ ジ カ ル
しかし﹁後序﹂は通常の自叙伝のように︑順序次第的な順序で書かれていない︒﹁後序﹂に害かれた親鸞による一
連の記録文書を配列順にまとめると︑﹁法難の記録﹂﹁勅免﹂﹁法然の入滅﹂﹁帰本願︵法然との出遇い︶﹂﹁﹃選択集﹄
書写︑及び肖像画模写﹂﹁真影の銘を頂く﹂となる︒この順番を親鸞の当時の年齢に合わせると︑三十五歳︑三十
九歳︑四十歳︑二十九歳︑三十三歳︑三十四歳となっている︒すでに多くの先学に指摘されるように︑その記述の
次第は︑﹁婦本願﹂から﹁承元の法難﹂へではなく︑﹁承元の法難﹂から﹁帰本願﹂へとして記されているのである︒
藤場俊基はこの配列次第の理由について︑端的に
親鸞にとっては︑一二十五歳の出来事が原点であるということではないかと思います︒いわばそこから本当のあ
ゆみがはじまった︒実際に︑法然に出遇って念仏者となったのは二十九歳のときですが︑その出遇いの意味が
( 26 )
本当の意味で明らかになったのがあの法難であった︒
と︑﹁承元の法難﹂をあゆみの原点であるとしている︒まさにそれは︑安冨信哉によって﹁後序﹂に記された吉水
時代の親鸞の法然との値遇と承元の法難について︑
それは︑若き親鸞の主体形成の記録とも読むことが出来るであろう︒この二つの事件は︑親鸞が宗教的主体と
して形成され︑﹃教行信証﹄を著す事由となった︒
10
親鸞の主体形成
7)
8)
6 5
主
(1
)
= ‑
︱
‑ a
( 2
)
(3
)
( 4
)
﹁われら﹂の自覚にこそ︑親鸞の主体を形成した母体があると言えるのである︒
﹃浄土論﹄﹃真聖全﹄一︱一六九頁﹃浄士論註﹄﹃真聖全﹄︱二八︱︱頁
﹃御消息集﹄広本六﹃定親全﹄三書簡篇︱二五頁
ここで親鸞が否定しているのは︑﹁われ﹂ではなくて﹁われは﹂である︒﹁は﹂を否定するところから︑特にここ
では自我心の我を否定し︑﹁われ﹂について全て否定しているとは考えられない︒
﹃歎異抄﹄﹃定親全﹄四言行篇一三七頁
ここで言う﹁承元の法難﹂とは︑一︱
10
七︵建永︱‑︑承元元︶年二月の専修念仏弾圧であり︑広く﹁承元の法難﹂と呼ばれている︒その法難が起こったのは︑ロ︱0七年一一月である︒しかし建永から承元への改元Hは︑同年十月二十五日であるため︑実際に法難が起こったときの年号は︑建永一一年である︒そのため︑年号に忠実であ
るならば︑﹁建永の法難﹂と呼称する方が正しいと考えられる︒小論では︑多くの先学の表記にならって︑﹁承元の法難﹂と表記したが︑この呼称は︑年号に忠実ではない︒
﹃ 定 親 全
﹄ 三 和 文 篇 ニ
︱ 四 頁
安冨信哉は︑親鸞が﹁われら﹂という言葉を使用する機縁となった出来事として結婚と配流の一︱つを挙げている︒その中で配流について︑親鸞に﹁われら﹂の自呂見をもたらした契機として︑聖人が承元の弾圧に遭って︑流刑者として越後に流されたことが考えられる︒親鸞は︑この地に三十五歳から四十一︑一一歳頃まで滞まり︑厳しい生活条件の中で生
きてゆかなければならなかった︒そしてこの配流の地で︑聖人は︑大地を這って喘ぎながら生きる民衆のこころに触れる︒ここに聖人は︑愚禿を名告り︑大地的人間として誕生することになる︒この苦難を契機に親鸞は︑﹁いなかのひとびと﹂を御同朋・御同行として生きる道を選ぶ︒
遇の意味を﹁本願に帰す﹂と自覚させたと考えられる︒
つまり﹁われら﹂とは︑決して没我的ではなく︑むしろ︑
ここに
﹁われら﹂の自覚を内実とする﹁承元の法難﹂は︑親鸞に主体を形成し︑それこそが︑親鸞に法然との値 とされるような親鸞の主体形成の体験なのである︒
( 1 3 )
( 1 4 )
( 1 5 )
( 1 6 )
( 9
( 1 )
0 )
( 1 1 )
( 1 2 )
親鸞の主体形成
︵﹃親鸞と危機意識新しき主体の誕生﹄︱︱︱二頁︶
とし
てい
る︒
﹃延喜式﹄巻二十六﹃増補新訂国史大系﹄︱一六六六四頁参照︒
﹃唯信紗文意﹄﹃定親全﹄三和文篇一六八ー一六九頁
﹃歎異抄﹄一三章﹃定親全﹄四二三頁﹁われら﹂も﹁われわれ﹂も自他を包括する言葉という点において同じ意味であるが︑現在使われる﹁われわれ﹂という言葉が別のグループに対して︑﹁自分たちは﹂というニュアンスを持っていることに注意したい︒しかし︑
親鸞のいう﹁われら﹂は︑その他の人々によって成り立つ﹁自分たち﹂という意味ではなく︑本願によって見出される﹁われら﹂だと考えられる︒安冨は﹁われら﹂と﹁われわれ﹂について︑ふつう現代人は︑﹁われら﹂といわずに﹁われわれ﹂という︒英語でいえば︑﹁われら﹂も﹁われわれ﹂も一人称複数の
W e
であるが︑日本語の﹁われら﹂と﹁われわれ﹂とのあいだには︑微妙な︑しかし重要なニュアンスの違いが感じられる︒﹁われわれ﹂は︑現代語である︒一方︑﹁われら﹂は古典的な響きを残すことば
である︒私は︑そこに暖かい感情が籠もっているのを感じる︒
︵﹃親鸞と危機意識新しき主体の誕生﹂一九八ー一九九頁︶
としている︒よって小論では︑親鸞の使う﹁われら﹂という言葉を明確に考えるために︑﹁われわれ﹂という言葉を︑自己主張︑グループ主義︑排他性を伴う︑現代語としての一人称複数として使用した︒
﹃定親全﹄一三八一頁
﹁歎異抄﹄﹃定親全﹄四五頁﹃選択集﹄﹃真聖全﹄一九九三頁
寺川俊昭は︑親鸞の回心について︑回心ののち︑聖人は浄土の仏道の学びに身を励ましていったであろうが︑その学びの聞思の中で︑自らの﹁念仏に帰す﹂という体験を︑聖人は繰り返し反省しその意味を推考していったのではなかろうか︒その反復する聞思を通して︑やがて﹃教行信証﹄を書く頃には︑﹁念仏に帰す﹂と自覚したあの体験のより深い意味は︑実は﹁本願に帰す﹂と自覚されるべき出来事であったという洞察が得られ︑そのような了解が確立していったのである︑こう考えるのが無理がないのではなかろうか︒
( 2 4 )
( 1 7 )
( 1 8 )
( 1 9 )
( 2 0 )
( 2 1 )
( 2 2 )
( 2 3 )
︱︱
‑│
︱三
頁
九四ー九五頁 としている︒﹃教行信証﹄所引箇所﹁定親全﹄﹃定親全﹄一九頁﹃前掲書﹄同頁﹃定親全﹄一九七頁
﹃尊号真像銘文﹄﹃定親全﹄三和文篇
﹃定親全﹄一九七ー九八頁
第十八願文︑及び成就文について考える場合︑特にここで﹁唯除五逆誹謗正法﹂の文に注目しなければならない︒親鸞は﹁唯除﹂の文について︑﹁唯除五逆誹謗正法﹂といふは︑唯除といふはたゞのぞくといふことば也︑五逆のつみびとをきらい︑誹謗のおもきとがをしらせむと也︒このふたつのつみのおもきことをしめして︑十方一切の衆生みなもれず往生
す べ し と し ら せ む と な り
︒
︵
﹃ 尊 号 真 像 銘 文
﹄
﹃ 定 親 全
﹄ 三 和 文 篇 七 五 ー 七 六 頁
︶
と述べている︒﹁十方一切の衆生みなもれず往生すべし﹂とあることから︑﹁唯除︐の文は決して﹁われら﹂を﹁われわれ﹂に︑つまり本願の機に排他性を持たせるものではない︒むしろこの文は︑﹁われら﹂が宿業存在であ
ることを教えるものである︒それは︑師︑法然が﹁唯除﹂の文を引用しないにも関わらず︑あえてここで︑全文を引用する親鸞の﹃大経﹄に自己の救済を推求する姿勢を見出すことが出来る︒そして︑その背景には︑流刑地での﹁ゐなかの人々﹂との出遇い︑また自己との出遇いを通す中で見えてきた﹁いかなるふるまいもす﹂る宿業の身の存在の自鎚があるのではないだろうか︒なお︑この﹁唯除﹂の文についての考察は︑第十七回真宗大谷派
教学学会において︑﹁親鸞の主体形成﹁唯除の機﹂の自呂見を通して﹂として発表した︒
さらに言葉を足すならば︑親鸞は凡小という言葉を﹁総序﹂や﹁教巻﹂に使用しているが︑その言葉について︑
寺川俊昭は︑群萌についてすこし付言すれば︑群萌として生きている人間は︑その一人ひとりをみれば︑凡小である︒
︵﹁親鸞と読む大無量寿経上﹂﹁寺川俊昭選集﹄第八巻一六0
頁 ︶
としている︒ここに︑群萌であるという自覚︑つまり﹁われら﹂の自覚があって︑その一人の自覚が﹁凡小﹂に
親鸞の主体形成 ﹁顕浄七真実教文類聞記﹂﹃寺川俊昭選集﹄第五巻五四頁︶
凡例
一︑小論に使用した典拠のうち︑真宗七高僧及び︑存覚の著作は﹃真宗聖教全書﹄︵大八木興文菌刊︶を用い︑親鸞の
著作︑及び﹃歎異抄﹄などの著作は︑﹃定本親鸞聖人全集﹄︵法蔵館刊︶を用いた︒
一︑原漢文の著作は原則として書き下した︒但し︑﹃教行信証﹄については読みやすさを考慮して︑
大谷派刊︶を参考に旬点のみ適宜追加した︒読点は依ったテキストにある場合のみ︑引用した︒
一︑敬称は学術論'又ということを考慮し︑省略した︒
一︑引文の出典は︑左の通り略記した︒
﹃定親全﹄⁝⁝﹃定本親鸞聖人全集﹄『真聖全』•…••『真宗聖教全書』
参考文献は引用したものに同じ︒
2 7 2 6
25 親鸞の主体形成代表される主体の表白ということが明らかになるのである︒
藤原幸章は﹁後序﹂の記述について︑
﹁後序﹂には︑冒頭まず法然上人の真宗興隆に伴う厳しい法難の記録から起筆せられ︑師弟の配流︑非僧非
俗︑愚禿の自覚等をのべ︑師の上人の奇瑞に荘厳せられた平安そのものの御入滅を叙し︑この上人に遇いえ
た無上の慶び︑並びに師から賜った数々の恩遇を全身的な感動をこめて叙しつつ︑最後に﹃教行信証﹄撰述
のことに及んで﹁後序﹂全文が終わり︑同時に六巻のすべてが閉じられているのである︒従って常にいわれ
ているように︑これは自己を語ることが全くなかった聖人自身の︑簡単ではあるが唯一の自叙伝にも相当す
るとみられるわけである︒それはここに記された一っ︱つが︑聖人の生涯において忘れようにも忘れること
のできない出来事であったことを物語るものといっていいであろう︒
︵﹁教行伝証﹁後序﹂についてー特に﹁主上臣下背法違義成念結怨﹂を中心にー﹂﹃親鸞教学﹄二八
六五
頁︶
としている︒
﹃ 親 鸞 の 仏 教 と 宗 教 弾 圧 な ぜ 親 鸞 は
﹃ 教 行 信 証
﹄ を 著 し た の か
﹄
﹃ 親 鸞 と 危 機 意 識 新 し き 主 体 の 誕 生
﹄ 一 五 一 頁
一六五頁
一 四
﹃真
宗聖
典﹄
︵真
宗
六四ー
﹃教行信証﹄﹁信巻﹂の主題は︑﹁至心信楽之願
心信楽之願﹂による﹁正定緊之機﹂の誕生である︒
(l )
正定緊之機﹂という標挙の文に端的に示されているように︑﹁至
つまり︑﹁信巻﹂全体が本顧による新しい信仰主体の誕生を述
べていると言える︒﹁そくばくの業をもちける身﹂という宿業の身の現実において︑どのようにして主体を確立す
るか︒親鸞は︑その根拠を︑自己を超えた本願に求めている︒とりわけ﹁至心信楽之顧﹂を主題とした﹁侶巻﹂前
半の三心一心問答は︑信仰主体の根源に︑如来の本願を見出すものであり︑そこに︑本願による主体の確立がある︒
親鸞は︑法然との出遇いによる回心の意義を︑﹃大無量寿経﹄の本願成就の教説に見出し︑﹃教行信証﹄を書いた︒
即ち︑三心一心問答も︑本願がわが身に成就したという本願成就の事実に基づいて思索されている︒その時︑親鸞
の大きな導きとなったのが︑曇鸞の三信論と善導の三心釈である︒特に善導の三心釈は︑その引用の分量も多く︑
また内容的にも︑後に展開していく重要な問題を含んでいる︒善導の三心釈は︑親鸞にとっていかなる意義を持っ はじめに 大谷派 一二心︱心間答の思想的背景として
善 導
の 一
二 心
釈
山 高
一五
秀 介
親鸞の﹁信巻﹂の文脈に沿って考察したい︒ 三心釈は︑﹃観無量寿経﹄の至誠心・深心・回向発願心について善導が解釈したものである︒善導において三心
シ ク ス ヘ ン シ テ ヲ テ ル コ ト ヲ
正明下僻一定︱二心以為中正因ょマキワフとあるように︑浄土往生の﹁正因﹂であり︑浄土願生者が具すべき心であった︒その三心釈において︑中核となる
のは︑深心釈︑とりわけ二種深侶である︒機法二種の深倍は︑
︵﹃
定本
教行
信証
﹄
IOI‑
二頁
︶
みな他力の深信であり︑また機法の自覚は一体であ
って︑どちらか︱つが独立してあるわけではないが︑今回は︑二種深伯の内でも特に機の深信に注目したい︒なぜ
なら︑﹁信巻﹂の三心一心問答を考える上で︑機の深信が重要な意味を持っていると思われるからである︒
三一問答には共通して見られる一一一段階の構造がある︒それは︑衆生には清浄な心がないという﹁機無﹂︑如来は
その衆生のために三心を成就したという﹁円成﹂︑さらに如来はその成就した三心を衆生に回施したという﹁回施﹂
( 2)
である︒ここで注目したいのは︑﹁機無﹂という助からない自己の自覚において︑主体の超越的根拠とも言うべき
如来の願心︑法蔵菩薩の願行が見出されるということである︒それは︑機の深椙という自己の有限性を通した超越
(3 )
のあり方である︒したがって︑三一問答を考察する時︑善導における三心釈の一一種深信︑特に機の深侶を︑親鸞が
どのように了解したかを尋ねることは︑きわめて重要な意味を持つと言えよう︒親鸞は︑﹃大無量寿経﹄の本願成
就文の了解に立ち︑善導の三心釈に独自の訓点を付けることによって︑深倍を本頻成就の倍として確かめ︑三一問
答の思想的根拠を明らかにした︒親鸞がどのように善導の三心釈の示唆を︑三一問答の思想的根拠として用いたか︑ ょ ︑ ' ていたのだろうか︒ 善導の三心釈
一六
善導の三心釈
一︑ 曇鸞 の一 二不 三信
と︑至心侶楽の願の因願とその成就文で引文を始める︒親鸞は︑
一七
︵﹃
定本
教行
信証
﹄
ハ シ ト ラ
者不取正
九七ー
八頁
︶
親鸞は﹁信巻﹂において︑
ニ ノ タ マ ハ ク レ ラ ム ニ ヲ
J
シ ヲ シ テ オ モ フ テ ト カ ニ セ ム シ レ
至 心 信 築 本 願 文
﹃ 大 経
﹄ 言 設 我 得
︳ 佛 十 方 衆 生 至 心 信 栗 欲 生 我 國 乃 至 十 念 若 不 生
ヲ タ
︑ ク ト
覺 唯 除 五 逆 誹 謗 正 法 エ
︵
﹃ 定 本 教 行 倍 証
﹄ 九 七 頁
︶
ヲ セ ム セ ム コ ト セ ム ニ セ シ メ ク マ ヘ リ セ ハ ニ ニ ク ア ラ ユ ル
本願成就文『経』言諸—有衆生聞一其名号一信心歓喜乃至一念至心回向願圧壬彼國即得_往生在圧不
已 トオハ
退轄唯除五逆誹謗正法︱上
自身の信心の発起が﹁至心に回向せしめたまへ
り﹂という︑我が身に本願が成就した事実と捉えるのである︒それは︑我の側からは絶対に仏になれないという断
絶のところに︑仏の方から信が回向されたという親鸞の信仰体験を示している︒親鸞は︑この本願成就という根本
自証に立って︑曇鸞︑善導の教言を引用する︒まず︑曇鸞の﹃浄土論註﹄讃嘆門釈の引用である︒
曇鸞は︑﹁世尊我一心﹂という立脚地において︑自身に無明が晴れない所以を尋ねる︒名号のはたらきが光明智
相であるならば︑名号に帰した体験は︑衆生の無明の闇を破るはずである︒
︱ ー レ ト モ ナ ホ シ テ ル ヲ ハ ン ト ナ ラ ハ
然 有 稲 名 憶 念
︳ 而 尤 明 由 存 而 不 函 四 所 願
︳ 者 何 者
とこ
ろが
︑
曇鸞
は︑
︵﹃
定本
教行
信証
﹄ 10 0頁 ︶
といって︑破闇満願の徳が自身において現実にならない理由を問い︑その理由として﹁不如実修行﹂と﹁名義不相
応﹂とを指摘する︒それは︑如来が法性法身という自利と︑方便法身という利他を満足していることとを知らない
ことから起こる問題だというのである︒如来と言っても具体的には﹁無碍光如来の名を称する﹂という念仏である︒
つまり︑念仏こそが自利利他円満の生きた如来なのである︒その如来を知らないところに︑無明が破られない所以
二︑善導の至誠心釈 さらに曇鸞は︑その理由を︑﹁三種の不相應﹂として説く︒
J
ニ ハ ス ア ッ カ ラ コ ト シ セ ル カ キ ノ セ ル カ ニ ニ ハ ス ナ ラ キ カ ニ
又 有 三 種 不 相 應 一 者 信 心 不 淳
︳ 若 乙 サ 若 仔
j︳
故・
ニ者
信心
不︳
︳︱
‑元
一決
定︳
故・
三者
信心
不一
相績
一餘
念
タツルカー︱J
シ テ ス ル ヲ ラ ニ
︑ ン キ カ
間故・此三旬展韓相成•以=信心不二淳話竿~二決定無決定一故念不相績赤祈:下念・不_相績_故不=一得決
定 信 不 元 匝 決 定 信 故 心 否 淳 面
→ 此 相 違 名 如 賓 修 行 相 應 是 故 論 主 建 言 二 我 一 心 峠
︵﹃
定本
教行
信証
﹄
曇鸞はこのように︑衆生の信心が﹁不淳﹂・﹁不決定﹂・﹁不相績﹂であり︑それらが互いに﹁相成ず﹂という事態
に︑無明が破られない原因を見定めるのである︒そして曇鸞は︑﹁不淳﹂・﹁不決定﹂・﹁不相績﹂である人間の心と
﹁相違せる﹂心として﹁我一心﹂の発起を説くのである︒
の根拠がないという懺悔である︒﹁我一心﹂は︑自分に生じた心でありながら︑実は全く自分の心ではない︒この
ことを確かめた上で親鸞は︑善導の三心釈に独自の訓点を施し︑信が懺悔の体験であること︑またその超越的根拠
が法蔵菩薩の願心にあることを尋ねていくのである︒
このような曇鸞の三信論の引用の後︑善導の三心釈が引用される︒善導が釈した三心とは︑﹃観無量寿経﹄散善
の上品上生に挙げられた︑浄土願生者が具すべき三つの心である︒
ス ヲ カ ス ト シ リ テ ゼ ン レ ン ト ノ ー ー ハ シ テ ノ ヲ
若有衆生︑願レ生︳彼國一者︑発一三種心即便往生︒何等為三一︒
ズ ズ
ナリ心︒具三心者︑必生彼圃゜
があると曇鸞は言うのである︒ 善導の三心釈
つまり︑曇鸞の三不三信の要点は︑自分の心には全く信
ニハ
一者至誠心︑
ニ ハ ニ ハ
二 者 深 心
︑ 三 者 週 向 発 願
︵﹃
真聖
全﹄
一八
‑. 六
0頁 ︶
10
頁 ︶ 0
善導の三心釈 は︑求道の第一条件とも言うべき内容である︒
﹃観
経﹄
導は
︑
三心は︑至誠心・深心・回向発願心の順に挙げられており︑
一九
善導もその順序に従って註釈している︒善
この三心に詳細な注釈を施すことで︑念仏の信を明らかにした︒善導が三心について︑
キ ヲ シ ニ サ ト リ ヲ ニ ス テ ミ タ マ フ コ ト ヲ
/ カ ス ヲ
元 四 由 三 翡 解 二 明 如 来 還 自 笠 前 三 心 之 敷
と述べるように︑三心とは︑世尊が﹁解を得るに由なき﹂凡夫のために︑歩むべき段階を示したものである︒それ
(4 )
故︑三心は我々にとっての信仰的自覚の道であり︑求道心のプロセスであると言える︒その中でも︑特に至誠心釈
さて︑善導は至誠心釈において︑﹁至誠心﹂を﹁真実心﹂と受けとめる︒そして︑
ヲ ク コ ト ヲ キ コ ト ヲ ノ ニ ス レ
欲如四一切衆生身口意業所レ修解行必須一演賓心中作示
1レ
得下
外現
一賢
善精
進之
相一
内壊
中虚
個上
︵﹁
浄土
宗全
書﹄
(5 )
ニ・ 五五 頁︶
とあるように︑浄土往生のためには︑真実心の中に身口意の三業を修めるべきであり︑内に虚仮を懐いてはならな
(6 )
いという︒なぜかといえば︑
ノ ニ シ タ マ ヒ シ ニ シ ク テ ナ リ ト ノ
正由下彼阿禰陀佛因中行二菩薩行一時乃至一念一刹那三業所修皆是慎賓心中作ヒ
︵コ
疋本
教行
信証
﹄
とあるように︑阿弥陀仏がまだ菩薩であった時︑真実心の中に三業を修めたからである︒つまり︑法蔵菩薩の真実
心によって浄土が建立されているのだから︑衆生が浄土に往生しようと思うなら︑まず真実心をもって三業を修め
るべきだというのである︒善導は︑﹁不善の三業﹂を真実心の中に捨てて﹁善の三業﹂を真実心の中になせ︑﹁内外
明闇を簡ばず﹂真実であれ︑と述べて至誠心釈を結んでいる︒
このように︑至誠心釈において善導は︑法蔵菩薩の真実心にならい︑徹底して真実心の中に身口意の三業をなせ
と命令する︒実に厳しい規範的命令である︒善導は︑この釈尊の至誠心の勧励を真摯に実行した︒﹃新修往生伝﹄
︵﹃
定本
教行
信証
﹄ 10 二頁
︶ IC
二頁
︶
には︑善導の仏道に対する至誠な行状が述べられている︒善導は︑一度棠に入っては力尽きるまで念仏し︑その行
は寒冷の時でも汗が流れるほど至誠であり︑さらに寝る間も惜しんで行道や礼仏に励んだという︒またその生活も︑
厳格に戒を守って犯さず︑目を上げて女人を見ることもない様子であったというのである︒そして︑善導が日頃い
かに行儀の至誠であったかは︑浄土教の実践儀礼を明かす具疏︵﹃法事讃﹄・﹃観念法門﹄・﹃往生礼讃﹄・﹃般舟讃﹄︶
を著し︑そこに非常に厳しい実践を求めていることからも明らかである︒後に日本の法然も︑天台智頻の十徳に習
(8 )
って善導の徳を﹁善導十徳﹂としてまとめ︑その第一に﹁至誠念仏の徳﹂を挙げているほどである︒このように︑
至誠心の持つ意義は︑善導の仏道においてきわめて大きいと言える︒しかしここで一っ問題がある︒それは︑至誠
(9
)
心と︑次の深心釈における機の深信との矛盾である︒善導の至誠心釈は﹁真実であれ﹂という至誠の要求に終わっ
ている︒ところが︑続く深心釈において︑善導は突如としてそれまでの言葉を覆すような告白をしている︒
︵﹃
定本
教行
信証
﹄
くるのは︑自己の罪深さとそのことによる自己の救いのなさである︒しかし︑同時にそこに︑
シ テ
/ ニ テ ト シ テ ク ス
/
二者決定深信
F彼阿禰陀佛四十八願描一︳受衆生
E
ぎ疑元}喝乗︳彼願力定得ぶ仕生上オモンハカリ 善導の三心釈
︵﹃
定本
教行
信証
﹄
二0
10
三頁
︶
機の深信において善導は︑
シ テ シ ト コ ト ヨ リ ノ タ ニ シ シ テ ク ス
一者決定深信四自身現是罪悪生死凡夫暖劫已来常没常流韓尤﹂り出離之縁
シムツというように︑自身の罪深さと救いの道が全く閉ざされていることを告白している︒この機の深信によって︑至誠
心を通して心が清められていくという予測は︑見事に裏切られるのである︒至誠心を尽くした結果︑現実に見えて
10
三頁
︶
という法の深信が感得されるのである︒そこにおいて︑﹁乗彼願力定得往生﹂という︑本願力による往生決定の確
信を得るのである︒この絶対に救われない自己の自覚と︑そのような自己が決定して浄土に往生できるという自覚
は同時に成り立つ︒これが︑深心釈に説かれる二種深信である︒そして︑このような獲信のプロセスを明らかにす
善導の三心釈 至誠心釈に善導の懺悔の精神をよく汲み取り︑独自の訓み替えを施すことによって︑善導の真意を明らかにしたのが親鸞である︒親鸞の訓み替えは︑至誠心釈が善導の懺悔の表白に他ならないことを痛烈に示している︒
︵﹃
定本
教行
信証
﹄
︵中
略︶
貞実心をもって身口意の三業を修めよという善導の教言を︑親鸞は︑
ス モ チ ヰ ル コ ト ヲ ニ シ タ マ ヒ シ ヲ レ ハ ナ リ ハ ナ リ オ モ フ ム ト
﹃経﹄云一者至誠心.至者箕誠者賓欲下下明こ切衆生・身口意業所修解行・必・須中演賓心中作上不四
ヲ テ ス シ シ ャ カ チ ニ ェ ニ コ ト ヲ ヲ ニ ウ タ イ テ ク ヰ カ ン サ 及 ニ シ テ
闘 外 現
︳ 賢 善 精 進 之 相 内 懐
︳ 虚 骰 貪 臓 邪 偽 肝 詐 百 端
・ 悪 性 難
□侵
事 同 蛇 蝠 雖 二 起 三 業 名 為
︳
ム サ ホ ル イ カ ル イ ツ ワ ル イ ソ リ イ ツ ワ ル
︐ シ ス 的 シ テ
雑毒之善赤芯印虚候之行太
1‑︳夕こ懸貰業一也︵中略︶欲下回一雑毒之行缶か生彼佛浮土︐者此・必・不可也
シ サ
/ ヲ ハ モ チ ヰ テ ノ ニ ナ シ タ マ ヒ シ ヲ エ ラ ハ ヲ モ チ ヰ ル カ ヲ ニ ク
又若起善――一業一者必須一〗懸貰心中作不=_簡内外明闇皆須一演賓故名至誠心
10
ニー
三頁
︶
と聞き取ったのである︒この親鸞の訓み替えにより︑真実心は衆生の心ではなく︑如来の願心となる︒即ち︑衆生
が真実心を起こすのではなく︑﹁法蔵菩薩が真実心の中に作したまいた行を須いよ﹂という意味になる︒
また︑親鸞の訓み替えは﹁不得外現賢善精進之相内懐虚候﹂の教言をも︑衆生の真実心を励ます意味ではなく︑
厳しい懺悔の言葉として明らかにする︒これは非常に踏み込んだ了解である︒親鸞は︑﹁外に賢善精進の相を現ず
ることを得ざれ︑内に虚仮を懐いて﹂と読んで︑虚仮不実なる自身を懺悔するのである︒この訓み替えにより︑続
く﹁貪瞑邪偽︑奸詐百端にして︑悪性侵め難し︑事︑蛇蜆に同じ︒三業を起こすと雖も︑名づけて雑毒の善とす︑
亦虚仮の行と名づく︑真実の業と名づけざるなり﹂の文は︑﹁雑毒の善・虚仮の行﹂にならないための誡めの言葉 る
のが
︑
三︑親鸞の訓み替え 親鸞が至誠心釈に施した独自の訓点である︒
浮土員宗に蹄すれども
こ虚候不︷貫のこのみにて
ぐ ゑ ぎ
外儀のすがたはひとごとに
とむじんじゃぐゐ貪瞑邪偽おほきゅヘ
攣炉︐さらにやめがたし
修善も雑毒なるゆへに 慎賓の心はありがたし ではなく︑まさに︑自身が﹁雑毒の善・虚仮の行﹂以外の何者でもないという懺悔の言葉となるのである︒すると﹁この雑毒の行を回して彼の仏の浄土に求生せんと欲するは︑これ必ず不可なり﹂の文も︑白力では浄土往生は不
となるこAろなきみなりとしるべしとなり︒
と述べ︑虚仮なる自身の内面を懺悔している︒また︑﹃愚禿悲歎述懐﹄
清浮の心もさらになし
けんぜんしやうじんげん
賢善精進現ぜしむ
か む さ み
紆詐も︑はし身にみてり
じやかちこ:ろは蛇蝠のごとくなり
こ け ぎ や う
虚候の行とぞなづけたる
の和
讃に
は︑
一七
八\
九頁
︶
︵﹃定親全﹄二︹和諧篇︺二0
八\
九頁
︶
と述べ︑どこまでも虚仮不実なる我が身が悲歎されている︒これらの引文で特に注目すべきは﹁身﹂の字である︒
親鸞にとって︑真実なき虚仮不実なるものは決して抽象的な観念ではなく︑あくまで﹁わが身﹂の事実であった︒
このように︑親鸞は︑至誠心の要請によって︑かえって虚仮不実なるわが身が知らされるということを︑わが身
︵﹃
定親
全﹂
︱︱
‑︹
和文
編︺
さらに親鸞は︑﹃唯信紗文意﹂において﹁不得外現賢善精進之相﹂を釈して︑
ふ と く ぐ ゑ げ ん け ん ぜ ん し ゃ う じ ん し さ う ぜ ん に ん し や う じ ん
﹁不得外現賢善精進之相﹂といふは︑あらはにかしこきすがた︑善人のかたちをあらわすことなかれ︑精進
な い ゑ こ け な い
なるすがたをしめすことなかれとなり︒そのゆへは﹁内壊虚俣﹂なればなり︒内はうちといふ︑こ︑ろのうち
しんじちぼむなうに煩悩を具せるゆへに︑虚なり仮なり︑虚はむなしくして︑賓ならぬなり︑骰はかりにして慎ならぬなり︒
け た い
︵中略︶溜怠のこAろのみにして︑うちはむなしくいつわり・かざり・ヘつらうこAろのみつねにして︑
まこ
可であるという厳しい自力無効の表白となるのである︒ 善導の三心釈
善導の三心釈 自ずと法の深信が展開してくるからである︒
ます
︒
一六
︱\
二頁
︶
理だやら非真理だやら︑何が幸福だやら不幸だやら︑ の事実として確かめたのである︒こうして︑至誠心の求道の歩みは深心釈の機の深信として結実する︒機の深信を明らかにするのが至誠心の意義である︒釈尊が﹁一者至誠心︑二者深心﹂と説いたのは︑まず衆生に至誠心を尽くさせることによって︑衆生に自力無効を明らかにするためであったわけである︒
清沢満之が﹁我信念﹂において︑
私の信念には︑私が一切のことに就て︑私の自力の無効なることを信ずる︑と云ふ点があります︑此自力の無
効なることを信ずるには︑私の智慧や思案の有り丈を尽して其頭の挙げやうのない様になる︑と云ふことが必
要である︑此か甚だ骨の折れた仕事でありました︒其窮極の達せらる
A
前にも︑随分宗教的信念はこんなものであると云ふ様な決着は︑時々出来ましたが︑其が後から後から打ち壊されてしまうたことが︑幾度もありま
した︑論理や研究で宗教を建立しやうと思ふて居る間は︑此難を免れませぬ︑何が善だやら悪だやら︑何が真
︱つも分かるものでない︑我には何も分からない︑とな
った
処で
︑
一切の事を挙げて︑悉く之を如来に信頼する︑と云ふことになったのが︑私の信念の大要点であり
(﹁清沢満之全集﹄第六巻︑岩波書店︑
と述べているように︑自力無効を信ずるには︑﹁智慧や思案の有り丈を尽して其頭の挙げやうのない様になる﹂こ
とが不可欠なのである︒衆生は︑自力無効が分かるまで︑自力を尽くさなければならない︒ここに︑求道において
至誠心の不可欠な所以がある︒そして︑自力無効が明確になるまで求道を推し進めることは︑清沢が﹁此か甚だ骨
の折れた仕事﹂と述懐するように困難を極める︒しかし︑この自力無効の信知は︑衆生の獲信において決定的に重
要である︒なぜなら︑至誠心が尽くされ︑自力の無効が知らされて初めて︑機の深信が明白な事実となり︑そこに
このように︑至誠心の要請は︑衆生に自力無効を知らせ︑真実なき﹁わが身﹂を露わにさせるのである︒ここに︑
釈尊の至誠心の勧励が︑実は衆生に至誠心を尽くさせることで︑衆生に真実心がないことを教えるための大悲の教
言であったことが明らかとなるのである︒親鸞もまた︑善導と同じく︑至誠なる求道を実行したに違いない︒そし
て︑その結果露わとなったのは︑真実などどこにもない︑虚仮不実なる我が身であった︒その虚仮不実な身の自覚
に立って善導の至誠心釈の表白を読み︑わが身に響くままを虚心に書きとめた時︑あの独自な訓み替えとなったの
であろう︒即ち︑親鸞には善導の至誠心釈の教言全体が︑善導の痛切なる懺悔の表白として響いたのである︒
四︑懺悔の超越的根拠
ただし︑このように徹底して衆生の自我を翻し︑虚仮不実なる身を知らしめる懺悔は︑決して衆生の自力によっ
て起るのではない︒自力の懺悔は︑結局は人間の努力意識の延長上にあるものであり︑人間の反省の域を出ない︒
したがって懺悔の根拠は︑どこまでも超越的でなければならない︒そして超越的なる懺悔の根拠は︑既に善導自身
の至誠心釈の教言に示唆されている︒それは︑
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何以故正由下彼阿禰陀佛因中行︳菩薩行一時乃至一念一刹那三業所修皆是慎賓心中作上
︵﹃
定本
教行
信証
﹄ 10
ニー
三頁
︶
とあるように︑阿弥陀如来因位の法蔵菩薩の願行である︒親鸞は︑先の訓み替えにおいて︑﹁法蔵菩薩が真実心の
中になしたまいしところの行を須いよ﹂と訓み取り︑真実心を因位法蔵に見て︑われに真実なしと懺悔したのであ
った︒その懺悔の表白の根拠となるのが︑上記の引文である︒そして﹁阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じ﹂たまうこ
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とについて︑広瀬呆は﹁具体的に実動している阿弥陀に出遇った﹂ことであると述べている︒果位の阿弥陀如来で
なく︑我ら苦悩の群生海のために﹁五劫を具足して︑荘厳仏国の清浄の行を思惟し摂取﹂する因位法蔵菩薩という 善導の三心釈ニ四