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真宗研究45号全

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(1)

興宗連合事曾研究紀要

一一一第四十五輯一一ー

平 成 13年 1月

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刀ミ

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~ 刀ミ

第四十五輯

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ーーその名称と内実| 1

寿

||親驚の視点から||

・ ・ ・ 大

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ー上具宗教学では﹁いのち﹂をどう捉えるべきなのか||

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111 ﹁ 廟 窟 偏 ﹂ か ら ﹁ 女 犯 偶 ﹂ へ の 展 開 を 通 し て | |

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ー!版本と﹁写本﹂のプロットの差異||

尊︵玉︶

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麿 瀬 延 塚 知 内 藤 知 平 田

O 三 ︶

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||隆嘉記﹃念悌安心大要﹂を中心として||

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− | | 流 布 本 の 特 異 性 に つ い て | | | 辺

﹃蓮如上人御持言本・末﹄の考察

||実悟師諸本との関係||

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ーーその教義的立場と問題点||

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再び﹁朝鮮国釜山海高徳寺﹂

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輿

正 田

親 企

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人藻

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主主Z弘 子一 ム 一 品 品 葉 派

四 超 ︵ 一 = 一 一 一 ︶ 雄 ︵ 一 四 七 ︶ 門 川 徹 真 ︵ 二 ︿ 二 ︶ 行 ︵ 一 人 一 Z ︶ 道 会 一 七 ︶ 精 ︵ 二 一 三 ニ ︶ 識 ︵ ニ 四 一 ニ ︶ 田 宏 達 ︵ ニ 実 ︶ A

;z:;; 員 異

︵ ニ 八 三 ︶

須 派 藤 井 浄 派

(7)

の文について

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大 谷 派 田

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、、..,, ここをもって、愚禿釈の鷲、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行、諸善の仮門を出でて、永く 双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便 の真門を出でて、選択の願海に転入せり、速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の 誓 い 、 良 に 由 あ る か な 。 この文は言、つまでもなく、通常﹁三願転入﹂と呼称されている。この文章は単なる思想と呼ぶには躍動感をおぼえ、 単なる体験の告白とするには何か深遠ささえも感じる独自の響きを持つ記述である。過去において﹁三願転入﹂が幅 広 い 層 か ら 、 つまり哲学者などをはじめ、親鷺の思想に関心を抱く様々な人々から論じられてきたのは、周知の通り で あ る 。 例 え ば 武 内 義 範 氏 は 次 の よ う に ﹁ 一 一 一 願 転 入 ﹂ の 意 義 を 見 て い た 。 教行信証の哲学は、単に従来の真宗学の深化発展の意義を有するばかりではない。それはまた日本︵宗教︶精神 ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て

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﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 史の一の最高峰であるこの教行信証を、東西両思想の総合を意図する日本哲学の現段階からその重大な使命と固 く結びつけられた仕方で、解明していくことを意味する。従って親驚の教えを信ずる人はいうにおよばず、現代 我が国おいて思索する限りのすべての人に、切実な問題を提供しうるものと私は確信している。 武内氏において﹁三願転入﹂とは一つの宗派内の教義という枠に止まるものではなく、宗教思想として普遍的なもの として認識されていたことには十分注意されねばならない。﹁三願転入﹂は﹁重大な使命﹂を付託された記述として 理解されているのである。そのような武内氏の例をはじめとして、﹁三願転入﹂に宗教思想としての重要性を看取す る見解は、枚挙に暇がないであろうが、それも先に述べたような独特の記述に人々が惹かれたからに相違ない。更に 言葉を費やせば、﹁三願転入﹂の文が持つ躍動性も、人々の関心を集めた一因であったことも容易に理解できよう。 何よりも、﹁三願﹂の﹁転入﹂という、通称自体がこの文章に注がれた中心的関心の所在を示しているのである。 で は 、 そ の ﹁ 三 願 転 入 ﹂ と の 定 着 し た 名 称 は 、 何 処 に 由 来 し て い る の で あ ろ う か 。 言 、 つ ま で も な い こ と で あ る が 、 そ れ は 親 鷲 自 身 に よ る 呼 称 で は な い 。 親 鷲 は ﹁ 一 一 一 願 ﹂ と い う 言 葉 自 体 も ﹁ 行 巻 ﹂ に ﹃ 浄 土 論 註 ﹂ か ら 、 い わ ゆ る ﹁ 三 願的証﹂の引用として一度用いるに過ぎないので

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れ。そして、﹁転入﹂という言葉にのみ注意が喚起されがちであ るが、その一方で直前に述べられる﹁回入﹂との言葉にはあまり考察がされていないように思われる。その意味で、 ﹁三願転入﹂という通称は単なる通称の域に止まらずに、その印象的な名称の為に、後の解釈に一つの方向性を与え ていることも事実であろう。その意味で、名称自体を問うことにも意味があると思われる。以下に少し確認してみた 1,, 0 例えば、存覚の﹃六要紗﹄にはその名称は見出せない。それらしき記述といえば﹁果遂﹂について解釈するところ で ﹁果遂﹂等者、如此展転従仮入真出方便門入真実門即果遂願所成也 ︵ ﹃ 真 宗 聖 教 全 書 ﹂ 二 巻 四 O 七 頁 ︶

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と﹁展転﹂と表記されているにすぎない。﹁展転﹂との言葉自体は﹃教行信証﹂でも幾度か用いられてはいる。和讃 決 定 の 信 な か り け り ﹂ に お い て も 曇 鷺 讃 に ﹁ 三 信 展 転 相 成 す 信 心 あ つ か ら ざ る ゆ え に と述べられているように、大切な表現であることに相異はない。あるいは存覚も意識して﹁展転﹂との表現を用いて 行者こころをとどむべし いるのかもしれない。しかし、先の存覚の﹁三願転入﹂の記述には、後の解釈が示しているような、﹁三願転入﹂が ︵ 5 ︶ 親鷲の思想にとって﹁決定的といってよいほどの中核的位置を占めていた﹂と言われるほどの重要性を認めていたと は 断 言 で き な い で あ ろ う 。 しかし、注意されるのは﹁三願﹂との記述はないまでも、第一九、第二

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の二願をあげて、﹁三願転入﹂の文を解 釈 し て い る こ と で あ る 。 双樹林下是約﹃観経﹄十九願意、善本徳本是約﹃小経﹄、二十願意、乃是難思往生心也 このような存覚の解釈に、先の﹁展転﹂とあわせ、後代において﹁三願﹂を﹁転入﹂するという、少し詳細に述べる ︵ 同 前 向 頁 ︶ の で あ れ ば 、 一 九 、 二

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の 方 便 の 願 を 移 り 、 そ の 後 に 真 実 の 願 、 つ ま り 第 十 八 願 に ﹁ 転 入 ﹂ し た と す る 、 一 般 的 な 理 解の基礎が内包されていると見ることができるであろう。 それ以後の真宗の歴史においてはどうであろうか。今回確認した限りでは、江戸時代の講録にはコ二願転入﹂が、 ほぽ定着した名称として用いられていたことを知ることができる。例えば頓慧の﹁教行信証講義﹄には次のように記 さ れ て い た 。 是以愚禿釈鷺乃至果遂誓良有由哉

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二 述 自 喜 二 。 初 明 三 願 転 入 ︵ 中 略 ︶ 初 め に 吾 祖 自 己 の 安 心 に 約 し て 一 一 一 願 転 入 の 次 第 あ る こ と を 示 し 給 ふ な り 。 同様に興隆の﹃教行信証徴決﹄にも﹁三願転入﹂という表記は見いだせる。 一嘆三願転入功、二述知恩造書︵中略︶如是三願展転終帰弘願︵中略︶後投吉水一聴直解速入選択願海即三願転 ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て

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﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 四 入之義 そ の 他 に は 名 称 を 用 い ず に ﹁ 一 一 一 願 転 入 ﹂ の 文 を 解 釈 し て い る 例 な ど 、 若 干 の 例 外 も 見 い だ せ る が 、 江 戸 時 代 に お い てこの箇所を﹁三願転入﹂と呼称することは確定していた、と言えるであろう。それ以降も﹁三願転入﹂との呼称以 外見いだせないことを想起すれば、﹁三願転入﹂という呼称が定着した時期に一応の目安を付けることもできると思 ︵ 8 ︶ われる。ここで一応の整理をするのであれば、︵一︶当初は﹁展転﹂との表記であったものが、︵二︶ある時期、おそ らく江戸時代から﹁三願転入﹂との名称が登場、定着し、その一方で若干の例外もあったこと、︵三︶それ以後は現 在に至るまで﹁三願転入﹂との表記以外ほほ見出せないこと、等の諸点を指摘できる。鑑みると、もちろんこの指摘 を以て結論とすることは出来ず、さらに調べなければならないが、﹁三願転入﹂との名称が一般化していく時期につ い て 一 応 の 見 通 し を つ け る こ と も 出 来 る で あ ろ う か 。 では﹁三願転入﹂の主旨は何であろうか。これまで様々な重要な論点が指摘されてきたが、それは二つに大別する こ と が で き る で あ ろ う 。 一つは歴史的側面から﹁三願転入﹂を解釈するものである。つまり、親鷲が真実信に帰した のは実人生の上でいつに相当するのか、を問うものである。﹁三願転入﹂の当初の論点はこの歴史的側面からの研究 が主であった。これは真宗史学の発展により、親鷲その人がどのような一生を過ごしたのかについての研究が進んで きたこととも大いに関連を有しているであろう。しかし、親鷺自身が自分のことをほとんど語らないことに加え、 ﹁三願転入﹂の記述もその﹁回入﹂﹁転入﹂の時期を確定するにはあまりにも簡潔すぎて、特定の時期に該当させる の に は 決 定 的 な 資 料 が な い 、 と い う の が 実 情 で は な い で あ ろ う か 。 第二には﹁三願転入﹂の思想的面の解釈があげられる。その解釈では、主に信心の側面からの考察が中心であった。 つまり先の歴史的側面からの解釈がいつ真実の信心へと﹁転入﹂していったのか、という聞いであったのに対して、 如何に真実の信心へと﹁転入﹂していくのか、が思想的側面の主な論点であったといえる。つまり、信心段階論とも

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言うべき点が中心的課題とされていたのである。例えば講録では次のように記されていた。 一 九 よ り 二

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へ入り。二

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より一八へと三生呆遂をぱ現世の上で立て給へり。︵中略︶今生の次が化土後が真土 なり。︵中略︶今は一生の上で三生なり l』 寸 入 室 時 頓 捨 自 力 会

真 門 速 転 入 弘 願 真 万言 不 歴 生 僅 生息 本来ならば三生かかるはずのところを一生、 つまり現生のみで果たしたことについて注目がされているようだ。だ が、右の解釈を見るかぎり、﹁転入﹂の事実にはふれているが、それが親鷺に与えた宗教的意味の関心はそれほど強 くはないといえようか。その他の論点としては、 一度真実信心に入ったものに退転はあるのか、あるいは誰でもが一一一 願を順に歴程するのか否か、等が論点として挙げられていた。それらの問いは真面目なものではあるが、そのいずれ にせよコニ願転入﹂本文の解釈ではなく、そこから派生した第二次的問題として位置付けることが出きる性質のもの であり、﹁三願転入﹂が持つ宗教的性格を明確にするには至っていない。その故に、金子大栄氏が述べていたように ﹁﹃今特に﹂の語に於いて真に首肯せしむる領解を為すを得なかった﹂のであろう。後に見るように最近の﹁三願転 入﹂の解釈が﹁今特に﹂の一語に注意してそこに宗教的意味を見出そうとする姿勢とは対を為している。﹁三願転入﹂ の解釈においては親鷲の抱いていた宗教的自覚の考察も重要な側面となるであろうが、そのような考察が為されるに は、更に時間を要したのである。 では﹁三願転入﹂の主旨を考察してみたい。その際に論点は多岐にわたることは避けられないので、今回は紙幅の 都合上﹁転入﹂、更には本文に則り、往生について、殊に﹁欲遂難思議往生﹂との言葉を中心に考察を進めていきた し、

﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 五

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つ 一 一 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て ム ノ 、 r-

、 、J 先にも触れたように﹁三願転入﹂との通称からも理解できるように、常に注目されてきたのは﹁転入﹂との言葉で あった。直前の﹁回入﹂との言葉に使い分けを認めるのであれば、﹁転入﹂の表記に託された親鷺の意図が考察され ねばならないであろう。ここでは親鷲においての﹁転入﹂、また﹁転﹂について考えてみたい。 ﹁転入﹂との言葉が﹁教行信証﹂で使用されるのは﹁行巻﹂の名号釈の前に引かれている﹁般舟讃﹂の文であった。 また云わく、門門不同にして八万四なり。無明と果と業因とを減せんための利剣は、すなわちこれ弥陀の号なり。 一声称念するに、罪みな除こると。微塵の故業と随智と減す。覚えざるに、真如の門に転入す。婆婆長劫の難を 免るることを得ることは、特に知識釈迦の恩を蒙れり。種種の思量巧方便をもって、選ぴて弥陀弘誓の門を得し ︵ U ︶ め た ま え り 。 ﹁知識釈迦の恩﹂さらには﹁不覚転入真如門﹂等の言葉から、﹁三願転入﹂本文との連闘を見出すことは可能であろ ぅ。要点は﹁不覚﹂にして﹁転入﹂する、という点である。後に確認するように、﹁不覚﹂である、との事実こそが 親鷲の﹁転入﹂観においては看過できない点なのである。以上のことから親驚の﹁転入﹂理解は善導から大きな示唆 を受けていると推測されるが、親鷲は右の理解をもとに、和讃を製作していた。 定散自力の称名は 果遂のちかいに帰してこそ 真 お 如 し の え 門 ぎ に れ 転 ど 入 も す(自 る5然

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一瞥して分かるのは、親鷺が先の﹁般舟讃﹂の文章をもとにしながらも、﹁自然﹂の一語を付加していることである。 このことは親鷲が﹁転入﹂とは﹁自然﹂に遂行されることを見ていたからに他ならない。つまり、﹁三願転入﹂の文 章、ことに﹁転入﹂との言葉の理解には親驚﹁自然﹂観の把握が不可欠なのである。ここで、親鷲の﹁自然﹂につい て の 文 を 確 認 し な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 また﹁自﹂は、おのずからという。おのずからというは、自然という。自然というは、しからしむという。しか らしむというは、行者の、はじめて、ともかくもはからわざるに、過去・今生・未来の一切のつみを転ず。転ず 一切の功徳善根を、仏のちかいを信ずる人にえしむるがゆ ︵ 国 ︶ え に 、 し か ら し む と い う 。 は じ め て 、 は か ら わ ざ れ ば 、 ﹁ 自 然 ﹂ と い う な り 。 というは、普とかえなすをいうなり。もとめざるに、 これは﹃唯信紗文意﹂からの引用なのであるが、﹁転ず﹂つまり﹁転﹂という事実と﹁自然﹂との関係について細 かに述べられていることが看取できる。また、﹃教行信証﹂の他の箇所における﹁転﹂の使用例を見れば、親鷲の ﹁ 転 ﹂ の 一 字 に 託 し て い る も の が よ り 明 瞭 と な る で あ ろ う 。 円融至徳の嘉号は悪を転じて徳を成す正智 しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば至徳の風、静かに衆禍の波転ず。即ち無明の聞を破し、 速やかに無量光明土に到りて大般浬繋を証す 海というは久遠よりこのかた凡聖所修の雑修雑善の川水を転ず。逆詩聞提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智 慧真実恒沙万徳の大宝海水と成る。これを海の如きに喰えるなり。 徳本とは如来の徳号なり。この徳号は一声称念するに至徳成満し、衆禍みな転ず こ の よ う に し て 、 い ず れ の 文 に お い て も ﹁ 転 ﹂ じ る 主 体 は ﹁ 行 者 の は か ら い ﹂ 、 つ ま り 衆 生 の 側 に あ る の で は な く 、 如来あるいは名号のはたらきによるものであることは一瞥して理解できるであろう。以上の引文をもとに、﹁転入﹂ ﹁ 三 顧 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 七

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コ 二 一 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て J¥ ﹁転﹂について老ゑ小してみたい。第一に認められねばならないことは親鷲にとり﹁転入﹂は﹁自然﹂とともに認識さ れていたことである。より正確に述べるのであれば、﹁自然﹂をその根底に携えてこそ﹁転入﹂という事態は成立し ているのである。﹁三願転入﹂の文章を読む際には、幾度も述べてきたように﹁転入﹂という動的側面に注目がされ てきた。しかし、今確認してきたように、﹁転入﹂と﹁自然﹂が大きく連関を有しているのであれば、親鷲の﹁自然﹂ 観の老ゑ小が不可欠であることは言を待たないであろう。後に触れるように、親鷺が﹁三願転入﹂の文に﹁果遂の書い、 良に由あるかな﹂と意味深く記しているのも﹁行者のはからいにあらず﹂との知覚があっての故に他ならない。いわ ゆ る ﹁ 三 願 転 入 ﹂ は ﹁ 一 一 一 願 転 入 し た ﹂ の で は な く ﹁ 一 二 願 転 入 せ し め ら れ た ﹂ と い う 自 覚 が 親 鷲 に は あ っ た の で あ る 。 もうひとつは、﹁転﹂から見えてくる親鷲の仏教観である。先の﹃唯信紗文意﹄の引文において触れたように、親 鷲は﹁行者の、はじめて、ともかくもはからわざるに、過去・今生・未来の一切のつみを転ず。転ずというは、善と か え な す を い う な り ﹂ と 述 べ て い た 。 ﹁ 誓 願 真 実 の 信 心 を え た る ひ と ﹂ 、 つまり﹁選択の願海に転入﹂したものにとっ ては、それまでの﹁一切のつみ﹂、換言するならばそれまでの自分の在り方が転ぜられるのである。﹁転﹂の字に注目 す る こ と に よ り 、 ﹁ 転 入 ﹂ の 義 は 重 層 を 為 し て く る と 言 え る で あ ろ う 。 〆戸、

J 以上﹁三願転入﹂の文について主に﹁転入﹂の語を中心に考察してきた。それは、通常﹁三願転入﹂と呼称される 文章において、﹁転入﹂という側面が強調、注目されてきた経緯があることによる。そして、過去の論点においては、 い か に し て 仮 の 信 心 か ら 真 実 信 心 に 入 る の か と い う 、 いわば﹁信心段階論﹂とも表現できる理解が中心であった。 もちろん、そのように理解できる面も当然ある。しかし、﹁転入﹂の語に重要性を見出し、それを通称として用い

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るのであれば﹁三願転入﹂との通称は本文に即していないことは明らかである。何故ならば、﹁転入﹂するのは﹁三 願﹂ではなく﹁選択願海﹂なのだから。前節で、親鷲が﹁転﹂または﹁転入﹂に特別な意味を託していたことを書い た。その点を想起するのであれば、﹁転入﹂との言葉の使用には注意が払われなければならないであろう。 さらには、﹁三願転入﹂本文に忠実になるとき、そこに記されているのは第一八、第十九、第二十の三願ではなく、 双樹林下往生、難思往生、そして難思議往生の﹁三往生﹂である事実には、より注意されてもいいのではないか。も ちろん、往生と信心とは没交渉のものではなく、両者は密接に関連を有していることは言を待たない。だが独自の名 前 を 本 願 に 付 け る ほ ど の 思 索 を 行 う 親 鷺 が 、 願 名 で は な く 、 往 生 名 に よ り ﹁ 一 一 一 願 転 入 ﹂ の 記 述 を し て い る 点 は 看 過 さ れてはならない問題であろう。以下少しく、﹁三願転入﹂本文の記述そのものにより注目して、親鷺の往生観の側面、 ことに﹁欲遂難思議往生﹂︵難思議往生を遂げんと欲う︶の語を中心に解釈を試みていきたい。 ﹁三往生﹂とは言うまでもなく善導により示されたものであるが、親鷲は﹁浄土三経往生文類﹂において、三部経 によりつつ、独自に往生に内実を与えていた。時間の都合上、各往生の検討は出来ないが、今回の小論の課題である ﹁ 難 思 議 往 生 ﹂ 、 つ ま り ﹁ 大 経 往 生 ﹂ に つ い て の 定 義 を 確 認 し た い 。 大経往生というは、加来選択の本願、不可思議の願海、これを他力ともうすなり。これすなわち念仏往生の願因 によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定衆のくらいに住して、かならず真実報土にいたる。これは阿 弥陀如来の往相回向の真因なるがゆえに、無上浬繋のさとりをひらく。これを﹃大経﹄の宗致とす。このゆえに ︵ 幻 ︶ 大経往生ともうす。また難思議往生ともうすなり。 この論述の意味の把握は容易なことではない。だが、その往生理解の独自性は﹁現生に正定衆のくらいに住して、 かならず真実報土にいたる﹂との言葉に表されているであろう。では右の理解もふまえつつつ一一願転入﹂本文に立ち 返り、改めて﹁欲遂難思議往生﹂について考えてみたい。この﹁往生を遂げんと欲う﹂、つまり﹁欲遂﹂との表現を ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 九

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﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て

親鷲はほとんど用いない。特に﹃教行信証﹄ではおそらくこの一箇所のみである。では、この特徴的な記述、発想を 親鷺はどこから得たのであろうか。そのことに注意を向けるとき、 一 つ 想 起 さ れ る 丈 が あ る 。 そ れ は ﹃ 大 経 ﹄ ﹁ 東 方 偶 ﹂ の 次 の 文 で あ る 。 皆悉到彼国 親鷲はこの丈に注意しており、﹃教行信証﹂では﹁行巻﹂に引用され、さらに﹁尊号真像銘文﹂では注をほどこし 其仏本願力 聞 名 欲 往 生 自致不退転 て い た 。 ﹁聞名欲往生﹂といふは聞というは、知来のちかひの御なを信ずとまふす也。欲往生といふは、安楽浄剃にむま れ む と お も へ と な り 。 この文では﹁欲往生﹂となっており、親鷲が往生を﹁欲﹂うとはどのような自覚を指すのかについて端的に示され ている。つまり﹁欲往生﹂とは﹁安楽浄剰にうまれんとおもえ﹂との自覚を体とするのである。﹁安楽浄剰にうまれ んとおもえ﹂というこの表現から親驚の﹁欲生﹂の概念を想起することが出来よう。﹁信巻﹂にあるように、親驚に とり﹁欲生﹂とは﹁加来の勅命﹂に他ならなかった。事実﹁尊号真像銘文﹂では﹁欲生我国﹂を﹁他力の至心信楽の こころをもて、安楽浄土にむまれんとおもへ﹂と釈していた。繰り返していえば﹁欲生﹂とは知来の﹁勅命﹂であり、 真実の信楽がその体とされるのであった。親鴛の往生観の理解に際して、﹁欲﹂の一字は注意されねばならない。 だが﹁三願転入﹂本文においては前に見たように﹁欲う﹂と読まれていた。﹃教行信証﹂の真蹟を確認すると一度 ﹁欲す﹂と読んだのを訂正して﹁欲う﹂としていたことが分かる。では、この﹁欲う﹂との表現に込められた親鷺の 自覚はどのようなものか。それは﹁方便の真門を出でて、選択の願海﹂に﹁転入﹂せしめられたという自覚と、その 文と対応して述べられる﹁速やかに難思往生の心を離れ﹂、聞ち﹁不可思議の仏智を疑惑し﹂て﹁加来の尊号をおの れ が 善 根 ﹂ ︵ ﹃ 浄 土 三 経 往 生 文 類 ﹂ ︶ と す る 心 を 離 れ 、 ﹁ 難 思 議 往 生 を 遂 げ ﹂ ょ う と の ﹁ 欲 ﹂ い の 発 起 、 こ れ ら は 親 鷲 の い

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わぱ宗教的決断の表言であることを示すのではないだろうか。換言すれば﹁欲う﹂とは﹁願生﹂の具体的表明である とも言えよう。親鷲に於いて﹁勅命﹂としての﹁欲往生﹂が見出されたとき、それは﹁遂げんと欲う﹂、 つ ま り ﹁ 願 生 ﹂ と し て 顕 現 し た の で あ る 。 右のように了解するとき、﹁欲遂難思議往生﹂との言葉は親鷲の願生という自覚に裏付けられた表明であると言え る。しかし、そのような自覚の誕生は親鷺にとり自明的なものとして理解されていたのではもちろんない。﹁三願転 入﹂直前の文に依るときその理由は示されている。 悲しきかな、垢障の凡愚、無際より己来、助・正間雑し、定散心雑するがゆえに、出離その期なし。自ら流転輪 廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰し難く、大信海に入りがたし。良に傷嵯すべし、深く悲歎すベ し。おおよそ大小聖人・一切善人、本願の嘉号をもって己が善根とするがゆえに、信を生ずることあたわず、仏 ︵ M ︶ 智 を 了 ら ず 。 右のような悲歎の文が﹁一二願転入﹂の直前におかれているのは重要であろう。何故ならば﹁凡愚﹂は﹁助正間雑﹂ という行為により、流転する人生を克服しようと試みるのであるが、その結果は﹁仏願力に帰﹂すことができない、 つまりそのような生から﹁出離﹂することができないという姿を露呈するほかはない。そして、﹁本願の嘉号をもっ て己が善根とする﹂と言われるように、真実を求めれば求めるほど、そこに見えてくるのは自身への執着であり、 ﹁ 浄 土 論 註 ﹄ が 示 す よ う に 、 ﹁ 自 縛 ﹂ す る 自 分 が そ こ に は 明 ら か に な る の み で あ る 。 親 鷲 の 悲 し み 、 ﹁ 悲 歎 ﹂ は 求 道 に おいて露呈された人間の相に向けられていたことは注視しなければならない。そして、﹁信巻﹂の﹁悲歎述懐﹂の文 と呼称される一文を想起するならば、その﹁悲歎﹂は親鷺自身にも向けられていたといえよう。 しかし、直前の文章で人聞がその様な姿を示すものと述べられるとき、﹁三願転入﹂の文は不思議なほど対を為し てくる。つまり﹁大信海に入りがたし﹂と﹁選択の願海に転入せり﹂の対比に看取できるように親鷺の記述はその内 ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て

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﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 容が変化する。両者の聞には知何なる連闘があるのか。その連関を明らかにするのが﹁三願転入﹂における﹁今﹂の 観点である。今回は﹁ム己について詳解することはできないが、﹁三願転入﹂における﹁今﹂とは﹁選択の願海に転 入 ﹂ し た ﹁ 今 ﹂ で あ り 、 ﹁ 難 思 議 往 生 を 遂 げ ん と 欲 う ﹂ と い う ﹁ 今 ﹂ で あ っ ︵ 問 。 ﹁ 今 ﹂ と い う 事 実 の 顕 現 、 そ の 理 由 を 推究するとき、親鷲に明らかとなったのが﹁果遂の誓い﹂であろう。本来﹁不能生信﹂であった﹁凡愚﹂であるわが 身に、現に﹁今﹂おこっている﹁欲遂﹂という自覚、この自覚の誕生の理由を推究するとき、﹁果遂の誓い﹂の﹁由﹂、 つ ま り ﹁ 選 択 の 願 海 ﹂ へ と ﹁ つ い に は た し と け し め む ﹂ ︵ ﹃ 大 経 和 讃 ﹄ 一 五 首 目 左 訓 ︶ と す る 本 願 の 確 証 性 、 文 字 と し て の経文ではなく﹁今﹂現にわが身にはたらいている本願の事実が親鷺に感得されていたのであろう。﹁果遂の誓い、 良に由あるかな﹂とは親鷺が本願の実動を感得、感嘆した率直な表現であり、だからこそ﹁仏恩を知﹂ることとなっ たのである。﹁仏恩﹂への報謝、それは﹁歎異抄﹄の表現を用いるのであれば、﹁本願のかたじけなさよ﹂との告白と も相通じる点が認められるのではないだろうか。 ﹁ 選 択 願 海 ﹂ へ の ﹁ 転 入 ﹂ 、 ﹁ 難 思 議 往 生 ﹂ の ﹁ 欲 遂 ﹂ の 意 志 の 誕 生 、 親 驚 は こ れ ら 現 実 の 背 後 に 本 願 、 ﹁ 果 遂 之 誓 ﹂ を見たのである。そのように見るとき﹁三願転入﹂は第一に﹁果遂之誓﹂論である。﹁転入﹂とは﹁転入﹂せしめら らた、との内実を持つものであることは既に述べた。その自身を﹁転入﹂せしめた背景としての本願であり、﹁果遂 の 誓 い ﹂ な の で あ っ た 。 また、同時に﹁三願転入﹂は単に本願を抽象的に見ずに、本願の顕現としての﹁難思議往生﹂という具体的生をう ︵ 出 血 ︶ けた親驚の表白でもある。もちろん信心と不離の問題ではあるが、仏道を歩む決意と、その誕生の由を明らかにする の が ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 主 旨 で は な い だ ろ う か 。 最後に残された課題について、述べておきたい。コ二願転入﹂がその内容から言えば多岐にわたるにもかかわらず、 ﹁化身土巻﹂で説かれる点には更なる考察が求められるであろう。その意味では、﹁果遂の誓い﹂をさらに中心に据

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えることによって、﹁三願転入﹂の文章理解に新しい面が明らかとなるかもしれない。その際には﹁化身土巻﹂内の つまり﹁仮令の誓願、良に由あるかな﹂との対応関係も考察に含まれねばならない。また、﹁回入﹂について ︵ 幻 ︶ も触れることはできなかった。今後の聞いとしたい。 構 成 、 註 ︵ 1 ︶原漢文﹃定本教行信証﹂︵法蔵館︶三 O 九 頁 ︵ 2 ︶武内義範﹃教行信証の哲学﹂序文︵弘文堂︶ ︵ 3 ︶ 同 前 七 四 頁 ︵4︶﹃定本親鴛聖人全集﹄第二巻一 O 一 頁 ︵ 5 ︶重松明久﹁親鷲における他力思想の確立過程

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一 一 一 願 転 入 の 問 題 と 関 連 し て

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﹂ ︵ ﹃ 親 驚 ・ 真 宗 思 想 史 研 究 ﹄ 所 収 一 二 人 頁 ︶ ︵ 6 ︶﹃教行信証講義集成﹄第九巻法蔵館二六四頁 ︵ 7 ︶同前二七二頁 ︵ 8 ︶ 問 題 と な る の は 江 戸 時 代 以 前 に ﹁ 一 一 一 願 転 入 ﹂ と の 呼 称 が 存 在 し て い た か 否 か で あ る が 、 そ れ は 引 き 続 き の 課 題 と し た い 。 ︵ 9 ︶例えば浅野教信氏は五点にわたり論点を整理されていた。﹁親鴛聖人の弘願帰入についての一・二の問題﹂︵﹃親鴛教学 の諸研究﹄真宗学論叢四所収五 O | 五 一 ︶ ︵日︶﹃教主同証講義集成﹄第九巻法蔵館二五六頁 ︵日︶同前二六九頁 ︵ロ︶﹁三願転入の表白﹂︵﹃親鷺大系﹄思想篇第七巻法蔵館一四六頁︶ ︵日︶金子氏は同時に﹁古人の多くは他力の信心は金剛不壊なれば、その動揺無きは言、つまでもなく、また進展もなきものと して、親鴛の信心は一切すべて士口水入室において完成するものと思惟する﹂︵同前同頁︶とも指摘していた。いわば信心 を固定的に把握していた点に問題が所在していたというべきであろうか。 ︵ U ︶原漢文﹃定本教行信証﹂四人頁 ︵ 江 川 ︶ ﹁ 定 本 親 驚 聖 人 全 集 ﹄ 第 二 巻 一 O 一 頁 ︵日︶﹃定本親鴛聖人全集﹄第三巻一五九頁 法 蔵 館 ﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て

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﹁ 三 願 転 入 ﹂ の 文 に つ い て 四 ︵刀︶﹃定本教行信証﹂五頁 ︵ 叩 叩 ︶ 同 前 七 O 頁 ︵日︶同前七八頁 ︵初︶同前二九五頁 ︵ 幻 ︶ ﹃ 定 本 親 驚 聖 人 全 集 ﹂ 一 一 一 巻 一 一 一 頁 ︵幻︶﹃真宗聖教全書﹄一巻二六頁 ︵幻︶﹁定本親驚聖人全集﹄二一巻七六頁 ︵

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︶ ﹃ 定 本 教 行 信 託 ﹂ 三 一 O 八 三 O 九 頁 ︵ お ︶ こ の ﹁ 今 ﹂ を ど の よ う に 理 解 す る の か も ﹁ 一 二 願 転 入 ﹂ 理 解 の 要 と な る で あ ろ う 。 つ ま り 、 具 ↑ 体 的 な 歴 史 的 時 間 と す る の か、あるいは具体的、特定的な時間とするのではなく、そこに宗教的な意味を見出すのである。前者においては親鷺の実 人生における時、つまり﹁回入﹂﹁転入﹂が特定の時として特定されうるし、後者においては信の一念と関連されつつ論 じられる場合が多い。後者の見解の一例として松原祐善氏は﹁一二願転入﹂の﹁今特に﹂とは﹁暦の年時をもって抑えられ るべき時﹂というものではなく、﹁﹁今特に﹂とは必ずしも前述してきた如く暦の年時をもって抑えられるべき時ではなく、 ま さ に ﹁ ﹃ 速 や か に 難 思 往 生 の 心 を 離 れ て 、 難 思 議 往 生 を 遂 げ ん と 欲 、 つ ﹄ A 乙であるとしていた。松原氏の表現を用いれ ば又己とは﹁宗教的自覚の時﹂なのである。︵﹃松原祐善講義集﹂第三巻二六九頁参照︶ ︵お︶﹁不可思議の願海を光聞して、無碍の大信心海に帰せしめんと欲す﹂︵﹁化身土巻﹂︶と言われるように、信心の問題か ら も ﹁ 二 一 願 転 入 ﹂ が 考 察 さ れ ね ば な ら な い の は も ち ろ ん で あ る 。 ︵幻︶﹁回入﹂との表現が﹁万行・諸善の仮門を出﹂でて、﹁善本・徳本の真門﹂に﹁回入﹂するとされているのは、注意さ れる。ここから、﹁回入﹂と﹁回心﹂との関連を見出すことも可能であろう。

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親驚における

﹁ 遇

についての考察

は じ め に 親驚は﹁本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなし﹂︵真聖金二、五 O 二頁︶と述べている。では、本願力に 遇うとはどういうことであろうか。それは、人と人とが会うこととは異なるものであろうか。もとより、ただ単に会 うという意味での出会いとは異なるものであろう。しかし、人と人とが心から通じ合うという意味での人格的な出会 ︵ 1 ︶ いと比較するならば、いかがであろうか。そもそも親鷲が本願に帰したのは、法然との出遇いがあったからである。 では、この善知識との出遇いと本願力との出遇いはどのような関係にあるのであろうか。 本論ではこれらの点について考察していきたい。

まず、親鷺の著述の中で﹁であい﹂を表す漢字は、﹁遇﹂と﹁値﹂と﹁逢﹂と﹁遭﹂がある。回数を示せば、﹁遇﹂ 親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 老 桑 五

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親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察 ム ノ、 が 四 十 一 例 ︵ う ち ﹁ 遇 ﹂ を ﹁ た ま た ま ﹂ と 読 む の が 五 例 ︶ 、 ﹁ 値 ﹂ が 三 十 二 例 、 ﹁ 逢 ﹂ が 二 例 、 ﹁ 遭 ﹂ が 一 例 で 、 ほ と ん ど は ﹁ 遇 ﹂ か ﹁ 値 ﹂ で あ り 、 一 一 つ の 文 字 を 使 用 し た ﹁ 値 遇 ﹂ と い う 語 も 四 例 あ る 。 で は 、 ﹁ 遇 ﹂ と ﹁ 値 ﹂ は 、 ど の よ う に 違 う の で あ ろ う か 。 簡野道明著﹃字源﹄によると、﹁遇﹂は﹁ふと行きあふなり。期せずして会するを遇といふ﹂とあり、﹁値﹂は﹁両 方より行き逢ふなり﹂︵一九六七頁︶とある。また白川静著﹁字通﹄には﹁遇﹂は﹁神異のものに遭遇することを遇と い う ﹂ と あ り 、 ま た ﹁ 偶 然 の 意 を 含 む ﹂ ︵ 三 一 七 八 頁 ︶ と あ る 。 ﹁ 値 ﹂ は 、 ﹁ 値 は 値 遇 。 そ の 相 匹 敵 す る こ と か ら 、 対 価 ・ 等 価 の 意 と な る ﹂ ︵ 一 O 七 四 頁 ︶ と あ る 。 次 に 、 親 鷲 が そ の 著 作 の 中 で 使 っ て い る 字 の 対 象 を 調 べ る と 、 ﹁ 遇 ﹂ の 対 象 は ﹁ 如 来 ﹂ ﹁ 仏 ﹂ ﹁ 本 願 力 ﹂ ﹁ 光 ﹂ ﹁ 善 知 識 ﹂ ﹁ 悪 知 識 ﹂ ﹁ 火 ﹂ ﹁ 病 ﹂ な ど で あ り 、 ﹁ 値 ﹂ の 対 象 は ﹁ 如 来 ﹂ ﹁ 仏 ﹂ ﹁ 弘 誓 ﹂ ﹁ 真 の 善 知 識 ﹂ ﹁ 道 場 に 魔 事 な き ﹂ ﹁ 無 病 にしてすべてよく来れる﹂などである。﹁火﹂や﹁病﹂など、日常的な事柄に﹁遇﹂の字が使われている分、﹁遇﹂の 方が対象とする範囲が広くなっているものの、あまり違いは見受けられない。 ただし、﹁火﹂や﹁病﹂は経典からの引用文に出てくる言葉なので、引用文をまったく除き、親鷲自身の言葉のみ を 取 り 出 す な ら ば 、 ﹁ 遇 ﹂ の 対 象 は ﹁ 聖 典 ・ 師 釈 ﹂ ﹁ 弘 誓 ﹂ で あ り 、 ﹁ 値 ﹂ の 対 象 は ﹁ 弘 誓 の 強 縁 ﹂ ﹁ 弘 誓 ﹂ ﹁ 真 心 ﹂ ﹁ 真 実の功徳﹂となって、谷口龍男氏が指摘するように、﹁遇﹂は本願力と善知識とともに用いられ、﹁値﹂は如来の本願 力に属する事柄について用いられているといえよう。 以上より、﹁遇﹂は﹁値﹂の意味を含むと考えられるので、本論では﹁遇﹂で統一して﹁値﹂も含めて、親鷺にお け る ﹁ 遇 ﹂ を 見 て い く こ と に す る 。

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では、まず善知識との出遇いを見ていきたい。信心をいただく上で最も大きなきっかけとなるのは、善知識との出 遇いであろう。親鷲も善知識との出遇いを重要視し、﹁化身土文類﹂に﹃浬繋経﹄を引いて、 一 切 の 党 行 の 因 は 善 知 識 な り 。 一切党行の因無量なりといへども、善知識を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ ︵ 真 聖 全 二 、 一 六 二 頁 ︶ と 述 べ て い る 。 しかし、普知識と遇うことは、難しいことでもある。 善知識にあふことも おしふることもまたかたし よくきくこともかたければ 信ずることもなをかたし ︵ ﹃ 浄 土 和 讃 ﹄ ﹁ 大 経 意 ﹂ 、 真 聖 全 二 、 四 九 四 頁 ︶ では、なぜ難しいのであろうか。親鷲は、先の﹃浬繋経﹄の文に続けて、 一 切 の 悪 行 は 邪 見 な り 。 一切悪行の因無量なりといへども、もし邪見を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ と い う 文 と 、 阿霧多羅三窺三菩提は信心を因とす。これ菩提の固また無量なりといへども、もし信心を説けばすなはちすでに 摂尽しぬ ︵ 真 聖 金 二 、 一 六 二 頁 ︶ との二丈を引き、三文をひとまとめにして引用されている。このことは、善知識と邪見と信心との関係の深さを暗示 親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 老 桑 七

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親 鴛 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 桑 /\、 していると言えよう。すなわち、善知識に遇うことで、信心をいただくことが出来るのであるが、信心を得てみれば、 善知識に遇えなかったのは、邪見があったからこそであり、この邪見によって、善知識に遇うことが出来ず、畢寛、 菩提の因たる信心もいただくことが出来なかったのだということを示していると考えられる。 真の善知識にあふことは かたきがなかになほかたし 流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき ︵ ﹃ 高 僧 和 讃 ﹂ ﹁ 源 空 讃 ﹂ 、 真 聖 全 二 、 五 一 四 頁 ︶ この和讃も、真の知識に遇うことの難しさを説くとともに、その障りとなっているものが﹁疑情﹂であることを示 している。自身の邪見が疑情となり、善知識との出遇いを妨げているのである。 しかし、そもそも我々は、邪見を備え、邪見を邪見とも知らずに生きている。善知識に遇うのが難しいのは、その ためだと言えよう。たとえ、善知識と遇っても、邪見が破されなければ、善知識と分からないからである。 たとえば、親鷲は﹃愚禿紗﹄において二河鵬首に出てくる善導の﹁無人空廻の沢﹂の解釈を次のように押さえている。 無人空迦の沢といふは、悪友なり。真の善知識に値はざるなり ︵ 真 聖 全 二 、 四 七 五 l 六 頁 ︶ 真の善知識にあっていないとき、そこであっているのは、悪友であって、それは無人の広野に一人でいるのと同じ で あ る と 押 え て い る の で あ る 。 続 け て 、 親 鴛 は 、 真の言は仮に対し偽に対す。善知識とは、悪知識に対するなり。 真の善知識、正の普知識、実の善知識、是の善知識、善の善知識、善性人なり。 悪の知識とは、仮の善知識、偽の善知識、邪の善知識、虚の善知識、非の善知識、悪の善知識、悪性人なり

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︵ 真 聖 全 二 、 四 七 五 l 六 頁 ︶ と述べ、﹁仮の善知識、偽の善知識、邪の善知識、虚の善知識、非の善知識、悪の善知識﹂がいることを述べている。 ま た 、 ﹁ 化 身 土 文 類 末 ﹂ で は ﹁ 首 拐 厳 経 ﹄ を 引 い て 、 我が滅度の後、末法の中に、この魔民多からん、この妖邪多からん。世間に蟻盛にして、善知識となって諸の衆 生をして愛見の坑に落さしめん。菩提の路を失し、該惑無識にして、おそらくは心を失せしめん。所過のところ に、その家耗散して、愛見の魔となりて如来の種を失せん と、魔民や鬼神や妖邪が﹁善知識となって﹂もろもろの衆生を﹁愛見の坑﹂に落し、﹁害提の路﹂も、﹁如来の種﹂も ︵ 真 聖 全 二 、 一 九 O 頁 ︶ 失 わ せ る 、 と 述 べ て い る 。 魔民や鬼神や妖邪は、悪知識として現われるのではなく、善知識の姿となって人々を迷わせるのである。彼らが善 知識の姿となっているとき、真の善知識であるか否かを判断することは難しいであろう。否、自身がまだ信心をいた だいていないのであれば、判断することは不可能である。結局のところ、本願力に遇い、真実信心をいただいて初め て、真の善知識と出遇ったと言えるのではないだろうか。 ま た 二 種 あ り 。 一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、す べて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて信不具足とす という信不具足の文が、﹁化身土文類﹂と﹁信文類﹂に引かれているのも、真実の信心をいただいたときに初めて、 得道の人のあることを知らされることを意味していると考えられる。得道の人と真に出遇えるのは、信心が具足した ︵ 真 裏 金 二 、 六 二 一 頁 、 一 六 二 頁 ︶ シ ﹄ え ﹄ 、 つまり真実信心をいただいたときであって、真門においては得道の人、すなわち真の善知識との出遇いが成立 していないといえよう。たとえ、相手を信頼に足る人物であると判断するような出会いがあっても、本願力に遇わな ければ、それは得道の人として出遇ったわけではなく、真の善知識との出遇いとはなっていないのである。 親 鷺 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 老 桑 九

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親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察

逆に言えば、そこで人との出会いが成立しているという場合はあり得るといえる。真門釈において就人立信が説か れるのも、その故ではないだろうか。自分にとって信頼できる人たちが説いているから、その教えを信じるというあ り方こそ、真門釈における就人立信であろう。しかし、本願力に遇わずして、ただそれを説いている人が信頼できる からという理由だけで信じるというのであれば、それは真実信心とはいえない。 ここにおいて、単なる人との出会いと真の善知識との出遇いの違いが明らかとなる。それは、そこに法があるか否 か、である。真の善知識との出遇いは、本願力に遇うことによって、成立するのであり、真の善知識とは、本願力が はたらいている姿を体現している人、本願によって現に生きている人のことであり、何よりこの﹁私﹂が本願に遇う の を 導 い て く れ た 人 で あ る 。

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなし 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし 親鷺は、本願力に出遇ったならば、人生をむなしく過ごす人はいないと述べられている。これは﹁浄土論﹄の﹁観 ︵ ﹃ 高 僧 和 讃 ﹂ ﹁ 天 親 讃 ﹂ 真 聖 全 二 、 五 O 二 頁 ︶ 仏本願力、遇無空過者、能令速満足、功徳大宝海﹂を受けたものであるが、この﹁遇﹂について、親鷲は、 遇はまうあふといふ、まうあふとまふすは、本願力を信ずるなり ︵ ﹃ 一 A 念 多 念 文 意 ﹄ 真 聖 全 二 、 六 一 七 頁 ︶ と釈し、﹁遇﹂とは﹁本願力を信ずる﹂ことであることを明かしている。ここでの﹁遇﹂は、聞即信の﹁聞﹂と重な

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る 。 同 じ ﹃ 一 念 多 念 文 意 ﹄ に 、 聞其名号といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて、うたがふこころなきを、 聞といふなり。またきくといふは、信心をあらわす御のりなり と述べ、﹁聞﹂もまた﹁信心﹂を表す言葉であることを明らかにしている。また﹃教行証文類﹄においても、 経に聞といふは、衆生仏願の生起本末を聞て疑心あること無し、是を聞といふ ︵ 真 聖 全 二 、 六 O 四 l 五 頁 ︶ ︵ ﹁ 信 文 類 ﹂ 真 聖 金 二 、 七 二 頁 ︶ と 述 べ ら れ て い る 。 以上より、本願力に遇うということは、本願力を信じることであり、それは本願の名号を聞くことであって、具体 的には、仏願の生起本末を聞いて、疑う心がなくなることを指すといえよう。 では、仏願の生起本末とは何を指すのであろうか。これについてはすでに先学においてさまざまな解釈がなされて いるが、とりあえずここでは、﹁仏願の生起﹂とは、本願の発起された理由として、それは迷いの衆生のためなので、 衆生の煩悩を指し、﹁本末﹂とは法蔵因位の願行と、本願成就の果であって、煩悩具足の私を救う大悲を指すものと する。つまり、仏願の生起本末とは、出離の縁のない機のために大悲の誓願を起こして永劫に修行せられ、遂に十劫 のいにしえに正覚を成就して常に衆生を招喚したもう本願のいわれのことである。したがって、仏願の生起本末を聞 くとは、煩悩具足としての自己を聞くことであり、その自己に対して無始以来不断に呼びかけ続けられている知来の 大悲を聞くことである。この義は、まさしく二種深信に他ならない。 一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、蹟劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出 離の縁あることなしと信ず。二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮り なくかの願力に乗じて、さだめで往生を得と信ず。 ︵ ﹁ 信 文 類 ﹂ 真 聖 全 二 、 五 二 頁 ︶ この二種深信に端的に示されるように、本願力に遇うということは、すでに本願に包まれている自分に遇うという 親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察

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親 鴛 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 老 桑 ことである。それまで﹁私﹂という自意識によって捉えられていた﹁私﹂ではなく、むしろそのような﹁私﹂は照破 され、すでに仏から﹁汝﹂と呼びかけられていた自分と出遇うことである。 ここにおいて邪見は破せられる。否、邪見を邪見と如実に知らされることによって、疑情の樟りが除かれるのであ る。そして、本願力に遇えた慶びは、そのままその遇いがたき本願力に遇わせていただいた縁を慶ぶ心となり、そこ において初めて、真の善知識との本当の意味での出遇いが成立する。

汝 本願力との遇は、我と汝という関係において、如来と衆生が出遇うことであるということが多くの人に指摘されて いる。ここで、本願力との出会いについて、我と汝との出遇いという観点からみてみることも、無駄ではないであろ

マ ル テ イ ン ・ ブ l パーはその著﹁我と汝﹄において、世界を﹁我

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汝﹂と﹁我|それ﹂というこつ の 根 源 語 に よ っ て 区 別 し た 。 ﹁ 我 | そ れ ﹂ と い う 関 係 に お い て は 、 我 は 相 手 を 対 象 化 し て 捉 え 、 ﹁ そ れ ﹂ と し て 出 会 う 。 周 知 の よ う に 、 対して、﹁我|汝﹂という関係においては、我は自己の存在全体で、汝の存在そのものに直接的に関わる。このとき 我が相対するのはどこまでも存在全体における汝であり、我によって対象化された﹁それ﹂ではない。汝については 言葉で語ることができない。汝について語ることで、汝は﹁それ﹂になってしまうからである。 しかし、たとえ、汝として出会った相手であっても、我は汝をまた﹁それ﹂と化してしまう。汝との出会いは、偶 然であり、探し求めることによって得られるものではない。だがらブ l パ l は 汝 と の 出 会 い を ﹁ 恩 寵 ﹂ と 述 べ て い る 。

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﹁我と汝﹂ということを見る上で、もう一人挙げるならば、西田幾太郎であろう。プ l パ l は 、 我 と 汝 の 関 係 を 、 本質的に異なった存在であることを認めながらも、基本的に肯定しあい、応答しあう関係として捉えているのに対し、 西田はまず両者の断絶に注目して論じる。 私に対して汝と考えられるものは絶対の他と考えられるものでなければならない。物はなお我に於であると考え ︵ 4 ︶ ることもできるが、汝は絶対に私から独立するもの、私の外にあるものでなければならない。 ︵ 三 四 二 頁 ︶ このように西田は﹁私と汝﹂という論文において、汝を絶対の他として捉え、私と汝との聞の断絶を論じている。 では、西田において出会いとはどのように生じるのであろうか。 私と汝とは絶対に他なるものである。私と汝を包括する何らの一般者もない。しかし私は汝を認めることによっ て私であり、汝は私を認めることによって汝である。私の底に汝があり、汝の底に私がある。私は私の底を通じ て汝へ、汝は汝の底を通じて私へ結合するのである。絶対に他なるが故に内的に結合するのである。 ︵ 三 O 七 頁 ︶ 西田は、私の底に汝を見るという。このことは知何なることを意味しているのであろうか。 個物が個物自身の底に絶対の他を見るということは、自己自身の底に絶対に自己自身を否定するものに撞着する という意味を有っていなければならない。かかる意味において絶対の他と考えられるものは、私を殺すという意 味を有っているとともに、我々の自己は自己自身の底にかかる絶対の他を見ることによって自己であるという意 味において、それは私を生むものでなければならない ︵ 三 二 八 頁 ︶ プ l パ l の﹁我|それ﹂という関係で見たように、我々は相手を対象化して捉えようとする。親鷺の言葉で言えば、 それこそ邪見であり、わがはからいである。しかし、汝はそのような対象化を否定する形で現れる。そのとき、自己 はむしろ他者によって成立するものであることが自覚される。それが自己の底に汝があるということである。私と汝 親 鴛 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 桑

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親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察 四 との出会いにおいて、そこで私は殺され、そこから私は生まれるのである。 自己自身の底に絶対の他を見ると考える時、我々はこれに没入することによって生きると考えられねばならぬ。 しかし単に斯く考えることによって、我々の個人的自己というものが成立するのでなく、これにおいて他の声を 聞くという意味がなければならぬ。かかる意味において、私も汝も我々を媒介すると考えられる絶対の他に没入 するとともに、そこから生まれると考えることができる 他の声を聞かないということは、対象化しようとする試みが破られないということであろう。逆に言えば、他の声 が届いたとき、対象化しようとする試みが、すなわち邪見が破られたということである。そこにおいて、出会いは成 ︵ 三 二 九 頁 ︶ 立 す る 。 私は汝が私に応答することによって汝を知り、汝は私が汝に応答することによって私を知るのである ︵ 一 一 二 八 頁 ︶ 汝は、絶対の他として、私に呼びかける。その声が届いたとき、私の対象化しようとする試みは否定されたことを 知らされる。私は汝に応答し、そのことによって汝を知る。このように応答を求める汝を人格として認める。それが 相互的に成立するとき、私は他者によって人格として承認される存在であることを知る。ここにおいて﹁私は汝を認 めることによって私であり、汝は私を認めることによって汝である﹂ということが成立する。 さらに西田は﹁自己の底に絶対の他を見ることによって自己が自己となると考えられる人格的自己というものは何 処までも歴史的に限定せられたものでなければならない﹂︵三四三頁︶と述べ、 私と汝とは唯歴史において相逢うのである。而してそれは逆に私と汝と相逢うことによって、歴史が成立するこ とを意味しているのである 合 一 一 四 七 頁 ︶ という。西田にとって汝とは本質的に歴史的存在であり、汝との出会いは歴史的現在において成立する。ブ l パ l の

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いう﹁我|汝﹂という関係も、歴史的現在、すなわち生きた時間において成立する。逆に、﹁我|それ﹂という関係 においては、このような生きた時間は忘却されている。 以上、我と汝としての出会いについて、主に西国を中心に見てきた。これらのことは、正しく本願力との遇にも当 てはまることではないだろうか。よって、次に、今まで述べてきたことを、偶然性、我と汝、呼びかけ、時間、歴史 性という項目に分け、本願力と対応させてみることにする。

① 偶 然 性 出会いとは偶然であったが、親鷲においても本願力との遇は、行者にとって﹁たまたま﹂起こったこととして捉え られる。信心を獲るのは、たまたまである。だからこそ親鴛は﹁総序﹂において、﹁遇獲行信﹂の﹁遇﹂を﹁たまた ま﹂と読み、﹁たまたま行信を獲ば﹂と、行信を獲ることの偶然性を示し、﹁遇ひがたくして今遇うことを得たり、聞 きがたくしてすでに聞くことを得たり﹂と、そのあることの難しさ、有り難さを嘆じられるのである。プ l パ l が ﹁ 恩 寵 ﹂ と い う よ う に 、 親 鷺 に と っ て も 知 来 よ り 賜 わ り た る 出 遇 い で あ る 。 ② 我が汝と出会うということは、﹁私の底に汝があり、汝の底に私がある﹂といわれるように、汝と出会うとともに、 我 と 汝 私と出会うことでもあった。そこで私は死して、そこから生まれることであった。 すでに二種深信で見たように、本願力に遇うということは、救われる縁のない自分自身を知らされることであり、 親 鷺 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察 五

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親 鴛 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察 ー ム

その自分をずっと救おうとしてくださっていた如来のはたらきを知らされることである。この機の深信と法の深信と は二種一具であり、別なるものではない。自身の虚妄性を深く知らされるのは、如来の光に照らされるからであり、 それはそこでそれまでの自己が死に、新たに生まれ変わる宗教経験である。 ③ 呼 び か け 汝の声が届いたときに、その出会いは生じた。本願力との遇においても、その出遇いが生じるのは、﹁門其名号﹂、 つまり名号が届いたときである。知来の呼びかけを聞くことができたときである。そのとき、六字釈にみられるよう に﹁本願招喚の勅命﹂だったことが知られる。このことに気付かされたとき、我はすでに応答している。応答の具体 的な行動としては、行の一念としての称名であろうが、出遇いにおいてその気付きはすでに﹁誠なるかな﹂と応答し てしまっている。自然に﹁誠なるかな﹂と応答しているが故に、報恩としての称名となる。 ここには、本願力との遇における特異性も見られる。我と汝との出会いにおいては、汝の呼びかけは定まったもの ではない。しかし、如来からの呼びかけはすでに説かれているのである。呼びかけは万人の上にそそがれている。衆 生はただそれを聞くだけである。出遇いへの道はすでに示されているのである。 ④ 時 間 我と汝の出会いにおいて、対象化できない生きた時間そのものがその姿を現す。 本願力との出遇いが成立するのは、信の一念においてである。 それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。 一念とはこれ信楽開発の時魁の極促を顕し、広大難思の慶心を彰 すなり ︵ ﹁ 信 文 類 ﹂ 真 聖 金 二 、 七 一 一 貝 ︶

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信の一念とは、知来の﹁広大難思の慶心﹂の中にすでに包まれている自分と出遇った﹁信楽開発の時刻の極促﹂と いう時間であり、それは﹁今﹂に他ならない。﹁今週うことを得たり﹂というのもそのことを示している。遇うのは ﹁A 己という生きた時間であり、今の非連続の連続として相続する。 ⑤ 歴 史 性 汝との出会いは、汝が歴史的存在であるからこそ、私の歴史と人格的に呼応することができ、そこにこそ歴史が成 立 す る 。 本願のいわれといわれるものは、正しく法蔵菩薩が阿弥陀仏となった歴史である。そしてそのことを知らされると きというのは、この私に、その本願力がずっとはたらき続けていてくださったことを知らされるときである。そのと き、自身のこれまでの歴史は、本願がはたらき続けてくださっていた歴史であったことを知らされる。如来の歴史が 私の歴史の上に姿を現す。﹁如来の恩徳の深きことを知んぬ﹂といわれるのもこの故である。 ここにおいて、善知識との真の出遇いも成立する。自分の過去において私を導いてくださっていた善知識が真の善 知識として仰がれてくるのはまさにこのときである。このとき、普知識は、自身を本願力との出遇いの場に導いてく れた真の善知識であり、知来の本願のはたらきがその人の身において体現されている得道の人として歴史的に出遇わ れ る の で あ る 。

以上のように、構造的に見れば、本願との出遇いの構造は、人と人とが真に人格的に出会う構造と等しい。我と汝 親 鴛 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察 七

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親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ に つ い て の 考 察 J¥ としての人格的出会いの構造を通して、名号は自己に顕現する。すでに救いの構造はできあがっていたのである。 しかし、本願力との出遇いと、人と人との出会いには、違いもまた存在する。それは、人と人との出会いには、必 ず別れがあるということである。如来は浄土を説くが故に、如来から衆生を手放すということはない。また、人と人 との出会いにおいては、その相手はいつまでも対象化できない汝としては留まらず、 いつかは﹁それ﹂として対象化 し、自分の中に取り込んでしまう。そうせずにはいられない我であり、我がはからいである。 その貧欲な我性は、本願や念仏にも及ぶ可能性を持つ。本願に出遇い、信心を獲たといっても、それは不可思議不 可称不可説であり、自分に取り込めるものではない。もし、自分は信心を獲たと、そのことに固執するならば、﹁本 願の嘉号をもって己が善根とする﹂ことになるであろう。 けれども、阿弥陀仏は人格的存在として実体視されるものではない。だからこそ、二種法身がいわれる。知来の体 は真如であり、対象化しようとする我を破するものとして加より来生される。だからこそ如来は対象化されない。否、 如来をも対象化しようとする我を常に破してくださる。如来との出遇いは、一度出遇えば、終わりというものではな い。むしろ、何度も何度も出遇い続けるものであろう。そこにおいて﹁ム己といい﹁すでに﹂という意味も存する。 ここにおいて、我々は無根の信を獲る。絶対的なるものを信じられないものをも、絶対的なる加来が、名号という 呼びかけを通して、出遇いの場に導くのである。その救いの構造はすでにできあがっていたのである。 そして、本願力と出遇えたとき、そこに導いてくださった真の善知識とも、真に出遇えるのである。人と人との真 の出会いも、如来のはたらきによって、成立する。その加来のはたらきは、その後もどこまでも煩悩から離れられな い我を照らし続け、自我の心を破し続けてくださる。そこにおいて、我と汝として、さまざまなものと出遇っていけ る世界が広がってくるのではないだろうか。

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註 ︵ 1 ︶本論では、便宜上、一般的・哲学的見地による﹁であい﹂を﹁出会い﹂、本願力や善知識との﹁であい﹂を﹁出遇い﹂ と 表 記 す る こ と に す る 。 ︵ 2 ︶龍谷大学真宗学会編﹁親鴛聖人著作用語索引﹄による。 ︵ 3 ︶ 谷 口 龍 男 ﹁ 親 鷲 に お け る ﹁ 遇 ﹂ の 概 念 ﹂ ︵ ﹃ 他 力 思 想 論 孜 ﹄ 所 収 ︶ ︵ 4 ︶西田幾多郎﹁私と汝﹂︵以下、カツコ内の頁数は上回閑照編﹁西田幾多郎哲学論集 I ﹄ ︵ 岩 波 文 庫 ︶ に よ る ︶ 親鷺における﹁遇﹂についての妻察 九

参照

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