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真宗研究54号全

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ISSN 0288 0911

員宗連合事曾研究紀要

一一第五十四輯一一

平 成22年 1月

虞 宗 連 合 皐 曾

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第五十四輯

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本 願 寺 派

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||﹁第十八願開顕の書﹂としての﹃浄土論﹄の一考察||

初期本願寺における﹁信と教団﹂::::::::・龍谷大学

﹁社会モデル﹂の受容

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伊 メミ 刀、 杉 岡 孝 木 越

安 方

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\、,/ 潔 ︵ 手 ︶ 紀 ︵ 三 七 ︶ 康 ︵ 五 五 ︶ 行 ︵ 七 五 ︶ ヰ斤 仁1 爾 ︵ 九 八 ︶ 正 ︵ 二 九 ︶ 行 ︵ 一 一 一 一 一 ニ ︶

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法 然 ・ 親 驚 に お け る 菩 提 心 観 : : : : : : : : : : : ・ 二 s 門徒派 法然における助業についての一考察:::::::大 ク ミtJL

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氏 親 驚 に お け る 聖 徳 太 子 観 : : : : : : : : : : : ・ : : : 大 谷 大 学 − 11 六角堂参寵時を中心に|| 宗 祖 晩 年 の 教 学 の 特 色 : ・ : : : : :

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真宗者の人間像::

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門川徹真︵二一一一

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真淳における念と戒の問題

高 田 派

はじめに 真宗高田派の宗風や教学、またその歴史にはいくつかの特徴がみられる。そのひとつに、江戸時代中期、第十八 世法主円遵︵一七四八 j 一八一九︶を中心として、復古運動と称し、戒律が取り上げられたことが挙げられる。こ の復古運動において円遵から絶大なる信頼を受け、共に戒律の伝持を主張した学僧が、本論で取り上げる智慧光院 の真淳︵一七三六

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一 八

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七 ︶ で あ る 。 復古運動の様子を窺うことができる資料に、真淳の ﹃大戒秘要﹄︶がある。復古運動の一環として円遵の懇望により著したとされている。これらの書物から、造悪無碍 に陥る者がいる当時の現実を目の当たりにした真淳が、今まさに親鷲への回帰が求められるべきであると考え、 ﹁浄肉文﹂や﹁十七箇条の禁制﹂、また顕智の﹃聞書﹂の上に見られる、親驚が肉食妻帯を行いながらも忘れなかっ ﹃下野伝戒記﹂︵以下﹃伝戒記﹄︶と﹃下野大戒秘要﹄︵以下 たであろう慎みに注目し、戒律の道徳的・倫理的側面に着目して、慎みとしての戒律護持を勧めようとしたことが 推測される。また同時に真淳は、この戒律を念仏との関連において捉えることを通して、宗義に即したものとして

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真淳における念と戒の問題 展開した。こうした慎みを主体とする戒律宣揚の動きが、高田派の復古運動であった。 しかし、称名念仏がそのまま戒律護持に繋がるとする等、﹃伝戒記﹂と﹃大戒秘要﹄に示される表現は念戒一致 ︵ I ︶ 的であり、そのため西谷順誓氏は真淳を、﹁淳公の学説とは便宜上行儀的行信論と名くべきか﹂と評価しており、 ︵ 2 ︶ 高田派の宗学について、﹁前きに慧雲系栄え後に真淳系振ふ﹂というものの、さらに真淳について言及し、﹁公の著 作には信を談ずる到底行に及ばざる遠し、故に其学説は公に於て生命あるも、之を人に強いるは危し、後学半鎮と ︵ 3 ︶ 名けて依らざるも亦理由あり﹂と位置づけている。 たしかに﹃伝戒記﹄と﹃大戒秘要﹂は、戒律を宣揚する書物である。しかも信心についての言及がほとんど見ら れない。しかし、これらの書物はあくまでも復古運動に沿って記されたものである。復古運動によって宗門を立て 直したいという真淳の想いがあまりに強かったがために、﹁戒﹂という表現を取ることによって多少大げさな位に 称名念仏の重要性を提示することになったのではないだろうか。そして、このことに終始したために、信への言及 には至れなかったのではないか。或いは、真淳はしばしば内容が繁雑になることを惜って、﹁繁を恐れてここに略 す﹂といった表現を用い、論旨から逸れることを省略するのであるが、信心に関しても同様に、繁雑になることを 恐れて、あえて言及しなかったとも考えられる。 い ず れ に せ よ 、 ﹃ 伝 戒 記 ﹄ と ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄ の二著を考察するだけ では、真淳の行信論を明確にすることができないのではないかと考える。 そこで今回、この他にも多数遣されている真淳の著述の中から、﹃印施法語科註﹄︵以下﹁科註﹂︶と ﹃ 天 明 宝 訓 誘蒙記﹄︵以下﹁誘蒙記﹂︶に注目した。この二冊は真淳日く、﹁一流安心の骨髄﹂と﹁行者修習の用心﹂とが一不さ れた円遵の法語と宝訓に、真淳が註釈を加えた註釈書であり、﹁伝戒記﹂や﹁大戒秘要﹄では明確にならなかった 真 淳 の 行 信 論 が 述 、 べ ら れ た 書 物 と い え る か ら で あ る 。 本論では、これら ﹃ 科 註 ﹂ と ﹃誘蒙記﹂によって真淳の行信論を明らかにすることを通して、 ﹃ 伝 戒 記 ﹄ や ﹃ 大

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戒秘要﹂に一不される戒の、念仏との関わりを明確にし、真淳における復古運動の思想構造を明らかにしたい。

一、復古運動の概観

真淳は、江戸の中・後期に活躍した高田派の学僧である。同じく江戸中期の高田派の学僧であった真証の長男と して、丈明元︵一七三六︶年に誕生。十二歳で高田派第十七世円猷に従って得度し、宝暦二 ︵ 一 七 五 二 ︶ 年 、 十 六 歳の時に京都に遊学、さらに同六︵一七五六︶年、二十歳で再び京都に渡り、普寂︵一七

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七 j 一 七 八 一 ︶ に 就 い て、倶舎、唯識、華厳を学んだとされる。宝暦十二︵一七六二︶年、二十七歳で智慧光院の住職に就任。智慧光院 は代々本山三院の一つとして法主を補佐する立場にある寺院であり、真淳もまた、歴代の法会など日々の御堂諸事 に関わる一方、天明六︵一七八六︶年に安居講師となって以後、専修寺において幾度も講義を行い、宗門の学事に おいてもその実力を発揮した。さらに寛政八︵一七九六︶年に勧学主を竣工し、学頭職に任命された。これによっ てその名声は内外に響き渡り、寛政九︵一七九七︶年には権僧正を拝任し、丈化四︵一八

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七 ︶ 年 七 十 二 歳 で 示 日 祇 ー し れ ん 。 真淳が京都遊学中に師事した普寂は、江戸中・後期の浄土宗の僧であり、天台宗の霊空光謙︵一六五二 1 一 七 一 一 一 九︶から天台を学び、その弟子である玄門に師事したとされている。彼の浄土教思想の特色は、正法の仏教にもど ︵ 5 ︶ して仏教を考えた、正法教の復古主義の立場から位置づけていることであるという。真淳は円遵のもとで復古運動 ︵ 6 ︶ に尽力する以前、すでに京都遊学中に革弊復古の志を抱いたとの記述があるとされており、また真淳の京都遊学と 並日寂の動向が時期的に一致することから、真淳が普寂に精神的に共感し、彼の復古の志の影響を少なからず受けた ﹂ と は 十 分 に 想 像 し 得 る 。 真淳における念と戒の問題

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真淳における念と戒の問題 四 ところで、この普寂が師事した玄門は、江戸中期の天台宗における復古運動である天台安楽律運動を行った安楽 律一派の流れを汲み、復古運動の一端を担う人物であった。また、その師霊空は、安楽律運動の要である天台安楽 律 を 唱 え た 妙 立 慈 山 ︵ 一 六 コ 一 七

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一 六 九

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︶からその遺志を継承し、安楽律一派の派生する基をなして、宗風宣揚 に献身的に努めた人物である。つまり、普寂もまた、師からの影響を受けていると考えられ、このような復古の志 は、脈々と受け継がれて真淳にも影響を与えたと考えられるのではないだろうか。 高田派の復古運動は、このような宗派聞を超えた幅広い人間関係によって与えられた精神的影響、また、当時復 古運動が仏教界全体で盛んであったことが大きな要因となって起こったことが考えられよう。 一方、この復古運動の中心を担った当時の法主円遵は、復古運動に際し、門末に向けていわゆる﹁漸塊御書﹂を 著し、出家在家関係なく分に合った漸塊を懐いて称名することを諭して、僧侶であるからといって肉食妻帯を俸ら なければならないわけではないとしながらも、自身は肉食を断つことを宣言した人物である。彼の著述である 高 田川源論﹂には、戒律を宗門に認めず、その伝持がないのが宗風の特色であるという考え方は間違いであるとして、 風儀を正し、僧侶の行儀を誠める意図で復古運動に取り組む意思が述べられている。真淳は、前に挙げた 要﹂において、高田派の伝戒相承の正統性を明らかにする上で、この ﹃ 大 戒 秘 ﹃ 高 田 町 源 論 ﹂ の大部分を引用していること から、このような円遵の意思に共感していることがわかる。 真淳と円道について、﹁上人の意図によって真淳が働いたか、真淳の影響感化が上人に現われたかさえ判然しな い位に深い関係であった﹂といわれる程、円道と真淳の関係は深いものであったようである。つまり、前に述べた、 京都遊学において真淳が懐いた志と、著述の上に窺うことができる円遵の精神とが、互いに影響し合って成立した のがこの復古運動だったのであろう。 以上のような背景から著されたのが ﹁ 伝 戒 記 ﹄ と ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄ である。そこでまず、﹃伝戒記﹄と ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄

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﹁ 誘 蒙 記 ﹄ ではその念仏がどのように一不されているかを窺うこ における戒と念仏の関係を示した上で、﹃科註﹄と とによって、真淳の思想における念仏と戒の構造を再検討したいと思う。

にみる戒律観と念仏

真 淳 は ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄ の中で、称名念仏と三学の関係について言及し、 念仏ノ法門、任運ニ戒定慧ヲ具スルコト、明カニ知ルヘシ ︵ ﹃ 大 戒 秘 要 ﹂ として、称名念仏する中に戒定慧の三学が白ずと具わるとして、三学それぞれを取り上げて、︵一︶念仏と戒の関 一 九 丁 オ ︶ 係、︵二︶念仏と定の関係、︵三︶念仏と慧の関係を、以下のように示している。 ︵ご念仏と戒 ︵ 叩 ︶ 念仏ニ任運ト防非止悪ノ戒徳ヲ具足スルコトヲ領会スベキナリ ︵ ニ ︶ 念 仏 と 定 念 仏 ノ 行 者 、 夕、二同ニコ、ロヲ称名ノ一行ニ専注シテ、不観相貌、不取相貌、 住座臥ヲエラハス、時処諸縁ヲキラハス、行成一片ナルハ、 ヨリテ吾ヵ中興祖師ハ、生死流転ノ苦海ヲ離レ、彼ノ安楽浄土一一往生セムコト、 コ レ 定 ナ リ 深ク勧進シタマヘリ ︵ 三 ︶ 念 仏 と 慧 称名ノ本願ヲ深ク信スルハ、即チコレ智慧ナリ 念仏ヲ信シ行スルモノ、任運ト智者ト均キ 真淳における念と戒の問題 ︵ ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄ 一 六 丁 ウ ︶ ヒトヘニ口称三味ニシテ、行 ︵ ﹁ 大 戒 秘 要 ﹄ 一 七 丁 ウ ︶ ︵ ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄ 口 称 三 昧 ノ 一 行 肝 要 ナ リ ト 、 一 七 丁 ウ ︶ ︵ ﹁ 大 戒 秘 要 ﹄ ︵ ﹃ 大 戒 秘 要 ﹄ 五 一 七 丁 ウ ︶ 一 八 丁 ウ ︶

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真淳における念と戒の問題 ~ ノ 、 念仏と戒の関係においては、﹃大無量寿経﹄触光柔軟の願と、﹁観無量寿経﹄﹁一一光明、偏照十方世界、念仏衆生 摂取不捨﹂の丈によって、念仏の行者こそがこの仏の光明に照らされる者であることから、念仏そのものに既に防 非止思の戒徳が自ずと具わっているとする。そして、その称名念仏に心を注ぐことが定であり、そのような念仏を 信じることが智慧であって、それを信じ称名念仏する者こそが智者であるとしている。さらに高田派中興の祖真慧 ︵ 一 四 三 四 j 一 五 一 一 一 ︶ の丈によって、定としての称名念仏に心を注ぐことがいかに大切なことであるかを強調す る 。 また、﹃観経﹄下中品の破戒の罪人が阿弥陀仏によって救われるという丈から、このときに転じたところの清涼 の風は戒体を示すものであり、名号所具の名義を聞くことによって破戒の罪人の罪が消えるのは弥陀の名号が戒体 であるからとしている。このことが一不されたのが以下の丈である。 ス ル ン ト ノ 観経ノ下中品破戒ノ罪人、命欲 ν終時、地獄衆火一時二倶ニ至ルニ及テ、 テ キ ノ ノ ヲ 徳、及ヒ彼ノ仏ノ光明神力等ヲ説クヲ聞テ、間巳除一八十億劫生死之罪、

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清春

宮 阿

午、ト弥 ト 陀 説仏ノ 玉 十 ヘ 力 リ 威 コノ清涼ハ、戸羅ノ翻名ニシテ、戒体ヲイフナリ ︵略︶イマ破戒ノ罪人仏ノ十力威徳光明神力戒定慧等ノ名号 所具ノ如実ノ名義ヲ聞クニヨリテ、罪熱消除、ン、猛火モ亦減、ンテ、戒体還生スル旨ヲ一不シ玉ヘリ。 チ戒体ナルニヨリテナリ︵略︶弥陀ノ名号即チコレナルノ旨ヲ察スベシ コレ名号即 ︵ ﹁ 大 戒 秘 要 ﹂ 二

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丁 オ j ウ ︶ このように称えるところの名号が戒体であると示すことによって、その名号を称えたときに戒徳は自然に具わると 捉 え て い る 。 つまり真淳は、弥陀の名号が戒体であることから、それを称える称名念仏には仏道の根本である三学が自ずと収 められているとして、そのような称名念仏はそのまま戒律護持につながると理解しているのである。 ﹃誘蒙記﹄に焦点を当て、真淳の行信論から彼の念仏観を窺いたいと思う。 そこで次項からは、 ﹁ 科 註 ﹂ と

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にみる念仏観 ﹃科註﹄は、真淳が円遵の法語の内容に科段を付け、それに註を施したものである。つ天明八年戊申初夏十一日脱 稿﹂という奥書から、天明八︵一七八八︶年、真淳五十二歳のときに書き終えたものだということがわかる。﹃誘 蒙 記 ﹄ のはじめには、この円遵の法語が挙げられて、 ン ヲ 夫レ印施ノ一紙ハ、示一一流安心ノ骨髄 ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 上 、 二 丁 オ i ウ ︶ とされていることから、この﹁科註﹄は、 一流安心の骨髄が一不された円道の法語の註釈書であり、安心に対する真 淳の理解を窺うことができる資料といえる。 一方﹃誘蒙記﹄は、円遵の宝訓を真淳が三段に分けて註釈したもので、上下二巻から成る。下巻の奥書に、﹁寛 政十年戊午初夏十四日︵略︶脱稿す﹂と書かれていることから、寛政十︵一七九八︶年、 ﹃ 科 註 ﹄ か ら ち ょ う ど 十 年後に全て書き終えたことになる。また、﹃伝戒記﹄や﹃大戒秘要﹂は享和二︵一八

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二︶年に書かれたとされて いるため、それより数年前の著作ということである。安心に関して述べられた﹁科註﹄に対して、この ﹁ 誘 蒙 記 ﹂ は 、 冒 頭 に 、 ノ ヘ ノ ヲ 今此一章、訓二行者修習用心一玉フモノニシテ、須央モ相離ルヘカラサル、大切ノ宝訓ナレハ、 シ ル コレコノ宝訓ノ大意ナリト応知 一 流 ノ 道 俗 、 二L メ ユ メ 等 閑 ア ル ヘ カ ラ ス 候 ナ リ 。 ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹂ 上 、 二 丁 オ j ウ ︶ と記されていることから、行者修習の用心をおしえる円遵の宝訓を註釈したものであることがわかる。 真 淳 は ﹁ 誘 蒙 記 ﹂ の 冒 頭 で 、 人人久シク他力易行ノ法門ニナレタルガ、流弊ノ起ル所由ナリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 上 、 四 丁 オ ︶ 真淳における念と戒の問題 七

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真淳における念 k 戒の問題 }\ と述べ、他力易行の法門に慣れたことによって、信機信法の理解が誤った方向に向かっているところに問題の所在 が あ る と し 、 輪下印施ノ御法語ハ 南シ玉フ︵略︶安心ノ肝要ヲ、印施ノ一紙一一一不シ、且ツソノ能信ノ行相ニ就テ、信機信法ノ不実ヲ誠シメ、念 ︵略︶無智ノ輩マデヲモ、轍ク鎮解セシメムカ為ニ、明白ニ能信所信ヲ分チテ、的切ニ指 仏行者平生ノ用心ヲ示シ玉ヘリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 上 、 四 丁 ウ 1 五 了 ウ ︶ として、それを誠める目的で出されたのが円遵の法語と宝訓であるとしている。両著述には、このような円遵の法 語と宝訓を元にして、真淳の行信論が展開されているのである。以下、著述の上に真淳の念仏観を窺っていく。 真淳は﹃科註﹄ の冒頭で、法語の註釈に入る前に、真慧の 一流ノ安心ニ就テ昨僻解ヲナスハソノ源所信ノ法体ヲ弁明セザルヨリオコレリ。故ニ顕正流義紗ノ中ニ往生ノ 安心ヲ直指シテ更一一叫名号アリガタキト信ジ称ルヨリ外ニ当流ニハコトナル義ナシトヲシへ、マタ安心ノ濫ヲ 斥ケテ、②風ニ聞ク法蔵因位ノ修行ヲモ弥陀果位ノ利生ヲモ不レ聞不レ知ト云トモ称念マコトナラパ往生決定 ナルベシト示シ玉へリ ﹁顕正流義秒﹄を引用して以下のように示している。 ︵ ﹃ 科 註 ﹄ 四 丁 ウ j 五 丁 ウ ︶ このように、高田派の安心は﹁顕正流義紗﹂に依ることを一不し、その﹃顕正流義紗﹄ の丈によって、名号をあり が た い と 思 い 、 それを信じて称名念仏することが往生の安心であり、称名念仏によって往生が決定するとしている。 ところで真淳の著述の中に、この﹃顕正流義秒﹄の註釈書である﹃顕正流義紗蒙引﹄がある。ここには今挙げた の傍線①、傍線②の文に以下のように註釈が施されている。 ﹃ 顕 正 流 義 妙 ﹄ 傍 線 実|ニ① 王巳|レ

正 葉 直lノ 南 所謂正直捨方使、 但 説 鉦

道ニ 而

解!ノ 之

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也巴 傍線②

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︵ 日 ︶ コレ聞ワケ知リワクルナドイフ、煩ハシキコトヲ、安心ト心得タル濫ヲ斥ケ玉フナリ ﹂こに示されるように、真淳はこの ﹃ 顕 正 流 義 紗 ﹄ の丈を、これ以上弁明の必要のない、まさに高田派の安心が 示された丈と考えており、その意図で ﹃ 科 註 ﹄ の冒頭にも引用したことがわかる。 法語もまた念仏往生が述べられたものであり、﹃科註﹂はその法語を一流の安心として、さらにより理解しやす いよう真淳が言葉を足して述べたものであることから、真淳は称名念仏による往生決定が一流の安心であると理解 していると捉えることができる。また﹃誘蒙記﹄ で は 信心アリトオモフトモ、名号ヲトナヘサランハ、詮ナシトナリ。 ユエイカニトイフニ、実ニ他力ノ信心ヲ獲得 スルモノハ、称名相続シテ、間断ナカルヘキカ故ナリ︵略︶往生極楽ノ所詮ハ、念仏ニアルユエ、往生セムト オモフトモ、念仏セサレハ、所詮ナキナリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 上 、 三 二 丁 ウ j 一 二 三 丁 オ ︶ として、往生するためには念仏が不可欠であることが一不されている。 一方、同じく往生決定に関して、以下のような文がある。 往生ノ治定ハ信心ノ決定ニアルナリ ︵ ﹃ 科 註 ﹄ 一 一 一 丁 オ ︶ この丈は、円道の法語の、﹁ソノ御約束ヲフカク信ジテ私ノ計ヒナク一期ノ間念仏申セパ﹂の﹁フカク信ジテ﹂を 解釈したものであり、本願名号を信じる心が定まったところに往生が決定するとしている。 以上のように、真淳は往生決定の因として念仏と信心との両方を挙げている。以下、この点を検討したいと思う。 ︵ は ︶ 真淳は、念仏正信偶の﹁如来本願顕称名﹂の文と ︵ 日 ︶ と な り ﹂ の 文 か ら 、 ﹃ 唯 信 紗 文 意 ﹄ の﹁口称を本願とちかひたまへるをあらはさん 口称ノ願体ナルコトカヘスガヘスモ忽緒スベカラズ ︵ ﹃ 科 註 ﹄

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丁 オ

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ウ ︶ と 一 不 し 、 或 い は 、 真淳における念と戒の問題 九

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真淳における念と戒の問題

タトヒ名号ヲ唱フトモ、三心具足セサレハ、順次ニ往生ハ遂ケカタキナリ。シカレハコノタヒノ往生ハ、信心 肝要ナリ。カク信心肝要ナリトイヘトモ、願体ニハアラサルナリ と述べて、称名念仏が本願の願体であることを示した上で、願体である称名念仏と、信心との関係について、 ︵ ﹁ 誘 蒙 記 ﹄ 下 、 三 四 丁 ウ ︶ 第十八ノ願体ハ、称名ナレトモ、ソノ願体ヲ、至心信楽シテ欲生ノココロヲ起ササレハ、副果スルコトアタハ ス 。 シ カ レ ハ 往 生 ノ 正 因 ハ 信 心 ニ ア ル ︵ ﹁ 誘 蒙 記 ﹄ 下 、 三 四 丁 ウ ︶ 第十八ノ願体ハ、称名ニシテ、信心ニハアラサレトモ、ソノ願体ニカナヒテ、決定往生スルコトハ、内因ノ信 心 ニ 存 ス ル コ ト 、 各 々 間 違 ナ ク 、 領 会 ス ヘ キ コ ト ナ リ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹂ 下 、 三 六 丁 オ ︶ として、本願の願体は称名念仏であるけれども、その願体にかなって決定往生するのは、その内因に信心があるか ら で あ る と す る 。 ま た 一 方 で 、 報謝ノ称名ノ事、︵略︶最初ノ聞其名号信心歓喜乃至一念ノ信心歓喜ノ当体ニ、任運自然と具足シテ、仏願ノ 不可思議ナルカタヨリ、報恩謝徳ノオモヒ出来ルナリ 信心決定シテ疑ナケレパコノ念念シカシナガラ知恩報徳ノ念仏ナリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 下 、 一 一 一 六 丁 ウ ︶ ︵ ﹁ 科 註 ﹄ 八 丁 オ j ウ ︶ などとして、称名は信心歓喜を得たところに自ずと具わり、そのような称名にはまた報謝の思いも自ずと具わると 述べている。さらに 報土往生ハ果ナリ。信心念仏ハ因ナリ︵略︶他力ノ信行ノミ清浄報土ノ真因ニシテ自力雑善ハ剖果スルコト能 ハ ズ ︵ ﹃ 科 註 ﹄ 一 五 丁 ウ ︶ と述べて、報土往生の真因として、﹁信心念仏﹂、﹁他力の信行﹂と、信と行とが共に挙げられている。 以上をまとめると、真淳は、信心が決定して疑いのないところに自然に念仏は具わり、その時がまさに往生決定

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その際、信心はその内因であり、念仏は報恩謝徳の思いから出る称名念仏であると理解して いることがわかる。このように真淳は、内因である信心と願体である称名念仏とが共に具わったところが往生決定 であり、信心も念仏も、どちらも往生決定には不可欠であり、どちらかが欠けたところに往生は決定しないと理解 の と き で あ る と 捉 え 、 していると捉えることができよう。

四、真淳における念と戒の構造

以 上 、 ﹁ 伝 戒 記 ﹂ ﹃ 大 戒 秘 要 ﹂ に 一 不 さ れ る 戒 と 念 仏 の 関 係 と 、 ﹁ 科 註 ﹂ ﹃ 誘 蒙 記 ﹂ に 示 さ れ る 念 仏 観 を み て き た 。 戒 について述べられる﹃伝戒記﹄﹃大戒秘要﹂に信がほとんど語られないのと同様に、行信論が述べられる﹃科註﹄ と﹃誘蒙記﹂には、念仏と信心に関して述べる上で、戒についてはほとんど語られていない。しかし、その構造を 推測することができる文が﹃誘蒙記﹂と ﹁ 大 戒 秘 要 ﹂ に 記 さ れ て い る 。 報謝ノ称名ノ事、︵略︶最初ノ聞其名号信心歓喜乃至一念ノ信心歓喜ノ当体ニ、任運自然ト具足シテ、仏願ノ 不可思議ナルカタヨリ、報恩謝徳ノオモヒ出来ルナリ 念仏ノ法門、任運ニ戒定慧ヲ具スルコト、明カニ知ルヘシ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹂ 下 、 三 六 丁 ウ ︶ ︵ ﹃ 大 戒 秘 要 ﹂ 一 九 丁 オ ︶ これらは﹃誘蒙記﹄と﹃大戒秘要﹂のそれぞれにおいて、同じ﹁任運﹂という表現を用いて、信心と称名念仏の 関係、念仏とコ一学の関係をそれぞれ示したものである。報謝の念仏は信心が決定するところに自ずと具わり、さら つまり真淳において、三学を具足する念仏は、信 に そ の 念 仏 に は 、 戒 定 慧 の ご 一 学 も 具 足 さ れ て い る と 理 解 で き る 。 心を得たところに具わる仏願他力の念仏ということになろう。また、前項で明かになったことと絡めると、内因で ある信心と願体である報謝の称名とが共に具わったところが、自然に三学を具足した念仏の法円であると捉えてい 真淳における念と戒の問題

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真淳における念と戒の問題 ると推測できるのではないだろうか。 また、真淳は念仏者のあり方について以下のように言及している。 ハシメ本願ノ生起本末ヲ聞テ、 ワカ機ノ方ニ、信ヲ起シタル一一、相違ハナケレトモ、柳モワカ賢クテ、信ヲオ モ、アリカタキ本願招喚ノ勅命ニヒキタテラレマイラセテコソ、 コシタルコソト思ハス、我等カアサマシキ妄念ノ心中一一、往生シタキトイフ、信心ノ起ルヘキスヂハナケレト オコルマシキ信心モオコレ、是レ全ク他力御 回向ノアラハレトヨロコフヲ、自力ノ己レヲ忘レテ、他力ノ回向ヲ信スル念仏者トハイフナリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 上 、 九 丁 オ j ウ ︶ ワサトアリタキママノ振舞トハ、 ワサトトハ、故意ナリ。律ニモ、故犯誤犯トイフコトアリ。故犯ハコトサラ ニ 、 意 ニ タ ク ミ テ 、 アシキ身語意ノフルマヒヲナスヲイヒ、誤犯ハ、 コ コ ロ ニ タ ク マ ス 、 アヤマリテ、律ヲ犯 ス ヲ イ フ ナ リ 。 アリタキママトハ、即チ放逸ナリ。次下ノ丈ニ、 タタ無断放逸ノミニテトノ玉フモノ是ナリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 上 、 二 六 丁 ウ 1 二 七 丁 オ ︶ 自力の己を忘れて、他力回向を信じ喜ぶ者が念仏者であるとした上で、弥陀の本願をたのみとして、念仏申せば 救われるからと、わざと自らがありたいように振る舞うことは放逸であると誠めている。真淳はここで放逸の聡え として律の故犯誤犯を挙げており、真淳が﹁戒律﹂という表現を放逸に陥る僧侶を誠める一つの手段として用いる ようになった経緯が推測できるのである。 また真淳は、同じく僧侶の放逸を誠めて、﹁誘蒙記﹄では、 末世ノナラハシト云ナガラ、総シテ風俗甚タ軽薄ニナリユキ、出世ノ実義ヲ開キ、万事只他ノ美観ニ供ヘ候事 ヲ、専一ニ相心得、ミタリニ信施物ヲ費候係、冥加可ノレ恐ル之至ニ候︵略︶祖宗門下ノ子弟タルモノ、可一 h ノ マ ︽ 深断慎一義ニ候事等ト、深ク厳誠ヲ垂レタマフニテ、僧侶ノ放逸悪行ニテハ、スマヌコトヲ、深ク自知スヘキ

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ナ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 下 、 四 四 丁 オ ︶ として、そのような者は深く慨惚し、僧侶として自覚すべきであるとする。また﹃伝戒記﹂においては、 鳴呼瀧末ノ道俗タレカ正シク七衆ノ分ヲ全クセン唯是レ名字ノミナリシカレドモセメテ深ク漸惚ヲ懐キ慎ンテ 正見ヲ失ハヌガ今日ノ我等ガ分際ナルベシ︵略︶無戒破戒ノワレラ辱クモ末代三宝ノ一分ト称セラレンコト何 ノ幸カコレニシカンヤマコトニ漸悔ヲ忘レスシテナルヘキタケ一一一業ヲ慎ムヘキニアラズヤ ︵ ﹃ 伝 戒 記 ﹂ 三 二 丁 ウ ︶ として、戒を持つことのできない身ではあるが、 せ め て 漸 慌 を 懐 き 、 三業を慎んで正見を失わぬべきであるとする。 ﹂ の 他 に も 真 淳 は 、 漸塊ハ、世間出世間ニ渉リテ、須央モカクヘカラサルノ妙法ナリ ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹄ 下 、 四 一 丁 ウ ︶ とするなど、漸塊心の重要性を再三強調するとともに、慎むことの重要性を示している。そもそも先にも述べたよ うに、真淳は、戒律を非常に柔軟に捉え、戒律の持つ道徳的・倫理的側面に注目し、それによって一不されたのが慎 み の 心 で あ っ た 。 真淳における念と戒の構造を推測すると以下の様になるであろう。真淳は教えを誤って捉えている者に対して、 弥陀の本願を聞き、他力回向の信心を得て称名念仏する者こそが真実の念仏者であると示した。その上で、戒律と いう表現を取ることによって、その本願を誤って捉え、放逸に陥る者を誠めようとしたことがわかる。また、真実 の念仏者が称える念仏は、信心を得たところに報謝の念仏として自ずと具わるものであり、その念仏は自然に三学 を具足すると捉えていることから、そのような真実の念仏者とは、自然に慎みの心をも具えた人であると考えてい たと言えるのではないだろうか。 真淳における念と戒の問題

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真淳における念と戒の問題 四 おわりに 以上、真一淳の著述の上に彼の行信論を窺い、それが復古運動における戒律宣揚とどのように関わっているかを考 察 し た 。 最後に、復古運動が具体的にいっ始まったものかは明確ではないが、 その一貫として著された﹃伝戒記﹄﹃大戒 秘要﹂よりも五年前の著述にあたる﹁誘蒙記﹄ の中に、復古運動につながるきっかけと考えられる丈が記されてい る 宗意ノ肝要ハ、彼ノ印施ノ一紙ニ尽テ、復余誼ナシトイヘトモ、門下ノ道俗、弊風ニ一扇カレテ、慨怠放逸ニ陥 ランコトヲ慮ラセタマヒ、猶コノ教誠ノ一章ヲ副テ、苦ロ丁寧一一垂示、ンタマフトコロナリ。鳴呼輪下婆心ノ切 ナル、有信ノ輩、誰レカ心ニ銘シ骨ニ刻マサラン ︵ ﹃ 誘 蒙 記 ﹂ 上 、 二丁オ 1 ウ ︶ 当時吾党ノ道俗、 一通リ御法流ヲ聴聞シテ、アラアラシキ悪事ヲモナサスシテ、正見ニ住スルト、ワレモ思ヒ、 シ テ ヲ ス レ ハ レ ヲ 人モオモヘトモ、副レ実レ論レ之、凡夫ノクセナレハト、カタヅケテ、恐レツツシム意ハウスク、タタ無漸放逸 ノ ミ ニ 一 ア 、 メ テ タ キ 御 誓 ヲ 、 モタレモノトシテ、三業ニ悪ヲ造リ、空シク光陰ヲ消スルコト、深ク漸悦スヘキ コトナリ ︵ ﹁ 誘 蒙 記 ﹂ 上 、 二 七 丁 オ ︶ 一通り安心の骨髄を一不し、さらに真淳がそれに註を加えて﹃科註﹄を著したにも 関わらず、その十年後、さらに円遵は宝訓を示し、真淳が註を施して上下二巻にもわたる﹁誘蒙記﹄を著したこと には、今挙げた丈に述、べられたことが原因にあったと推測できる。そこで、復古運動によって、先にも述べた、自 円遵が法語に余すところなく、 然に慎みの心を具えた真実の念仏者を目指したのではなかろうか。

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ここから改めて考えてみると、真淳の著述には、その表現に椴妙な変化があることがわかる。﹃科註﹄には﹁慨 慌﹂、﹁慎み﹂という表現や、﹁誠め﹂等の表現はあまり見られないが、﹁誘蒙記﹂になると、多少きついくらいにこ れらの表現を用いて僧侶のあり方を一不す。またその中で、除えとして律が挙げられるようにもなる。そして﹁伝戒 記﹂﹃大戒秘要﹂になると、﹁戒律﹂という表現が用いられるようになるのである。このことを念頭に置くと、真淳 における念と戒に関する思想は漸次構築されていったものと考えられる。 はじめにも述べたように、復古運動にかける思いがあまりに強かったために、恐らく真淳は、戒律という表現を 取ることで、それ程の心持ちでいることと、それを忘れない姿勢の重要性を示したかったのであろうことが推測さ れる。しかし、真宗において戒律の護持を主張することは、誤解を招く恐れもあるだろう。慎むことの重要性を示 すことが目的であるならば、やはり大げさな表現であるという指摘は否めない。紙数の都合によりここには詳細に 示せないが、実際、真淳の影響力があまりに強かったため、真淳示寂後も真淳の学系が続いて行く中で、このよう ︵ 日 ︶ な学説に疑義を唱える人々が現れ、行信に関する論争へと展開していくのである。 今回は真淳の行信論を明確にし、彼の復古運動における戒律宣揚の思想構造を明らかにする目的で、主に﹁科 註﹂と﹃誘蒙記﹄を考察した。最後に、これらの書物と﹁伝戒記﹄﹁大戒秘要﹄との大きな違いとして、引用する 典拠の違いが挙げられる。中でも、同じく江戸時代の宗学興隆期に活躍した、高田派の慧雲や普門、さらには真宗 他 派 の 学 僧 の 文 を 挙 げ て い る こ と は 、 ﹁ 伝 戒 一 記 ﹂ と に、真宗他派と高田派の行信論や戒律観の相違を探ることは、今後の課題である。 ﹁大戒秘要﹄には見られないことである。これらの資料をもと 註 ︵ 1 ︶ ︵ 2 ︶ 西 谷 順 誓 著 ﹃ 真 宗 の 教 義 及 宗 学 の 大 系 ﹄ ︵ 興 教 室 回 院 、 ﹃ 同 右 ﹄ 三 五 三 頁 九 一 ︶ 三 五 五 頁 真淳における念と戒の問題 五

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真 淳 に お け る 念 と 戒 の 問 題 ム ノ、 ︵ 3 ︶ ︵ 4 ︶ ︵ 5 ︶ ︵ 6 ︶ ﹃ 同 右 ﹄ 一 一 一 五 一 一 一 i 三五八頁 小妻隆文著﹃円遵上人行実﹄︵高田学会、一九六五︶参照 芦川博通﹁普寂の浄土教思惣 1 ||﹃願生浄土義﹂を中心として||﹂︵﹃浄土教ーーその伝統と創造 H ﹄ 四︶一九一頁、恵谷隆戒著﹁円頓戒概論﹄︵大東出版社、一九七八︶一八二 i 一 八 三 頁 ﹁ 宝 暦 六 年 丙 子 二 十 一 歳 二 月 再 遊 二 学 子 京 師 一 頗 有 二 草 弊 復 古 之 志 一 ﹂ ︵ 小 妻 ﹁ 前 掲 書 ﹄ 九 二 j 九三頁、九五頁︶※現 存せず確認できない。 恵 谷 ﹁ 前 掲 童 百 ﹄ 一 七 八 j 一 八 一 一 一 員 、 大 桑 斉 ﹁ 近 世 初 期 の 仏 教 と 真 宗 ﹂ ︵ ﹃ 龍 谷 教 学 ﹂ 第 四 O 号 、 二 O O 五 ︶ 一 心 ハ 二 一 頁等を参照 小 妻 ﹃ 前 掲 童 日 ﹄ 九 一 頁 復古運動に関する詳細は、拙論﹁真淳における念仏と戒律の研究 1 1 ﹃ 下 野 伝 戒 記 ﹄ ﹁ 下 野 大 戒 秘 要 ﹂ を 中 心 と して||﹂︵﹃龍谷大学大学院丈学研究科紀要﹂第三 O 集 、 二 O O 八︶参照 以下、引丈内の傍線は随時筆者が記した ﹁ 真 聖 人 王 ﹄ 一 、 五 七 頁 高田短期大学仏教文化研究センター編﹃翻刻顕正流義紗蒙引﹂︵高田短期大学、 ﹃ 真 聖 人 玉 ﹄ 一 、 一 七 七 頁 ﹃ 同 右 ﹄ 二 、 四 四 九 貞 ﹃ 同 右 ﹄ 二 、 六 三 七 頁 慶応年間一九安心の騒動 九 J¥ ︵ 7 ︶ ︵ 8 ︶ ︵ 9 ︶ ( ( ( ( ( ( ( 16 15 14 13 12 11 10 ) ) ) ) ) ) ) 二 O O 七 ︶ 一 七 六 頁

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親鷺における仏性開覚の意味

大谷派

芳三 え』、

j

一、問題の所在

親鷲が宣揚した浄土真宗という仏教を思想的に解明しようとする場合、経典として ﹁ 大 乗 浬 般 市 経 ﹄ ︵ 以 下 ﹃ 浬 繋 経 ﹄ ︶ の占める影響は極めて大きい。周知の如く、﹃浬繋経﹄では、王に仏性思想を標題として掲げている。たとえば 経典では、仏性について﹁所有の仏性は、是くの如く甚深にして知見得ること難し。唯仏のみ能く知る。諸の声聞 縁覚の及ぶ所にあらず。善男子、智者は応に是くの如き分別を作して如来性を知るべし﹂と一不すように、ある種 ﹁仏知見﹂として解釈される。最もそのことを、曾て親驚が学んだ天台教学で捉えるなら、行者自身が開示悟入に おいてブッダの智慧︵四仏知見︶を体得していく歩みとして考えられる。もし、こうした意味で﹃浬繋経﹄を問え ば、仏性とは、どこまでも解脱、法身、般若の﹁一二徳﹂を踏まえる上での智慧であり、且つまた、大乗菩薩道の問 題として議論せざるを得ない。ところが、親鷲は、仏性の意味をそうした菩薩道の上において理解していない。ど こまでも、阿弥陀の﹁光明﹂と﹁寿命﹂という両面から捉えていくのである。ここでの﹁光明﹂と﹁寿命﹂とは、 言、つまでもなく﹁大無量寿経﹄の﹁光明無量﹂と﹁寿命無量﹂の本願を前提としている。 七

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親驚における仏性開覚の意味 J¥ ﹃浬繋経﹄そのものは、決して阿弥陀仏や浄土を説こうとする経典ではない。何故なら、﹃浬般市経﹄は、ブツダの ︵ 2 ︶ 寿命を﹁如来は常住にして、変易有ること無し﹂というように、永遠なる如来の側面から肉身の釈尊を説いている つまり、親驚は、このような﹁浬繋経﹄で説く法身不滅の思想背景を踏襲し、﹃大無量寿経﹄で説く 阿弥陀如来の光寿無量を究明していく。したがって、本稿では﹃教行信証﹄﹁真仏土巻﹂で説く﹃浬繋経﹄の教証 を中心に悉有仏性の内容を尋ねていきたい。 か ら で あ る 。

二、親鷲の

の構成における考証||

曾て先人は、﹃教行信証﹄と大乗経典という関係性及び構造について、﹃大無量寿経﹄は選択本願の安心を一不す経 典であり、﹃華厳経﹂と﹃浬繋経﹄はその教相を示す経典であると説かれ出 o そして、特に﹃教行信証﹂﹁真仏土 巻﹂での﹁浬繋経﹄の課題において示すなら、善導の﹁極楽は無為浬繋の界なり﹂という教示に集約されると言わ れ る 。 ﹁教行信証﹂﹁真仏土巻﹂の中では、﹃浬繋経﹂の経文が十三文ほど引証されている。経文の構成は、﹁四相品﹂ ︵ ① ︶ 、 ﹁ 四 依 品 ﹂ ︵ ② ︶ 、 ﹁ 聖 行 品 ﹂ ︵ ③ ︶ 、 ﹁ 党 行 品 ﹂ ︵ ④ ︶ 、 ﹁ 高 貴 徳 王 菩 薩 品 ﹂ ︵ ⑤ ⑥ ⑦ ︶ 、 ﹁ 迦 葉 菩 薩 品 ﹂ ︵ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫︶、﹁師子肌菩薩品﹂︵⑩︶とあるが、比較的に七品順序よく引用されている。ただし例外的に、短文の﹁党行品﹂ ︵第一義諦の文︶と最後の﹁師子肌菩薩品﹂︵眼見聞見の丈︶は、後に親鷲が意図的に経文の挿入と品の前後を入れ 替えて引用していることが想定される。 ここで説く教証の分科は、過去の先行研究を見ても細かく分かれる所である。よって、現段階では確証はないの だが、今は大枠で経丈の組織を捉えてみたい。表で示せば、左記の如くである。

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F『 F『 2 』d 』4 仏一有釆一寸 一一寸 繋 j呈 項 しーー 性 L一一 イコ し、 つ て しミ て 5 4 3 2 ¥c 撃 軽」Eι 3 衆 生 「ブツ 浬繋

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喋呈 所 見 のダ の四 の ( 法説 徳 ( 長正

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一一寸 見 不,疋i’「 徳果 と 見聞 L一一 ( 常 楽 設 浄 、、./ の 四 徳 \ 』 ノ ⑬ ⑫ 十 丈 の 区 分 と 自 己 列 ︵ 6 ︶ 本稿は便宜上、仮に﹁浬繋﹂と﹁仏性﹂を大きく区分したが、元よりその意味は、分断的に捉える問題ではない。 ︻ 1︼は﹁浬繋﹂の中から仏性の内実を尋ねていく課題であり、他方円 2 ︼では衆生において仏性がどのように顕 ︵ 7 ︶ 現されるのかを課題としている。何れにせよ、問題の対象は仏性である。よって、小論では主に﹁大浬般市﹂﹁常楽 我 浄 ﹂ ﹁ 見 仏 性 ﹂ の問題を中心に尋ねていくこととする。 親驚における仏性開覚の意味 九

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親驚における仏性開覚の意味

三、解脱と大浬繋

﹁真仏土巻﹂では、親鷺が浬繋の意味を尋ねていくなか、まず解脱という言葉に触れていく。﹃浬繋経﹂﹁四相品﹂ は上・下段に分かれて説かれるが、主に前者は、浬繋の相を四つに分け自正、正他、能随問答、善解因縁義といっ た 意 味 を 説 い て い く 。 一 方 後 者 は 、 それを承けて菩薩の身口意三業の中で、特に意業について説示される。そして、 その菩薩の意業の中において、解脱が詳しく説明されていくのである。 経文では迦葉菩薩が世尊に対して浬繋とは云何なる意味か質問する所に始まる。 大般浬繋とは解脱処と名づく。衆生を調伏すること有る処に従いて、如来は中に於て一不現を作す。是の真実甚 ︵ 自 ︶ 深の義を以ての故に大浬繋と名づく。︵中略︶善男子よ、夫れ浬繋とは名づけて解脱とす。 一般的には束縛から解き放たれ、煩悩から自由になると理解される。これに対して﹁浬繋経﹄で説く 真の解脱とは、行者自らの安住ではなく、如来の浬繋を顕すための解脱として明かしていく。それ故、﹃浬般市経﹄ ︵ 9 ︶ では解脱を九二種ほど警除して説明していくのである。 解 脱 と は 、 さ て 、 そうした前提を踏まえ﹁真仏土巻﹂では、以下の経丈が引かれる。 又解脱は、名づけて①虚無と日う。虚無即ち是れ解脱なり。解脱即ち是れ知来なり。如来即ち是れ虚無なり。 非作の所作なり。︵乃至︶真解脱は②不生不滅なり。この故に解脱即ち是れ如来なり。如来また爾なり。不生 不滅・不老不死・不破不壊にして、有為の法にあらず。この義を以ての故に、名づけて如来入大浬繋と日う。 ︵乃至︶又解脱は③無上上と名づく。︵乃至︶無上上は即ち真解脱なり。真解脱は、即ち是れ如来なり。︵乃至︶ 若し阿蒋多羅三親三菩提を成ずることを得巳りて、④無愛無疑なり。加熱愛無疑は即ち真解脱なり。真解脱は即

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ち 是 れ 如 来 な り 。 ︵ 番 号 ・ 括 弧 筆 者 ︶ 親驚は、解脱の解釈について大半を省略しているが、その中で①虚無、②不生不滅、③無上上、④無愛無疑の四 つを取り上げている。①の虚無という意味は、﹁大乗浬繋経﹂を語る上で特に重要な意味であり、部派仏教︵小乗︶ から続く二種浬繋の一つである無余依浬繋に大きく関わる。声聞縁覚︵二乗︶は自ら身心を滅尽する灰身滅智に傾 斜するが、﹃浬繋経﹄ではそうした虚無的立場を一蹴し、虚無の意味を﹁非作所作﹂として問い質していく。﹁非作 所非﹂とは、本来﹁作・所作にあらず﹂と読むのが普通であるが、親鷲においては﹁非作の所作なり﹂と読んでい く。前者は﹁作すことも作されることも無い﹂と訳すが、後者では﹁作す︵される︶ことのない作され方﹂と訳す ため、所作を肯定的に読んでいる。ここでは色々考える要因があるのだが、ともかく親驚は解脱を無内容の無では なく、任運で自然な意味として解釈してい﹁引 o つまり、﹃浬繋経﹂に基づく﹁如来常住、無有変易﹂といった思想 背景を踏まえて虚無を動的に捉えているのではなかろうか。 他方②不生不滅は、生死から繋縛されず偏見が無い意味として解釈される。ところが、③無上上と④無愛無疑に 関して親鷲は、﹃諸経和讃﹂の中で次のように示している。 無上上は真解脱 真解脱は知来なり 真解脱にいたりてぞ 加 熱 愛 無 疑 と は あ ら わ る る 親驚は﹁無上上﹂について﹁ほっしんをむじようじようといい、しんげたっともいう﹂と左訓を施している。つ まり、親鷲は知来が法身常住であるが故に、本より無上上、真解脱と呼ぶことができると理解する。また同時に、 そうした解脱の内実は愛欲や疑蓋が全く雑わることが無いことを顕すと一言うのである。 親驚における仏性開覚の意味

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親驚における仏性関覚の意味 そして、そうした解脱の意味に呼応して、親鷲は次なる経文を引いている。 如来は即ち是れ浬繋なり。浬繋は即ち是れ無尽なり。無尽は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ決定なり。決 定は即ち是れ阿鰐多羅三親三菩提なりと。 上述の展開では無上菩提を得ることができたなら、それは﹁無愛無疑﹂であると述べている。ならば、その無上 菩提の内容とは一体知何なるものかと言えば、親驚は浬繋、無尽、仏性、決定であると示す。 周知の如く、解脱とは非常に多くの意味を持っているのだが、﹃浬繋経﹂では専ら浬繋や仏性といった意味とし て捉えていく。すなわち、解脱が﹁三解脱門﹂といった空・無相・無願であるような立場なら、それは、禅定にお いて実体を否定していく歩みに他ならない。しかし、﹁浬繋経﹄で説く真の解脱とは、あくまで大般浬繋であり、 仏 性 を 前 提 と し て い る 。 ︵ U ︶ 親驚は﹁虚無﹂について﹃無量寿経﹄の﹁皆、自然虚無の身、無極の体を受けたり﹂といった経丈を度々引いて いる。﹃無量寿経﹄で示す﹁虚無﹂の意味とは、安楽園に住する者たちは、皆そうした形色となって異なりが無い と説く。すなわち、親鷲にとって、虚無とは単にニヒリズムなものではなく、﹁自然虚無﹂として捉えている。 ブツダの入滅は個人の死没ではなく、覚りが実現される大浬繋であると経典は説く。親鷲はそうした説示に注意 し、如来の寿命は肉体の有無とは無関係であり、﹁非作所作﹂とする如来の寿命無量として衆生に働きかけている と 理 解 し て い た の で は な い か 。 したがって、親驚は﹁真仏土巻﹂で先ず﹁解脱﹂や﹁浬繋﹂といった側面において仏性を把捉しようと考えてい た の で あ る 。

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四、常楽我浄|

l

知来の徳||

さて、次なる問題は、大浬繋の果徳と挙げる常楽我浄の課題である。ここでは紙面上の都合もあるので全体を究 明しないが、ただ、親驚が常楽我浄の中で何故﹁我﹂の部分︵上表では⑦︶だけを引用しなかったのか、その理由 を 尋 ね て み た い 。 たとえば経典では、常楽我浄の内容についての以下の如く説いている。 苦なる者を楽と計し、楽なる者を苦と計す。是れ顛倒の法なり。無常を常と計し、常を無常と計す。是れ顛倒 の法なり。無我を我と計し、我を無我と計す。是れ顛倒の法なり。不浄を浄と計し、浄を不浄と計す。是れ顛 倒の法なり。︵中略︶世間も亦常楽我浄有り。出世も亦常楽我浄有り。世間法は宇有りて義無く、出世間は宇 ︵ 日 ︶ 有 り て 義 有 り 。 ﹃浬般市経﹄では、常楽我浄を浬繋の四徳として呼ぶ。こうした背民は今詳細には言えないが、ただ部派仏教時代 から続く﹁人無我・法有﹂といった思想背景を考慮するなら、少なくとも﹃大乗浬繋経﹂が成立する以前まで、 ﹁ 無 常 ・ 苦 ・ 無 我 ・ 不 浄 ﹂ ︵ 三 法 印 或 い は 四 法 印 ︶ と い っ た 説 一 不 が 広 く 浸 透 さ れ て い た と 言 え る 。 つ ま り 、 ﹁ 浬 繋 経 ﹄ はそれに応じた形で、﹁浬般市の四徳﹂という思想が生まれてきた。経典では世間法︵有為︶に基づく常楽我浄を四 顛倒として、出世間法︵無為︶に基づく常楽我浄を浬繋の四徳として説いていく。 ﹁真仏土巻﹂では浬繋の凶徳について、常徳︵上表では④︶は﹁党行品﹂、楽徳︵⑤︶、浄徳︵⑥︶は﹁高貴徳王 菩薩品﹂とそれぞれ尋ねている。しかし、⑦我徳について親驚は、経文を避け、全く質の異なった経文を挙げるの である。元より経典では﹁我﹂の背景について頻繁に説いている。なかでも﹁知来性品﹂では、その我について深 親驚における仏性関覚の意味

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親驚における仏性開覚の意味 四 く説かれている。この品では、迦葉菩薩が二十五有に覆われる現実世界に﹁我﹂は存在するのか、しないのかと問 うのであるが、その聞いに対して世尊は以下の如く説いている。 善男子よ、我とは即ち是れ如来蔵の義なり。一切衆生に悉く仏性有り。即ち是れ我の義なり。 すなわち﹁我﹂とは如来蔵であり、﹁我の義﹂とは一切衆生悉有仏性であると説く。ここは、大変難解な問題で あるため、今は要点だけを述べておく。前者﹁我﹂とは、あくまで存在としての﹁我﹂であり、それを経文では如 来蔵と示す。他方、後者﹁我の義﹂というのは、﹁我﹂そのものではなく﹁我の意味・意義﹂と解釈されるため、 そのことを経文では﹁一切衆生に悉く仏性有り﹂と明かしている。つまり、こうした両者の視点から見て分かるよ うに、我そのものは如来蔵を示し、我である如来法身の意味内容が一切衆生悉有仏性であると理解される。そう考 えると、﹁如来性口巴で説く﹁悉有仏性﹂とは、﹁我︵そのもの︶がある﹂のではなく、﹁我︵という意味︶である﹂ と見直すべきであろう。また、同時にそれは、従来﹁悉く仏性が有る﹂といった成仏の可能性を示唆する読み方か ら、﹁悉く仏性である﹂と読むことによって、衆生には仏性という動的な在り方をしているのだと解釈できよう。 したがって、上述で示す衆生とは、自らの本来的在り方が仏性であることを覚知できるかどうかを問題としている。 何故、衆生はそうした虚妄なる分別から抜け出せないのかという理由について経文では、 是の如きの我の義は、本従り巳来常に無量煩悩に覆わる所なり。是の故に衆生は見ること得るを能わず。 と説くように、広い意味で言えば、如来の法身や法牲といった在り方としての仏性は、どこまでも衆生の思慮では 知見できないからであると言うのである。こうした、衆生における見仏性の問題は、後の方で具体的に取り上げる が、ともかく、今述べてきたことを整理すれば、我とは如来蔵であり、その意味が仏性なのである。 また他五で、経文ではそれらについて、 出世の我相は名づけて仏性とす。是の如き我を計すに是れ最善と名づく。︵後略︶

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仏性の真我は、誓えば金剛の致壊すべからずが如し。︵後略︶ ︵ 初 ︶ 今日、如来所説の真我を名づけて仏性と日う。 と説いている。すなわち、﹃浬繋経﹄で説く我とは、どこまでも出世間における我の真実なる相であり、また、そ うした真実な我︵真我︶とは、全て仏性︵如来蔵︶なのであると収数し説かれている。 したがって、それに呼応して﹁高貴徳王菩薩品﹂では、我徳を﹁大我﹂として長々説明している。また本文では、 その大我の性格を﹁八自在﹂として説明していくのである。 ところが親鷲は我徳の内実を、同じ﹁高貴徳王菩薩品﹂の別の箇所から引証している。本来、﹁高貴徳王菩薩品﹂ では、﹁浬繋経﹄を信受し修行する行者は十の功徳を得るとされるのであるが、その中で今親驚が問題とする箇所 は 第 七 功 徳 に 該 当 す る 。 善 男 子 、 諸 仏 如 来 は 煩 悩 起 こ ら ず 、 是 れ を 浬 般 市 と 名 づ く 。 所有の智慧、法において無碍なり、是れを如来とす。 加来は是れ凡夫・声聞・縁覚・菩薩にあらず、是れを仏性と名づく。 如来は身心智慧、無量無辺阿僧祇の土に遍満したもうに、障碍する所無し、是れを虚空と名づく。 如来は常住にして変易有ること無ければ、名づけて実相と日う。 是の義を以ての故に、加来は実に畢寛浬般市にあらざる、是れを菩薩と名づく、と己上 親驚は我徳という問題について、全て如来という言葉で明かしている。つまり、先行研究の言葉を借りるなら、 ︵ お ︶ これら全て六丈は﹁如来の徳﹂して位置付けられる。つまり、如来とは第一に煩悩が起こらない﹁浬繋﹂であり、 第二に智慧、法においての﹁無時﹂であり、第三に凡夫・声聞・縁覚・菩薩でない﹁仏性﹂であり、第四に無量無 辺阿僧祇の土に遍満する﹁虚空﹂であり、第五に常住にして変易有ること無い﹁実相﹂であるといった果徳を具足 親 驚 に お け る 仏 性 開 覚 の 意 味 五

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親驚における仏性関覚の意味 ~ ノ、 している。そして、それらを総括して、第六に如来は実に畢寛浬繋ではない﹁菩薩﹂と名づくと説かれている。こ の 第 六 に つ い て は 、 どう解釈するか大変困難な所である。しかし、推測の領域を出ないが、親鷲において最後に説 かれる菩薩とは、法蔵菩薩の願心となって働いていることを示唆しているのではなかろうか。 ﹁真仏土巻﹂は専ら仏身仏土について注視される所である。言わば知来表現の範鴫そのものを内容としている。 ﹁ 教 巻 ﹂ で は 、 ︵ 別 ︶ 往相回向に就いて真実の教行信証有り。 と掲げているが、親驚は浄土に往生する相である働き︵回向︶において、真実の教行信証があると示している。そ の真実なる教行信証の中で、先程から問題となっている﹁我﹂について、親鷺は﹁信巻﹂で以下の如く明かしてい る ﹁ 如 実 修 行 相 応 ﹂ と 名 づ く 。 こ の 故 に 論 主 建 め に ﹁ 我 一 心 ﹂ と 一 一 百 え り 、 と 。 ︵ 後 略 ︶ 論註に日わく、﹁如実修行相応﹂と名づく。この故に論主建めに﹁我一心﹂と言えり。︵後略︶ 真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。この故に論主建めに﹁我一心﹂と ︵ お ︶ 一 一 一 口 え り 。 又 ﹁ 如 彼 名 義 欲 如 実 修 行 相 応 故 ﹂ と 言 え り 。 ︵ 括 弧 筆 者 ︶ ここでの詳細な説明は一切避けるが、ただ、上述を見て分かるように、親驚は曾て論、玉︵世親︶が、往生浄土の 側面において﹁我一心﹂を宣揚したことを明かしている。周知の如く、ここで言う﹁我﹂とは、既に中国の曇鷲が、 流布語の﹁我﹂と指摘し、尚また﹁我一心﹂を、世親の自督の詞として押さえている。そのため、 顛倒に基づく無我と戎の関係とは意味合いが異なる。 ﹁ 浬 繋 経 ﹄ の 四 つまり、ここで一示す﹁我一心﹂とは、往生浄土の歩みにおいて意味するものであり、法蔵菩薩が実の如く修行し 相応するといった、言わば衆生︵未覚︶から如来︵覚︶、生死から浬繋、有漏から無漏へといった指向していく修

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道の意味に他ならない。そして、こうした背景には、親驚が真実なる﹁教行信証﹂という歩みを﹁信心仏性﹂とい う意味において明確にしていくのであるが、今はその内容について触れないでおく。ともかく、﹁真仏土巻﹂で説 こ う と す る 仏 性 論 ︵ 浬 般 市 仏 性 ︶ では、そうした往生浄土の側面で示していく﹁我徳﹂を隠し、﹁如来の徳﹂を顕す ﹂ と に 徹 し て い る 。 親鷲は八自在に基づく大我の経文を削除し、我徳を如来の徳として置き換えている。何故、我徳を挙げなかった かは不明であるが、ただ、先にも示したように﹁出世の我相﹂や﹁真我﹂というニ一一口葉が全て仏性の意味に関わるこ とを考慮すれば、親驚自身が、出世間に基づく我徳を得ようなど、到底及びもしないと考えていたのであろう。ま してや、八自在の大我など如来の無碍自在であって、とても衆生が得られる果徳ではないと考えていたのであろう。 衆生において仏性を覚知するとは、 一切衆生定んで仏性有り。是れを名づけて著と為す。若し仏性無くば是れを虚妄と名づく。 と説くように、どこまでも分別の領域から生ずる我見である。 もし、﹁真仏土巻﹂で説く我徳を強調すれば、それこそ﹁如来広大の恩徳を迷失する﹂意味に為りかねない。す なわち、親鷲にとって常楽我浄説とは、あくまで主体を我徳ではなく如来の徳として転ずる所に意味を持つ。そし て、その徳とは、別な言い方をすれば我が身を包み込む如来の大悲として捉えることができよう。つまり、親鷲は ︵ 幻 ︶ そうした、如来の徳を仏性の意味内容として関連付け感得したのである。

五、衆生における見仏性

さて、今までは如来の側面から大浬般市、常楽我浄説を考証してきたが、本節では衆生の側面から再度仏性を究明 親驚における仏性開覚の意味 七

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親驚における仏性開覚の意味 J¥ し て い き た い と 考 え る 。 ﹁真仏土巻﹂では、衆生の上に仏性がどう実現するかについて、﹁迦葉菩薩品﹂から長く引証している。 我が所説の十二部経の如し、或いは随自意説、或いは随他意説、或いは随自他意説なり。︵中略︶善男子、我 が所説の如き、−住の菩薩少しき仏性を見る、是れを随他意説と名づく。︵中略︶善男子、常に一切衆生悉有 仏性と宣説する、是れを随自意説と名づく。 一切衆生は悉く仏性有れども、煩悩覆えるが故に見ることを得る ︵ お ︶ ことあたわずと。我が説、是の如し。汝が説、また爾なりと。是れを随白他意説と名づく。 要するに、ここでは仏の所説を随白音諮師、随他音山説、随自他意説と大きく三種に分けて説いている。随白意説と は︵順番は変動するが︶如来が自ら意のままに説く﹁一切衆生悉有仏性﹂の自内証を宣説すること。また、随他意 説とは﹁十住菩薩少しき仏性を見る﹂と、衆生の意に随って説くこと。そして、随自他意説とは、一切衆生に仏性 有ると難も、煩悩に覆われているため、とても見ることができないといった、言わば前の両方に関わる意味として 説かれている。すなわち、この三者は、如来、十住菩薩、衆生とそれぞれの仏性観の立場から分けて説示されてい る さて特に今課題としたい所は、第一一一の衆生に関する問題である。親鷲はそれに 呼応する意味で、敢えて本来先 に説かれる﹁師子肌菩薩品﹂の経文を最後に持ってくる。 又 言 わ く 、 一切覚者を名づけて仏性とす。十住の菩薩は名づけて一切覚とすることを得ざるが故に、是の故に 見ると難も明了ならず。︵中略︶善男子、復眼見有り。諸仏如来なり。十住の菩薩は仏性を眼見し、復開見す 一切衆生乃至九地までに仏性を聞見す。菩薩若し一切衆生悉く仏性有りと聞けども、心に信を生 ぜざれば聞見と名づけずと。 る こ と 有 り 。 一切覚者︵如来︶は、仏性であるが、十住の菩薩は少分の見仏性であるために一切覚ではない。また、見におい

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て眼見と聞見の二種がある。今、経文を−要約するなら、第一に諸仏如来は眼見。第二に十住菩薩︵十地菩薩︶は眼 見と間見。第三に一切衆生から九地までの行者を聞見と規定される。ただし、第二、三は、 くと言っても、信を生じなければ、それは聞見とは言えない。 つ ま り 、 経 典 で は 、 一切衆生悉有仏性と聞 一切衆生は間見において仏性を 見ることができると説くが、しかし、信心を発こすことができなければ、衆生がとても仏性を間見することなどで きないと言う。ましてや上述で説くように、 一切衆生は客塵煩悩に覆われているため、限りなく仏性を見る可能性 は 低 い と 言 え る 。 見仏性の課題について、親驚はさらに経典を読み進め、眼見聞見の説示を挙げていく。元より﹁浬般市経﹄﹁師子 肌 菩 薩 品 ﹂ で は 、 善男子 若し善男子善女人有りて、如来を見んと欲わば、応に十二部経を修習し受持し、読請し、書写し、解 説 す べ き な り 。 と説いている。ところが、親鷲はこうした善男子善女人が十二部経の行修において見仏を果たそうとする在り方を 乃 至 し て い る 。 親鷲が引用する経文はその後であり、師子肌菩薩が煩悩に覆われている衆生は、如来の心相を知ることをできな いというが、一体どのようにして、衆生が知来の心相を観ずることができるのであろうかと、世尊に対して質問す る所から始まる。その問いに、世尊は、 有 り 。 一 つ に は 眼 見 、 一切衆生は実に知来の心相を知ることあたわず。若し観察して知ることを得んと欲わば、 ︵ お ︶ 一 一 つ に は 聞 見 な り 。 二つの因縁 善 男 子 、 と、もし如来の心相を観察して覚知しようと欲うなら、眼見と聞見の二つの因縁があると説く。そして、その ﹁見﹂の意味について、親驚は具体的な経文を挙げていく。 親驚における仏性開覚の意味 九

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親驚における仏性開覚の意味

若し如来所有の身業を見たてまつらんは、当に知るべし、是れ即ち如来とするなり。是れを眼見と名づく。若 し如来所有の口業を観ぜん、当に知るべし、是れ即ち如来とするなり。是れを聞見と名づく。若し色貌を見た てまつること、一切衆生の与に等しき者無けん。当に知るべし、是れ即ち如来とするなり。是れを眼見と名づ く。若し音声微妙最勝なるを聞かん、衆生所有の音声には同じからじ。当に知るべし、是れ即ち如来とするな り。是れを聞見と名づく。若し如来所作の神通を見たてまつらんに、衆生の為とやせん、利養の為とやせん。 若し衆生の為にして利養の為にあらず、当に知るべし。是れ即ち如来とするなり。是れを眼見と名づく。若し 如来を観ずるに、他心智を以て衆生を観そなわす時、利養の為に説き、衆生の為に説かん。若し衆生の為にし て利養の為にせざらん、当に知るべし、是れ即ち知来とするなり。是れを聞見と名づく。略出 つまり、﹃浬繋経﹄で説く眼見聞見の両者の意味は、次の三つに整理される。第一に身業と口業とは如来に基づ く三業。第二に色貌と音声とは如来に基づく六境。第一一一に神通と他心智とは如来に基づく六神通の側面である。こ れら何れも、眼見と聞見において如来の心相を観察できるとされるが、前段の﹁心に信を生じなければ、それは聞 見とは名づかない﹂といった経文を考慮するなら、特に後者で説く如来所有の口業、微妙最勝なる音声を聞見する といった教示は看過できない。すなわち、ここでの教証は衆生にとって聞という中に信の意味を改めて見直す所で あり、且っそこに親鷲の見仏性が﹁間即信﹂﹁信叩聞﹂といった柑依相待なる思想背景を踏まえていることが窺え る。そのことは、別な言い方をすれば、﹁大無量寿経﹄で説く﹁聞其名号、信心歓喜﹂の説一不を示唆していると一言 h ト ー で つ 。 それ故、親鷲は﹁真仏土巻﹂の最後の結釈で、 惑染の衆生、此にして性を見ることあたわず、煩悩に覆わるるが故に。経には﹁我、ト住の菩薩、少分仏性を ︵ お ︶ 見 る と 説 く ﹂ と 一 − 一 一 口 え り 。 故 に 知 り ぬ 、 安 楽 仏 国 に 到 れ ば 、 即 ち 必 ず 仏 性 を 顕 す 、 本 願 力 の 回 向 に 由 る が 故 に 。

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︵ 括 弧 筆 者 ︶ つまり、親鷲は裟婆世界︵此土︶において見性の成仏をすることは不可能であると考える。何故なら、﹃浬繋経﹄ の経丈で説くような十住の菩薩でさえ、行修した所で少分の仏性しか見られないからである。ちなみに、ここで示 す見性とは、眼見において証果を得ょうとする歩みに他ならない。よって、親鷲は安楽園︵彼土︶に往生すれば、 必ず仏性を顕現する︵成仏する︶と言う。そして、その根本には、絶えず阿弥陀仏の本願力︵光明無量・寿命無 量︶が働いていると明かすのである。

六、まとめと今後の展望

以上、親鷲における仏性の意味を幾っか挙げてきた。親鷲にとって仏性の意味とは、﹃浬繋経﹄の教証から尋ね る限り、大変多くの意味内容を持っている。小論では、大浬葉、常楽我浄、見仏性と意味を取り上げたが、それら 全ては何れも仏性に集約される内容である。﹁浬繋経﹄では、ブッダの大浬繋を明かすことによって、衆生の虚妄 なる常見と断見を問い質していく。また、そうした背景にはブツダの遺教である三法印を見直すため、常楽我浄説 を全面に出す意図があったと言えよう。そして、﹁浬般市経﹂では、それら大浬般市、我など全てを如来蔵・仏性であ る と 顕 示 し て い く の で あ る 。 親鷲はそうした仏性の教一不を素直に受け容れていく。しかし、親鷲は自らを菩薩道や﹃浬繋経﹄を信解し、読諦 し、受持する行者として捉えていない。むしろ、阿弥陀仏の光寿無量を間見することにおいて仏性を開覚していく。 つ ま り 、 親 驚 は 、 そうした光明︵智慧︶と寿命︵慈悲︶ の両者には、絶えず悉有仏性があると理解していたのでは な い か 。 親驚における仏性開覚の音

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