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真宗研究11号全

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真宗連合撃曾研究紀要

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聖 徳 太 子 御 影 仏 光 止 寸 木 山 政

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悌光寺本山蔵聖徳太子御影

口 絵 解 説 絹本採色の、タテ一米一二二、ヨコ四一棚、孝養太子真向の立像である。髪はニ筋に分け耳より袖のところまで 長く垂らし、耳のところで紐で結んであり、右手に勿、左手に柄香炉、お装束は赤砲で、鳳恩の丸い地紋らし く、袴は白地無紋の表袴大口である。お袈裟は横被、右肩からかけてある。様は鼠色地円形の文、甲は赤地蓮花 唐草、袈裟は横被とちがい、橡濃茶色地単なる唐草文で、甲は糞掃衣らしく糸目が見えている。後日貯があって木 履をはいている。侍臣は右上より小野大臣妹子、曾我大臣馬子、左上より百済博土笠母、聖明玉太子阿佐の四人、 賛 文 は 右 上 に ﹁ 聖 徳 太 子 御 廟 記 文 、 堀 出 一 銅 画 其 室 銘 口 ﹂ 左 上 ﹁ 五 日 為 利 生 、 出 彼 衡 山 、 ︵ 乃 至 ﹀ 終 顕 仏 法 之 威 徳 ﹂ 下 の 賛 文 は ﹁ 大 慈 大 悲 本 者 一 願 、 欺 容 ω 衆生如一子﹂以下終主であったらしく推定される。しかし何時頃か破損して、 修理のときに泊をおいて、破れた部分をかくしてある。上の賛文と比較すると、下の賛文は文字少しちいさくな ってあり、後世の追記でないかと、子細に見るが、筆勢など上の賛文とおなじようである。宮崎博士のいわれる の は 、 初 期 真 宗 に お け る 太 子 画 像 と し て は 、 こ の 種 の も の が 最 も 多 く 、 前 橋 妙 安 寺 ・ 茨 木 県 東 弘 寺 ・ 岡 崎 願 照 寺 ・ 大 垣 浄 源 寺 な ど 同 一 本 あ り 、 侍 臣 は 四 人 ま た は 六 人 で 、 六 人 の も の が 最 も 多 い 、 四 人 の 場 合 は 妹 子 ・ 馬 子 ・ 学 寄 と 恵 慈 で あ り 、 六 人 の 場 合 は 、 こ れ に 日 羅 と 阿 佐 ︵ 稀 に 大 兄 王 に 替 え ︶ の 一 一 人 を 加 え て い る 。 い ま こ の 画 像 は 四 人 で 、 阿 佐 が侍しているのは珍しい。いま一つは賛文のことである。上部二枚の色紙形に廟窟旧閣を引いてあるのは、常机の ことであるが、下部に﹁大悲大悲﹂の交をのせていることも、この画像の特色といえよう。︵佐々木篤祐︶

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選択思想の形成と展開

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正定緊の自覚内容::::−

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・ ・ 山

向而召川 よ リ シ n R I 不 二 麿 ︵ 、、.., 信 明︵一 O ︶ 猷 麿︵一九︶ 去 同 す v十 l a 良︵一三︶ 道 ︵ コ 一 九 ︶

円︵四九︶ 山 勝 海 ︵ 五 九 ︶

日召 海︵六九︶ 賢︵七九︶

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蓮如筆蹟の年代別研究・

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・ ・ 古

−各種真蹟書写本を中心として|

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・ ・ 寺

教行信証開版に関する二、三の問題に就いて:::::::::佐々木

浄土教における信の性格・

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・ 信

中国浄土教における善知識・

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かくし念仏と通過儀礼・

b、 Iヨ 楽 彦︵八七︶ 裏︵一 O Q ︶

己︵一完︶ l唆 麿 ︵ 一 二 一 ︶ ζ h 主主 秀︵三九︶ 重 ︵ 二 ニ 九 ︶

〆’‘、 王玉

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遅 麿

信文類の終り近くで阿闇世王の獲信の一出来事が本願の正機のこととして記されている。それを記せる浬繋経引用 後、次の如き御白釈がある。﹁是を以て、今大聖の真説に拠るに難化の三機難治の三病は、大悲の弘誓を恐み利他の信海 に帰すれば、斯を衿哀して治す。斯を憐聞して療したまふ付。輸へば醍醐の妙薬の一切の病を療するが如し。濁世の オ ホ キ ニ ア ハ レ ム ア ハ レ ミ 庶類、職悪の群生、金剛不壊の真心を求念す応し。本一服醍醐の妙薬を執持す可きなりりと知る応し o ﹂ と あ る ︵

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︶ 。 ﹁斯を科哀して治す。斯を憐潤して療したたまふ。﹂付という直接法と﹁求念す応し。:・執持す可きなり。﹂口とい う命令法とで一文は構成されている c 表現の上では、衆生の﹁溶む﹂ ﹁ 帰 す る ﹂ ︵件との関連において言われている︶という行為が﹁衿哀して治す﹂ ﹁憐欄して療したまふ﹂という如来に因る救済のはたらきの前提条件になっている如くである。が、聖人の思想全体か ら見たとき、救済は唯一に弥陀の本願力に因れるものであって、衆生の行為が救済の前提条件になっているというこ 信 仰 と 道 徳 性

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信 仰 と 道 徳 性 と は な い 。 ﹁ 斡 哀 し て 治 す ﹂ ﹁憐潤して療したまふ﹂と直接法で表現されている。しかし同時に、救済は﹁愚む﹂ ﹁帰する﹂という衆生の行為と離れてあるものでない。 ﹁ 求 念 す 応 し ﹂ ﹁執持す可きなり﹂と命令法で言わなければ ならぬところがある。そこにはある意味で理想主義的な態度がある。題でいう道徳性はここをさしている。 道徳性は現実否定面に成立する。現在ある秩序を否定してより高い秩序を求め、これに向って、これを実現すベく 前進していくという実践的行為に於て成立している。 ﹁すベし﹂という当為がその本質である。理想主義への傾向を 含 ん で い る 。 宗教の立場はしかしながらそれ以上である。そこには理想主義的というだけでなく、実在論的といわるべきところ が あ る 。 ﹁本願力廻向﹂という場合そこには実在的なるものがある。表現の形式は命令法よりも直接法が適切であ る 。 信文類の初めに﹁肝浄厭械の妙術﹂という句と﹁極速円融の白道﹂或は﹁真如一実の信海﹂︵九六頁︶という句があ る。前者を理想主義的ということができると思う。現在︵過去←現在そして未来﹀なる拍慨を厭い否定して未来なる浄 を肝う、それに向って前進していくことでなければならぬ。これは道徳性と一枚である。 一方、後者には実在論的と いわるべきところがある。信仰はこの二つをその内実とするものとして成立している。 書簡には念仏者の生活のすがたを示している文章が多く含まれている。次のはその一つである。 ﹁仏の御名︵認祝︶をもきき念仏をまふして、ひさしくなりておはしまさんひとぐは後世︵諮問︶のあしきこと をいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしもさふらふべしとこそおぼえさふらへ − ﹁ 末 燈 紗 二

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J ﹂戸一一七頁﹂ ﹁念仏をまふして、ひさしくなる﹂とは、念仏が生活に即している。或は、生活が念仏に即したものになっていると

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いうことである。念仏が生活のこととなっている。念仏が生活を規定し導いている。身心的全体のことがらとなって い る 。 ﹁ひさしくなる﹂は、常に念仏に薫育されているということでなければならぬ。 その念仏は、後世のあしきことをいとひずでんとすることをその内容としている。 ﹁しるし﹂とは身体性にまで具 体化している精神性の謂である。念仏するということとあしきことをいとふということと別であってはならない。こ こには否定性がある。道徳性が生かされている。何らかの意味で悪を廃し善を修めるという前進的なものがなけれ、は ならぬ。その意味で、そこには理想主義的なところがある。 こ の 念 仏 は 、 同 時 に 次 の 如 く に き 一 口 わ れ て い る 。 ﹁ 弥 陀 の 本 願 は 行 に あ ら ず 善 に あ ら ず 、 た 父 仏 名 を も つ な り 。 ﹂ ︵ 卦 唯 一 一 百以︶と。念仏なる大行は﹁真如一実の功徳宝海﹂︵唯一括︶であり、信は﹁真如一実の信海﹂と領解されている。全体が 真如一実である。真如は海の深さと広さをもって衆生を摂取している。他のものが介在するすきがない。それは単な る 道 徳 性 以 上 で あ る 。 宗教的生は、この二つをその内実としている。 一つのみで成立しているものではない。 否定面はどのようになっているか。先に引用した文章には、 ﹁濁世の庶類、積悪の群生﹂とするのがそれである。 環境的にも個別的にも、空間面に於ても時間面に於ても濁悪であるという存存把握がこの言葉に表現されている。そ こでは空間面︵末法の世︶と時間面︵常没台流転の身︶とが現今の我が身のこととして受けとめられている。 わ ざ 主体性、即ち、業を自らが為して自らがその結果を受ける、他の者がこれに代ることはできないという立場を離れ て、濁世、積悪ということは語られ得ない。そして、個の罪潟積悪の根深さが濁世・常没常流転ということで表現さ 信 仰 と 道 徳 性

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信 仰 と 道 徳 性 四 れている。それは、個が普遍に解消されてしまう立場とも、或いは普遍から抽象された個の立場とも根本的に異なっ ている。例えば、末法の世という時、それはそこに生きる︵自らが生きるということでなければならぬ︶個の邪悪性 の根深さの表現として主体的に受けとめられねばならない。無仏の世とは私が仏を離れてあるということと別ではな ぃ。無仏の世ということがかえって仏に近づこうとしない私の現存在の邪悪性︵一生造悪・宏有出離之縁︶を表現し ている。それはどこまでも個のことがらである。しかも同時に、単なる個の立場を越えて、個が根本的に実在的に規 定されているというところがある。 しかし、以上のことだけでは潟世の庶類、職悪の群生という表現︵それは自覚ということであろう︶は未だ出てこ ない。事実と事実を表現するということとの間には何かがなければならない。濁世の庶類、積悪の群生︵それはどこ までも現在の我身のことである﹀をどこか己に過ぎ去ったものと見なしうるところが聞かれていなければかかる表現 はでてこない。我が身は現に濁世の庶類、稿悪の群生として、過去・現在・未来に亘ってそこから出離することはで きない。しかしそれにもかかわらず、そういう者全体を旧きものと受けとることのできる世界が聞かれていなければ ならない。超絶の世界が聞かれていない限り﹁濁世の庶類・積悪の群生﹂という表現はでてこない。 この超絶は﹁斯を衿哀して治す、斯を悦慨して療したまふ﹂という如来の願行によって成就される。願は如より来 生せる如来の衆生への音信である。衆生はこれによって者提に出到せしめられる。土日信がととけられた姿、が信であ る o 聖人はこれを現生のこととして領解しておられる。獲信の時﹁即の時に大乗正定民かダに入る o ﹂ ︵ 唯 一 以 瑚 頁 ︶ と い わ ヘ 信 文 類 J 、 、 。 ﹁ 同 上 九 六 J o 主 れ、﹁遇、浄信を獲ば是心顛倒せず是心虚偽ならず。﹂︵九七頁︶としわれてしる信は道と一亦されている﹁頁参照﹂道

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が仏願力に縁れるものという面で不顛倒といわれ、そこを旅する行人が如実であるという面で不虚偽といわれる。信 を獲るということは、如来選択の願心自り発起していると同時に、善知識との出会い︵それは深く漸慨によって媒介 されている﹀に従る。かくて信は、この身が仏願力によって実在的に規定されていることの自覚である。﹁極速円融の白 道・真如一実の信海﹂といわれるものである。だから﹁即の時に大乗正定燕の数に入る﹂。﹁斯の人︵信獲得の人﹀は即 ち 凡 数 の 摂 に 非 ず ﹂ ︵ 臥 拙 虻 ﹂ 川 崎 詳 一 一 粧 削 ︶ 。 こ の と こ ろ か ら ﹁ 濁 世 の 庶 類 ・ 積 悪 の 群 生 ﹂ と 呼 び か け ら れ て い る 。 しかし、この﹁大乗正定衆の数に入る﹂時なる現生は、同時に濁世の庶類、積悪の群生の現生である。この者は従 冥入冥であり、過去、現在、未来に亘って無明、渇愛的に行為して出離の期が関されている。どこまでいっても濁世 の庶類であり、積悪の群生である。それへの徹底がそれの超克であるということはそこでは起らない。濁世の庶類、 積悪の群生は、単に自律的にということだけで自己を律することのできない深淵から実在的に成り立ってきているも の で あ る か ら 。 そこからの離脱は、他力なる本願力に縁って成就される。如来の願は、如より来生せるものの庶類、群生との深い かかわりに於て発願されたものである。本願の﹁本﹂は実存的に受けとれば根源を意味している。根源の願いであ る 。 又 、 根 源 に 願 が あ る 。 濁世の庶類、積悪の群生と、大乗正定燕とは各々その深淵的深みから成り立ってきている。前者は伊蘭樹に、後者 は栴檀樹に愉えられる。両者は根に於て別である。両者とも各々樹である。全体存在である。伊蘭樹は伊蘭樹である 限り栴檀樹ではあり得ない。 一 部 伊 蘭 樹 、 一部栴檀樹というのではない。伊蘭樹はその根からすっかり伊蘭樹であ り、栴僅樹はその根からすっかり栴檀樹である。先の二つについても同様である。獲信は伊蘭子から栴檀樹の生ずる に愉えられている︵時限期一︶。そして信は﹁無線の信﹂といわれる。伊蘭樹と栴檀樹との非連続性を表現している。 信 仰 と 道 徳 性 五

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信 仰 と 道 徳 性 ノ 、 信の行者は、如来の本願力の摂取の内に己に居るものとして実在的に仏に縁っている。その限り新しい存在であ る。この摂取は、深淵的深みから成り立ってきている濁世の庶類楠悪の群生がその正機である。信は全く新しい生で ある。その信が濁世の庶類、積悪の群生に於て成就せしめられる。仏に縁って実在的に規定されていることの自覚で ある信の働く場は、渇世の庶類、積悪の群生である。 いう道徳性をその内実としてくる。 信はこのようにして成立しているから、如来の本願に縁って実在的に規定されているという自覚が﹁析浄厭積﹂と 注 ﹁厭ふ﹂という理想主義的な態度を内に含んでいる。 ﹁ 折 ふ ﹂ ﹁ 求 念 す 応 し : ・ 執 持 す 可 き な り 。 ﹂ で な け れ ば な ら ぬ 。 注 ここで理想主義的といっても感覚界と可想界との区別の上に成立している所謂

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と直に一つだと いうのではない。感覚界は主我的衝動的欲求的個我の立場であり、可想界は普遍的理性的人格の世界である。そし て具体的人間は、可想界の一員であると同時に感覚界の一員である。自由の理念︵

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によって可 想界の一員であると同時に感性の衝動︵﹀旦ユ各号円∞百

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によって感覚界の一員である。両者は、本体界 と現象界、理性と感性との関係にある。そして、目的︵ N 名

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と手段︵冨503として一つの秩序にもたらさる べきである。可想界を本体界として実践理性的に他を秩序づけようとするところに

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の特徴を認めるこ と が で き る 。 今問題としている折浄厭械の場合、そこには所謂

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と直に一つではないがしかし理想主義的といわる べ き と こ ろ が あ る 。

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根に於て別なる二つが一つになっているところに成立している信は、実在的に仏に縁っていると同時に、灯・厭と いう道徳性を内に摂めている。 信文類所引の阿出世王の一物語は信が﹁析浄厭械の妙術﹂なることを如実に示している。王が六師から安らぎを得る ことができなかったという事実を味わわねばならない。六師は賢者智者であったにちがいない。理知と理知に基づい た意志との練磨によって或る境地を切り開いていた人々に相違ない。 では何故に王は六師から安らぎを得ることができなかったであろうか。王の苦悶は﹁我が父事無きに僚に逆害を加 す﹂というところにあった。自己の行為が自己の存在を揺がすものとして自己の身に返ってきている。自己の恕いが 破られ、自己の全体が揺り動かされている。そこには深い折浄厭楠がある。それは単なる心理的なものでは決してな ぃ。それは又単なる反省というものでもない。普通所謂反省を成立させているもとともいわるべきものであるう。そ こに私達は、道徳的良心、道徳性の働いていることを知る。六師の立場ではこのような道徳性はぬけてしまってい る 。 そ の よ う な 六 師 に よ っ て 如 何 に 理 由 づ け ら れ よ う と も 、 良 心 の 痛 み ︵ ﹁ 心 悔 熱 す る が 故 に 偏 体 に 濯 を 生 ず 。 ﹂ ︵ 一 五 四 頁 ︶ といわれている﹀は少しも癒されない。王の告白は、阿闘世王という存在そのものの坤きとも言わるべき性質のもの ざわ であった。それは、時間的にも空間的にも大きなる関連の内で行われた業の責任を、どこまでも自らが為したものと して受けとめていくという主体的態度を離れてはあり得ない。自らが受けていかねばならぬ。がそこにとどまること はできない。好浄厭械とはこのような人間存在そのものが結晶し来ったものである。 信 仰 と 道 徳 性 七

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信 仰 と 道 徳 性 八一 如来の本願は、このような﹁析・厭﹂を機縁として衆生にとどけられる。如来の願は一時に成就されたものではな ぃ。それが願の特質である。私達は法蔵菩薩の思惟と修行の物語を実存的に領解しなければならない。析浄厭識は法 蔵菩薩の願行を現生に映しているものといえないであろうか。

先に引用した書簡でも﹁仏の御名をもきき念仏をまふす﹂ということと﹁後世のあしきことをいとふ:::この身の あしきことばいといすてんとおもふ﹂とが相即すべき旨が示されている。この相即を﹁この身﹂で実践することが念 仏者の生活でなければならぬ。この相即には次の二つのことがらが意味されている。

両者は別々な二つであって、それが念仏︵信心﹀の生活を形成しているというのではない。﹁あしきことをいと ふ﹂は﹁念仏まふす﹂から等流している。前者が後者と別なところから生起してきて、後者を﹁プラス

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﹂という仕 方で補うというのではない。 ﹁あしきことをいとふしるし﹂とは﹁念仏をまふす﹂ことが﹁この身﹂に於て具体化さ れている姿といえよう。 ﹁念仏まふす﹂は﹁あしきことをいとふ﹂を内に生かしている。従って今の場合、 ﹁ あ し き ことをいとふ﹂は、所謂道徳主義的に宗教を制限しているのではない。 伺同時に、 両者は直に一つではない。 念仏は、行者が仏願力に全領されていることである。大行なる念仏は﹁真如一由夫の功徳宝海﹂といわれ、信は﹁真 如一実の信海﹂といわれている。 ﹁念仏まふす﹂は、如来の願海に帰入せしめられることである。淵源的である。 一方、﹁あしきことをいとふ﹂は淵源的であるよりも前進的でなければならぬ。善・悪に関して澄んだ智と努力がな ければならぬ。悪を否定し、善に向って進むという理想主義的な態度がなければならない。何ら案ずることなくわい

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てくるというものではない。︵浄土なる未来ではそうかもしれぬ。先述の如く根に於て別なる二つが交わっている現生 に於てはそうでない

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書簡には﹁よく/\案ぜさせたまふベく候。﹂等々の言がある。自身の身心的全体を専注して のことでなくてはならない。道徳性はここに成立する。 以上の二つのことが成立して始めて相即といえる。 ﹁ 信 は 諸 根 を し て 浄 明 利 な ら し む ﹂ ︵ 唱 寸 一 醐 頁 ︶ o 諸根は此岸的なものと係わる働きを為す。現実世界に対する明澄 な洞察を信は開く。信は淵源的に如来の願海に帰入し、同時に前進的に現実世界との交わりに出て理想主義的に働 く。入出は相即していなければならない。信の立場は直に証の立場ではない。証を未来︵浄土︶に望む。信はその証 を現在︵この現在は、同時に濁世の庶類、積悪の群生の現在である︶に於て信証している。信の時なる現在は、過去 ー現在︵そして未来﹀という生死罪濁の時と、未来|現在ハ﹁いま、わが衆等、度脱をうることを蒙る所以は、みな仏 の、前世に道を求めたまいし時、謙苦されしが致すところなり。﹂︵駄議 ι寸 唯 一 立 問 ︶ と い う 仏 の 行 業 に 裏 付 け ら れ て い る﹀という信証の時とが交わっているところに成立する。そのようにして成立している信は、仏願力に縁ると同時に ﹁ 折 ふ ﹂ ﹁ 厭 ふ ﹂ を 内 に お さ め て い る 。 ﹁濁世の庶類、積悪の群生、金剛不壊の真心を求念す応し。本願醍醍の妙薬を 執持す可きなりと知る応し。﹂と言わねばならない。 ︵ 文 中 の 頁 数 は 当 該 書 所 収 の ﹁ 親 鷲 聖 人 全 集 ﹂ の も の で あ る 。 ︶ 信 仰 と 道 徳 性 九

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﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究

八番問答の研究

西

木 辺

は じ め に 八番問答は浄土論に世親菩薩が普共諸衆生往生安楽園と言える事に就て、 その共に往生せんとする衆生とは如何な る衆生なりやの義を審かにし、阿弥陀仏の本願の所被の根機を定めてその法の為の機を顕したもので此問答を通し、 鷺師と宗祖の間に如何に世親菩薩の意が生かされてあるかと云う事を明らかにするのが此研究の目的であり、香月院 深励師は﹁今家の祖師聖人は古来から申す如く総依七祖別依曇印刷馬、別して驚師によりて宗読を建立し給う、土へ故広 文類の中に論・論註を引き給う事前後対八ケ所也、論註上下二巻を大方は広文類に引いてあり云々﹂︵一伸一一判明日﹁︶ と言っている事を考える時、宗祖の思想及ひ教学に於ける鷺師の果した意義は極めて重且大である。 往生論註上下各巻尾に問答を設けられてあるが之は古来より論註全体に通ずる要関なりといわれている其理由は、 救われる機の面と救う法の面が明確に顕されているからに他ならぬ、先ず下巻に一万されている一つの問答は他利利他 の深義を弘宜し、能被の法は本願他力に依る事を明かしており之はやがて宗祖の上に来たっては他力教義の基盤とな

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ったのである、之に就ては既に論攻した所である︵鯨一誠究︶、次に上巻末尾の八番問答は極悪の劣機が所被の機であ る事を明瞭に顕示されていることによって知られるのである。 並日共諸衆生の号一口が此問答を発起せしめたのであって第十七・十八願の成就文を引き終って一切外凡夫といい、続い て観経下下品に拠って下口問凡夫といわれたのは即ち論主のみならず註主をも含めた所共の衆生の姿をいったものであ − − 王 ヘ リ ト ユ シ テ ノ ヲ ズ ヲ ニ ク ると思われる。然るに宗祖は信巻末に﹁大経言ニ唯除五逆誹誘正法及活聖人一観経明二五逆往生一不説二詩法一浬摂経説三 ヲ ト ノ ガ セ ン テ ク Z ク 難治機与一一病一斯等真教云何思量耶報道口論註日云々﹂と論ぜられ、大経観経及び浬般市経の三経に就て難化の三械を挙げ て自問自答せられてある中に、論註八番問答の第二問答から終り迄克明に引用されてあるが何故第一同容を省略され テ ニ ヲ ノ ニ ノ ク コ ハ テ 一 ア ト モ テ ト ト ヲ たのであろうか、存師は六要︵一三七頁︶に﹁就 v 同 一 一 念 仏 所 被 之 機 一 答 中 意 云 大 経 説 云 − 一 諸 有 衆 生 一 而 除 一 一 五 逆 誹 訪 正 法 一 見立一九品之機つや人五逆−

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ざ 法 J 故述

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ハ余第一信仏因縁一皆伝子祖意を演釈された、是山恵覚師︵併話 計一詳︶及び神子上恵龍博士によれば﹁蓋し其第一を略するのは彼は大観二経を引いて論主所共の機を示し、二経の 相 違 を 会 釈 せ ず 従 っ て 今 の ﹁ 大 経 号 一 口

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中略真教云何思量耶云々﹂と一云う自問に応じない云々﹂︵糊一

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ほ 瑚 ︶ と 論 じ ら れている。惟うに五逆誘法の難化の機の救済論理を宗祖は此八番問答に討ね得られるからこそ別序迄設けてある信巻 に夫を引用されたものである。之等に依り論註上巻尾の問答全体が所被の機の顕出を以て目的としている事が凡そ知 「 ら 上 れ 下 る の か 巻 ら 尾 に 従 別 つ の で 問 下 答 巻 を の 設 問 く 答 る と 事 相 対 自 し ら て 是 助 れ け 此 ら 典 れ の る 体 機 例 と で 助 下 け l主 る 法@法 の@を 極

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し を て 顕 い し る 今 他 は な 機@ら の@ぬ 至。と 愚

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思 を わ 顕 れ す る 彼 法 あ り て 海 岸 記 に 而して能く此機を摂し、此機ありて而して能く彼法を受く、彼此相侍りて方に他力の機法をみるなり、 云々﹂という 之である。然り今家枢要の論題たる﹁機法一体﹂は其源を討ねると此論註上下両巻尾の問答に端を発していると考え ら れ よ う 。 ﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究

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﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究

の 機 第一間に﹁天親存薩廻向章中﹂とある事に就て之は此問の前に﹁我作論説帰願見弥陀仏普共諸衆生往生安楽国﹂の 一一舗を挙げ、驚師之を註して﹁比四句是論主廻向門﹂といい論主の廻向章における﹁普共諸衆生徒往生安楽園﹂の言 を発端として、論主所共の衆生は弥陀の本願所被の機である事を顕するのである。 然し衆生といえば凡聖に通ずる名称であり然も長行釈の起観生信章には善男子善女人といい善巧摂化章には斉薩と さえもいわれている、況や論主願生の安楽園は畢寛清浄の大善根界であるし願生の論主は深知口高行十向満位の菩薩と いわれているのであるからとても凡悪の下機と往生を共にするとは見え難い、そこで驚師は下下品を正所被とする深 旨を開顕せん為に廻向章を承け来って発端とせられた。 註主が斯様に見込まれた根拠は論を三経通申と見られたからで即ち三念門の讃嘆門を釈するに﹁依一一舎衛国所説先 一 ス ル ニ ノ ヲ ガ ゾ ス ト ノ ノ ハ 一 シ テ シ テ ノ ヲ ン ス ル ノ 一 一 ス ル ナ リ 量 寿 経 一 仏 解 ニ 阿 弥 陀 如 来 名 号 一 何 故 号 ニ 阿 弥 陀 一 彼 仏 光 明 元 量 照 二 十 方 国 一 元 v ニ 障 碍 一 是 故 号 一 両 弥 陀 一 ﹂ と 小 経 を 引 き 、 ν J J ヘ ル ガ ノ ハ ナ リ ﹁ 如 − 一 観 宏 量 寿 経 言 一 阿 弥 陀 如 来 身 光 六 十 万 億 那 由 他 恒 河 沙 由 旬 ﹂ と あ る 之 で あ る 。 身業功徳の所に 然れば驚師は論を三経に準拠して造られたものと見られている、然り其三経の駄を名号と見られた、従って所釈の 論が三経通申なれぽ能釈の註も当然三経に依らねばならぬ道理である、故に所被の機類は観経下下品に説かれている 処に拠らねばならぬ、即ち法の真実を一不すに大経を以てし機の真実を顕すに観経を以てされたと見る事が出来る。此 論の普共諸衆生とある事が観経下下品の悪機也とする理由は論の終りの一備に願見弥陀仏立日諸衆生とある。此願見と は宗祖に従えぽ信心を示す言で阿弥陀仏より信心を戴く事である故願見弥陀仏と普共諸衆生とは同じ心である。従っ て砂尊我一、いとあるでいは下機に被る他力廻向の信で下下口問の機と共ずる一心という事になる。即ち高僧和讃に﹁論

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主の一心ととけるをば曇驚大師のみことには煩悩成就のわれらが他力の信とのべたもう﹂といわれたのが此意であ ヲQ

V テ ノ ノ ラ ア マ ホ ク ス ノ ヲ 一 証 巻 大 尾 の ﹁ 論 主 宜 ニ 布 広 大 元 碍 一 心 一 普 偏 開 一 一 化 雑 染 棋 忍 群 溺 一 ﹂ と い い ﹁ 釈 迦 の 教 法 お ほ け れ ど 天 親 菩 薩 は ね ん ご ろに煩悩成就のわれらに弥陀の弘誓をすすめしむ﹂と讃述せられるものは蓋し此釈意より侭り給たものと是山恵覚師 はいっている。因みに深諦院慧雲師は往生論註服宗記巻三に﹁共之一字享 ν之千金弘願実機於レ是子顕意味深奥勿 ν 為 一 一 汎爾こと云つである事、我意である。

五念門より窺う

位親の五念門の意義と驚師の五念門の解釈との聞に如何なる相違が見られるであろうか、若し此五念門行が観察を 中心とした深智高行の菩薩所修の為とした時、普共諸衆生往生安楽園という事は画餅に等しくなる、然し論の当面で は一往高位の菩薩の所行と考える事に就ての矛盾は感じられない、由来論に於ける菩薩の実践法は五念門行である。 蓋し現生菩提を希う丈夫志幹の堅心の菩薩の為の論・論註ではなくて上は侍弱怯劣の軟心の菩薩から下は下下品の 悪機に至る迄の者を放済する弥陀の本願の所期の衆生を論主は掬取して並日共諸衆生といわれたのであって、夫を註主 ズ レ パ ン ト ユ ゾ テ は龍樹所説の信方便易行道の意をこころとして論註巻頭に基十住論を引抄し亦﹁但以一一信 v 因 縁 一 願 ν ニ 浄 土 一 乗 ニ 仏 ニ チ ル ヲ ノ J ニ 願力一便得三往−一生彼清浄土一﹂と信仏因縁を挙げて自力観を止揚し阿弥陀仏を増上縁とする仏力他力に拠る事を示し、 凡夫の往生に相応しい道のある事を知られた処に論註の新展開がなされたのである。もっとも龍祖の場合は行体に就 ての難易二道判であるが驚師は之を行縁に重きを置いての判釈を伝承しているのであり、之が究極的には自力他力の 教判となって展開したのである。 ﹃ 論 詮 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究

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﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究 四 大原性実博士は五念門に就て﹁之が菩薩の行法として存在価値があるのみであったら願生浄土と現証菩提との聞に 如何程の運庭があろう、龍樹は丈夫志幹の堅心の菩薩の前の難行に対して停弱怯劣の軟心の菩薩の為に信方便易行道 を提示せられたということは全く意味のない事になるではないか、龍樹の浄土法門の見解を参照にしながら中観学派 の曇鷺は稔伽学派の雄世親の浄土論を読破されたものと思う、其際に鋭く註主の脳担に映じたものは利行満足章の ﹃ 菩 薩 如 v 修 二 五 門 行 一 白 利 利 他 速 得 v ニ 就 阿 お 多 羅 三 窺 三 菩 提 一 ﹂ の 一 句 で あ る 云 々 ﹂ ︵ 顛 耕 一 鶴 一 時 諮 問 昨 一 一 誠 ︶ と 述 べ、亦神子上博士は﹁論註に於て浄土論では余り明瞭でなかった略讃の称名をかくも明瞭に提示した意図は、五念門 行が余りにも難かし過ぎて凡夫の往生行としては全く適切ではないので凡夫の住生行として称名を選んだものであ る、此事は八番問答釈や更には東本釈二ニ願的証・自力他力の例示等の釈相に照して明瞭である﹂︵盟堅一 4 一 城 一 日 ︶ と 述 べている等注目したい。 次に亦神子上博士は﹁註は論の註釈書であるから其当面は五念往生を記述してある故第十八願の十念に会釈する 時、此十念は五念門を該摂するものと見ねばならぬ、爾し八番問答や氷上燃火の釈相に照しみれば此十念は十声の称 名ともとれる、故に少くとも十念には五念門と称名との両面を具する事が知られる両面があるが、註の主流的記述は あ く 迄 も 五 念 門 に 在 り と 一 五 わ ね ば な ら ぬ ﹂ ︵ 一 昨 堅 一 羽 一 一 銭 ︶ と 論 じ て あ る 、 然 れ 共 論 で は 善 男 善 女 が 五 念 門 を 修 し て 阿 持 菩提に至る万行成仏の相になってはいるが、宗祖は之を如来よりの廻行の行と見られたのは註に依って知られたので ある、即ち註を通して他力義を掬取されたのである。 願伯大意・起観生信より見る時観見願生が出されている、観は安楽世界を観ずる事であり見は阿弥陀仏を見奉る事 であり、願生彼国は一心であるが観察体相・浄入願心より見れば所観の体相である三厳は実相であり広門即実相の妙 境界になっている、ここに達するには作願・観察と止観相順して柔軟心を成ずる、之を自利とし善巧摂化以下は廻向

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にして利他行であり此自利と利他行を大菩提心とする、善巧摂化章註下︿二十七丁︶に﹁如 v是菩薩者摩他昆婆舎那広 略修行成一一就柔軟心こと自利満足の相を明し続いて﹁如 v 成 二 就 巧 方 便 廻 向 − 如 ν 者 如 − 一 前 後 広 略 皆 実 相 一 也 以 三 知 ニ 実 相 一 故 則 知 二 三 界 衆 生 虚 妄 相 一 也 知 一 一 衆 生 虚 妄 一 則 生 ニ 真 実 慈 悲 一 也 ﹂ と は 其 利 他 方 便 を 明 し た も の で あ る 、 然 り 而 し て 離 菩提障・順菩提門・名義摂対・願事成就を経て利行満足章に果を出すものは果を以て因を顕したものである、従って 上位の五念門は即ち施設の道である事が知られる。然らば下品の五念門は何れより来るかといえば正しく八番問答か ら見られるのである、蓋し論主所共の機は下品であるからである。夫は相含三念門の中にある讃嘆門を釈するに二不 知三不信を出し建言我一心で結んである、これ下品と共ずる一心であるから菩薩の行ではなく九夫可能の五念門行で ある事が知られるのである。

回、問答の大意

第一は総明であり第二以下は別明である、此中第二以下の四問答は逆詩除取を明し、第六以下の三問答は十念往生 を 述 べ て い る 。 第一を総明とするのは論主所共の衆生は特に下下品の劣機である事を概説するにあるからである。第二以下の別釈 というのは第六以下の三問答に能被の法を出してあるが、彰す所は下下口聞の劣機が救われる事を示すのであるから、 第二以下の四問答と共に第一の総明を更に重重解釈するのに外ならない。蓋し別釈に重重七番の問答を施し遂に第一 問答における下下品の劣機が論主と共に安楽園に往生するという別途不共の意義を了解し得ぬから、 かかる細密の問 答により解明されたものである。 然り其大糸を見るに第一問答は大経本願成就文と観経下下品の文を引証して極善最上の法の在る所以は極悪最下の ﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究 五

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﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究 ム ノ 、 機を正所被として往生を得る事を釈顕されてある。 第二は大経には唯除五逆誹訪正法とて劣機を除き観経には之を摂してある、ここに於て二経相違の疑点を解く必要 の為五逆が誘法と倶なると否とによる事を説明した。即ち大経会座列衆は皆聖者で逆訪未造者であり、観経は阿闇世 等五逆巳造者相手と云う対告衆に就ても考慮しなければなるまい。 第三は二経相違の理由を明かにしたが誘法は往生不可能な理を明瞭にする為訪法は極重罪なる事、願生の理なき故 を明かにする、但し之は屡らくの抑止であり註下︵十八丁︶に誘法も亦往生する事を明している。 第四は何故訪法罪が重いのか未だ相状が解らぬ、そこで詩法は仏法僧の三宝を元視する妄断であり之に自己独自の 見解と他の勧めによる二つの詩法のある事を明す、蓋し五逆は人として最悪の罪で詩法は仏法に対する重罪だ。 第五は既に詩法の様相は知られたが逆罪より重罪の理由が解らぬ、そこで誘本逆末なる故語法罪を最重と決すので ある。普賢大円博士は︵間足時︶逆罪の極重なのは思田と福田に逆らう故で恩田とは過去より現在に到る迄自己を育 成せられた恩境であり、福田は現在より将来に亘って白己を向上せしめる功徳を与えられる対境であるといってい る 。 尚 神 子 上 博 士 は ︵ 醐 一

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椛ゆ詩法、が逆罪より重い所以は具体的事実としては詩法は多く五逆の根拠となり五逆は 詩法を内有するからで、亦五逆は元反省な情意に工って起されるが誘法は反省的な知識によって生ずるからである、 即ち詩法の者は自己に於ても一個の思想を有し而も其思想を固執しているから之に反省を与へる事は殆ど不可能であ る。然るに五逆は正法によって反省せしめる事は可能で如上の理由により誘法は五逆の根底となり且重い所以だとい わ れ る 。 以上五番の問答によって一住所被の機の分斉を知る事が出来たが、 かかる下下口聞の劣機が往生出来るのは純ら極善 最上の仏願他力の妙用でなければ不可能という所迄其能被の法の最勝に対照しなければ劣機の程度が知られない、今

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夫を徹底して知らしめんが為に能被の法令一挙げねばならぬ、之が即ち六以下の三問答である、従って後の三個の問答 は能被の法を挙げてはあるが目的とする処は亦極悪の下機を顕すに他ならぬ、従って結局は第五番迄の重重の問答と 共に総て機を顕すを主眼としていると見るのが妥当であろう。 第六は業道経の重きもの先ず索くの道理からいえば応堕悪道の章一邦人が苦逼失念の中にあった僅僅十念の念仏によ り往生すると説く観経の意が解されない、そこで罪業と十念との軽章一比校の為に一一一在の標準を示し十念は逆罪よりも 更に重い論理を顕すのである o 存 師 は ﹁ 第 六 章 一 中 ザ 在 心 ず 即 是 約 一 、

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在 縁 ず 此 士 約 一 境 後 在 決 治 志 帆 仙 一 昨 也 ﹂ ︵

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頁 ︶ と 三 在 を 釈 す 、 神子上博士は ﹁曇管が他力義を主張するに至った大きな原因は観経の悪人往生説を受容した事にある と思われる、即ち観経下下品には五逆の悪人が称名念仏によって往生した事を述べてある。此観経の悪人往生説を取 上げて上巻終りに八番問答を設けて五逆の悪人が往生する可能性に就て三在釈を設けて説明している、 其中で特に重 要なのは在縁釈に示す元量功徳の名号である﹂︵閉鉱山ヨヨ琳︶と三在釈の重要性を説いている、 真宗教学上にも極めて主要な釈義が此三在釈である。尚観経には称南元阿弥陀仏とあるにもかかわらず註主は此答の 中に夫を和帝

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と挙げている o 之に就ての藤原凌雪教授の説︵拍

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ヨ 世 間 研 ︶ に 見 る べ き も の が あ る 。 ひとり論註のみならず 第七は十念の念に就ての釈であるが文に百一の生滅を不取として次に観想と称名とを出してある。即ち 念 阿 弥 陀 仏 若 摺 相 若 別 相 一 随 一 一 所 観 縁 一 心 元 二 他 想 一 十 念 相 続 名 為 二 十 念 一 但 称 一 一 名 号 一 亦 復 如 ν ﹂ と 、 イ フ コ コ ロ ハ ﹁ 但 言 憶 一 一 ここに摺相・別相と あるのを往生要集︵中本一丁︶観察門に別相・摺相・雑略の三観中仏身の相好各別を観ずるを摺相観とし総じて相好を 観ずるを抱相観としている。然して所観の縁に随うとあるから若は総相に若は別相に観想ずる事一周するを一念とし 此念が元間に積んで十遍に至るを十念とする。然り但称一一名号一亦復如 ν是とあるから其如く六字を称する事も同じく 十一過に至るを称名の十念として上の観想の念に例して一市されたものである。即ち十念の如何なるものなりやを明かに ﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究 一 七

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﹃ 論 註 ﹄ 八 番 問 答 の 研 究 一 八 し た も の で あ る 。 第 八 は 之 は 称 名 の 心 念 に 就 て 十 念 の 記 数 を 難 ず る に 対 し 経 言 二 十 念 一 者 明 二 業 事 成 弁 二 身 不 四 必 須 三 知 ニ 頭 数 一 也 と 、 如 来 が十念と説いたのは業事成弁する事を顕したものである、往生の願行、が成就し弁立する事を十は満数なる故之に寄せ て業成を顕したものである。強ち頭数を知る必要なしとする夫は摂取衆生の願力を領受して之を口称する、 口 称 す る 以上一多はあるが一多はありながら常に混ぜられて非一多となり、唯願力によって業事成弁する義を示されたのであ ト ト 一 フ ヲ ノ ハ ニ フ コ コ ロ ハ テ ス ル ニ エ モ ル ス ノ ヲ る 。 存 師 の ﹁ 第 八 問 意 詩 ニ 其 観 称 互 可 一 v レ 妨 答 意 己 云 ニ 業 事 成 弁 一 言 於 ν v称而不 v ν ニ 其 頭 数 一 欺 不 縁 等 者 不 v 伝 −

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授 一 又 又 一 筆 点 一 先 徳 嘆 一 乙 孔 不 い が 一 民 但 ノ 共 涯 分 推 知 官 解 開 発 宜 一 依 一 人 根 也 一 子 ﹂ ︵

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ゆ 頁 ︶ の 心 を 汲 む べ き と 思 う 。

お わ り に 大原博士の﹁曇驚の行は五念門行であり之を世親に承けつつ然も観念中心の五念門を展開して、讃嘆門を重視し其 称名を五念門の中枢とせられた事が知られる、上巻終り八番問答中の六・七・八の問答は要するに其五念門観を乃至 十念の論と寄せて観念と称名を互角に説きつつ、其実意とする所は称名行の優位にある事を顕されたものである﹂ ︵顕一岳協一帥︶と、亦論註両巻を通しての藤原教授の﹁第一義空の原理を基盤とし一面には神仙的思想を排除し啓蒙し つつ︿為楽願生の否定等も此目的に契うであろう︶仏教本来の目的に誘導すると共に、他面には世殺の浄土論を龍樹 糸の空思想を以て消化して、印度二大思潮の融合統一を試み更に夫を甚しく易行化した所に曇驚の偉大な功績があ る 一 ︵ 一 日

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ヨ ヨ

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の所論を拝借して結ひとしたい。

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士 同 ノ

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親驚聖人の和讃を拝読した目で余人の和讃に接する時、そこに格調の大きな相違が存することに気付いて驚くので ある。この相違は一体どこから来ているのであろうか。 ﹁文は人なり﹂と云うが、和讃の作者は概ね高僧がたであっ て、人格の面からこれほどの差を生ずるとは考えにくい。明らかに、その調子に相違があるのである。 ところが調子というものはなか/\掴まえにくいものである。小野清一郎氏の文中に、 ︵聖人の和讃は﹀純粋に芸術作品としてこれを見る文学者、文学史を講ずる学者などからは、しばしぼきびしい批 判をうけている。それは余りにも宗教的な理義を語っている。ことにその和讃は硬い。和讃でありながら漢語をそ のまま並べて句とした生硬なところさえある、というのである

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親 鷺 の 和 讃 と 偶 煩 ﹂ し ん ら ん 全 集

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﹀ とあるが、世の中には聖人の和讃を、生硬な、程度の低い作と見なす、審美眼の衰弱したあわれな文学者もいるもの であるらしい。まして、その格調の高さ、低さが何に由来するものであるかを探ることは、甚だ困難な課題である。 和 讃 の 声 調 九

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和 讃 の 声 調

今は、その手がかりの一つとして、﹁声調﹂をとり上げるのであるが、﹁声調﹂は晋書にも﹁因索 v 弾 v 、 両 為 ニ 広 陵散二声調絶倫﹂とあるように、元来は古代の音楽用語であった。これを文学面にとり入れて、 やかましく論じ出 したのは、恐らく斎藤茂吉が最初であろう。しかしその茂吉も、 声調のことは単に言語の音楽的要素ばかりを以ては論ずることは出来ない。即ち音韻とか韻律とかの調査のみを以 て 万 葉 の 歌 の 声 調 を 解 明 す る こ と は 出 来 な い 。 ︿ ﹁ 万 葉 短 歌 声 調 論 ﹂ ︶ と言っているのであって、 いささか厄介な概念である。茂吉の考えによれば、 句単位つまり短歌では五音︵第一句﹀七音︵第二句﹀五音︵第三句﹀七音︿第四句﹀七音︵結句﹀が各の単位を形 成し、是等の五つの単位が統合されて短歌一首としての独立した声調の単位を形成するハ上掲書﹀ と云うことになる。ところで親驚聖人は、和讃に四句一章の形式を採用し、自らもこれを一首と数えられた。これは 聖人の和讃の大きな特色であって、武石彰夫氏はこれを短和讃と名づけ、古来のものを長和讃と名づけて対比された ︵ ﹁ 時 衆 和 讃 の 形 成 と 展 開 ﹂ 仏 教 文 学 研 究 同 ︶ が 、 あ た か も 長 歌 に 対 す る 短 歌 の ご と き 趣 を 呈 し て い る 。 そこで右の茂吉の説を適用して考えてみると、七音︵第一句の上﹀ −五音ハ第一句の下︶七音︵第二句の上︶ 五 音 ︵ 第 二 句 の 下 ﹀ − 七 音 ︵ 第 三 句 の 上 ﹀ − 五 音 ︵ 第 三 句 の 下 ︶ − 七 音 ︵ 第 四 句 の 上 ﹀ −五音︵第四句の下﹀の各句単 位が統合されて、聖人の和讃の声調を形成している、ということになる。 聖人が四句二早形式を採用されたことは、 おのずから声調の面にも大きな影響を及ぼすこととなった。長和讃の、 冗漫に流れる傾向がなくなり、気息の切迫をもたらしたと言える。簡明で、力強い一首を生むのに、この形式は大き な 役 割 を 果 し て い る 。 また、聖人の和讃の特色として、典拠のあることが挙げられているが、これが声調の上に与えている影響も見逃す

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こ と が 出 来 な い 。 ﹁ あ ら ゆ る 経 論 釈 に わ た っ て 、 ひ ろ く 資 料 が も と め ら れ て ﹂ ︵ 生 桑 完 明 氏 ﹁ 親 驚 聖 人 全 集 ﹂ 和 讃 篇 解 説 ︶ 、 その文意が一首に凝縮されている結果、 一首が大きな広がりを持つに至っている。 そのような点にも注意しながら、以下に実際について見て行くこととしたい。 先ず余人の作を挙げよう。 裟婆の界の西の方 十万億の国すぎて 浄土はありつ極楽界 仏はいます阿弥陀尊 七重行樹かげ清く 八功徳水池すみて 苦空無我の波唱へ 常楽我浄の風吹きて 天の音楽雲にうつ 黄金の沙地にしきて ︵ 中 略 ︶ 帰命頂礼釈迦尊 五渇悪世の能化の主 大悲我等を捨ずして 三途の苦しみぬき給ふ 帰命頂礼弥陀尊 極楽界会の能化の主 たとひ罪業重くとも 引摂かならず垂給へ 千 観 ﹁ 極 楽 園 弥 陀 和 讃 ﹂ 同じ七五調でありながら、聖人の和讃とは根本的に違う声調がここにはある。最初の四句及び終りの八句の如きは 四句一章形式として味わうことも可能であるが、聖人の声調とは明らかに区別される。聖人の和讃には絶対にない措 和 讃 の 声 調

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和 讃 の 声 調 辞、それは何であろうか。 先ず第一に感ぜられるのは名詞止めである。聖人の和讃は四句の中のどの一句を取っても、その下旬が名詞で終る ことはないと言ってよい。聖人の名詞止めは﹁久遠実成阿弥陀仏﹂の如く一句全体が名詞︵漢語︶である場合か、﹁他 化天の大魔王﹂の如くそれに準ずる場合、 および﹁宮肢のうちに五百歳﹂の如く次の句につ父く場合に限られてい る。殊に第四句が名調止めになることは絶対にない。 次に、聖人には倒置法がない。名詞止めがないことと併せて﹁浄土はありつ極楽界 仏はいます阿弥陀尊﹂といっ た言い方は聖人にはあり得ない。 次に、聖人の一句は、主語と述語が完備してその一句だけで完結性を持っているようなものは稀である。 つまり ﹁ 七 重 行 樹 か げ 清 く 八功徳水池すみて云々﹂の如きはない。聖人のは一句自体では完結せず、次の旬、前の句と相 ま っ て 完 結 す る 。 ﹁清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり﹂ ﹁ 七 宝 の 宝 池 い さ 、 ぎ よ く八功徳水みちみてり﹂などと比較してみれば明らかであろう。 次 に 、 ﹁引摂かならず垂給へ﹂といった﹁給ふ﹂の命令形の使用が聖人にはない。 ︿従って﹁助け給へ﹂などとい う言葉づかいは、勿論聖人からは出て来ない。︶ 同 様 な 場 合 で も 聖 人 は 、 三朝浄土の大師等 哀感摂受したまひて 真実信心すすめしめ 定 取 水 の く ら ゐ に 帰 せ し め よ と 唱 わ れ る 。 摂取不捨の光明は 念ずる所を照すなり

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観音勢至の来迎は 声を尋ねて向ふなり 裟婆界をば厭ふベし 厭はば苦海を渡なむ 安養界を願ふベし 願はぽ浄土に生るベし ︵下略︶ 源 信 ﹁ 来 迎 讃 ﹂ ﹂の和讃にも聖人には稀な措辞がある。 即 ち ﹁ 厭 は ば ﹂ ﹁願はば﹂の如く、接続助詞﹁ば﹂が用言の未然形につく仮定表現が殆ど聖人には見られない。聖 人は﹁観歓賛仰せしむれば﹂ ﹁不退の位に住すれば﹂の如く﹁ば﹂を巳然形に接続させる。現世利益讃の﹁南元阿弥 陀仏を唱ふれば﹂も﹁唱へなば﹂ ︵モシ唱エタナラ︶という仮定条件でなく、 ﹁ 唱 ふ れ ば ﹂ ︵唱エテイルト﹀という 確定条件であることに注意せねばならぬ。﹁真実信心いたりなば おほきに所聞を慶喜せむ﹂ ︵ 讃 阿 弥 陀 仏 出 向 和 讃 第 廿 三 首︶は未然形に接続している例であるが、一二帖和讃中わずかに

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例 に す ぎ ず 、 己然形接続は日例を数える。 身を観ずれば水の泡 消えぬるのちは人もなし いのちを思へば月の影 出で入る息ぞ止まらぬ 人天善処のかたちをば 惜めども皆たもたれず 地獄鬼畜のくるしみは 厭へどもまた受けやすし まなこの前のかたちは めしひて見ゆる色もなし 耳のほとりのことの葉は み み し ひ て 聞 く 声 、 そ な き ︵下略﹀ 一 遍 ﹁ 別 願 讃 ﹂ 和 讃 の 声 調

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和 讃 の 声 調 四 ここにはあざやかな対句表現が見られる。こうした文芸的表現は聖人の意志とは異質のものであった。 聖人の和讃にも対句が見られぬわけではない υ た と え ば 、 元明長夜の燈矩なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ 仏力先窮にましませば 罪障深重もおもからず 仏智元辺にましませば 散乱放逸もすてられず ﹁正像末和讃﹂草稿本 の如きものは見えるが、この対句が文芸的表現を志したものでないことは明白である。従って聖人には意識的な同音 反復や押韻の類も見られない。 衆生本来ほとけなり 水とこほりの如くにて 水をはなれて氷なく 衆生のほかに仏なし 衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ ︵下略﹀ 白 隠 ﹁ 坐 禅 和 讃 ﹂ ここで注意されるのは﹁はかなさよ﹂といった主観の表出である。右に限らず、余人の作にはこの種のものが甚だ 多 い 。 ざっと見ても﹁迎へ給ふぞたのもしや﹂ ︵ 二 十 五 菩 薩 讃 ︶ ・ ﹁ あ は れ せ つ な き 我 等 か な ﹂ ︵ 弥 陀 如 来 讃 ︶ ・ ﹁ 冥 界 入 ら む 悲 し さ よ ﹂ ︵ 向 上 ︶ ・ ﹁ 素 懐 と ぐ る は 有 難 や ﹂ ︵ 同 上 ﹀ ・ ﹁ 思 へ ば 涙 も と ど ま ら ず ﹂ ︵ 法 華 讃 ︶ ・ ﹁ 叶 は ね ば こ そ か な し け れ ﹂

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︵ 別 願 議 ﹀ ・ ﹁ 冥 の 知 見 、 ぞ は づ か し き ﹂ ︵ 向 上 ︶ ・ ﹁ 常 に 聞 く こ そ う れ し け れ ﹂ ︵ 浄 土 門 讃 ︶ ・ ﹁ 身 の 契 り こ そ 悲 し け れ ﹂ ︵ 真 言 安 心 讃 ︶ ・ ﹁ 吾 等 が こ の 身 の は か な さ を 思 ひ 説 く こ そ 悲 し け れ ﹂ ︵ 往 生 讃 ︶ ・ ﹁ 未 来 の 生 処 ぞ 恐 ろ し ゃ ﹂ ︵ 向 上 ︶ ・ ﹁ 愚 痴 の 悲 し さ よ ﹂ ︵ 機 悔 讃 ︶ ・ ﹁ 罪 の 恐 ろ し ゃ ﹂ ︵ 同 上 ︶ ・ ﹁ か か る っ た な き 身 を 持 ち て ﹂ ︵ 末 法 讃 ︶ ・ ﹁ 喜 ば し き か な 今 生 に ﹂ ︿ 空 也 賛 ﹀ ・ ﹁ 捨 て ぬ 慈 悲 こ そ 有 難 き ﹂ ︵ 慈 恵 議 ︶ ・ ﹁ あ は れ っ た な き 汝 等 か な ﹂ ︵ 向 上 ︶ ・ ﹁ 思 ひ や る こ そ 貴 と け れ ﹂ ︵ 行 基 賛﹀と云った次第で、この主観語の氾濫にはいさ与か昨日勿させられる。いずれも既に俗調に堕していると言ってよい。 親驚聖人にはこれがない。聖人はもっと沈潜している。感傷のま与に上っ調子に浮動するのではない。自己の内奥 に徹しているから﹁かなしきかなや﹂と表白しても軽薄にならない。主観語は滅多に使われないが、それだけ喜びゃ なげきが色濃く表出される。 それは、聖人の和讃がいかなる場合にも自己に即して表現されていることの証でもある。余人の作が、と角第三者 的な立場での、詠作であり、従って物語的、説法的であるのに対して、聖人の和讃はあくまで自己に即しており、自己 に徹している。ここに、他に見られない沈潜した雄勤な声調が生ずるのである。 聖人の和讃と他の和讃の声調とを客観的に区別する一つの資料として、各句単位の句末の語を検してみよう。各上 句下旬がどういう語で止められているかを見るのである。 三帖和讃は専修寺蔵の国宝本に依拠し、これと対照させて、時衆の別願讃と源信の来迎和讃をとり上げてみる。 上旬七音とめ字 浄土和讃 高僧和讃 正像末和讃 和 讃 の 声 調 五

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和 讃 の 声 調 名 詞 の を と i土 動 詞 て

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一 口 固 ま 肝 も 名詞 の を 動 詞 ︵以 下 略 ︶ 来迎和讃 68 161 63 59 35 15 13 13 10 8 26 18 17 10 7 名詞 の を と 副 詞 動 詞 十 A m て も ︵ 向 上 ︶ の 名 詞 動 詞 を 別願讃 162 73 49 45 45 23 14 14 7 5 23 15 10 8 7 名 詞 の を l、土 と 動 詞 も ︵ 向 上 ︶ 40 29 19 16 10 7 6 5 → ノ、

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て 副 詞 も 下句五音とめ字 な り て 名 詞 は 白 ば 動 詞 せ よ た な し ぞ す︵サ変︶口 和 讃 の 戸 調 ︵ 以 下 略 ﹀ 浄土和讃 4 3 2 40 39 38 37 28 25 22 20 18 17 v ぞ て ︵ 同 下 ﹀ て は な り 動 詞 け り lま 給 ふ、 7こ り し む 名 詞 4 4 3 高僧和讃 44 43 28 27 23 22 20 17 15 15 15 正像末和讃 Ii なり て

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名 詞

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し 給 ふ し む の り 15 14 14 11 7 7 5 5 5 5 4 二 七

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和 讃 の 声 調 vι )\•口 ふ〉 け り し む 副 詞 ,---;_ し の て 名 詞 動 詞 な り 給 ふ す り は 以 下 略 ︶ 来迎和讃 16 14 11 11 10 9 8 16 12 9 8 6 6 6 5 副 詞 な し す︵サ変︶ロ "'.::>

を ば : て き ︵ 向 上 ︶ l主 な し す 名 詞 な り て 形容詞 別願議 14 14 12 11 10 10 13 9 6 6 5 5 4 4 ず 動 詞 に て む た り ︵ 向 上 ︶

4

3 3 3 3 八

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3 動 調 3 を 3 I王 3 副 詞 3 に て 3 -';. し 3 ど も 3 ︵ 以 下 略 ︶ ︵ 向 上 ︶ 大作の三帖和讃と、長和讃ながらたかん\九十句 J ばかりの両和讃とを比較するのは、時代の相違もあること故、必 ずしも当を得たものでないが、 一応の傾向を見ることはできるであろう。 三帖和讃の上句に於いて名詞止めが圧倒的に多くなっているのは、実際は﹁一念慶喜する人は﹂﹁却行而退せしめつ つ﹂のように動詞として下につ X くものや、﹁山家の惇教大師は﹂等のごとく句また、がりになっているもの等を含んで い る か ら で あ る 。 これが下旬のとめ字になると名詞はぐっと少なくなって﹁なり﹂と﹁て﹂が優勢になる。然るに来迎和讃では依然 として名詞止めが多いことが知られるであろう。

すでに紙数も尽きたので結論的に総括する。 聖人の声調の特長は、 一首の中の各句が直進的連続的であって、各句間のセジュール︵ mb ︸ 。 号 休止︶が極めて短 い こ と に あ る 。 和 讃 の 声 調 九

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和 讃 の 声 調

余人の和讃では一句づっに完結感があって、句間で相当の聞をおいて読むことができるし、むしろその方が自然で ある。然るに聖人の和讃では、 一 旬 一 句 が 切 れ て い る も の 、 た と え ば 、 信心すなわち一心なり 一心すなわち金剛心 金剛心は菩提心 ﹂の心すなわち他力なり 元明長夜の燈短なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかされ の如きものであっても句聞に長い休止をとることは許されない。息を短く吸い込むほどの問、時間にして半秒ほどの セジュールしか介在していない。これは聖人の気息の充実がもたらしたものである。 聖人は和讃を文芸としては決して製作しなかった。文芸より遥かに高いものを意図していた。従って趣味的な俗調 は全く排除され、前人未踏の絶唱を歌い上げた。 聖人は和讃を﹁やわらげぼめ﹂と註したけれども、﹁やわらげ﹂ることは調子をふにゃふにゃにすることではなかっ た。前掲別願讃の﹁耳のほとりのことの葉は﹂といった﹁やわらげ﹂とは全然別のものを聖人は志していた。﹁ことの は﹂の如き和語を聖人は恐らく用いる気がしなかったであろう。 最後に附け加えておきたいのは太子和讃のことである。聖人には﹁皇太子聖徳奉讃﹂と﹁大日本国栗散王聖徳太子 奉讃﹂の二つの大部な太子和讃があるが、 いずれもその大半、殊に後者は極めて調子の低い作品である。これはとう 考えるべきであろうか。 しかもその中には聖人の他の述作に見られない言葉が散見しているので、太子和讃には余人の作が多量に混入して いるのではないかとの疑いを抱かせるのであるが、これについては又のちの機会を得たい。

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︵仏光寺派︶ 昭和八年四月、仏光寺に現に安置する聖徳太子の木像の胎内から、 一枚の古文書が発見された。それには﹁奉造立 皇太子之像一一勝。彼右尊像者尾張法印湛幸之作也。絵仏子源円法眼。願主釈空性︿花押︶元応弐年正月廿八日開眼 了 源 上 人 と 一 期 記 之 。 釈 円 空 書 之 ︵ 花 押 ︶ ﹂ と 、 一 枚 の 用 紙 に 墨 黒 々 と 認 め で あ っ た 。 早速に文部省に報告されたが、此の一枚の文書によって、此の木像の 作者と年代が明確になったからであろうか、日ならずして之が国宝 に指定されたのである。今この確実な資料を基本として論を進める。

元来仏光寺は光明本尊中心の布教であった。無論光明本尊そのも

(40)

了 源 上 人 と 一 期 記 のは仏光寺独特のアイデアではなく、遠く法然上人の浄土門興行の当時流行した摂取不捨マン、タラからヒントを得た ものと云われるが、現在本山仏光寺を始め仏光寺系の寺院に保存︵地区によっては今以って実用している﹀する光明本尊 と は 、 一幅の軸物の中央に九字の名号を金泥で大書し、左右に小さく六字名号と十字名号とを置き、その余白に聖徳 太子及びその一群の人々、浄土の七高僧及びそれに関連の人々、開山聖人以下真仏、源海、了源、誓海、明光、了源 と、現存するその地区の先達の絵像を画いたものであって、之を目的とする場所へ持ち廻って布教していたのである 。そしてそれの定着した所が自ら寺院になったのであるが、それほど之が如何に当時の人情に投じ真宗初期の発展に 貢献したかは、明誓の堅田日記を見てもその一斑が窺われる。 その頃大谷殿様は至って参詣の諸人曾ておはせず、 然るにしる谷仏光寺名帳絵系図の比にて人民雲霞の如く之に挙 る、耳目を警かす問、法性もまいりでみんとせしに、仏光寺の弟西の坊いはく、之は何方よりの方々ぞと、江川堅 田の者にて候ちと聴聞の望み候とありしかば、さらばとて弁述名体紗を談ぜらる、別しては尊とくこそは思われけ る 。

さ り な が ら こ の 光 明 本 尊 も 、 日々の群参に対して一幅の軸物では到底用を充さないので、之を拡大すると共に、三 幅、五幅に分幅して用を足したことは、 仏光寺に現に保存する聖徳太子及びその一群だけを大きく画いた ︵ 形 式 は 光 明 本 尊 と 全 く 同 じ ﹀ 軸 物 を 見 て も 判 断 さ れ る 。 ︵ 第 十 三 回 真 宗 連 合 同 子 会 に 仏 光 寺 に 於 い て 展 観 ︶ が 、 更 に 之 が 一 大 発 展 を 遂 げ て、大きな殿堂と之に相応する彫刻仏像安置の企てとなることは自然発達として当然な経過と考えられる。 斯く考うる時、元応二年正月二十八日に、当時二十六歳と云う謂わば若輩の了源上人が、後に国宝に指定さるる程

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の立派な聖徳太子の尊像を造立され︵発注がそれより相当以前であることは当然︶その年の八月 勧進沙門空性敬白 コトニ十方檀那ノ助成ヲカウフリテ山城ノ国山科ノホトリニオイテ一宇ノ小堂ヲ建立シテ弥陀如来ナラヒニ聖徳 太子ノ尊容ヲ安置シタテマツリ念仏三昧ヲ勤行シテ有縁無縁ノ幽註ブトブラワントコブ子細ノ状 右弥陀如来ハ浄土ノ導師ナリ衆機ヲ妙蓮華ノウエニ引接ス。聖徳太子ハ和国ノ教主ナリ諸典ヲ豊葦原ノウチニ弘宣 ス。モトモソノ大悲ヲタノムヘシ、 モトモカノ厚徳ヲムグフヘシ。弟子コノ二尊ニ帰シテ、 モ ハ ラ 寸 心 ヲ ヌ キ イ ッ

コレニヨリテ弥陀ノ尊形ニオイテハ有縁ノ古像ヲエテモテコレヲ渇仰シ、太子ノ聖容ニイタリテハ彫刻ノ徴功 ヲイタシテモテコレヲ帰敬ス。シカルニ住持ノ本尊アリトイへトモ、 ウラムラクハ安置ノ精舎ナキコト、 ココニ羅 州ノウチ山科ノホトリ一所ノ立地アリ。 ケタシ無双ノ勝境ナリ。 ︵中略︶洛陽ノウチヨリハシメテ田舎ノホカニイ タ ル マ テ 、 アマネク勧進ヲタレ、 ヒログ来縁ヲムスフ。フシテコウ十方一切、尊卑楢素、門千戸万、男女老少、 オ ノオノソノココロサシヲオナシクシテ、 ワカ願アタスケシメヨ︵下略︶ 元応二年八月勧進沙門空性敬白 と所謂勧進帳を発表されたことは、仏光寺教団が既に陛に十分信用さるる伝統を持ち、之が相当に発展して世の人 々に勧進すれば一大殿堂をも建立し得る成算と自信とが十分にあった証拠と申さねばならぬ。 以上は仏光寺に僅かに遣された確実な資料からでも容易に判断さるることであるが、今これと存覚一期記とを対比 する時、到底その文面通りには頂戴出来ない。

了 源 上 人 と 一 期 記

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