グレアム・グリーンの小説について
著者 宮井 敏
雑誌名 主流
号 15
ページ 27‑32
発行年 1953‑03‑05
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016601
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ンの小説について
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ユーストシ待の近く︑とある酒場で一人の女がジシを飲んでいる︒ケイトは三十一ニ才︑美貌で冷静旦有能︒ストッグホルムに住む国際的な実業家の秘書をして居り︑出血跡通り結婚を望まれている︒
失業ばかりしている︑人好きはナるが殺ぃ︑虚栄心の強い双生児の弟アyトニイを︑北欧の都会へ連れ戻る為に待っているのだ︒
﹁ジ シを もう 一つ
﹂
グラスを廻し乍ら彼女は考える︒家中の閤り老︑定職に付けやノ︑世
界を転々として︑便りと言えばグ辞職したdの電報許り︑ーーその為
に父親の死期を平めたやうな弟︒一寸したイシチキや見え透いた嘘︑
自分以上のものに見せかけようとする昼しい努力︒あの予は一生︑虚栄心の悲しい犠牲で皐るだろう︒
と言って彼女は︑どうして弟から脱し得ょう︒ケイトが凍った苦痛
と言えば︑アγトニイを通じてだけであり︑絶望も︑聡も︑恐怖も︑みんなそうだつた︒後は彼女にとって弟以上のものであり︑同時に叉
成功以外のナべてであった︒しかも姉としての愛情からと一言うよりは︑殆んと自分宮身の分身に対ナる
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な感情から︑ケイトはア敏
γトニイが身近にいない事に絶えタ不満を感じて来たのだった︒!ー
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今度ζそストッグホルムで一緒に暮そう︒ボスである実業家も︑適当な磁を見付けてくれるだろう︒
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イトレスがジロ/\流し尽をくれる薄汚友いレスト一フyゃ︑禿鷹が腐
肉をあさって飛び廻る南阿の植民地の殺風景な警察署︑独軍の
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空襲の夜のロシドン︑或は逃亡者がかくまわれた開拓地の納屋と言った
様念︑一何か腎の蹄を緊付けられる様な不安と焦燥︑気倦い物憂さや︑
空虚な寂莫を感じさせる雰囲気
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は始 まっ て行 く︒ 此の
︑一 九一 二五 年堅 一脅 かれ た﹁ イギ リス が私 を作 った
﹂同 誌句 芯誌
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は︑彼が意識して区別した﹁娯楽物﹂守主主札口520
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﹁此 が戦 場だ
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〜念白ミに続く第三作であり︑その後
の﹁ 権力 と栄 光﹂ 言問
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の傑作と見倣されようが︑こうした言わばあり
ふれた平凡な情景の中で︑目立たない気の小さい凡人達を登場さぜて︑
一品 口々 の住 む街 の横 町に もあ る様 な道 徳的 な惑 を追 求し て行 く点 で︑ こ れ等 の作 品は 構成 上似 通っ てい る︒
アジトニイは︑ヶイトと共にストッグホルムに行き︑実業家の秘書
の様友護衡の様な仕事を与えられる︒通った事もないハロウ・スクー
ルのネグタイを諦めたり︑子供の噴︑兎の皮を剥ぐ時に怪我した限の下の傷をもとに武田男伝を一席やったり︑相変らヂイシチキとホラに終
始するが︑この新しい社会的地位には満足している︒と一言って︑彼が
持っているさ誌やかな良心と︑全く妥協して了ったわけではゑく︑請
わば善悪何れを取るかを決め兼ねた状態にある︒気取りゃ見栄に終始
し乍らも︑意外に古臭い彼の考え方が︑例えばPちゃんとした女の子
はお沼を飲むもんじゃないdとか︑庁いくら出鱈目をやろうと勝手だ
が友達の掠には子を出しちゃ不可ないd
と一 言っ た一 時代 古い 妙友 既
成の道徳を頑固に信Lずる心が︑彼をまっしぐらに悪の世界に突き進んで行くのを止めている︒一方ミシティは︑アジトュイとケイトのボス
である実業家の身辺動静をFポートナる係の新聞記者で︑そん友関係
からアヅトニイと友達になるが︑違う所は︑彼が木当の意味の持て余
され者ではなく︑確にハロウ・スグ1
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男でありアヅトニイに較べてさっぱり風采の上らぬ薄汚たい︑大し
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1プも抜けぬ無能念記者である︒従って彼は孤独であり︑イギリスの生家とも殆んと連絡がなく︑みすぼらしい身念
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Jと安アパートに住んでいる︒生活の慰めと言えば︑後が勝手に作った守
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茶を飲む事位のものである︒故国を遠︿離れて暮す落現の想いや︑体力的なひげ目︑記者としての無能さ ゃ同窓生であり乍らイギリス大使の冷淡な仕打︑そうしたものが彼の劣等感と友って︑役を惨めな気持に追込んでいるのである︒が彼は殆んと完全に善い見である︒敢て自己を主張する事も友く︑他人に対して穫極的に悪意を抱く事もない︒寧ろ悪に対して痛々しいまでの直感
カを 持っ た男 であ る︒
アジトニイは実業家の護衛として持前の小器用主で何とか勤めて行
くが︑一代で豆万の富をなした男に有勝ちな様にその依頼には可成り
いか
2わしい事もある︒遂に︑ストライキ騒ぎでくびになったリーダーの息子が会見を要求した時︑追い帰ぜという命令に逆らって彼は抗
議する︒弱いがしかしはっきりと︑之は紳士としてやるべき事ではないと言う︒実業家は顔色には出さないが立腹し︑加えてケイトのアジ
トニイに対する心遣いを快く思って居ない所から︑信更感情的に喰違
っ て 了 う
︒ 一
正規の教養がなく︑その為に社交にも観劇にも絶え
AYひけ目を感じ
ている弟︑宏壮なピルの中躍に新進の彫刻家に噴水の像を造らせても
その理解に限界がある事を否応なしに覚らされている男︑しかも彼の生涯は冷酷な数字との戦いに終始して来た︒豆大友経済機構を支配し
て︑ 今日 もワ ル
yーからパリからベルリγから株価の一上一下を打電
して 来る ll
Jさうした男に︑身辺に冷たい批判の阪が絶え
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動い てい
る事がどうして我慢出来よう︒実業家にとって︑アシトニイのちっぽ
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︑旦 て彼 が踏 みに じっ て来 た無 数の 人聞 の助 一一 やか な善 意
以下のものでしかなかった︒何故なb︑彼が信やるものは方関係に於
ける 勝利 のみ であ った から
︒ そし て或 晩︑ ァ
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ニイ がス トッ グホ ルム を去 って
︑偽 善と 不一 止に
充ちてはいるが︑あの懐しいロyドγ
へ帰 ろう とし た時 間. スカ
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ナグィア特有の濃一一の中で彼は地上から消されて了う︒ミソテイは他
殺である喜一に気付いて︑実業家にそれとなく匂わせるが︑とうする事も出来ない︒一方実業家とケイトの結婚式は進行し︑ヶイトのグ私達
ば泥棒よ︑あっちとっちで生活を盗んで来ちゃ︑何にも返さないんだ
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とい う言 葉で 終っ てい る︒
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は子供の境︑ライダ1y・ハガードの﹁ソロモγ
王の 宝窟
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の話を読んで︑其処に出て来る人物が︑アフリカ奥地のガイド︑ア一フ
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1タ1メγにしろ︑行方不明の夫を探して藩地の冒険旅行に出
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ιカ1ティスや︑その兄ジョシ旬グ?ぶにしろ︑彼等が余
りに養足で悪意を持たない為に真実と思われやy
︑只 ソロ モ
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宝庫 を
守るカルナア族の魔女ガゴールのみが彼の心止を捉え︑長い間後の夢に
出没して絶望の象徴となったと言うが︑︵同︺khhSHnbNミ
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ζの話は﹁事件の核心﹂にも出て来る︶感受性の強い子供の自に映じたものは︑甘美な未来よりは世の悪であり︑
信仰よりは罪の意識であり︑天国よりは地獄であった︒﹁権力と栄光﹂
の中 で︑ グ
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年の姿は︑その優グリ めているが︑母親が読むジュリアシの殉教の話に反援する少話をすL は逃亡する牧師と信仰厚い家庭の捧話と対照さぜてY
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日を埠かして甘美な信仰の話花開入っている姉妹の傍で︑退屈そうに Yの少年惑の姿であったろう︒少年ルイスは
欠伸 を漆 喰壁 一に 押付 けて かみ 殺し 乍ら 吉一 日う のだ った
︒
﹁何 だっ て終 告は ある サ﹂ と︒
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にとって絶対的念究極の意味に於ける善悪の観念は︑y
﹁王邪が単に社会的な作法の問題であり︑伝統的な提の問題でしかな
いの に対 して
︑倍 々の 哨% が自 ら撰 択し
−一 なけ れば なら ぬ戦 憶す べき 究極 の問 題し であ った
︒併 も一 層重 要な 事は
︑そ の﹁ 詮口
﹂な るも のが
﹁悪
﹂
に比べて如何に消極的であり︑無抵抗なものであるかと言う事であっ
たO﹁善が人間の肉体に具体化されたのは唯一度だけであって︑との
様念事は再び起るまい︒しかし惑は常にそこに故郷を見出す﹂︵同
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と灰色とに見ているしのである︒悪の及び難いカを認める事︑現代の
苦悩の共通底辺を罪の意識に求め︑人聞の犯す罪を﹁地上の生活の共
通の 風土 であ る﹂
︵討 宮町
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︒口
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・お︶と見る事から始まっている︒岸田国土は﹁善魔﹂の中で︑余りに消極的で自分を守る事丈で精一杯な寸善﹂に﹁悪﹂のもっしぶとさ︑たくらみ︑闘志或は積極的念行動性を与えて︑語わば麿性の善を識とうとしたが︑︵創一万
文庫
﹁善 一覧
﹂二 四支
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のない二人の人物アシトニイとミシティによって代表されはしたが︑ の場合その善の力は誠に弱い断甲斐y
脆くも段北に終って了ったわけである︒主題は同じ係列を引いて︑より明らかな悪そのものへと進んで行く︒
﹁権力と栄光﹂がそれである︒一九三
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年境︑メキシコでは.草命につぐ革命で古い制度は破譲され︑カトリッグ教会も国禁となり︑牧師は国外に追放されて了う︒唯一人残された牧師が官憲に追跡されて逃
亡の途中︑様々な事件を軽起し乍ら遂に州境を越えて安全地帯に入る
が一片の宗教的自やむの為に再び密ス国し挙句の果︑捕えられて銃
役される︑と雪った日話であるが︑追われる者のいたミまれない焦燥感
ゃ︑ 足下 から 一一 一っ て来 る敗 北感 が主 調と 友っ て沿 り︑
﹁用 問み はせ ば診
られ︑猟犬と死との鋭いカは刻々に迫って来た﹂︵同
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その昔まだメキシコ地方に平和が続いていた買︑牧師は親しみと
尊敬との怠の詰まる様な雰同盟到の中で︑罪のない女性的な冗談を飛ば
し乍ら自分の世界に安住していた︒人々が払う敬意︑安全な暮し︑陳腐な宗教特有の言葉︑事を楽に運ぶための冗談︑厚かましく他人の服
従を受け入れる率︑そうした物の上に噌あぐらをかいていればよかっ
た︒カソリッグの神父のカラをつけ︑ムグムグ太って︑出目で︑震は
椅麗 に剃 って 可陸 干に パウ ダー をつ け︑ 柔
hr勿体振った横柄な予をして
いた︒役は自分の顔が生れつきの億では道化一の顔であり.女達にとっ
て軽い笑いの種としては丁度一良いだろうが︑聖壇には不向きな事をよく知っていた︒それは卑屈の像であった︒後にとって人生のさL
やか
な宰福は少し許り早く来過ぎた訳だった︒多くのものを恐れ︑貧乏を
罪悪の様に憎んでいた子供の境︑牧師になったら︑金に不自由せナ得
意だ ろう と漠 然と 考え てい た彼 が今 日︑ 抱一 何を して 来た だろ うか
︒五 年
前破局がやって来る語︑彼が牧師としてした事は︑放浄式で説教をしたり︑信徒の組合を組織したり︑格子のはまった窓の中で中年の淑女
達とお茶を飲んだり︑新しい家を香で祝福したりする事だけであった︒
罪悪も︑貧乏も︑そして天国もその噴には暖炉の前で気遣った宿なし
犬の 事程 にも 縁遠 いも ので しか
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今や彼はボロを遠い︑素足同然で駿馬に乗り︑森を︑沼地を︑開拓
地を逃げ廻っていた︒聖壇石Lずら彼は持っていなかった︒それは丁度︑
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臼︶ 品何 回て は彼 の天 職の 象徴 であ った 答だ った
︒い じけ た威 厳の 様な も
のが身についてはいたけれ共︑黒い服と撫で肩とは絡橋を思い出させ僅に生存の端っこに生きているだけだった︒長年の枯葉のように白い
手は永続性の見本の様であった︒何ものも大しで彼を変える事は出来
喝な かっ たろ う︒ 彼の 顔は もは や無 宿者 の顔 であ った
︒教 会に 対す る︑ 弾 圧が 始り
︑牧 師の 或者 は国 外に 亡命 し︑ 或者 は羽 がえ られ て銃 殺さ れ︑
そして或者はホセ神父の様に信仰を捨てEA妻帯して住みついたけれ共
彼は従容一として使徒条令を唱えて獄死するでもなく︑さりとて政府側
と妥協する事もしようとはしなかった︒勿論逃亡する機会は幾らでもあったし︑彼自身も出来れば現在の雰囲気から脱出したかったのだが
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そう さぜ なか った のだ
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勿論︑彼は自分が不良牧師だと言う事をよく知っていた︒世間の人
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自僕下な妙奇の魔悪が分も︑事るいでん呼とえ市山であろう事も知つてはいた︒が運命に対する無抵抗な諦めの様なものが
彼を脱出する事から訪げていた︒逃亡する事自体に︑追われる者の焦燥感に︑疲れて了って自ら進んで警官に捕縛されようとしたり︑人・4
が努を張って待ち構えているアメザカ人の殺人犯の身の上を羨んで︑
迷信的な恐怖から牧師である彼を密告しようとしない村の人タを寧ろ恨んだりする彼ではあるが︑素朴友信仰をム
7 ιなお︑国禁を犯して迄抱
き続ける人々の切友る願を彼はどうしても斥ける事は出来なかったの
である︒一度彼が船でグェラ・グIルスヘ脱れようとした時は︑土民
の子供に危篤の母親を救って呉れと旗まれて︑出削引を前にして︑その
子と母親とを憎み乍らもロバでトボトボ引返して行く︒疲れ果てと芳すぼらしい開拓地の部落に着いた時も︑人々は彼を眠らさ唱ないで五年
間溜った機悔を聞いて呉れと頼み込む︒腹立ち紛れに﹁宜しい︒きあ
始診た︒わしはあんた遠の下僕なんだから﹂と言い乍ら彼は泣くのだった︒そして最後の時も既に州境を越えて安全地帯にスり乍ら︑アメ
リカ人の殺人犯がもたらした﹁後生だから神父さん−
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と書 いた
紙切れの為に︑これが最後だという予感にさいなまれ乍らも一再び引返して行く彼であった︒不良牧師の彼が行う掻悔の聴関や祢撒が何の為
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︒し かも 彼は 儀式 に不 可欠 の聖 一壇 石す ら持 って い喝 なか った
︒
一方︑彼が部落の女に産ませた私生見への父親としての止み難い愛情
が︑よし彼が自らの罪を悔いているにぜよ︑駄目にして了う︒罪の結果を愛する事は罪に対する機悔を無効にナるだけの事であった︒が彼は知っていた︒彼が一つの部落を立表って逃避行を続ける限り︑その部落の人々は確に安全ではあろうけれ共︑少くとも彼が存在する
以上︑人々は彼の見苦しい例に倣わなくても済むだろうし︑信何か或は正確にその逆のものが身近に未だある事を知るだろう︒役は子供達が思い出す事の出来る唯一人の牧師であったし︑彼等が信仰を受取っ
たのも︑もとはといえば彼からであった︒役は知ってhた︑もし彼が永遠に去って了ったら︑海と山とに挟ったこの土地に︑沼地許りの荒れ果てたこの開拓地に︑とんな形にもせよもはや神が存在しなくι
なる
だろう事を︒部溶の人・々が彼を軽蔑しても︑彼に倣って彼等が墜落し
ても︑役の為に彼等いか殺されても︑此処にとwおまる事が或は役に残さ
れた
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役は既に姦淫の罪を犯し︑飲酒の罪を犯していた︒祭日と断食白と
禁欲白とはとうに捨て斗了っていた︒日常の生活は堰の様にひ立割れてそこから忘却が一潟づっ参み込んで︑沢山の戒律ゃ︑堅務日課を拭
い送って了ったが︑栄養の足りたつやの好い顔をした牧師が語る以上
に貧困を知りつ為︑逆の方法にもぜよ信仰を認めていた︑ム7や役の頭
は簡易化された神話で一杯だった︒
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申胃をつけた天使長ミカエルが竜 を殺 し︑
﹁天 使違 は︑ 美し い髪 をな びか せ乍 ら︑ 拝見
︶星 の様 に落 ち
た︒天使達が︑神が人聞に与えようとしたもの︑生と言う︑地上生活
と言う広大な特権を嫉妬したからだったし守−
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︑も憶から一切のののを剥ぎ取って記役触あは活生いなも︑夜一のと人る 本もなく.教育i
たz最も単組な神秘の輪郭のみ置を残した︒天国と地獄との単純な観念 のみが彼の頭の中で動いていた︒
彼の抱いたものは︑余りに地上の愛であり︑余りに素朴友信仰の姿
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田の様念︑素朴な原始の宗教観であったのだ︒ヱリオッ トは 一言 う︑
﹁ボ ード レー ルの 悪魔 主義 は単 に見 栄で 友い 限り
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︑す る企 てで あっ た︒ 一言 葉の 上許 りで なく
精神に於ける組挿ーな演神は︑或函では信仰の産物であり︑完全なグリスチヤジにとってあり得ないのと同じく︑全くの無神論者にもあり得ない事でるる︒それは信仰を肯定する一つのやり方である﹂︵吋・
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オロギーやフェイスを解説する様友作品を書く事によって︑=流の哲当者や神営者に成台下る事をはっきりと拒絶している﹂ハ
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芝えぎえwMyg︶以上︑役はボードレールがした様に︑自分独りでキリスト教を発見し︑それを流行や社会的政治的な理由と見倣さないで︑語わば最初から始めているのである︒決して逆説的な言い方では
なく︑神を身近に感歩る事は︑呂らの原罪感に打のめされる事は精
密で巧綴ではあろうけれ共︑余りに観念的な教会の教義や牧師の説教
には︑それ程震んべ見出されない事では4なかろうか︒そうして究極の
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何であろうか︒界の意識に一定め苛なまれ︑追い詰められようとしてい
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︑些 一細 酬な 行為
が積り積って形造る動かし難い劣等感とに打撲しがれ︑他人からみればとるに足らぬ責任感と義務感との中にあって.完全は望むべくもな
く︑無私に徹する事は思いもよらやy︑止み難い愛欲の念に苦しめられ
乍ら
︑し かも 明日 の目 を制 想望 する 心︑
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も交のそさ全完不の聞人︑たせ合りをす姑閉自い台一ると対に己自な地 それは︑淋しい諦観と︑依1
のに直面した︑最も素朴な形の原罪感ではなかろうか︒T−E
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ムは一言っている︒﹁倫理的価値は人間の欲望や感情に対して︑相対的
なものではなく︑絶対的な客観的なものである﹂と︒そして︑﹁こうした絶対的な価値に照してみる時︑人聞はそれ自身︑木質的に不完全
であり︑限界をもたされている︑と言えよう︒人は時として完全さを
持つ行為を威しとげるかも知れないけれ共︑人間白身が完全になる事は決してない︒社会に於げる人間の日︑常行為に関しての或第二義的な
結果は実に此処から生れる︒つまり人聞は木質的に悪であるL
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1ムが考えた世界観は︑実は何の連絡もない個々別々の現実の世界を︑誤れるカテプリーに依って一応
の統一感を与えて人間に大いなる可能性を認めようと言ふルネッサγス以来のヒューマニズムの生んだ大きなズレを是正すべく︑先づ
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アリティ相互の間に越え難いギャップがある事を認診︑之を幾何や物理
の無機の世界と︑倫盟︑宗教の世界︑及びその聞に横わる心理や歴史の有機の世界とに分ち︑前二者のみが客観的な絶対の価値を有するも
のであり︑有機の世界は混沌と泥揮の地帯であるとみたのであり︑無関同と有機の世界を混同さぜる事は︑一つの生命現象を機械的友転換と
みる様念︑精神と物質との聞に深淵を無視して了う傾向を生み︑惹い
ては︑有機の世界と倫理的絶対価値の世界との境界を混乱させる事となった︑と言うのである︒言い換えれば︑自
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ー 日の世 界と
︑倫 理
的絶対価値の世界の聞に︑人聞の住む
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の世界があり︑各々
の間には越え難い浮かあると言うのであって︑絶対価値の世界は︑
﹁生 命﹂ や﹁ 進歩
﹂等 と言 う言 葉で 言い 表わ され 得べ くも ない 峻厳 な忠 一
確さと永久性のあるものであるとヒュ1
ムは
考え
る︒
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ミphhhhH吉弘︶人簡が自らの不完全さに面と向き合う時︑つまり絶対価値の世界を遥かに望み乍らも深淵の縁に伶んで自己の能力の限界をかみしめてみる時︑始めて倫理的な﹁善﹂と﹁悪﹂との意義を知ると言えよう︒現代の苦悩と言い︑追い詰められた者の焦燥感といい問題は実に此処から出発する︒
﹁数 世紀 に一 旦る 思考 作用 が︑ 我々 をと の様 友不 幸に
︑叉 どの 様な 滅亡
の危機に陥し入れたかを考える時︑人は時として︑出来るならば我々
が何処から出発したかを知り︑どの点から我々が道を間違えたのかを
思い 出し たく なる
﹂
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見事
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同 ロ 可 ︒
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とは別に︑追い詰められた人聞が︑自分の出発点であった答の︑この yの場合.人聞の世界が一つの文学の対象と友り得ると言う事
人聞の世界に一再び立ち戻ってくるという所に根木の方法があるわけであり︑その場合︑彼にとってカトリッグ思想は︑ハよじそれが︑混乱
の際︑信頼に耐え得る強固なドグトリシを持っかに見えるために︑虚
無にも社会改宮中にも走らない場合の︑謂わば必然の結果であるにせよ︶彼の鋭い人間精神探求のための一つの仮説であるとみる事は不可
能であろうか︒問題は人間性に潜む惑であり︑罪の意識であり︑置き
換えれば︑﹁人聞が人間である事の為に感歩るデ4レシマ﹂である以
上︑後の設く神が教会の神と同一である事は必
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「London;Kegan Paul 1909) 10th imp. P. 241
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:P.
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Ibid. (Everymans L.), P. 350
L. Cazamian,「近代英国」〔創j元社),P.182 Adam Bede (Burt), P. 492
Ibid., P. 334 lC"l N UNhN
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~話主将、弐λ.1-'P悩抵抗j長r-'~ヒ〉。C1*n\~J Mill on the Floss, P. 512Ibid., P. 458 fanets Repentance in Scenes of Clerical Lグe,P. 250
Ibid., P. 250 D. Cecil
,。 ρ.
cit., p. 245Janets Reρentance, P. 253 F.H. Mair, Modern English Literature (London; Oxford,
1951) Home Univ. L. P. 193
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Edward Dowden, Studies in Literature 1789‑1877
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