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グレアム・グリーンの『英国が私をつくった』について

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グレアム ・グ リー ンの『

英国が私 をつ くった』について

On England Made Me by Graham Greene

1 ラシャ張 りの ドアを通 して意識 した「生」と 「死

をモチ ーフとして書 き始めたグ リー ンが、 また も や F英国が私 をつ くった 』の中で アン トニー ・フ ァラン トが イギ リスの伝 統か ら脱 出す るこ とに失 敗 した こと-死をテーマ として扱 ったのは、おそ ら く作者 の 「人生 に くり返 し出て くるテーマが あ るか ら」 に違 いない。 マホガニーの書棚 に Fパ ンチ 』の全冊 を揃 え、 シ ェイ クスピア、 ス コ ット、デ ィケンズを読 む ア ン トニーの父は典型的なイギ リス人 である。父 の 信条は 「感情をあ らわ にす るな。純 潔であれ。慎 重 であれ.借金 は払 え.掛けで買 うな

1

1

'・であ った。 そ の父親 を ケイ トは嫌い、 ア ン トニーは、父 の権 威 とイギ リスを離れ、10年間に世界 を半周す るは ど各地 を とび まわ って、職種を次 々と変 えてい く が、彼が足跡 を印 した上海、バ ンコク、 アデ ンに はすべ て英国の影が あった。 彼 が勤め るのはいつ もだれかが彼の行 く前に 英国の片隅をつ くりあげておいた所だ った。東 洋 の売春宿 で さえ英語が通 じた。 クラブもあ り、 ブ リッジの会 もあ り、 ネオ ・ゴシックの英国国 教 の教 会 もあ った(.2' 1935年 に発表 された F英国が私をつ くった 』は、 作 者に よれは、 「私 と同世代 に とって この本に影 を投げかけたイギ リス国内の大恐慌 と、 ヒッ トラ ー の遠頭 とのため に暗雲 のた ちこめた中間期」を 背 景に アン トニーとケイ トの双生 児の姉弟 の近親 相関的感情を主題 として制作 された小説 であ恵三' 中村真一郎氏が言 うように、 この小説 の制作意図 が 「現代 の知識階級 の青年 の良心や教義 と、与 え

岩 崎

Masaya lwasaki

られ た社会 的環星 との問の平離か ら起 る悲劇的 な (4) デカダ ンスを措 こ うとした」 ものであ るとすれば、 それ を解 く鍵は作者 と同世代 のア ン トニーや ミン デ ィーたちが生 きた1930年代 とい う時代 と、30年 代の イギ リス人知識階級 との関係を探 ること.qこある と考 え られ る。 なぜ なら、30年代 とい う 「国童」 を通 して

J.

P.

クル シ ュレス タの言 う 「イギ リス人 であ る登場人物た ちのナ シ ョナル な過去 の もつ善 とエ リック ・ク ローグのイ ンターナシ ョナルな現(5) 在 に ある悪」 との二種 の意識 と風 景を見 る ことが で きるか らであ る。

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見市雅俊氏が イギ リスの

3

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tにつ いて社会経 済史の立場 か ら述べてい る特徴 の うち、 この グ リ ーン論 に関す るもの として次の3つを挙 げ ること がで きる。 (1)経 済状況 としての大不況。 (2) 政 治 としての共産主義 とファシズムの接 頭。 (3) 文 化 としての青春崇拝。 (1)につ いて 見市氏は30年代のイギ リス経 済の時政 につ いて 「やや極端 にいえば19世紀におけ るイギ リス経済 の世界支配 こそ、世界 史の長期的視野 でみれ ばむ しろ異例 な出来事だ ったのでは なかろ うか 」 と述 べた あ と、 「この時代は社会全体の生活 水 準 が* き く向上 した。30年代は失業 と貧困の時代 とい う よ りも、全体的 な豊か さのなか に失業禍 とい う、 いわ ばブラ ック ・ホ ールが あった とみ るべ きであ ろ う」 と規定 してい る。 (2)につ いて 同氏 に よれ は、政治的傾 向の特散 として、30年 - 73

(2)

-代 に提頭 した共産党 とファシス ト勢力の運動は、 その党員数 と影響力の少 なさを考 えると、 「共に ヨー ロッパ大陸 の最新 の F流行 』をと り入れた一 種の社会風俗の域を こえ ることができなか ったの である」。 この風潮に従 って、 グ リー ンはオ ックスフォー ド大学に入 ってか ら、 3、 4ケ月間学内の共産党 に在籍 した。 F自伝

』(

ASoTlofLlfe,1971) に よると、その動機は、 「モスクワとレニングラー ド- 自由に旅行がで き るとい うこじつけた考え方 (7) を して」 いた ことだ とい う。 (3)について マーティ./ ・グ リー ンは第1次大戦後、父親の 権威 とイギ リスの伝統 が持つ 「成熟」、 「責任感」 「大人」 とい う観念 に反 抗 し、その代 りに 自分た ちの若 い男性的 な生活 様式を生みだ した青年のグ ループを 「太陽の子た ち」 と名づけで'そのグルー プをダンディー、 p-グ、 ナイーフに三分・した。三 者の違 いは、ア ドニス、 ナルキ ッソスのギ リシア 神話に基づ くダンデ ィーが服装、態度、会話 など あら(9 る面 で自己愛 を発 揮 し、性的には同性愛を 志向す るのにたいして、 ローダは、やは り責任感 や成熟 とい う大人の価値体系に反逆す るが、残酷、 野卑で異性愛的な傾 向を も

T

o またナイーフは 自 己形成のための価値や モデルを求めて変成の過程 にある存在 として自己 を示すため、伝統的 な 「成 熟」の傾向に服従 して い るように見え るとい う

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ナイーフの例 として M ・グ リーンは

「30年代 のナイーフは共産党に入 り、同志、活動家、党員 になろ うとしているよ うに見えたが、彼 らの大部 分はそ うはならず、 また なった人 も一時的 なもの であった。 とい うのは、 ナイーフとしても一党員 になった ら自己のアイ デ ンテ ィテ ィーを裏切 るこ (13 とになったか らであ る」 と述べている。 「20年代のオ ックス フ ォー ドは勉学 の場所では な く、並 はずれた無秩序 の空想 に耽 る快漢主義 の 09 場 だ った」 ので、ダ ンデ ィーの集 まる 「ヒポク リ ッ ト」 クラブでは ヴィ ク トリア朝 のパーテ ィが行 われ、 ヴィク トリア女王 の衣裳を着て現れ る者 も いた。 また 「レール ウ ェイ」 クラ

3

D

のある少数の: 者は豪著 な列車の旅 を39年 まで続けた とい う。 他方 のケンブ リッジの使徒会の中では20年代か ら30年代の初めにかけ て同性愛 の傾向が強 くなっ 053 た とい う。 グ レアム ・グ リーソについて

M

・グリーンは 「観 念的 には彼は太陽の子た ちの並はずれた態度を回 避 した」が 「つねに彼の傾向には太陽の子た ちの (10 要素があった」 と言 う。父である校長 のいる学校 か らも、校長 である父のいる家庭か らも締め出さ れ、国境に庁む グ リーンの立場が同世代の青年 と 比べ、特異 な精神形成をグ リーソに強 いることに なった と考 え られ a(1.D

3

『英国が私 をつ くった 』は1935年 に刊行 された が、作者は、そのユニフ ォーム ・エデ ィシ ョンの 扉 に、 「この書物 の登場人物 の うち実在 の人物の 性格 を写そ うとしたのは1人 もない」 と書 いてい るように、た とえば、エ リック ・ク ローグをイヴ ァル ・ク リュ-ゲルを ヒン トに して造型 している けれ ども、登場人物 をそれぞれモデルか ら独立 し た虚構の存在 であることを強調 している。 しか し 1970年に発行 された コレクテ ィッ ド・エデ ィシ ョ ンでは、 同 じ但書 の他 に新 し く5官 にわた る序 文 が掲載 され ている。その中で作者は 「ア ン トニ ーの肖像にはたい-ん満足 してい る。長年にわた って彼に密着 して暮 して きた ではないか。彼は私 が よく知 っている人を少 し理 想化 した人物だ。私 は彼 と同 じ体験を沢山持 っていた」 と述べ、 さら に1980年刊行 の自伝 F脱出路

』(

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, 1980)に載せた先 の序文 と同趣 旨の文章の中では、 「彼

(

-アン トニー)は長兄の--/i- トを理想 化 した人物だ」 と書 き替えている。 ここで登場人 物 とモデルの共通点 について考 えてみた い。 アン′トニーについて (1)兎 の皮剥 ぎを していた ときに誤 ってナイフで つけた傷痕が左眼 の下にある。 いつ も良い背広 を1着持 ち、やせ ぎすだが、背が高 くて、肩幅 が広 く、出身校 を偽 って- p-校 のスクール ・ タイをつけている。 (2)一度 も定職につかず、明る く、女性に好かれ る眼差 しを持 ちなが ら、身内か ら借金を重ね る 金銭面でだ らしのない男。 (3) 双生児の姉のケイ トか ら見 ると、弟は、 自分 が これ まで経験 しなか った さまざまな 「死」の

(3)

集合体で あ る苦 痛、恐怖、絶望、汚辱な ど 「成 功 」以外 のすべ てだ った讐 --バ ー トにつ いて (19 --バ ー トは、 チ ャールズ ・グ リー ン とメア リ ア ン ・レイ モ ン ド ・グ リー ン との 問 に生 れた4 男2女 の モ リ一、 - -バ ー ト、 レイ モ ン ド、 グ レア ム、 ヒ ュ-、エ リザベ スの うちの長男 で あ る。 45歳 でバ ー カムステ ッ ド ・ス クールの校長 に任 命 された チ ャールズは、長男 と次男 を 自分 のバ ー カ ムステ ッ ド ・ス クールに入れ ないでモ ールバ ラ校 -送 った。 --パ ー トは卒 業 までそ こに在 籍 した が、 レイモ ン ドは途 中か らバ ーカムステ ッ ド校 に 転 入 し、以後、 グ レア ム とヒュ-ほ初 めか ら父の 学 校 に入学 した。 マイ ケル ・トレイ シーは4人の 兄 弟の性 格 を比べ て、 「--バ ー トが家族 の者か らどち らか といえは愛想づか しの依れみ をか け ら れた失 敗者 だ った のに比べ る と、 グ レア ムは悩め る天才、 ヒュ-は謎、 レイモ ン ドは一 家 の中心 だ った 」と述 べ てい る。 - -バ ー トは家庭 内では厄 介物扱 いを受け ていた よ うで、小 さい頃か ら無作 法 だ った性質がモールバ ラ校 入学 に よ りさ らに悪 化 した とい う。 モ リーは 「子 ど もの頃 どんなに--バ ー トを憎 んだか、 また彼 が幼 い とき子 ど も部 屋 の中で どんなに意 地悪 だ ったか 」を語 り、 ヒュ -は、 「- -バ ー トは信頼 で きない、非知 的 な、 ま った くの落伍者 に思われた 」と言 い、 グ レアム ほ 「もし神 の恩 寵が なか った ら私がそ うな っただ ろ う」と嘆 いた。 しか し、 い とこのバ ーバ ラ ・グ リー ンは、 兄弟た ち とは違 い、かな り好意的 な見 方 を し、次 の よ うに言 う。 振 り返 ってみ る と、彼 の ことは少 しかわ いそ うだ と思わないわ けにいかな い。彼 は頭が よ く な く、 学 校 で も良 い子 で は な か った が 、 他 の兄 弟はみな頭が よか った。 それ に彼 は美男子 だ った はか りにおはか ら甘やか され ていた。 ク リケ ッ トに夢中にな っていた彼 は、た いへ ん優 秀な一 家 の中では ご く平均 的な人物 だ った。 ま た家族 か らいつ も軽蔑 され てい て好かれ ていな か った。 しか し実際 は ときた ま借金 をす る点 を 除け ば、最 も危害 を与えな い人物 だ った。彼 が 女の子か ら甘やか された のはた い- んな美男子 だ ったか らだ と思 ってい る。心 の底 は じつ に単 純 で平 凡な人間だ った のだ。 一 介 の工員か ら身 を起 こ した ス--デ ンの多 国 籍企 業 ク ロー グ社 の創始者であ るエ リック ・ク ロ ー グに とって経営 の理 想 は スエーデ ソの マ ッチ会 社 を世界的な多 国籍企 業 に発展 させた イ ヴ ァル ・ ク リュ-ゲルであ る.,だか ら、 ク。- グは ク ])ユ ー ゲルの よ うに, 「も し会社が失 敗すれ ば蹟曙せ CZO ず 自殺 しよ

」と考 え てい る。 ク ローダにつ い て (1)株 の買入れ の 日付 を さか のぼ らせ るな ど、不 正 な資金操作 と併行 して経理 に さまざ まな隠 蔽 工 作 を施す。 (2) クローダは芸術作 品 には まった く識 見 を持 た な いので、 太社の円形の中庭にあるスエーデ ンで 一 流 の芸術家に遣 らせ た彫像 の出来映 えに不 安 を抱 き、 門衛 には来 客 にた い し、だれ だれ の作 だ とだけ言 うよ うに と命令 を下す。 ¢l) イ ヴァル ・ク リュ-ゲル(lvarKreuger.1880 -1932)につ い て ス エ ーデ ンに生 れ 、 ア メ リカで建 設 業 者 と し て成 功 した後、 祖 国に帰 り、 「スエーデ ン連合 マ ッチ会社 とスエーデ ンマ ッチ会社 とを世 界 的な独 占企 業に発展 させ、43ヶ国で 250工場 を経 営。 ク リュ-ゲル ・トール社 を二分 してその一 方 を大戦 に疲弊 した 国 々を再建す るために巨額 の資 金 を貸 付け るのに当 て、 その見返 りに工業利権 を獲得 」。 しか し経済恐慌 に よる金融業界の破綻のた めにパ I)で 自殺。死後、不 正 な収支決算 の全容 が露 見 し 世界 中の株主 に多大 の損害 を与 えた。

4

13歳の ときにセ ン ト ・ジ ョン寮 の寮生 にな って か ら、31歳の ときこの作品を出版 した後 リベ リア 旅行 の最中に 「生 」-の救いを得 るまで、 ほC滋0年 近 くにわた る昏迷 の歳 月を地獄 と天 国 との二 重意 識 の葛藤 に費や した グ リー ンに とって、 同世代 の ア ン トニーは 自己の意識 を等身大 に小説 化 す るこ とが で きた人物 であ った に違 いない。 なぜ な ら第 1次大戦後の 「太陽 の子た ち 」であ るア ン トニー はイギ リスの伝統 か ら海外-逃避 した もの の、異 国の中の英 国か ら他 の英 国-移 動 しただ け であ り、

-75

(4)

-また グ リー ンもそれ まで ヨー ロッパ文 明の秩序 に 支配 された 土地 を旅行 した に過 ぎなか った点 で両 者 とも伝統 の内側 に いたか らであ る。 グ リー ンは リベ リア-行 くまで 「一 度 もヨー ロッパの外 へ 出 た こ とはなか った。 また イ ング ラン ドの外 へ 出た ¢2) こ ともあ ま りなか った 」と言 ってい る。 - p-校 の同窓会 に アイデ ンテ ィテ ィーを求め るスエ ーデ ン駐在英 国公使 ロナル ド卿、 - ロー校 のス クール ・タイに アイデ ンテ ィテ ィーを見 出す ミソテ ィー とア ン トニー、 この3人 とも英 国のナ シ ョナルな伝統 の世界 とイ ンターナ シ ョナ′レな ク ローグの世界 の両極 を揺れ動 いてい る。 ア ン トニーは転職 のたびに 「辞職 した 」と英 国 の父親-電報 を うち、身 内か ら千 ポ ン ドにな るほ どの借金 を重ね る。 しか し、 弟の欺 隅を意識 の上 に感 じるこ とので きるケ- トに とってその電文 は 「首 にな った 」を示 してい る。 イギ リスの伝統 を 拒否 しなが ら、 自立 で きず、 いつ も英 国の片隅 に しがみつ くア ン トニーは、図書館の古未 を田舎 で 売 り歩 くとか、 ク リスマスの小包を 1ケ 2ペ ンス で発送す る とか、柄 に炭火を入れた新案特許 の傘 を売 る とい う事業 を計 画す るのだが、 いつ も失 敗 に終 る。 暗闇 の中で フ ランシスの恐怖 の対象 を意 諾かこ措 くこ とので きる ピー ター、 この両者 の関係 が ア ン トニー とケイ トの問に も成立す るC.ケ- ト は ア ン トニーの意識 を通 して 「失 敗 」を味わ う。 そ の意味 で ア ン トニーは ケイ トが体験 した こ との な い 「死 」のあ らゆ る位相 の集合体 であ る。 また、 ケイ トはア ン トニーに とって英 国の 「ナ シ ョナル 」と真 の意 味で英 国の影響下にな し、「イ ンターナ シ ョナル 」の両極 を結 ぶ国境 であ り、成 熟 で きな い 「太陽 の子 」に とっての庇 護者 で もあ った 。 ケイ トは弟 よ り30分早 く生れ て きたために、 弟 にはな い信 栢性 とか生活 力 とい うよ うな男性 的な 価値 を備 えていて、 ア ン トニーは括 りな さ とか虚 栄心 とか 向 う見ず で無謀な点か ら生れ る女性 的な 魅 力を持 ってい る。 ケイ トは、夜、 パ ブ リック ・ ス クールを逃 げ 出 した ア ン トニーを探 しに来 て連 れ戻 し、兎 の皮剥 ぎを してい るときナイ フで左 眼 の下 を傷つ けた 弟を寮母宝-見舞いJqこや って来 る。 二 度 と牢獄 に戻 らな い と書 き置 き して、 - T)ユ ニ シダの茂 る共 有地-辿 り着 いた グ リー ンは探 しに 来た姉 のモ リーに見つか って連れ戻 され た のだ。 お まけに、父親 が、 グ レアムか らこの逃 避行 の 原因が セ ン ト ・ジ ョン寮 の生活 の不 潔 さに あ る と 聞か され て、息 子が一 部 の性的 自慰 行為常 習者 の 犠牲 に され てい る と誤解 したため、事情聴取が寮 の居住者 に及ぶ とい う間違 い喜 劇が もちあが る讐 ケイ トが モ リーか ら造型 され たか ど うか は不 明 だが、 グ リー ンは、 ケイ トを 『情事 の終 り』のセ ア ラを除 いて他 のだれ よ りもよ く描 写 で きた こ と に満足 してい gDt述べ て い るo ス クープ専 門 の新 聞記者 として生 活す る ミソテ ィー も- p-校 の タイに 自己の アイ デ ソテ ィーを 見 出 してい る点 でイギ リスの伝統に たい し反逆精 神 を貫 くこ とが で きず に い る。 こ の20年 間故 国 か ら毎月15ポ ン ドの送金 を受け てそれ に よって生 きてい るか らで あ る。 アパ ー トの5階 にあ る ミソテ ィーの部屋 は、 ベ ッ ドの上 の壁 に寮生 の写真が掛 けて あ るわ び しい 住居 であ る。洗 面台 の歯磨 き用 の コ ップの中か ら クモが1匹覗 いてい るが、 ミソテ ィーは コ ップを さか さまに して クモを閉 じこめ て しま う。 そ の コ ップの中で堪 え てい るクモの よ うに彼 は硬 いベ ッ ドに体 を縮 めて横 にな り、英 国 国教会の神 に祈 り を捧げ る。彼 は ス トックホル ムで20年 もクモの よ うに堪 えて きた生活者 だ とい う自覚 を抱 いてい る。 ア ン トニーは ク ロー ダの秘書兼情 婦であ る姉 の 仲介に よ り彼 の用心 棒 と して雇われ る。 後 日、 ク ローグ社 の資金操作 の欺 隅 を知 って、それ を 口実 に ク ローグか ら多額 の資 金 を脅 し取 ろ うと したが、 ク ロー グにた い し中世 の騎士 の よ うに忠実 な部下 のホールに よって湖 の中に溺死 させ られ る。 6歳 の ときに浮 くか ど うか を試 すた めに父か らプ-′レ -放 りこまれ て以来、意 識 下に在 り続 けた恐怖 の 対象であ る溺死 に よって ア ン トニーは死ぬ。 ア ン トニーの死 を引 き起 した直接 の原 因は、 ク ローグの工場 に勤 め る父親 が解雇 された こ とに抗 議 しにア ンデルセ ンが宴会 の ク ロー グの所 -や っ て来た ときに、 ア ン トニーが命 令に反 してア ンデ ルセ ンを クロー グに会わせ よ うとした こ とであ る。 ア ン トニーが雨 に濡れた ア ンデルセ ンに憐 れみ の 情 を示 した のは、20年代 の労働者階 級が置かれた 社 会的状況 を理 性 と して理 解 したか らではな く、 アンデルセ ンの鈍重 さ、誠 実 さ、外 国語 を使 う能

(5)

力 のな さに見 られ る一種 の 「ナ シ ョナル 」に共 感 したか らで あ る。 アン トニーは非 人問的な 「イ ンターナ シ ョナ ル 」 にた い し、批判的な精神 を発揮 しない まま、伝統 の顔廃 の中 に放浪者 として死 を迎 え る。 ミソテ ィー もペ ソを武器 と して 「イ ンターナ シ ョナル 」の不正 を暴 くこ ともな く異 国の英 国に居 住 者 として過す。 弟 の死後, ク ロー グ社 を去 るケ イ トは 、 ミソテ ィーに 「イギ リス-帰 るんですか 」 と言まっれ て 「7 ソ トニーの よ うに移転す るだけで す よ 」と答 える。彼女 もまた、祖国の伝統 と階級か ら追放 され た流浪者 に過 ぎな い。 この よ うに、 グ リー ンは30年代に海外放浪者 とな った 「太 陽 の子 た ち 」の改廃的な群 像 を読者 に提示す る。 「太 陽 の子たち 」が反逆 の対象 とした イギ リス の伝統 の1つ はパ ブ リック ・ス クールであ る。卒 業生 はみ な、 グ レア ム ・グ リー ンの よ うにその不 合 理性 を糾 弾す る態 度 を示 した のではな い。 パ ブ リック ・ス クールが 「社交 的 な組織 として事 実、 ダ ンデ ィズ ムの中心 として愛 情 を こめて検討 され て い る 」傾 向があ る以上 、パ ブ])ック ・ス クール にた いす る知識階級 の態度は ア ンビヴ7 レン トで c:a あ った と言 うことが で きる。

5

共産 党員 としての経歴は後 に グ リー ンの海外 渡 航 に大 きな障害を残す こ とに な った。1952年 2月 17日、 イ ン ドシナか らの帰 りに来 日 した グ リー ン は マ ッカ ラン法に触れ て入国を拒否 されたため、 数時 間を歌 舞伎座見物 と数 人の関係者 との会 見に あてた とい う。平井正穂氏に よる と「我 国の若 い 知 識 人の問 で貴方 の小説 はか な り愛読 され てい る、 とい うと、一種微妙 な反応 を示 しなが ら、"Real_ e(p ly?" とし、った 」とい う。 また氏 は、 当時の模 様 につ いて、 「私はほんのわず かだが彼 と懇談 した が、 問題 は 日本の一 般読者が彼 の小説 の示す罪 の 意識 の問題 を ど う受け とめて い るのか、 とい うこ C71 とだ った 」と書 いて し、る。 この束 の間 の滞在 の後、 グ リー ンは ア メ リカ合 衆 国に向か ったが、 同 じ理 由で入国を拒否 され た ので合衆 国検事総長 に控訴 した。 『なぜ 書 くか 』

(

m lydolum'teP, 1948) の中 で作 家 と社 会 と の関係につ いて不忠実の勧 めを説 いてい るのは、 この ときの ア メ 1)カにた いす る反発 と無 関 係では な い。 6 グ リー ンは1923年初秋、戸棚 の中か ら見つけた 次 兄 レイモ ン ドの所有物 で あ る 6連発 の拳銃 を使 って倦怠感 を破 るために ロシア ン ・ル ー レッ トを 試み る。 しか し麻薬の効能 と同 じよ うに しだ いに その刺激 の強 さが薄れ るの を感 じて、 6回で冒険 を中止す る。 そ して万一 の死 に備 えて、 両親 には 事故 に見せかけ るために詩 を机 の上 に残 して置 き、 6回 目を終了 してか ら真 相 を語 る別 の詩 を作 った。 1925年 出版 の 『お しゃべ りす る四月』(TheBz b-blingApril,1925)の冒頭 の 「セ ンセー シ ョン 」

(

`

Scnsations')は両親宛 て の もの で、末尾 の 「賭 け」(`TheGamble')は後 日の真相 を述べ た もので あ る。 「セ ソセ-シ ョン 」は弾 を銃 に入れ たつ も りにな って死 を試 み る点で、 「片隅 の戸棚 の連発 拳銃」(`TheRevolverintheCornerCupboard') の回想 と微妙に くい違 いを見せている。 しか し「賭 け 」にあ るよ うに、 死 と隣 り合わせにlな る こ とに よって生 を生 きるとし、う逆 説的な感 覚が 、第1作 の 『内な る人』(TheManWithin,1929)か ら今 日 に至 るまでの作品群 に見 られ るさまざ まな テーマ、 生 と死、罪 と救 い、善 と悪 、 「追 う」と 「追われ る 」を貫 いてい る と考 え られ る。 (受理 1988.ll.16 )

(1) Graham Greene,EnghzndMadeMe(1935;

rpt.London:TheBodleyHead, 1970),p.73. (2)Ibl'd.,p.88.

(3) Graham Greene,lVaysof&caPe,(London: TheBodleyHead,1980),p.34.

(4)中村真一郎 F現代文学 入門』(東大出版部t1951), p.170.

(5)J.P.Kulshrestha

,

GrajuzmGreene(Del -hi:TheMacmillanCompanyoHndiaLimit

-ed,1977),p.43.

(6)見市雅俊 「二つのイギ リス」 (河野健二編t Fヨ -

(6)

77-- p ッノi1930年代』岩波雷店,1980),p.187,p.189,

pp.178-179,p.208.

(7) Graham Greene,ASo71ofLljTe,(London: TheBodleyHead,197

1

),p.132.

(8) Martin Green, ChildylenOftheSun (Lon

-don: Constable,1977),p.27.

(9)Ibid., p.27. 8q Ibid., p.33.

W

Zbid., p.35.

8

分 Ibid., pp.35-36.

8

う Zbid., p.200.

8

4 1bid.,pp.201-202.

4

9 橋 口稔訳 Fケンブ リッジのエ リ- トたち 』(晶文 社 .1988),p,87.

8

0

MartinGreen,,ChildrenoftheSun,p.226.

8力 岩崎正也 「グt/アム ・グ リーンの 『自伝』(A

SoTiofLlfe)につ いて」 (長野大学紀要第33号,1987), pp.43-46.

摘 Graham Greene, EnglandMadeMe,p.ll. 09) MichaelTracey,A VariefyofLives

(London:TheBodleyHead,1983), p.9,p.15,

p.16.

g

)) Graham Greene

,

EnglandMadeMe,p.38.

糾 American Corporation,EncyclopediaAmer -icana (New York:AmericanCorporation

,

1964),p.543.

Graham Greene,TVaysofEscaPe, p.46.

Graham Greene. ASortofLlfe,_pp.89190・

少 Graham Greene, TVap of凸caz'e.L, p.37.

Martin Green, Chz'ld71enOftheSun,p.92.

e

6

)

山形和美 「月表におけ るグ レアム ・グ リーン文献」 (日太比較文学会 『比較文学 』第5巻 ),pp.125-126. 的 平井正穂 『イギ リス文学史』(1968;rpt.筑摩 書 房 .1980),p.241.

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