長 野大学 紀要 第14巻 第4号 324-329頁 1993
グ レ ア ム ・ グ リ ー ン の
『ブライトン・ロック』について
On Graham Greene's Brighton Rock
1 「地下室」(`TheBasementRoom',1935)はフ ィ リップ少年が死 に向か うところで終 り、「庭の下」 (`UndertheGarden',1963)はワイルデ ィッチが 死に赴 くところか ら始 まる.フ イ[トノブは生に絶 望 して死 を迎 え、ワイルデ ィッチは死 を通過 して 再生に至 る。両者の運命 を分けたのは 「死」 との 係わ り方 であるとい う点で、スタン リー ・ワイン トラウプを持 ち出せ ば、「グリー ンは、- ミングウ ェイの ように、生 き方 よりは死に方のほ うがず っ と重要だ と感 じているようだJ とい うことができ る。 しか し、この ような生 と死についての グリー ンのオブセ ッシ ョンともいえるテーマ を、別の視 点か ら、つ ま り子 どものイメー ジであるイノセ ン スの変容のテーマ として解釈す ることはできない だ ろ うか 。 人生に怯 えたフィリップは生 との係わ りを棄 て、 その
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年後、ペ インズの姪 と称す る女がだれか と 秘書に尋ねなが ら生涯 を閉 じる。一方、「彼は もう 一度決心 しなお きなければな らない、 と感 じた。 好奇心が まるで癌 のように心の中に拡がっていたj
と 「庭の下」の結末 で示 されたワイルデ ィッチの 意識は、幼年時代 を取 り戻 したか どうかの答 を唆 味に しているものの、作者は主人公に成熟の可能 性 を見 ようとした と考 えることができる。そして 成熟に向か う鍵 は主人公のイノセ ンス と生死 との 関係にあるといえないだろうか。フィリップの死 とワイルデ イツナの再生 を両極 とす ると、その間 に グリー ンの主 人公たちの もつ さまざまなイノセ ンスが現れる。 子 どもの ままでいる大人の感性 をテーマに して 作家的出発 を遂 げたグ リー ンは、子 どものイノセ岩
崎 正
也
Masaya lwasaki
ンスの変容 をとお して人間の悪 を表現 して きた。 「地下室」では執事 のペ イ ンズが邸宅の主宰者で あ り、そのため彼は少年 にたい して子守唄の代 り に、アフ リカの黒人の話 をし、「夢 の 中に出て く る魔女」の ようなペ インズ夫人か ら少年 を救 いだ す。少年が秘密 を洩 らす ことによってペ インズを 無意識に裏切 ったのは、親の役割 をかな ぐり棄て て個 人 となったペ インズの存在 を意識 したか らで ある。つ ま りペ インズの役割 と存在の間に生 じた 嘘が少年 の意識に恐怖 と映 ったのだ。ペ インズは 少年 のイノセ ンスを破壊 したが、少年 の裏切 りに よって主宰者の座か ら堕 ちる。成熟に向か う意思 を放棄 した という点で、フ ィリップは グリー ンラ ン ドの中でイノセンスの原初 的な段階にあ り、す べての主人公たちの原型 といって よいだろ う。 2 幼年 におけ るイノセンスの喪失が、 ときには人 を暴力的な破壊行為へ と駆 りたて る状況 を描 いた 作品が 『拳銃売 ります』(
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や 『ブライ トン ・ロック』(
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である。前者で、レイヴンはマー カス卿に復讐 し たあ と、ア ンのイノセンスに裏切 られ、後者の ピ ンキーはロー ズのイノセ ンスに裏切 られ る. ジョ ン ・ア トキンズが 「『ブライ トン・ロック』 は意図 的にテーマの点で 『拳銃売 ります』の続篇である-
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とい うように、両者はイノセ ンス と裏切 りとい う テーマ を共有す る。けれ ども、レイヴンが 日常の 次元で 「追 う」か ら 「追われ る」存在に転化 した のにたい し、 ピンキーは 日常のhuman`rightand wrong'の次元での 「追 う」か ら非 日常の divine `goodandevil'の次元での 「追われ る」存在へ転 - 24一岩 崎正也 グレアム ・グリーンの 『ブライトン ・ロック』 につ いて 換す る。 この点で ピンキーのイノセ ンスが両 義性 を帯 び るため、テーマ は新 しい展開 を見せ る。 殺 人は レイヴ ンに とってたい したこ とではな か った。ただ初めての仕事 とい うだけだった。 用心 しなければ いけない し、頭 を使 わな くては いけない三 レイヴンは物語の 冒頭 でこの ように他者に憐 れ み を感 じない破壊 的な性格 をもつ人間 として読者 に提示 され る。その感性 を引 き継いだ ピンキー に とって も、「殺 人 とい うこ とばはただ『箱』、『カラ ー』、『ジラフ』 とい うこ とばの もつ響 きで しか な いJ5 と示 されてい るのは、二人 とも子 どもの頃に イノセ ンス を破壊 されたか らである。父が監獄 に 服役 してい る間に生れた レイヴ ィンは、父の処刑 後 、母が 自殺す ると、保護 院に送 られ、「憎悪 に よ って造 られJ6、 ピン キー は子 どもの頃、土曜 ご と に両 親の性交渉 をベ ッ ドの上か ら眺めて きたため に性や女性 にたい し嫌悪 と憎悪 を抱 くようになっ た。 『ブ ライ トン・ロ ック』 の もつ裏切 りのテーマは エ イ ・イーの詩 「種播 き時」(`Germinals')に基づ いてい る。 グ リー ンはエ ッセイ 「失われた幼年 時 代」(`TheLostChildhood',1947)の結末にこの 詩か ら表題の 出典 となる第6節 を引用す る。
Inancientshadowsandtwilights Wherechildhoodhadstrayed, Theworld'sgreatsorrowswereborn
Anditsheroesweremade. InthelostboyhoodofJudas
christwasbetrayed.7 グ リー ンが生涯 にわた り抱いた 「幼年」のオブ セ ッシ ョンは、1935年 の リベ リア行 きの体験 を経 て、 多 くの作 中人物 のなかに再現 されているが 、 グェン
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ボー ドマ ンは 「失 われた幼年 時代 とい う観 念は グ リー ンのア フ リカ旅行 に密接 な関係 を もつ三作 品、つ ま り 「地下室」、『拳銃売 ります』 と 『ブライ トン ・ロ ック』の中で最 も明 らかにな るJ8 とい う。 フ ィ リップは大人の世 界に係 わ りあ ったこ とに恐怖 を覚 えて、いっさいの責任 を放棄 325 す る。後刻 、ペ インズ- の裏切 りの発端 となるこ の心象風景 を第4章 で作者は次の ように描 く。 「キ リス トはユダの失われた幼年時代に裏切 ら れたのだ」。 その幼い未成熟な顔が表情 を失い、 年老 いたデ ィレッタン トのか た くなな利己主義 に陥 るのがわか るだろ うヨ エ イ ・イーか らの引用は、ペ インズに よって破 壊 された少年 のイノセ ンスが裏切 りに結びつ くこ とを物語 のモチー フ として表す。この文章 は『十九 の短篇』(TheNz'neteenstories,1947)、『第三の男 と堕 ちた偶像』(TheThirdManandTheFallen Idol,1950)、ユニフォーム ・エデ ィシ ョンの 『二 十一 の短篇』(Tu)enty-OneSton'es,1954)に収録 されているが、 コレクテ イッ ド ・エデ ィシ ョンの 『コレクテ イッ ド・ス ト- I)イズ』(CollectedSton'es, 1972)ではなぜか省かれてい る。 3 イノセ ンス とい うテーマはその前篇である 『拳 銃売 ります』の中では、キ リス ト降誕 とア ンデル セ ンの 「雪の女王」の二つ のモチー フ として くり 返 され る。 「雪 の女王」のモチー フの一つ 目。殺 人請負人 と して国防大 臣 を射殺 した レイヴンは、第1章 第2 節 でア ンが ロン ドン郊外でバス を降 りてアパー ト に入った とき、その前の通 りを歩いている。「歩い てい る間彼は 『雪の女王』の カイの よ うに体 の中 に冷 た さをもっていたユOと、氷が カイの心 に棲み つ いた悪 を象徴す るこ とと、「彼が胸の 中にある氷 のかけ らか らなんの痛み も感 じなか った1
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こ とが 読者 に伝 え られ る。 レイヴンはアパー トの下 を通 る とき、四階の部屋 でア ンがかけてい るレコー ド か ら聞 こえて くる歌 を記憶 に留め る。 あなたには ただの キュウだけ ど この私 には パ ラダイス。 あなたには ただの青 いペ チュニアだけ ど 私 には - 2 5-326 それがみんなあなたの瞳 長 野大学紀要 第14巻 第 4号 1993 それはいい人が、 グ 1)- ンラン ドか ら持 って きた 雪 の花 だ とい うけれ ど、 で もあた しにはあなたの手の 軽 さ、つめ たさ、 白さなの12 「雪の女王」のイノセ ンスのモチー フは、レコー ドの歌詞 として レイヴンの意識の上に再生 され、 後 日、ア ンが この歌 を口ず さむ ときに、ゲル ダの イノセ ンスはア ンを介 して レイヴンの冷 たさにた い し融解作用 を及ぼす。 二番 目は、第2章 第3節 でア ンが ノ トウィッチ 駅のホームに降 り、 レイヴンに ビュ ッフェ-連 れ こまれ る場面である。 レイヴンはち ょっ と目を離 したす きに、ア ンか ら顔に熱い コー ヒー を浴 びせ られて坤 く。 その痛 み を初めて彼は 自分が射殺 し た国防大 臣、女性秘書や父親が感 じた苦痛 であ る ことを知 る。 この点で肉体 的な苦痛 は レイヴンの 暴力的な精神 の崩壊 を暗示す る。 三番 目としてそのモチー フは同 じ第3節の建売 住宅の場面に受け継がれる。「あなたには/ ただの キュウだけ ど/ この私 には/パ ラダイス」 とア ン が 口ず さむ と、 レイヴンの心 は融解作用 を起 こ し 始め る。「まるでなにか鋭 い冷 たい ものが心の中 で大 きな痛み を伴 って壊れてい くようだ ったユ3と レイヴンは苦痛 を意識 し、泣 きだう㌔建売住宅 は緑 色の ラシャ張 りの ドアに象徴 され る国境 の再現 と 考 えられ る。それ まで憎悪以外になんの感情 も表 さなか った レイヴンの冷酷 さが この住宅 を通過す ることに よって融解 し、苦痛や恐怖へ と変 り始め たか らである。 一方 、キ リス ト降誕のモチー フは まず 第 1章 第
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節で、 ク リスマス用 品におおわれた街 をレイヴ ンが家へ向か って歩 く場面に表 れ る。 「彩 色 した ガラス玉 を下げた桶 に入 ったモ ミの木 と株桶ユ4を レイヴンが見つけて、ル カ伝2
章7
節の 「旅舎 に をる虞 なか りし故 な り」 を反射 的に 口にす る。 キ リス ト降誕 と 「雪の女王」 の両方のモチー フが交 錯す るのが、第3章 第5節のウ イ- ヴ ィル河畔に ある車庫 の場面 である。 河岸 に並 ぶ大 きな家並 の一 軒では車庫の入 口 の ドアが少 し開いたままになっていた。そこは 明 らかに車 を入れ る場所 ではな く、ただ乳母車 や 、子 どもの遊 び道具 、それに二 、三の汚れた 人形や煉瓦 を置 く所だ った。 レイヴンはそこに 避難 した。彼は体 の中まで冷 たか った。 しか し これ までず っ と凍 りついていた-か所 だけは別 で、その氷の短刀は強い痛み を感 じて融けだ し ていた0
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ここで乳母車はキ リス ト降誕の株桶 の再現 であ り、「氷 の短 刀 は強 い痛み を感 じて融けだ してい た」 とい うレイヴンの意識 を とお して の 、「雪の 女王」 に登場す るゲルデ とい う子 どもの イノセ ン スの象徴 で もある。 さらに車庫 も建 売住宅 に続 く 国境 の変型 であ り、国境上 に しば ら く留 まるこ と に よ り、レイヴンの精神は決定 的に融解作用に向 か う。4
子 どものイノセ ンス を表す点 で車庫 の風景は、 『ブ ライ トン・ロック』の車庫の場面 とパ ラレルの 関係 にある。競 馬場 で コ リオこの一 味に襲 われた ピンキーは逃 げる途 中、空 きガレー ジに避難す る。 ガレー ジは車庫 として一度 も使 われたことが なか った。 そこは一種の鉢植小屋 になっていた。 小 さな緑 の新芽が浅い土 を入れた箱の中か ら、 毛 虫の ように這い出 していた。鋤 、錆 びた芝刈 機や狭 い家の中では置場 のないが ら くたや古 い 木馬、手押 し一輪車 として使 われてい る乳母車 、 積み上 げた古 いレコー ド- Fア レクサ ンダー ズ ・ラグ ・タイム ・バ ン ド』、
『パ ック・ア ップ ・ エア ・トラブルズ』、『イフ ・ユー ・ウワ ・ジ ・ オン リー ・ガール』。それ と一 緒に鎧 、不揃 いの 舗装 に優 った残 りの もの 、ガラスの片 目の人形 、 土に汚れた服.
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ピンキーが車庫の風景 を見てその持主 を憎 んだ のは、そこにある新芽 、乳母車 、木馬、人形が彼 に憎悪の対象 である失 われた幼年 時代 を想 いださ せ たか らであ る。土 曜 ごとの両親の性交渉が、子 どものイメー ジや イノセ ンスの シンボル となるあ -26-岩崎正也 グレアム ・グリーンの 『ブライトン・ロック』について らゆ るものにたい し、 ピンキー を軽蔑 と憎悪 の感 情に駆 りたて るこ とになったのだ。マ タイ伝18章 3節の 「まこ とに汝 らに告 ぐ、 もし汝 ら翻 りて幼 児の如 くな らずば、天国に入るを得 じ」に示 され た子 どものイノセンスが、「雪の女王」のゲルデを 経て、『拳銃売 ります』にある車庫の乳母車に現れ、 さらに乳母車は 『ブ ライ トン ・ロック』の車庫に イノセ ンスの象徴 として再生 される。 この車庫 も また国境の変型だが、 レイヴンが残酷 さか ら人間 性の回復-向か うこ とにより、彼が 「国境」 を通 って踏みこんだ領域 は、現実 を超 える非 日常の霊 的な世 界 を予感 させ る。 しか しピンキーは 日常の 世界か ら、レイヴンの霊的な予感 を突 き抜けた神の 次元に入 りこむ。それ を表すのが先の引用に続 く 次の描写 である。 そこで少年 は持主 を憎んだ。その名前 も顔 も わか らないが、持主 を、人形 を、乳母車 を、こ われた木馬 を憎 んだ。苗床か ら移植 された丈の 小 さな宙は無知 と同 じように彼 をい らい らさせ た。彼は渇望 し、弱々 しく、震 えているの を感 じた.苦痛 と恐怖 を知 ったのだ
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ピンキーは手 を切 られた屈辱 を味わいなが ら、 車庫 に辿 り着 く。乳母車は子 どものイメー ジであ るイノセ ンスの象徴 として、少年に失 われた幼年 時代 を想いだ させ るとともに、ガレー ジが神 の子 イエスのイノセ ンスに支配 され る領域 であること も思 い知 らせ る。だか ら少年が怪我の苦痛 をとお して、 自分の無力 さを感 じたことを暗示す る。 こ の意味で レイヴンや ピンキーに とって、苦痛 を意 識す るこ とは永遠 を知 ることに結びつ く。 レイヴ ンが顔に熱いコー ヒー をかけ られた ときに、他者 の苦痛 を知 る とい う認識方法が、ピンキーの肉体 的苦痛 と罪の意識 との関係に持 ち込 まれ る。 この 関係 について、ケネス ・アロッ トとミリアム ・フ ァ リスは、「グ リー ンの カ トリシズムはたいてい 苦痛 と残酷 さの世 界に関連 して示 され、『ブ ライ トン ・ロック』はこの関連 をとくに強調す る。苦 痛 と暴力 を示す激 しさは語 り口を終始 、憎悪 と嫌 悪 とで彩 る」 と述べ 、この技法が 『権力 と栄光』 (ThePou)erandtheGlory,1
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や 『事件の核心』 (TheHeayioftheMatter,1948)に も共通す る作 327 者の意識的な操作だ とい う.
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またボー ドマンは この意 見 を押 し進めて、「神 の慈悲は 『たい-ん奇妙 な種類の もので、 ときに は罰に見える』 ため、ロー ズの現世 の罰- 彼女 の喪失感- はたんに永遠 の救 いの序 曲であるか もしれない。 また、 もちろん堕獄-の序曲で もあ るL9と記すが、神の慈悲が罰の形 をとるとい うセ アラの認識 を、すでに ピンキーが意識 し始めたこ とを作者は車庫の場面で提示す る。 したが ってセ アラの認識に従 えば、ピンキーは無限に続 く苦痛 をとお して、地獄に至 る永遠の時間 と世界に所属 す るといえる。 ピンキーの一連の残虐行為が 「我は唯一 なる悪 魔 を信 ず」 とい う信仰告 白を示す とい う、 ∫.P.
クルシュレスタの指摘 も付 け加 えたい.2
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ァ トキン ズは、主人公たちの性への反応はア ン トニー ・フ アラン トの好色 さか らピンキーの嫌悪 を経て、『情 事の終 り』(TheEndoftheAjfair
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1)では憎 悪に変 ると述べ、ピンキーの性的嫌悪感が グ リー ン自身の意識にあった と断言す る201その点 を追求 して、ノーマ ン ・シェ リーはグ リー ン伝の中で、 グI)- ンが砂浜に寝そべ っている女性家庭教師の 大腿 を見たこ とが性 にたいす るピンキーの嫌悪感 に結びつ き、また、ロー ズの妊娠 を恐れるピンキ ーの感情は、妻のヴィヴ ィアンが第二子 を妊娠 し た ときに抱いた作者の不安 に基づ くとい う2
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ピンキーのカ トリック信仰の特徴 、いや その特 異性は賛否 を含めて、多 くの批評家によって くり 返 し指摘 されてきた. シェ l)一に よれば、グリー ンは ピンキーの悪 を表すにあた り、フレデ リック・ ロルフ とボー ドレールの二人に見 られ る悪の観念 を借用 した とい う。エ ドワー ド朝の同時代 人が永 遠の堕獄に無関心である一方、ロルフの悪は現世 的 とい うより霊的だった.
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T.S.
エ リオ ッ トはボー ドレール論の中で、「私 たちが人間である限 り、私たちがす ることは悪か書 かの どちらかでなければな らない。私たちが恵か 善 を行 う限 り、私たちは人間なのだ。逆説的にい えば、なに もしないよ りは恵 を行 うほ うが よい。 つ ま り少な くとも私 たちは存在す ることになる。 人間の栄光が救いの能力であるとい うのは真実だ が、 また人間の栄光が堕獄 の能力であるとい うの も真実 である2J4と記す。 - 2 7-328 長 野大 学紀要 第14巻 第4号 1993
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- イル を殺 した ピンキーはア リバ イ工作 として スパ イサー を殺 し、ロー ズとの偽装結婚 を図 る。 婚 礼 の 前 に ピンキーは次の ように意識す る。「 -イルや スパ イサー殺 しはつ まらないことだ、子 ど もの遊 びだか ら。 もう子 どもじみ たこ とはやめ た のだ とい う気が した。殺人はただこの こ と- 壁 落に行 きつ くのだ∃
50ピンキーに とって殺人はアイ ダの human`rightandwrong'の領域での行為だ が、告解 を伴 わない結婚 はdivine`goodandevil' の evilであ り、死 よりも恐ろしい悪なのだ。 した が って車庫の場面に表 れた ピンキーの恐怖感は、 コ リオこの一味に追 われ る恐怖 を超 えて、 自己の 行為 にevilを意識 した ときの感覚 である。それは ア トキンズがい うように、「子 どもの堕落はつねに グリー ンに とっては大 きな悪 だった2J6か らであるO 「スパ イサーだけ じゃない。おれは聖霊降臨 日の翌 日に終 りのないことを始め たのだ。死は終 りでは ない2J7とい う少年 は死 の彼方へ と続 く生 の恐怖 を 意識 してい るoF内なる人』(TheMan Wl'thin, 1929)の冒頭 で、追 われ るア ン ドルー ズが森の 中 の一軒家 に辿 り着 いて、「死 よ りも恐 ろ しい もの に追 われているんだ38と言 うとき、それは ピンキ ー的な恐怖 ではな く、 自我の分裂 に よって生 じた 「批評家」の意識 に追 われ る内省 であるに過 ぎな いO グ リー ンの主 人公はピンキー において初めて 神 の善 に対立す る悪へ の恐怖 を抱 いたのである。 ピンキー とロー ズのdivine`goodandevil'の 世 界 と対峠す るのがアイデのhumann`rightand wrong'の世 界だが、 プライ トンでは正 、不正 の 世 界はアイダの正義 に よって支配 され る。物語の 冒頭 で 「追 われ る」 を意識す る- イルは、アイデ が避難所 であ り、知 恵であ り、常識であ り、母親 の子宮なので、「この女 が おれ の命 を救 って くれ る、この女に くっつ いている限 りは2J9と思 う.天 国や地獄 の存在 を信 じないアイダは幽霊 、 占い、 怪談や葬式 を好み、「死 はすべ ての終 り3JOと信 じ る。彼女 はレス トラン .ス ノウへ押 しかけて ロー ズに ピンキー と縁 を切 るよう説得 を始 め る。 「私 は罪のない者 を苦 しめ た くないんだ」 とい うアイ ダに向かい、ロー ズは 「だれが罪がないか あなた は知 っているみたいだ3Jlと弱々 し く抗議す る。二 人はイノセ ン トとい う同 じ語 を使 ってい るため 、 アイタはロー ズの 「イノセ ン ト」が理解 で きない。 アイダはイ ノセ ン トを法の秩序 に従 う者の意味で 言 う。 しか しグリー ンは正 、不正 の世 界の イノセ ン トと、善悪の世 界でのイ ノセ ン トを巧 みに使い 分けて読者 に提供す る。つ ま り、アイダのイノセ ン トはInnocent、ロー ズのはinnocentと表記す る。説得 を拒む ロー ズに向か い、 プ ライ トンの 主宰者は 「私が母親 な らお仕 置 をしてや るのに3
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と言って、大 人の成熟の条件 であ る 「経験」の必 要性 を訴 える。 この ように ロー ズのイ ノセ ンスに たい し、ア イダは正 、不正 だけでな く経験の世 界 をも支配す る。後 日、再 びス ノウに踏み こんだア イデはロー ズに言 う。「あなたはいい子 なんだ よ」 と。女が去 ったあ と、 ピンキー は ロー ズを慰めて、 「ぉ前 はいい子 だ3J3と言 うo こ こで もア イデ とピ ンキーが使 う同 じ 「いい」 は作者に よって区別 さ れ、アイデは、"You'reaGoodGirl,Rose."と言 い、 ピンキー は "You'reagoodgirl,Rose." と 言 う。 この ように して ピンキー とロー ズは 「同 じ 国に住み3J4,「ロー ズはテーブルか椅子 の ように彼 の ものにな る。 しか しテ-7ル も指紋 に よって持 主 を所有苧す るとい う関係 に入 ったために、 ピン キーは 「彼女が どんなにおれ を補完 してい るか を 意識56す る。アイダの経験 は物語の結末 で ピンキ ー を滅ぼ し、正 、不正 の領域 では ロー ズを救 いだ す こ とに成功す る。周囲に勝利 を宣言 した以上 、ア イデの物語 は ピンキーの死 で終 るo Lか し、ロー ズのイノセ ンスの後 日講は ピンキーの死か ら始 ま り、ア イデの経験に立 ち向か う不安 を暗示す る。 (いわ きき まさや 教授) (1993. 1.13受理) 註 1 1977年8月9日付の筆者宛ての私信か ら。 "Greene,likeHemingway,seemstofeelthat how onediesmaybemoreimportantthanhow onelives."2 Graham Greene,CollectedStoyies(London: BodleyHead,1972),pp.236-237.
3 JohnAtkins,Gylaham G71eene(London: CalderandBoyars,1966),p.90.
4 Graham Greene,A GunforSale(1936; London:BodleyHead,1973).p.1.
岩崎正也 グレアム ・グ リー ンの 『ブ ライ トン ・ロ ック』 につ いて
5 Graham Greene,BnihtonRock(1938; London:BodleyHead,1970),p,52. 6 Greene,A GunfortSale,p.76.
7 Graham Greene,TheLostChildhoodandOther Essays(1951;London:Eyre
&
Spottiswoode,(1951;London:Eyre&Spottiswoode,1954),p.17 8 GwennR.Boardmann,Graham Greene
(Gainesville:UniversityofFloridaPress,1971),
p.33. 9 Graham Greene,Twenty-OneStories(1954; London:Heinemann,1955),p.24. 10 Greene,A GunforSale,p.9. ll Zbid.,p.9. 12 Ibid.,p.9. 131bid.,p.52. 14 Zbid.,p.13. 15 1bid.,p.77. 16 Greene,Bn'ghtonRock,p131. 17 Zbid.,p.132.
18 KennethAllot,andMiriam Farris,TheAytof Gyiaham Greene(New York:Russel&Russet, 1963),p,148.
19 Boardmann.Graham Greene,p.43.
329 20 JPKulshrestha,G71aham Greene(Delhi:
Macmillan,1977),p.61. 21 Atkins,G71aham Gyleene,p.92.
22 NormanSherry,TheLifeofGraham Greene VolumeOne:1904-1939 (London:Jonathan Cape,1989),p.643.
23 Ibid.,p.645.
24 T.S.Eliot,SelectedEssays(1932;London: Faber& Faber,1991),p.429. 25 Greene,BrightonRock,p.207. 26 AtkinS,Graham Greene,p.175. 27 Greene,BγなhtonRock,p.127. 28 Graham Greene,TheManWl'thin(1929; London:1976),p.5. 29 Greene,BγなhtonRock,p.7. 30Zbid.,p.40. 3l Jbid.,p.149. 32 Zbid"p.151. 33 Ibid.,p.156. 34Ibid"p.156. 35 Zbtd.,p.171. 36 Zbid.,p.211. - 29