グ レ ア ム ・ グ リ ー ン の 『 ス タ ン プ ー ル 特 急 』 成 立 に つ い て
On Graham Greene's Stamboul Train
1 自伝は 「一種 の伝記」に過 ぎない。伝記 よ り は事実の誤 りは少 ないか もしれ ないが必然的に 取捨選択 の意図が鮮 明にな る。 自伝は遅 く始 ま り早 い時期で終 る。臨終 の ときに回想録を閉 じ ることがで きない とすれば、 どんな結末 も慈意 的な ものになるに違 いない。 だか ら、私は この エ ッセーを最初の小説が受け入れ られた後の失 敗の歳月で締め括 ることに した。失敗 もまた一 種の死 であ る(三) 作者 自身の選択 に よる任意の生 の始 ま りか ら任 意 の死 に至 るまでの期間を取扱 うとい う制作意 図 に基づ き、 F自伝』rA So7lofLlfe,1971)は Fス タ ソブール特急』rstamboulTym'n,1932)を出版 した28歳の ときの失敗 一 死 で終 る.一方、 『ス タ ソプール特急』は忘却 を テーマ として物語が展 開す る。 4月のまだ肌寒 い 日の午後、イギ リスか らオ リエ ン ト・エ クスプ レスに接続す る連絡船が 始発駅 のあ るオステ ン ド港 に到着す る。パ ーサ ー はデ ッキか ら船客を一人一人見送 りなが ら、航行 中の数時間を ともに過 した さまざまな国籍、職業 を もつ船客 とのかかわ り合いを回想す る。 二人分 のベ ッドがあ る船室 を割 り当て られたの で 不平を こぼ している金持 ちの若いユダヤ人、安 っぽい 白い レイ ンコー ト姿 の コー ラス ・ガールの コラル ・マスカー、何 の不満 も洩 らさなか った 白 髪の教師 リチ ャー ド・ジ ョン、寝室を とるのに2 倍 もの料金を払 った老人、船酔 い して指輪をな く した藤 色の服の女、 ク ック旅行会 の団体客 な ど。 最後の乗客の コラルが 目の前を通 って行 くと、パ
岩
崎
正
也
Masaya lwasaki
-サ ーは 「私を憶 えていて くだ さい よ。 また一月 か二 月 した らお会 い しまし ょ5'2j と声 をかけた も のの、 「女を憶 えていないだろ う」 と気がつ く。 (3) それ は 「女に 目立つ ところは何 もなか った」か ら であ る。 ジ ョンもコラル と同 じように 「何 の不平 (4) も言わなか った」。そのため他の世話をやかせ る乗 客た ち と比べてす く・に忘れ られて しま うのであ る。 5年間 イギ リスに亡命 していたために民衆か ら 忘れ去 られた ツ インナーが社会主義革命を指導す るために郷里 のベオ グラー ド-到着す る前に起 き た暴 動は鎮圧 され、失敗 に終 る。 ツインナ ーは反 逆罪 に問われて捕え られ、死ぬ。 この点 でオ リエ ン ト ・エ クスプ レス内の乗客 同士 の解蓮 と別離 に よる 日常 レベルでの忘れ られ ることとは異 な り、 時代 か ら忘れ去 られ ることは ツ インナーに とって 挫折、失敗であ り、一種の死 であ る。 全編を貫 く 「忘却」、 と くに ツ インナ ーに よっ て示 され る忘却 一 失敗 一 死 のテーマを解 く鍵 は作 品発表当時、作家 としての危機的な状 況に陥 って いた グ リーン自身 の失敗 の意識 にあ る と考 え るこ とがで きないか。2
オステ ン ドでオ リエ ン ト ・エ クスプ レスに乗 り 換 えた乗客たちは 目的地 まで 自己の意志 とはかか わ りな く一定 の時間 と空間に閉 じこめ られ 、偶然 の出会い と別離 を とお して記憶 と忘却 を く り返す 運 命を強 い られ る。行 きず りの恋 もあ り、生涯に わた る精神の傷痕 も生 じる。
「お涙頂戴物が欲 し ければ、す っ飛 び メイベルをや果」 と社 内 で噂 さ - 33-れ るほ どの珠腕記者 メイベル ・ウ オリソは同性愛 関係にあ る若い ジャネ ット・,ミー ドウか ら忘れ去 られ、 コラルは一晩 の恋 人であ る金持 ちのマイア ットか ら忘れ られ、革 命家 リヒアル ト ・ツインナ ーは彼 を慕 う民 衆か ら忘 れ られ て、 それ ぞれの 「生」を失 う。 その他泥棒 で人殺 しの ヨセフ ・グ リュソ リッヒ、 大衆作家 クウ ィソ ・セイ ヴァ リ、牧師 オ ウピー、 わが ままな ど-クーズ夫妻など、多数の登場人物 に共通す る特徴は 「忘 れ られ易 さ」 であ り、あ ら ゆ る人間関係の生起、 消滅を内部に季む 国際急行 列車 自体を物語 の主人公 であると言 って よいが、 その運命の結末にあ って他の乗客たちの 日常 レベ ルを越 えて忘れ られ易 さを失敗か ら死へ と完結 さ せた点で ツ インナーを物語全体の主人公 と考 え る ことがで きるだ ろ う。 オ リエ ソ ト・エ クス プ レスに乗 りこむ ツ ィソナ ーのそれ までの生涯を次 のよ うに まとめ るこ とが で きる。 (1) ツ インナーはパ スポ ー トには リチ ャー ド ・ジ ョソ、 イギ リス人教師、 56歳 として記載。 (2) もとユーゴスラヴ ィア社会民主党党主。 5年 前強姦罪 で告発 され た カムネ ッツ将軍 の裁判 に 検事側証人 として出廷 したが、被告 は買収に よ り陪審員か ら無罪を宣 告 され る。 ツ インナーは 偽証罪 のため逮輪状 が 出されたのでイギ リスへ 逃亡、学校教師を務 め る。国民か らは暗殺 され た と思われていた。 ベ オグラー ドの貧民層か ら 圧倒的な支持を得 てい る。 (3) ベオグラー ドで革 命蜂起の指導 のため帰国の 途上 にあ る。 マイア ットは シュタイ ソ経営 の干 し葡 萄会社の 買収交渉 と自分 の代理 人 であるニ ックマ ンの不正 糾 明 とのために コソス タ ンチノープルへ赴 くが、 到着す るまでの3日間 はだれに も邪魔 されず に車 内で相手を攻略す る戦 術 を考え ることがで きるの で 自分を有利 な立場 にあ ると思 ってい る。 なぜ な ら人間の知覚 は列車の規則的な震動 と騒音 にす ぐ 順応 し、 自分が停止 して いると受け とるか らであ る。 同 じよ うに ツインナ ーは敵 に気づかれない う ちにベオ グラー ドに入 って到着宣言をすれば、敵 は 自分を法廷 に立たせ るに違いないか ら、 3日間 を被告弁護 のための戦 術 に費やす ことがで きるこ とに満足 してい る。 列車が オステ ン ドをた って しば ら くす ると、通 路 に立 ってマイア ットと話合 っていた コラルは寒 さのために床 に倒れ る。先ほ ど知 り合 った レイ ン コー ト姿 の男が医者 と聞か されていたマイア ット はその医者 であ るジ ョンを迎 えに来 る。 (1)男は立 ち止 ま り、いや いや なが ら尋ねた。「女 の人は どこですか」。 彼はマイア ットの肩越 しに 女を見た。彼がため らってい るのでマイア ット はお こった
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「本当に病気 なんです よ」 とせか せた。医者 は溜息をついた。
「わ か りま した。 行 きま し ょう」。医者は何かの試練にたい してわ が身を励 ましていたのか もしれ なか った(.6'一方 『権力 と栄光
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7y, 1940)の冒頭 で河港にベ ラクルス行 きの船が積荷 をおろ してい る間、司祭はテ ンチ氏 の診察室で休 憩 してい る。 そ こ-母親 の治療を頼み に少年が2 頭の ラバを引いて現れ る。 (2) しか し見知 らぬ男は通過できない状況にいや いやなが ら呼び出 されたかの ように立 ちあが っ て悲 しそ うに言 った。
「いつ も起 るよ うな気が す る。 こんなふ うに」
「船に乗 りお くれ ない と い う仕事があ るんで し ょう」
「乗 りお くれ るで し ょう」
「船に乗 りお くれ るよ うにで きてい る んだ(
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二 つの作品の間には グ リーンが 自己の認識を深 めた8年 の歳 月が あ るが、 ウ ィスキ ー司祭 の宗教 的 「信仰」 とツ インナーの政治的 「信条」 とを入 れ替 えれば、両者 ともその存在を禁 じてい る国家 「権力」 と対決 してい るとい う点で(1)と(2)の場面 にアナ ロジーが成立す る。 イギ リスか ら故郷-戻 るツ インナ ーは5年 の間 偽証罪 のため警察か ら追われてい ることをたえず 意識 してい る。だか ら国境を通過 して祖国-入 る までは、パスポー トに記載の とお り、教師 リチ ャ ー ド・ジ ョンとして演技を続けなければな らない。 半覚醒 の状態 にあ るコラルは混濁 した意識を とお して男に憐れみをかけ る。 この憐れみ の気持 ちは コラルが後に ツ インナーを現実に救 い出す ことを予告す る。 コラルが 「どなたですか」 と尋ね るとツ インナ ーは 「医者 です」 と答 え、 しば ら くして 「私の本 職 は」 と言いかけた ときに税関職員がパスポー ト 検査を知 らせたためにあ との言葉 はか き消 され る。 コラルはマイ ア ットのベ ッドで一夜を ともに過 した翌 日、 2等串の コンバ ー トメソ ト-バ ッグを と りに戻 り、同室の- i-か ら罵 られてい る場面 で通 りかか った ツ インナーに助け られ る。 この とき コラルか ら再 び
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『私の本職 は』 とお っ しゃったのは ど うい う意味ですか」 と聞かれて ツ インナーは 「夢 を見ていたんです。仕事は1つ しかあ りませ ん」 と答え るが、立 ち去 ったあ と、 彼 は孤独 な内省に包 まれ る。
「仕事 は1つ しかあ りませ ん」 とい う言葉 は ツ ィソナ ーに とって まだ 完成 されていない信仰告 白 と考 えて よい。彼 は こ れ まで複数の職業に就 き、複数の責務を担 って き た。両親、患者、生徒、ベオ グラー ドの貧民、世 界 中の プ ロ レタ リアー ト、神な ど複数の他者にた い して責務があ るに もかかわ らず、その うちの ど の責務を果す ことに も失敗 した ことを 自覚 してい る。彼が複数の職業、責務の中か らただ1つの仕 事 として と りあげたのは 「社会主義老」だ ったが、 ベオグラー ド到着 の3日前 に起 きた革命が制圧 さ れたために、 ツ インナーはその社会主義者であ る ことに も失敗 したのであ る。 なぜ な ら連絡船のパ ーサ ーが忘れ られ易い ことが コラル とツ インナー の2人の共通点であ る、 と予言 した よ うに、 イギ リスに亡 命 してい る5年 間に故国の貧民層か ら完 全に忘れ去 られていたか らであ る。革命鎮圧 の報 を夕刊 で知 った ツ インナ ーの内部には次の停車駅 ウ ィー ンで降 り、イギ リスへ戻 るか ど うかについ て二種 の意識が対立す る。 この葛藤 は、 グ リー ン の第1作 『内な る人』rTheMan Within,1929) の発表以来、ほぼ どの小説作品に も くり返 されて い る 「自我の分裂」 とい うテーマの再現であ る。 F内な る人』に登場す るアン ドル ーズの 「物を 欲 しが る子 ども」の 自己 と 「もっと厳 しい批評家」 の 自己の対立は、 「今 ウィー ンで列車か ら降 りて 戻 るほかはなし.(8J'と勧め るジ ョンの意識 と 「もし 自首 して仲間 とともに裁判を受ければ世間は私の 自己弁護 を聴 き入れて くれ るだろ う」 と言い返す ツ ィソナ ーの意識 の対決に引 き継がれ る。 そ して 後者 の意識が勝利 を占めた とき、 ツ インナ ーは始 めて亡命者 ジ ョンの位相か ら脱 出す るのに成功 し、 再 び生- の希望を抱 く。 ツ インナーは コンパ ー トメン トで 自分 のスーツ ケースをあけて金銭 を盗 も うとしていた グ リュン リッヒに、 自分は政 治犯であ り、 スーツケースを あけ たのは主義のためであ り、 自分 は社会主義者 だ と言われた とき、その内的葛藤 は さらに進展す る。彼は、社会主義が真実 であ ることとその信奉 者 の人間性が 不誠実であ ることとは別問題 であ る 点を確信 しよ うとしてい るが、彼 自身 も過去にあ った、 女の子に妊娠 させた り、党主のころ虚栄心か ら1等車で旅 を した ことがあ るとい うよ うな不誠 実 な行為を憶 い出す ことに よって、彼 の失敗 の意 識 は罪の意識 に変わ る。
「私はあそ こに所属 して (9) い るんだ。 3等串で旅 を しなければな らないんだ 」。 そ して無意識 の うちに 「神 よ許 した まえ」 と祈 る。 それ とともに ツイソナーは 自己の運 命の結果が 死 であ ることを意識す る。 なぜ な ら 「彼 らは二度 と私 を逃 しは しない」 と確信 してい るか らであ る。 どんな政 治運動の真実 もその支持者の人間性に よ り否 定 され ることはない とい うツインナーの信条 は 「秘蹟の有功性は授与者 の正統信仰や聖寵 の状 態如何には依存 しない」 とい うローマ ・カ トリッ クの規定 を通 して 『権力 と栄光』の ウィスキ ー司 祭の上に人間性 と権能の区別 とい うテーマ として 再現 され てい る。 3 グ リー ンはオ ックスフ ォー ド大学を卒業 して翌 年 の 1926年 3月、 タイ ムズ紙 に編集部員 として入 社 した。 3年8か月間の勤務生活は 「平和な生活 の象 徴だ った」 と午後4時か ら11時 まで過 ごす編 集室 に火がおだやかに燃 えてい る暖炉のあ る風景 として作者の意識 の上 に刻 まれ ている。経 済的に も週5ポ ン ドの収入は、下宿の部屋代 と朝食 に週 30シ リングを払 い、 タイムズ社 の食堂で とる夕食 に約 11ペ ンス しかかか らなか った とい う独 身生活 ItLD を送 るのに適 当だ った。 グ リー ンが オ ックス フ ォー ド在学 中に書 いた最 初 の小説AnthonySdntは ブラ ックウェル 社か ら 出版 を拒否 され、未刊 に終 ってい る。 これ は白人 -35-の両親 か ら生れた黒人の主人公が抑圧 された幼年 時代 と人種差別の学校 時代を経 て船員生活を送 る ことに よって アウ トサイダーの意識か ら解放 され るとい うよ うに不幸な幼年をテーマに した もので あるとい う
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グ .)-ソは1926年7月に第2の小説TheEpisode を書 きあげ、-イネマ ン社に送 る。 しか し8か月 た って も返事がな く、 この間に グ リー ンは未完の 小説3篇を書いた。探偵小説のFa7WticAy;abia,ア 7 1)カ物語 のAcrosstheBoyder,12歳 の少女が若 い家庭教師を殺害す る事件の鍵を握 る司祭 - と い う探偵小説のA SenseofSecu砂 であ る。 -イネマ ン社- 2作 目の小説 の採用可否につい て問い合わせ ると、小包に よる原稿の返却 ととも に、次の作品を読みたい とい う返事が屈 い農 こ の回答に勇気を得た グ リー ンは第3の作品に着手 す るが、 これが彼 に とって作家的生涯の可能性を 占 う最初の危機 とな った。なぜ な ら 「もし3作 目 が他の作品 と同 じく不成功に終 った ら、永久 に こ の抱負 を棄 て よ う。 当時、 タイ ムズ社の地位が安 定 して、来年 は結婚す ることもで きそ うだ った。J3 と考 えたか らであ る。 虫垂炎の手術 のあ と入院中 に 『内な る人』のアイデ ィアを練 り、 2週 間後に 職場-戻 る。 1927年、その前年 カ トリックに改宗 した グ リー ンは ヴ ィヴ ィア ンと結婚 し、午前中は3作 目を執 筆 し、夜は タイムズ社で編集部員 として努め ると い うよ うに幸せ な時が続いた。
『内な る人』は-イネマ ン社 のチ ャール ズ ・- ヴァソズの見識 に よ り出版 され、 8,000部以上を売 るとい う成功を作 者 に もた らし、刊行 された グ リーンの最初 の小説 作品 とな った。数か月後、出版 された2作 目の小 説 となる F行動の名』(TheNameofAction,1930) を執筆 中、 グ リー ンが-イネマ ソ社にたい し、 タ イムズ社勤務 と著作は両立 しない と申 し出 ると-ヴァソズは、 グ リー ンが タイムズ杜を辞めた場合、 3岩の小説 にたいす る見返 りとして3年 間 ダブル デ ィ社 と共 同で年 に600ポ ン ドを払 うことを提案 した㌘ そ こで グ リー ソは作家 としての独立を選 ん だが、辞職 は入社 と同 じくらい時間がかか った よ うだ。退職 の相談を受た編集次長の ジ ョージ ・ア ンダー ソンは、辞めないでいれば、何年 か後 に投 稿欄の編集主任になれ るとグ リーンを慰 留 した。 1921年12月31日付で 「私は成功 した処女作品の 作者 として タイ ムズ社を辞めた」 ことが後 に失敗 とな ることを グ リー ンは気づかなか った。
「作品 のなかには、処女作を もってはなや かに文 壇の仲 間入 りし、批評家や一般読者か ら第2作 を期待 し て待たれ るとい った者 もあれは、反 対に何作 目か でにわかに重要性が認め られ、その結果それ まで の作品すべてが改めて見直 され、熱心に論 じられ るに至 るとい った場合 もあ る」 とい う高見幸邸 は グ リーンを 「彼は どち らか といえは後者 にあた る と言 っていい ように思われ る」 と評 価す る(ど F自伝』を著 した66歳 の グ リー ンは この点 を熟 知 していて、作家は1作 目の ときは 冒険だか ら短 距離走著 であ り、 2作 目の場合は義 務だか ら長距 離走者に変身す ると記 してい る(tO タイムズ社を辞めた とき、-イネマ ン社か らす でに3年 間の経済的援助の契約を と りつけていた グ リーン夫妻はチ ッピング ・キ ャムデ ソにあ る藁 屋根の家 に移 った。1930年 出版 の 『行動 とい う名』 と翌31年 の 『夕暮れ時 の噂FuRzLmOZEratNghl -fall,1931)は まった くの駄作で、それぞれ2,000 部少 々、 1,200部 しか売れ なか った。経済援助の 3年が過 ぎると、 グ リー ソほ再 び生 計難 に陥 った はか りでな く、作家を続け ることが で きるか ど う かの危枚 に直面 した。 -イネマ ン社か らの資金援 助 の見返 りとして書いた3番 目の小説 - F内な る人』か ら数 えて4作 目 - が Fス タンプ-ル特 急 である。4
グ リー ソは 『自伝』の結末で 「旧作を読み返す のは私には辛 い ことだが、 『スタ ンプ-ル特急』 の場合はほ とん ど不可能 である。 どのペ ージも当 時 の心配事や失敗 の意識 を沢山含 んでいる」 と述 べてい るが、 これは 『ス タンプ-ル特急』を流れ る 「忘却」 を解 くヒソ トが グ リー ンの失敗 の意識 にあ ることを示 してい る。 1974年 出版 の コ レクテ イッド・エデ ィシ ョンの Fスタンプ-ル特急』の序文 の中で グ リー ソは理 性的な回顧 として、最初 で最後だ が、 この小説 の 制作意図は、読者を喜ばせ、運が よけれは映画化 され るよ うな作品を書 くことだ った と記 してい る。この点 で全編 を映画的手法 に よって3日にわた る オ リエ ン ト ・エ クスプ レスの動 きを描 き出 した こ とが希望を2つ とも実現 した原因になるだろ う。 オ リエ ン ト ・エ クスプ レスは 「当時 としては、豪 華客船 とともに もっともロマ ンテ ィ ックで、デ ラ ックスな旅 行方法 であ っ超 か らである。 グ リー ンは列車物の着想を得 た ときに、母 に宛 て次の よ うな手紙を送 った。 「払ま`furrin'parts' 乗 車の希望に夢 中にな り、 ワゴン ・リ社に手紙を 書 いて、動 き全体がオステ ン ドか らコソスタソチ ノープル行 きのオ リエ ン ト ・エ クスプ レス内で生 じるよ うな小説を来年 に計画 してい ます。社は来 年往復 乗車券を私 に提供 して くれ るで し ょうか。
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V もしそ うな ら大-んお もしろいのですが」0 グ リーンの申 し出にたい して ドイ ツ鉄道は フ リ ー ・パ スを提供 したが、 フランス鉄道は規定 に よ りパスを拒否 したので、 グ リー ンは コソスタンチ ノープル までの全線 の乗車券を買 う経済的余裕が な く、 ケル ンまでの3等乗車券を購 入 した。
Fグ レアム ・グ リーンの生涯』rTjleLifeoJ'Grallam G71eene,1989)を書いた ノーマ ン ・シ ェ リーは 「幼 年時代か ら列車の旅 は休 日、親戚訪 問 とい う楽 し み の一部であ り、後には ヴ ィヴ ィア ン-の求婚の 重要な側面 とな っt=(19'と、列 車の旅 が グ .)-ソに 小説の さまざまなモチーフを提供 しただけでな く、 ヴ ィヴ ィア ンや母 に多 くの見聞を書 き送 る場にな った ことを指摘 している。 グ リー ンが終点 の コソス タンチ ノープル まで全 線 乗車 を果 た した の は 『逃 走 の方 法』(WaJSOf Escape,1980)を上梓す る数年前の ことだが、F
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タ ンプ-ル特急』執筆当時 の作者 は一部 しか乗 っ ていなか った。だか ら彼は、 ヴ ィヴ ィア ンと自分 の2人 とも気 に入 りの レコー ドであ るホネ ッガ-の 「パ シ フ ィック231」を聴 きなが ら制作を続け た とい うCoO) その制作 当時、 グ リーンは深刻 な経済的苦難に 見舞われて、弟の ヒュ一に次の よ うな手紙を送 る。 「は っき り言 うと私たちは破産 しそ うだ。先週 あ る人に泊 りに来 られたが、その人には君 と同 じく らい会 いた くなか った。私たちは君 を4晩 も泊め てや る余裕 はない。 (中略) もし君が クローバ ラ で1日長 く泊 って、 1日早 くレイモ ン ドの所-行 くことがで きれば、 2晩 な ら泊 っていい。 2晩 な Cll ら家計 をふや さずにや りくりが で きる。」 生活費を稼 ぐために グ リー ン夫妻は新 聞のエ ッ セー ・コンテス トに応募 を始めたが、それ に も失 敗す る と、 グ リーンは真剣に大学 教員の職 を探 し てい る。依頼を受けた- ドマ ン ド・プ ラソデ ソは グ リー ンを東大教授斎藤勇に紹介 しよ うと言 った
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1932年7月17日に 『ス タソプール特急』 の執筆完 了。 8月4日の 日記に、原稿を-イネマ ン社に送 付、 と記す。 出版社か ら連絡を待 ってい る問の グ リー ンの神 経 は過敏 の極限に達 した とい う。 8月17日付の 日 記には 「不安 は怖 ろしい くらいにな ったeJ3と記 し てい る。 グ リー ンは ロン ドン- Fス タンプ-ル特急』の 出版交渉に出かけた とき、-イネマ ン社か らあ と 1年 間300ポ ン ドの援助を受け、 ダブル デ ィ社か らはあ と2か月間だけ支払いを受け るが 、その代 り、 さらに2冊の小説 を書かなければな らない と い う契約を結 んだ。5
「仕事は1つ しかあ りませ ん」 とい うツ インナ ーの信条 とその1つの仕事に さえ失敗 した とい う 「死 」の意識は互 いに絢交ぜにな って、 『スタン プ-ル特急』発表当時 の ダ リ- ソを苦 しめたはず であ る。大学卒業以後、 グ リー ン自身が経 験 して きた職種 は、英米 タバ コ会社員、家庭教師、 「ノ ッテ ィンガム ・ジ ャーナル」社員、 「タイ ムズ」 社員 、作家 一 彼が他人に就職 を依頼 した職種を 入れ れば さらに多 くな る - とい うふ うに複数に わた るが、 この小説を出版 した とき、 タイでの大 学教師職の斡旋 を依頼 した 「友人か らの好意的な 返事が届 くのが遅す ぎたために私は作家稼業か ら 救われ そ こな っブ
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と、作家をただ1つ の仕事に す ることにな った成 り行 きを回想 してい る。 『スタ ,/プール特急』が図書協会の推薦 図書 と な ったため、 ダブルデ ィ社は支払 い契約 をあ と1 年更新い
豊 その直後、 J.B.
プ リース トリー が作 中人物 セイ ヴァ リの件で名誉聖 損で告 訴す る と出版社-連絡を寄 こしたので、- ヴァソズの 「-イネマ ンが著者を1人失 うとすれば私を失 うほ う が よい」 とい う判断に よ り、 グ リー ンは電話を と - 37-お してページの さし替えを伝 えた。初版 13,000
部 - グ リー ンは14歳 の ときに読 んだ 『ミラノの 毒蛇』(TheViperofMilan,1906)の結末か ら勝 利のあ とに破滅が来 るとい う振 り子 の反転の運命 が人生の真理であることを、 「作家に とって成 功は つねに一時 的であ り、成功 とは遅れて くる失敗 に 過 ぎなしT3 と認識 し、 ツ インナ -の運命 としての 「忘れ られ易 さ」 -失敗 -死の意識 を作家 として、 時代か ら忘れ去 られ ること-失敗 -死 とい うふ う に 自己にたい して意識 したのであ る。 (1990,1.26受理) 註
(1) Graham Greene,A SortofLlfe,(London: TheBodleyHead,1971),p・9・
(2) Graham Greene,StambozLITrain(1932;rpt. London:TheBodleyHead,1974),p.4. (3)Ibid.,p.5.
(4) Zbid.,p.6.
(5)北村太郎訳 Fスタンプ-ル特急』 (早川召房、 1980),p.40.
(6) Graham Greene,StamboILITral'n,P.24. (7) Graham Greene,TIlePowerandtheGloTy
(1940;rpt・London:TheBodleyHead,1971),
p.13.
(8) Graham Greene,StambozLITmin,p.81. (9) Ibz'd.,P.136.
的 Graham Greene,A SortofLljTe,p.171. 尽力 Graham Greene,WaJ・sofEscaPe,(London:
TheBodley・Head,1980), pp,12-13. は Graham Greene,A SortofLljTe,p.82. 83)Ibid., pp.182-183. 84) Ibid.,p.193. 的 青木雄造編 FグL,アム ・グリーン』 (研究社、 1971), p.252. 8勾 Graham Greene,A SortofL
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e, p.196. 尽力 青木雄造編 FグL,7ム ・グリーソ』, p.141. 88) Norman Sherry, The Life of GrahamG7'eene(London:Jonathan Cape,1980),p.408. 且9) Ibid., p.407. W) Ibid.,p.408. 伽 Ibz'd.,p.416. 物 Ibid.,p.417. 餌 Ibid.,p.425. 伽 Ibid‥ p.214. 幽 Graham Greene,A SortofLlfe, p.213. 鰯 Ibid., p.214. 餌 Ibid., p.215.