第 3 章 公的年金を巡る国際的な論争 41
3.2.2 Orszag and Stiglitz (2001) による World Bank (1994) 批判
World Bank(1994)への反論は世界銀行内部からも起こった. 1999年9月14日から15 日に世界銀行において行われたカンファレンス ”New Ideas About Old Age Security”
において Orszag and Stiglitz (2001) はWorld Bank(1994)を厳しく批判した.
基本認識*14
Orszag and Stiglitz (2001) は, 世界銀行の支援の下で各国で進められた公営給付建て
方式から民営拠出建て方式への移行が, その提唱者たちの主張通り普遍的に利益があるか を検証したものである. その背景には, 1 つの制度, あるいは1組の提言が, あらゆる国 家にとって望ましいと信奉すること対しては慎重でなければならないという問題意識が ある.
Orszag and Stiglitz (2001) による批判は, 民営拠出建て方式の提唱者たちが, 民営 化 (privatization), 事前積立方式 (prefunding), 運用の多様化 (diversification), 給付 建て方式と拠出建て方式の違い (the distinction between defined benefit and defined
contribution pensions) という本質的に異なる4つの側面を不可分としたことに向けられ
ている. Orszag and Stiglitz (2001) はGeanakoplos, Mitchell and Zeldes (1998; 1999) などを引用し, それらを不可分としたことが, それぞれの側面の本質を見えなくしてし まったと批判する. その上で, それらの4の側面は確かに共存可能であるが, 実際に制度 化する場合はいずれも選択の幅があり, 二者択一ではなく, おおよそ程度の問題になるこ とを指摘する.
World Bankにおける「10の神話 (Ten Myths)」
以上のような基本認識の下で, Orszag and Stiglitz (2001) は, World Bank (1994) を 執筆して世界銀行モデルを提唱したかつての世界銀行のエコノミストたちをはじめ, 民営 拠出建て積立年金を提唱した者たちが根拠とした理論を10の神話 (Ten Myths) と表現 し, 強く批判している. 10の神話は, マクロ経済に関する神話, ミクロ経済に関する神話, 政治経済に関する神話に区分されている.
■マクロ経済に関する神話*15
*14以下, 特に断りがないかぎりOrszag and Stiglitz (2001), pp.17–19に沿っている.
*15以下, Orszag and Stiglitz (2001), pp.21–29に沿っている.
3.2 世界銀行への批判とスウェーデン方式の登場 57 Myth1 民営拠出建て方式は国内貯蓄を増加させる (Private defined contribution plans
raise national savings).
Myth2 個人勘定方式の方が大きな運用収益を得られる(Rates of return are higher under individual accounts).
Myth3 賦課方式の下で運用収益率が低下していくことはシステム固有の問題である
(De-clining rates of return on Pay-As-You-Go systems reflect fundamental problems with those systems).
Myth4 公的年金の積立金を株式に投資することはマクロ経済あるいは厚生に影響を及ぼ
さない (In vestment of public funds in equity has no macroeconomic effects or welfare implication).
マクロ経済に関する神話は, それまでの年金制度を批判する論者の中で最も広く受け 入れてきたものである. Myth1 は, Feldstein (1974; 1976; 1979; 1982) を根拠とする 論者が, 賦課方式から積立方式への移行の利点として繰り返し主張してきた影響である. Myth2は, Palacios and Whitehouse (1998)などが積立方式への移行の重要な理由とし て挙げたもので, 成熟した賦課方式における運用利回りは人口成長率と生産性上昇率の 合計になり, それは定常状態における経済成長率と等しい. 一方で, 動学的に効率的な経 済における実質利子率は, リスク資産に投資しなくても実質経済成長率を上回るとする.
Myth3は, 賦課方式の年金制度の導入当初に受給開始する世代は, 拠出に対して運用利回
りが大きくなるが, 制度の成熟化に伴い運用利回りが低下するとする. Myth4は, 各国は 自国の国債で年金の支払準備金を運用しているが, 投資先を株式に変更しても国内貯蓄を 変化させず, 資産価格や運用利回りに影響を及ぼしても, マクロ経済に影響を及ぼさない. そのことは, 運用の多様化は利益があると主張することを意味する.
■ミクロ経済に関する神話*16
Myth5 労働供給へのインセンティブは民営拠出建て方式の方が大きい (Labor market
incentives are better under private defined contribution plan).
Myth6 給付建て方式は必然的に早期引退へより大きなインセンティブを与える (Defined
Benefit Plans necessarily provided more of an incentive to retired early).
Myth7 民営拠出建て方式における競争は管理コストを小さくする (Competition ensures
low administrative costs under private defined contribution plan).
*16以下, Orszag and stiglitz (2001), pp.31–35に沿っている.
Myth5は, 給付建て賦課方式では保険料の負担ほど給付が大きくならず, 保険料が課さ れないようにインフォーマルセクター (an informal sector) へ逃れようとするインセン ティブが働くが, 民営拠出建て積立方式を導入すればそれらはすべて除去されるとする.
Myth6は, 給付建て方式は高齢者の労働供給に対して事実上の課税を行っており, 早期退
職を促す重要な要素になっているとする. Myth7は, 成熟した市場に多くのプレイヤーを 参加させて激しい競争をさせればコスト削減が加速する. 預金者保護規制を十分慎重に行 えば, 年金についてもそれは適用できるとする.
■政治経済に関する神話*17
Myth8 政府の非効率さは民営拠出建て方式に論理的正当性を与える (Inefficient
govern-ments provide a rationale for private defined contribution plans).
Myth9 救済措置が財政を悪化させる効果は民営拠出建て方式より公営給付建て方式の方が
大きい(Bailout politics are worse under public defined benefit plan than under private defined contribution plans).
Myth10 政治は常に投資の判断を誤り, 積立金の運用に失敗する (Investment of public
trust fund is always squandered and mismanaged).
Myth8は, 現実の政府は競争がないために堕落し, 非効率な運営しかできないが, 民間
企業は市場において激しい競争にさらされており,効率的である. そのことは, 公営給付建 て方式から民営拠出建て方式への移行の強い動機になるとする. Myth9は, 制度に救済措 置を盛り込んだ場合, 救済措置の対象者は民営拠出建て積立方式より公営給付建て賦課方 式の方が多くなり, より財政を悪化させるとする. Myth10は, 政府は常に年金の積立金, 支払準備金の運用に失敗し, それらを空費させるとする. その理由として, 投資先は国債の 購入や赤字の公営企業への貸し出しであり, その名目利子率が低いことによってインフレ 期においては実質利子率が負の値を記録することを挙げる.
公的年金改革の論点*18
Orszag and Stiglitz (2001) はそれらを次の4つの側面から検証する.
1. 制度固有の特徴によるものか運用が不完全であることによるものか (Inherent feature versus imperfect implementation)
*17以下, Orszag and Stiglitz (2001), pp.37-40に沿っている.
*18以下, Orszag and Stiglitz (2001), pp.20–21に沿っている.
3.2 世界銀行への批判とスウェーデン方式の登場 59 2. 制度導入時の選択か制度改正時の選択か (Tabula rasa choices versus
transforma-tion choices)
3. 世代間分析 (Intergenerational analysis)
4. 最大の目標は社会的厚生の改善である (Ultimate focus on welfare)
1.は, 制度を比較する場合は, それぞれの要素が制度固有のものか, 制度を創設し, 運 営していく際の技術的かつ共通の性質かを十分に整理なければならないとする. すなわ ち, 制度には, コンセプト (理念), デザイン (制度設計), ハンドリング (管理, 運用) とい う3つの側面があり, 本来はどの側面について論じているかを整理しなければならない.
World Bank (1994) による批判は, それらを混同していると断じている. 具体的には, 彼
らが提唱するシステムの理想型, すなわち実際には実現しない形態と, 実際に運用されて いる制度を比較しているが, それにはさほど意味はなく, 多くの神話はそれらを整理する ことなく論じたために生じたとする.
2.は, すでに多くの国では公的年金制度が存在しており, 新たな制度への移行には膨大 なコストを要するが, 民営拠出建て積立方式の提唱者たちは, その際のコストを過小評価 しているとする. また, 新たなシステムへの移行コストを考慮すれば, 積立方式と賦課方式 は等価であるとする*19.
3.は, 移行期にかかる世代の厚生が前後の世代より低下することを指摘する. 4.は, 民 営拠出建て積立方式論者が貯蓄や経済成長率へ及ぼす影響を根拠にすることを挙げ, 改革 の目標はあくまで社会的厚生の増大でなければならないとする. また, 内部収益率の観点 から, より大きなリスクに加入者をさらすことは, 加入者の厚生を低下させるとする.
公的年金の目的*20
以上のことを踏まえ, Orszag and Stiglitz (2001)は,年金政策の目的を次の3点として いる.
1. 老年期の保障を促進する 2. 堅固な資本市場を育成する*21 3. 国内投資を促進する
*19そのことは現在では同等定理 (equivalent proposition) として知られている. 詳しくはGenakoplos, Mitchell and Zeldes (1998)や高山(2002) を参照されたい.
*20以下, Orszag and Stilgitz (2001), pp.42–43に沿っている.
*21ここでは完全競争条件が整っているかどうかや,政府による調整能力の有無を問題にしている.
それらはしばしば矛盾する. たとえば, 年金の民営化は資本市場を成長させる効果があ るが, 他方で高齢者を大きなリスクにさらし, 老年期の所得保障機能を十分に果たせなく なる危険性がある. リスク回避のために投資先を海外まで広げることは可能だが, それは 国内の金融市場を成長させる目的と矛盾することが予想される. それらのような矛盾を発 生させないように制度を設計し, 運用することは, 民営化するよりも公的年金のままの方 が容易であり, 公営給付建て方式を2階部分に据えて議論することが望ましいと結論付け ている.