第 3 章 公的年金を巡る国際的な論争 41
3.3 新たな世界銀行の方針 : Holzmann and Hinz (2005) より
3.3.4 年金改革実行の必要条件
Holzmann and Hinz (2005) は改革案を現行制度と比較し, 改革を実行する価値はある
か, 改革の実行可能性は十分か, 改革案の策定プロセスは正統かを検証するための基準の 設定が重要とする. その指針として次の4点を挙げている.
1. その改革は, 果たすべき役割を十分に担えるように年金制度を進化させるか (Does the reform make sufficient progress toward the goals of a pension system?).
2. マクロ経済および政府財政は, その改革を実行可能な状態にあるか (Is the macro and fiscal environment capable of supporting the reform?)
3. 政府および民間の構造は新たな年金制度を効率的に運営できるようになっている か(Can the public and private structure operate the new (multipillar) pension scheme efficiently?).
4. 規制, 監督の制度, 組織は容認可能なリスクを伴う積立年金制度を運営できるよ うに設立され, 準備されているか (Are regulatory and supervisory arrangements and institutions established and prepared to operate the funded pillar(s)with acceptable risks?).
制度設計の評価*29
1.は,次の側面が挙げられている.
a. その改革は老齢世代への効率的な資源配分を通じて, 老齢期の貧困リスクを合理的
are (co)determined by the inherited system and the transition costs of moving from unfunded to funded pillars, which in many cases are prohibitive. This path dependency implies that middle-income countries need to assese carefully their choice of reform and work diligently on their capacity to undertake reform if they want the full range of options to be available in the future.
*29以下, Holzmann and Hinz (2005), p.7に沿っている.
3.3 新たな世界銀行の方針: Holzmann and Hinz (2005) より 69 に抑制できるか.
b. 各国が直面するあらゆる社会経済環境の下で消費水準を維持し, 社会的な安定を提 供できるか.
c. 改革が所得分配に関する問題意識と一致しているか.
d. 退職に備えた貯蓄やインフォーマル部門, とりわけ非経済的労働に従事するケース を含めて相応の経済活動を行うすべての人々に対して共通の防貧施策へアクセスす る機会を提供しているか.
e. 移行時に課す負担は, 世代間, 世代内で公平に配分されているか.
マクロ経済, 財政状況の評価, 展望と負担配分*30 2については, 次の側面が挙げられている.
a. 将来の財政収支に関するシミュレーションを, 年金改革にとって適切な期間を設定 して, 様々な経済前提の下で徹底的かつ厳密に行ったか.
b. 改革に必要とされる負担は, 政府部門と民間部門の両方に適切に課されているか. c. その改革はマクロ経済の目標や政府が利用可能な手段と一致しているか.
a.は, 先に挙げた制度の頑健性, 持続可能性について論じたものであり, シミュレーション に対して次の3点の注文を付けている. 第1に, 将来の見通しについてである. 現行制度 から改革案への移行に要するコストの試算は, 複数のシミュレーションモデルによって行 われる必要があるとする. その結果がモデル上の想定によって大きく変化するためである. それは, 感度分析の重要性も含んでいると推測できる.
第2に, 試算の結果の読み取りについてである. 典型的な賦課方式の下では, 債務残高 等の意味合いを十分に理解することが重要であり, 保険料の拠出に伴って発生する年金債 務の大きさを検証する必要があるとする. 拠出建て方式の下では, 運用利回りや利子率に よる将来の給付の変化の大きさが重要あり, 目標とすべき給付水準を設定し, それに応じ て積立比率を適正化すべきとする. 目標とする給付水準も, 被保険者との間で十分な意思 疎通が必要とする. また, 人口変動や経済変動による調整が制度に組み込まれている必要 があるとする.
第3に, 積立方式の試算についてである. 利用可能な資産とリスク調整を施した実現可 能な運用利回りの設定が重要である. 十分な運用利回りを確保できない場合は, 次の3つ の選択肢があるとする. 第1に, 積立金を持たない制度への移行である. 財源調達の手段,
*30以下, Holzmann and Hinz (2005), p.7, pp.12–13に沿っている.
政治的圧力に抵抗する能力のいずれか一方でも欠く場合はそうすべきとする. 第2に, 積 立方式を維持しつつ民営化し, 分散化する方法である. 第3に, 集権的な管理の構造を改 め, 分散管理を行う方法である. 運用実績を改善するときは, 投資戦略の見直しが第1の 決定要因となるためである.
政府, 民間金融機関の制度運営能力と規制*31 3は, 次の2つの側面が挙げられている.
a. 政府に, 担うべき役割を十分に果たせる組織的基盤や能力が備わっているか.
b. 民間部門に, 担うべき役割を十分に果たせる金融機関を経営する能力が備わってい るか.
a.について, Holzmann and Hinz (2005)は議論の余地が多く残されていることを認め
つつ, (1)個人の識別システムの導入, (2)個人口座, (3)保険料の徴収一元化を提言してい
る. いずれも, 資金およびデータの一元管理を目指すものである. 具体的な組織として, 情 報センターや歳入庁の創設が挙げられている. 情報センターは, 第2の柱のための保険料 の徴収および基金間の資金の配分を担う. 歳入庁は, 過去に繰り返し提言されてきたもの の, 実際に統合するときは慎重に準備しなければならないとする.
b.は, 「第2の柱」を民営化する際の必要条件について論じたものである. 具体的には,
「第2の柱」を担える健全で堅固な金融機関の育成が必要であると同時に, 積立方式にとっ て決定的に重要なマクロ経済のパフォーマンスの安定化を政府に求めている. 金融機関へ の規制および監督の重要性にも言及している. 規制については, 資本要件など, 参入を認 めるライセンスの発行, 年金資産の運用, 外部監査, 資産および利回りを評価する際の透明 性の側面に関するものが挙げられている. 監督については, 機関の専門性,独立性, 先見性, および資金調達などの能力, 権限に関する側面, ライセンス発行の審査基準, 他の機関との 協同に関するルールの側面が挙げられている.
規制, 監督制度の整備状況*32
4.は, 先に挙げた諸規制, 監督を民営, 公営双方に対して実行するための提言である. そ こでは, それらが効率的に実行されるのみならず, 長期にわたって持続可能であるように 設置される必要があるとする. 制度改革のプロセスの正当性の評価基準については, 次の 3点を挙げている.
*31以下, Holzmann and Hinz (2005), p.7に沿っている.
*32以下, Holzmann and Hinz (2005), pp.7–8, p.17に沿っている.
3.3 新たな世界銀行の方針: Holzmann and Hinz (2005) より 71 a. 政府が提示している改革案は, 長期的な視野に立ち, 信頼できる公約か (Is there a
long-term, credible commitment by government?).
b. 改革案は, 政府自ら主導して作成したものか, また政府による財政的支援はあるか (Is there buy-in and leadership?).
c. 改革案に, 十分な改革実行能力の構築と執行が含まれているか (Does it include sufficient capacity building and implementation ?).
a.については2つの側面が挙げられている.
i. その改革案は, 各国の政治経済環境を十分に踏まえたものか.
ii. 改革を実行する前提となる政治的環境は, 改革を完全に実行し, 成熟化させる合理 的な見通しを提示できるほど十分に安定的か.
改革を実行する政治的環境は, それら2点の指摘においても見られるように極めて重要 であり, 改革の必要性が高まった際にはその機運を育て, 理解を深める必要があるとする. その環境は, 議論の余地があることは認めたうえで, おおむね次の3つのプロセスを経て 整えることを提言している.
第1に, 公約設定段階 (commitment-building phase) である. そこは, 3つのプロセス の中で最も時間をかけるべきで, 可能な限り多くの関係者を巻き込んで討議を重ね, 他国 における改革の経験を含め, 必要となる知識を共有することが重要とする. その上で,拙速 な合意形成は, 後のプロセスにおける合意形成の障害になるために避けるべきとする.
第2に, 改革の基本理念を広め, 改正法案を策定する協調体制の構築段階
(coalition-building phase) である. そこでは, 改革の必要性を信じ, その信念に従って法改正を実現
する原動力となる支持者の登場が重要である. 政府は, 詳細な検証を重ね, 改革の基本理念 を構築すると同時に, その修正協議に対しては前向きでなければならない. また,その基本 理念は既存の制度への国民の関心と一致していなければならない.
第3に,施行段階 (implementation phase) である. そこでは,行政による新制度の運営 能力は期待したほど高くなく, 最善の策への知識が未だ十分ではないことが課題とされる. そのため, 法改正自体は改革への機運が現れた時に実行することが望ましいものの, 施行 体制の改革は行政改革を実行するための行政能力が十分に高まり, 直面する諸課題を十分 に解決可能になった時に行われるべきとする.
b.について, 国民の支持がなければ年金改革は成し遂げられないことから, 改革案は 各国の政治家, 専門家によって設計され, 国民から支持されるように十分なコミュニケー ションが必要であることが指摘されている. 世界銀行をはじめとする第三者は助言や技術
的なサポートはするものの, 制度は各国政府が所有し, 制度への直接的な財政支援は各国 政府によって行われなければならないとする.
c.について, 年金改革は単なる法改正ではなく, 老齢期の所得保障の在り方の改革であ り, ガバナンス, 保険料の徴収, 記録の管理, 顧客情報, 資産運用, 規制や監督ならびに保険 給付の支給のような実務的な側面の改革も, 同時に必要であることが指摘されている. 世 界銀行は, 従来の制度設計における支援や資金援助を超えて顧客である各国や他の国際機 関などと協力し続ける. また, 改革の実行にはその能力の育成が不可欠であり, そこへの資 源投入の重要性を強調する必要があるとする.