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語り手の特徴 ――「逆手」と「隠れ手」

ドキュメント内 深沢七郎論 (ページ 39-44)

江藤淳62は、深沢が『笛吹川』で直接描いた戦國時代の甲州の「現実」が、結果的に 日本の戦後の近代的な社会の「現実」と重なっていると主張した。「ギッチョン籠」一家 の姿は、近代天皇制下の民衆の姿をほとんど象徴しているのではないかと思われる。一 方、深沢自身は秋山駿との対談で、「出来上ってから気がついたけど、戦争中に似てまし てね。その『笛吹川』が」63と創作経緯を回想した。本多秋五、武田泰淳、平野謙など の作家と評論家もこの作品における民衆と戦争の構図を指摘した。彼らの分析をまとめ てみると、『笛吹川』が近代日本の戦争体験を踏まえ、武田氏の盛衰を背景として、流れ 続ける笛吹川に象徴された死生輪廻を述べた作品であるとみなされている。

一方、『笛吹川』が発表されてから、花田清輝と平野謙の説を中心とした「笛吹川論争」

が起こった。1958 年 6 月『群像』の「創作合評」において、花田は『笛吹川』に出た「農 民の支配階級に対する心理」を論じたが、平野は花田の発言に戦争中の「近代の超克」

論議を思い出させられたと批評した。武田家と農民たちの関係をめぐって、花田はこの 小説が「叙事的」であるところと、「支配階級に対する憎悪感」の濃い点をよしと評価し た。それに対して、平野はこの小説の細部には面白い箇所があるが、全体として退屈で あると反論した。後に佐々木基一、野間宏などの多くの評論家たちが論争に参加した。

この論争も次第に「近代主義是非」などの主題まで広がって、近代の大衆と支配階層と の関係にも投影されたのである。一方、『笛吹川』の研究成果においては、庶民意識に基 づいた深沢の歴史観を分析した尾崎秀樹64と、この作品における共同体の構築と集団意 識を検討した大久保典夫65などの論が示唆的だと考える。

前述の通り、武田家が滅亡した最後の戦争を除いて、『笛吹川』には、直接合戦の場面 を描くことが極めて少ないのである。深沢は、「ギッチョン籠」一家の人々の目線を通し てこの世を見て、庶民たちの人生によって命の消滅と継起を語っている。その叙述は、

普通の軍記物・歴史小説のような客観描写とは明らかに異質なものである。野村喬は、

「歴史を酷薄とみるよりは、そのような得失からの脱出が意図されているのであった」66

62 江藤淳 「『はしか』にかかることによってはじめて子供は大人になる――笛吹川論争をめぐって」

『近代文学』 昭和 33 年 7 月号

63 深沢七郎・秋山駿 対談 「私の文学を語る」 『三田文学』 三田文学会 昭和 44 年 9 月号

64 尾崎秀樹 「庶民という地獄--深沢七郎の歴史観」 『国文学 解釈と教材の研究』 學燈社 1976 年 6 月号

65 大久保典夫 「深沢七郎 集団の倫理」 『国文学 解釈と教材の研究』 學燈社 1976 年 6 月号

66 野村喬 「深沢七郎――『笛吹川』を視座として」 『国文学・解釈と教材の研究』 學燈社 1969 年 12 月号

35 と『笛吹川』を評価した。

総体的に見ると、『笛吹川』に関する論評と研究は、歴史の再現、生と死、それに「近 代自我」の縮小などの問題に集中している。しかし、深沢七郎の最初の長編小説として、

この作品の創作手法と特色がいまだ深く検討されていないのは残念なことである。以下 では、外的な要素を排除し、テキスト分析の方法によって『笛吹川』の解読を試みて、

作家がこの土俗世界を構造する手法を解明したい。

『笛吹川』の登場人物は多いため、世代順に作中の人物関係を<図-2>のようにまとめ ておきたい。67

<図-2>

お屋形様 「ギッチョン籠」

一 代

信 虎 様 (「 晴 信 様」となった勝 千代に追い出さ れた)

一代 おじい(お屋形様に殺された)

二代 半平(婿・病死)

二 代

総領(7 歳で夭 折)

三代 半蔵→「土屋半蔵」(32 歳頃戦死)

ミツ(前夫:竹野原;再婚:山口屋)(山口屋が お屋形様の嫉妬心によって全滅された)

タケ(黒駒に嫁に行った・53 歳頃病死)

ヒサ(八代に嫁に行った・53 歳頃病死)

勝千代様→

「晴信様」→

「信玄様」(お屋 形は、「石和の陣 屋」と改称した)

(病死)

四代 ✱定平(ミツと竹野原の長男)-おけい(妻・

60 歳頃合戦で敵に殺された)

キヨ(ミツと竹野原の長女・7 歳で夭折)

タツ(ミツと山口屋の娘・山口屋惨事の生き残 り・孫と一緒に天目山の戦で敵に焼死された)

虎吉→「大隅ノ守様」(ヒサの息子・37 歳頃戦死)

三 代

聖道様

(二人目の子・

天目山の戦で敵 に殺された)

五代 惣蔵→「土屋惣蔵」(定平の長男・28 歳頃戦死)

―嫁(天目山の戦で敵に殺された)

安蔵(定平の次男・24 歳頃戦死)

平吉(定平の三男・21 歳頃兄さんたちを天目山 の戦から連れて戻そうとしたが敵に殺された)

ウメ(定平の娘・陣屋へ奉公・19 歳頃天目山の 戦で敵に殺された)

勝頼様(陣屋の 主人)

ノブ(タツの娘・山口屋惨事の生き残り・19 歳 に妊娠して陣屋を逃げ出したが後に殺された)

67 「お屋形様」と「ギッチョン籠」の世代間の対応関係を、主に人間関係によって決められたのであ る。おじいと半平は直接に信虎様に仕えていた;お屋形様二代の信玄様は、ギッチョン籠四代の定平 とは同年同日生まれであるが、後にギッチョン籠三代の半蔵の「旦那」となった;勝頼様はノブと同 年で、ギッチョン籠五代の人たちに仕えられた、のような理由を踏まえて、以上の世代関係を整理し た。

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(四人目の子・

天目山の戦で敵 に殺された)

六代 次郎(ノブの息子・天目山の戦で祖母のタツと 一緒に敵に焼死された)

久蔵(惣蔵の息子・父に殺された・殉死)

セヨイ(惣蔵の娘・敵に殺された)

このリストからわかるように、最後、「✱」の定平を除いて、「ギッチョン籠」一族は 全滅してしまった。神谷忠孝は、これらの登場人物を三つのタイプに分けた68。中心に なるのは、定平に象徴される「平系」である。戦を好まず平穏な庶民の生活を送ること を信条としている半平、平吉などもこの類の人である。神谷は、この「平系」を平凡な 生活に満足する「庶民の原像」と定義した。これに対して、半蔵、惣蔵、安蔵などの「蔵 系」の人たちは「ノオテンキ」(向こうみず)と呼ばれる。この類の人々は血の気が多く、

手柄をたてて栄達を願う好戦的な人間である。三つ目のタイプは、娘を殺されたタツの ような、権力者に復讐することを唯一の生き甲斐にしている人である。ところが、神谷 の論は、「おけい」のような母性と庶民性を統合したキャラクターを見逃してしまった。

「庶民の原像」である定半とおけい夫婦は『笛吹川』の主人公であり、前近代的共同体 の生存原理を実践した代表人物である。特におけいの献身的姿は、『楢山節考』のおりん の延長線にあるのではないかと考えられる。

深沢は、「ギッチョン籠」の三代目までは一枚一枚の写真を並べるように、彼らの死を 歳月の流れに従って描いた。このような穏やかなリズムとは裏腹に、作家は「ギッチョ ン籠」の四、五、六代の死の群像を恵林寺の兵火と結びつけ、惨死の地獄のようなクラ イマックスを作り上げた。最後、唯一の生き残りである定平は笛吹川を眺めて、「濡れ髪 のようなお屋形様の紋どころが黒く絡みついてきた。攻め太鼓の音が聞えて来るようで、

あわてて、バサッとまた川しもへ投げ込んだ」。薄い滑稽味のある結末は、深沢流のブラ ックユーモアを響かせ、死の悲惨さと悲しみの色を薄めたのである。

人間は生まれ、そして死ぬ、「平系」にせよ「蔵系」にせよ、男女と地位を問わずに誰 でもいつかは亡くなる。『笛吹川』を通して、深沢は「悲劇」より、自然の摂理に従って 人間の生死の実態を描こうとしたと考える。このように生死の光景を自然的にスケッチ する手法は、彼の独特な「客観描写」である。

前節で言及した通り、深沢の作品は常に物語世界外の語り手によって叙述されている。

しかし、このような語り手は、通常意味上の「全面的に信頼できる語り手・全知的な叙 述者」とは違い、作中人物の行動によって叙述を進めているのである。読者はその中か ら、現前の情報しか把握できず、筋の展開を一切推測できない。

例えば、第一節の後半で、ミツが子供たちを連れて竹野原と離縁し、自家に戻った。

ちょうどその頃、笛吹橋の向うの「お坪木大尽」と呼ばれている大百姓家が後妻を貰お うとしていた。「ギッチョン籠」と村の人々は、ミツがその後妻の最もふさわしい人であ ると思っている。しかし、第一節の最後で、わけも説明せずに坪木家は別の女を迎えた。

第二節に入ると、半蔵の出世のおかげで、ミツは甲府一番のお大尽の山口屋に嫁に行っ

68 神谷忠孝 「『笛吹川』の流域--深沢七郎の方法」 『国文学 解釈と教材の研究』 學燈社 1975 年 3 月号

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た。三十歳になった彼女が、それほど「いい家」に嫁に行ったのは不思議なことである。

もう一つの例としてあげたいのは、タツと孫の次郎のことである。タツと娘ノブは山 口屋全滅事件の生き残りである。ノブは無理矢理に陣屋への奉公に連れて行かれた。す でに妊娠した彼女は逃げ出したが、後に陣屋の人に見つけられ斬殺されてしまった。し かし、死んでしまったノブから、奇跡的に男の子が生まれた。タツはこの子を恵林寺の 前に置いた。それからというもの、ひまさえあればタツは必ずその子を見に行っていた。

その十何年間、お寺と家の間を往復していた疲れ知らずのタツを眺めていた定平も語り 手も、当然祖母と孫の仲は良いに決まっていると思っていた。後に、定平は娘ウメの婿 をもらいに次郎に会った時、次郎がタツを冷たく見て、彼女に会うのも嫌がっているよ うだと気付いた。幸せそうな家族関係は、タツの「片思い」なのである。

高橋和巳は、深沢のこのような叙述法を「自然の視線」と呼び、「自然とは、もともと が人間の感傷を越えた存在であり流れであるから、この方法によって生まれる作品は、

結果的に非情である」69と論じている。佐伯彰一は「一切が、具体的、即物的に語られ ている。深沢七郎氏の文体には人工的な古拙ぶりは全くなく、また間のびした、アナク ロニズムの面白さとも違う」70と深沢の文体の特徴を説明した。

「何もわからないままに語る」というのが深沢の三人称叙述の最大の特色であろう。

作家自身は、このような叙述法を「逆手」と命名した。

筋や文章を進めるのに「逆手」(私はこんな名をつけた)の手法を使った。こっ ちから来ると思った人があっちから来たり、橋向うへ嫁に行くと思っていた女が反 対の方角の甲府へ嫁に行ったり、褒美をもらうつもりで行ったのに殺されて戸板に 載せられて帰ってきたり、あれほど欲しがって出来た子が一家を滅ぼすもとになっ たりするなどを逆手と呼んだ。(中略)後で数えたら三十ヵ所以上もあった。71

深沢の所謂「逆手」は、語り手が現前の状況や風景のみを述べ、登場人物の行為以外 のことを想像したり予想したりすることを一切行わないことである。つまり、語り手の 叙述は、現前の知職・情報の境を越えたことがない。現在の様子は、必ず「当然の将来」

を招くわけではないように、『笛吹川』の語り手によって描かれた内容は「絶対的な権威・

信頼」を持っていない。このような叙述を一種の「とぼけ」と見做してもいいが、深沢 は「逆手」の手法を通して、語り手の責任を免除した上で、物語の意外性と衝撃力を確 保した。物語世界への侵入と干渉を回避した語りは、作家が庶民と土俗的世界を眺める 視線そのものではないかと考える。

物語世界外の巨視的な叙述と物語世界内の叙述の交差は、『笛吹川』のディスクールの もう一つの特徴である。ほぼ毎節の冒頭で、語り手は物語世界の外部に立って今までの 状況をまとめ、一部分の継起的出来事に関する叙述を省略した。第一節の「ギッチョン 籠」家についての紹介は、『楢山節考』の冒頭の再現であり、庶民世界の様子を鮮やかに 伝えた内容である。第二節の「その年の暮、ミツは甲府へ嫁に行った。半蔵が探した嫁

69 宗谷真爾 「『楢山節考』」 『国文学 解釈と教材の研究』 學燈社 1976 年 6 月号

70 佐伯彰一 「深沢七郎の文体」 『言語生活』 筑摩書房 1960 年 9 月号

71 深沢七郎 「『笛吹川』あとがき」 『深沢七郎集』(第八巻) 筑摩書房 1997 年 159 頁

ドキュメント内 深沢七郎論 (ページ 39-44)