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深沢七郎と中上健次の「再生」 ―― 近代への歩み方の異同

ドキュメント内 深沢七郎論 (ページ 65-72)

1.2 生存基盤の崩壊と再構築 ―― 「土俗志向」作家である深沢七郎

1.2.2 深沢七郎と中上健次の「再生」 ―― 近代への歩み方の異同

1970 年代以降、中上健次は度々深沢七郎の住んでいたラブミー農場を訪ねた。深沢も この新宮出身の若者に好感を抱いていた。忘年の交わりを結んだ二人はよく農事したり 対談したりした。中上は、深沢の自然流の生き方と死生観に深い興味を示している。1976 年の「人間――土に還るもの」という対談において、二人は人生、音楽、それに文学に ついていろいろと話し合った。深沢の話を聞きながら、中上は、「ぼく、受賞後、朝日新 聞に『土のコード』というのを書きました。そのコードっていうのは、ギターの AmFm というあのコードです」と彼の文学観に賛同の意を表した。更に、路地出身の中上は、

ラブミー農場で自分の「還る所」を見つけたような気がした。彼が何よりも感心したの は、深沢の「根がつかない」ライフスタイルである。

一方、人との付き合いが嫌いで気難しい深沢は、中上のことを以下のように述べた。

中上健次氏は埼玉の菖蒲町のラブミー農場に来てくれた。始めて逢ったこの人は 背が高く、肥っていて、ボリュームある好青年だった。(中略)文学の話はむずか しいので私には苦手なヒトだが、この若い作家には好感がもてるのだ。(中略)我 が家で釜の中から手づかみでめしを食ったこと、これほど親しい友達づきあいをし てくれたことに私は感激する。どーか、また来て、ふたりで手づかみでめしを食い たいものだ。手づかみの友、中上兄よ、薪で炊いた釜のめしは、きっと気に入った でしょう。101

デリケートな神経の持ち主である深沢は中上の「庶民性」を直感し、この若者の身か ら「土俗」の匂いを嗅いで、彼を「友達」として受け入れた。エリートだらけの戦後文 壇とうまく付き合えず、「偉い」文学者を敬遠した深沢は直接に好感を言い出すことから、

彼の中上への親近感を垣間見ることができる。

土俗的な空間を構築することを通して、心の原風景を再現するのは、深沢と中上創作 の重要な原動力とモチーフであると思われる。地縁血縁的共同体にせよ、母性倫理によ って支配された世界にせよ、この二人の作家は初期作品において、独立性と独自の生存 原理を備えた土俗的世界を作り上げた。心身に馴染んだ風景を再現する作品を書き上げ ることは、深沢と中上の原風景への追求でありながら、心の内奥を明らかにすることで

101 深沢七郎 「『たったそれだけの人生』あとがき」 『深沢七郎集』(第十巻) 筑摩書房 1997 年 390―391 頁

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はないかと考える。保坂和志の言葉を借りると、「せこく、意地ましく、小説家として自 分の出自を作品に反映させようと」する作家なら、「和歌山に中上健次がいるように山梨 に深沢七郎がいる」102というわけである。

しかし、深沢と中上の中期作品において、「甲州の土俗世界」と「熊野の路地」は共に 消滅の危機に陥ってしまった。『甲州子守唄』と『地の果て 至上の時』は、近代化と都 市化による土俗的空間の崩壊プロセスを語った作品である。歯止めのかけられない近代 化の勢いに向き合って、深沢と中上の土俗的空間の生存基盤、言い換えれば近代から独 立した摂理は崩れてしまった。

前述のように、1960 年代は日本の高度経済成長の最盛期である。その前後では、日本 人の生活習慣が大きく変化した。『風流夢譚』事件の影響で全国を流浪した深沢は、全速 で進んでいた近代化と都市化を様々に体験した。土俗的風景の消失を実感した彼は『甲 州子守唄』を通して、その地縁血縁的共同体倫理の崩壊を語り出した。一方、中上の創 作の原点である路地が消えるようになったのは、1978 年から 1983 年にかけての新宮市 の開発事業の間である。彼の生れた被差別部落の所在地である春日地区は、跡地開発事 業の最終段階として、1981 年から 1983 年にかけての開発工事によって潰された。1983 年発表された『地の果て 至上の時』は、その現地の住民たちが追い出された近代化の 風景を描いた。都市化の進展と作家自身の成長に伴って、初期創作における原風景再構 築の追求の代わりに、深沢と中上は土俗的空間が強力な近代化・都市化によって崩され た事実を踏まえて、創作を展開していった。従って、彼らが描いた人間関係にも変化が 起こった。次に、作中の人物像を通して、深沢と中上の着目点と創作意識の異同を分析 してみたい。

中上の秋幸三部作における主人公のアイデンティティの確立にとって、その母フサは 重要な役割を果たした。彼女の気強い姿、及び父性的権利への抵抗は路地の特別な原風 景の一部分である。『地の果て 至上の時』において、路地開発の気運に乗って金持の奥 さんになったフサと美恵は、母性的空間を失っても「近代」に相応しい生き方を見つけ た。エネルギーの溢れた路地の女性は、一転して近代化と都市化のメリットを最大限ま で生かした人間になった。こういった意味から言えば、『地の果て 至上の時』における 秋幸のアイデンティティの確立が「再生」である一方、フサと美恵の「近代」への転身 も一種の「再生」ではないであろうか。路地の女たちのすさまじい生命力は、近代にお いても強い勢いで展開している。

深沢の『甲州子守唄』において、前近代的共同体の生き方を実行したのはオカアであ る。大庶民的特質の持ち主である彼女は、『楢山節考』以来の深沢風の老婆の代表者であ る。息子徳次郎の身に起こった時代的変遷とは無縁で、オカアは家族のために一生懸命 生きる生き方を徹底した。中上の描いた「母性世界の強い母」から「近代資本家」へと 転身したフサの動態的姿と違い、深沢作品における「母親」は、いつも目立った類型性 を示している、所謂静態的なキャラクターである。他人への役割を通して自身の価値を 判定するオカアの共同体への依存度は、非常に高いのである。近代化によって崩された

102 保坂和志 「どこにこんなに惹かれるか」 『没後 25 年 ちょっと一服、冥土の道草』 河出書房 新社 2012 年 95 頁

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地縁血縁的共同体の消滅と共に、オカアは生き甲斐を見失ってしまった。近代社会にお ける居場所を確立できない彼女の「衰弱」は、近代化が土俗的前近代世界を消滅させた ことを集合的に示していると言えよう。

叙述の面から見れば、深沢と中上は全く逆な視角を取っていると考えられる。秋幸三 部作は、すべて秋幸を焦点として展開したのであり、主人公の経験しなかったことはほ とんど「噂」という形式で述べられている。『枯木灘』と『地の果て 至上の時』の間の 三年間の空白も、入獄した秋幸の不在に因んだのである。路地の解体後、彼は自分の視 線で路地、東アジア、更に母系と父系の人間関係を観察したり判断したりして、自己確 立に向かっていた。

中上の語り方と違い、深沢は『甲州子守唄』において、オカアと徳次郎の視線を交互 に用いて叙述を進めている。その中で、オカアが焦点となる語りは、全体の七割前後の 分量を占めている。徳次郎が「アメリカさん」になるまで、オカアが前近代的共同体の 中核的存在として焦点となっていた。後に、日本に戻ったばかりの徳次郎は、オカアの 焦点化子となった。母親の目に映った息子は、すでに「庶民」と全く違うような人にな ってしまった。小説の後半に入って、都市化の進展に従って時代の「隅」に追われたオ カアは、焦点の役目を果たせなくなったため、語り手は徳次郎の視線によって物語を進 めるようにした。ところが、徳次郎は近代化における新しい生存基盤を築くことに失敗 した。彼の「アメリカさんとして一生余裕に生きる」夢は、物価の高騰によって夢のま まで終わってしまったのである。

まとめると、中上が秋幸を通して、近代へ歩み出す「生」の姿を描き上げたとすれば、

深沢は近代化の風潮に生存基盤を見失った前近代的庶民の「死」の群像を作り出したと 言えよう。深沢も中上も、自分の生まれ育った地方の土俗的原風景を再現するところか ら出発して、文壇に踏み込んだ。近代と離れた世界を再現することは、二人の前期作品 の最大の魅力であると言っても過言ではないだろう。後に、土俗的世界に拘らず、彼ら は近代化と都市化の進展に伴う土俗的空間の破壊というモチーフを通して、物語の現実 性を打ち出した。ところが、土俗的原風景を失ってからどのような姿勢で近代に接する のかという問題に対して、深沢と中上は全く違う答えを出している。受動的少年からア イデンティティを確立した大人までの秋幸の成長性、それに中上の中後期作品に出たポ ストモダン103的感受性は、深沢とは無縁なものである。『笛吹川』及び『甲州子守唄』に 漂う受動的な死亡の臭いは、実は深沢の自然無為の態度、それに「人間滅亡」の教義の 実践ではないかと考える。

人間のすさまじい「生の力」を描いた中上と違い、深沢は人間の「特権視」を強く否 定している。安藤礼二は深沢の滅亡論の骨格を、「人間と森羅万象は、まったく同じ価値 をもって存在している。(中略)生ばかりに価値が置かれるのではない(中略)自然のな

103 柴田勝二は『中上健次と村上春樹――<脱六〇年代>的世界のゆくえ』(東京外国語大学出版会 2009 年 3 月)において、「六〇年代的情念を脱色した形象としての秋幸という人物を作中にもたらす着 想自体が、中上におけるポストモダン的世界の起点であった」と述べた。路地の消失によって、天皇 と日本文化の共鳴し合う象徴界的秩序の焦点も空無化し、「その空隙に<ポスト・ポストモダン>の幻想 としての東アジア諸国の連携がせり上がってきたのだった」。

ドキュメント内 深沢七郎論 (ページ 65-72)