深沢七郎の生まれた石和町は、山梨県の中央部、甲府盆地の北縁に位置する。石和町 南部は笛吹川の氾濫原で、町域中央を笛吹川が貫流している。この川は、日本三大急流 の富士川水系の一級河川である。地形が急峻なため、梅雨、台風の季節に洪水が起こり やすくなっている。中でも明治四十年八月に発生した大水害の被害は甚大であった。こ の氾濫した笛吹川は、深沢の幼い時の重要な原風景の一つである。
52 この一節は、『日语教育与日本学研究——大学日语教育研究国际研讨会论文集(2012)』(华东理工大学 出版社 2013 年 2 月)に発表した「自然の鎮魂曲――深沢七郎の『笛吹川』のテキスト分析」の内容 を基本としたものである。
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笛吹川は甲府盆地の東部を二つに分けて流れて、富士川になる。私の生れた石和 町辺は明治四十年の水害で町の西側を流れていた川が東側の流れに変ってしまっ た。石和町をはさんで笛吹川は大水が出ると流れを変えたそうである。(中略)現 在の小松農園や温泉地の大半は明治四十年の水害以降は「廃河川」と呼ばれた川砂 地だった。53
笛吹川は度々急流で郷土を崩し、砂や石を運んで新しい土地を築いてきた。そのため、
多数の農民や住民は、河川流路の変更に従って農地や住居等の移転を余儀なくされてい たが、深沢にとってはこれも自然の持つ一つの不思議な力であった。
笛吹川の風景だけでなく、石和地域もまた、甲斐源氏と武田氏に深く関わったところ である。戦国期には甲斐統一を達成した守護武田氏が戦国大名として、領国拡大を進め ていった。
日川中学は笛吹川へそそぐ支流の日川にあって、武田家滅亡の時、天目山の途中 の崖角で土屋惣蔵が片手斬りで敵を倒し、『片手で岩角につかまって、片手で敵を 斬っては谷底に蹴落して、三日間、血の河となった』という伝説の三日川が日川と なった名の川である。54
中学時代の歴史先生に武田家の話を詳しく聞かされた深沢は、戦国時代を背景として
『笛吹川』という「生と死」の小説を作り上げた。「笛吹橋の石和側の袂に、『ギッチョ ン籠』と呼ばれているのが半蔵の家だった」と「攻め太鼓の音が聞えて来るようで、あ わてて、バサッとまた川しもへ投げ込んだ」は、『笛吹川』の冒頭と結束の文章である。
流れ続ける笛吹川がこの作品を貫いている。『万葉集』巻三に載る「不尽山を詠ふ歌一首」
(三一九番)は、富士山を大和の国の鎮護の神と見なし、「不尽河」をその山ゆえの激流 として描写している。この長歌の冒頭に記された「なまよみの」は、甲斐の国の枕詞で あり、「なまよみの」と「甲斐(交ひ)」が対になって、現世と黄泉国の境を意味する55。 誰かが生まれ、誰かが死に、命の流転が笛吹川の流れのように、自然的な筆致で描写さ れている。一方、相原和邦によって指摘された通り、「笛吹川」という設定は「方丈記」
の有名な冒頭――「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」56を思い起 こすのである。この「無常にして悠久なる川」は『笛吹川』の自然的視線の基盤を成し ている。
深沢七郎は、「『笛吹川』あとがき」57と「『笛吹川』と「ギッチョン籠」」58の二篇の随
53 深沢七郎 「『笛吹川』とギッチョン籠」 『深沢七郎集』(第八巻) 筑摩書房 1997 年 91 頁
54 深沢七郎 「自伝ところどころ」 『深沢七郎集』(第八巻) 筑摩書房 1997 年 25 頁
55 荻原三雄・数野雅彦 対談 「富士川――その心象風景」 『富士川(笛吹川 釜無川) 母なる 川――その悠久の歴史と文化』 郷土出版社 2002 年 22 頁
56 相原和邦 「『笛吹川』の視点」 『国文学 解釈と教材の研究』 學燈社 昭和 51 年 6 月臨時増 刊号
57 初出は『笛吹川』(中央公論社 1958 年)。本論の引用は『深沢七郎集』(第八巻)(筑摩書房 1997 年)によるものである。
58 『週刊新潮』の 1980 年 8 月 7 日号に「美しい日本。名作文学の舞台を訪ねて⑧山梨」として発表 された。本論の引用は『深沢七郎集』(第八巻)(筑摩書房 1997 年)によるものである。
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筆において、この小説の創作について詳しく述べた。その中で特に示唆的な部分は以下 のようである。
小説『笛吹川』はこの橋のタモトにある「ギッチョン籠」という虫籠を吊った ような家の人達の五代にもわたる庶民たちが戦國の武田家の興亡と共に運命の流 れにただよう物語になっている。「ギッチョン籠」の家は私の中学生の頃、笛吹橋 の次の橋――鵜飼橋のタモトにあった家で、いたずらな私達はその家の電線をゆ すると家が大きく揺れ、そこのオジさんが怒って飛び出してきて追いかけられた ものだった。…主人公が人物ではなく、「ギッチョン籠」の家が主人公だと思って 私は書いた。(「『笛吹川』と「ギッチョン籠」」)
『笛吹川』で書きたかったのは生と死の二つの主題だった。人は死んでも、ま た生れる人達があるのだ。それは私にはなんとも云えない悲しい響きだ。(「『笛吹 川』あとがき」)
深沢の発言は、『笛吹川』という作品を理解する重要なヒントである。笛吹川の流れに 基づいて創作されたこの小説は、武田一族の滅亡を背景としているが、その主人公は「ギ ッチョン籠」である。では、『笛吹川』における歴史的要素をどう理解すればいいのか。
この作品の物語は、武田氏第十八代当主である武田信虎が二十八歳となる年、歴史か ら推測すれば 1521 年-1522 年頃から始まり、武田家第二十代当主の勝頼が殺されるまで の六十余年間のことを語っている。その中に、晴信(信玄)が甲駿国境を封鎖して、信 虎を強制隠居させることも言及された。信玄の死によって家督を相続した勝頼は、強硬 策を持って領国拡大方針を進めた。天正十年(1582 年)三月十一日、織田信長の本格的 な侵攻(甲州征伐)により、勝頼は嫡男信勝とともに天目山で自害し、平安時代から続 く甲斐武田氏は(戦国大名家としては)滅亡した。
以下は、この作品で言及された「史料」である。
◯ 信玄が京都から正室を迎えたこと(第二章)
◯ 信虎が駿河に赴いている間、信玄に権力を奪われたことと川中島合戦(第三章)
◯ 信玄の死と長篠における武田軍の大敗(第七章)
◯ 勝頼による新府築城(第八章)
◯ 高遠城の落城、譜代家臣小山田信茂の寝返りと武田一族の滅亡(第九章)
主人公である「ギッチョン籠」という家には、代々武田家の「お屋形様」に仕える男 がいる。物語の最後、勝頼の死に伴って、この庶民の一族もほぼ全滅してしまった。し かし、歴史事件を背景とした『笛吹川』は「歴史小説」ではない。この物語は始終「ギッ チョン籠」の人々の目線に従って展開し、庶民の生活を凝視しているものだからである。
この作品に必要なのは、「武田家の盛衰という背景」だけであり、具体的な年代などは庶 民の生活にとって逆に余計なものになる。
『笛吹川』において、「川中島の戦」、「三方原の戦」などの合戦名が時々言及されたが、
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それは出世した惣蔵と虎吉などによって伝えられた情報である。晴信が信虎を追い出し た話を聞いて、「半平はお屋形様の話などはどうでもよいことだった」。彼が心配してい るのは、晴信の代になると自分が馬を納めた銭をもらえるかどうかくらいのことのみで あった。後に、虎吉から信玄の死を知った定平は「思いが叶ったから、よかったじゃ」
と一言しか言わなかった。お屋形様の世界は、庶民にとって理解できないものであろう。
半平や定平などの「庶民的主人公」も、身近の出来事以外のものにはほとんど興味を示 さなかった。特に勝頼の最期において、語り手は時々子供を連れ戻そうとしたおけいの 視線に従って叙述を展開した。敵は誰なのか、逃亡先はどこなのか、歴史上の有名な「甲 州征伐」と「天目山の戦い」は彼女にとって無意味なことである。子供たちと一緒にい る、子どもたちを家に連れ戻すことばかり考えていたおけいは結局戦争に巻き込まれ、
敵に斬られてしまった。
「人は生れて、死んで、歳月はたつのである。事件があっても、なくても、としつき は経って、なんの意味もなくすぎて行くということだと私は思う。」59深沢は『笛吹川』
の歴史的時間意識と歴史性を弱めて、その中から万物流転という世相を捉えようとして いたのである。つまり、作家がこの作品を通して述べたいのは史実などではない。庶民 の生活様態と日常感覚こそが、彼の着目点なのである。
また、「ギッチョン籠」家の半蔵、虎吉、惣蔵の名前は、戦國時代の実在の武将たちか ら借りたのである。服部半蔵、原虎吉、それに土屋惣蔵(土屋昌恒)のいずれも武田氏 に深く関わった人物である。『笛吹川』において、深沢は彼らを「苗字がない」庶民家の 出身と設定し、これらの人物を通して「お屋形様」と「庶民」の世界を結びつけたので ある。この三人の人生は、主に「いくさに行く(出世)-改名―武士家の娘との結婚(半 蔵は結婚する前に死んだ)―戦死」というパターンによって展開されている。彼らのお 屋形様への忠誠は、定平とおけいの領主への敬遠と対照して、庶民の権力者への感情の 両面性を語り出した。
しかし、いかなる立場であっても、人間は結局「死」という絶対的な結末を迎える。
こういった意味から、深沢の作品が「実存主義的なもの」であると言った人もいたが、
深沢自身はそれに同意しなかった。「私は、哲学とか思想とか、なんか、やたらと難しい 言葉をならべているのを見ると、それだけで、頭の中が汚れてしまうような気がするの だ。」60彼にとって、汗水たらして出世を果たした人であっても惨死してしまうことは、
哲学のような奥深そうなものなんかではなく、自然の理なのである。
一言で言うと、『笛吹川』において、武田氏と武将たちの有名性は庶民生活を離れた世 界・空間を成し、「史実」は庶民生活の背景・舞台であるに過ぎないのである。遠丸立61 は、「表面上どんな歴史時点を扱っていても、そういう時代的な考証や配慮を作者は完全 に無視していながらまったく平気でノホホンと筆を走らせる」と作家の「極度の鈍感さ」
を指摘した。しかし、深沢が『笛吹川』のような歴史を離れた「歴史小説」を書き上げ たのは「鈍感さ」に因んだのではないと考える。彼が注目したのは前近代的庶民の日常
59 深沢七郎 「『深沢七郎傑作小説集』あとがき」 『深沢七郎集』(第八巻) 筑摩書房 1997 年 195 頁
60 深沢七郎 「深沢七郎ギター教室」 『深沢七郎集』(第八巻) 筑摩書房 1997 年 383 頁
61 遠丸立 『深沢七郎---文学と、ギターと』 沖積舎 1986 年 218 頁