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深沢七郎と中上健次の女性意識の異同 ―― 母の「生」と「死」

ドキュメント内 深沢七郎論 (ページ 72-89)

1.2 生存基盤の崩壊と再構築 ―― 「土俗志向」作家である深沢七郎

1.3.2 深沢七郎と中上健次の女性意識の異同 ―― 母の「生」と「死」

二十世紀七十年代と八十年代、深沢七郎と中上健次は時々インタビューと対談を行な った。中上は、深沢への尊敬の意をしばしば表し、深沢もこの若者のことが気に入った ようだ。中上のポストモダン的特質も目立っているが、この二人の土俗的共同体世界に は様々な共通点がある。特に『楢山節考』のおりんと『鳳仙花』のフサ、二人の作家の 初期作品における「母親」のイメージは、鮮明で迫力に満ちたものである。

今まで、深沢と中上を並べて論じた研究成果は多くない。特に二人の女性意識を比較 する研究は、まだ手付かずである。しかし、単独に深沢或いは中上の女性創作を検討す る論文は数多くある。これから、路地を舞台とした「秋幸三部作」に先行する『鳳仙花』

や『千年の愉楽』121などの作品を踏まえて、中上と深沢の女性意識の異同を比較し、彼 らの母性と土俗的原風景の実像を究明することを試みたい。

複雑な地縁と血縁に絡まれた「秋幸」は、路地が孕んで産み落としたそのものである。

この主人公の身には中上本人の影が色濃く残っている。秋幸三部作などの作品に語られ た作家の「心の葛藤」は、根本的に言えば母系倫理と父系原理の衝突に由来するもので ある。『枯木灘』と『地の果て 至上の時』の間に発表された『鳳仙花』は、その母フサ の波乱の半生を雄大な物語へと昇華させた「母の物語」である。母性と父権との衝突を

121 六篇の連作を集めた単行本『千年の愉楽』は河出書房新社より 1982 年 8 月に刊行され、1992 年 10 月に同社より文庫化されている。

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モチーフにして作られた秋幸三部作に対して、『鳳仙花』はその母性倫理の形成と継承を 語った作品である。波瀾万丈な一生を送ったフサは、「母さん」と「太母」122の特徴の集 合体である。『鳳仙花』において、古座の家族愛に包まれた清楚な水仙から、男性に愛さ れた鮮やかな夏芙蓉を経て、さらに血のような凄まじい色をした鳳仙花にまで転身した フサは、女性の「生の力」を最大限に見せている。秋幸三部作に登場したのは、すでに 自分の柔らかいところを捨てて、「強い母」と変身したフサである。路地に咲いた「生命 力の強い鳳仙花」という母親のイメージは、中上の生命と母性原風景の原点である。

六人の子を産み、数回流産したことは、フサの「母性」の基本――繁殖力の証である。

彼女自身も路地も、「産み出す子宮」のような存在である。多産という豊饒な母性の他、

行商して一家の生計を立てた彼女は、旺盛な生活力と生命力を見せている。子供に生と 幸福を与えるために働いたフサの姿は、まるで幼児神を抱く母神、あるいは生命を包ん だ大地のようなものであろう。一方、「強い母」もフサの無視できない特徴である。秋幸 三部作に入ると、長女芳子と三女君子が出稼ぎに行ってから、フサは長男郁男と次女美 恵を路地の家に棄てて、秋幸だけを連れて繁蔵の家に入った。大人の子を追い出し(「殺 し」の変形)、幼児の子だけを傍に置くのは「太母」の特質である。フサと郁男の母子関 係から、太母と成年した息子との対立を読み出すことができる。母と兄との激しい衝突 は幼い秋幸の外傷体験と心理的重荷となり、彼のエディプス・コンプレックスに拍車を かけてしまった。

全体的に見ると、路地の代表者であるフサは、豊かな繁殖力と生命力を持ちながら、

太母らしい強さと恐さも見せている。二十九歳の秋幸を主人公とした『地の果て 至上 の時』において、近代開発に従って路地が消えてしまったが、女性の間に継承された「太 母」の血は流れ続けている。優しく弱そうな姉美恵は、母の育ちと近代化の洗礼を経て、

路地の廃墟から立ち上がって新たな「太母」と成長した。つまり、フサの強さと生命力 は近代においても衰弱せず、娘の美恵によって継承されたのである。路地の女たちの母 性的エネルギーは、中上のエディプス・コンプレックスの源であり、この母性的空間の 一番大事な原風景であろう。土俗風景の破壊に従って「路地」は徹底的に変貌した。こ の痩せた「土壌」においても、母系的血に染められた鳳仙花はすさまじい生命力を見せ ている。

出身地の土俗的風土に染まった女性の姿を再現するのは、深沢七郎と中上健次創作の 重要なモチーフである。特に「母親」に収斂的に示された地縁血縁的原風景は、作家た ちの特に拘ったところである。深沢と中上は、家族のために全力を尽くした母親の姿、

そしてこれらの女性によって表された地縁血縁的生存感覚を通して、独立した土俗的原 理を備えた物語世界を構築した。ところが、深沢のユートピア化された大庶民的な「母 親」と比べると、中上によって描かれた「母親」のイメージは、もっと立体的なものの

122 ユングの元型理論とノイマンの深層心理学理論では、「大地の母」に由来した「太母・グレートマ ザー」が生命的原理として重要な位置を占めている。太母とは、養育に代表される包み込む基本的性 格と、出産に代表される変容的性格とを持つ女性というもの全体に共通のイメージが、人類共通の集 合的無意識のうちに存在すること。子供を包み込む全てを与える聖母のイメージで現れることが多い が、子供の自我が成長し彼女から離脱しようとすると、怖るべき母親として自我を呑み込む存在に変 わる場合もあるのである。

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ように感じる。二人の作品の登場人物も、異なった生存様態とライフスタイルを示して いる。次に、両者の女性創作を比較して、深沢と中上の母性原理、及び創作姿勢の異同 を検討して見たい。

商人家出身で「母の子」である深沢七郎は、両親に甘やかされてわがままな幼少時代 を送った。中学卒業後、つまり昭和六年頃以降、彼は「漂泊」の生活を始めた。保険会 社、精錬会社、公務員などの多くの仕事を経て、深沢はバンドと劇場に入ってギタリス トとなった。どの職業にも長く付けない彼の「漂泊」は、「何もかもひとりで考え、私だ けの道で、好きなことをしていれば楽しいのである」123という性格に由来するものであ ると思われる。しかし、このような「遊民」である深沢には苦労したり、金に不自由な 生活を送ったりした経験がほとんどない。そもそも、右目が不自由で、結核と肋膜炎に かかっていた彼が肉体労働に従事するのは無理なことである。流転の生活を送りながら も、深沢は衣服と飲食などの日常生活に対し、非常にうるさかった。

深沢七郎は編集者が迎えに来て東京に行くときなどは、ビシッと正装で決めて出 かけた。背広は英国屋で仕立てた。着物なら大島か結城紬、裏地にも凝っていて、

着物を買うために京都の大丸まで行ったこともある。(中略)

新茶が出ると毎年、茶箱で農家から何十万円も買っていた。普段飲むものとお客 用とは分けていた。(中略)

急須や茶碗にも凝ってかなりよいものを使っていた。茶碗は朝鮮青磁。持ったか 持たないかわからないような透けるほど薄い器も 5、6 個あった。124

深沢の随筆には、金銭に関わった記録がほとんどない。厳密に言えば、金銭感覚の薄 い彼は、純粋で貧乏な「庶民」の生活を実際に体験したことのない「高等遊民」なので ある。地元の人々に「坊さん」と呼ばれた深沢の「漂泊」は、ある程度経済の余裕に恵 まれていたのではないかと推測される。

深沢と違い、中上は複雑な血縁問題に纏われた世界の人間である。紀伊半島のほぼ突 端に位置する新宮市の被差別部落の出身、及びその大変複雑な家系などが生涯を通じて 中上作品に色濃く反映されてきた。小学六年生の終わり頃、十二歳年上の異父兄の木下 公平が首吊り自殺した事件は、中上に大きな衝撃を与えた。新宮高校時代は不良少年で ある傍ら圧倒的な読書量を誇り、上京後は羽田空港で肉体労働に従事しながら、中上は 原稿用紙と万年筆を常に携帯して、喫茶店の片隅で小説を書き続けていたという。

俺の家庭というのは、(中略)『岬』に出てくるような家庭ですよ。おふくろが行 商して子供を育ててたから、それを貧乏というのかどうかしらんけど、裕福じゃな い。余ってるものがあるとかいうことじゃない。(中略)

おふくろは、貧乏だったけれども、俺を連れて、中上というんだけど、いまの義 父と結婚したんです。その当時は、まだ土建屋として独立したばかりだったんだけ ど、ちょうど高度成長と重なってやっぱり成功したんです。俺が小学校二年ぐらい

123 深沢七郎 「自伝ところどころ」 『深沢七郎集』(第八巻) 筑摩書房 1997 年

124 新海均 『深沢七郎外伝』 潮出版社 2011 年 65―67 頁

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