1965 年、五十一歳の深沢七郎は埼玉の菖蒲町に三千五百平方メートルの土地を購入し て家屋を建てた。同年 11 月 8 日から、彼は「『風流夢譚』事件」を発端とした流浪の生 活にけりをつけ、「土俗」と「庶民」の生活を本格的に始めた。隣の農民は、農業を実際 にやった経験のほとんどない深沢の師匠となった。しかし、金銭に不自由のない深沢に とって、農業は「土との遊び」である。三畝の野菜以外、彼は梅の木、葡萄、竹、盆栽、
水仙、菊などを植え、雨が降れば本を読んだりギターを弾いたりする。原稿料や印税に 支えられた深沢は「晴耕雨読」のような生活を送っている。
深沢と一緒に住んでいるのはヒグマとミスター・ヤギという二人の若者である。「私の 住居にはよく人間がくるがやはり二人か三人組である。私だけの世界にこのような二、
三人の組が現れた場合、私は陽気になる。そして喋りまくる。それは個人的なのである。」
360ラブミー農場に移住してからというもの、深沢は自身の「集団嫌い」の特質に一層は っきりと気づくようになっていた。しかし、メディアなどの報道で訪ねてくる人はどん どん増えていった。引越ししてから三年目の頃、深沢は、「インタビュー、写真、対談、
随筆の要件はお断りします」の貼紙をして、あまりにもいろいろな人がひっきりなしに 来ることを断った。
私には嫌いな人物は多いが好きな人物はほとんどわずかしかいない。とくに日本 歴史に出てくる人物はほとんど嫌いだ。まず、武将だが、これは、ナポレオンでも ヒットラーでも土地欲と、権力欲で戦争をやったようなものだから武将とは土地の 奪い合い喧嘩の商売人だと思っている。次に政治家だが、これも武将と同じような ものだと思っている。次に宗教家だが、これがまたとんでもない人たちだと思う。
宗教家はまず自説を広げながら建物をたてる。つまり儲かる商売のようである。(中 略)特に、私が、よく感じるのは芸術家にも妙に金儲けの上手なのがいて、それら は商人のような儲け方法ではなく、威張っていて金を持って来させるようなシステ ムで儲けるからである。これを私は「持ってこい偉人」と呼んでいる。361
「半隠居」の生活を送っていた深沢は、まるで都市の重苦しい空気から解放されたよ うに、一層率直な口調で「文明批評」を行った。彼の 1965 年以前のエッセイは、主に幼 年追憶、文学創作、それに「流浪・放浪」をモチーフとしていた。この頃にはすでに、
深沢の「土俗作家」のイメージも定着するようになった。1960 年代後半に入り、『風流 夢譚』事件を経て、都市と文壇を去った深沢の作風にも変化が起った。近代批判、人生 観と価値観、それに死亡凝視が彼の後期創作を貫く主題となった。誰にも媚びない深沢 の「人間滅亡教主」、「変人」、「近代拒否」などのイメージも次第に目立つようになった。
つまり、都市から逃げ出し、巨視的視線で戦後社会と人間関係を眺めることが、深沢の
360 深沢七郎 「生態を変える記」 『深沢七郎集』(第九巻) 筑摩書房 1997 年 37 頁
361 深沢七郎 「好きになるということはの日記」 『深沢七郎集』(第十巻) 筑摩書房 1997 年 40
―41 頁 (初出:『週刊アンポ』 1970 年 2 月 23 日号)
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晩年の文明批評の契機となった。こういった意味から見れば、ラブミー農場への移住こ そが、深沢作風の重要な分かれ目であったのである。
幼い頃から土俗と庶民的な生活を楽しみにしてきた深沢を迎えたのは、近代化された 農業である。生計をたてるストレスのない彼は、このような農業を堅く拒み、自分の理 想的な自由な「農耕生活」を送っていた。深沢の「農業」は、素人がやり始めた方式で あり、自分の必要なものばかりを植えていた。周りの農家と比べると、彼は一番古くて 効率の悪いやり方を取っている。一方、深沢は近代農民のことを相変わらず「庶民」と 呼んでいる。近代化された農村においても、彼らは、生のために頑張る庶民の「スサマ ジサ」を表しているから。都市の欲深い「近代人」と比べて、深沢は農民に対して明ら かに好感を抱いていたのである。
しかし、農村での生活を送れば送るほど、深沢は「自分が庶民ではない」と悟るよう になった。庶民の基本的な特質である「働く」ことは、彼にとって「楽しくやれる」こ とではない。「三日くらい働いて、あと十日くらいはぼーっとしている」という理想な生 活を送ろうとした深沢にとっては、「働くのに一種の抵抗を感じる」362。彼にとって、生 活水準を上げるために働くのは「ばかばかしいこと」である。ラブミー農場において、
深沢は相変わらず「遊び」のような日々を送っていた。
小さいときから、百姓になりたかった。はじめて、土いじりをやったとき、みん なに笑われた。まるで、土とたわむれている.........
と思われたんだね。(中略)私は百姓 ではなく、土とたわむれている。土が一番の友達。(中略)
へただけど一生懸命。朝起きると、土を踏むのが嬉しい。(中略)土をやわらか にしてやるのは、気持ちのよいこと。(中略)ここで作っている作物はコカブ、サ ントウサイ、ダイコン、ゴボウ、キュウリ、タカナ、ウメ、モモ、ブドウ、マメ…
…三十種類ぐらいは作っているね。
だいたい、自分の好きなものしか作らない..............
ね。363(傍点筆者)
自分の都合と趣味によって「農事」をする、「遊び」好きな深沢が本格の庶民になるこ とはやはり無理があるだろう。土と自然に対して情熱を抱いているが、「作家」という職 業に恵まれていた深沢には、農業を通して生計を立てる必要もない。つまり、彼のラブ ミー農場での生活は、ほとんど戦後文壇によって支えられていたのである。自分の嫌悪 した文壇から徹底的に去ることができないと痛感した深沢は、「自分が庶民ではない」と 嘆いた。好きな所で、好きなやり方で「土とたわむれる」のが、彼のラブミー農場生活 の実態である。
初期作品の土俗世界回帰の主題から、中期創作の文明批評・現実凝視を経て、『風流夢 譚』事件以降の「逃避」をきっかけに、深沢七郎は都市との「縁」を切った。では、1965
362 深沢七郎 「かけすぎる生活費」 Ibid 56-57 頁
363 深沢七郎 「百姓になりたかった」 『生きているのはひまつぶし――深沢七郎未発表作品集』 光 文社 2005 年 25-26 頁
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年以降、彼は「ラブミー農場」からどのような視線で「近代」を捉えていたのか。
現代の大学卒業生が自分たちの教養だと思い込んでいることはすべて人間性か らはマイナスになっていると思います。男子でも女子でもそうなのです。(中略)
その教養のために女性のもっとも大切な魅力を失ってしまっているのです。364
団体というものは蟻や蜜蜂がその例をしめすように個性がない。いわば無意識に、
本能的に群になってしまうもので、きわめて原始的なものだと私は思っている。(中 略)幼稚園から大学まで、団体に入って同じ身振り、同じ発音を習って社会という ものを結成する。こんな状態なら人間は蟻や蜜蜂と変わらないのである。365
ライフスタイルから社会問題まで、深沢は様々な角度から「近代」を観察していた。
ラブミー農場に移住する以前、彼の書いた近代背景の作品に漂っていたのは、都市遊民 の虚無と近代的生存感覚である。これらの創作は、主に深沢自身の「高等遊民」の生活 経験を踏まえて行われたものである。『風流夢譚』事件を経て、農村生活に踏み込んだ深 沢は、より冷徹で純粋な文明批評の立場から大量のエッセイと散文を書いた。一方、年 を取ればそれだけ世間が見えてくるように、深沢晩年の創作は、現実批判を踏まえて人 間凝視の方へと傾くようになった。
単行本『夢辞典』(文藝春秋 1987 年 3 月)は深沢の最後の出版物である。このエッ セイ集には、1984 年 6 月 1 日から 1986 年 6 月 13 日までの『週刊小説』に連載された二 十八回の「あきれたぐさ鑑賞記」と他のエッセイ六編が収録されている。『週刊小説』に 掲載したエッセイのタイトルは、「ウキヨ目ショミン科イロハカルタ」や「ムセキニン目 キョウイク科コウナイイジメ」などのように、すべて片仮名で「◯◯目◯◯科◯◯」と いう様式を取っている366。これは動物学においてある動物の所属を規定する際に使われ る、一種の学術表現方法である。社会事情を動物学の定義法で述べることは、人間の特 殊性を抹殺しようとする深沢の「人間滅亡教」の核心教義とも一致している。このよう な『夢辞典』は、人間の傲慢さを踏み潰し、ブラックユーモアの中に近代的生存実態と 作家の人生観を集合的に示す作品なのである。
従来の深沢研究から見れば、『夢辞典』は存在感の薄い作品である。しかし、戦後社会、
宗教、「死」と自然、近代の「おかしいところ」、それに教育などの問題を幅広く論じた
『夢辞典』は、深沢の思想を総合的に闡明する集大成でもある。その中には、「自分のち からではなく、タカリしか考えない生活が、まず戦後の生態の第一歩なのだ」(「ガキジ ゴク<センゴ亜目セソウ科>」)、「恋愛は相手を選ぶより性行為を行わせるためダケであっ て、熱病なのだ」(「セイコウイ<セックス目マボロシ科>」)などの衝撃的発言の他、「隠 居というのは、(中略)あの世に行く仕度ではないだろうか、キザな言いかたをすればネ ハン(涅槃)の境地に近づく、いや、その練習でもあるような気がしている」(「オラガ
364 深沢七郎 『人間滅亡的人生案内』 1971 年 河出書房新社 77 頁
365 深沢七郎 「色即是空記」 『深沢七郎集』(第七巻) 筑摩書房 1997 年 412-414 頁
366 単行本『夢辞典』に収録される際に、これらのタイトルは「イロハカルタ(◯◯目◯◯科)」のふ うに書き直された。