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第4章  同時性による空間化

第1節  記憶の現在主義

 アルヴァックスのベルクソン批判は、個人主義以外にも、主観主義であるという点にも あった。ベルクソンが主観主義者であるという批判は、ベルクソン的持続が〈過去〉一〈現 在〉一〈未来〉において、 「相互に外在化していく何の傾向性もない」(Bergson 1889:77=

2001:126)ことに起因していると思われる。その批判の骨子は、アルヴァックスの「現在主

義(presentism)」にあるだろう(81)。

 ここでは、近年、歴史学との比較から注目されている集合的記憶(82)の「現在主義」につ いて取り上げ、ベルクソン主観主義との争点を明瞭にしておく。コーザーは、 「現在の視 点」から、社会的枠組みによって、過去を再構成するアルヴァックスの集合的記憶を「現 在主義的アプローチ」と呼ぶ(Coser l992:25)。コーザーはアルヴァックスにおける現在主 義を、 『聖地における福音書の伝承的地誌』 (1941年)に見いだしているが、 『記憶の社

(81¥築主義的な集合的記憶研究の特徴として、藤森啓はこの「現在主義」ないし「現在主義的アプ ローチ」と、個人的記憶に外在する公共物の構築(博物館や裁判など)とをあげる(藤森 2002:

124・125)。藤森は、集合的な記憶内容がこの二つの特徴において再構成される場合、その記憶対象 となる過去の信懸性、リアリティーが喪失されていると考える(藤森 2002)。

(tp )

謔Q章冒頭の筒井清忠による歴史社会学の流れを参照されたい。

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会的枠組み』 (1925年)にも充分指摘できる。

 アルヴァックスは「記憶内容は、現在の視点から(du pOint de vue du pr6sent)考察される」

(Hal bwachs l 925:141)という。また、 「重要なのは一つの枠組みであり、その枠組みは、現 在ある社会の命令によって再構成されるのであって、その他の社会を必然的に排除する」

(Halbwachs l925:lIO)。このような「現在の視点」から、過去を再構成する記憶論は、現在 主義的アプローチを採用している。

 浜日出夫によれば社会的枠組みによって過去の想起を説明するアルヴァックスは、 「想 起がなされるそれぞれの現在においてそのっど過去が醗成される」(浜2㎜:8)とい う考え方を持つ。このアルヴァックスの現在主義的視点は、 「記憶がどこかに保存され、

それが再生されるという考え方を批判する」 (浜 2000:7)ことになる。

 また、バーバラ・A・ミシュタル(Barbara A. Mistzal)は、アルヴァックスの集合的記憶が 狭義の現在1義に還元されないという(Mistzal 2003:55)。 「安定性、連帯、継続性を確保す ることで、アルヴァックスは、集合的記憶機能を増幅しながら、変化の重要性と社会の変 化を強調することを両立させた。そのために、アルヴァックスのパースペクティヴは、累 積的局面と、現在主義的局面の両方をもつ集合的記憶の可能性を排除しないといえる」

(Mistza12003:55)。ミシュタルは、空間枠組みの安定性と、時間的枠組みの可変性、あるい は社会的枠組み一般の複数性を念頭に置いて、アルヴァックスの現在主義を広義に解釈し ようとしていると思われる。

 このように、アルヴァックスの集合的記憶論には、現在主義的な特徴を指摘することが できる。そして、この現在主義は、アルヴァックスの社会的枠組みによる同時性に、その 多くを委ねていると考えられる。

 集合的記憶の客観性は、空間枠組みの「物的環境」により確保される。想起される過去 が、過去と同一の場所を再構成して、その過去は空間枠組みとして維持される。その客観 性は個々人が体験した主観的な過去を空間枠組みへと外在化することにより得られる。空 間枠組みとは、過去を再構成により、 「物的環境」に据えて空間的に展開することであり、

過去を外的な対象へと置き換えることになる(Halbwachs 1925:275)。このような過去の外在 化は、浜が「あらゆる集団はその活動の痕跡を空間のなかに残していく」として指摘した

「記憶の物質性・空間性」を表している(浜 2002: 8−9)。実際には、集団に特有の場所 であったり、モニュメントとして過去の記憶内容は外在化できる。

 その客観的な「記憶の物質性・空間性」は、社会的枠組みの一つである時間枠組みから 転換されるイメージとして獲得される(83㌧集団の成員たちに共有されるのは、再構成され た時間間隔であり、これが空間へと結びつけられて、空間性と物質性を伴って存続する。

㈲第2章第1節を参照されたい。

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 この時間間隔を再構成する場合、人びとは、自らの集団において他者と共有される「集 団の視点」に身を置くことになる。空間として存続する前に、過去は、集団において他者 と共有できる同一一・一の時間間隔を、時間枠組みとして再構成する。他者と共有されるこの枠 組みは、個人に「集団の視点」を与えることになる。多くの成員に共有される視点に裏付 けられることで、物質的、空間的な客観性を与えられると考えられる。つまり、時間間隔 は集団特有の場所へと転換されることによって、客観性を得るようになるといえるだろう。

 客観性を得た時間間隔とは、自分と他者に共通する同一の間隔である。アルヴァックス はこの同…・間隔による時間の同時性を、時間枠組みとして考えた。この時間間隔とは、瞬 間と瞬間によって区切られた社会的持続だといえるだろう。

 ここで、アルヴァックスの同時性と瞬間についての観念を整理しておこう。アルヴァッ クスは、ベルクソン的持続について、次のような限界を示唆している。

あらゆる存在をまた現象のあらゆる継起的連続を包含している普遍的時間という観念 は、諸瞬間の非連続な連続(une suite discontinue de moments)に行き着くことになろう。

そして、それぞれの瞬間は、多くの個人的思考の間に確立された関係に対応するもの であり、個人的思考はその関係を同時に意識するであろう。これらの思考は普通は相 互に分離されており、それらの進路が交錯するときはいつでも、自分から離脱し、あ る一瞬(un instant)において大きな表象の中に融合し、この大きな表象が同時に、意識と その意識間の関係を包むのである。同時性が成立するのは、そこにおいてである。こ の諸瞬間(momentS)の全体が、枠組みを構成することになるだろう。[中略]二っの瞬 間をその間隔の半分で、三分の一であるいは四分の一で結びつけるような時間的で抽 象的な線[中略]上のどこかの点において、同時性が挿入されたと想像することを妨

げるものは何もない。(Halbwachs 1950:149−150=1989:108−109)〔強調:引用者〕

 ここでいう「あらゆる存在をまた現象のあらゆる継起的連続を包含している普遍的時間 という観念」とは、ベルクソン的持続のことである。つまり、このベルクソン的持続は、

「諸瞬間(moments)の非連続な連続」に行き着くことになる。このアルヴァックスがいう諸 瞬間(㎜ments)(84)とは、インターヴァルの両端にある瞬間だといえよう。「二つの瞬間」の 間隔が、枠組みを構成する諸瞬間の全体のはじめと終わりを表している。つまり、この瞬 間で区切られたインターヴァルは、 「社会的持続」、すなわちアルヴァックス的持続を示

しているのだと思われる。

㈱アルヴァックスは瞬間にmomentを、ベルクソンはinstantを使用している。ここで議論の対象とす べき瞬間は、両者の原語の違いによって、別のものだとは考えにくい。したがって、特に訳し分け ずに、mommentもinstantも「瞬間」と訳しておく。

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 その上で、アルヴァックスは、枠組みを構成する「諸瞬間の全体」の中へと、自由に「同 時性が挿入されたと想像する」。この同時性は、個人的思考と他者の個人的思考が交錯す るとき、個人の主観から離脱し、ある一瞬(un instant)において大きな表象の中に融合すると ころに成立する。言い換えると、他者と共有される時間間隔としての枠組みが並置される

〈同じ瞬間〉に、同時性が成立する。つまり、 「私の視点」と「他者の視点」とが並置さ れ、同時に体験される瞬間に、同時性が生じることになる。

 この同時性は、 「私の視点」と「他者の視点」の同時性によって構成される「集団の視 点」である。 「集団の視点」から同時的な諸瞬間を再構成していくことが、アルヴァック スの集合的記憶ということになる。また、アルヴァックスは、過去の記憶内容は現在の視 点から考察されるといった見解(Halbwachs l 925:141)や、社会的枠組みが現在ある社会の命 令によって再構成される(Halbwachs l925:110)という主張を持っている。したがって、 「集 団の視点」は現在に存している視点だということになる。つまり、私と他者に共有される

「集団の視点」は現在という同時的瞬間において成立する(85)。

 アルヴァックスがとる記憶の現在主義は、時間的な同時性に、よりアルヴァックスに忠 実にいうならば、社会的枠組みの同時性によって実現するアプローチだといえよう。 〈現 在〉から過去を再構成できるということは、 〈現在〉もまた、過去と同じインターヴァル を継続させる同時的瞬間であると考えられる。すなわち、 「集団の視点1として共有され る同時的諸瞬間のインターヴァバルの再構成は、 〈現在〉という瞬間を帰結することにな

る。

 〈現在〉が、過去の終焉であり、いわば社会的持続の最後の瞬間であるならば、 〈現在〉

は、社会的持続が生じる最初の瞬間と最後の瞬間のあいだに、いくつでも差し挟むことが できる瞬間的な同時性の中のいちばん最後の同時性ということになるだろう。 〈現在〉と いう瞬間を含めて、アルヴァックス的な瞬間は、連続して存在するからこそ、アルヴァッ クス的な持続として考えられることになる。

 しかし、アルヴァックス的な「社会的持続」は、ベルクソン的持続と対立している。ア ルヴァックスがいう〈現在〉という瞬間は、他者と共有される同時性ではあるけれども、

ベルクソンがいうところの「想像的停止」(Bergson 1896:211=1965:212)(86)ということにな る。つまり、 〈現在〉が持続の終焉であるならば、連続している持続は終焉によって停止

(85f時的瞬間の全体である時間枠組みは、同時に、複数並置されている。なぜなら、アルヴァック スによると、個人は、複数の社会的枠組みを同時に持っているのであり、複数の集団に同時に属し ているからである。したがって、この「集団の視点」としての同時的瞬間において、個人は複数の 集団のそれぞれに帰属する他者と同じ視点を共有することも推測される。

(s6)「想像的停止」については第3章第3節ですでに論じた。これは「現実的瞬間」のことであり、

持続を一定の長さに区切った場合に設けられるはじめと終わりの停止した瞬間のことである。

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