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ベルクソン自我論の展開―「社会的自我」と「個人的自我」の二重化― 利用統計を見る

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ベルクソン自我論の展開―「社会的自我」と「個人

的自我」の二重化―

著者

横山 寿世理

学位授与大学

東洋大学

取得学位

博士

学位の分野

社会学

報告番号

甲第131号

学位授与年月日

2005-03-25

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003977/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

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(3)

平成16年度

    ベルクソン自我論の展開

「社会的自我」と「個人的自我」の二重化

東洋大学大学院 社会学研究科 社会学専攻

   博士後期課程  4510010002

     横 山  寿世理

(4)

に め じ は 章 − 第 第2章 此甲 3 第

目次

個人化と「有機的連帯」 第1節帰属先をなくした個人 第2節 連帯とエゴイズム 第3節個人主義から個人化へ 第4節 主観主義と相互作用 むすび 集合的記憶の拘束性 第1節 複数の社会的枠組み

第2節忘却と夢

第3節集団の視点

第4節記憶の暴力 むすび 記憶と自我 第1節  「身体の記憶」と「自発的記憶」 第2節過去の残存と持続       i 1

4 4 6

11 P3 P7

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18

c宏田鵠41 

娼留52

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第3節ベルクソン的反省 第4節 二重化する自我 むすび 第4章同時性による空間化     第1節 記憶の現在主義     第2節空間の不自由  主観と客観     第3節現在主義と自我     第4節不確定性としての自由     むすび 第5章  「社会的自我」と「個人的白我」     第1節記憶論における社会と個人     第2節 更新される創造的自我     第3節自我の分離問題     第4節ベルクソン自我論の新展開     むすび おわりに あとがき 文献

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はじめに

 誰もが平等であるはずの現代社会においても、どんな考え・意見・感情であっても受容 されるわけではない。大勢の人びとがそうだからということだけで、微少な個人は多数派 にコントロールされる。そうはいっても、どんな意見や感情もが平等に実現されるならば、 社会は混乱に陥るかもしれない。コントロールされていない個人に対して、人びとが驚異 と恐怖を感じることもあるだろう。あるいは、コントロールするプログラム(社会規範) が、自分のプログラムと異なる場合、人びとはそのことに不安を覚えるかもしれない。つ まり、誰もが社会からコントロールされずに、自由に振る舞い行動することには、手放し で喜べない。反対に、すべてをコントロールされれば、個人の行動や思想の自由だけでな く、未来までもが決定されてしまうことにもなりかねない。  フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは、2003年東京での講演で、映画『マイノ リティー・リポート』を例に出しながら、まだ実現していない未来の予測に基づき、その f’測を裏切らないで実現する出来事と、予測不可能であった出来事を区別し、 「出来事」 と「非一出来事」とのあいだで揺れ動く現代を明らかにした(Baurdrillard 2003)。  この講演で用いられた「非一出来事性」は、フランス哲学者アンリ・ベルクソンが、著 書『道徳と宗教の二源泉』において用いた偶然な出来事に関する考察を基礎として展開さ れたものである。  ボードリヤールは、9.11が予測不能な「非一出来事」であったのに対して、イラク 戦争が予測可能な「出来事」であったと主張した。ボードリヤールによれば、また、ベル クソンによっても同じことになるが、可能性が現実になるのではなく、出来事の実現によ りはじめて可能性をと原因を提示できる。 「出来事」は可能性が実現した現実であり、 「非一出来事」は現実が実現して明らかになった可能性である。 「非一出来事」は実現さ えしなければ、ヴァーチャルなままで、可能性として現れないことになる。  コントロールに応じた自由な行為は予測可能であるけれども、コントロールされない自 由な行為は予測不可能で、それこそボードリヤールがいうように、実現してはじめて明ら かになる可能性であると思われる。したがって、ヴァーチャルな個人の自由と、実現した アクチュアルな社会的制約を受けた個人の自由が存在していることになる。  社会的制約を課す社会的拘束と、制約から自律した個人の自由との同時的な成立は、ボー ドリヤールが現代において提起した出来事/非出来事としての問題である前に、ホッブズ やロックが自然状態として提起した問題でもある。社会的拘束と個人の自由意志との両立 は、デュルケムにおいても受け継がれているといわれる。 1

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 そこで本論は、社会学に固有の問題である社会と個人のと両立、その結びつきと含み合 いについて、ベルクソンの自我論からの展開を試みるものである。ペルクソンがいう「社 会的n我」と「個人的自我」は、ベルクソン的記憶論から導かれ、社会と個人の両、刀こ対 応するものであることを詳細に確認する。ベルクソンはその独特な時間  「持続」一一 を、空間化された時間とは区別し、『意識に直接与えられるものについての試論(時間と 1’1由)』 (1889年)のなかで明らかにした。また、 r記憶と物質』 (1896年)のなかで、 実在論と唯名論の超克を日指して、持続の形成を論じた。さらに、生命進化を取り扱った 『創造的進化』 (19(η年)では、持続を形成させる「直観」について論じている。最後に、 「社会的自我」と「個人的n我」、そして「閉じられた社会」と「開かれた社会」を構想 した『道徳と宗教の二源泉』 (1932年)において、直観の方法を社会論へと応用しようと したと思われる,,  r道徳と宗教の源泉』における「社会的自我」と「個人的自我」の重化した相補的 な関係が、本論での主題である社会と個人の含み合いを表す。これらの自我の関係は、持 続を形成する記憶論を基礎に据え、成立した。  問題をより明瞭にするために、ベルクソンの自我論を検討する前に、フランス社会学者 モーリス・アルヴァックスの集合的記憶論における社会と個人を考察する。時間論ないし 記憶論に立脚した、ベルクソンにおける社会と個人を論じる上で、アルヴァックスのベル クソン批判は、ベルクソンの社会理論に的確な論点を提示してくれる。アルヴァックスは、 ベルクソンの「持続」、すなわち記憶論を批判して、自らの「集合的記憶論」を完成した 社会学者である。アルヴァックスは、ベルクソンの持続からでは、社会性を引き出すこと ができないと考え、社会性に着目した記憶論すなわち集合的記憶論の展開を試みる。しか し、社会と個人の両立という点から、アルヴァックスの集合的記憶論を眺めた場合、そこ には再検討を要する問題があるといえる。  また、その比較研究で明らかになることだが、ベルクソンの「持続」はアルヴァックス が提唱した「社会的持続」を包括したところに存在している。ベルクソンとアルヴァック スは異なる時間観をもっていたために、異なる方法で、社会と個人を論じることになった といえる。その異なるの時間観とは、時間の同時性に関するものである。ベルクソンが同 時性だけを時間概念に据えなかったからこそ、アルヴァックスとは異なる持続を問題にで きることになる。アルヴァックスとベルクソンの記憶論をそれぞれ検討した後に、同時性 をめぐって、両者の分岐点を見定めておきたい。  その同時性の取り扱い方が異なることによって、ベルクソン自我論の意味が明らかにな る。ベルクソンは記憶論において〈未来〉における新たな記憶内容を保証するのであるが、 そのことは〈未来〉の行動の不確定性、予測不可能性が、新たな自我の創造を生む出すこ とを意味している。さらに、この新たな白我は、常に更新される「社会的自我」と「個人 2

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的自我」の一垣化も生成することになり、社会と個人の両、t問題を常に更新していくこと になる。  この予測不可能な行動の不確定性は、ボードリヤールが先の講演で述べた「非一出来事 性」に対応する。不確定な行動は、ヴァーチャルなもので、不確かなものである。けれど も、社会と個人の両立問題には、これを解決する鍵となるものである。 3

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第1章 個人化と「有機的連帯」

 まず、本論でベルクソンの自我論を扱うために、問題意識を提示しておきたい。ベルク ソンの自我論を通じて、社会的拘束と個人の白由の両立、,亨い換えると社会における不白 由と個人の自由意志の含み合いを説明することが、本論での目的である。  その前段階として、本章では、その目的の意義付けしておくとともに、ベルクソンと、 ペルクソンと比較するアルヴァックスとに関する研究動向を整理しておく。  ここでは、 1個人化」が進む今日的状況において、個人が実質的に自分自身の帰属先を 失っていると考え、成員個人が帰属する社会の流動化に着日する。その個人と、帰属先で ある社会の流動化は、個人化を進めるわけだが、そもそも個人と社会が一・致することを、 エゴイズムの観点から探求したデュルケム研究の動向を追う。デュルケムの有機的連帯か ら功利主三義批判とそれをめぐる研究を取りhげるのは、社会と個人という問題が、社会学 の成、t期からの問題であったことを思い起こすためである。  その社会学的な問題をペルクソン自我論において解決しようとすることが、本論での最 終的な試みである。ベルクソンの「社会的自我」と「個人的自我」の有用性をより明確に するために、アルヴァックス「集合的記憶」との比較を行う。したがって、アルヴァック スの集合的記憶論研究と、ベルクソン哲学研究の動向を押さえておくことが必要になるだ ろう。

第1節帰属先をなくした個人

 ジークムント・バウマン(Zygmunt Bauman)は「個人の選択の自由、行動の自由を制限す ると疑われる手枷、足枷がことごとく溶かされた」今日的状況を、「リキッド・モダニ ティ」として捉えている(Bauman 2㎜:5ニ2001:8)。前近代の世襲身分制度において、自 由な選択を許されなかった個人は、初期近代に入って、階級から厳しい制約を受けていな がらも、自由が保証されるようになった。したがって、初期近代においても、今日におい ても(1)、 「個人化は宿命であって、選択ではなかった。個人に選択の自由はゆるされても、 個人化を逃れ、個人化ゲームに参加しない自由はない」 (Bauman・2000:34=2001:45)。っ “今日における個人のy一枷足枷は、ブルデューがいう文化資本・経済資本・社会関係資本であると 考えられるが、これらにより階級移動の自由を喪失しているわけではない(Burdieu l979)。        4

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まり、個入は絶えず自らを社会へと縛りつける社会的制約を逃れ、自由になるゲームに参 加しているのである。このような個人化を、バウマンに則して見てみよう。  初期近代における個人化ゲームへの参加は、デュルケムが主張した、職業集団における 連帯と個人化との相ノ舶勺発展だったといえる。個人が自分の専門的技能を発揮する空間は、 労働の分担により提供され、その空間に属する人々は、同じ目的で連帯していた。専門的 技能により、個人は職場における自分の居場所を確保していたことになる。  有機的連帯組織のように、公的空間では、他者との交流のなかで、共通の利益や共通の 日的をもたなければならない。そのような都市化した社会環境において、他者から干渉を 受けない程度に他者とのつきあいを演じるのが市民である。バウマンは、 「公的ペルソナ」 をかぶった市民は、自分自身の心情の告白を期待されず、せいぜい「社会参加」や「共同 参与」を期待されるくらいだと指摘している(Bauman 2000:9498=2001:124−128)。社会 参加や共同参与といった連帯は、市民として公的空間へ固着すること要請する。  けれども、今日のショッピングモールやオフィス街などの均質化した空間は、公的であ りながら、市民であることを要求しない社会空間を演出する。確かに、公的移動手段を利 用するときや、ショッピングモールやオフィス街にいるときには、人びとは、人間同士の 1相互関与」を面倒なもの、あるいは邪魔なものと考える。客の消費行動に積極的に参加 し、商品をしつこく勧めてくる店員たちに会うことをできるだけ回避したい。今日、公的 空間にあっても、非市民的であることを期待される空間が、拡大している。初期近代の共 通日的を持って連帯した組織が存在した公的空間は、いまや失われていることになる。  このように自己中心的な現代は、選択の自由を与え、市民であることを期待した初期近 代とは異なっている。個人化した現代において、市民にとって意味のある公的空間は崩壊 してしまっている。終身雇用制度が消え去った現代で、人びとは多くの職場を経験するこ とができるようになっている。交通網の発達や情報化による、空間移動の手軽さ、もしく は、任意の空間選択は、個人が身を落ち着ける居場所の不安定さを表している。したがっ て、人びとは、より多くの場所を体験する・方で、自分を強く結びつけてくれる空間、つ まり居場所を流動化させることになる。  バウマンは、さらに、こうした居場所の流動化という不安定さの反動が、個人に個人的 な心情や「ほんとうの自分(trueself)」の開示を期待させる(Bauman 2㎜:108=2001:141)、 と指摘している。このような期待は、作られたアイデンティティを忌避させる。なぜなら、 心情の開示を避けて、市民を演じるアイデンティティは、真の自己ではなく、多様に作り かえられたものであるからである。可変的な市民は空間へ新たに参加してくる「見知らぬ 人」とでもつきあうことができる。彼は露骨な感情表現を避け、共同で、その空間に居場 所を見出すことができる。  したがって、 「ほんとうの自分」を要求し、作られたアイデンティティを嫌う現代にお 5

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いて、 「見知らぬ人」とつき合うことは難しいことになる。今日的状況において、 「見知 らぬ人」、1他者」、「差異1、 「異質性」との適切な距離を保った共存や、社会参加は 忌避される傾向にある。バウマンによれば、自己中心的な個人化を受け入れた現代におい て、見知らぬ「他者」との共同参加は、人びとに不安と恐怖を与え、人びとは今いる居場 所を確保するために、よりいっそう「見知らぬ人」、 「他者」に不信感を寄せる。デュル ケムが説明した初期近代の連帯と個人化は、現代において、大きく個人化へと傾いて、連 帯を失っていることになる。  他者への不信感は、市民でも、専門家でもなく、極めて情緒的な個人、つまり、「ほん とうの自分」への信頼によって解消されようとしている。この傾向は、社会的連帯や相互 関’j’を促進することはないだろう。なぜなら、連帯や相互関与は、初期近代における公的 空間を要求するからである。情緒的な個人は、見知らぬ人を自分と同じ仲間に変身させて くれる。作られたアイデンティティは、よそよそしいものであり、共感を呼ぶことができ ない。その結果、公的空間は崩壊し、見知らぬ人との連帯も失われる。その連帯の消失の 反動として、 「ほんとうの自分1への共感が高まると考えられる。  しかしながら、情緒的個人への共感によって、連帯は回復されるのではなく、連帯を忌 避し、個人の帰属先を複数の集団から単数の集団へ、単数の集団から個人へ縮小され、帰 属感を閉ざしていくことになる。他者への驚異や情緒的な個人の信頼は、帰属感を満たす ための代替物だといえるだろう。市民であることをやめた個人は、公的空間に身を落ち着 けることを放棄し、帰属感の代わりに情緒的な共感を追い求めている。人びとがこの共感 を、個人が社会に帰属することだと捉えても、これを初期近代的な帰属とは考えられない ことになる(2)。  本論では、このような問題意識のもと、個人が社会に結びつけられ、そこに帰属するこ とと、個人がその結びつきを切断しないまま「ほんとうの自分」を表明することとの両立 を論じる。言い換えれば、社会と個人の結びつき、社会的拘束と個人的自由の同時的生成 を模索することを試みる。

第2節 連帯とエゴイズム

 個人の自由と社会から課される不自由との両立は、社会思想や社会学理論の根底的な課 題であった。ここでは、その代表的な例として、デュルケムの功利主義的個人主義批判に c》 {節は、横山(2005)に多少の修IFを加えたものである。        6

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着目し、この根底的な課題の・端に触れておきたい。  パーソンズによれば、デュルケムは功利1三義的個人1三義によって社会の規範的秩序を説 明できないという批判に根ざして、純粋な契約関係による秩序ではなく、 「有機的連帯」 という要素、すなわち「個人的利害の複合体とは分析的に区別される要素」を導入する (Parsons [193711964:346−347=1992:65−66)。デュルケムは功利主義的な個人による社会統合 を不可能なものとして考え、個人に外在する要因、すなわち「集合意識」もしくは「集合 表象」(3)による客観的な統合を試みたことになる↓4}。  宮島喬は、社会体系の統合がデュルケムの最も一貫した関心である、というパーソンズ の指摘を評価し、 「功利}義のディレンマ」の克服を念頭に置いて社会統合を説明した。 宮島によれば、デュルケムは「功利主義的個人主義を古典派経済学からスペンサーにかけ ての『自由主義』の流れのなかにみることにより、問題を産業的諸関係の具体的レベルに 拡延してとらえ、それが、無規制的な自由主義的資本主義の原理と照応することを確認す る」 (宮島 1977:102)。 「有機的連帯」へと統合される必要を生じる自由な個人は、規 制を必要とする無規制的な自由}三義とパラレルだということになる。  デュルケムは「有機的連帯」について、 「一方で、各個人は、労働が分割されればされ るほど社会にますます密接に従属するが、他方、各個人の活動は専門化されればされるほ どますます個人的になる」 (Durkheim 11983 l l998:101=1989:上218)、と述べる。つまり、 専門的職能により、個人は職場における自分の価値を確保していたことになる。その個人 の価値は、 「個々人の自由を保障しながら、かれらを互いに連帯させる」 (宮島 1977: 99)のであり、 「個人の自由や尊厳は、社会に共有された客観的・集合的規範であること によって、はじめて保証されることになる」 (宮島 1977:92)。  このような個人の価値が、功利主義を克服する一方で、功利主義的個人とパラレルな関 係にある自由主義経済を促進させる。なぜなら、個人の価値を追求することは、結果とし て、 「業績本位の社会」 (宮島 1977:133)を招くことになるからである。それにより、 分業によって規制された個人が再び無規制の渦の中に巻き込まれることになってしまう。 tl) ?∮ケ男によれば、 「集合意識と集合表象はほとんど同じ意味」であり、集合意識は『分業論』 でいう「道徳的・宗教的な信念・感情と認知的な信念・感情の双方」を含み、集合表象は『自殺論』 から1三に使用されるようになった基本タームで「集団がおのれにかかわりをもつ諸対象との関連で みずからについて考える仕方」 (Durkheim t 189511999:XVII=1978:33)で、思考様式である。認知的 な側面から利用されているため、両者は同様のものと考えられている(中島 2001:56)。 (4) スだし、ここにパーソンズがデュルケムに対して示した疑問があると考えられる。その疑問とは、 「観察者の視点(from the pOint of view of an outside observer)」と「行為者の視点(from the pOint of vicsv of the pers on thought of as action)」を巧みに行き来するデュルケムの視点の曖昧さである(Parsons 193. 7:345=1992:64)。       7

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 業績本位による自由主義経済の発展が、欲求を規制する前近代的な伝統的規範の崩壊を 意味するだけでなく、個人の留まることを知らない欲求、すなわち「解放された欲求」を 生む(宮島 1977:210−211)。この「解放された欲求」は、 「旧来の社会的規範を超出 し」、その際「制度化されている手段(経済的条件、適法的な手段など)による充足可能 性の範囲も超えてしま」い、手段との均衡を失うために、 「欲求の不充足状態」に陥るこ とになる。さらに、この爆発した欲求は、かつて欲求を充足させていた手段を目的とする 「他律性」によって、本来の欲求から「疎外された営為」となる。つまり、かつて平等の 実現のために物質的幸福を追求した経済体制が、その実現により、物質的幸福を神聖化し、 手段と日的を転倒させているというのである(宮島 1977:212−215)。  宮島によれば、1’全な手段の喪失による爆発的欲求と、 (本来は手段であった)物質的 充足に依存した欲求により、個人は、二重に疎外されることになる。この「欲求の二重の 疎外」 (宮島 1977:219)がアノミーとされる。  宮島は、デュルケムが前近代から近代への原理変更に、また二重に疎外された欲求から 生じたアノミーに、ある種の改革の必要性を感じていたと考える。その改革は、 「道徳意 識の発達、規範の形成、そしてそれらを体した改革」であり、 「放任された経済活動や、 集団感の力の構想を通じて事実ヒ実現されていくものではない」 (宮島 1977:IM)。こ の倫理的・道徳的改革は、 「利己的・功利的な諸個人の行動を抑制し、社会化すること」 (宮島 1977:140)になる。  すなわち、宮島によれば、デュルケムの「有機的連帯」は、功利主義を離れて自由で平 等な個人を生成させるとともに、その個人を連帯させる規制は常に改革されていくことが 必要となる。アノミーは、この二重に疎外された欲求を規制する「社会集団枠組みと社会 的規範の再設」 (宮島 1977:216)によって、収束されると考えられた。したがって、 「社 会集団枠組みと社会的規範の再設」を通じて、自由で平等な社会へと結びつけられた個人 主義が確立されることになる。  中島道男はデュルケムの個人主義について、さらに個人の人格を尊重する考えを強調す る。中島は、宮島の業績本位による人格尊重を、デュルケムの「社会化された個人主義」 とは考えていない。 「人間性」ないし「人格一般」への寄与によって、 「社会化された個 人主義」を捉えなおしていると思われる。デュルケムが分業という〈制度〉によって規制 される個人だけを描いていたならば、ミクロな行為者の視点が失われていたことになる。 そこで、中島は、分業だけではなく、道徳・宗教を含んだ社会的潮流をデュルケムの〈制 度〉として捉える(5)ことから、 「社会化された個人主義」の説明を試みる。  その〈制度〉の環として、中島は、儀礼=供犠のメカニズム、すなわち「集合的沸騰」 を想定する。デュルケムによると、人びとが礼拝の対象とする聖なるシンボルとは、 「集 合体がその成員に鼓吹する感情、しかもそれを経験する意識の外に投影され、客観化され 8

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た感情である宗教力が、かく客観化されるために選ばれた事物」(Durkheim 1912:327−328= 1975:ヒ411)である。 「宗教力とは集合体が鼓吹する感情であるが、シンボルを媒介にする ことによって、成員はこの感情を再現することができる」 (中島 1997:6‘1.)。すなわち、 人びとはこのシンボルを媒介とした宗教儀礼(6)により、 〈全体〉を感じることができ、 「〈制度〉形成の母胎であるコミュニオン=〈全体〉性の醸成が可能になる」 (中島 1997:65)。  このように〈全体〉を感じることがデュルケムのいう「集合的沸騰」である。集合的沸 騰において、人ぴとの「情念はあらゆる統制を脱して生き生きとしており、情念はいわば 解放=爆発している。[略〕このとき、惰性化した日常の秩序は破壊される」 (中島 1997:48)〔強調:引用者〕という。つまり、あらゆる統制によって成立する秩序は破壊され ても、人びとの情念は〈全体〉を感じている。ここで中島は個人と社会の関係を、 「集団 の情動的絆の強さを体験することと、同時に、共通の規制の必要性を受け入れること」、 rt r’い換えると「コミュニオン=〈情動〉の解放と規律の精神=〈制度〉のふたつ」が同時 に望まれる関係として捉えている。  中島はP.L.バーガーによる「疎外」を基礎に、 〈制度〉の必要性がオートマティズム化 して信奉された場合、個人が抱く <情動〉が疎外されることになる、と指摘する。けれど も、中島はこれをデュルケム社会学の物象化論として位置づけるのではなく、 「〈制度〉 の脱一疎外の契機」として見なしている(中島 1997:47)。情動的な個人の疎外は、 「〈制度〉のオートマティズム化を周期的に問いただす」機会を提供することになる。  したがって、中島が考える「社会化された個人主義」とは、疎外から脱一疎外へ向けて、 〈制度〉を更新していくことを指していると思われる。 〈制度〉の受容には、成員が〈全 体〉を強く感じ、アノミーの克服と功利主義からの離脱とが不可欠となる。しかし、分業 制度や道徳・宗教の〈制度〉により疎外された個人の情動は、その疎外から脱するために 熱狂し、これらの制度から離脱し、新たな〈制度〉の確立への契機を与える。集合的沸騰 はこの機会を利用して日常の秩序を破壊し、新たな〈制度〉を求めることになる。  宮島は、アノミー状態の「永続的遂行」による個人の疎外を指摘し、社会規範の更新の (s} fュルケムのいう 〈制度〉は、 『集合体によって確立されたあらゆる信念や行動様式』(Durkheim 1189511999:XXII=1978:43)であるが、ここには[略]組織化・結晶化をともなわない社会的潮流 (c(、urants s㏄iaux)も含まれており(Durkheim f 18951 1999:67・=1978:56−7)、きわめて広い概念である」 (中島 1997:43)。 (6)ここでいう儀礼とは、氏族のシンボルである動植物を俗から分離した聖なる事物として礼拝する 「消極的礼拝」だけでなく、緊急時にこれを殺して食する「積極的礼拝jも含まれる。中島は、成 員が全員一一致で儀礼に参加することによって、 「儀礼=供犠による集団の自己再確認、つまりコミュ ニオン=〈全体〉性の醸成」が可能になる、と主張する(中島 1997:65)。       9

(15)

必要性を明らかにした。 「目的はたえず更新され、他の目的に置換され、動いてやまず、 [中略]欲求の境界をたえず更新し拡大する」(宮島 1∼ワ7:233)ために、「極限的には 欲求の自己疎外を通して[中略] 『個の実現』の原則をも危機にさらす」 (宮島 10n7: 234)ことになる。それゆえに社会規範の更新が重要で、この規範により個が実現されるこ とになる。けれども、常に個人は、自らの自律性という問題に出くわすことにもなる。  中島は…歩進めて、疎外された個人の脱一疎外までを、デュルケムのアノミーからエゴ イズムへの移行を解釈するなかで展開しようとした。脱一疎外する場合に解放される個人 の情動は、社会における可能性の増大に直面したときに感じられる幻惑や、その場合の際 限のない欲望による自己喪失よって引き起こされる(中島 1997:209)。このような幻惑 や自己喪失はアノミーを表す。続いて、このアノミー的状況が〈制度〉への失望を招き、 個人を社会へと結びつけずに、自己の行為準則にのみに従う功利主義(エゴイズム)の(中 島 1997:206209)を登場させると考えられる。中島が、アノミーとエゴイズムを区別し、 アノミーの果てにエゴイズムを見据えるのは、このような移行によると思われる。際限の ないアノミー的状態にある個人の欲望は、脱一疎外を希求し、 〈制度〉を破壊することに なる。この破壊は、 〈制度〉の破壊に終わるのではなく、〈制度〉の周期的な問いただし となる。宮島がこの実現を社会規範に求めたのに対して、中島はよりこの自発的な欲求と して〈制度〉の破壊を認めるに至ったといえる。  デュルケムは、専門化によって分化された個人が、連帯を必要とすることから社会規範 を設定して、社会化の根拠を個人に帰す功利主義から社会規範は導けないと考えた。その ヒで、アノミーからエゴイズムへの移行とその果てに、ミクロな行為者の視点を見出そう としたと推察される。しかし、その過程で登場するのは疎外され、社会的拘束によって抑 制された個人であり、自由な意志を発揮できない個人のようにも思える。  新たな〈制度〉の更新を想像した場合、個人はみずからの自由が社会からの疎外される ため、社会との紐帯から切り離されることでしか、自由を想起できないと考えられる。そ れゆえ、脱一疎外プロセスにおいて、社会の枠組みを抜け出したエゴイズム、バウマンが 指摘する「個人化」を見据えられるのだろう。画一的な個の凝集として社会枠組みを理想 に据え、その枠組みから切り離される個人は、その画一的ではない見津からの個性をあき らめることを求められることになる。 σ) {島と中島は、デュルケムのエゴイズムが、利他主義を失い自由勝手な功利主義を意味するとは 考えていない。デュルケムがいうエゴイズムとは、社会集団からの孤立を意味しているといえる。       10

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第3節 個人主義から個人化へ

 バウマンが説明した流動的近代における個人化は、その鉱脈を、デュルケムのエゴイズ ムへと遡ることができる。すでに見たように、デュルケムにおいては、そのエゴイズムは 「有機的連帯」や「集合的沸騰」によって、個人の自由意志を断続的に社会の枠組みへと 編成して組み込むことになる。しかし、それとは反対に、デュルケム学派から見れば、そ の個人化の問題は、デュルケムと時を同じくして活躍したフランス哲学者、アンリ・ベル クソン(Henri Bergson)が内包していた問題だということができるだろう(8)。つまり、 「個人 化」の萌芽は、デュルケム学派がベルクソン哲学に向けた批判の刃であった。  ベルクソンは第三の主著である『創造的進化』 (1907年)において、ある種に属してい る個体の生命を委ねる本能的動物と、反省=直観の能力をもつ知的な人間とを区別した。 ただし、本能と知性にまったく連続性がないわけではない。 『創造的進化』に先立って公 H」された第.一}三著『意識に直接与えられたものについての試論』 (1889年)において、ベ ルクソンは、社会において営まれる生活が個人の持続を分断してしまうと考えている (Bergson 1889:97=2001:156)。ベルクソンの持続とは、変化であり、運動であり、流 れである。 「輪郭のはっきり決まっている言葉、人間に関する諸印象のなかで、安定した ものや共通したもの、したがって非人格的なものをため込んでいる乱暴な言葉は、私たち の個人的な意識の微妙で捉えがたい印象を押し潰すか、少なくとも覆い隠してしまう」 (Bergson l 889:98=2001:158)。  ベルクソンによれば、社会生活において他者と共有される言葉は、非人格的な言葉を、 持続する個人の意識を覆い隠してしまう。持続は、他者と共有される社会的な言語によっ て表そうとすると、途端に分断されてしまう。したがって、ベルクソンは社会的な生活、 他者と共有される視点(社会秩序や法則の遵守)が、持続する「個人的な意識の微妙で捉 えがたい印象」を失わせると考える。言い換えれば、ベルクソンは社会生活から離脱した 「個人的意識」を捉えようとしたことになる。  すなわち、デュルケムが「個人化」を抑制するために必要とした社会の有機的連帯を、 ベルクソンは否定するように見える。こうして、デュルケムとベルクソンは、連帯と個人 化、集合意識と個人意識をめぐって、真っ向から対立することになる。デュルケムやデュ ルケム学派にとって、ベルクソンの持続を批判することは、集合意識を鮮明にするための 手だてだったと考えられる。  デュルケムないしデュルケム学派からすれば、ベルクソンの持続は個人主義的なものだ (8} xルクソン自身の研究については、第3章冒頭にまとめる。       11

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アックス(Maurice・Halbwachs,1877−1945)である。 ルヴァックスは、ベルクソンの持続を批判的に継承するとともに、デュルケムの「認 社会学(sociologie de la connaissaince)」 (Namer 1994, 2000)を受け継いだ。アルヴァック デュルケミスムの担い手であったことを指摘した研究として、ジェラール・ナメ ird Namer)の社会的記憶研究があげられる(Namer l994,2㎜)。ナメによれば、記憶 10ire)は、社会の表象を活性化する習俗の概念として、古くから取り上げられてきた。 ルケムは、その社会的記憶を、『社会分業論』で述べている「有機的連帯」によって、 ではなく現在の拘束感において想像される集合意識へと転換した(Namer l994:303)‘9}。 り、アルヴァックスはデュルケムと同様の問題意識  連帯とエゴイズム  をもっ 集合的記憶論を確立しようとした(1ω。 ルヴァックスは、夢のように曖昧な過去が、その過去を一緒に体験した他者によって され、その再構成を集合的記憶と考える。アルヴァックスによれば、この再構成に参 きることが、その集団の成員であることである。したがって、アルヴァックスが、根 に夢と記憶内容を区別しないベルクソンを批判するのは、ベルクソン的持続ではメン シップの確立できないと判断されてのことだと思われる。 らに宮島喬は、デュルケム学派の社会学とベルクソンのような個人心理学の比較をす かで、ペルクソンが「生身の『人間』の身体的な、特殊な心情や願望や欲求」、 「社 戎員個々人の生活に根ざした自主的・内発的な諸要求」 (宮島 1966:70)をもつ自 な個人を追求したことを指摘する。宮島によれば、社会的状況の現実のなかで展開さ 具体的な人間の行為について、その個人の「自由」や「主体性」を問う場合、行為者 フ)「ユニークネスや内発性、動機付けの強烈さ、洞察や判断の的確さ、意志決定の自 1などに着眼するのみでは不十分である。その他に、 「その行為がいかに社会的環境 聖的な変革に思考しているか、あるいは、それがいかに新しい価値創造への継起を含 t、るかなど、所与の社会的諸条件との関連において規定されねばならぬ側面」が考察 なければならない。したがって、ベルクソンは、デュルケムのいう社会的諸条件との を考察していないため、根本的な批判をまぬがれない(宮島 1966:74)。 対に、ベルクソン的持続が「個人的であると同時に、集合的である」(Gurvitch l1969:219)、と指摘する社会学者もいた。アルヴァックスのr集合的記憶』を編纂し 、ナメによれば、デュルケムによる社会的記憶から集合意識への転換は、デュルケム後期の 勺変革を意味し、この変革がベルクソンが「エラン・ヴィタール」と呼ぶところの非宗教的で、 巨的な開放や愛の道徳の登場を指すという(Namer 1994:304)。 Lルケミアンとしてのアルヴァックスの活躍については、第2章冒頭で検討する。        12

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たジョルジュ・ギュルヴィッチ(Georges  Gurvitch)は、ベルクソンの「自由に関する理論 (theorie de la l ibert6)」に着目している(Gurvitch [195011969:213)。  また、レヴィ=ストロースは「ラドクリフ=ブラウンの理論において認められて主知主 義的性格を考慮にいれるとき、ベルクソンはごく似かよった考えを擁護した[中略]。 『道 徳と宗教の二源泉』の中に、いくつかの点でラドクリフ=ブラウンとの類似が指摘できる 理論の素描が見出される」(Levi−Strauss I 962=2㎜:150)といい、ベルクソンによるトーテ ミスムの分析を再検討した(H)。  ここまで確認してきたデュルケム学派とベルクソンの争点をまとめるならば、デュルケ ムが模索した個人外在的な行為の決定要因は、ベルクソンが主張する個人に内在する心理 的な行為決定要因と相反しているといえる。そのため、デュルケム学派において、ベルク ソンは個人主義的で、個人に外在する社会的諸条件の力を見過ごしていると批判され、ベ ルクソンの持続は、社会的諸条件としての社会規範や連帯を見失った個人化の状態しか想 定できないとして否定されることになる。反対にベルクソンは、そもそも個人の外側にあ る物質に精神を置き換えて実在を考えることや、社会集団がもつ拘束力から個人の持続す る感情や行動を理解することを否定した。それゆえに、ベルクソンはデュルケム学派によっ ていっそう強く批判されることになったと思われる。

第4節 主観主義と相互作用

 デュルケム学派とベルクソンの関係は、非一個人主義的か、個人主義的かの違いだけで はなく、客観主義的か、主観主義的かの対立も表している。ベルクソンは持続を、社会生 活によって分断されてしまうと考えるだけでなく、空間化もしくは数量化によっても分割 されてしまうと考える。ベルクソンによれば、 「純粋持続とはまさに、互いに溶け合い、 浸透し合い、明確な輪郭もなく、相互に外在化していく何の傾向性もないような質的諸変 化の継起以外のものではありえない。つまりそれは純粋な異質性(h6 terog6n6it6)であろう」 (Bergson 1889:77=2001:126) 。  デュルケム学派が物象化によって社会的諸現象を捉えようとしたのは、ベルクソンにとっ ての持続を同質性(homog6n6ite)によって客観化しようとしたからだろう。なぜなら、ベル クソンがいう質的変化の継起一持続  は、対象を観察する主観的な意識だと考えられ るからである。ベルクソン的持続についての表象は「自己同一的であると同時に変化しつ (ll)レヴィ=ストロースとベルクソンの接点の有無については、中村弓子(1995)を参照されたい。        13

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つある存在、空問に関するいかなる観念も抱かない存在」(Bergson 1889:75)u z戊である。こ うして、ベルクソンの持続は主観主義的だとして批判されることになる。  主観主義的だという批判は、集合的記憶における過去の再構成が「他者の視点」を必要 としているからであり、この第三者の視点こそが、持続を説明可能なものすると考えられ るところから生じている。アルヴァックスの集合的記憶論は、個人主義的だという批判に 加えて、主観主義的であるという批判もベルクソンに向けることができる。実際に、アル ヴァックスは、持続を分割して考えることが許されないならば、個人は他者の持続を理解 することはできないと述べている(Halbwachs l 950:150−156=1989:109−116)。  このような主観主義的批判は、アルヴァックス自身が展開したものより、アルヴァック スの集合的記憶論を再検討した研究において目立っている。個人主義的批判から主観主義 的批判に移行しているようにも思えるが、これは現象学からの影響が大きいようである。 実際、アルヴァックスの集合的記憶論が、 「局在化の現象学(《ph6nom6nologie  de  la localisation》)」(13)と呼ばれたり(Namer 1994:330)、記憶の現在主義(presentism)を特徴とする など考えられるのは、現象学からの影響を鮮明にしているからだといえよう。  ナメは、アルヴァックスの集合表象についてだけ、デュルケム学派としての特徴を示し たわけではない。彼は、アルヴァックスの集合的記憶論に、現象学的な側面をも見て取っ ている。  ルイス・A・コーザー(Lewis A. Coser)は『記憶の社会的枠組み』の英訳書の序で、記憶 の「現在主義」について指摘する。コーザーによれば、 「アルヴァックスにとって、過去 は社会的構造であり、主に、全面的にではなくても、現在との関心によって形成される」 (Coser l 992:25)。いわば現在主義的アプローチであるという(14)。 ⑫本論における引用は、邦訳書にできるだけ忠実に記載するが、必要に応じて、訳し換えている。 この引用箇所については、合田正人・平井靖史訳『意識に直接与えられたものについての試論 時間と自由』116頁も参照した。 “3) iメによると、 「局在化の現象学」とは、最近、直接的に経験された記憶の枠組みと、すでに離 れてしまった記憶の枠組みとに位置づけられる二つのタイプの記憶内容によって明らかになる (Namer l994:330)。 (L4f様の指摘はピーター・ノーヴィック(Peter Novick)にも見受けられる。ノーヴィックは『ホロコー ストと集合的記憶』において、ホロコーストがアメリカにおいてどのように受容されてきたかを、 時代ごとに検証した。その検証は現在の関心から再構成される集合的記憶に他ならない。ノー ヴィックは、集合的記憶論について「現在においてその意志を作用させる過去として集合的記憶を 再検討する代わりに、アルヴァックスは、現在の関心事私たちが過去の何を記憶し、それをどうやっ て記憶するかを決定する方法を探求した」(Novick ig99:3)、という。そのホロコーストの分析も現 在の関心事に記憶を関連づけている。 14

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 国内においても、浜日出夫や、片桐雅隆によって記憶の現在主義は注目されている。実 証的な研究としては、国内では戦争体験を事例とした多くの研究の他に、大野道邦らの伊 勢湾台風のものと、浜日出夫によるツェッペリン号飛来に関するものがある。海外におい ても、国家的出来事、特に戦争や虐殺を題材としたものが多い。  これら二つの批判点こそが、本論で克服しようとしている問題となる。二つの批判点の いずれもが、アルヴァックスの集合的記憶論に内包されているベルクソン批判なのである。 本論では主に、ベルクソンとアルヴァックスの記憶論を比較し、そこからベルクソン自我 論における社会と個人の両立を考えることにする。  デュルケムが掲げた社会的連帯は規範的なものであり、個人の自由な意志を発揮させる のは難しいと思われる。反対に、ベルクソンの持続は、個人主義的で、主観主義的に見え る。デュルケムないしデュルケム学派のアルヴァックスは、ベルクソンに対して、さらに アメリカ社会学の特徴である相互作用論とに対して、同じく客観主義と主観主義の関係を もつ。つまり、ベルクソンと相互作用論とは、主観主義だと考えられる。  ランドル・コリンズ(Randall Collins)は、アメリカ社会学の伝統もである相互作用論が、 デュルケム学派によって提示された社会イメージに対立し、 「人間主観にかかわる伝統、 人間意識と人間の主体的行為から社会的世界を形成する伝統」を築いたと考える(Collins l994=1997:246)。現代的な動向という点で、デュルケムの集合主義的な理論から展開され た脱一制度化だけでなく、これを含めて、諸個人の相互作用論が、規範主義的な社会学の 伝統を新たな方向へ拡げているといえよう。この相互作用論は、ジョージ・ハーバート・ ミード(George Herbert Mead)やアルフレッド・シュッツ(Alfred Schutz)によって担わ れた。  そこで、相互作用論の代表として、シュッツのベルクソン理解を簡単に確認しておこう。 シュッツによれば、実際に、人びとが内的な持続の流れを経験するとき、「『今このよう に』から新たな『今このように』へのたえまない移行」(Schutz 1970:57=1980:13)として捉 えられる。このような移行は、 「私」に意識されることはないが、 「私」が「かつてと今 がちがうということ」を知りうるのは、持続の流れを振り返り、 「『今このように』に先 行する位相」に気づくことだという(Schutz 1970:58=1980:13)。 「今このように」に先行す る位相とは、 「今このように」とは異なることに、いま現在の位相から理解する。このよ うな理解は過去の再構成であり、記憶作用によるものだと考えられる。このことはベルク ソン的持続に、現象学における「志向性」が欠如しているというメルロ=ポンティからの 批判となって表れる(15)。 (15 o. A. Y. Gunterによって、1985年までのベルクソンに関する6000近くの文献を掲載した目録が完成 されている。その後も関連文献の出版は続いており そのうちの一握りにすぎない。       15 、ここで先行研究として取り上げられるものは

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 しかしながら、このような再構成は、ジル・ドゥルーズ(Gill Deleuze)のベルクソン解釈に 従うならば、ベルクソン的持続を損なうものでしかないといえよう。ドゥルーズは、 「持 続」と「記憶」と「エラン・ヴィタール」を、 「差異の哲学」としてのベルクソン哲学の }三要な概念と捉えて(Deleuze l956=1992:80)、 「直観」をベルクソン哲学の方法と考えた (Deleuze l966:1=1974:3)。ドゥルーズが指摘するとおり、現在を媒介にすることは、持続 を分断して、過去を再構成することになる。持続が常に変化しているものとして語られる のは、まさに現在が現在であると同時に過去であるからである。  檜垣立哉は、ドゥルーズと、ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jank616vitch)の ベルクソン研究が反現象学的な位置にあることを指摘している(檜垣 2000)(16)。ジャン ケレヴィッチは、ベルクソンにおける因果連関は、結果が生じた後に原因が規定されると いう論点先取の関係が明らかにされているという。  ベルクソンに対する主観主義的な批判から、現象学における志向性についての認識の欠 如に対する批判までを概略的に記した。ベルクソン的持続が主観的状態でしかないという 批判は、バウマンの個人化とは一致しないかもしれない。しかし、ドゥルーズのベルクソ ン解釈に見るように、ベルクソンの持続は、個人の持続を現在から眺め、再構成すること を否定し、言い換えるならば、時間の流れのなかで現在という定点を定めることすら否定 している。したがって、ベルクソンにおいて、持続の外在化はいっさい許されないことに なるだろう。 (16) サの他のベルクソン研究として、近年はアンリ・ユードによる書簡や講義録の編纂が注目される。 また、社会哲学、社会理論の色彩が強いものと、書簡などを踏まえた文献研究がある。フィリップ・ スーレーズ『政治的ベルクソン』(Philippe Soulez, Bergson potitique)が、特に注目されるだろう。ベル クソン没後、彼自身が公刊を望んでいなかった著作や講義録、書簡に至るまで多くのものが発行さ れるようになっている。スーレーズは、特に、1972年に出版されたMelangesや2001年の Corresρonclances所収の書簡を利用して、第一次世界大戦へのベルクソンの関与にも触れている。  淡野安太郎はベイエとギュルヴィッチのベルクソン評価をもとに、「閉じられたもの」と「開か れたもの」、量的時間と質的時間の中間に「生きた社会的現実の動的性格」が成り立つ可能性を示 唆した(淡野 1958:233−234)。また、中村雄二郎は、 「ベルクソニスムそのものの貫徹というこ とからいえば、やはり、この問題〔人間の社会生活に関する問題一補足:引用者〕において、その ような取り上げ方〔道徳と宗教という側面からの考察一補足:引用者〕と神秘主義的性格は、十分 な必然性をもったものであったし、それゆえにまた、いわゆる『科学的な社会学』や『社会科学的 方法』によってはほとんど見のがされがちな、社会生活の問題の側面を明らかにしえた」 (中村雄 二郎 1965:387)、という。       16

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むすび  バウマンの「リキッド・モダニティ」における市民としての作られたアイデンティティ は、今日的状況において忌避され、その代わりに「情緒的な個人」が信頼される。このよ うな情緒的個人が好まれる傾向は、デュルケムが想定した「有機的連帯」における連帯し た個人を失わせることになる。デュルケムは、個人の自由な行為を失わせないまま、その 個人は他者と連帯することが可能だということを『分業論』において展開している。  その連帯と自由な行為との両立は、社会と個人の含み合いを論じるという点で、社会学 に古くからある問題であった。本章で取り上げたデュルケム研究においても、社会的諸条 件によって人間個人の行為を説明可能なものにすると考えたデュルケム社会学は、個人の 自由を制約しつくさないということを長く論じようとしてきたことがわかった。功利主義、 エゴイズムをめぐるデュルケムの見解を、いかに個人の自由な自律性に結びつけるかが、 デュルケム研究における一つの課題であることはすでにみたとおりである。  その課題は、そもそもデュルケムが功利主義的な個人主義を批判したところから発して いる。個人主義批判は、デュルケム以後も、デュルケム学派に受け継がれている。その批 判的研究として、社会学におけるベルクソンの個人主義的な持続への論難がある。ベルク ソンが社会での実際的な生活によって持続が分断されてしまうと考え、そのことに対して 個人主義的である、という判断が下された。  けれども、ベルクソンの持続に関して、このような個人主義的批判は、同時に、主観主 義的な批判も喚起する。なぜなら、ベルクソン的持続が外在的な現在という定点から観察 されることを拒むからである。その二つの批判の両方を、アルヴァックスの集合的記憶論 が担っていることをここでは示唆した。  これら二つの批判は、個人の自律的行為を観察対象とした場合に、デュルケム学派が対 象に外在する環境によって、すなわち社会的諸条件によって、対象を論じたことから生じ たものだと思われる。それゆえに、ベルクソン的持続は批判されるのであり、言い換えれ ば、ベルクソンは社会を論じられないと判断されることになる。しかし、またこのような 批判は、個人に外在する条件によって、人間個人を規定していくことは、デュルケム学派 が越え出ようとした集合主義に埋没することである。  したがって、ここで、個人主義的・主観主義的批判を加えたアルヴァックスと、ベルク ソンとを比較検討することは、古くからの社会と個人の問題を再検討することになる。 17

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第2章 集合的記憶の拘束性

 個人を社会的な規範から説明しようとした場合、個人の意志が社会に埋没してしまう。 反対に、個人の意志に目を向け社会を説明しようとした場合、今度は個人の意志の功利的 な部分が強調され、社会による統制的な機能を取り上げることができなくなってしまう。 このような社会学に古くからあるアポリアは、集団において共有される記憶(me㎜ire)に も潜んでいる問題である。  『集合的記憶』論を提唱したアルヴァックスは、記憶作用によって個人と社会の結びつ きを示した社会学者だといえる。彼はある集団において共通に経験された出来事を、その 集団の中において共有される記憶内容ないしは思い出(souvenir)として想起する記憶作用 を、 「集合的記憶(memoire・collective)」と呼んだ。  ここでは、この集合的記憶による、個人と社会の結びつきを見ることにする。人びとは 日常に、ある自分の記憶内容を同じ社会に生活する他者によって、修正されたり、補完さ れたりすることを経験する。アルヴァックスの指摘する集合的記憶とはこのような作用で ある。  本章に入る前に、アルヴァックスの経歴を簡単に整理しておきたい。  モーリス・アルヴァックスは1877年、アルザス地方ランス(Rei ms)のあるカトリックの家 庭に誕生する。当時、父ギュスタヴ・アルヴァックス(Gustave Halbwachs)}まドイツ語の教師 をしていて、普仏戦争後も二年間、ドイツに併合されたこのアルザスの地に留まっていた。 一家がパリに移り住んだことで、アルヴァックスはパリのリセ・アンリIV世校に通うこと になる。アルヴァックスはそのリセでベルクソンに学び、記憶に対する反主知的心理学的 記憶とモナドロジーを研究した(Namer l 997:Il)。  エコール・ノルマール・シュペリウールに進学したアルヴァックスは、1901年に、高等 教育教授資格のアグレガシヨン(ag r6 ga{ion)を取得する。1903年からドイツでゲッティン ゲン(G6ttingen)大学の奨学生としてライプニッツを研究した(i7)(Becker 2003:25)。帰国後、 (17) Aルヴァックスのこの時期のドイツ滞在については、19(A年からゲッティンゲン大学の講師とし てライプニッツ研究を行ったという指摘(Coser l992:4)もあれば、1年間ハノーヴァーに滞在したと いう指摘(Alexandre 1968:XVIII, Douglas 1980:3)もある。本論では最新の研究であるベッカー(2003) を採用する。このドイツ滞在中の研究成果は、1907年『ライプニッツ』(Leibniz)として公刊されるに 至る。 18

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アルヴァックスはデュルケムやシミアン(Frangois Simiand)と親交をもつようになり、法 学、経済学、統計学を身につけるまでになった(Alexendre l968:XVIIIニ1989:iii)。ダグラス によれば、アルヴァックスはライプニッツ研究を通じて、個人の意識が他者との関係によっ て構築されることに気づき、ベルクソンと形而上学から決別することになったという (Douglas 1980:5−6)。哲学と別れを告げた後のアルヴァックスの研究成果は1909年に法学博 士論文『パリにおける土地収容と地価  1860∼1900年』として傑出する(18)。  法学博土を取得した後、このようなアルヴァックスの研究は、デュルケム、シミアンな どとの交流により多くの分野へと幅を拡がっていくわけだが、その研究を三つの相に分類 することができるだろう。この分類を見ると、アルヴァックスの研究が時代によって区分 することができないことがわかる。  まず第一一の相にあるアルヴァックスの研究は、何といってもデュルケム学派に固有の社 会学方法論に関するものである。そのなかでも最も注目されているのが、1930年に出版さ れた『自殺の原因』↓Lescausesdusuicide)だろう。この著作は、1897年に公刊されたデュ ルケムの『自殺論』を補正したものである。田辺寿利はこの『自殺の原因』を「フランス 社会学派が同年中に公にした諸研究のうち、特に意義あるものの一つ」だという(田辺 11932−193311988:224)。田辺によれば、社会学研究は常に更新を必要としているとの デュルケムの考えを受け継ぎ、統計法に明るいアルヴァックスが自殺論を補正したことに なる(田辺 11932−193311988:226)。  「デュルケム主義の第二世代(le deuxieme age du durkheimisme)」(Verret l972)、 あるいは「第ニデュルケム主義(le deuxieme durkheimisme)」(Namer 2000)に位置づけ られるアルヴァックスは、『自殺の原因』以外でも、デュルケム主義の社会学的方法論を 確立しようとしていた。例えば、ナメによれば、『平均人の理論  ケトレと道徳的統計 についての研究』↓La the’orie de 1’homme moyen: e∬ai sur eue’telet et la stastique〃torale)(1913 年)(191ま、 「統計と調査の社会学、要するに社会学の社会学を展開した」研究だとされる (Namer 2㎜:82)。また、認識の社会学を重視したという指摘としては次のようなものもあ る。内藤完爾によると、アルヴァックスは「大学人」であったにもかかわらず、「エミー ル・デュルケムの学説」(‘La・doctrine・d’Emile Durkheim’)(1918年)において、大学を離れて 〔18) Aルヴァックスは再び資料収集のためのドイツへ渡る。ドイツ滞在中の1910年に、 『ユマニテ』 (Humanite)に書いた記事が問題となり、ドイツからの強制退去を命じられた(Ramstedt 1997:98)が、 この体験は後々のアルヴァックスの社会運動に大きな影響を与えることになった(Coser 1992:45)。  『ユマニテ』は、1904年、ルシアン・エル(Lucien Herr)とジャン・ジョレス(Jean Jau鰺s)によって 創刊された左翼誌である(田原 1983:131−134)。 (19) Aルヴァックスは、 「ケトレが社会的原因を無視したことを非難した」研究をこの著作で行なっ た(内藤1957:144)。 19

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「研究者」生活を送るデュルケム主義者たちがそうしたように、デュルケム社会学の科学 性を評価したという(内藤 1988:148−151)。  第tの相に位置する社会形態学も、やはりデュルケム主義を反映したものであった。中 久郎によれば、デュルケムが社会学大系の三つに分類したうちの一つである社会形態学で は、 「集合的生活の基礎としての社会の容量と密度、およびそれらに関連する人口学的、 地理学的その他の『物質的基礎』の研究」によって条件づけられる「社会集団類型」が把 握される(中 1979:83)。アルヴァックスはその社会形態学を、 「人口の諸事実からみた 具体的な集団形態」 (中 1979:86)として捉えて、『パリにおける土地収容と地価』の再 版である『百年来の人口とパリへの移住道筋』↓La poputation et tes trace’S de voies a Paris dePUOS cent ans avec deur ptans hors texte)(1928年)や、 『社会形態学』↓Morphologie sociale)(1938 年)により、第ニデュルケム主義者として社会形態学の発展に寄与したのである。  しかし、中久郎によるデュルケム学派の研究動向分析に再び着目するならば、 「アル ヴァックスの社会形態学的アプローチは、デュルケムのそれから明らかに隔たっている」 (中 1979:86)ことになる。同様の指摘は、デュルケム主義の学史研究を行なった内藤に よってもなされる。内藤はアルヴァックスの研究が「デュルケム学派には珍しく、都市や 階級にもアプローチした。親マルクス主義も、この学派では異色であろう」〔強調:原著者〕 という(内藤 1988:144−145)。  そのようなデュルケム主義者アルヴァックスの異色性は、1913年に出版された文学博士 取得論文『労働階級と生活水準  近代工業社会における生活費の序列づけの研究』(La ctasse Oμvr輌∼アε et les niveattx de vie: recherches sur 10 乃∼4rαrc/lie des besoin∫ dUη5 1es ∫OC輌6r∠∫ industrielles contemporailtes)によって明らかになっている。 『労働階級と生活水準』は、収 入の低下に伴い食費の比率(「エンゲル係数」)があがるというエンゲルの学説を裏返す 研究結果を示している。つまり、 「アルヴァックスによると、労働者家族においては、収 入があがるにつれて、かえって食費の相対的比率があがる」 (内藤 1957:145−146)〔強調: 引用者〕というもので、エンゲルに対して「アルヴァックスは社会階級によって認知される 欲求が決定すると反論した」(Douglas 1980:9)(20)のである。アルヴァックスは『労働者階級 と生活水準』において、従事と職と役目によって表される仕事と、社会生活を表す消費の 習慣や労働者の支出とによって形成される階級を分析した(Halbwachs l913)。すなわち、ア ルヴァックスは、社会形態学の…環として、新明正道の言葉をかりるならば、 「労働者階 級の家計がその集団としての意識によって決定されることを指摘して、集団的実在が経済 (2° _グラスによれば、アルヴァックスの『労働者階級と生活水準』は、当時の経済学者の分析を見 落としているという。1933年の「労働者階級における欲求の発展」においてアルヴァックスはアメ リカの労働者階級家庭に生じる社会環境の変化を経験的データにより、初期の社会学理論を発展さ せたという(Douglas 1980:IO−11)。        20

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生活の基礎をなすものであると主張した」 (新明 1977:94)。  階級による消費の習慣に関する研究は、今日ではピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu) の『ディスタンクシヨン』によって脚光を浴びているといえるだろう。 「アルヴァックス には、文化資本の概念も、社会内部でのその再生産と同じく存在しない」けれども、 「モーリス・アルヴァックスが、力と意味の関係として諸々の階級の関係を定義した第一 人者であることは確かである」(Boudelot et Establet 1994:125)。このようにアルヴァックス とブルデューの連続を示す指摘もある。  ここまでの.1つの相に属する研究はいずれもデュルケムが確立した社会学をより発展さ せたものであり、フランス社会学の主流に担う研究として評価することができる。次の第 三の相に属する研究一集合的記憶に関する研究一一と二つ目の相との関連を強調して、 集合的記憶研究を第二の相にも分類してしまうことも可能であるが、ここでは近年特に注 nされるようになっている観点として独立して考えておくことにする。  この第三の相を示す観点は、歴史社会学の興隆による集合的記憶論にある。筒井清忠に したがって整理すると、1970年代にはアメリカから歴史社会学の興隆によってもたらされ た。創設期の社会学は歴史学と未分化であったが、その発展過程で歴史学からの分化と歴 史的関心への衰退が進んだ。そのような衰退の過程にあって、社会変動ないし近代化の一 般理論への懐疑が次第に高まり、事例の歴史的個性の解釈や因果連関の解明へ関心が移る ことにより歴史社会学が登場した。特にフランスにあっては「歴史学の側から社会学的ア プローチの需要が起こったために、 [中略] 『集合表象』や『社会的事実』をキー概念と するデュルケーム社会学のパラダイムが[中略]『アナール』学派をとおして歴史研究に 組み込まれ制度化されている」 (筒井 1997:5)。1919年からストラスブール大学社会学 教授を勤めたアルヴァックスは、ここで、アナール学派を創設したルシアン・フェープル (Lucien Febvre)やマルク・ブロック(Marc・Bloch)と知的交流を深めている。  このような歴史社会学の勃興において、アルヴァックスの集合的記憶論に注目が集まっ たと考えられる。その集合的記憶に関する研究としては、『記憶の社会的枠組み』(Les (’adres sociattX de la〃M励↓rε)(1925年)をはじめとして、『聖地における福音書の伝承的地 誌』↓La topo8raphie le’8endaire des e’vangiles en terre sainte)(1941年)、遺稿となっ たr集合的記憶』(La m∠〃IO・ire CO〃ective)がある。  『記憶の社会的枠組み』は、コーザーによると、アルヴァックスの「個人主義的ベルク ソンの立場からデュルケム的集合主義的見地への鞍替え」だけでなく、哲学に足場を起き ながらも、新しい社会学分野への傾倒による産物である(Coser l992: 5)。ここで、アル ヴァックスは、デュルケム的な社会的連帯を、記憶作用のなかで再検討して、 「集合的記 憶」という集団において再構成される思い出(記憶内容)の社会性を指摘した。  また、小関藤一郎によれば、『聖地における福音書の伝承的地誌』は、アルヴァックス 21

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