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言語教育実践の「創造性」と「停滞性」

ドキュメント内 日本語教育実践はどのように改善されるか (ページ 191-195)

第8章 結論―日本語教育実践の改善はどのような営みか

2. 研究課題3の解決:日本語教育実践はどのように改善されるか

2.3 言語教育実践の「創造性」と「停滞性」

前項では、言語教育実践には「言語構造指向性」と「非言語構造指向性」の2つの指 向性があることについて述べた。本項では、上記のことについて更に具体的に論じ、R

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Q8「停滞している日本語教育実践に変化を起こすためには何が必要か」に答える。そ して、ここまで明らかにしたことを踏まえ、本論文提唱の言語教育実践の改善のメカニ ズムモデルを提示する。

前項で述べたように、これまでの日本語教育においては、「言語を使いこなす能力」

を育成することを目的とし、言語の構造を定着させることを目指す傾向が強かった。

「言語構造指向性」が主として目指されてきたのである。文型の導入の仕方、効率的な 文型練習の仕方、語彙の覚え方、発音矯正の仕方、漢字の覚え方などが日本語教育の現 場では日常的に行われてきており、今もこれは続いている。言い換えると、「日本語の 構造を定着させる方法」ばかりに目が向けられてきたとも言える。様々な方法が実践報 告や教材という形で発信されてきたが、万人受けの方法などあり得ない。そこで、実践 者たちは様々な他の実践者の「方法」に直接的せよ、間接的にせよ接し、「これならい い」と思うものを実践で試し、手ごたえを感じ、その方法を改良させてきたと言える。

そして、その方法が「文型の練習のためのちょうどいいもの」に出来上がれば、実践者 はその方法を「伝家の宝刀」のように繰り返して使うようになる。つまり、実践の改善 は「いい方法」が手に入れば、その「いい方法」を繰り返して使うことで可能となるも のであると信じ込む実践者が少なくなかったとも言える。

上記のような実践は、「決まり切った」ものになる可能性が極めて高い。なぜなら、

同じ方法、同じパターンを繰り返して実践を行う可能性が高いからである。何よりも、

上記のような実践を行うと、実践者は次第に「日本語教育は日本語の構造を定着させる ものだ」という言語教育観を持つようになるものである。そのため、日本語の構造を定 着させるための方法を探し、実践で試し、手ごたえを感じた方法は繰り返して使うよう になることが予想される。「固定化」するしかない言語教育観が無意識に実践者に育ま れるのである。なお、実践者が「非言語構造指向性」を目指そうとしても制約によって その実現が難しいと判断した場合、実践者は逆の指向性である「言語構造指向性」に偏 った実践を繰り返すことも考えられる。これは、今回の「ピア・サポート」の事例にお けるナ先生が「自己主導学習」を目指すと言いながらもモデル音声の模倣、反復練習を 繰り返していたことからよく分かる。従って、「言語構造指向性」に偏ってしまった場 合、実践は「固定化」するしかないものになるのである。

「非言語構造指向性」に偏った実践の場合はどうであろうか。おそらく言語教育実践 として成り立たなくなることが考えられる。自分自身を知ること、他者を知ること、自 分の居場所作り、自分の周りの世界を理解することを目指して実践をする場合、「言 語」はその実践の中心的なものではなく、周辺的なものとなる。日本語は使わず、物づ くりをしながら他者と交流し、自分と他者のことを知っていくことも可能であろう。教 室の外に出て、ことばは使わずに、様々な場所で様々な経験をすることで「経験知」を 得て「生きる力」を培っていくことも可能であろう。しかし、言語教育実践において言 語があまりにも蔑ろにされては、「○○語の上達」という言語学習の目標は達成できな

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くなる。言語教育実践において、「言語」を中心的なものではなく、周辺的なものにし て実践を行うと、日本語教育の場はただの「交流の場」と「体験の場」になってしまい、

言語教育の場として成り立たなくなるのである。

何よりも「交流」であれ、「経験」であれ、どの「活動」でも結局、実践の中で繰り 返して行うものである。実践者は「非言語構造指向性」を目指していくつかの活動を実 践の中で行い、その活動の中で手ごたえを感じたものを絞り出していき、その活動をま た繰り返して行うことが多い。その絞り出されたいくつかの「活動」を繰り返すことに よって、実践には変化が起きにくくなるのである。そして、実践はますます「非言語構 造指向性」に傾倒していき、 言語教育実践としての性質を失っていくものと考えられ る。結局、「○○語の上達」からは遠のいていくうえに、同じ活動を実践の中で繰り返 して実施するという足踏み状態になり、「決まり切った」ものになる可能性が高い。つ まり、「非言語構造指向性」に偏った場合も実践は「固定化」しやすくなるものなので ある。以上のことから、「言語構造指向性」と「非言語構造指向性」との間で活発に往 還が起きない場合、実践は「固定化」しやすいものであることが分かる。つまり、言語 教育実践が一方の指向性に傾いて変化のない状態が続いていると、実践は「停滞性」を 持ち、「実践の固定化」が生じると考えられるのである。

それでは、「言語構造指向性」と「非言語構造指向性」との間で活発に往還が起きた 場合、実践はどうなるのであろうか。前項でミレ先生の事例を取り上げて述べたように、

これまでとは異なる実践に変化する可能性が非常に高い。「ピア・サポート」遂行初期 は、ミレ先生は「日本語は文法の組み合わせである。その組み合わせを分かりやすく学 生に教えることで日本語が学べる。文法は日本語の基礎である」という言語観と日本語 教育観を持っていた。そのため、「日本語の文法をどう教えるか」に非常にこだわって いたのである。典型的な「言語構造指向性」に傾いている状態であった。そして、ミレ 先生の実践は、文法項目の説明と文型の提示、学生の解答への誤用訂正、文法項目の説 明のまとめといったパターン化した授業になっており、「実践の固定化」が生じていた。

しかし、ミレ先生は、「ピア・サポート」を通し、「日本語は文法からなるものなのか。

本当に文法が分からないと、日本語は学べないか」と「言語そのものの捉え方」を初め て問うようになっていった。同時に、「なぜ私はこのような授業を作っているか。学生 にもっとやってもらいたいこととは何か」を問い、「言語構造指向性」と「非言語構造 指向性」との間を活発に往還するようになっていった。両指向性の往還が活発に行われ ることによって、ミレ先生は「これでいいのか」を問い続け、実践は毎回、毎回が異な るものになっていき、「創造性」が現れていったのである。つまり、「言語構造指向 性」と「非言語構造指向性」との間で活発に往還が起きると、実践者は言語の構造を定 着させるための「方法」を繰り返して実践の中で使うより、「この方法でいいのか」、

「このままでいいのか」を問い続けることになると言える。両指向性の間での往還によ って、実践者は「ことばはどうのようにして身につくか」と「私はどのようなことを学

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習者に学ばせたいか」を同時に問い、その実現方法を探り続け、実践に変化を与え、更 に実践をデザインし続けていくものと考えられるのである。そして、その過程で実践者 は成長し、変容する。実践者の成長と変容に伴い、実践そのものも変容し、そもそも目 指しようとしていた実践の改善そのものも変化しうる。

以上のことを踏まえて考えると、言語教育実践において「言語構造指向性」と「非言 語構造指向性」との間で活発に往還が起きた場合、実践に「停滞性」は現れず、これま でとは異なる実践が創られ続けること、つまり「創造性」が現れると言うことができる。

実践の「停滞性」は「実践の固定化」が現れていることを意味する。一方、実践の「創 造性」は「実践の固定化」は起きようがないことを意味する。よって、停滞している日 本語教育実践に変化を起こすためには、実践者に「言語構造指向性」と「非言語構造指 向性」とを往還できるようすることが必要である。そうすることで、実践の「創造性」

が現れやすくなり、「停滞性」は現れにくくなることが期待できる。以上の言語教育実 践の改善のメカニズムを以下の図33に示す。

図33 言語教育実践の改善のメカニズムモデル

以上のことを踏まえ、RQ8「停滞している日本語教育実践に変化を起こすためには何 が必要か」に答える。停滞している日本語教育実践に変化を起こすためには、実践者に

「言語構造指向性」と「非言語構造指向性」との間で活発に往還が起きるようにするこ とが必要である。次項では、RQ7 と8への答えに基づき、研究課題3「日本語教育実践 はどのように改善されるか」を解決する。

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