第6章 韓国の大学での事例: ミレ先生の事例
2.3 目指したい方向へ実践が変化する
前述したように、2012年10月は筆者とナ先生、筆者とミレ先生の2人でそれぞれ2CF だけを行うことになった。ナ先生から「自分の授業の様子を自分の目で見ながら話し合 いたい」と申し出てきたからである。ミレ先生にも、この点について話し合ったところ、
ミレ先生も「やはり自分の授業を見ながら話し合ってみたい」と賛同したため、2012 年10月は「ピア・サポート」のデザインを変更し、2CFだけを4回行うこととなった。
129
2012年10月のミレ先生の実践を対象とする2CFは10月11日に実施された。この日の ミレ先生の授業は、2012年10月9日実施の実践で、条件表現の「と・ば・たら・なら」
を学習内容として行われていた。E大学の初級教科書には、1つの課に「と・ば・た ら・なら」全てが扱かわれており、教授内容も「と・ば・たら・なら」全てを1つの課 の中で行われるようになっていた。2012年10月9日のミレ先生の実践では、同年5月と9 月によく取り上げられていた「時間配分」と「文法中心」、「教師の説明中心」という 問題が明らかに解消されていることが確認できた。以下に関連する対話を紹介する。
トピック<教育12-3>から(日本語訳)
崔:明らかに先輩の口調が変わったような気がしたんですけど。
ミレ先生:どういうふうに?
崔:もっとゆっくり、もっと……前は今より声のトーンも高かったし、早口だったような 気がします。<中略>この日は、特に聞きやすかったんですよ、おっしゃることが、説明が。
ミレ先生:うん……、私がね、余裕があったの(笑)、前回みたいに遅刻したりすると…早 く進めなきゃいけないから早口になるし、本当に思うんだけど、その……余裕!だから、
授業準備をもうちょっとちゃんとしておいて、どういうふうにすればいいのかがイメージ できてる状態では、もうちょっとゆっくり、授業(の進度)がちょっときつくても、私の心 に余裕があるから……、でも、あ、こりゃ時間もけっこうかかりそうだし、大変そう…と 思うと、焦っちゃう!
崔:うんん…
ミレ先生:学生たちは理解できたかな?こう思っちゃって…
崔:だから説明も余計に増えちゃうのかな?
ミレ先生:うん、そう(笑)!説明が増えちゃう…(笑)
崔:説明も多くて早口なんだから、これがちゃんと…、学生たちに理解できたかな…
ミレ先生:うん、うん。
崔:今日は、いや、この日はすごく分かりやすかったんですよ、説明が。それから文法用 語もたくさん減ってるように感じたんですけどね。前みたいな場合は、語尾、動詞とか名 詞とか…でも、それがけっこう減ってるような気がして、そこでもっと分かりやすかった と思ったんです。
上記の対話からも分かるように、2012年10月11日のミレ先生の実践においては「早 口からゆっくりとした口調へ変わり、説明が分かりやすくなる」、「文法用語の使用が 減る」という変化が見られていた。2012年5月と9月の授業では、早口で長時間にわた って文法の説明をする場面が見られており、時間に追われる場合は口調は更に早口にな りながらも文法の説明は減らさないことも多々見られていた。ミレ先生は、2012年5月 の「文法一辺倒の説明」の授業に「学生で話し合う活動の導入」という変化を与え、会
130
話の授業で文法の説明ばかりするという改善点を解消しようと積極的に取り組んでいた。
2012年9月の実践では、文法の説明はメインとするが、ロールプレイやクイズ作りなど の活動を取り入れることを試していた。しかし、これまで慣れきっている文法の説明の 仕方とそれ以外の活動との調和の面で時間配分の調整という改善点が見られていた。そ の改善点には、早口でも説明の量は減らさないというものも含まれていた。それが、20 12年10月9日の授業では、明らかに変化していたのである。ミレ先生は、その理由とし て、「大変だが、もっと丁寧に授業の準備をしておく。それで心の余裕ができる」とい う点を挙げている。つまり、「ピア・サポート」の遂行期間中に、ミレ先生はこれまで よりも時間をかけて実践を振り返り、組み立てることに入念に取り組んでいたことが分 かる。ミレ先生自身が「ピア・サポート」という場を通して、自分が満足していた実践 には実は課題が山積していたことに気づき、積極的に実践に変化を与え、課題を解決し ようと努力し続けていたのである。
上記のようなミレ先生の努力は、2012年10月9日の授業で、以下のような驚くべき場 面まで作っていた。2012年10月9日の授業では、授業前半は、従来のようなプリントに よる文法の説明と教科書の本文訳読、それから練習問題の順で進められていたが、「練 習問題を教室の前に出て板書させて訂正する」というやり方はなくなっており、大きな 変化が見られていた。そして、授業後半に学生たちはペアになって条件表現の「と・
ば・たら・なら」を利用して互いのことを聞き合う活動が行われていたが、この活動で 驚くべきことが起きたのである。
ペア活動はミレ先生作成のワークシートを使用して行われていたが、その内容は文型 練習のためのものではなく、純粋に学生同士で互いのことを聞き合う内容となっていた。
ただし、質問と答えには「と・ば・たら・なら」を使用して質問して答えるように工夫 がされていた。この活動に学生たちは非常に盛り上がっており、時間になってミレ先生 が授業が終了したことを伝えたにもかかわらず、学生たちは誰ひとりも話し合いを止め ようとしなかった。図27のように、ペアの顔を見ながら話を聞き、質問し、メモを取り、
また質問して答える活動に笑顔で夢中 になっていたのである。いつも難しさ を訴えていたフランス人の学生のうち 1人もこのペア活動には積極的になり、
身振り手振りで自分のことを相手の学 生に伝えようとしており、相手の学生 も笑顔で色々と言い換えながら、質問 をしたり、相手の質問に答えたりして いた。この様子は、授業終了後、5分 間も続いていたのである。これまでの ミレ先生の授業では、学生たちの真面 図27 授業終了後も話し合いを続けている学生たち
131
目さと集中力は目立っていたが、「活気」はほとんど感じられなかった。筆者は観察を しながら、まるで塾の受験生のような印象さえ受けていた。その学生たちがこのように 盛り上がって互いのことを聞き合う活動に夢中になっている様子を見て、筆者は大きな 衝撃を受けていたのである。教室から退出しようとしていた筆者は急いで乱筆で現場メ モを取ったため、後ほど、読めなくなった箇所も多かった。以下に整理できたフィール ドノーツの一部を紹介する。
一体なぜこの日のペア活動で、学生たちはここまで授業が終了したにもかかわらず、
話し合いを続けていたのであろうか。それに関連する2012年10月11日の2CFでの対話 を紹介する。
トピック<教育12-31>から(日本語訳)
ミレ先生:(ペア活動を続けているのに授業を終了してしまう場面を見て)あはははは、ペ ア活動をさせて時間になっちゃって、私が「無理やりに(日本語で)」終わらせたの(笑)。
崔:これが不思議で(ビデオカメラを)止めてたのにまた…
ミレ先生:うん、学生たちがやり続けるからね(笑)。
崔:何で、これが、何でこうなったと思いますか。僕はこれが一番のポイントとして気に なってたんですよ。
ミレ先生:うん……、(学生たちが)やりたかったみたい、ペア(活動)を(笑)。
崔:ですから、なぜやりたかったと思うんですか。
ミレ先生:(しばらく考える)分からない、何でだろうね?
崔:僕はこれが一番印象的な授業だったんですよ、僕が今まで見たものの中で。指示もな いのに自分たちで取り組んでましたよね。
ミレ先生:うんうん、だから、聞いて答えるのがこの(ワークシートの)形式なのね。だか ら、相手のこともここに書かなきゃいけないの。「お昼なら(日本語で)」、何がいいかで すか、何か、こういうふうに聞きあうことをね、だからなんとなく書きたくなっちゃうじ ゃない、こうやってね?その人のを早く、そうしないと来週、発表できないから。
崔:やっぱりこうならないと、正解があるわけじゃないし、互いに聞き合う、話し合う、
こういうのは当然時間を…
・本文精読後の授業後半のペア活動には教師も学生とペアになって参加している(変化!)。
・学生たちは、ペア活動をかなり楽しんでいる様子だ。教師の介入がなくなったことで「活気」
が出てきた。
・時間になって授業が終了したのに、学生たちがはペア活動を続けている !!!。理由は何 だ???
<2012年10月9日のフィールドノーツから>
132
ミレ先生:うん、こういうのは私がもっと時間を与えたほうがよかったのに、時間切れに なってしまって…
この対話でミレ先生は、学生たちが話し合いを授業終了後も続けていた理由について、
最初は分からないと答えたが、「相手のことを聞き合うことはなんとなく書きたくな る」と推測している。筆者も単調な文型練習としてのペア活動ではなく、「練習ではな い話し合い」になっていたことに学生たちは「面白い」と受け止めたと推測している。
黙ってミレ先生の授業を聞いて、練習問題を解いて時間になって教室を退出するのでは なく、いつも近くに座っていた人たちと顔を合わせて互いのことを「日本語」を媒介と....................................
して話し合うことに新鮮さを感じたに違いない.....................
。これは、その現場にいた筆者に伝わっ てきた学生たちのエネルギーから明らかである。韓国の大学の日本語学習者たちは、
黙々と文法積み上げ式の授業に真面目に取り組んでいるように見えても、実は日本語の 授業で新鮮な何かを渇望していたのである。
韓国の大学の日本語教育は、カリキュラムから教科書、教授法において筆者が日本語 学習を開始していた20年前とまったく変わりがない。韓国の日本語教育を取り巻く状況 が変わっても、大学の現場だけは数十年前と変わりがなく、「大学の、大学のための、
大学による」日本語教育になっているとも言える。ミレ先生の授業が徹底的に教師主導 の文法積み上げ式の授業になっていたことには、少なからず韓国の大学の日本語教育の 風土の影響もあると考えられる。しかし、大学の日本語教育も、表3のように学習者数 が激減してきており、厳しい局面を迎えている。韓国の大学の日本語教育において変化 は選択ではなく、必然である。実践に変化が起きることで、議論が始まり、議論が始ま ることで停滞がほぐれはじめる。韓国の大学の日本語教育の停滞は、このような「実践 の変化」から解消への兆しが見えはじめ、徐々にこれまでとは異なる日本語教育として 変貌していくと筆者はミレ先生の実践の変化から確信している。
ミレ先生の実践には「ピア・サポート」開始以来、変化が起きつづけていた。これは ナ先生の事例とは対照的であった。その理由としては、ミレ先生の実践改善のための意 思が強かったことと他者の意見の取り入れに積極的だったことが挙げられる。以下に関 連する典型的な対話を紹介する。
トピック<教育12-9>と<教育12-10>から(日本語訳) 崔:小さいメリハリをこう与えながらね。
ミレ先生:うん、私がさっきも文型をやりながら説明が多すぎると思いつつ(笑)、いやだ
…、ずっと時間配分…ずっと時間のことしか考えてなかったの。あ、時間、時間…ははは
…(笑)。
崔:だから、その違いだと思うんですよ、さっきメリハリを与えるのが結局、学生たちを 動かすとメリハリ感が出るんですよ。視線を1箇所に固定させると、ナ先生もそういう点