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まとめ:研究目的の達成

ドキュメント内 日本語教育実践はどのように改善されるか (ページ 197-200)

第8章 結論―日本語教育実践の改善はどのような営みか

2. 研究課題3の解決:日本語教育実践はどのように改善されるか

2.6 まとめ:研究目的の達成

本項では、研究課題3を解決し、研究目的を達成させる。まずは、研究課題3「日本語 教育実践はどのように改善されるか」の解決のために設定したRQ7と8を再度示す。

RQ7. 実践に変化がない状況が続くと、どのような状態を生むのか。

RQ8. 停滞している日本語教育実践に変化を起こすためには何が必要か。

本章では、RQ7への答えとして「実践の固定化」を述べた。RQ8への答えとしては

「『言語構造指向性』と『非言語構造指向性』との間を実践者が活発に往還することが 必要である」ことを述べた。具体的には、言語教育実践には2つの指向性があり、1つ目 は「言語そのものを教育しようとする」という「言語構造指向性」であり、2つ目は

「思考の深化や学習者自身と自分自身を取り巻く世界の理解を促そうとする指向性」と いう「非言語構造指向性」であることを主張した。また、両指向性のうち、一方の指向 性に傾倒した場合、実践は同じパターンが繰り返されるという「停滞性」を持つことが 分かった。一方、両指向性の間で活発に往還が起きた場合、実践はこれまでとは異なる

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ものに創られるという「創造性」を持つことが明らかになった。そこで、停滞している 日本語教育実践に変化を起こすためには、「言語構造指向性」と「非言語構造指向性」

との間を実践者が活発に往還することが必要であることが分かった。そして、両指向性 の間を往還し、実践者が自分の実践に大きな変化を与え、これまでの実践を「壊し創っ て」改善が行われることを主張した。上記のことを整理すると、「日本語教育実践は、.........

『言語構造指向性』と『非言語構造指向性』の間......................

を実践者が活発に往還..........

し、実践を『壊.......

し創りながら』.......

改善される.....

」ということになる。これで研究課題3が解決される。

次は、以上のことを踏まえ、研究目的である「日本語教育実践の改善はどのような営 みか」に答える。本節の3.1と3.2で先述したように、日本語教育実践には、実践者の

「言語そのものの捉え方」と実践者にとっての「教育の意味」が一体化しており、前者 は「言語構造指向性」と、後者は「非言語構造指向性」と関連している。このことを踏 まえて考えると、日本語教育実践の改善は以下のような営みであると言える。

言語/日本語教育実践の改善は、実践者が「言語そのものの捉え方」と「教育の意味」を行き来 する営みである。

以上、日本語教育実践の改善はどのように営まれるものなのかについて追究した。次 節では、最後に冒頭における「実践の改善の困難さ」に戻り、「今」も「よりよい」日 本語教育実践のために尽力している実践者のための提言を行い、本論文を締めくくる。

3. 「実践の改善の困難さ」に苦しむ実践者に希望を

今回の「ピア・サポート」の遂行現場である韓国の現場を含め、「よりよい」を実践 をしたいが、なかなかそれができないという実践者はどの現場にも存在するものである。

最後は、「実践の改善の困難さ」に悩まされる実践者に対し、本論文で明らかにしてき たことを踏まえ、どのような希望があるかについて提言する。特に、今回の「ピア・サ ポート」の遂行現場である韓国の日本語教育の現場で日々「必死で」実践をしている実 践者たちに「変われる」という応援のメッセージを伝えたい。

「いい日本語・ことばの授業はどのようにして可能か」という問いへの答えの希求は、

どの言語教育実践の実践者も持っているものである。しかし、それは「アポリア(難 題)」である。本論文では、その答えを探るために、実践の特性、実践の改善に必要な ものを明確にし、「ピア・サポート」という場作りをして遂行した。そして、言語教育 実践は「言語そのものを教育しようとする指向性(言語構造指向性)」と「思考の深化や 学習者自身と自分自身を取り巻く世界の理解を促そうとする指向性(非言語構造指向 性)」の2つの指向性を持ち、これらの間を往還することで実践者が実践を「壊し創っ て」改善が営まれることを主張した。その過程で、実践者は実践を「壊し創る」ことに

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「一時的な不安」を経験することが起きうることにも触れた。つまり、言語教育実践の 改善のためには決定的に必要なのは「言語そのものの捉え方とその教育方法」と「私の 目指す教育とその意味」を実践者が同時に問い続けることであることが浮き彫りになっ たのである。しかし、これまでの日本語教育ではどうであったのであろうか。「言語の 教育方法」にあまりにも「しがみついて」きたのではないか。そこで、多くの現場で

「効果的」とされる方法で授業を繰り返し、決まり切った実践が生まれてきたのではな いか。そして、「言語の教育方法」に目が向けられすぎてきたことへの反動として、目 標言語の上達よりも言語教育の意味に重みを置きすぎた実践も生まれてきたのではない か。しかし、これらのことは「よい言語教育とは何か」をめぐってそのあり方に対する 議論が深化していく中で現れるものとも言え、決して善悪を問い詰めるようなものでは ないであろう。そして、実際にこれまでの日本語教育において「言語の教育方法」ばか りが重視されてきたのも事実ではある。

今回の「ピア・サポート」の遂行現場である韓国の日本語教育においては、長年、言 語教育における「教育の意味」にはほとんど目が向けられてこなかった。日本語教育を

「技能教育」として位置づけ、あまりにも「教育的意義」を自ら矮小化してきたのであ る。現在、韓国の日本語教育は沈滞する一方である。高校の学習者たちは「日本語を学 ぶことでどんないいことがあるのか」を日本語教師に聞いてくるが、これに明確に答え られる教師は決して多くない。日本語科目は大学受験と無関係であり、日韓関係は冷え 込んでおり、日韓より中韓間での経済的な密着が進んでおり、実利的な理由で日本語学 習のメリットを説明しようとしてもそれは難しいことだと思う日本語教師も少なくない であろう。メリットがないと受け止めたため、高校の日本語学習者たちは日本語学習を 放棄していっている状況とも言える。一方、韓国の大学においても「日本語は就職にも 役に立たない」、「日本という国に興味がない」、「日本語を学ぶ実利的なメリットが ない」と言い、日本語を学ぼうとする学生は年々減少している。このような現実を目の 当たりにしながらも、韓国の日本語教育では依然として、日本語の構造に関する研究が 日本語教育の研究として成り立っており、日本語の構造を定着させることが「オーソド....................

ックスな日本語教育」として評価されている....................

のである。日本語の構造に興味を示してお らず、日本語そのものを学ぼうとしないうえに、日本という国にも興味がないという学 生が増え続けている現実の中で、このような傾向は果たして良いものなのか。「ことば の教育方法」にあまりにも偏っているのではないか。日本語を教え学ぶ意義を自らあま りにも矮小化してきているのではないか。

大事なのは、ことばを教育する教師なら誰もが「非言語構造指向性」を持っており、

言語教育における「教育の意味」についてはそれぞれ考えていることである。 明確か 不明確かは別として、日本語教師として日本語を学ぶことで学習者に手に入れてもらい たいと思う力はあるものなのである。それをどのようにして実現可能かを日本語教師で ある実践者が問い続けることが韓国の日本語教育においては切実に必要ではないか。こ

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