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興亜院の設置による現地の動揺と教員派遣構想

ドキュメント内 小野 美里 (ページ 56-63)

第2章 日本人教員派遣政策の展開と顧問制度 はじめに

第2節 興亜院の設置による現地の動揺と教員派遣構想

本節では、対中総合行政機関設置が日本国内で議論されるようになったこと、そのこと が現地にいかなる動揺をもたらしたのかを見ていく。この機関は、1938年末に興亜院とし て成立するが、軍特務部から行政権限を引き継ぐべきものと想定されたため、臨時政府の 顧問に対する管轄権をめぐって、現地軍との紛糾を引き起こした。こうした状況を踏まえ つつ、臨時政府に送り込まれる日本人の一部として、いかに学校教員が位置付けられたの かを考察する。

1.対中総合行政機関の設置構想と現地の動揺

ここではまず日本政府において、中国占領地行政に参画する議論がいかに展開したかを 確認し、それに対する現地の反応を見ていきたい。

① 日本政府の「内面指導」への参入企図と興亜院

徐州作戦の終了後の 1938 年5月下旬、近衛内閣は事変収拾を期待して内閣改造に踏み 切った。さらに武漢作戦をめどに一気に事変処理を図るべく、戦闘行為だけでなく謀略に よる解決を重視し始める。 1938年6月には、統帥事項を除く最高国策を扱う政策決定機 関として五相会議を設置、自ら選んだメンバーによって、政府主導の事変処理に乗り出し た。日本政府や陸軍中央は、華北の臨時政府や、1938年3月に華中に成立した維新政府の 実力に疑問を抱いており、これらを育成して中央政府化するという当初の計画を転換し、

より実力のある人物によって新中央政府を組織し既存政権を合流させることを企図した20。 1938年7月には五相会議で「支那政権内面指導大綱」21が作成され「諸政権ノ首脳者以下 官吏ハ支那人トスルモ枢要ノ位置ニハ所要ニ応ジ少数ノ日本人顧問ヲ配置シ或ハ日本人官 吏ヲ招聘セシメ以テ内面指導ヲ容易ナラシム」ことが決められた。これは中国占領地の各 政権に対し、これまで現地軍が行ってきた「内面指導」の仕組みを踏襲し、日本政府自ら がこれに参入する意思を示したものと見ることができよう。

この「支那政権内面指導大綱」は、これまで臨時政府や維新政府が痛烈に批判してきた 中国国民党の三民主義を、修正のうえ容認するという文言があり、現地軍の強い反発を招 いた22。現地軍からすれば自ら樹立させた政権の中央政府化を否定されたうえ、統治イデ オロギーの核をなす反三民主義をも覆そうとする中央の動きに、協調できるはずもなかっ た。

さらに本国では、1938年はじめ頃から、対中国占領地に対する行政実務を一元的に処理

平交渉の断絶を危ぶむ外務省と対立していた。さらに1938年9月に陸軍が、文化工作も 含む一切の対中政策の立案・実行を担当する「対支院」構想を提示すると、外務省が鋭く 反発し、宇垣外相が辞任するに至った。1938年10月には四相会議において「対支院」の 設置と、軍特務部が担当してきた政治・経済・文化の事務は、その現地機関に委譲される ことが決定されたのである。

②現地の反応

上述のような本国における対中総合行政機関設置の動きは現地にも伝えられた。1938 年7月、在北京堀内参事官が宇垣外務大臣に宛てた電信は、日本発の同盟通信社の通信が、

現地に大きな動揺をもたらしたことを伝えている。その内容は、政府が大規模な「対支中 央機関」の設置を8月中に実現させる予定で、その現地機関は「総督府若クハ総督府ノ如 キモノ」になるというものだった。この報道を知った臨時政府要人の湯爾和は堀内のもと へ行き、以下のように述べている。もしこれが日本政府の真意であるならば、自分は「総 督政治ノ下ニ純然タル傀儡トナリ得サルヲ( マ マ )以テ潔ク身ヲ退」かざるを得ず、また「一般民 衆ハ抗日ニ還元スルコトトナリ悲観スヘキ事態ヲ招来スル」だろうこと、そしてこのこと を「外国記者辺ヨリ種々真意ヲ質サレ居リ当惑」している、と23

この発言から湯爾和は、臨時政府がまがりなりにも「独立」政権の建前をとる以上、自 分が舞台から降りることが日本にとって不都合であることを、十分承知していたことが窺 える。そのうえで自らの進退、さらに民心の離反や諸外国からの注視を持ち出して、日本 側に新機関設置の非正当性を突きつけたといえる。

対する堀内は、日本の報道の検閲は完全ではないので、政府の真意でない情報が届いた のだろうと、苦しい弁解を強いられた。ここには、名目上「他国の独立政権」を成立させ たにもかかわらず、これ対する行政担当機関を日本国内に設置することの矛盾が表れてい る。外務省は、対外的にも、また現地の中国側要人に対しても、この矛盾を弁解すること が困難な立場におかれていた。この外務省の苦しい立場こそが、興亜院の正当性の弱さを 端的に物語っている。

こうした興亜院の正当性の弱さ、つまり「独立」政権への働きかけを外務省ではなく興 亜院という国内機関が担当することを正当化することの困難さは、後述するように同院が 政務を主導する北支軍から、権限をスムーズに移譲できない一因をなしていくのである。

2.文教領域における現地軍の顧問派遣構想

①「専員、技術官、教授、教官教導官等ニ関スル協議事項」の作成

興亜院の現地機関設置を目前に控えた 1939年初頭、北支軍司令部は、「専員、技術官、

教授、教官教導官等ニ関スル協議事項」24を作成した(以下「協議事項」と略す)。本稿で いう「技術・専門家」、すなわち顧問約定第3条が定める「専員、技術官、教授、教官教導 官等」の「任命、権限、待遇及び配属等」に関しては、附属約定第 14 条で「特ニ規定ア ルモノノ外ハ総テ日本軍特務部長臨時政府行政委員会委員長ト協議ノ上之ヲ決定ス」25と 規定されており、本史料はその協議のために作成されたものと考えられる。その構成は以 下の通りである(通し番号は筆者)。

(1)「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ任免、権限、待遇及配属ニ関スル一 般協議事項」1938年12月28日

(2)「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ給与ニ関スル協議事項」日付なし (3)「教官、教導官等ノ権限、待遇ニ関スル協議事項」日付なし

(4)「教官、教導官等ノ給与ニ関スル協議事項」日付なし

(5)「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ配属ニ関スル協議事項」日付なし (6)「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ員数ニ関スル件」日付なし

ただしこの「協議事項」の表紙には「未決定」のメモ書きがあり、収録されている協議 事項も、正式決定ではない可能性が高い。ゆえにさらなる史料の発掘が望まれるが、この 時点での現地軍の構想が確認できるものとして使用したい。

この史料で扱われる学校教員について具体的に見ていく前に、「専員、技術官、教授、

教官教導官等」が派遣される領域とはいかに設定されていたかを概観し、そのなかでの学 校教員の位置付けを考えておきたい。

上記史料の (5)「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ配属ニ関スル協議事項」を もとに作成したのが【表2-1】である。ここに示した通り、これら人材を配置する領域 は、行政・治安・警務・郵政・実業・建設・財務・文教の各領域だった。「行政」は新民学 院(官吏養成機関)や高等警官学校等、「治安」は陸軍軍官学校・憲兵学校等、「警務」は 各地方行政機関の警務部局等である。「郵政」は各地の郵便局等、「実業及建設関係」は建

あった。そして「文教」の領域は幅広く、各省・特別市の教育部署のほか、教科書編纂機 関、各種教育機関(小学校から大学まで)に、日本人の派遣が構想された。

以上から、「援助」を要する「枢要」の箇所とは、警察・軍事を主とした人材養成、財 源確保・通信・インフラ整備に関わる重要な領域だったことがわる。この領域の地方レベ ルにまで日本人を配置し、効率的な占領地経営と派遣先の監督を務めさせるのが、北支軍 の構想であったといえよう。このなかになぜ学校教員が含まれたのかについては、文教は 支配に有用な人材の養成に直接関わるだけでなく、中国人学生・教員に根強い排日思想を 排除し占領下秩序を受容させるうえで重要な役割を果たすこと、つまり軍がもっとも重視 する治安維持機能が期待されたからだと考えられる。また「学校」という、拠点となるべ き「点」が、既に各地に存在している点も看過できない。

こうして「枢要」の箇所に派遣する人材の一員と目された学校教員につき、いかなる規 定がなされたのか、以下具体的に見ていこう。

②学校教員に関する規定

先に少し触れたように、各種学校に日本人を配置することが明記されているのは、(5)

「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ配属ニ関スル協議事項」のうち、「文教関係」の 項である。具体的には以下のように定められた。

学校ニハ左ノ如ク日本人教授、教師ヲ配ス

其ノ員数(資格、権限、科目等)ニ就テハ特務部長、行政委員長協議決定ス 一、官公立大学ニハ予算ノ許ス範囲ニ於ケル日本人教授

二、師範学院、各省市立ノ師範学校ニハ相当数ノ日本人教授

三、前項以外ノ学校ニハ各特別市及日本ト関係深キ地方ノ主要学校ニ日本人教師

また(6)「専員、技術官、教授、教官、教導官等ノ員数ニ関スル件」では、より具体 的な人員配置表が示されている。ここで注目すべきは、【表2-2】に示した通り、主要小・

中学校に、各校1人配置するとされる日本人教員の教授科目は、「主トシテ日本語」とある ものの、必ずしもそれに限定されていないことである。中学校の場合は「主トシテ日本語、

日本事情、体操、音楽、図画、労作(職業学校ニアリテハ専門学科ヲ加フ)」、小学校の場 合は「主トシテ日本語、日本事情、体操、音楽、図画、労作」と、日本語のほかに、実技

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