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第三国権益問題と本国の態度 1.交戦に伴う第三国の財産損害

ドキュメント内 小野 美里 (ページ 109-113)

第4章 北支那方面軍による「渉外関係」業務の展開 はじめに

第1節 第三国権益問題と本国の態度 1.交戦に伴う第三国の財産損害

事変が華中に飛び火し全面戦争化すると、日本軍の軍事行動により各国の在華財産にも 被害が及び、外務省にはその賠償請求が寄せられた。1938年10月時点で外務省が把握し ているだけでも、イギリス443件、アメリカ223件、ドイツ107件、フランス37件をは じめ、総計864件(被害総額約629万4624ドル)の案件があった11

こうした第三国の財産問題に対し、1937年11月27日には「今後ニ於ケル第三国人ノ 被害賠償要求ニ対スル我方応酬振ノ件」が外務省訓令として出され、一応の方針が定めら れた12

ここで出された原則は、「従来通今次事変ニ於テ帝国軍ノ支那ニ於テ執レル行動ハ支那 側ノ挑戦ニ対スル自衛措置ナルヲ以テ帝国政府ニ於テ賠償ノ責ヲ負フヘキ限リニ非ストノ 建前ヲ以テ応酬スルコト」、すなわち今回の軍事行動は「自衛措置」のため、第三国からの 賠償請求には応じないというものであった。しかしこれには、「我方ニ明白ナル過失アリ且 国際関係上至急解決ヲ必要若クハ有利ト認メラルル事件ニ付テハ右一般原則ヲ離レ賠償要 求ニ応スルヲ妨ケサルコト」との留保が付けられていた。この訓令において、国ごとの差 別的対応には、上記原則を有名無実化するとして慎重な姿勢が示されるものの、将来的に は「第三国人被害中事情諒トスヘキモノニ限リ出来得ル限リ好意的考慮ヲ加ヘ恩恵的例外 ノ措置トシテ適当トミトムル金額ヲ贈与シ第三国人被害ヲ幾分ニテモ緩和セシメントスル 用意アリ」との態度を表明するものとされた。ここには、日本側はあくまで賠償には応じ ないとの原則を保ちつつ、ケースによっては「恩恵」として幾ばくかを支払い、紛争解決 に利用しようという発想が既に表れている。

2.国際問題化への懸念と「現地解決」

上に見たような発想の背景には、現地における第三国とのトラブルが外交問題化し、日

本に不利な状況が生じることへの危惧があった。このことは、1937年12月3日付で陸軍 軍務課が作成した「我方占拠地区ニ於ケル第三国関係事項処理方針ニ関スル件」という文 書によく表れている(この文書は、陸軍次官から現地の北支軍及び中支那方面軍の参謀長・

特務部長宛に出す電報案である13)。

…此際目的達成ヲ急クノ余リ無用ニ外国側トノ紛糾ヲ惹起スルコトハ支那側ノ外国依 存ニヨル長期抵抗ヲ鼓舞スルノミナラス今後我方ノ最モ重視スヘキ対外貿易、及財政 金融等ニ関スル列国トノ関係ニ付顕著ナル不利益ヲ蒙ル処多大ニシテ得策ニ非スト認 メラルルニ付今後共第三国関係諸問題ノ処理振ニ付テハ不必要ノ摩擦ヲ避ケ漸進的ニ 処理スル方針ニテ進ム

ここでは現地軍が占領下で発生させる摩擦が、列国との関係を悪化させ、通商に影響が 及ぶことへの危惧が表明されている。つまり爆撃などの軍事行動が与える損害のみならず、

占領地下で発生する第三国人及びその財産をめぐる摩擦も、当該国との関係悪化に発展し かねないものとして、現地軍を抑える必要があった14

これまで強調してきた通り、日本は戦争遂行上の物資をアメリカとの通商に頼っていた ため、とりわけアメリカとの摩擦回避に神経を尖らせた。1937年12月12日には南京附 近の揚子江上でパネー(パナイ)号事件が発生するが、これに対し日本政府は、迅速な謝 罪と、翌年3月にアメリカが提示した額面通りの補償を行ったことはよく知られている15。 戦争の遂行上アメリカとの外交に重大な利害を持つ日本は、この事件を穏便に終息させる 必要があったのである。

1938年3月5日には、陸軍中央は外務省と調整のうえ、各現地軍参謀長に対し「軍事行 動ニ基ク第三国ニ対スル損害補償ニ関スル件」という通牒を出し、より具体的な方針を示 した16。ここでは、第三国人財産の補償には応じないという原則は保持しつつ、「此趣旨ニ 累ヲ及ホサス且国際関係上事変終結ヲ待タスシテ速ニ処理スルヲ緊要トスル案件」に関し ては特別の処置をとるべきことを命じている。すなわち、「軍事行動ニ基因シ而モ軍ノ故意 又ハ重大ナル過失ニ依リ生シタル損害」は陸軍が処理すること、補償金の出どころは臨時 軍事費雑費であることが明示された。さらに現地軍司令官は、上記に相当する案件が生じ た際には速やかに陸軍大臣に報告すること、しかし「為シ得ル限リ軍自体ニ於テ現地解決

案件は事後報告でも良いことが指示された。ここでは改めて、特別に処理すべき案件は速 やかに中央に上げること、問題を国際問題化させないことが命じられているのである。

ここで「現地解決ニ努ム」という言葉が、中央の命令として出てきたことは重要である。

これは問題の局地化のため、換言すれば国際問題化の回避のための方策として出されたも のだが、独自に占領地下の外交問題を処理しようという現地軍の傾向と符合し、後述のご とくその独走に繋がっていくのである。

3.ドイツの損害賠償問題

ところで意外なことに、事変に伴う在華財産の損害賠償問題を、日本に対し厳しく要求 していたのは、ドイツであった。ドイツは1938 年春頃から、この問題を早期に解決する よう日本へ要求してきた。

事変に伴い各国の在華財産が被った被害に関しては、1937 年8月にアメリカ・イギリ ス・フランス・ドイツ・ベルギー、10月にスウェーデンから、在東京の自国大・公使を通 じて、賠償請求権を留保..

する旨の申し入れがあった17。「留保」という表現がわかりづらい が、要は将来的に賠償請求をする用意がある、という通告である。既述の通り日本の対応 は、原則賠償に応じないというものであったが、ドイツはこれに納得せず、再三の申し入 れを行っている。1937年10月、在東京のドイツ大使館から来た口上書の言い分は以下の 通りである18

…独逸政府ノ意見ニ依レハ自衛及緊急防衛ナル論拠ハ独逸人(即チ無関係ノ第三国人)

カ日本側ヨリ被レル損害ニ対スル日本政府ノ責任及賠償義務ヲ解除スル充分ナル法 的理由ヲナスモノニ非ス

右法的立場ヨリシテ、将又特ニ法的意味ニ於ケル戦争状態ノ存在セサル事実ニモ鑑 ミ、独逸政府ハ前記ノ有ラユル損害、即チ日本軍部員ノ行動、一般的軍事行動(就中 砲撃、爆撃)並ニ日本文武官憲ノ遮断及抑留処分ニ依リ惹起セラルル損害ニ対シ日本 政府ヨリ完全ナル賠償ヲ要求スルノ権利ヲ、改メテ且強ク、主張セサルヲ得ス

ここから、今回の戦闘は自衛行為であるという日本側の論理は、ドイツにさえも通用し ていないことが窺える。また先方が賠償を請求する権利の根拠として、「戦争状態ノ存在セ サル」との建前が用いられていることにも注意が必要である。事変であったことは、第三

ドイツがこのような執拗な申し入れをしてきた背景には、日中戦争による経済的損失が 大きかったことがある。日中戦争前、ドイツの対中貿易の進展は目覚ましく、鉄道借款や 軍事顧問の派遣を通じて独中関係は深まっていた。それゆえに、中国における日本の軍事 行動と占領は、ドイツ経済に打撃を与え、各方面の不満を招来した。しかしドイツでは、

1938年2月初旬リッベントロップが外相に就任し、日本との政治的提携を優先する方向で 政策が転回すると、満州国の承認(同年2月)や軍事顧問の引揚(同年4月)など友好的 措置を行った。ただこれと引き換えに、占領下中国における貿易に関し、日独の平等や、

他国に対して有利な待遇を要求している19。その際独側は自国の受けた損失を強調してい ることから、賠償請求はこうした交渉の一部であったと考えられる。

さてこの問題に対し、ドイツだけに特別な措置をとると、従来の原則が崩れるため、対 応に苦慮した外務省は、現地で解決した事例があることをドイツ側に示唆し、暗に現地交 渉の可能性を匂わせた20。その後も日独の応酬は続きこの件は容易に解決しなかったが、

交渉の過程で、北支軍による対独案件の「現地解決」の先例が参照されたことにも注意が 必要である21

その後外務省はこの問題を解決すべく陸海軍と調整し、1938年末に至って、ドイツに対 する優先的な対応を現地に明示した。同年 12 月に外務大臣から上海・南京の総領事に送 られた電報では、占領地のドイツ人被害に対しては優先的に取扱うことが示され、「現地ニ 於テ簡単ナル調査ヲナシタル後大体ニ於テ我方ニ於テ救恤スルヲ相当トスヘキ被害全額ノ 何分ノ一カヲ慰藉料又ハ同情金トシテ独逸政府ニ一括支払」うことを検討中なので、現地 軍と連絡して調査を開始するよう指示がなされた22

以上の経緯により、第三国とのトラブルに対しては、事実上個別の対応がなされるよう になったと同時に、その処方箋として「現地解決」の重要性が高まったことがわかる。

以上本節では、日本は事変当初、軍事行動が「自衛措置」であるとの建前により列国財 産に対する賠償に応じない姿勢を示す一方、実際には国ごとに差別的な対応をすべく中央 の方針が固まった過程を示した。また中央が第三国との摩擦の国際問題化を懸念したゆえ に、現地軍に「現地解決」を促したことを確認した。このような前提のうえに、事変の長 期化や現地軍の動向を受け、占領地下の対外業務がいかに展開するのかを次節において見 ていく。

ドキュメント内 小野 美里 (ページ 109-113)