第 3 章 中国の大学における日本語の聴解教育の現状
3.2 中国の大学における日本語の聴解教育の実態
3.2.3 聴解教科書から見た聴解教育の形式
中国の大学で行われている日本語聴解教育においては、聴解授業で教科書に基づき学習 者の聴解能力を育成するのが一般的である。学習者は聴解教科書で設定された言語知識の ポイントや教室活動に従い、聴解能力を身につけていく。聴解教科書は学習者の聴解学習 の過程、特に基礎段階において重要な役割を果たしている。
『大綱2001』と『大綱2000』では、各段階における聴解技能の到達目標について明確に
記述されているが、使用する教科書については統一されていない。尹(2005)は、中国の4 大学における日本語教師に対するインタビュー調査を行い、4大学で使用されている教科書 を分類すると、日本で作成されたもの、中国で作成されたもの、そして、担当教師がラジ オやテレビ番組などから選んだ生教科書の3種類に分類が可能であると述べている。
ここでは、中国の大学で使用している聴解教科書に反映される教育理念、教育目標及び 教育方法などの変化を調べるために、中国の大学で担当教師が編集した基礎段階 2 年生用
24 オーガナイザーとは、学習課題よりも高いレベルの一般性、包括性、抽象性をもって事前字 提示される導入的な教科書。学習課題に対する観念の足場またはつなぎとめを提供することで、
及び/あるいは、学ぶべき新概念と認知構造内の関連概念の間の区別可能性を増すことで、包 摂による学習を促すように計画されているものである。(Ausubel & Robinson 1969、吉田・
松田訳1984、pp.813)また、オーガナイザーの多くは、学習材料を提示するのに先立って与
えることが効果的であると考えられたため、Ausubelはそのようなオーガナイザーを先行オ ーガナイザー(advance organizer)と呼んでいる。(尹2005、p.17)
25 スキーマとは、個々の事例を一般化・抽象化し、それらを構造化したものの内部表現の単位 を指す。形式スキーマとは、文章の全体的構造に関するスキーマである。それに対して、文章 の内容に関するスキーマは内容スキーマと称する。(尹2005、p.12;p.13)
30 の旧教科書(以下「教科書Ⅰ」とする)と最新の聴解教科書(以下「教科書Ⅱ」とする)
を取り上げて分析を行う。
この2つの教科書を選んだ理由は、「教科書Ⅰ」の第10課と「教科書Ⅱ」の第5課にお いて、「健康」という話題の学習内容が取り上げられているため、同じ話題について、旧教 科書と新教科書における練習の取り扱い方を比較しやすいためである。ここでは、2つの教 科書にある「健康」という課題の練習に焦点をあて、設定した練習はどのような枠組みで、
どのような内容で、何を目標としているかといった観点から分析を行う。
分析対象とする教科書は以下の通りである。各課の構成は表3.3で示す。
「教科書Ⅰ」:1999年 華東師範大学日語学科組編纂 『日本語聴力 第 2冊(杜勤 主 編)』 華東師範大学出版社
「教科書Ⅱ」:2010 年 曹大峰 総主編『高等院校日語専攻基礎段階シリーズ教科書 基 礎日語聴力教程3』 高等教育出版
表 3.3「教科書Ⅰ」と「教科書Ⅱ」の構成
教科書Ⅰ 教科書Ⅱ
表 紙
対 象
大学日本語専攻基礎段階の2年生
(上半期・下半期)(中級・中上級)
大学日本語専攻基礎段階の2年生
(上半期)(中級)
31 各
課 の 内 容
第1課 相づちと身体言語
第2課 日本語に見る「和」の精神 第3課 高齢化社会
第4課 女性の社会進出 第5課 暮らし方の意識変化 第6課 贈答
第7課 学歴社会 第8課 家庭生活 第9課 いじめ問題 第10課 環境と健康 第11課 ビジネスマナー
第12課 日本人の名前と人称代名詞 第13課 「恥の文化」
第14課 稲作文化 第15課 宇宙探険
(以下省略)
第1課 季節 第2課 天気予報 第3課 自然災害 第4課 病気 第5課 健康 第6課 ダイエット 第7課 結婚 第8課 人生 第9課 交際
第10課 人間と自然 第11課 バイオ 第12課 ロボット
第13課 グローバリゼーション 第14課 経済一体化
第15課 社会体制
各 課 の 構 成
各課には文章(「問題Ⅰ」)と会話(「問題Ⅱ」)
の2つの聞き取り練習と「諺の学習」がある。
「問題Ⅰ」:設問の解答、正誤判断
「問題Ⅱ」:単語確認、設問解答、クローズ 問題
各課には5つの節(「聞き取り」)と「表 現の説明」がある。各節では「前作業」
「本作業」「後作業」からなる。
「前作業」:話題についての討論、既有知 識の活用
「本作業」:設問の解答、聴解ストラテジ ーのトレーニング
「後作業」:感想の発表、新しい表現の応 用
「表現の説明」:新しい表現の解説 教師
用の マニ ュア ル
無 有
「教科書Ⅰ」は全30課から構成され、使用対象は大学で日本語専攻基礎段階の2年生 である。前半の 15 課を上半期、後半の 15 課を下半期で利用する26。「教科書Ⅱ」は全 15 課から構成され、使用対象は大学で日本語専攻基礎段階の2年生(上半期)である。また、
「教科書Ⅰ」には、教師指導用のマニュアルは付属されていない。「教科書Ⅱ」には、教師 指導用のマニュアルが付属されている。
表3.3で示すように、「教科書Ⅰ」と「教科書Ⅱ」の各課では、日本社会や文化などに関 する話題を取り上げている。しかし、各課の構成を見ると 2 つの教科書における作成方針 の違いが見られ、そこから近年の中国における日本語聴解教育の変化がみえる。「教科書Ⅰ」
では、文章と会話の 2 つの聞き取り練習が設定されている。しかも、練習問題の形式とし
26「教科書Ⅱ」は基礎段階2年の上半期で使用するため、それと比較するために、ここでは「教 科書Ⅰ」の後半15課の内容を省略する。
32 て内容理解の「設問の解答」や「正誤判断」のほか、語彙・文法知識重視の「単語確認」
や「クローズ問題」のような練習が見られる。一方、「教科書Ⅱ」では各課が「前作業」、「本 作業」、「後作業」に分けられ、さらに練習問題の形式も内容理解の「設問の解答」のほか、
取り上げた話題に関する「討論」や「感想の発表」、及び聴解ストラテジーの活用を意識さ せるための「聴解ストラテジーのトレーニング」の新しい練習形式が導入されている。以 下では、2つの教科書における「健康」を話題として取り上げた課の中の練習問題を例とし て、詳しく分析していく。
3.2.3.1「教科書Ⅰ」における「健康」に関する練習問題
「教科書Ⅰ」における「環境と健康」を取り上げた第10課の練習問題の詳しい内容は以 下の通りである。
問題Ⅰ.テープを聞いて、後の問いに答えなさい。
スクリプト【問題Ⅰ】
経済力が向上するにつれて、人々はより快適な生活、楽しいレジャーを追求するようになり ました。ちょっと暑くなると、クーラーを付け、まだそれほど寒くないのに、もう暖房を付け っぱなしです。昔と違って、暑い夏であろうと、寒い冬であろうと、室内にいれば、暑さも寒 さも感じない快適な生活を楽しめます。また、ゴルフは上品で、格好いいレジャーと言って、
愛好者が増える一方です。彼らはきれいな緑の芝生の上で、体を動かして汗を流すことに無上 の喜びを感じています。要するに、人々は経済発展による恵みを十分に楽しんでいます。
しかし、経済が豊かに、生活が快適になる一方、そのマイナスの面も出ているのではないで しょうか。例えば、日本の子どもの中で、約40%がアレルギーにかかっているのは家庭環境が その最大の原因だと言われています。冷房から細菌などが冷たい風と一緒に入ってくるし、畳 やカーペットにはダニがおり、窓や壁には黴が生えています。たま、遅寝遅起、テレビゲーム 浸りの生活スタイルや都会生活にありがちな「焦り、不安、悩み」といった精神状態も健康を 損なうものです。一方、ゴルフ場建設によって丘は無惨に切り取られ、森林は大量に伐採され ました。そればかりではなく、農薬による環境汚染も深刻な問題です。川や地下水に雨水と共 に入り込む農薬は、下流に住んでいる人々の健康を蝕んでいます。
もちろん、快適な生活、楽しいレジャーを求めるのは決して悪いことではありませんが、「環 境と健康を犠牲にしてまで、生活の快適さを求めていいのだろうか」と私たちは真剣に反省す べきではないでしょうか。
キーワード
レジャー アレルギー 細菌 ダニ 黴 伐採 蝕む 1.質問に答えなさい。
(1)経済力が向上するにつれて、人々はどんな生活スタイルを求めるようになりましたか。
(2)エアコンが取り付けられると、どんな生活が楽しめますか。
(3)ゴルフの愛好者は何に喜びを感じていますか。
(4)農薬による環境汚染はどんな形で現れていますか。
(5)私たちが真面目に反省すべき問題は何ですか。
33 2.次の文がテープの内容と合っていれば○、違っていれば×をつけなさい。
(1)新しい生活スタイルは人間にプラスの結果ばかりをもたらすとは限りません。( ) (2)エアコンは電気代がずいぶんかかるから、なるべく使わないほうがいいです。( ) (3)エアコンによって、快適な生活が楽しめると同時に健康を損なう面もあります。( ) (4)ゴルフ場は人々の楽しいレジャー施設として、大いに建設すべきです。( )
(5)私たち人間は生活の快適さを求めて、自然との調和を忘れたばかりに、少しずつ環境を 悪化させていきます。( )
問題Ⅱ.テープを聞いて、後の問いに答えなさい。
はじめに
(1)候補地 a.こうほち b.こうほうち c.こうほじ
(2)手離す a.てはなす b.しゅはなす c.てばなす
(3)貯える a.おとろえる b.たくわえる c.こしらえる
1.質問を聞いて、会話の内容と合っているものを、a.b.cの中から選んで下さい。
(1) (2) (3) (4)
2.もう一度会話を聞いて、全文を完成しなさい。27
a.日本では、全国的なリゾート開発ブームによって、自然はどんどん破壊されてきますね。
b.そうですね。日本は現在ゴルフ場となっているところは、その大部分が以前、自然林だっ たところですよ。
a.日本では、山林が国土の67%をしめていて、大面積の平地が少ないから、
山林がゴルフ場の候補地になりやすいですね。
b.自然林が切り開かれていくと、水を貯えるというその本来の力を弱くさせるのですね。
a.ええ。森林地帯はまさに緑のダムの働きをしていますね。降った雨をしっ かり貯えてくれます。雨がない時は貯えた水を徐々に手離していきますか ら、下流の川の水はかれることがありませんね。しかし、大量の森林伐採 は自然の水環境を狂わせてしまします。大きな地下貯水池がなくなるわけ ですから、川の下流では洪水や水不足の災害ができやすくなります。
b.自然破壊だけではなく、環境もそれによって汚染されますね。
a.そうですね。芝生や樹木を病害虫から守るためにたくさんの農薬を使いま すから。しかし、ゴルフ場に撒かれた農薬は一部大気中に拡散して大気汚 物質となり、半分以上土や地下水などへ吸収されますね。
b.しかし、こういう被害はみんなわかっていないから、それでも、ゴルフ場 は減るどころか、増え続けているらしいですね。
a.日本のゴルフ人口は1千万人以上と言われているから、これはゴルフ場開
発によって金を儲けようという開発者の欲望を掻き立てていますね。
次の諺の意味を調べましょう。
(1)口も八丁手も八丁
(2)火の無い所に煙は立たぬ
(3)一念は岩をも通す
以上の内容から、「教科書Ⅰ」では学習内容を確実に理解させ、音声を通して既習文型や 語彙の定着を図る練習が目立つことがわかった。「教科書Ⅰ」における「環境と健康」の課 では、文章と会話の聴き取りの 2 つに分けられる。問題Ⅰでは、文章の中でのキーワード を事前に提示し、文章を聴きながら設問に答えさせる。また、聴いた内容の理解をチェッ
27 下線の部分は練習問題の答えである。