第4章 地の文と発言との関係
4 発言挿入法から見た『道草』の表現特徴
次に、これらの発言挿入の具体的な運用を『道草』の中で見てみたい。
『道草』においては、独立発言が 1120 例あるのに対して、引用構文発言は約 50 例4)で ある。このことから、『道草』のカギ括弧で括られた発言部分は大部分が独立発言だという ことができる。『道草』では、原則的には語りと発言を分けて配置しているのである。地の 文の語りの中に発言を入れないようにし、発言は発言で独立発言として強調して提示する。
他のテクストでは引用構文発言が用いられるようなところを、『道草』では、引用を示す指 示語と動詞(句)を前後の地の文に用いて独立発言にしていることが多い。このことによ って、引用構文発言が多用される作品に比べて、全体的に発言が独立していて強調されて いるといえよう。
一方で、この発言を指し示す指示語と発言の引用を示す動詞(句)が発言の後に続くと きは、<…こう言って、…><…こう言った健三は…>のように地の部分が指示語の前後 に続いている場合が多い。既出の【15】の次の下線部のような例である。
【15】今其所へ行つて見たら定めし驚ろく程変つてゐるだらうと思ひながら、彼はなほ二 十年前の光景を今日の事のやうに考へた。
「ことによると、良人では年始状位まだ出してるかも知れないよ」
健三の帰る時、姉は斯んな事を云つて、暗に比田の戻る迄話して行けと勧めたが、
彼にはそれ程の必要もなかつた。
(『道草』八:24-25)
この例では、発言の後ろに「健三の帰る時、姉は斯んな事を云つて、暗に比田の戻る迄 話して行けと勧めたが、…」とあり、指示語の前後に地の部分が続いている。
単純に発言の挿入があったことを知らせるだけでなく、地の文(語り)の中に自然に発 言を溶け込ませる用法が多いということである。つまり、『道草』における引用を示す指示 語と動詞句を伴う形式の発言は、引用構文発言よりその存在が強調されているが、地の文 の流れの中に位置付けられる傾向があるのである。
これらのことから、抽象度の高い地の文(語り)と、具体的表現である発言とを、調整 して織り混ぜてテクストが構成されているといえる。発言を引用構文発言の形式で語りの 中に取り込むことが多くなると、語り手の語り中心のテクストになる5)が、『道草』はその ようなテクストではない。語りと発言が、ある意思のもとで調整・構成されていて、語り だけが中心になって物語が展開してくわけではない。そして、ある意思が働いて構成され
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ているにもかかわらず、地の文(語り)自体に主観が感じられないため、作品の客観的印 象を損なっていないのである。
これに対して、『三四郎』は傍観者的語り手が語る形式を基調とした作品になっており、
語りは個性的かつ饒舌で、概して主観的である。発言挿入も引用構文発言での形式がよく 用いられている。
『道草』の語り方は、ただ成り行きで時間の動きの中で見たままを語るのではなく、物 語世界の事態を構成して語るという形式をとっている。発言もすべて引用されているわけ ではなく、語りに合わせて必要なものを挿入していく。もちろん、一続きの場面のすべて の発言を挿入しているところも多いが、それだけではない。特に過去の回想場面では、過 去の内容を再構成した語りの中に、ごく一部の発言が取り上げられ挿入されるだけなので ある。
それでは、『道草』において発言中心の部分と地の文中心の部分の例を挙げ、具体的に検 証していきたい。
初めに発言中心の部分を見ていきたい。次の例は、『道草』二十三のはじめの部分である。
発言が連続しており、発言中心の部分といえる。
【22】「貴夫何うして其御縫さんて人を御貰ひにならなかつたの」
健三は膳の上から急に眼を上げた。追憶の夢を愕かされた人のやうに。
「丸で問題にやならない。そんな料簡は島田にあつた丈なんだから。それに己はま だ子供だつたしね」
「あの人の本当の子ぢやないんでせう」
「無論さ。お縫さんはお藤さんの連れつ子だもの」
お藤さんと云ふのは島田の後妻の名であつた。
「丈ど、もしそのお縫さんて人と一所になつてゐらしつたら、何うでせう。今頃は」
「何うなつてるか判らないぢやないか、なつて見なければ」
「でも事によると、幸福かも知れませんわね。其方が」
「左右かも知れない」
健三は少し忌々しくなつた。細君はそれぎり口を噤んだ。
「何故そんな事を訊くのだい。詰らない」
細君は窘められるやうな気がした。彼女にはそれを乗り越す丈の勇気がなかつた。
「どうせ私は始めつから御気に入らないんだから……」
健三は箸を放り出して、手を頭の中に突込んだ。さうして其処に溜つてゐる雲脂を ごしごし落し始めた。
二人はそれなり別々の室で別々の仕事をした。健三は御機嫌ようと挨拶に来た子供 の去つた後で例の如く書物を読んだ。細君は其子供を寝かした後で、昼の残りの縫物 を始めた。
(『道草』二十三:66-67)
この部分は、発言引用を示す指標が地の文にない独立発言が連続している。発言の合間 にある地の文は非常に少ない。また、一回あたりの発言自体が短い。しかし、このように
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地の文がほとんどなく発言だけで事態が進行していく例はそれほど多くなく、この例のよ うに発言の連続はそれほど長くは続かない。つまり、その場面の発言のやりとりを忠実に 写すだけという場合は、量として多くないと考えられる。
次の例は、発言が比較的少ない部分で、地の文中心の部分といえる。
【23】 家へ帰ると細君は奥の六畳に手枕をしたなり寐てゐた。健三は其傍に散らばつて ゐる赤い片端だの物指だの針箱だのを見て、又かといふ顔をした。
細君はよく寐る女であつた。朝もことによると健三より遅く起きた。健三を送り出 してから又横になる日も少くはなかつた。斯うして飽く迄眠りを貪らないと、頭が痺 れたやうになつて、其日一日何事をしても判然しないといふのが、常に彼女の弁解で あつた。健三は或は左右かも知れないと思つたり、又はそんな事があるものかと考へ たりした。ことに小言を云つたあとで、寐られるときは、後の方の感じが強く起つた。
「不貞寐をするんだ」
彼は自分の小言が、歇私的里性の細君に対して、何う反応するかを、よく観察して やる代りに、単なる面当のために、斯うした不自然の態度を彼女が彼に示すものと解 釈して、苦々しい呟きを口の内で漏らす事がよくあつた。
「何故夜早く寐ないんだ」
彼女は宵つ張であつた。健三に斯う云はれる度に、夜は眼が冴えて寐られないから 起きてゐるのだといふ答弁を屹度した。さうして自分の起きてゐたい時迄は必ず起き て縫物の手を已めなかつた。
(『道草』三十:88-89)
このように地の文中心の中での発言引用は、何回か繰り返されたであろう発言の場合が 多い。特にこの用例の場合は、地の文でも細君の日常の様子や繰り返される事態が語られ ており、発言もその中で引用されている。つまり、地の文(語り)の中の一部として機能 しているといえる。
次の例は、発言も地の文もある程度ある場合である。『道草』ではこのような例が多い。
【24】 姉の家へ来た時、彼の心は沈んでゐた。それと反対に彼の気は興奮してゐた。
「①いや何うもわざわざ御呼び立て申して」と比田が挨拶した。是は昔の健三に対 する彼の態度ではなかつた。然し変つて行く世相のうちに、彼がひとり姉の夫たる此 人に丈優者になり得たといふ誇りは、健三にとつて満足であるよりも、寧ろ苦痛であ つた。
「②一寸上がらうにも、何うにも斯うにも忙がしくつて遣り切れないもんですから。
現に昨夜なども宿直でしてね。今夜も実は頼まれたんですけれども、貴方と御約束が あるから、断つてやつとの事で今帰つて来た所で」
比田のいふ所を黙つて聴いてゐると彼が変な女を其勤先の近所に囲つてゐるといふ 噂は丸で嘘のやうであつた。
古風な言葉で形容すれば、たゞ算筆に達者だといふ事の外に、大した学問も才幹も ない彼が、今時の会社で、さう重宝がられる筈がないのに。――健三の心には斯んな
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「③姉さんは」
「④それにお夏が又例の喘息でね」
姉は比田のいふ通り針箱の上に載せた括り枕に倚りかゝつて、ぜいぜい云つてゐた。
茶の間を覗きに立つた健三の眼に、其乱れた髪の毛がむごたらしく映つた。
「⑤何うです」
彼女は頭を真直に上げる事さへ叶はないで、小さな顔を横にした儘健三を見た。挨 拶をしようと思ふ努力が、すぐ咽喉に障つたと見えて、今迄多少落ち付いてゐた咳嗽 の発作が一度に来た。其咳嗽は一つがまだ済まないうちに、後から後から仕切りなし に出て来るので、傍で見てゐても気が退けた。
「⑥苦しさうだな」
彼は独り言のやうに斯う呟やいて、眉を顰めた。
(『道草』二十四:71-72)
引用した部分の前には、約1ページ分の地の文が続いている。
引用した部分のテクストの内容から、①②の発言の前後には、比田の発言がほかにもあ ったが省略されて引用されていないと考えられる。地の文(語り)が中心となって、必要 な発言を挿入しているといえる。③~⑥は、喘息の姉に関わる発言で、物語世界の場面で の事態の動きが詳細に語られている。地の文における事態の語りと発言とで、物語の場面 を展開させている。②③⑤の発言の前には、発言引用を示す指標がないため、地の文から 発言に移るときに、やや唐突な印象を受ける。また、①②⑥の発言の後には、発言引用の 指標となる表現が見られる。
これらのことから、①②あたりでは、発言が地の文に関連づけられている印象が強いと いえる。③~⑤の周辺の地の文には作中人物の心理が語られているが、その心理は語り手 から想定される聞き手に向けてのものである。その中に、作中人物から別の作中人物に向 けての発言③~⑤が混じっている。また、③~⑤は、発言引用の指標が地の文にない。こ のようなことのため、③~⑤は地の文と発言の内容との関連が薄く離れている印象を与え ている。
以上のことから、『道草』には次のような発言に関わる特徴が見られた。
引用を示す指示語と動詞(句)を伴う形式の独立発言が多くみられる。この場合、発言 は、ある程度独立したものとして読者に提示され、それでいて、地の文の流れの中に位置 付けられる傾向があるといえる。
また、独立発言の連続だけで物語が進行していくことは多くなく、そのような場合があ っても、発言が短かったり、発言の連続が余り長くないことが多い。『道草』では、具体的 な場面を設定し、その場面のすべての発言を引用することが多くない。
独立発言の連続する場合というのは、具体的場面の発言のやりとりを忠実に再現してい く場合が多い。『道草』では、このような独立発言が少ないということから、具体的場面を 設定して物語世界のすべての発言を忠実に再現していくということが少ないといえる。語 りの流れに沿った発言だけが引用されているのである。
『道草』では、発言中心の部分であっても、地の文がある程度含まれていることが多い。