第2章 動詞文・テイル文・デアル文(タ形と非タ形)が語りの表現に与える影響
2 小説テクストにおける、文末形式による表現効果
2.1 動詞文末の使用による表現効果
これまで検討したタ形と非タ形の違いが、小説テクストの語りの中でどのような影響を 与えているかを、動詞の文末について検討する。
調査の対象は、『三四郎』の地の文の冒頭 15%にあたる 830 文、同様に『吾輩は猫である』
の冒頭 10%の 662 文、『道草』の冒頭 15%の 510 文とした。『吾輩は猫である』は、全文が 他の二作品よりも著しく長いため、調査文数を調節する意味で 10%とした。本来ならば、
サンプルは作品全体から均等に抜き出すべきだが、本研究では冒頭のみの調査とした。そ のため、正確には、冒頭部分における調査報告とその考察である。冒頭部分は「全体の輪 郭、枠の設定」8)の機能がある場合が多い。そのため、語り手と物語世界の関わりも他の 部分より比較的はっきりと打ち出され維持される可能性が高いと考えたからである。また、
『道草』は非タ形文末の文が極端に少ないため、テクスト全体の地の文の非タ形文末にあ たってみた。
2.1.1 『三四郎』における動詞の非タ形
『三四郎』の冒頭から 15%の 830 文の地の文を調査したところ、非タ形文末の文は 372 文で 44.8%であった。また、主人公である三四郎の知覚や認識を通した非タ形文末の文は 308 例あり、830 文の 37.1%であった。語り手の立場の語りの非タ形の文は 64 例で 7.7%
であった。このことから、『三四郎』冒頭部の非タ形文末の文は、ほとんどが三四郎の知覚 や認識を通した表現(以後、三四郎の直接認識の表現とする。)であり、また冒頭部の中に 三四郎の直接認識の文が相当にあるといえる。
ここでは、語り手の認識の語りと三四郎の知覚・認識を利用した語りに分けたうえで、
それぞれの非タ形とタ形の使われ方を検討する。
2.1.1.1 三四郎を通しての情報を、語り手が語っている動詞の用例
はじめに、1章で述べた知覚利用の語り①〔作中人物の知覚を情報源として語り手が語 る形式〕の場合について考える。これは、三四郎の認識を通した情報を語り手が語ってい るものである。次に示す下線部がその用例である。
【25】(三四郎が上京する際、後に広田先生とわかる人と関わりになる部分)
三四郎は安心して席を向ふ側へ移した。是で髭のある人と隣り合せになつた。髭のあ
77
る人は入れ換つて、窓から首を出して、水蜜桃を買つてゐる。
やがて二人の間に果物を置いて、
「食べませんか」と云つた。
三四郎は礼を云つて、一つ食べた。髭のある人は好きと見えて、無暗に食べた。三 四郎にもつと食べろと云ふ。三四郎は又一つ食べた。二人が水蜜桃を食べてゐるうちに 大分親密になつて色々な話を始めた。
(『三四郎』一の六:287)
【25】の下線部は、語り手が現場で直接知覚・認識しているともとれるが、三四郎が知 覚・認識していると理解することができる。下線部に「た」が付いていたとしたなら、タ 形文末の文が連続することになり物語世界の出来事が次々に語られストーリーがどんどん 進んで行く印象を与える。タ形の文は、時間の流れを捨象して事態全体をまとめてとらえ ることになり、また動作性の動詞の場合には事態は完了したものとして語られるからであ る。【25】の下線部では、タ形の連続の中に動詞の非タ形が挿入されたため、事態を対象化 してまとめてとらえるのではなく現場の時間の経過に即した表現になっている。このため、
出来事が次々に移っていく印象を与えない。
また、タ形の場合、三四郎の知覚が情報源であっても三四郎の知覚の臨場感を実感しに くいが、非タ形の場合は内容が対象化されていないので現場での三四郎の知覚が感じ取り やすい。この【25】では、三四郎の知覚を情報源としていると考えられる表現と、語り手 の立場の語りと考えられる表現が混在しているが、特に不自然には感じられない。これに は、上で述べたタ形と非タ形の使われ方が関連していると考えられる。
この【25】のようなことは、タ形が続くと単調になるので変化を持たせていると通常考 えられている。しかし、その変化によって、以上のような効果があると考えられるのであ る。
2.1.1.2 三四郎について語り手が外から語る動詞の用例
次の【26】の下線部①~③は、非タ形の文のうち、語り手が三四郎を観察しながら語っ ているような動詞文の例で、③は三四郎の内面について語っている動詞文の例である。た だし、語り手の立場の語りなのか、三四郎の知覚を利用した語りなのか、区別がつきにく い表現である。
【26】(三四郎が上京する際、初対面の広田先生と汽車の中で話をしている場面。) けれども相手はそんな事に一向気が付かないらしい。やがて、
「東京は何所へ」と聞き出した。
「①実は始めてで様子が善く分らんのですが……差し当り国の寄宿舎へでも行かう かと思つてゐます」と云ふ。
「ぢや熊本はもう……」
「今度卒業したのです」
「はあ、そりや」と云つたが御目出たいとも結構だとも付けなかつた。たゞ「する と是から大学へ這入るのですね」と如何にも平凡であるかの如くに聞いた。
78 三四郎は聊か物足りなかつた。其代り、
「えゝ」と云ふ二字で挨拶を片付た。
「②科は?」と又聞かれる。
「一部です」
「法科ですか」
「いゝえ文科です」
「はあ、そりや」と又云つた。③三四郎は此はあそりやを聞くたびに妙になる。
(『三四郎』一の七:289)
中ほど以降は、会話が中心となっている部分で、その中に下線部①と②の非タ形の文があ る。会話の流れの中にさらに眼前描写性のある非タ形の文があるため、より臨場感をもっ て三四郎について語るという効果がある。③は三四郎の内面の解説であり、反復される動 作である。この表現は、眼前描写性はないが、「タ」による対象化がないために、語り手が 物語世界に身を置いて語っているかのように感じられる。そのため、やはり臨場感のある 表現となっている。このように、非タ形で語り手が三四郎の動作を語ると、語り手が物語 世界に身を置いているかのように臨場感をもって語っている印象を与えるという効果があ る。
この場面の場合、もう一人の作中人物の広田先生については非タ形で語られることがほ とんどないため、三四郎の動きだけがクローズアップされる効果がある。
動詞の非タ形では、三四郎の知覚・認識を利用した語りでも、語り手の語りでも、非タ 形のときは、物語世界の時間の流れを感じながら臨場感をもって語られることになる。そ のため、非タ形の動詞がタ形の中に混じることによって、事態が次から次へと素早く展開 するということがなくなる。『三四郎』における動作性動詞文末の文は、非タ形 23.5%、タ 形 76.5%と、タ形の方が多いが、このようなことになっているのである。
また、三四郎の知覚・認識を表している文や、三四郎について語る文が多く非タ形にな り、その部分だけが臨場感をもつことになると、三四郎がクローズアップされた語りにな る。実際に、2.1.1 の冒頭で三四郎の知覚・認識を表す非タ形の文の多いことを確認してお り、三四郎の知覚によって事態が進行することが多いと考えることができる。
次の【27】は、三四郎の動作について語り手が語った文である。
【27】(三四郎がはじめて、大学に野々宮を訪ねて行く場面である。小使に野々宮の研究室 まで案内されて行くところからはじまる。)
「御出でやす。御這入んなさい」と友達見た様に云ふ。小使に食つ付いて行くと四 っ角を曲がつて和土の廊下を下へ居りた。世界が急に暗くなる。炎天で眼が眩んだ時 の様であつたが少時すると瞳が漸く落ち付いて、四辺が見える様になつた。穴倉だか ら比較的涼しい。左の方に戸があつて、其戸が明け放してある。其所から顔が出た。
額の広い眼の大きな仏教に縁のある相である。縮の襯衣の上へ脊広を着てゐるが、脊 広は所々に染がある。脊は頗る高い。瘠せてゐる所が暑さに釣り合つてゐる。頭と脊 中を一直線に前の方へ延ばして、御辞儀をした。
「此方へ」と云つた儘、顔を室の中へ入れて仕舞つた。三四郎は戸の前迄来て室の
79
中を覗いた。すると野々宮君はもう椅子へ腰を掛けてゐる。もう一遍「此方へ」と云 つた。此方へと云ふ所に台がある。四角な棒を四本立てて、其上を板で張つたもので ある。三四郎は台の上へ腰を掛けて初対面の挨拶をする。それから何分宜敷願ひます と云つた。
(『三四郎』二の二:296)
【27】の下線部より前の部分は、主に三四郎の知覚・認識を中心に展開している。そし て、下線部のところで、非タ形で三四郎について外側から語ることになる。
【27】の下線部の非タ形の文は、「挨拶をする」というある程度時間のかかる事態を簡潔 に語っているため、眼前描写というよりは事実の提示として受け取られる。しかし、非タ 形であるため、事態全体をまとめてとらえていない。そのため、出来事が次へ次へと移っ ていく印象を与えない。「タ」が付いたときに比べて現場での臨場感が感じられ、物語世界 の現在のその時において知覚されていると感じられる。
以上、語り手が三四郎を外から語る文について、非タ形を中心に観察した。物語世界の 現場がすべて臨場感を持って語られることはないが、一部に非タ形の文が混じることによ って、そこだけは臨場感をもって語られることになり、事態が次から次へと移っていくと いう印象はなくなることが確認できた。
2.1.1.3 『三四郎』の動詞の非タ形・タ形についてのまとめ 以上の検討からわかったことは次のようなことである。
動詞の非タ形文末の文では、物語世界の現在の時間において語っているものであった。
三四郎の知覚・認識を利用した語りでも、語り手の三四郎についての語りでも、非タ形の ときは、物語世界の時間の流れを感じながら臨場感をもって語られることになる。そのた め、非タ形の動詞がタ形の中に混じることによって、事態が次から次へと素早く展開する ということがなくなる。三四郎の知覚・認識を表している文や、三四郎について語る文が 多く非タ形になり、その部分だけが臨場感をもつことになると、三四郎がクローズアップ された語りになる。実際に、三四郎の知覚・認識を表す非タ形の文の多いことを確認して おり、三四郎の知覚によって事態が進行することが多いと考えられる。
2.1.2 『道草』の動詞の用例
既に述べたように『道草』では、「のである」のほかは、ほとんどがタ形であるとみなし てよい。
【28】 彼は例刻に宅へ帰つた。洋服を着換へる時、細君は何時もの通り、彼の不断着を 持つた儘、彼の傍に立つてゐた。彼は不快な顔をして其方を向いた。
「床を取つて呉れ。寝るんだ」
「はい」
細君は彼のいふが儘に床を延べた。彼はすぐ其中に入つて寝た。彼は自分の風邪気 の事を一口も細君に云はなかつた。細君の方でも一向其処に注意してゐない様子を見 せた。それで双方とも腹の中には不平があつた。