第5章 物語場面と語りの機能
1 物語場面そのものの語りと物語場面そのものでない語りの特徴
1.8 物語場面そのものを語らない語りはどのように語られるか
物語場面を中心に考えると、物語場面の中のところどころに物語場面そのものを語らな い語りが挿入されていたり、物語場面と次の物語場面の間に物語場面を語らない語りが挿 入されていたりするということになる。
1.8.1 過去についての語りの挿入
Ⅰ過去についての語りが挿入されるとき、物語場面とどのような関係をもっているのか、
観察されたものを列挙してみたい。
(1) 連想・想起
作中人物が連想したり思い出したりすることにより、過去が語られていくことがある。
次の【14】では、99 から過去についての語りになっているが、96 の「大きな桜がある。」
という状態についての語りが過去を語るきっかけになっている。
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【14】94 三四郎は与次郎に跟いて教室を出た。95 階子段を降りて、玄関前の草原へ来た。
96 大きな桜がある。97 二人は其下に坐つた。
98 此所は夏の初めになると苜蓿が一面に生える。99 与次郎が入学願書を持つて事務 へ来た時に、此桜の下に二人の学生が寐転んでゐた。100 其一人が一人に向つて、口答 試験を都々逸で負けて置いて呉れると、いくらでも唄つて見せるがなと云ふと、一人が 小声で、粋な捌きの博士の前で、恋の試験がして見たいと唄つてゐた。101 其時から与 次郎は此桜の木の下が好になつて、何か事があると、三四郎を此所へ引張り出す。
(『三四郎』中間 六の一:421-422)
(2) 現在との対比や解説
Ⅰ過去についての語りが、現在についての対比や解説になっている場合がある。
次の【15】では、130 から過去のエピソードが続いた後に、135 で現在との対比がなさ れることによって結果的に現在の状況を解説することになっている。
【15】130 彼は其主人をその頃は兄さん兄さんと呼んで始終遊びに行つたものである。131 さうして年から云へば叔父甥程の相違があるのに、二人して能く座敷の中で相撲をと つては姉から怒られたり、屋根へ登つて無花果を捥いで食つて、其皮を隣の庭へ投げ たため、尻を持ち込まれたりした。
(中略)
135 さうして夫程世話になつた姉夫婦に、今は大した好意を有つ事が出来にくゝなつ た自分を不快に感じた。
(『道草』はじめ 四:12)
(3) 一般的な語りから過去の語りへ
Ⅱ具体的な時間に関わらない語りの後に、Ⅰ過去についての語りが挿入されることがあ る。
次の【16】では、4 からⅡ具体的な時間に関わらない語りになり、10 以降「動かない」
方がよいのだという考えの健三が語られ、それに関連した過去のことが 13 から語られる。
一時的な出来事だけにとどまらない一般的傾向を語り、その具体例として過去の事態を語 っているのである。
【16】 「御前は役に立ちさへすれば、人間はそれで好いと思つてゐるんだらう」
(※健三の発言、石出注)
「だつて役に立たなくつちや何にもならないぢやありませんか」
(※細君の発言、石出注)
4 生憎細君の父は役に立つ男であつた。5 彼女の弟もさういふ方面にだけ発達する 性質であつた。6 これに反して健三は甚だ実用に遠い生れ付であつた。
(中略)
10 動かない彼は、傍のものゝ眼に、如何にも気の利かない鈍物のやうに映つた。
11 彼は猶更動かなかつた。12 さうして自分の本領を益反対の方面に移して行つた。
13 彼は此見地から、昔し細君の弟を、自分の住んでゐる遠い田舎へ伴れて行つて
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教育しやうとした。14 其弟は健三から見ると如何にも生意気であつた。
(『道草』おわり 九十二:282-283)
1.8.2 具体的な時間に関わらない語りの挿入
Ⅱ具体的な時間に関わらない語りは『道草』において非常に多く挿入されているが、そ のときの様相について、観察されたものを列挙してみたい。
(1)章のはじめや物語場面の前での解説
章のはじめや物語場面の前に、解説として普段の状況や作中人物の考え方や行動の傾向 が語られることがある。
【17】は、九章のはじめの方の部分で、八章の終りの部分との内容的なつながりは薄い。
九章のはじめから 253 までの下線部分はこの頃の日常的状態を語り、254 から大掴みに事 象を展開させている。このあと徐々に具体的物語場面が語られていく。
章の初めなどで、新たな内容に入っていく際に、すぐに具体的物語場面に入らないで、
物語場面に関わらない語りや大掴みな語りで解説していくことがよく見られる。
【17】251 其子供たちはまた滅多に書斎へ這入らなかつた。252 たまに這入ると、屹度何 か悪戯をして健三に叱られた。253 彼は子供を叱る癖に、自分の傍へ寄り付かない彼 等に対して、やはり一種の物足りない心持を抱いてゐた。
254 一週間後の日曜が来た時、彼は丸で外出しなかつた。255 気分を変へるため四 時頃風呂へ行つて帰つたら、急にうつとりした好い気持に襲はれたので、彼は手足を 畳の上へ伸ばしたまゝ、つい仮寐をした。
(『道草』はじめ 九:26)
(2)挿入的な短い解説
具体的物語場面の事物を解説するのに、具体的な物語場面に限らない状態についての語 りや、習慣や性質が語られることがある。次の【18】のように、物語場面の語りを断ち切 らないようにしながら、前に語られている内容について短く挿入的に解説されることが多 い。
190 は繰り返し見られる状態を語っていて、彼の財布に多く入っていないことを解説し ている。
【18】 188 健三は立つて書斎の机の上から自分の紙入を持つて来た。189 一家の会計を 司どつてゐない彼の財嚢は無論軽かつた。190 空の儘硯箱の傍に幾日も横はつてゐる 事さへ珍らしくはなかつた。191 彼は其中から手に触れる丈の紙幣を攫み出して島田 の前に置いた。
(『道草』中間 五十二:159)
(3) 前提としての解説
次に語られる物語場面の前提について予め解説されることがある。そのとき、Ⅱ具体的 な時間に関わらない語りが解説として語られることが多い。
【19】の 163~165 では、海苔巻を食う物語場面の前に、食いたくない事情として普段
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の状況が語られている。具体的物語場面に限らない日常的状態や習慣から、具体的物語場 面へと、語りが変わっているといえる。
【19】 163 近頃の健三は頭を余計遣ひ過ぎる所為か、どうも胃の具合が好くなかつた。
164 時々思ひ出したやうに運動して見ると、胸も腹も却つて重くなる丈であつた。165 彼は要心して三度の食事以外には成るべく物を口へ入れないやうに心掛てゐた。166 それでも姉の悪強には敵はなかつた。
「海苔巻なら身体に障りやしないよ。折角姉さんが健ちやんに御馳走しようと思つ て取つたんだから、是非食べて御呉れな。厭かい」
(『道草』はじめ 六:17)
(4) 背後にある潜在的状況を解説する
具体的物語場面だけにとどまらない長い期間にわたる状況のうち、目に見えない潜在的 な状況を語ることがある。このような語りは、物語場面における状態の語りからの延長と して語られることが多い。
【20】では、状態描写のあと、163 から健三と細君の普段の思考の状態について解説され ている。具体的物語場面の語りから、日常的な状態への語りへと変わっているのである。
【20】 161 昨夜の事は二人共丸で忘れたやうに何にも云はなかつた。
五十二
162 二人は自分達の此態度に対して何の注意も省察も払はなかつた。163 二人は二人 に特有な因果関係を有つてゐる事を冥々の裡に自覚してゐた。164 さうして其因果関係 が一切の他人には全く通じないのだといふ事も能く呑み込んでゐた。165 だから事状を 知らない第三者の眼に、自分達が或は変に映りはしまいかといふ疑念さへ起さなかつた。
(『道草』中間 五十一~五十二:156-157)
「具体的な時間に関わらない語り」の諸相を見てきたが、三人称小説である『三四郎』『道 草』において、それらは具体的物語場面についての解説として語られているといえる。し かし、逆に見ると、具体的物語場面は、時間に関わらない状態や性質という大きな背景の 語りの中で、一部の事態が具体的に語られたものだということもできる。
1.8.3 大掴みに出来事を語り、ストーリーを展開させる
物語世界上の「いま」を一気に進める場合がある。章の始めや物語場面と物語場面をつ なぐときにⅢ大掴みな展開の語りが語られることがある5)。前掲【17】の二段落目などが それにあたる。一文ごとに物語世界の場所が変わったり、一文で時間が大きく動いたりす る。
1.8.4 物語場面そのものを語らない語りの挿入と発言
発言をきっかけに、物語場面そのものを語る語りと物語場面そのものを語らない語りが 入れ替わることは多い。また、発言の合間に、発言を解釈するような、物語場面そのもの を語らない語りが挿入されることがよくある。