第 1 章 語りの様相の考察
8 語りの様相から見る小説ごとの特徴
8.1 冒頭部、中間部、終末部の調査
語り手の立場の語りと、作中人物の知覚を利用した語りの数を集計すると、表1のよう になった。表1の冒頭、中間、終末というのは、『三四郎』、『道草』の冒頭部、中間部、終 末部のそれぞれ100文の地の文を調査したものである。表のそれぞれの上段が「語り手 の立場の語り」、中段が「作中人物の知覚の語り」(内的独白も含む)、下段の( )が、発 言の数(但し、『三四郎』冒頭には三四郎の耳に入った発言を要約した部分があり、それは 含まれていない)である。
【表1】
冒頭 中間 終末 合計
『道草』
80 72 69 221 20 28 31 79
(3) (23) (41) (67)
『三四郎』
51 36 74 161 49 64 26 139
(4) (42) (22) (68)
表1を見ると、『道草』においては、「語り手の立場の語り」が中心となって語られてい るといえる。一方、『三四郎』においては、顕著な傾向は認められない。
冒頭部では、発言が少なめになっており、語られている内容を調査したところ具体的場 面を離れた説明的な語りも多く認められた。これは、物語世界の設定を語ることが多いた めだと考えられ、冒頭部における特徴だと推測される。このことは、中間部よりも冒頭部 に「語り手の立場の語り」が多いことと関係が深いように思われる。物語世界の設定を語 る時には、具体的な物語世界の現場の場面についての語りから一時的に離れることが多く なる。既に述べたように、作中人物の知覚を利用した語りは具体的場面に即して語られる ことが圧倒的に多いので、作中人物の知覚を利用した語りは自ずと少なくなると考えられ
47 るのである。
そうだとすると、『三四郎』においてはそれでも冒頭に知覚を利用した語りがかなり含ま れているので、『三四郎』は『道草』と比較して、知覚を利用した語りが多いと考えること ができる。
『三四郎』終末部は、『三四郎』の他の部分に比べて作中人物の知覚を利用した語りが極 端に少ない。この理由はテクストを読めば明らかである。十二章最後の十二章の七から、
語り手は三四郎を客観的に外から語る態度に徹しており、三四郎の内心については一切語 っていない。さらに、最後の十三章は、そもそも三四郎を焦点にして語っている部分自体 が少ないのである。このような語り手の変化が、大きく影響していると考えられる。
『道草』の終末部は中間部とそれほど大きな差異はない。『道草』終末部のテクストにお いて、やや特徴的なのは、健三と細君との会話によって物語が展開していくことが多く、
その間に健三の考えや心理が語られていくという形式になっているということである。こ のために、健三の知覚や認識が比較的多く語りに反映しており、また発言が多くなってい る。
以上のような検討の結果、『三四郎』の終末部を除くと、『道草』は『三四郎』より語り 手の立場の語りが多く、『三四郎』は『道草』よりも作中人物の知覚を利用した語りが多い といえる。このことは、両作品の語りの特徴に影響を与えていると考えられる。『三四郎』
は三四郎の感じたまま語られているような印象が、『道草』は健三が相対化されているよう な印象があるが、この結論と一致している。このような読後の印象を与えている要因の一 つには、語りの様相にもあることが認められる。
8.1.2 用例の具体的分析
次に、具体的用例を検討し、『三四郎』と『道草』の傾向を分析したい。
8.1.2.1 用例から見た『三四郎』の語りの様相
次の【43】は、『三四郎』の中間にある「七の一」の冒頭である。ここは、『三四郎』で は典型的な語り方である。
【43】 1 裏から回つて婆さんに聞くと、婆さんが小さな声で、与次郎さんは昨日から御帰 りなさらないと云ふ。2 三四郎は勝手口に立つて考へた。3 婆さんは気を利かして、ま あ御這入りなさい。4 先生は書斎に御出ですからと云ひながら、手を休めずに、膳椀を 洗つてゐる。5 今晩食が済んだ許の所らしい。
6 三四郎は茶の間を通り抜けて、廊下伝ひに書斎の入口迄来た。7 戸が開いてゐる。
8 中から「おい」と人を呼ぶ声がする。9 三四郎は敷居のうちへ這入つた。10 先生は机 に向つてゐる。11 机の上には何があるか分らない。12 高い脊が研究を隠してゐる。13 三四郎は入口に近く坐つて、
「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。14 先生は顔丈後へ捩ぢ向けた。15 髭の影が不明 瞭にもぢやもぢやしてゐる。16 写真版で見た誰かの肖像に似てゐる。
17「やあ、与次郎かと思つたら、君ですか、失敬した」と云つて、席を立つた。18
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机の上には筆と紙がある。19 先生は何か書いてゐた。20 与次郎の話に、うちの先生は 時々何か書いてゐる。21 然し何を書いてゐるんだか、他の者が読んでも些とも分らな い。22 生きてゐるうちに、大著述にでも纏められゝば結構だが、あれで死んで仕舞つ ちやあ、反古が積る許だ。23 実に詰らない。24 と嘆息してゐた事がある。25 三四郎は 広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思ひ出した。
「御邪魔なら帰ります。別段の用事でもありません」
「いや、帰つてもらふ程邪魔でもありません。此方の用事も別段の事でもないんだ から。さう急に片付ける性質のものを遣つてゐたんぢやない」
26 三四郎は一寸挨拶が出来なかつた。27 然し腹のうちでは、此人の様な気分になれ たら、勉強も楽に出来て好からうと思つた。28 しばらくしてから、斯う云つた。
「実は佐々木君の所へ来たんですが、居なかつたものですから……」
「ああ。与次郎は何でも昨夜から帰らない様だ。時々漂泊して困る」
「何か急に用事でも出来たんですか」
「用事は決して出来る男ぢやない。たゞ用事を拵へる男でね。あゝ云ふ馬鹿は少な い」
29 三四郎は仕方がないから、
「中々気楽ですな」と云つた。
「気楽なら好いけれども。与次郎のは気楽なのぢやない。気が移るので――例へば 田の中を流れてゐる小川の様なものと思つてゐれば間違はない。浅くて狭い。しかし 水丈は始終変つてゐる。だから、する事が、ちつとも締りがない。縁日へひやかしに など行くと、急に思ひ出した様に、先生松を一鉢御買ひなさいなんて妙な事を云ふ。
さうして買ふとも何とも云はないうちに値切つて買つて仕舞ふ。其代り縁日ものを買 う事なんぞは上手でね。あいつに買はせると大変安く買へる。さうかと思ふと、夏に なつてみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸を閉てて錠 を卸して仕舞ふ。帰つて見ると、松が温気で蒸れて真赤になつてゐる。万事さう云ふ 風で洵に困る」
(『三四郎』七の一:457-460)
【43】の 1 はB-2、2 はA、3~5 はB-2。(3 と 4 は、連続した文である)6 はA、7~
8 はB-2、9 はA-10~12 はB-2。13 はA-14~16 はB-2。
このように見てくると、三四郎の動作はAで語られ、三四郎の見た状況はB-2で語られ ている。そのため、三四郎の知覚したであろう事物を多く語るので、時間をかけて語られ ている。臨場感がある。
17~24 はB-2(20~24 は一文)。25 はA。20~24 の三四郎の記憶を引用したことを 25 で明らかにしている。26~28 はAで、三四郎の動作を語っている。
ここも、1~16 と同じように、三四郎の動作はAの語りで、その他の事物は三四郎の知覚 を利用して語っている。
三四郎のことを語るときは、タ形文末の文で語っていて、語り手は物語場面の現場で語 るようには語っていない。それに対して、三四郎の知覚している内容は非タ形の文末で語 られることが多く、臨場感がある。
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次の【44】は【43】に続く部分である。途中で「七の一」から「七の二」に移っている。
【44】 30 実を云ふと三四郎は此間与次郎に弐十円借した。31 二週間後には文芸時評社か ら原稿料が取れる筈だから、それ迄立替てくれろと云ふ。32 事理を聞いて見ると、気 の毒であつたから、国から送つて来た許りの為替を五円引いて余りは悉く借して仕舞 つた。33 まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いて見ると少々心配になる。34 しか し先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、
「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、蔭でも先生の為に中々尽力してゐます」
と云ふと、先生は真面目になつて、
「どんな尽力をしてゐるんですか」と聞き出した。35 所が「偉大なる暗闇」其他凡て 広田先生に関する与次郎の所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられて ゐる。36 やり掛けた途中でそんな事が知れると先生に叱られるに極つてるから黙つて 居るべきだといふ。37 話して可い時には己が話すと明言してゐるんだから仕方がない。
38 三四郎は話を外らして仕舞つた。
七の二
39 三四郎が広田の家へ来るには色々な意味がある。40 一つは、此人の生活其他が普 通のものと変つてゐる。41 ことに自分の性情とは全く容れない様な所がある。42 そこ で三四郎は何うしたらあゝなるだらうと云ふ好奇心から参考の為め研究に来る。43 次 に此人の前へ出ると呑気になる。44 世の中の競争が余り苦にならない。45 野々宮さん も広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心の為めに、流俗の嗜慾を遠ざけ てゐるかの様に思はれる。46 だから野々宮さんを相手に二人限で話してゐると、自分 も早く一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まない様な気が起る。47 焦慮い て堪らない。48 そこへ行くと広田先生は太平である。49 先生は高等学校でたゞ語学を 教へる丈で、外に何の芸もない――と云つては失礼だが、外に何等の研究も公けにし ない。50 しかも泰然と取り澄ましてゐる。51 其所に、此吞気の源は伏在してゐるのだ らうと思ふ。
(『三四郎』七の一~七の二:460-461)
30 はAである。31 は、三四郎の知覚したことを三四郎が語る形式となっていて、B-2 と考えられる。32 は、三四郎が回想していると考えればB-2、語り手が三四郎の行為を語 っていると考えればAとなる。前の 31 をB-2としたことから、31 と 32 とも三四郎の語り と考える方が自然なので、B-2としておく。33 は、「広田の話」という語り手の立場の用 語が使われていることから、「少々心配になる」も三四郎の感情表出ではなく、語り手が三 四郎を客体化して語った表現だと解釈できるので、Aと考える。34 は、文末が「聞き出し た」というタ形となっており、三四郎が物語世界の現場で知覚している語りとは考えにく いので、B-1とする。35 は、はじめに「所が」という表現があり、前文を踏まえた表現で あることが分かる。前文の 34 は三四郎の立場の語りではないので、35 をB-2とすること はできない。しかし、35 は三四郎の認識を表していると思われるのでB-1とする。36 と 37 は、三四郎の認識の表現なのでB-2である。38 は、Aである。
39 はAである。40 は、はじめに「一つは」とあることから、前文を踏まえた表現なので