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小説テクストにおいて、タ形文末と非タ形文末がどのように語りを構成しているか

第2章 動詞文・テイル文・デアル文(タ形と非タ形)が語りの表現に与える影響

3 小説テクストにおいて、タ形文末と非タ形文末がどのように語りを構成しているか

の表現上の特性と効果について論じた。ここでは、実際のテクストにおいてどのように非 タ形文末とタ形文末が使われ、どのように語りを構成しているのかを検討する。また、そ の結果として、語りの言語が日常の言語とどのように異なっているのかを明らかにする。

3.1 『三四郎』におけるタ形と非タ形

『三四郎』の四章を例にとり、その中で「作中人物の知覚が利用されている語り」の比 較的多い部分と、「語り手の立場の語り」が比較的多い部分を選び、それぞれの非タ形・タ 形の使用のされ方を検討する。

3.1.1 『三四郎』において、「作中人物の知覚が利用されている語り」の比較的多い部分 次の【67】【68】は、「作中人物の知覚が利用されている語り」の比較的多い部分である。

【67】 四の二

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1 ある日の午後三四郎は例の如くぶら付いて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林 町の広い通へ出た。2 秋晴と云つて、此頃は東京の空も田舎の様に深く見える。3 かう 云ふ空の下に生きてゐると思ふ丈でも頭は明確する。4 其上野へ出れば申し分はない。

5 気が暢び暢びして魂が大空程の大きさになる。6 それで居て身体惣体が緊つて来る。

7 だらしのない春の長閑さとは違う。8 三四郎は左右の生垣を眺めながら、生れて始め ての東京の秋を嗅ぎつつ遣つて来た。

9 坂下では菊人形が二三日前開業したばかりである。10 坂を曲がる時は幟さへ見え た。11 今はただ声丈聞える。12 どんちやんどんちやん遠くから囃してゐる。13 其囃の 音が、下の方から次第に浮き上がつて来て、澄み切つた秋の空気のなかへ広がり尽す と、遂には極めて稀薄な波になる。14 其又余波が三四郎の鼓膜の傍迄来て自然に留る。

15 騒がしいといふよりは却つて好い心持である。

(『三四郎』四の二:347)

1 はAの語りである。2~7 は三四郎の内心を言語化したものでB-2と考えられる。8 は 再びAとなっている。1「…広い通へ出た」と 8「…遣つて来た」で事態の動きを表し、そ の間の 2~7 は事態の動きはない。2~7 のB-2は、三四郎の語りを引用して挿入するよう な形式となっている。

次の段落の 9~12 もB-2と解釈できる。9「坂下では菊人形が二三日前開業したばかり である」や 11「今はただ声丈聞える」は三四郎の内心・知覚の言語化と考えるからである。

13~14 は、三四郎がその内容を知覚しているかどうかでB-1かAかの解釈が分かれる。15 は、直前の 13~14 の内容を受けての記述である。13~14 をAと解釈すれば 15 もAとなり、

13~14 をB-1とすれば 15 はB-2と考えることができる。

13~15 をAと考える場合は、15 の主語は「三四郎は」となる。9~12 を三四郎の立場で 記述したあと、13 から語り手がその場を説明することになっている。

13~14 をB-1とし、15 をB-2と考える場合は、語り手の語りを基本としながら三四郎 が語る形式を引用して語っていると理解できる。

どちらの解釈でも、三四郎の語る形式の文を引用挿入して語っている。このことから、

部分的に三四郎の一人称の語りのような印象を与える。

これまでの例を見ると、三四郎が語る形式の文は主に非タ形で語られることが多い。当 然、これらは物語世界の現場にいながら語る語りである。A、B-1の語りは、語り手が語 る形式であるが、タ形と非タ形とが用いられていた。1 と 8 のタ形は、事態が完了した時点 から事態を対象化してまとめて語っている。日常の「報告」の言語(書き言葉、話し言葉)

であれば、過去を回想するときにしか、事態を対象化して語ることができない。しかし、

三人称の語りのテクストでは、過去を回想していなくても、タ形を使用している。

13 と 14 の語りは非タ形で、時間に幅のある状態を、動詞文を用いて説明している。この

【67】の例では、語り手が物語世界の事態を外から対象化してまとめて語ることは少ない といえる。作中人物の知覚が対象化されずに語られることが多いからである。

次の【68】は、【67】に続く部分である。

【68】 16 時に突然左りの横町から二人あらはれた。17 その一人が三四郎を見て、「おい」

113 と云ふ。

18 与次郎の声は今日に限つて、几帳面である。19 其代り連がある。20 三四郎は其連 を見たとき、果して日頃の推察通り、青木堂で茶を飲んでゐた人が、広田さんである と云ふ事を悟つた。21 此人とは水蜜桃以来妙な関係がある。22 ことに青木堂で茶を飲 んで烟草を呑んで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、一層よく記憶に染みてゐ る。23 いつ見ても神主の様な顔に西洋人の鼻を付けてゐる。24 今日も此間の夏服で、

別段寒さうな様子もない。

25 三四郎は何とか云つて、挨拶をしやうと思つたが、あまり時間が経つてゐるので、

どう口を利いていいか分らない。26 ただ帽子を取つて礼をした。27 与次郎に対しては、

あまり丁寧過ぎる。28 広田に対しては、少し簡略すぎる。29 三四郎は何方付かずの中 間に出た。30 すると与次郎が、すぐ、「此男は私の同級生です。熊本の高等学校から始 めて東京へ出て来た――」と聴かれもしない先から田舎ものを吹聴して置いて、それ から三四郎の方を向いて、「是が広田先生。高等学校の……」と訳もなく双方を紹介し て仕舞つた。

(『三四郎』四の二:347-348)

16 は、「時に」とあることから語り手の語る形式であると考えられ、B-1とする。続く 17 も、三四郎の知覚内容を語り手が語ったものと思われるのでB-1とする。次の段落の 18 と 19 はB-2、20 はAと考えられる。続く 21~24 はB-2と考えられる。次の段落の 25

~29 はAとし、続く 30 は、三四郎の知覚を語り手が語る形式と考えB-1とする。30 の「聴 かれもしない先から田舎ものを吹聴して置いて」「訳もなく」という評価は三四郎がしたも のと解釈した。この評価を語り手がしたものと考えると、30 はAとなる。

三四郎の知覚を表出しているB-2と考えられる文はすべて非タ形である。語り手の語る 形式であるB-1とAと考えられる文で非タ形なのは、17、25、27、28 である。17 は現場 で知覚しているような語り、25、27、28 は、三四郎の状態に関する説明といえる。その他 のB-1とAと考えられる文は、タ形となっている。

ここで引用した範囲において、非タ形の文は、眼前描写の語りか説明となっている。

3.1.2 『三四郎』において「語り手の立場の語り」が比較的多い部分

次の【69】は、「語り手の立場の語り」が比較的多い部分である。【67】【68】は四の二か らの引用であったが、【69】はその前の四の一からの引用である。

【69】 1 かう云ふ問答を二三度繰返してゐるうちに、いつの間にか半月許り経過た。2 三 四郎の耳は漸々借りものでない様になつて来た。3 すると今度は与次郎の方から、三四 郎に向つて、「どうも妙な顔だな。如何にも生活に疲れてゐる様な顔だ。世紀末の顔だ」

と批評し出した。4 三四郎は、此批評に対しても依然として、「さう云ふ訳でもないが

……」を繰り返してゐた。5 三四郎は世紀末抔と云ふ言葉を聞いて嬉しがる程に、まだ 人工的の空気に触れてゐなかつた。6 またこれを興味ある玩具として使用し得る程に、

ある社会の消息に通じてゐなかつた。7 ただ生活に疲れてゐるといふ句が少し気に入つ た。8 成程疲れ出した様でもある。9 三四郎は下痢の為め許りとは思はなかつた。10 け

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れども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかつた。11 それで此 会話はそれぎり発展しずに済んだ。

(『三四郎』四の一:345)

【69】は、下線部以外はタ形文末の文となっている。下線部の 8 だけが、B-2と考えら れ、その他はAと考えられる(3 はB-1とも考えられる)。このように、この部分は語り手 の立場からの語りとなっていて、主にタ形で語られている。

1 の内容から、語り手が、物語世界の現場での出来事を観察しながら語っているのではな いことがわかる。写生文のように現場の視点だけで出来事を語っているのではないという ことである。語り手の時間的・空間的位置は、物語内容の全容を見通せる位置だといえる。

1 は、「半月許り経過た」というように、「経過る」という事態が完了した時点から事態を 対象化して語っている。2~3 も同様に事態が完了した時点でその内容を対象化して語って いる。この 2~3 の事態は時間的に幅のある事態である。このことからも語り手が、時間的 に幅のある事柄を対象化できる立場であることがわかる。

4~6 は、三四郎の内面を語り手が対象化して語ったものである。非タ形のテイルでも継 続している状態を外から対象化して語ることになるが、ここではテイタ形であるため、さ らに時間を捨象してまとめて、内容を対象化して語ることになる(※テイル・テイタのと ころで詳述している)。この結果、語り手が物語世界から離れた立場で冷静に語ることにな っている。

7、9、10 は、同様に三四郎の内面を動詞文・デアル文のタ形で語っている。語り手が物 語世界を離れて、時間を捨象して語っているといえる。この部分では、語り手の立場での 語りをタ形で語ることにより、時間に幅のある内容をまとめて語っている。日常の「報告」

の言語では、過去の回想するのでなければこのような言い方はできない。

このようなことは、内容を対象化し時間を捨象して語るタ形であるから表現することが できるのであり、非タ形では内容をまとめて語ることは難しい。

3.1.3 『三四郎』におけるタ形・非タ形の使われ方のまとめ

「作中人物の知覚を利用した語り」が比較的多く語られている部分では、非タ形が多く 使用されていた。非タ形が使用されるのは、B-2の語りの場合が多く、そのほかに物語世 界の現場での語りや説明の場合であった。B-2の語りは、知覚を表出する表現であるため、

「タ」による対象化がなされないことが多く、その場合、非タ形で眼前描写性のある表現 になる。つまり、物語世界の具体的な現場で知覚体験しているような表現になるのである。

このため、語り手の語りの中に、作中人物の知覚を表出している表現が混在することに なる。語り手の語りの中にB-2の語りが挿入されて、全体の語りが構成されていると考え ることができる。日常の「報告」テクストは、表現者の記述だけで構成されており、また 眼前描写性のある表現などはありえないことから、『三四郎』の語りはこの点で日常の「報 告」の言語と異なっている。また、B-2は、実際には作中人物が言語化していない表現で あり、日常の言語の常識では説明できない。日常の言語は、表現者が受け手に対して伝達 するというのが基本的な回路であるが、B-2は作中人物が誰に向けて語っているのかが明 らかでなく、フィクションの聞き手に対する言語となっている。