第4章 地の文と発言との関係
3 独立発言
3.1 独立発言で、発言挿入の指標のある場合
独立発言を地の文に挿入する場合、地の文に発言を位置づけるような表現がある場合が ある。その場合を「発言挿入の指標のある場合」と呼ぶことにする。この指標のある場合 の、発言挿入のされ方について検討していきたい。大きくは、発言を示す指示語が地の文 にある場合と、発言の引用を示す動詞句(「云った」など)が地の文にある場合がある。
3.1.1 発言を示す指示語が地の文にある場合
<「(発言)」/こう言った。2)><こう言った。/「(発言)」>や、<「(発言)」/こ んなことを言った。><こんなことを言った。/「(発言)」>のように、発言を指し示す 指示語と動詞句、発言を指し示す指示語と名詞句という形式が現れる場合がある。
このような発言を指し示す指示語が地の文にある場合は、間接的ではあるが発言は地の 文の語りに取り込まれているといえる。指示語の部分に発言が置き換えられるからである。
この点で、この場合の独立発言は<「(発言)」と言った>という引用構文発言と連続的で ある。なお、指示語は具体的に色々な語との結びつきがあり、<「(発言)」/この言葉が
…>のように体言と結びついて主語になっている場合などもある。
この場合に特徴的なのは、発言を提示した上で地の文においてその発言に言及するとい う、独立語を含む構文と同じ形式をもっているということである。このため、発言はある 程度の独立性をもち強調されながら、同時に地の文の中にも取り込まれることになる。し かし、発言挿入の指標なく独立発言が連続しているときのような、事態のすばやい展開の 叙述はできない。
また、この発言を指し示す指示語が発言の前にあるか後ろにあるかで地の文との関わり 方に違いがある。
【11】は指示語が発言の前にある場合である。
【11】野々宮君は笑ひながら光るでせうと云つた。さうして、斯う云ふ説明をして呉れた。
「昼間のうちに、あんな準備をして置いて、夜になつて、交通其他の活動が鈍くな
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る頃に、此静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの眼玉の様なものを覗くのです。
さうして光線の圧力を試験する。此年の正月頃から取り掛つたが、装置が中々面倒な のでまだ思ふ様な結果が出て来ません。夏は比較的堪へ易いが、寒夜になると、大変 凌ぎにくい。外套を着て襟卷をしても冷たくて遣り切れない。……」
三四郎は大いに驚ろいた。驚ろくと共に光線にどんな圧力があつて、其圧力がどん な役に立つんだか、全く要領を得るに苦しんだ。
(『三四郎』二の二:297)
(※ は発言を指し示す指示語を含む部分。下線部は該当する発言。)
「さうして、斯う云ふ説明をして呉れた。」という地の文と次の発言とで意味的に一つの まとまりになっているが、発言を指し示す指示語を含む地の文の方が前にあるため、さら にその前の文との文脈的な連続性があり、文脈的に唐突な感じがない。また、発言の後の 地の文は、このひとまとまりの部分を前提として、これに関係する内容が続くことが多い。
このようなことから、発言を指し示す指示語が発言の前にある場合は語りがスムーズに進 行することが多い。また、この形式は一種の倒置法であるため、発言を挿入したというこ とが強調されることになる。
これに対して、【12】は発言挿入を示す指標が後ろにある場合であるが、地の文とそれに 続く発言との間に文脈的に多少の溝が感じられる。
【12】いつそ此儘で夜を明かして仕舞ふかとも思つた。けれども蚊がぶんぶん来る。外で はとても凌ぎ切れない。三四郎はついと立つて、革鞄の中から、キヤラコの襯衣と洋 袴下を出して、それを素肌へ着けて、其上から紺の兵児帯を締めた。それから西洋手 拭を二筋持つた儘蚊帳の中へ這入つた。女は布団の向ふの隅でまだ団扇を動かしてゐ る。
「失礼ですが、私は疳性で他人の蒲団に寐るのが嫌だから……少し蚤除の工夫を遣 るから御免なさい」
三四郎はこんな事を云つて、あらかじめ、敷いてある敷布の余つてゐる端を女の寐 てゐる方へ向けてぐるぐる捲き出した。
(『三四郎』一の四:281)
この例では、発言とその後の地の文で一まとまりになっている。発言の前の地の文と発 言の後の地の文は文脈としては繋がっている。つまり、一まとまりとして見れば文脈の連 続性はある。しかし、発言の前の地の文と発言の間には唐突さがある。それまでは状況の 描写で会話がないのに、何の説明もないまま、発言という語りと質の違うものが提示され たからである。独立発言が挿入されるときに、この場合のように前触れのような地の文が ないと、唐突さの感じられることが多くなる。しかし、この性質を利用して語りや話題に 変化をもたせることもできる。
形式として、この発言を指し示す指示語と「云う」などの引用動詞句が組になって地の 文に示されて、発言が挿入されることが多く見られる。
発言を指し示す指示語は、連体修飾の形で用いられることも多く、次のように発言の引 用を示す動詞句とともに用いられない場合もある。
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【13】 「開けて見たつて何が出て来るものか」
彼の心は此一句でよく代表されてゐた。
(『道草』三十一:92-93)
この場合も、基本的な性格は引用を示す動詞句とともに用いられる場合と同じだが、発 言が地の文から独立している印象がやや強調されるという特徴がある。
3.1.2 引用を示す動詞句がある場合
地の文に発言が挿入されるとき、発言の引用を示す動詞句(例えば、「言う」「聞く」「促 す」など)が現れることが多い。引用構文では、その述部に「~と言った」、「~と聞いた」
などの形で現れるものであるが、独立発言の場合も発言の前後の地の文に現れることが多 い。地の文と発言部分を結ぶものとして、注目すべきものである。
藤田(2000)においては、引用構文における引用動詞句は第Ⅰ類と第Ⅱ類に分けられ、
第Ⅰ類は「述部が引用句の発言・思考と事実上等しい動作・状態を表す」、第Ⅱ類は「述部 が引用句の発言・思考と共存する動作・状態を表す」と規定されているが、本研究では第
Ⅰ類にあたるものを独立発言と地の文とを結ぶ手がかりとして着目し、動詞句だけでなく、
挿入された発言を抽象化している表現を広く取りだし分析の対象とした。このことをもと に、地の文との関係と、発言挿入の必然性とによって、独立発言の段階を考えてみると、
かなり詳しく抽象化する場合から、「言う」などの単に発言があったことを示す程度の抽象 化までさまざまな段階があることがわかった。
最初の段階は、次の下線部の例のように引用表現が詳しく発言を限定している場合であ る。
【14】 健三は黙つてゐた。仕方なしに吉田が相手になつて、何でも儲けるには本に限る やうな事を云つた。
「御祝儀は済んだが、○○が死んだ時後が女丈だもんだから、実は私が本屋に懸け 合ひましてね。それで年々若干と極めて、向ふから収めさせるやうにしたんです」
「へえ、大したもんですな。成程何うも学問をなさる時は、それ丈資金が要るやう で、一寸損な気もしますが、さて仕上げて見ると、つまり其方が利廻りの好い訳にな るんだから、無学のものはとても敵ひませんな」
「結局得ですよ」
彼等の応対は健三に何の興味も与へなかつた。
(『道草』十七:49-50)
この場合、地の文だけである程度の情報が提出されている。【14】の下線部は内容を要約 して「~やうな事」としているので、発言の意図や情報が十分に与えられた抽象化といえ る。この場合は、下線部以後のかぎ括弧「 」部分が具体的発言であるが、この発言部分
(ここでは会話になっている)で重要なのは内容よりもそのいやらしい言い方であり、か りに発言がなくても物語展開上の情報に大きな影響はない。そのくらい発言要約部分は詳 しい。
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最後の段階は、次のような例で、挿入された発言は<云ふ>という動作として抽象化さ れている。
【15】今其所へ行つて見たら定めし驚ろく程変つてゐるだらうと思ひながら、彼はなほ二 十年前の光景を今日の事のやうに考へた。
「ことによると、良人では年始状位まだ出してるかも知れないよ」
健三の帰る時、姉は斯んな事を云つて、暗に比田の戻る迄話して行けと勧めたが、
彼にはそれ程の必要もなかつた。
(『道草』八:24-25)
この場合、発言内容は地の文の抽象化された表現から類推できないので、言い方だけで なく発言の情報自体が物語に関わっている。
ここに示した最初と最後の段階の間に色々な抽象化表現が存在する。長い表現としては、
「其日外出した折の事を食事の時話題に上せた」のように個別的であるが発言内容そのも のにふれていないもの、「言い訳がましい答をした」のように発言の内容にはふれないもの の発言の意図がわかるもの、「談話は中々元へ戻つて来なかつた」のように複数の発言から なる会話の性質を抽象化したものなどがある。比較的短い表現の抽象化としては「催促し た」「促した」のような発言の意図がわかりやすいもの、「斯ういふ述懐が起こつた」「こん な評を加へた」のような発言の意図がそれほどはっきりしないものなどがある。地の文の 引用表現において、発言の意図や性格が詳しく示されればされるほど、発言そのものの情 報としての必要性は減少していくと考えられる。
どの段階にせよ、地の文において発言があったことが示された上に、発言が挿入される。
同じ行為が抽象的と具体的とで二回表現されることになる。しかし、発言部分は地の文に 取り込まれているわけではなく、自立している。この結果、発言と地の文とが並べられる ことによって、物語が展開していくという形式になっている。
この場合の表現特徴は、展開がスピーディにならず、説明的な描写になるということで ある。
発言引用を示す動詞句等がなく説明的でない形式で発言挿入がなされる場合、発言挿入 が自然に感じられるようなコンテクストが必要になる。しかし、引用を示す動詞句等があ る場合は、説明的であるため、コンテクストにそれほど頼らずに発言が挿入できる。この ため、独立発言の中でも、一つの発言だけを挿入する場合や地の文が多い部分で発言が挿 入される場合には、この形式がよく使われる。しかし、発言が連続する場合の、中間の発 言の挿入時にはこの形式はあまり使用されない。このことは、引用構文発言の場合と連続 的であるといえる。
また、地の文に引用を示す指示語はないが引用を示す動詞句がある場合の中には、次の 例のように、独立発言が地の文の中の一部の格にあたると考えられるものがある。
【16】 女はしばし逡巡つた。手に大きな籃を提げてゐる。女の着物は例によつて、分ら ない。ただ何時もの様に光らない丈が眼についた。地が何だかぶつぶつしてゐる。夫 に縞だか模様だかある。その模様が如何にも出鱈目である。