第 5 章 「グローバル資本主義」
第 1 節 現代資本主義の転換をめぐる諸説
第 1 項 現代資本主義の質的転換説
Ⅰ 国家独占資本主義の政策的転換
1 「ケインズ型国家独占資本主義」から「新自由主義型国家独占資本主義」への転換
建部正義は、変化したのは「ケインズ型国家独占資本主義」から「新自由主義型国家独占資本主義」
への転換であり、「国家独占資本主義のグローバル資本主義への転換」ではないとして「グローバル 資本主義」段階規定を批判している。筆者も、転換したのは国家独占資本主義の「型」であり国家 独占資本主義の本質は存続しているとする点において、建部説と同じである。
建部は、「独占資本は、ケインズ主義的政策タイプであれ、市場原理主義的政策タイプであれ、国 家を最大限に利用つくさずにはおかない」し、「国家の支援なしには存続を保障しえない」資本主義 であり、新自由主義型への転換は「国家独占資本主義の枠組みのなかでの試行・巻き返しであろう」
という。そして、「国家独占資本主義のグローバル資本主義への転換」とする鶴田説を批判している
141。その根拠として建部は、①「局面の連続性と断絶性の両側面を視野に入れる」必要があり、②新 自由主義者とマネタリストによる「ケインズ反革命」の周到性と執念の根深さを知る必要性があり、
③新自由主義とグローバリゼーションは相互に対立はしていない、④グローバリゼーションという 概念では推進主体と階級関係があいまいにされる危険性がある、をあげている142。そして、多国籍企 業と国家の角逐なるものは「コップの中の嵐」にすぎず、世界金融危機によって「大手金融機関・多 国籍企業・政府」の癒着関係がはっきりと現れており、金融危機の全貌を解明するためには、タック ス・ヘイブンと先進国の金融センターを含めた多重構造を分析しなければならない、としている143。 建部説は筆者の国家独占資本主義規定と一致するし、世界金融危機からの脱出策として世界の中心 諸国が一斉に国家に最後の拠り所を求めざるをえなかった現実を忠実に反映している。
しかし、建部の国家独占資本主義の「タイプ」の転換が政策次元の区別によって与えられている 点は不十分である。国家独占資本主義の本質関係は変化していないが、その世界体制はグローバル 化の中で大きく変化している。そこに着目して新しい変化を分析しようとするところに「グローバ ル資本主義」論の積極面がある。政策的変化の背後で、旧IMF=GATT体制のもとでの資本蓄積様
140 資本主義の発展段階をめぐる諸説の検討は拙著『資本主義発展の段階理論』(リポジトリ)補 論Ⅰ第1節においてしたので、本章は、1970年代以降の規定をめぐる諸見解を検討した同書の補 論Ⅱの構成を変え、若干加筆修正した。
141 鶴田満彦・長島誠一編『マルクス経済学と現代資本主義』(独占研究会50周年記念出版)桜 井書店、2015年6月、の第8章「国家独占資本主義の現段階」139〜40頁。
142 同上論文、141〜2頁。
143 同上論文、151〜2頁。
式から現代のグローバル化した「グローバル資本蓄積」に変質した。そして変容しながら、「格差と 貧困」や環境破壊のグローバル化などの新しい矛盾を展開している過程を解明する必要がある。ま た、新自由主義と情報通信革命と「経済の金融化」のもとでの「グローバル資本蓄積」の結果とし て、世界金融危機を解明する課題に取り組まなければならない。
2 日本の新自由主義政権の失敗とその帰結としてのアベノミクス
金子勝には現代資 本主義の段階規定や1970年代を境とした現代資本主義の変質規定はないが、日本の新自由主義の 展開とその帰結としての「アベノミクス」失敗を総括的に論じている144。(ⅰ)日本の新自由主義 現代資本主義はバブル循環化しそれによって主流派経済学の有効性は事 実上喪失したとする金子の見解は筆者と同じであるが145、1980 年代のバブル最絶頂期から始まっ た「平成」時代を「失われた30年」として総括しようとしている。その内容は「平成経済衰退」論 であり、日本における新自由主義の展開とその帰結を総括しようとしている点は高く評価できる。
金子の関心は日本の「平成経済の衰退」であるからバブル崩壊後の1990年代以降が主として論じ られているが、世界的な新自由主義との関連でいえば新自由主義政策への転換は1980年代であり、
日本で最初に採用したのは中曽根康弘政権である。
世界的なバブルは金融のグローバル化によって1980年代にはじまったが、日本以外の中心資本 主義国は80年代のバブルそのものは一応克服した。90年代はアメリカではクリントン政権のもと で経済的なヘゲモニーの回復が起こり、「アメリカの一人勝ち」の時代となった。バブル処理におい て日本は失敗し、バブル処理の点では世界の処理政策を「周回遅れ」ではじめた。その分岐点は不 良債権処理が曖昧で不徹底なものであり、だれも責任を取らない「無責任」体制のままに、「構造改 革」路線と「マクロ経済政策」との間を振り子のように揺れ動く政策であった146。
(ⅱ)小泉「構造改革」と地域医療の崩壊 本格的に「周回遅れの新自由主義」政策を採用したの が小泉純一郎政権であった。こうした金子の認識は筆者も同意するが、筆者は「マクロ政策」その ものが「財政バラマキ」政策と金融緩和政策の間を揺れ動いていた考えている。小泉「構造改革」
は新自由主義政策の焼き返しであり、雇用規制の緩和や社会保障費削減は地域間や個人間の格差を 拡大させ、少子高齢化を進行させてしまった。対外的には「円安容認による輸出産業の維持」であ り、アメリカの進めた「対テロ戦争」への積極的関与であり、国内政治は「観客民主主義」ともい うべき「劇場型政治」であった。バブル処理政策としては、90年代と同じく厳格な査定なしに公的 資金を投入した。90年代から総計48兆円の公的資金投入にもかかわらず、不良債権処理の先送り であり誰も責任を取らなかった。小泉政権も1997年からの日銀の「ゼロ金利政策」を踏襲した。
その後の世界金融危機当時のオバマ政権と同じく「大きすぎて潰せない」との判断から、だれの責 任も追及しないで大金融機関を事実上救済した147。
「小泉構造改革」は社会保障費削減政策であり、年金制度は事実上切り下げられ、診療報酬の改 定や臨床研修制度の変更によって地方では医師が不足し、医師の都市部への引きあげによって診療 料・地域緊急医療体制の維持が困難化した。保険料引き上げによって国民健康保険料支払いが停滞 し、介護保険の導入によってかえって医療難民・介護難民が発生し、特養入所資格者の引き上げ(要 介護3以上)によって在宅介護が増大したが、訪問介護の人員は不足する事態が生じた148
(ⅲ)頓挫した地方分権改革と地方財政危機 1990 年代に入って地方分権化政策がはじまり、95 年村山政権のもとで地方分権推進法が整理した。ところが、税収の落ち込みによって地方交付税特 別会計が「隠れ借金」化したので、足らない分を地方自治体に借金させ(「財源対策債」)た。バブ ル処理のための公共事業政策に地方財政を動員したので地方財政が困難化し危機に陥り、地方自治 体の単独事業が不可能となった。国民健康保険や老人保健の特別会計、バス・下水道・公立病院な どの地方公営事業や、観光事業・工業団地・宅地造成などの地域振興のための土地開発公社などの 地方特殊法人の「隠れ借金」が一般会計で補填できなくなった。財政緊縮のもとでの「平成の大合
144 金子勝『平成経済衰退の本質』岩波新書、2019年4月。アベノミックスをアホノミクスと呼び 精力的に批判してきた浜矩子は、非正規労働者の時代の今日こそマルクスに回帰すべきであるとの 問題意識から、「れいわ新選組」とMMT理論を批判し、IT時代の安倍「成長戦略」(「ソサエティ 5.0」)の目指している社会の絶望性を論じながら安倍政権の「新大日本帝国」志向まで総括的に批 判している(浜矩子『強欲「奴隷国家」からの脱却 非正規労働時代をマルクスが読み解いたら』
講談社+α新書、2020年3月)。
145 同上書、92〜3頁。
146 同上書、95頁。
147 同上書、99〜4頁。
148 同上書、104〜9頁。
併」が強行されていった149。
(ⅳ)民主党政権の「失敗」 日本経済は非正規雇用の増加と実質賃金低下と「構造改革」による 地域経済の疲弊によって内需が伸びず、円安による輸出増加に依存していた。世界金融危機(リー マンショック)は円高と株価下落をもたらし、自民党政権を混乱に陥れた。2009年に民主党は選挙 においてマニュフェストを発表して勝利し、民主党政権が成立した。マニュフェストの内容とその 結果を金子は、以下のように要約している。①大型公共事業の廃止と地域主権による社会福祉の充 実案は、財源見通しが甘く、既存の年金や健康保険の反対にあって実現しなかった。「子供手当」と 高校無償化は、恒久財源が不明確で古い福祉の考え方からの批判を浴びた。②自由化要求圧力に対 処するための農業の「個別所得補償」は、国土の7割近くが山林の日本では農業規模の大規模化は できず、結局、「6次産業化」政策を定着させた。③地球温暖化対策としての「日本版グリーンニュ ーディール」においては、「地球温暖化対策のための税」を実施したが税率や税収額はドイツなどと 比較して小さかった。原発政策では「脱原発」政策を出し、「再生可能エネルギーの固体価格買い取 り制度」の導入に成功した。復活した安倍第2次政権はこの民主党政権の「反原発」の姿勢を逆転 させて、原発再稼働・輸出路線と「固定買い取り制度」の「改悪」に戻ってしまったが、今後の「脱 原発」運動への橋頭保は作った。④東アジア共同体構想を打ち出し普天間基地の国外・県外移設方 針を出したが、挫折した。その背後には、日米安保体制の維持と強化をもくろむアメリカの帝国主 義的世界戦略と、それに協力して政権に復帰しようとする自民党の巧妙な画策があったと想像でき る150。
民主党政権への国民の期待は次第に「失望」へと変わり、やがて安倍第2次政権が復活した。安 倍政権の反動的なポピュリズムの危険性についてはこの後に述べるが、民主党政権の「何が問題だ ったのか」について金子は以下のように述べている。①統治経験がなく政策形成能力が不足、②財 源が不明確、③党内対立151。リーマンショックと福島原発事故の発生が民主党政権に不運だった。
(ⅴ)安倍政権とポピュリズム−世界的極右ポピュリズム 新自由主義の進めた格差の拡大による 中心資本主義国内での白人労働者の貧困層が増加した。対テロ戦争による戦争・紛争地域からの移 民・難民の中心資本主義国への流入によって、中心資本主義国内で貧困層と移民・難民の間に分断 と軋轢が生みだされ、中心資本主義国内で移民排斥運動が巻き起こった。大衆のこうした移民排斥 運動は、社会的弱者である移民や難民に向けている大衆的扇動にほかならない。自らの貧困の原因 がグローバル化した資本主義にあることに目を向けず、不満を支配階級たる金融寡頭制に向けない。、 しかし世界の政治指導者たちは、こうした白人層の大衆的不満を煽り立て扇動するポピュリズム政 治に傾斜し、世界的な右傾化がはじまっている。安倍政権もこうした世界的なポピュリズム政治の
「日本版」にほかならない。しかし同時に第2次安倍政権のポピュリズムは、世界的な移民排斥と 極右ポピュリズムと違った戦後日本の政治の動向がある、と金子は分析している。すなわち、職業 団体や中間団体の影響力が低下し、無党派層が拡大し、その結果メディア情報の影響力が増大して きた。1994年の小選挙区制度の導入によって地盤・看板を持つ世襲議員が有利になり、無党派層の 浮動票を獲得するためにメディアを利用した扇動型のポピュリズム(大衆迎合政治)的な選挙手法 が登場した。金子はこのような政治家に、小泉純一郎、元大阪知事・大阪市長の橋本徹、都知事の 小池百合子を例示している。しかし安倍晋三は「扇動型ポピュリズム」手法を使いこなすほどの演 説・答弁能力がないから、「行動しない・投票しない・無力感とニヒリズム」というマイナス感情を 引き出そうとする「特異なポピュリズム」である、と金子は分析している152。
(ⅵ)安倍政権の特異なポピュリズム−「見せかけのポピュリズム」 金子は、安倍の特異性はま ず「バラマキのポピュリズム」にあるとしている。アベノミクスとしての景気政策は「見せかけの 景気」政策であり、日銀の「質的緩和政策」や「年金資金の投資」によって株価を操作し(「官製相 場」)、高株価を先導する。東京オリンピック・パラリンピック・大阪万博などを強引に誘致したサ ーカス政治(人気取り政策)を演じる。日銀の超緩和政策は、中小企業倒産数を減少させて「高景 気感」を作りだし、法人税減税は政府の減収をもたらし企業の内部留保を増大させた153。
また安倍のポピュリズムは「見せかけのポピュリズム」である。「三本の矢」・「女性活躍」・「新三 本の矢」・「一億総活躍」「働き方改革」・「生産性革命」・「人づくり革命」というようなスローガンを 繰り出す「スローガン政治」であるが、そのほとんどが政策目標を達成していない。こうしたスロ
149 同上書、111〜4頁。
150 同上書、115〜8頁。
151 同上書、119〜21頁。
152 同上書、124〜6頁。
153 同上書、127〜9頁。