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多国籍企業のグローバル化―諸説の検討

第 5 章 「グローバル資本主義」

第 2 節 多国籍企業のグローバル化―諸説の検討

「IMF=GATT体制下の国家独占資本主義」は、1960年代後半からのスタグフレーションと70 年代前半の旧IMF国際通貨制度の崩壊をへて、「グローバル資本主義化の国家独占資本主義」に転 化した。本節ではさまざまな「グローバル資本主義」説を検討しながら、グローバル資本主義の実 態を明らかにしていこう255

Ⅰ 国家独占資本主義のグローバル資本主義への転化説

グローバリゼーションは、「国家独占資本主義がグローバル資本主義」に転換した新局面であると 鶴田満彦は規定した256。しかし転換の基礎にある大きな諸変化が指摘されているが、転換の中身や

「必然性」は本格的には展開されていない。そのためには、現代資本主義の国内体制と世界体制の構 造と動態を統一的に解明する必要がある。そもそも、「グローバル資本主義」概念と国家独占資本主 義概念とを「二者択一」的にする必要があるだろうか。両概念は国家独占資本主義としての現代資本 主義の国内体制と世界体制に関する規定である257

「グローバル資本主義」への転換の基礎にある大きな変化として鶴田は、①情報通信技術によるコ ンピュータの小型化・大容量化・低廉化と研究開発を含む生産過程・流通過程・消費過程・社会生活 へのコンピュータの浸透、②情報化・コンピュータ化による労働の多様化・分散化・個別化による雇 用形態の多様化(非正規労働者の急増)と労働運動の弱体化、③「金・ドル交換停止」と変動相場制 導入による金融の自由化・「経済の金融化」・金融危機の頻発、④新自由主義による支配階級の「国家 独占資本主義の福祉国家的側面を削落して低賃金・低福祉化の蓄積体制」を再構築したこと、⑤「新 興工業諸国」の出現(「東アジアの奇跡」)、を挙げている258。しかし、①・②・④は中心資本主義の 国家独占資本主義の内部での技術革新による生産・流通・消費・社会生活や「資本―賃労働」関係の

252 Victor D. Lippit,“Social Structure of Accumulation:The Theoretical Issues”, pp.267-70.

253 Ibid., pp.263-4

254 Ibid.,pp.270-1.

255 本項は拙著『資本主義発展の段階理論』(リポジトリ)補論Ⅱ第5項を追加・訂正したもので ある。

256 鶴田満彦「『資本論』と現代資本主義」(鶴田満彦・長島誠一編『マルクス経済学と現代資本主 義論』の第1章)。なお同書において建部正義は、鶴田説を批判している。

257 清野良榮も、1970年代を境とする資本主義の変化を国家独占資本主義の世界体制とその再編と 規定し、金融肥大化やグローバルスタンダードの背景には国家が存在しているし、新自由主義の規 制緩和政策でも独占資本の効率的・合理的資本蓄積の手段と制度を国家が保障し産業やサービス分 野を提供している。そしてアメリカの通商政策の背後には、アメリカの戦後世界支配の国家戦略が 存在する、と指摘している。清野良榮「現代資本主義の段階規定に関する一考察―グローバリズム とリージョナリズムとの相克」『立命館経済学』第53巻第5・6号(2005年2月)、20〜2頁。

258 同上書、25〜6頁。

変化や国家の政策としての新自由主義の影響であり、それらが世界経済に大きな影響を与えたとし ても、直接に「グローバル資本主義」化の原因とはしがたい。③と⑤が世界経済の大きな変化である が、それによって国家独占資本主義が弱体化とか「消滅」など起こっていない。金融の自由化・「経 済の金融化」・金融危機の頻発はアメリカ主導の「グローバル化」や「金融化」が世界的にもたらし たものであり、「新興工業諸国」の出現は「グローバル資本主義」がもたらした結果であり原因では ない。

鶴田は、最近のイギリスのBrexit(EU離脱)やトランプの米国第一主義の登場による「グローバ ル資本主義の終焉」説を意識しながら、「グローバル資本主義」を再考している259。しかし従来の見 解の「補強」であり、「修正」とか「変更」ではない。1970〜80年代以降の「グローバル資本主義」

論と「金融化資本主義」論を対比しながら、「生産活動のグローバル化に伴う利潤取得」を明らかに する「グローバル資本主義」論のほうが資本主義の構造変化全体を問題にしているとして、「グロー バル資本主義」説を堅持している。しかしそもそも二つの説は「二者択一関係」ではなく、構造変化 全体は現代資本主義の国内体制と世界体制そして生産・流通・信用金融全体の解明によって果たさな ければならない。国家独占資本主義概念を取らない鶴田説でも、「グローバル資本主義」は市場外の 政策や制度に依存している以上、ハイパー(超)グローバリゼーションはBrexitや米国第一主義の ような「一時的反動」をこうむらざるをえないことを認めている。しかしBrexitや米国第一主義は

「一時的反動」ではなく、アメリカが主導したグローバリゼ―ションと対テロ戦争によって発生して おり、移民・難民を排斥しようとする世界的な極右ポピュリズムとして長続きする深刻な事態だと、

筆者は考えている260

Ⅱ 段階としてのグローバル資本主義説

鶴田満彦は「グローバル資本主義」を戦後資本主義の局面転換と規定したが、小澤光利は「国民 経済・国家を超える資本主義の世界大の生産力段階」として新段階と規定している261。1970 年代の スタグフレーションがグローバリゼーション化の契機となったとする点で筆者と同意見であるが、

スタグフレーションの原因については単なる指摘に終わっている。小澤はスタグフレーションは結 果であり、それ以前の国家独占資本主義のもとでの過剰資本温存化の破綻としての恐慌の発現であ ると指摘する以上、国家独占資本主義の動態過程の矛盾であるはずの「軍需インフレ的蓄積体制」

破綻の結果として論証しなければならない。小澤は「グローバル資本主義」を「世界大の生産段階」

と規定するが、生産力や生産様式に変化によって段階規定をするのは疑問であるし、いきなり「世 界大の生産力」に飛躍している。小澤は戦後資本主義は国家独占資本主義段階であり、その世界体 制は IMF=GATT 体制であったと認識しているのだから、依然として国家独占資本主義である現代資 本主義の世界体制が IMF=GATT 体制から「グローバル資本主義」に転換した、としたほうがスッキリ するのではないだろうか。小澤はつぎに検討する重田説に「親近感」を持っているが、重田説では 国家独占資本主義規定がない点をどう評価するのだろうか

Ⅲ 協調的独占資本主義の「グローバル資本主義」への転換説

重田澄男は、「現代資本主義の現局面の規定的形態と歴史的性格」そのものを与えようとする意欲 的かつ論争的な論考を発表している262。その際重田はレーニンの独占資本主義が継続しているか否 かに問題を限定して、「国民経済基盤における独占資本主義論」は、1970年代以降の世界的なメガ コンペティションのもとでの世界市場における競争の全面化によって、存続・維持できなくなると 主張している。その根拠を、「企業形態や市場基盤が変わって市場における寡占的大企業の関連が変 化」し、「参入障壁が乗り越えられて、独占的市場支配力にもとづく独占価格は解体」することに求 めている。重田の指摘する企業形態や市場基盤の変化はたしかに重要であり一層分析されるべきで あるが、それによって変化する「寡占的大企業の関連形態」とは独占資本の相互関係が協調関係か

259 鶴田満彦「グロ−バル資本主義再考」『政経研究』第111号(2018年12月)。鶴田の再考の簡 潔な要約は、独占研究会編『記録集(補遺)』(2019年6月)でなされている。

260 拙著『資本主義発展の段階理論』(リポジトリ)155〜6頁、参照。

261 小澤光利「資本主義発展段階におけるグローバリゼーションの歴史的位置」『経済志林』第77巻 第2号(2009年)、23 頁。

262 重田澄男「(論争)現代資本主義の現局面―規定的形態と歴史的性格」『政経研究』第101号

(2013年12月)。

ら競争関係に変化することである。しかしもともと、「協調と競争」という競争関係の両面を独占資 本は持っているのであり、協調関係から競争関係に変化したからといって独占資本主義という構造 そのものが変化するものではない。

さらに重田は、生産力の新たな発展との関連において「グローバル資本主義」の内容を積極的に 与えている。重田の指摘する「多国籍企業の企業戦略」や「メガコンペティションによる重厚長大 の産業基盤や労働組合運動や福祉国家への溶解的作用」は重視しなければならないが、国家独占資 本主義そのものまでも「溶解」したと断定することはできない。重田は伊藤誠の「逆流仮説」を批 判して、「世界寡占間競争の資本主義」として現局面を規定している。筆者は、これこそ「世界独占 資本主義」であり「世界金融資本主義」にほかならない、と考える。

重田澄男は、「独占資本主義継続」説の代表的見解として北原勇説の検討からはじめている。北原 の見解は、「・・・ひとたび独占段階に到達したならば、その後の資本主義経済においては、寡占企 業間の独占的協調の有無にかかわらず『独占段階は継続』しているとされており、現局面のグロー バル的競争は『独占資本主義』の『世界大の独占再編の時期』における『独占と競争との絡み合い』

の一局面としての事態にすぎない、と理解されている。」、と特徴づけている263。北原説の紹介とし ては正確であるが、筆者は、北原の「世界大の国家独占資本主義」は抽象的すぎて内容がまったく 展開されていないし、「世界大の独占再編」こそ解明されるべき課題であると考えている。重田は、

「国民経済基盤における独占資本主義論」は1960年代まではあてはまるが、1970年代以降の資本 主義のグローバルな展開はアメリカ国籍企業によるグローバルなメガコンペティションの資本主義 への転換であり、世界市場における競争の全面化は「産業独占体の解体」である、と主張する。す なわち、「独占資本主義の生産的基盤を継続的に引き継いでも、企業形態や市場基盤が変わって市場 における寡占的大企業の関連形態が変化する場合には「独占」は存続・維持しえないことになる。」 し、「・・・国民経済基盤における参入障壁は、世界経済基盤における世界寡占としての多国籍企業 の浸食によって乗り越えられて、国民経済的市場において参入障壁に支えられた独占的市場支配力 に基く独占価格は解体することになる。」264。しかし、「企業形態や市場基盤が変わって市場におけ る寡占的大企業の関連形態が変化する場合には『独占』は存続・維持しえない」といえるだろうか。

重田説では「寡占的大企業の関連形態」は「協調的関係」として固定的に捉えられているように思 えるし、「参入諸壁が乗り越えられ」ると「独占的市場支配力に基づく独占価格は解体」するだろう か。参入障壁が存在することによって競争は制限されるが、競争は消滅するのではなく形態変化す るのであり、参入が実現する場合もある。その場合には、参入以前の独占企業関係の力関係は変化 するし、参入障壁の変化(弱体化)は生じるが、参入障壁自体は存続し独占価格体系は解体しない。

しかし重田はさらに、「劇的な興隆と衰退の様相」とか「『独占』なき『寡占』としての多国籍企業」

といっているが、独占資本主義の競争的局面では「興隆や衰退」はたえず生じていたし、独占資本 のそもそもの正常的状態は「完全独占」ではなく「寡占」(少数独占資本の支配)である。重田説で の独占観は一面的すぎる。しかし重田は、「グローバル資本主義の現代における世界寡占としての多 国籍企業の価格設定は、相互の競争相手の多国籍企業の追い落としのために、低価格販売と新製品 のイノベーションによる市場拡大を図ろうとする」という265。低価格販売はたしかに寡占間の関係 が「競争的関係」に変化すれば生じる。「イノベーションによる市場拡大」志向は、「マーケット・

シェア」競争としてたえず起こっているのが独占資本主義の常態である。そもそも寡占の現存を認 めている以上、独占資本主義が存続していることになる266

重田は積極的に、「グローバル資本主義」の内容を生産力の新たな発展との関連において与えてい る。すなわち、世界経済における多国籍企業の企業戦略は、①世界の最適地での生産、販売や、部 品調達、研究開発の体制といった世界にまたがる生産戦略と世界市場をにらんだ事業展開、②低競 争力事業の切り捨てや製品分野ごとの寡占化といった得意分野を徹底的に絞り込む戦略、③M&A による企業規模の拡大、④市場支配力を握ったのちにも続ける自己技術革新の開発、⑤企業内容の 多様化・転換・専門家のスピーディな展開、と特徴づけている267。そして、「このグローバル資本主

263 同上論文、51頁。

264 同上論文、49頁。

265 同上論文、50頁。

266 独占資本主義体制としての日本経済も、「グローバル資本主義」のメガ・コンペティションの もとで再編過程にある。しかし独占資本主義ではなくなったのではまったくないし、メガバンク化 と大企業の企業集団を超えた再編によって六大企業集団は崩壊したが、かえって産業面でも金融面 でも寡占体制は強化されてきた(鈴木健『六大企業集団の崩壊』新日本出版社、2008年、参照)。

267 同上論文、54~55頁。