第 9 章 グローバル資本蓄積の構造的矛盾
第 5 節 「グローバル社会主義」へ向けて
Ⅳ カタストロフィーとしての原発事故―脱原発の社会経済システム 656
ⅰ 「災害便乗型復興」か「災害ユートピア型復興」か 東日本大震災のほうが「一段落」してい くことに応じてさまざまな復興プランや委員会が創られてきたが、問題は金融寡頭制側の「復興」
路線(「災害便乗型資本主義」)か、「労働・生活・環境」側の「社会経済システム」の建設路線(「災 害ユートピア」)かにある。大震災以後の社会展望として、協同(組合)やコミュニティの建設や共 同自治体や自然との共生社会などが提起されている。筆者は、地域住民や地方自治体が参加し主体 となるような再生計画でなければならないと考える。そのためにこそ、「維持可能な社会」や「中間 システム」や「エコロジカル社会主義」のビジョンを具体化していかなければならない。それと同 時に原発災害からの復興は、原発維持・推進・輸出の「災害便乗型復興」を批判し、脱原発社会の 建設ビジョンを明確に描き出す努力をしなければならない。いま求められていることは、全体状況 を考え、そして原発事故が再発しないような対策とそのための社会経済システムを創り出すことで ある。それと同時に、環境破壊と人類の生存の危機という観点からみれば原発と原爆とは同根の「悪 魔」であり、核廃絶と共に原発廃止を明確化することが緊急な人類史的課題である。
ⅱ 『社会経済システムの転換としての復興計画』の問題意識と構成 筆者の基本視点は次のよう になる。原爆も原発もゼロにすべきであり、原発は高度に複雑な管理能力が要求されている技術体 系にもかかわらず、将来的にも未熟なものである。これを原爆と一対の怪物だという人もいる。だ から技術的には、原発という複雑な技術体系全体のシステムを検討しなければいけない。しかし、
原発というシステム全体の危険性なり特性というものを論じた文献は少ない。それと同時に脱原発 の工程を、複雑・怪奇でかつ「モヤとしている」現代の社会システム全体の中で考えていかなけれ ばいけない。筆者は『エコロジカル・マルクス経済学』でもって、環境破壊と経済危機とは同じ資 本蓄積過程が生み出していると展開した。その後さらに『社会科学入門』で、生産力概念を本源的 生産の領域だけに限定せず、人間そのものを育てる活動や、あるいは社会そのものに、さらに我々 の精神的活動の領域にまで拡大して、いわば全体的なシステム論を展開した。3.11というのは、い ままでお前が言ってきたことからいったいどう説明するのか、ということを突きつけられたような ものであった。私にとってのそれがいわば「3.11ショック」となってきた。そこから急遽「にわか 勉強」をはじめたが、その生々しい記録にまとめたのが『社会経済システムの転換としての復興計 画』で、今日の報告はそれを「脱原発の社会経済システム」と絞ったものになる。
この書物の構成は次のようになる。0原発事故が問いかけるものは何か、Ⅰ災害ユートピア、Ⅱ 福島第一原発事故の原因と背景、Ⅲ原子力ファシズム、Ⅳ緊急の復興計画、Ⅴ本源的自然との共生 社会の建設、Ⅵ産業構造の転換、Ⅶ「原子力村」との戦い、Ⅷ新しい社会経済システム。
1 原発事故の基本性格と社会的背景
ⅰ 原発過酷事故の基本性格 この事故を基本的にどうとらえるべきか。この原発事故は典型的な 環境破壊であり複合公害である。まず、巨大なタンクが爆発したと同じような産業公害であり、か つそれとは比較できないほどの巨大なエネルギーが放出された。次は原発事故を抑え込むためにそ こで働く人々の被曝であり、職業病のような労働災害でもある。放射能を外部環境に放出し拡散し てしまったから、そこに住む地域住民たちの生活公害でもある。それと同時に原発は国策として進 められてきたから、国家そのものが引き起こす戦争とか戦争災害とか被曝と同じような権力公害で もある。このように典型的な複合公害であるともに、カタストロフィ的性格を持つことをまず実態 的に抑えておくことが必要である。
この原発事故は戦後の日本資本主義そのものがもたらした。アメリカのモルガンやロックフェラ ーという大財閥やヨーロッパのロスチャイルド大財閥は原爆製造と戦後の核実験によって大儲けを した。ビキニでの水爆実験直後にアメリカ大統領アイゼンフワーの国連での「原子力の平和利用」
演説があり、これらの大財閥傘下の国際原子力産業独占体は「原子力神話」を宣伝しながら、国際 的な原発路線を推進していった。これの呼応するように中曽根康弘や正力松太郎たちの政治主導の もとに、原発予算が作られ科学技術庁が設立されていった。戦後10 年ぐらいたって「もはや戦後 ではない」といわれた高度経済成長がはじまる頃に原発を導入しようという計画もはじまる。原子 力を営利目的に使用する計画がはじまり、各財閥でいろいろな原子力関係の委員会が作られた。最 終的には、東京電力―GE―日立・東芝という系列と関西電力―ウェスチングハウス―三菱重工業と いう系列になった。そして、美浜の原発と福島の原発へとつながっていった。70年代に石油ショッ クが起こり省エネの花形として原発ラッシュが起こり、83年までに21基も作られた。1979年にス
656 本稿は、独占研究会(2013年9月28日)で報告(『作品集への案内』第1分冊所収)したものを 若干加筆・訂正・削除し、順序を変更したものである。
リーマイル島の原発事故、1986年にチェルノブイリの原発事故が起こったのに、80年代14基90 年代13 基と作られていった。このように、原発は日本資本主義が作っていたのであり、それが事 故を起こし日本資本主義に大打撃を与え、脱原発の国民世論との鋭い対立・亀裂を生みだしてしま った。
これはまさに日本の国家独占資本主義の無責任体制がもたらしたものにほかならない。すでに 1992年に「30分以上の全電源喪失事故を想定する必要は無い」という指針を原子力安全委員会は 出している。3.11直前においても、貞観地震のような大地震や大津波が起こることが学会や政府の 地震対策本部などから警告されていたが、十分な安全対策がなされないままに3.11になってしまっ た。国会事故調の表現を使えば、「規制当局が東京電力の虜」になってしまっていたわけであり、ま さに無責任体制がもたらしたものにほかならない。
ⅱ 原発事故の社会的背景 我々としては原発事故の経済学的・社会科学的な背景を分析していか なければならない。原子力の平和利用というのは幻想であり、もともと軍事利用とセットで進めら れてきた。もともとアメリカがそうで、日本でも岸=佐藤に代表されるように核武装の潜在的能力 を確保しようという意図が隠されていた。岸は国会で「自衛のためには核兵器を持てる」と答弁し たが、それは未だに日本政府の公式な見解となっている。原発はこの間、スリーマイル島・チェル ノブイリ・福島第1と、約30年間に3回も過酷事故が起こっているのだから、これからは起こら ないだろうなどというのは馬鹿げている。原発は軍事に転用されるから悪いというだけではなくて、
平時に運転されていてもひとたび暴走すれば取り返しのつかないような破壊を環境と人間に及ぼす。
次は、原発にも資本の論理が貫徹しているということである。たとえば野田政権は環境・エネル ギー会議で2030年までに原発ゼロという方針をかろうじて出したが、閣議決定は避けてしまった。
財界3団体は早速反対声明を出し、アメリカ政府筋は日本政府に圧力をかけてきた。原発再稼働は 財界全体の存亡にかかわる問題であることを証明している。「原子力村」が戦犯であり、利権や人脈 などの利害関係で結びついたムラ社会であり、「原子力神話」を宣伝し国民を騙ましてきた。
それから、現場の人たち、政府の規制機関の人たち、そして原発被災者の人たちが協力しあって 頑張っていたにもかかわらず、政府中枢は機能不全に陥ってしまった。むしろパニックに官邸自身 が陥っていた。いわゆる「エリート・パニック」である。私は、菅政権は明らかに初動ミスを犯し たと判断している。事業者としての東京電力はリスクを認識しながら対策を講じなかった。これは 各種の事故調査が共通に指摘しているところでもある。福島の被災者を中心として東電告訴団が形 成されが、検察当局は当事者たちの刑事責任を追及できないという結論をだした。しかし、原発告 訴団は汚染水問題で公害防止基本法に違反しているのではないかと、再度提訴している。検察審査 会は再度「刑事責任を問うべきである」と判断をしたので、東電幹部の刑事裁判が開始されること になった。各種の事故調査報告書はさまざまな食い違いや対立があるが、少なくともそこで指摘さ れている諸問題をクリアできなければ再稼働は認められないはずである。新潟県の泉田知事が柏崎 刈羽原発について発言していることが正しい。原発事故は全く収束していないのに再稼働に踏み切 ってしまったのが大飯原発である。脱原発の旗手の小出裕章によれば、大飯原発は全く無防備な原 発であるという。『週刊朝日』は、大飯原発再稼働は国家的詐欺であるとまで批判している。そして 3・4号機の設置許可の取り消しを求めた近畿6府県や福井県の住民約130人の訴訟に対して、大 阪地方裁判所は規制委の判断は「看過しがたい不合理がある」として許可を取り消した(2020年12 月4日)。
安部政権は原発再稼働・輸出政策に戻ってしまい、それに呼応して原子力規制委員会は再稼働申 請原発の「新規制基準」による審査を開始し、電力会社は5基の廃炉方針を決定した。原子力規制 委員会は2015年に川内原発と伊方原発と高浜原発が「新規制基準」に合格審査を出してしまい、
2015年8月11日には川内原発は再稼働されるに至っている。「新規制基準」自体にいろいろな問 題が残されており、福島原発並みの災害を予防できるようなものでは全くないことを強調せざるを 得ない。
原子力規制委員会の5人の委員はすべて原発推進論者であり公平性に欠ける。新審査基準は過酷 事故対策として、(1)地震対策(40万年前にさかのぼり、地下の立体構造なども詳しく調べる)、
(2)津波対策(耐震性の高い最大津波を防ぐ防潮堤防、水密扉)、(3)火災対策(ケーブルの難熱
化、防火扉)、(4)重大事故対策(遠隔操作ができるバックアップ装置)、(5)最後の砦対策(フィ ルターつきベント、全電源が喪失しても原子炉を冷やせる電源車・注水車・緊急時対策所の設置)
を打ち出してはいるが、その問題性は、(1)原子炉そのものの複雑でコントロール不可能となる危 険性が考慮されていない(原子炉そのものの安全性)、(2)大地震・巨大津波が押し寄せることに よって、狭い原発敷地内が同時に破壊される危険性(多重防護機能の一挙破壊)、などが考慮され ていない。(3) 原子力規制委員会は最近、全国の原発で福島第一原発級の過酷事故が生じた場合、