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現代におけるアイヌ衣服およびその文様の特徴と位置付け

第 5 章 資料からみたアイヌ衣服における文様の地域的比 較

第 6 節 現代におけるアイヌ衣服およびその文様の特徴と位置付け

第3章第1節でも述べたように、18世紀頃においては、文献をみると、木綿衣とくに刺 繍入りのものは貴重品であり、所持していることで威信としての役割があった。一方で、

樹皮衣は北海道に居住するアイヌを中心に、主に日常着として着用されていた。しかし、

現在では、木綿衣よりも樹皮衣の方が貴重とされている。その理由として考えられるのは、

樹皮衣の製作者が圧倒的に少ないことである。

アイヌ衣服は、現代においても製作が続いている。製作方法は、切伏などのアップリケ、

刺繍などの大まかな方法は変化していないが、細かな技法に関しては現在では確認できな いものもある。例えば、木村資料の樹皮衣に施されている「点線刺繍(返し縫い)」はその 一つとして挙げられる。樹皮衣は木綿衣よりも目が粗く、糸が抜けやすいため、縫い留め るためにも返し縫いが行われている。この技法は、現在ではなくなっているとされる(公益 財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構編2017:189)。

一方で、置布の角を尖らせた技法は、現在まで継承されている技法である。アイヌ語で

「キラウ(角)」は、シカの角や植物の棘をいい、置布の角の縫い取りを長く伸ばす刺繍も 同様に「キラウ」といわれている(津田 2011:11)。「オホヤンケ」に関しても同様であり、

現在では「オホ(くさり縫いをする)」という意味で、運針の種類の一つとされている(津田 2011:11)。

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こうした技法が継承される中で、現在のアイヌ衣服とくに木綿衣は、芸術作品として工 芸家たちによって自由な文様が衣服に施されている。資料編、第62図~第66 図に挙げた ように、様々な衣服および装飾品に文様が付されている。その他、工芸品に関しては、と くに沙流川、二風谷の職人たちによる品が多い印象を受ける。工芸品には、イタ(木製のお 盆)、ペンダント、テーブルセンター、カードケース、コインケース、コースターなど、様々 な品に文様が施され、販売されている。苗字が同じ職人も多いことから、二風谷における 民芸品販売の組織体系は、おおむね血族であると推察される。

アイヌ衣服は、素地となる布の入手のし易さや、情報の発達によって文様デザインが広 く知られ、現在では様々な地域の要素が含まれた衣服が製作されている。そのため、第 5 章で述べたような北海道内におけるアイヌ居住地区(地域)ごとの文様構成の特徴が、現在、

作り手によって様々な特徴が混在した衣服が作られており、地域性の希薄化が問題になっ ている。

近年、純粋なアイヌ民族が減少する一方で、衣服における文様装飾に関しても地域に沿 った伝統的なかたちが失われていく危機的状況にあるといえる。こうした中で、失われて いくアイヌ文化の中の一つである、衣服およびその文様に関しても、伝統的なかたちを出 来る限り正確に継承していくことが今後、重要な課題である。

アイヌ関係の資料は、現在では博物館や美術館に展示・保存されているものが多い。古 くには日常的に使用されていたイナウなどの道具も、現在では祭りなどのイベント事業で 用いられることを除いて、日常的に使用される事はない。現在、北海道や首都圏その他に おいて生活しているアイヌは、正確な数は分からないものの、和人と同様の生活を送って いる。そのため、18 世紀頃に和人が記した文献や絵画、調査報告書に残るイオマンテなど の伝統的儀礼の文化は失われ、現在行われている祭りに関しても本来の姿とはかけ離れて いる。例えば、資料編第67図のポスターような阿寒町で行われている「イオマンテの火ま つり」は、イオマンテにおいて最大の特徴ともいえるクマが一度も出ることはなく、火の 神へのカムイノミ、アイヌの伝統楽器であるムックリやトンコリの演奏、アイヌ古式舞踊 といった内容のみの上演となっている。上演内容は以下の通りである。

イオマンテの火まつりの流れ (約 30 分)平成 27 年 8 月 14 日見学

① 火の周りで祈り(オンカミ)。女性3人。

② ①の続きで踊り。手拍子とムックリ(楽器)演奏。女性6人。

③ 剣の舞。男性2人。

④ 釧路・阿寒の黒髪の舞(フッタレチュイ)。歌・手拍子・踊り。女性6人。

⑤ 踊り比べ。観客を交えての踊り。

また、舞台の中央には大道具としてヌサ(祭壇)のようなものが設置されていたが、実際に それを使用して何かを行う場面はなかった。これは演出上の雰囲気作りの為の大道具と考 えられる。どの歌や踊りもイオマンテの時に行う神に捧げる歌舞を中心に演奏していた。

また、「イオマンテの火まつり」の中でも踊られる、アイヌ古式舞踊(国指定重要無形民俗文

129 化財)には、以下のような踊りがある39)。 イヨマンテリムセ 熊の霊送りの踊り

イオマンテの儀礼の際に踊られる踊り。リムセは踊りを意味する(アイヌ民族博物館 1993:2)。

フンペリムセ 鯨の踊り

色々な理由で海岸に打ち上げられたフンペ(クジラsubordo Cetacea)はアイヌの貴重な食 料となった。さらに沢山のフンペが打ち上げられることを祈って踊られる。踊りの内容は、

フンペが浜に上がっているのを見つけた老婆が大声で知らせ、村人たちとカラス(ハシブト

ガラスCorvus macrorhynchosなど)が集ってくる。村人の手でフンペが解体され、カラス

がおこぼれを貰いたそうに見つめている(アイヌ民族博物館1993:4)。

ハンチカプリムセ 水鳥の舞

湖面に浮かぶチカプ(水鳥)の動きをモチーフとした踊り。数人が1組となって2つのグル ープを作り、手足を優雅に動かしながら互いの踊りを競い合う(アイヌ民族博物館1993:5)。

サロルンチカプリムセ 鶴の舞

サロルンチカプはツル(Grus japonensis)のことをいう。湿原に集うツルの生態を表した 踊りで、4人1 組で踊る。ツルの羽ばたきが主なモチーフとなっている(アイヌ民族博物館 1993:6)。

エムシリムセ 剣の舞

男性がエムシ(刃)を振りかざして踊る。災害や病気など、人間に不幸をもたらす悪い神を 威嚇して追い払う(アイヌ民族博物館1993:7)。

クーリムセ 弓の舞

クーは弓のことをいう。儀礼の時に踊る勇ましい踊り。村や家の中にいる悪い神を追い 払うために踊る(アイヌ民族博物館1993:8)。

ムックリ 口琴

ムックリはマウスハープの一種で、竹と糸で作られる。親クマが子クマを呼ぶ声、水・

風、鳥の声など多様に表現される(アイヌ民族博物館1993:9)。

ウポポ 座り唄

儀礼の時に余興として唄われる。ウポポは通常座って歌われる。木製の容器の蓋(直径40

~70cm)を中心に置き、女性が輪になって座り、その蓋を叩きながら輪唱する(アイヌ民族 博物館1993:10)。

イユタウポポ きねつき唄

穀物をイユタ(つく)して粉にしたり、殻を取り除く時に唄われるもの。3人1組のつき手 が掛け声として輪唱で唄う(アイヌ民族博物館1993:11)。

ヤイサマネナ 叙情詩

喜び、悲しみ、愛など人間の心の動きを表す叙情詩。歌い手は自分のメロディーで自作 の詩を唄う。現在はそのうちのいくつかが固定して伝承されている(アイヌ民族博物館

130 1993:12)。

イフムケ 子守り唄

子守り唄。パッカィタラ(赤ん坊を背負う為の編紐)で背負った赤ん坊や、シンタ(揺りか ご)に眠る赤ん坊の為に母親が優しく囁くように唄う(アイヌ民族博物館1993:13)。

ピリカの唄

ピリカ ピリカ (ピリカ ピリカ)

タント シリ ピリカ (今日は 良い日だよ) イナンクル ピリカ (良い子が いるよ) ヌムケ クスネ (その子は 誰よ) ヌムケ クスネ (その子は 誰よ)

子どもの遊び唄。子どもたちが輪を作り、この唄を唄う。1人が布きれを持って輪の外側 を回り、輪を作っている子どもの1人にひそかに布きれを付ける。1920年頃には、現代風 に編曲された(アイヌ民族博物館1993:14)。

オッチケリムセ 盆送り

数人の女性が輪になって座り、ウポポを唄いながらオッチケ(盆)を回し合うもので、儀礼 の時などの余興として行われる(アイヌ民族博物館1993:15)。

タプカラ 踏舞

儀礼の時などに男性が演じるもの。男性が立って炉の周りを力強く歩きながら感謝の言 葉を述べる(アイヌ民族博物館1993:16)。

このようなアイヌ古式舞踊の特徴は、自然の幸を祈願するように動植物の動作を模倣し て呪術的要素を含んでいる。この他にも、労働と関係した踊りや唄、人間の悲哀の心情を 即興的に歌い上げるもの、余興的に行われる競い唄なども存在するが、いずれも種類・数 が豊富で、各地方独特なものがある(アイヌ民族博物館1993:1)。

上述のような現在のイオマンテに対して、今日まで一般にアイヌ文化としての「イオマ ンテ」と認識されている儀礼は下記のようなかたちである。

日高地方 沙流郡平取町 二風谷村でのイオマンテ

沙流郡平取町・二風谷村は、北海道の南岸に位置し、沙流川沿いにあった集落はアイヌ の中でも特に伝統に誇りを持っている人々であった。この地域でのイオマンテは、他の地 域に比べてより厳粛で複雑なしきたりがあったとされている(伊福部 1969:9-12)。沙流川流 域に居住していたアイヌのイオマンテの主な流れは以下の通りである(伊福部 1969:13)。

1. 前夜祭 2. 本祭第1日

(1) 神祈(カムイノミ)その1 (2) 熊の檻出しから射殺まで (3) 熊の解体

131 (4) 神祈(カムイノミ)その2

(5) 大饗宴 3. 本祭第2日 (1) クマ肉の饗応

(2) 頭拵え(皮の付いた頭を頭蓋骨から離し、肉を取り去って削り花(木材で作った造花)で 飾る)。

(3) 魂送り 4. 本祭第3日

まず、前夜祭では司祭者が火の神に対して酒を捧げ、お祈りの言葉を述べる。火の神は アイヌを初め、万物を育てる神とされている。本祭の 1 日目には神へ祝詞を捧げるカムイ ノミが行われ、火の神・日常使っている湧水の神・クマの神などに礼拝をする。祈りの言 葉の内容は、以下の通りである。

火の神に対して

「火の神のお力によって、神の子としてお預かりした熊を無事育てることができ、熊祭の 日を迎えることができたことは何より幸せであります。明日はいよいよ神の国へお返しい たしますから、無事に神の国なる親元に帰ることができますようにお守り下さい。熊祭の 間、客人や村人たちに怪我などなく無事に終わるようお守り下さい。儀式をよくわきまえ ていない私のいたすところですから、間違いや至らぬところもあるでしょうが、何卒お咎 めなくお許し下さるよう、また判らぬところはよくお教え下さるようお願い致します」(伊 福部1969:38-39)

熊の子の守り神(スツイナウカムイ)に対して

「スツイナウカムイのご守護によって、クマは無事息災に育ち、クマ祭の日を迎えること ができました。この上はクマ祭が無事に終わりますよう、式場で人を傷つけたりさせない ように熊を守って下さい」(伊福部1969:39)

熊に対して

「火の神および守り神のお力によって、無事に今日まで育つことができて何より幸せであ りました。いよいよお前を神の国にお送りする日が参りました。神々や神の国のご両親に お贈りするイナウや酒や供物も十分に手落ちなく用意された筈であります。どうぞよろこ んで両親のもとに帰って下さい。そしてまた復活して前以上に沢山のお土産を持って私共 のところを訪ねて下さい。祭の最中にもし誤って人を傷つけるようなことがあっては折角 の心尽くしのお土産も戴くことが難しくなりますから、火の神や守り神の教えをよく守っ て、過ちのないようにして下さい」(伊福部1969:39)

次に、クマの檻出しが行われて、矢の先端に赤い布などを結びつけた花矢と呼ばれる矢 がクマに向けて放たれる。この花矢はクマを殺すためのものではなく、人と神との間の使 者またはクマの土産になるものと考えられている。その後、1本の矢で心臓を射抜かれ射殺 され、クマが死んだ後は大木でクマの首を挟む絞殺が行われる。その後、クマの解体が行