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アイヌ衣服はその素材から、資料編第13図のように、主に2種類に分類できる。1つ目 が自製材料によるもので、2つ目が輸入材料によるものである。

自製材料によるものには、獣皮衣・腸衣・鳥皮衣・魚皮衣・草皮衣・樹皮衣などが挙げ られる。獣皮衣は、クマ、シカ、キツネ(キタキツネVulpes vulpes schrencki)、イヌ(北海 道犬Canis lupus familiaris)、ウサギ(エゾユキウサギLepus timidus ainuなど)、その他 アザラシなど海獣の毛皮を皮の柔い内に縫い合わせて作るものである(荒井,村中1961:12)。

腸衣は、アザラシの腸を縫い合わせて作った衣服とされている。鳥皮衣は、マガモ、ワシ など、主に水鳥の羽皮で作られたものである(荒井,村中1961:12)。魚皮衣は、サケ、イト ウの皮を用いる。サケ 50 尾以上の皮を必要とし、背と腹の色違いを利用して美しく接ぎ、

ヒレの部分の穴には丸く模様のように見える接を入れる。また、魚皮で靴を作ることもあ り、とくにサケの皮の靴は軽く、履き心地が良かったため、1年くらいは履くことが出来た とされている(荒井,村中1961:12)。草皮衣は、草(ハマニンニクElymus mollis Trin.別名 テンキグサ)あるいは榀(「こまい」と読み、シナノキを指す)の樹皮を編み、蓑代わりに着 用したものである。下着にクマの毛皮をまとい、その上にテンキグサ(北方海岸砂地に密生 する)で編まれたケラ(kera)という胴着を着用する。また、ハヨクペと呼ばれるトドの皮や イタヤ(Acer pictum Thunb. Subsp. Mono (Maxim.) H. Ohashi,1993)の樹皮および獣皮を まとった、一見大和民族の古代武装の鎧のように固い胴着風のものや、比較的柔く織られ たものもあったとされている。これらの胴服的なものは、古代のアイヌの平常服であり仕 事着であり、また戦の場合の護身具でもあったとされている(荒井,村中1961:12)。樹皮衣 は、オヒョウニレやシナノキ、ハルニレなどの樹木の内皮から取った繊維で糸を作り、そ れを使って織られた反物で縫った着物で、一般にアットゥなどと呼ばれる衣服である。袖 口、裾まわり、襟には幅の狭い木綿の布を切り伏せし、その上から色糸で刺繍を施す。布 地は無地が多いが、時には黒、茶、白などの糸で縦縞にすることもある。耐水性に優れて おり、丈夫な事から大和民族にも珍重され、本州の漁師たちの衣服にも用いられた

(2016.9.10アイヌ民族博物館、学芸員からの聞き取りによる)。

輸入材料によるものは、山靼(山丹)服と呼ばれる樺太をへて北海道に入ってきた服で、多 くは唐草、雲竜風の刺繍が施され、色糸、金銀糸によって作られている。山靼錦、蝦夷錦、

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襤褄錦(つづれのにしき)とも言われ、中国形式のものが多い(荒井,村中 1961:13)。陣羽織 は、本邦の陣羽織を交易または褒賞として得ていた物であり、アットゥの上に羽織り、男 性は儀礼の際に威儀を正したとされる。近年では、アットゥを持っている人が少ないため か、刺繍衣または切伏衣の上にこれを羽織り、正装としている(荒井,村中1961:15)。木綿 衣は、木綿の長着のことである。切伏も刺繍もない手製の平常用の木綿の衣服で、大和民 族との交易により入手したものであるとされる。交易によって得た木綿の和服の上に白ま たは黒の布を主体に、その他の色はとり合わせ程度に配置してとじ付けて刺繍を施した衣 服のことで、諸儀式の時に礼服として着ていたとされる。

上述のように、アイヌの衣服の種類は、本州やその他との交易により得たものを含めて 10種程度で、資源の乏しかった寒冷未開拓の地でアイヌは身近に得られるあらゆる資源を 利用していた(荒井・村中1961:15)。

ただし、先述した衣服の中で、文様入り衣服は現在でも製作はされているものの、祭事 や観光イベントを除いた普段の日常生活の中では、全く着用はされていない。アイヌは現 在、大和民族と同じ生活を営んでおり、衣服も同様である。樹皮衣やアイヌの伝統的な文 様入り衣服が実生活でも着用されていた時期は、日本史時代区分でいう近世、近代頃まで である。それ以降は、大和民族による強制移住や同化政策などにより、アイヌ衣服の文様 を含めた古俗が徐々に失われていった。

このようなアイヌ衣服の中で、「文様入り衣服」に当たるものは、主に木綿衣や樹皮衣で ある。とくに、木綿衣は、アイヌ居住地区(地域)ごとに異なった切布文様や刺繍によって文 様が形作られて木綿衣に施されている。それぞれ名称も付いており、資料編第 4 表のよう に、地域によって呼び方も様々である。

アイヌでは獣皮衣、魚皮衣といった動物質の衣服への刺繍或いは切伏は見られず、文様 入りの衣服は植物質の樹皮衣や草衣にのみ見られる。これは、魚皮衣に刺繍やアップリケ、

装飾品を施す日本周辺の北方民族とは異なった文化であるといえる。アイヌ民族博物館で の聞き取りおよび展示解説を参考にすると、文様が施される衣服とその名称・分布は以下 の通りである(2016.9.10アイヌ民族博物館 学芸員からの聞き取りおよび展示解説)。

ルウンペ ruunpe ※ru-un-pe=道、細いものが-ある-もの。

北海道噴火湾沿いに位置する渡島お し ま地方八雲や く も、胆振い ぶ り地方虻田あ ぶ た、白老といった北海道南西部 から太平洋沿岸のアイヌが着ていたもので、手の込んだ最も美しい衣服(礼服)とされている。

木綿地の衣服には絹や更紗、小袖の端裂、木綿の古裂などの切り伏せや刺繍によって独特 の文様があしらわれ、古いものにはイラクサなどの繊維で作った糸が使われている。

カパラミプ kaparamip※kapara-amip=薄い、着物(津田 2011:4)。

大幅の白布に切り抜きの文様を作り、木綿の生地に張り付けた衣服である。北海道太平 洋岸の日高地方東部に多くみられる木綿衣で、明治時代から大正時代に白い大幅の布が手 に入るようになり、日高地方静内しずない辺りが発祥と言われている。比較的新しく、現存するア イヌ衣服の中では最も多く残されている。

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チヂリ ciciri※日本語の「ツヅレ」が「チヂリ」に転訛したと考えられている(津田 2011:

5)。

チヂリ(又はチンヂリ)は切伏を置かずに刺繍だけで模様を作る木綿衣である。木綿地の衣 服の中には和服の古着もあり、それに刺繍を施したものもある。切伏は下地の補強にもな っており、チヂリは大きな布や和服が手に入りやすい時代に作られたと考えられている。

刺繍文様の付け方で、十勝地方、日高地方静内、上川地方などいくつかの地方に分類でき る。

チカラカラペ cikarkarpe ※ci-karkar-pe=我々、作りに作った、もの(津田 2011:5)。

直線裁ちの布で作る切伏模様の上に刺繍を施した木綿衣である。北海道のほぼ全域に見 られ、アイヌ居住地区(地域)によって下地の布や切伏模様や手法に違いがある。カパラミプ の要素を持ったものもある。古いチカラカラペには、樹皮を使って衣服に仕立てたもの、

浴衣地などの柔らかい生地を使ったもの、男物の和服そのままに模様を施したものなどが ある。

テタラペ tetarape ※teara-pe=白い-もの。

テタラペ(又はレタㇻペ)はイラクサやツルウメモドキの繊維で織った布から作った衣服で、

主に樺太アイヌが伝統的な礼服として着ていた。アットゥに比べて白っぽいものに仕上が る事から、「テタラペ(白いもの)」と呼ばれる。衣服の形には中国、刺繍文様にはウイルタ、

ニブフ(ギリヤーク)など樺太アイヌの近隣の民族の影響が認められており、北海道に居住す るアイヌの物とは異なった独自性が見られるとされている。

アットゥ attus ※at-rus=オヒョウ皮の-毛皮。

オヒョウニレやシナノキ、ハルニレなどの樹木の内皮から取った繊維で糸を作り、それ を使って織られた反物で縫った着物である。袖口、裾まわり、襟には幅の狭い木綿の布を 切り伏せし、その上から色糸で刺繍を施す。布地は無地が多いが、時には黒、茶、白など の糸で縦縞にすることもある。耐水性に優れており、丈夫な事から和人にも珍重され、本 州の漁師たちの衣服にも用いられた。

上述した、文様が施されている各種のアイヌ衣服は、大まかな形は似ているものの、生 地に施される文様や素材はそれぞれ異なっている。文様入りの衣服は主に礼服として着用 されるが、着ているうちに古くなり、やがてそれが日常着となることもある。

以上、アイヌ衣服の素地の種類と大まかな分布を述べた。次章では、近世期頃の史料か ら、アイヌ衣服の着用の事例に関する検討を行う。

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第 3 章 文献・ユーカラからみるアイヌ衣服およびその文様