• 検索結果がありません。

ユーカラにみる文様の表現 ―『ユーカラ集』を資料とし て―

アイヌの衣服や文様に関する表現は、アイヌの口承文芸にもみられる。資料編第14図に 示すように、一般に、アイヌ文学と言われているものは物語文学であり、それを韻文の物 語と散文の物語に分けることが出来る。韻文の物語は、歌われる叙事詩いわゆるユーカラ(詞 曲)のことであるが、それはさらに神のユーカラ(神謡)と人間のユーカラ(英雄詞曲)に分けら れる。神のユーカラは、神々が主人公となり自分の体験を語るという形式の比較的短編の 物語であるとされている。神のユーカラはさらに、その物語の主人公である神の性質によ って2つに分かれる。1つは、その主人公としてクマやオオカミやキツネなどのような動物 神、トリカブトやオオバユリなどの植物神、舟や錨などの物神、さらに火の神、風の神、

雷の神などのような自然神が出てくる。2つ目は、主人公として人間の始祖とされている文 化神オイナカムイ、またはアイヌラックル、オキクルミ、サマイクルなどその他、地域に よって様々に呼ばれている(知里1954:2-3)。

衣服の文様の表現が窺えるのは、北海道胆振地方の幌別町(現登別市)におけるオイナ(oina

「聖なる伝え」)である。金田一京助によると、オイナは「アイヌ種族の宗教的聖経を成す

「神曲」であり、それ自身が粉本となって英雄のユーカラが発生した全アイヌ文学の本源 かつ代表である」(金成・金田一 1961:1)としている。オイナには、大ポロオイナ(大伝)と小ポンオ イナ(小伝)があり、大 伝ポロオイナの中にある「I.発端」の章では、人間の始祖であるアイヌラックル が神に大切に育てられて成長する様子が語られている。以下は、胆振地方幌別ほろべつ町出身の金 成まつによって伝承されたオイナの一部を抜粋したものである。

~(前略)~

Ikit tukari宝壇のすぐ手前 chituye amset据えおきの 座すわりだい kani amsetこがねの座台 chishiturire長く延び amset kurka座台の上に、

aiyereshu.われは育てられていた。

oshisoun右座なる rikun kakenchai上の掛かけ竿ざお ranke kakenchai下の掛竿 kamui chikirbe善美の 繍ぬいとり

①kani chikirbeこがねの繍衣 (下線部①筆者注) eereweuse,打ち撓たわみ、

kurkashikeそのおもて

57 tu kamui chupki二重の神彩

re kamui chupki三重の神彩 uweshimaka相照り映えて anramasuたのしくも auwesuye kane,おもしろい。

kakenchai-ba ta掛竿の上かみの端に

②ouhui nikapattush裾の焼けている赤織の厚司の (下線部②筆者注) chinki kashi裾の上と

kotbar kashi衿元の上とに sep birankani幅広の平ひらがね

chiekarpareぐるりと取りつけてあり

birankani平金の kurkashikeそのおもては tu kani shiriki数々の金色の模様 re kani shiriki数多の金色の模様 chietomte,で美しく飾ってあり、

kurkashikeそのおもてが kamui imeru神々しい光に

eshimaka kaneぴかぴか照りかがやいて ratki kane,さがっている。

~(後略)~

注)左がアイヌ語の発音をローマ字で表記したものであり、右が日本語訳を表す。

[出所]金成まつ筆録、金田一京助訳注、國學院大学日本文化研究所著作権(1961):『アイヌ叙事詩 ユーカ

ラ集II』三省堂、pp60-63より引用。

下線部①にみられるkani chikirbeは想像上のもので、刺繍をしたぴかぴか光る金色のア イヌ衣装の義であるとされている(金成・金田一1961:61)。また、衣類でkani「金の」と いうのは、kani kosonte「金欄の小袖」を指すが、金田一によると、金糸や銀糸で縫い取り をした吉原の花魁の上にかつぐ衣装などをいうとされている。これを賜って、アイヌの首 長は「ハレ」の日に着ていた(金成・金田一1961:61)。

また、下線部②では、「裾の焼けている赤織の厚司」とある。オイナカムイ(アイヌラック ル)の母は火の神である。そのため、上述のような「裾が焼けている」あるいは「焦げてい る」という表現がされると、聴者はこのユーカラが英雄のユーカラではなくオイナである ことが分かるという(金成・金田一 1959:284-285、1961:61)。ここで出てくる「厚司」

は「火の木(nikap)」とされるハルニレの繊維で作られた着衣である。ハルニレで織った

nikap-attush は一般の attush(オヒョウなど)よりもやや赤みを帯びている(金成・金田一

1961:314)。この衣服が「数々の金色の模様」や「神々しい光」で飾られている様子が窺

58

える。この衣服が着用されている様子は表れないものの、神の着衣あるいはアイヌラック ルへ捧げられた衣服であると考えられる。さらにこのオイナでは、神(姉神)がアイヌラック ルを献身的に育てる様子の中で、以下のように神が刺繍をする描写が続いている。

~(前略)~

Karkar kunip針仕事(刺繍)に

Attomsamaわき目も振らず

Yayomare自身をうち込んで

Ikarkar waぬいとりをして Inkaran koわれ見てみると Ineapkusuなんとまあ Ashkai wa巧妙に

Ikichi nankor’a,ものされることだったろう、

Karkar kunipその針仕事(刺繍)のものが Tu kamui nish neあまたの神雲となり Re kamui nish ne数々の神雲となり Yayebumpa,たち昇る、

Rupne moreu大きい渦うず紋が Chihokaibareうねうねまわって Moreu utut taその渦紋の間に

Tu kani pom moreuあまたの金色の小渦紋が Re kani pom moreu数々の金色の小渦紋が Uwatoreうちつづいて

Moreu uturu渦紋のあいだを Chiorente kane,埋めている、

Anramasuおもしろや Auwesuye.たのしや。

Kum ru kese針のあとに Shikkoteshu目をじいっとつけ Kem ruwetoko針のさきへ Shikomare kane目をそゝぎつつ Keshtoikarkar毎日刺繍を Koro okai.事としつつあった。

~(後略)~

注)左がアイヌ語の発音をローマ字で表記したものであり、右が日本語訳を表す。

[出所]金成まつ筆録、金田一京助訳注、國學院大学日本文化研究所著作権(1961):『アイヌ叙事詩 ユーカ

ラ集II』三省堂、pp68-70より引用。

59

ここでは神が刺繍を行い、金色の渦紋を刺繍している様子が分かる。この神は女性であ ることから、刺繍はアイヌの中でも女性が行うものであると思われる。このような刺繍や 衣服(厚司)といった内容は、他のアイヌ居住地区(地域)のオイナにもみられる。日高地方

にいかっぷ新 冠

のサンキロッテ所伝のポロオイナでは、幌別のオイナ同様に裾の焦げた「厚司」が登 場する。

~(前略)~

Ahuyuikeheわが装束を Asanasapteわれ取り出し Kinatuihosh草織の脛すね当を

Anisapkoshinaわが脛にしばりつけ Kamui hayokpe神の鎧の

Tekne arpe腕を掩おお Chikinne arpa脚を掩う Tomsam kasha胸のあたり Mike kaneぴかぴかし Imikamu kane,われ着成す、

Ouhui attush裾の燃える厚司 Ouhui shirka小尻の燃える鞘 Aimikanere,われ上に着ける。

Ouhui shirka鞘尻の燃える鞘を Eshirka-tanne鞘さや

なが

Tesu ipetam上の方へ反った霊刀で Aetempok konnaわが腋

わき

した Chashnatara,きらびやかである。

Uwok-kanekut美丈の黄金の帯を Earsainenoたゞひと巻きに Atumamkosayeわが胴へ巻き Sokapar kasa薄造りのかぶと Ouhui kasaふちの燃えるかぶと Kasa rantupepかぶとの垂れ緒

Ayaikoyupuわれ自らぎゅっと緊め

Soiwasamkur外の方へ

Aesoine ap,われ立ち出でたのに、

~(後略)~

注)左がアイヌ語の発音をローマ字で表記したものであり、右が日本語訳を表す。

[出所]金成まつ筆録、金田一京助訳注、國學院大学日本文化研究所著作権(1961):『アイヌ叙事詩 ユーカ

60 ラ集II』三省堂、pp258-259より引用。

ここでは、アイヌラックルが魔神を討つ際に、すね当てや鎧を纏い、さらにその上から

「裾の燃える厚司」を着用している。この「厚司」を、神あるいは神と同等の存在である 人間の始祖(文化神アイヌラックル)が着用していることから、オイナにおける高貴な者が纏 う正装であると考えられる。同時に、鎧やかぶと、帯といった装身具も付けられ、色に関 しても「金色」が位の高い色であることが分かる。ただし、「金襴の小袖」などは和人から 得た物である。そのため、古い時代のアイヌの衣服を確認することは出来ないが、この当 時において、すでに普及していたと考えられる木綿衣は登場せず、胆振地方の幌別、日高 地方の新冠ともに、神に着用されるのは樹皮衣(アットゥ)である。この「赤みのあるattush」

の素材(植物)は、オヒョウではなくハルニレである。すなわち、両地域ともにハルニレの

attushがオイナにおける神の着衣として認識されている衣服であると分かる。

上述のオイナの中では、木綿衣よりも樹皮衣の着用がみられることから、アイヌが樹皮 衣を重んじている意識が窺える。この理由として考えられるのは、樹皮衣は古くからアイ ヌの自製の衣服であるため、木綿衣よりも伝統的であるというアイヌ民族共通の認識が、2 つの地域のオイナにみられる要因であると思われる。

以上のように、ユーカラからは、アイヌの世界観や宗教観を窺うことが出来るが、ユー カラ上の衣服には「kani chikirbe」のように想像上の衣服もある。そのため、ユーカラか らは、登場する神々や英雄の衣服の描写は分かるものの、日常のアイヌの着衣に関する様 子が分かりづらい。そこで、次節では、調査報告書を主な資料として、実際の日常でアイ ヌが纏っていた衣服およびその文様に関して検討を行う。