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第 4 章 近世の絵画からみるアイヌ衣服およびその文様の 比較

第 2 節 村上島之允『蝦夷島奇観』

(1) 『蝦夷島奇観』にみられる衣服

先述したが、『蝦夷島奇観』は、江戸幕府の役人である秦檍磨が、当時のアイヌの習俗を 忠実に描いた資料として知られている。秦檍磨は、幕府の蝦夷地探索の一員として寛政

10(1798)年から数回に渡り、北海道、国後、択捉を調査した(佐々木2004:85-89)。

原本(自筆本)は、現在、東京国立博物館に収蔵されている。写本も数多く存在しているが、

筆写者が誰なのか判明していないものも存在している。そのため、本論文では東京国立博 物館所蔵の自筆本を使用した。また、絵画に書き込まれている詞書に関しては、秦檍磨筆,

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佐々木利和,谷澤尚一解説(1982):『蝦夷島奇観』雄峰社による訳を引用した。これは、アイ ヌ絵の研究の第一人者である佐々木利和や、松浦武四郎に関する研究者である谷澤尚一ら によるものである。解説の付いた東京国立博物館蔵の原本の複製として1982年に出版され た。なお、上述した原本(自筆本)と写本に関しては、序章第4節でも述べたが、本論文で使 用する、現時点で確認出来るものを改めて以下に記す。

a. 東京国立博物館蔵 名称:蝦夷島奇観

作者:秦檍磨(村上島之允)筆 出版:1807年

時代:江戸時代

形状:折本(全十三帖)紙本着色。各帖縦27.2cm×横19.4cm

〔出所〕秦檍磨筆,佐々木利和,谷澤尚一解説(1982):『蝦夷島奇観』雄峰社、東京国立博 物館資料館画像検索(閲覧日2016年5月9日)

b. 函館市中央図書館蔵① 名称:蝦夷島奇観 作者:秦檍丸

内容説明:写本、和装、美濃 14丁

〔出所〕函館市中央図書館デジタル資料館(閲覧日2016年5月9日) c. 函館市中央図書館蔵②

名称:蝦夷島奇観<乾・坤>

作者:秦檍丸

内容説明:寛政12年(1800)、和装、美濃、折帖2冊1帙

〔出所〕函館市中央図書館デジタル資料館(閲覧日2016年5月9日) d. 函館市中央図書館蔵③

名称:蝦夷島奇観<全11巻>

内容説明:寛政12年(1800)、写本、美濃、折帖

〔出所〕函館市中央図書館デジタル資料館(閲覧日2016年5月9日) e. 北海道大学附属図書館蔵

名称:蝦夷島奇観<天・地・人>

成立年:寛政12年(1800)

形態:彩色画、折本、3冊、26cm

この写本は函館の画家、平沢屏山によって描かれたものとされる。

〔出所〕北海道大学附属図書館北方関係資料総合目録(閲覧日2016年5月9日)

「a.東京国立博物館蔵」の自筆本をみると、衣服を着用したアイヌの姿がいくつか見られ る。資料編第15 図では、9 人の男女のアイヌが輪になりタフカリ(リムセ)と呼ばれる踊り とウポポ(歌)を行っている様子が窺える。この9人の着用する衣服は様々であり、なかには

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獣皮のような衣服もみられる。それぞれの衣服の種類や付けられている文様に関しては、

以下に記す通りである。なお、男女の区別は女性特有のイレズミ(眉、唇)や耳環、男性に関 しては髭の有無によって判断した。衣服に関しては、資料編第51図のように薄茶または白 い素地に紺(黒)布で切伏が置かれているものは樹皮衣と判断し、色鮮やかに着色されている 衣服に関しては木綿衣、また、獣皮衣や鳥羽衣、草衣に関しては毛皮や羽、草の質感や色 が絵に表れていることから判断した。

中央上の人物から時計回りにみていくと、まず樹皮衣を着用した女性がいる。眉と唇に イレズミが施されており、文様の刺繍は確認できない。右隣の男性は木綿衣のような衣服 を着用している。さらにその隣の男性は獣皮のような衣服をまとっている。斑模様から、

アザラシなどの海獣の毛皮である可能性が高い。その次の男性は、背に文様入りの樹皮衣 を着用している。さらに隣の男性は木綿衣と推察される。隣の女性は樹皮衣をまとってい るが、背に文様は見られない。その横の男性は木綿衣あるいは草衣のような服を着用して いる。さらに隣の耳環をしている女性は、鳥の羽根のようなもので作られた鳥羽衣らしき ものを着ている。最後に、その隣の男性は木綿衣を着用していると考えられる。

この絵から分かることは、歌と踊りの場においては樹皮衣、木綿衣だけでなく、獣皮衣 や鳥羽衣も着用した事例があったということである。また、獣皮などの素材によって着用 の男女差があるという点は見られず、獣皮衣および鳥羽衣は男女問わず着用されていた衣 服である。一方で、樹皮衣に関してはわずか3人しか着用していないが、そのうち 2人の 女性には文様の刺繍がみられず、男性の着用する樹皮衣のみ、背に刺繍がみられる。中央 上の女性は背が後向きになってしまっているため確認できないが、手前の女性の樹皮衣に はない。以上のことから、当時、村上島之允が訪れた日高地方「サルモンベツ」では、リ ムセやウポポの場では、服装の規制は緩く、自由度が高かったことが窺える。

(2) アイヌ男性の服装

『蝦夷島奇観』にはアイヌ男性の服装に関する内容も絵と詞書によって描かれている。

資料編第16図~第 19図をみると、祭りの時の酋長の服装や身なりに関する説明がされて いる。酋長はサパウンペ(冠)を付け、アットゥを着用して太刀を伴っている。髪は短く切 り揃えられ、髭は長く伸ばされている。詞書にはないが、絵を見る限りでは耳環や首輪の ようなものも装着しており、女性のみならず男性(酋長)も着用することが分かる。着用して いるアットゥの正面には文様刺繍はみられず、襟やそで口の紺色の布の部分には、点線の ような刺繍が施されている。背は、左肩のわずかに見える部分から推察すると、切伏によ る刺繍が施されている。このアットゥのもつ「点線刺繍」と「背の切伏」といった特徴は、

木村謙次が寛政期に収集した資料(以下、木村資料)と非常に類似している。なお、この資料 に関する検討は、第 5 章第3 節で述べる。【a. 東京国立博物館所蔵】の自筆本以外には、

【c. 函館市中央図書館<乾>②】や、【d. 函館市中央図書館③】、【e. 北海道大学附属図 書館所蔵】にも同様の絵が確認できる。しかしながら、東博本には見られるサパウンペ(冠)

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の先端の装飾(クマの彫り物)が付いていないものが多く、耳環、首輪に関しても付いている 絵、付いていない絵がある。とくに、【e. 北海道大学附属図書館所蔵】における絵では、

着用しているアットゥシの正面の襟、そで口にアイウシ文が施されている。自筆本の方で は、点線刺繍であったのに対して、写本である【e. 北海道大学附属図書館所蔵】では、こ のような改変が行われており、より華やかな衣服へと誇張された様子が窺える。この理由 には、作者である絵師の平沢屏山によって、事実よりも絵画としての鑑賞性が重視された ためであると考えられる。

(3) イオマンテの場面における服装

アイヌ衣服には男女差あるいは身分(階級)差によって着用する装飾品類も異なる場合が あるが、普段の日常における衣服および装飾品と、祭や儀礼の時の服装には違いが生じて いると考えられる。

こうした場面ごとの衣服の違いに関しては、自筆本および写本である【a. 東京国立博物 館蔵・原本の複製】、【b. 函館市中央図書館蔵①】、【c. 函館市中央図書館蔵②】、【d. 函 館市中央図書館蔵③】、【e. 北海道大学附属図書館蔵】の『蝦夷島奇観』に記された内容か ら、儀礼における服装に関する絵の比較検討を行う。比較を行うのはa~eに共通していた 以下の4場面である。

場面① 熊檻をアイヌが囲む 場面② 熊に矢を射る 場面③ 丸太で熊を絞め殺す

場面④ 熊を安置しカムイノミ(神祈)を捧げる

場面① 熊檻をアイヌが囲む 資料編第 20 図~第 24 図

a. 中央の檻の近く、首長(祭主?) と思われる人物が一人だけ羽織を着用している。その 他の人物は背に文様の入った樹皮衣を着用している者が多い。

b. aと同様。ただし、衣服の色は全員同色で、絵の左の人物のみ、やや濃い茶色で描かれ ている。

c. 羽織を着ている人物は見当たらず、中央の三人の衣服のみ黄色で着色がされている。左 右が女性、中央は髭が生えている事から恐らく男性であると思われる。

d. 羽織をまとう人物はおらず、樹皮衣と背の文様に関しては概ねaと同様。

e. 中央檻の近くに、a の位置と同じ人物が特に華美な服装(羽織)を身に付けている。さら

に、手前の 2 名も青色系の木綿衣に、赤い鉢巻を着用している。屏山のアイヌ絵は色 彩が豊かであるが、aの自筆本とは大きく異なっている。aと比較すると、樹皮衣が木 綿衣に変わっている者もいる。また、赤い鉢巻をしている者は女性であると思われる が、アイヌにおける鉢巻(マタンプシ)は黒(濃紺)が主であるため、赤い鉢巻は屏山によ る独自の着色であると考えられる。

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以上のa~eをみると、祭主と考えられる人物が羽織を着用していたり、華美な服装に描 かれていることが多い。それ以外のアイヌの衣服は、獣皮ではなく樹皮衣を着用している。

刺繍されている文様は、一部にアイウシが見られ、モレウ(渦巻文様)は見られない。

場面② 熊に矢を射る 資料編第 25 図~第 29 図

a. 絵の右に全体を見て指示をしているような男性が一人だけ赤い木綿衣を身に付け、その 上から樹皮衣を羽織っている。このことから、恐らく首長か祭主にあたる人物だと思 われる。

b. aと同じ位置の人物が一人だけ赤い木綿衣を羽織っているが、aとは着用の仕方が逆で、

中に樹皮衣、外に木綿衣という羽織り方をしている。なお、木綿衣には白い文様もな く、着色は赤色だけになっている。

c. a、b と同じ位置の男性が、白地に赤と青の文様の入った衣服を着用している。その上 から、樹皮衣を着用している。

d. 目立つ人物の描写や着色はなく、全員が樹皮衣を着用している。

e. 全体的に着色の鮮やかな衣服が目立つが、a、b、cの位置の男性は体がやや大きく描か

れており、赤い羽織を着用している。

全体を見渡し指示を出しているかのような首長(あるいは祭主)と思われる人物は、d以外 の絵にはすべて見られるものの、着用している衣服の色や文様はそれぞれで異なっており、

統一性は感じられなかった。ただし、自筆本である a からは、木綿衣の上に樹皮衣を羽織 っている様子が見られる。この着用風景から推察すると、儀礼の場で人目にさらす最も外 側に樹皮衣をまとうことから、木綿衣よりも樹皮衣が正装として認識されている可能性が ある。一方で、内側に着る木綿衣には、所持していることで威信としての役割あるいは保 温性・保湿性の機能があることが窺える。

文様に関しては、首長あるいは祭主などの目印になるようなものは見当たらなかった。

場面③ 丸太で熊を絞め殺す 資料編第 30 図~第 34 図

a. 中央に赤い木綿衣を持つ男性がいるが、他の者と同様に丸太の上に乗っている。また、

絵の右には、指を指して支持を出しているような男性がいるが、服装に関しては変わ った点は見られず、他の者と同様である。aのこれまでのシーンでは、指示を出すよう な仕草をしている首長・祭主者と思わしき人物が木綿衣や羽織を着用している場合が 多かったが、ここでは誰も見られない。この場面では衣服を脱いでいるのか、あるい はこの場面ではその人物は関わらずに、違う人物が指示や丸太乗りをしているとも考 えられる。

b. 絵の右にa同様、支持を出している素振りの男性がいるが、やはり衣服や文様に変わっ

た様子は見られない。ただし、aと違い、樹皮衣の背に文様が入っていることが窺える。

c. a、b同様に指示を出す男性はいるものの、やはり変わった様子はみられない。

d. 指示する者が絵の左に描かれており、a、b、cとは異なる。衣服、文様に関しては変わ