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(1)儀礼

アイヌは、日々の生活の中で頻繁に儀礼を行っていた。地域によって名称に違いはある ものの、どの地域でも行われている事が多い儀礼は、資料編第 2 表のような事例が挙げら れる(「川のサケ漁の前の祈り」資料編第5図)。このような儀礼では、文様入り衣服が多く 着用される。前項で述べたように、文様入り衣服は一般に礼服であるため、儀礼の時の衣 服として、男女ともに着用されていた。

最も代表的なアイヌの儀礼としては、資料編第 6 図のようなイオマンテ(動物送り儀礼) が挙げられる。アイヌ語でイ(それを)オマンテ(行かせる、向かわせる)を意味し、広くクマ 送り・クマ祭りのことをいう。アイヌの人々は、生物・無生物を問わず森羅万象にそれぞ れ特有の霊が宿っており、この霊は不死であると考えるアニミズム的な観念を持っている。

これらの霊をアイヌではカムイ(神)と呼んでおり、狩りに出て獲物を一匹も得られない場合 はその狩人の心掛けが正しくないからであると考えられていた(伊福部 1969:109)。

イオマンテは、クマを対象とした儀礼が多いため「クマ送り」・「クマ祭り」として広く 知られているが、狩猟と関係の深いフクロウやシャチ(Orcinus orca)、シカといった動物に 対しても行われる(佐々木1990:113)。アイヌの生活を支えている狩猟は、神々がアイヌに 持ってきた贈品(肉・皮など)を受け取るとともに、神々の霊をその仮の姿から解いて神の国 に帰ることが出来る様にする行為である。カムイは、姿を現す際はハヨクぺ(仮装)をしてア イヌに訪れるとされており、キムンカムイ(山の神)ならクマ、レプンカムイ(海の神)ならシ ャチ、コタンカムイ(集落の神)ならフクロウの姿をしている。

イオマンテは神を送る重要な儀礼であり、行われる時期は、次の二通りである。

① 春のクマ猟の直前

② 子クマの生まれる直前(1月~3月)

アイヌの経済活動には、大きく二つの主要な周期がある。一つは冬期の休養の期間で、

もう一つは春から秋までの長い仕事の季節である。男性は狩猟・漁撈、女性は採集と農耕・

漁撈を行っていた(アイヌ文化保存対策協議会編1969a:319)。

冬期になり雪が積もると、大規模なシカ猟やサケ漁も行われない。アイヌの主食でもあ る木の実の収集も不可能になるため、アイヌは野外での生業を止めて越冬生活に入る。こ のような貯蔵した食糧に頼る越冬生活は翌年まで続き、12 月~3 月頃の期間に祭や儀礼が 多く行われる。どのアイヌコタンでも行われ、時には親戚や友人が他のコタンから招待さ れ、イオマンテが行われる(アイヌ文化保存対策協議会編1969a:320)。

また、イオマンテ同様に大規模に行われる儀礼もある。アイヌでは葬式後、死霊の祟り を恐れたことから、墓には近付かず、墓参りの習慣がなかった。しかし、春・秋・冬の二 季か三季に、濁り酒(稗ひえ・粟あわ・米を材料とする)を作り、シヌラッパ(祖霊送り)と呼ばれる大 がかりの祭りを行っていた。あるいは、イオマンテなどの他の祭祀が行われる際に、その

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中の一儀礼として祖霊送りが行われた。シヌラッパは春・秋・冬の三時期に定期的に行わ れたものであるが、夏は酒が発酵しすぎるため不味い酒ができやすく、あまり作られなか ったため大規模なシヌラッパは行われなかった。シヌラッパは、屋外に沢山のイナウを立 てたヌササン(祖霊の幣場)で、供物であるシラリ(酒粕)、タンパク(煙草)、シト(しとぎ)、ト ペンぺ(菓子)、その他のものを何でも手で砕いたり、むしったりして幣の辺りに撒き散らす 行事である(アイヌ文化保存対策協議会編1969b:577)。

このシヌラッパを行う家では、一週間前ほどから濁り酒を造り、用意する。祭りの当日 は朝早くから準備にかかり、親戚近隣の親しい人々などが招待される。男性は神々や祖霊 たちに供えるイナウ(木の幣)を作る。祭る神が多いため、イナウも多く作られる。イナウの 材料には、アイヌ語でスス(オノエヤナギSalix sachalinensis別名ナガバヤナギ。またはオ オバヤナギToisusu urbanianaなど)や、ウツカンニ(ミズキCornus controversa)などが多 用される。

儀礼におけるイナウ

アイヌは神を祀る時に必ずイナウを作る。イナウは木の幣と表現される事が多いが、こ のイナウに関しては、すでにいくつもの研究がある。大林太郎は、イナウが神(カムイ)と人 との仲介者であると言い、イナウのもつ神体や守り神としての機能、魔を威嚇する棍棒と しての役割や、神への土産としての意味などを挙げている。また、そうした特性に先行し て、「神と人との間の仲介者」としてのイナウの機能が、より本来的なものであったと結論 付けている。これは、イナウの果たす役割、意味についての現在までの定説になっている とされている(今石2009:1)。

また、イナウは、神事において用いられる神聖な造形物であり、樹木を人格的に捉えた 思想や、製作の際に働く美意識など、アイヌ文化の精神的な側面が映し出されていると考 えられている(北原2007:211)。製作は、一般に、男性がミズキやヤナギなど、ふしの少な い木が好まれて作られる。その他には、樹皮、ヨモギ(エゾヨモギArtemisia Montana Pamp.

など)、ササ(クマザサSasa veitchiiなど)、松葉(Pinus L.)、錦糸、布などを用いることもあ る。これらの木材を採取し、乾燥させ、小刀で削ってカールさせた「削りかけ」を作る。

イナウの作り方は親などから教わり、形には決まり事はあるが、削りかけの微妙な位置 関係や巻き方、全体のバランスなどは、作り手の美意識によるところも多いとされている(北

原2007:211)。また、本州にみられる削り花などは小正月に集中しているが、イナウは季

節に関係がなく、1年を通して神事の際に作られる(北原2007:211)。

このようなイナウを作る際の樹木には、色、匂い、性別などの性質があり、その性質は イナウにも受け継がれる。イナウは神であるカムイのもとに届くと、樹種に応じて金属に 変質する。例えば、キハダ(カラフトキハダPhellodendron amurense Ruprecht)の木は金、

ミズキは銀、ミヤマハンノキ(Alnus crispa (Aiton) Pursh subsp.)は銅の宝物になる。つま り、イナウは神への使者でもあり、捧げものにもなるのである。また、カムイによって好

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みの木があり、シマフクロウはキハダ、シャチはミヤマハンノキ、ヘビはクルミ(Juglans L.) を好む。阿寒では、クマを追う時に、「ミズキのイナウが欲しければ私の客になってくれ」

と呼びかけるといわれている(北原2007:212)。

こうしたイナウに使用する樹種の、人間界と神界それぞれの呼称を謡いこんだ物語もあ る。例えば、ヤナギは人間界ではススと呼ぶが、神界での名はカミレタ「肉の白い男」、

カミレタマッ「肉の白い女」という。同じく、ハシドイ(Syringa reticulata)は、人間界で プンカウ、神界ではコパカセク「パチパチと鳴る男」、コパカセマッ「パチパチと鳴る 女」という。ヤナギは木質が白く柔らかで、最も多く使用されるイナウの材料である。ま た、ハシドイは、囲炉裏にくべるとよく爆ぜるため、薪には適さないが、腐りにくいため 柱材などに用いられる。さらに、雄弁であるとして魔除けのイナウにも使われる。このよ うに、樹木の神名には、かつてその樹木のどこに注目していたかが表れている(北原2007:

212-213)。

また、上述した伝承には、それぞれの樹種のうち、男神と女神がいる。イナウにも男女 の別があるが、これはイナウの形を変えることで表現している(北原2007:213)。性別の表 し方は何通りかあるが、例えば、短い削りかけをつける際に、上から下へ削ったものは男 性、下から上へ削ったものは女性となる。

また、イナウには一木で作り出すものと、いくつかの部分をつなぎ合わせる寄り木造り のものがある。寄り木造りのイナウは、コトロ「胴体」と呼ぶ部分をマツなどで作り、そ の上にヤナギで作った削りかけを取り付けて付ける。この場合、イナウの性別は、胴体に 使った樹種に準ずる。上の部分がヤナギでも、胴体がエゾマツ(Picea jezoensis)なら男性、

トドマツ(Abies sachalinensis Masters)なら女性というように、胴に重きを置いてイナウを 作っている(北原2007:213)。このように、イナウには樹木の生命が宿っていると考えられ ており、アイヌ文化の精神面がよく映し出されている。

上述したイナウに関して注意しなければならない点は、いわゆるinaw状のものを「イナ ウ」と総称することに対し、北原次郎太は「inawは木幣の機能に対して与えられる名称で あり、木幣の型式を問わずinawと呼ぶ」という点、またそれが「木幣以外の物を指す事も ある」し、「逆に木幣であっても機能の面からsenisteh『お守り』などの名称が与えられて いることが少なくない」という問題を指摘し、「inaw」ではなく「木幣」という言葉を用い ている。一方で、今石みぎわは、「民俗学の分野においては「木・幣」といった場合の「幣」

の言葉が抱えるイメージは強く、和人の御幣との関連性を否応なしに想起させるものであ る」とし、北原の指摘も理解したうえで、総称としての「イナウ」という言葉を使用して いる(今石2009:14-15)。今日では、様々な場所で総称としての「イナウ」という言葉をよ く目にするが、厳密には、イナウは木幣の機能に対して与えられている名称ということか ら、イナウは必ずしも木幣の形をとっていないということになる。例えば、材質が布の場 合もあり、このような場合も「イナウ」と表現すると考えられる。

以上、アイヌの儀礼やその際に必要不可欠なイナウに関して述べた。さらに、次項では

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衣服と関係の深い要素であると考えられるアイヌの結婚に関しても検討する。

(2)結婚

『アイヌ民族誌』によると、アイヌの結婚は比較的自由で、本人同士の意思が重んじら れたとされているが、時には親同士の約束によって結婚が行われることもあった。お互い の合意が成り立つと、互いに好意を示す贈品が交換された。男性からは自らが彫刻した女 性の手回り品、また、女性からは自分で刺繍をした見回り品である。これをウンケライテ(そ の方へ、恵む)といい、結婚後は新たな家を造って住む。和人の影響を受けた後は、結婚が 決まった後に婿の酒や太刀、その他の宝物(イコロ)を嫁の家へ送り結納にした。結婚の日に なると夕方から親類や知人を呼んで花嫁の家で式を行なった(資料編第7図)。また、費用な どの理由から、集落内もしくは近隣のコタンとの結婚が多かったとされるが、稀に遠方と の結婚もあった。たまたま村に来た青年を見込んで、その村の娘を娶らせた事例もあり、

和人と結婚した事例もある。ただし、その地域のアイヌの人口が減少してからは、アイヌ 独特の婚姻規制は薄れていったと考えられている(アイヌ文化保存対策会議編1969a:167)。

上述したように、アイヌの結婚は基本的にコタン(集落)内、あるいは近隣の村同士で行わ れる。とくに、コタン内の一類の者の間で行われる傾向が強かったとされている(アイヌ文 化保存対策協議会編1969b:449)。昭和 26(1951)年に行われた「沙流アイヌの綜合調査」

で「親族組織」の調査を担当した杉浦健一によると、アイヌの通婚圏および結婚の規制は 以下の通りである(アイヌ文化保存対策協議会編1969b:449-450)。

①妻を娶る場合は、その妻のウプソルン・クツ(観念上の貞操帯)の系統は生母と同じであっ てはならない。(貞操帯の形式は、祖母から母へ、母から娘へ、娘からその生んだ孫娘へ と女系を辿って継承される)

②恋愛その他の事情でやむなく生母と同じ形式の女性と結婚しなければならない場合には、

その女性一代だけに限って、神に「ウプソル変更の祈り」をしてから他の形式のものに 変更して結婚する。その女性の娘は、もとのウプソルの形式のものに返す。これはやむ を得ない特例で、望ましいことではない。

③従兄弟姉妹間の結婚は図式化すると資料編第 8 図のようになる。すなわち、父が兄弟で ある「いとこ」同志は結婚できるが、母が姉妹である「いとこ」同志の結婚はウプソル の関係から禁止される(資料編第8図、①・②パラレル・カズンの婚姻)。また、父と母が 兄妹である場合は生母のウプソルはそれぞれ別であるため、結婚可能である(資料編第 8 図、③クロス・カズンの婚姻)。

④同じ形式のウプソルは同村や近隣の村にもあり、シネウプソル(同一祖母系、同一母系) の女性が多い。

⑤A村の娘がB村へ嫁ぐと、そのA村ではその娘から生まれたB村の娘あるいは孫娘をA 村へ嫁として迎える習慣があった。A 村からこの要求があればB 村は必ず応じなければ ならなかった。これを「アイヌ・ホシピレ(人間を返す)」あるいは「メノコ・ホシピレ(女