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北海道に居住するアイヌの衣服およびその文様の地域性

第 5 章 資料からみたアイヌ衣服における文様の地域的比 較

第 2 節 北海道に居住するアイヌの衣服およびその文様の地域性

本論文で判明した文様構成の地域性に関しては、土佐林コレクションと河野コレクショ ンの衣服における文様の比較・検討を通して、以下の点が判明した。衣服の文様構成は、

アイヌ居住地区(地域)によって違いが生じており、とくに、日高地方、白老(胆振地方)、旭 川(上川地方)の 3 地方に以下のような特徴がみられた。なお、日高地方、白老、胆振など、

それぞれの位置は資料編第68図に示した。

①日高地方は大きな白布を使用した白布切抜文衣が最も特徴的である。

②上川地方旭川の白布切抜文衣は、日高地方の文様構成と類似している。その理由は、明 治期に和人の商人であった鈴木亀吉が交易目的で上川地方旭川へ来たことと関連してい ると推察する。すなわち、亀吉の妻が日高アイヌの女性であり、女系に伝承される刺繍 技術(文様構成)が、アイヌ居住地区(地域)を超えて継承された可能性がある。

③上川地方旭川の刺繍衣は、土佐林コレクションのアイヌ衣服には見られなかったツタ(草)、

花などの文様が多く取り入れられている。昭和期頃の旭川には、このような草花など自 然をモチーフとした文様が使用されている。これは、自然をモチーフとした文様が多い ナナイなどアムール川流域の北方少数民族のもつ文様と類似している。この理由につい ては、製作者が文様を使用する際に、他地域の衣服の文様を参考にするなど、他から情 報を得ていた可能性があり、当時の通信など情報技術の発達も一つの要因として考えら れる。

④胆振地方白老の衣服は、上述したように背面の文様が上下に分割されている構成が特徴 的である。この点は、日高地方、上川地方旭川と異なる特徴になっている。白老は、日 高アイヌの一族が移住したのち、集落が形成された地域であるとされるが 40)、その後、

日高地方とは異なる文様構成をもつ衣服へと発展したと推測できる。

これまで判明していた点は、①の白布切抜文衣が日高地方の特徴である点と、④の衣服 背面の文様構成が上下に分割している白老の特徴である。第 5 章でも述べたように、本論 文で新たに分かった点は、上川地方旭川における衣服の文様および文様構成の特徴である。

上述の②、③のように、旭川の文様構成は日高地方と類似した印象を受ける。その理由に は、江戸時代から和人との交易により始まった木綿衣の流通とともに、アイヌの和人との 婚姻も増加し、その結果、アイヌ女性のコタン間の移動によって刺繍技術が伝播していっ たことが考えられる。ただし、日高地方、胆振地方の白老はそれぞれ太平洋沿岸、噴火湾 沿いに位置するが、旭川は海に面しておらず内陸にあり、上川地方は盆地で寒さも厳しい。

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同じ北海道内であるが、自然環境ではやや相違がある。さらに、この長距離間を移動とな ると、当時、頻繁に行き来することは非常に難しいが、上述した移住などのごく僅かな事 例はみられる。

木綿衣および木綿糸が普及し、衣服への刺繍のし易さから文様装飾が発展するも、上述 のように「混血化」に伴って、北海道内におけるアイヌ衣服の文様構成の地域性は徐々に 変容していると思われる。

一方で、アイウシなどの文様と刺繍技法からみた検討に関しては、以下の事がいえる。

最古と考えられる木村資料の樹皮衣をみると、「点線刺繍」および「オホヤンケ」の技法が 確認できる。この 2 点に関しては、少なくとも寛政期頃の胆振地方虻田にあった技法であ り、古くから継承されている技法である可能性が高い。一方で、アイウシやモレウなどの 文様は、釧路資料のように存在してはいたものの、多用されるようになったのは木綿衣お よび木綿糸の普及に伴ってであると考えられる。とくに、アイウシモレウやウレンモレウ といったさらに複雑な文様もこのことが言える。

また、昭和期に入ると、北海道内のアイヌ衣服は、ハート形、釣鐘形に留まらず、草花 といった新しい文様を使用した衣服が作られた。この時期は衣服の着用の時の男女差や大 人用、子ども用といった着用の違いもあまりみられず、和人たちにも着用されていた事例 があることから、着用の自由度が比較的高かったことが現段階ではいえる。また、昭和期 には、使用する文様においても製作者の自由度がうかがえ、ハート形、釣鐘形、草花形な ど、アイヌ語名称がなく、アイヌ固有の文様ではないと思われる文様の使用がみられる。

現代においては、切伏などのアップリケ、刺繍などの大まかな方法は変化していないが、

木村資料の樹皮衣に施されている「点線刺繍(返し縫い)」は現在ではなくなっているとされ る(公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構編2017:189)。樹皮衣は木綿衣よりも目が 粗く、糸が抜けやすいため、縫い留めるためにも返し縫いが行われているためである。た だし、布の角を尖らせるオホヤンケに関しては、北海道内のすべてのアイヌ居住地区(地域) で現在も継承されている技法となっている。

以上、江戸時代後期から現在までのアイヌ衣服およびその文様の特徴と地域性に関して 述べた。本論文では、アイヌ衣服およびその文様の地域的特色とくに日高地方、白老(胆振 地方)、旭川(上川地方)の特徴が明らかになったといえる。次節では、本論文の研究目的で あった文様入り衣服の着用の違いと、文様入り衣服の形態と機能に関する検討を行う。

第 3 節 まとめ

本論文は、アイヌにおける伝統的な衣服である文様入りの樹皮衣、木綿衣の形態と機能 および衣服に施される文様の地域比較を行い、アイヌ衣服およびその文様の地域性と文様 入り衣服の役割を明らかにすることを目的とする。アイヌ衣服やその文様のもつ社会性は 高く、各アイヌ居住地区(地域)におけるコタンなどの共同体での伝統的な文様入り衣服の変

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遷を明らかにすることが本論文の最終的な課題である。

従来、アイヌ衣服の研究は、服飾研究者によって、とくに衣服の素地による分類が進め られていた。衣服の文様に関しては、文様のもつ意味を検討する研究が多く、多数の衣服 資料を用いて客観的に比較・検討をしている事例は少ない。

アイヌ衣服およびその文様は、当時の収集者が、衣服の製作年代や製作地域といった基 礎的な情報を記さずに収集したため、時代と地域が考慮されないまま比較・検討が行われ てきた。本論文では、この課題に取り組み、従来、分析されてこなかったアイヌ民族資料 として価値の高い土佐林コレクション、河野コレクションの衣服資料を用いた調査・検討 を中心に行った。

同時に、文献、ユーカラ、調査報告書、絵画にみられるアイヌ衣服およびその文様から 形態や機能に関して考察した。これまでの研究では、衣服と着用者の関係を捉え、文様入 り衣服の着用の違いに関して論じた研究はなかったため、年齢、性別、身分(階級)差といっ た違いにおいて着用される衣服を分析した。

本論文で判明した衣服の形態および機能に関する検討は、時系列で示すと以下の通りで ある。

①江戸時代後期

アイヌ絵および文献からは、身分差による着用する衣服の違いがあり、高位の者は文様 入り樹皮衣や木綿衣、陣羽織等を着用していた。また、獣皮衣等は儀礼の場で着用されな いという厳格な決まりがあり、着用する場合は獣皮衣の上から樹皮衣を着用する形が採ら れていた。すなわち、こうした事例からは、文様入り樹皮衣が最も格式高い衣服であるこ とが推察できる。また、文様入り樹皮衣は礼服であるが、日常においても着用されていた。

なお、当時における礼服とは、木綿衣ではなく、「文様入り樹皮衣」を指している。この点 は、以下で述べる昭和期の礼服とやや異なっている。

②昭和期

調査報告書からは日常衣と礼服を分けている地域が多いことが分かる。この理由には、

木綿衣が多く手に入るようになり、日常衣としての木綿衣と文様入りの礼服とを分けるこ とが可能になったことが推察される。また、本来アイヌ衣服には体格差から生じる衣服の 寸法の違いを除き、文様およびその構成などの男女差はないとされていたが、装飾品等が 地域によって異なる場合もあることが分かった。一方で、昭和期における礼服は、多くが

「文様入り木綿衣」を指し、樹皮衣から木綿衣へと移り変わっている。しかしながら、昭 和期に聞き取り調査が行われたユーカラの中では、「刺繍入り樹皮衣」が高貴な衣服として 度々登場する。ユーカラはアイヌの精神世界が映し出されており、親から子へ語り継がれ る叙事詩である。そのため、この当時、実際には樹皮衣はほとんど着られていなかったも のの、アイヌたちの認識の中では木綿衣よりも文様入り樹皮衣が礼服として最上のものと 考えられていた様子が窺える。

③昭和期~近現代