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(各組織の詳しい情報については、付録Bを参照すること。)

イスラム武装勢力

Jamatul Mujahedin Bangladesh(JMB または JM)(「Jama’atul Mujahideen」と

も呼ばれる。)

12.01 JMB は、1994 年にジャマルプル県北部で設立されたと報告されている。

2006 年、この組織はシェイク・アブドゥル・ラフマン、シディクル・イスラ ム(別名「バングラ・ブハイ」)、およびムハマド・アサドゥラー・アルガ リブの 3 人で主導されると伝えられた。[83f] A アブドゥル・ラフマンとシデ ィクル・イスラムは、2005年に起きた 2人の裁判官の殺害に関与したとして 2007年3月29日に署名された6人のJMB指導者のうちの 2人であった。彼 らに代わり、誰が後任に就いたのかは明らかになっていない。[5o] JMB とそ の 系 列 組 織 で あ る ジ ャ グ ラ タ ・ ム ス リ ム ・ ジ ャ ナ タ ・ バ ン グ ラ デ シ ュ

(JMJB)の活動は、2005年 2 月 23 日に政府によって禁止された。2004年 の日付が付され、ジェーンズ・センチネルで公開された JMBの内部文書によ れば、当時 JMBは 6,739人の現役メンバーと 4,250人の「支持者」を抱えて いたという。[83c] 2006 年 1 月に発行されたジェーンズ国際テロ対策動向

(Jane’s Terrorism and Security Monitor)報告書には、「この組織はバング ラデシュでのシャリア(イスラム法)の施行を求め、世俗的で反イスラム的 なやり方を推進している組織や個人を標的に攻撃を繰り返している。」[83b]

12.02 ジェーンズの報告書によれば、JMB のテロ活動は 2002 年に開始されたが、

活動が行われたのは主として国内北部の県であった。[83c] しかし、JMB は 2005年までに全国規模の組織を作っていた。2005年8月17日、JMBの活動 家が国内 64の県のうち 63の県に仕掛けた434個の小型爆弾をほぼ同時に爆 発させた。このテロ攻撃では、政府機関、裁判所、記者クラブ、およびその 他の公共施設が標的になった。2 名が死亡し、104 名が負傷した。[83c] 2005 年 10 月 3日、3 つの県の裁判所に仕掛けられた多数の爆弾が爆発し、2名が 死亡し、30名以上が負傷した。3ヶ所で逮捕された容疑者はJMBの活動家で あることを自ら明かしたようである。(Daily Star)[38ae] 2005 年 11 月 14 日、BBC News はジョルコタ県南部で起きた爆弾テロで 2 名の裁判官が死亡 したと報じた。[20bl] ACHRの報告によれば、JMBが自分たちの犯行であるこ とを認めているという。2005年10月 11月には、さらに複数名の裁判官に対 して殺害予告が行われた。[53c](p4-6) 2005年11月29日、ダッカの北30 kmの 場所にあるガジプルという町の裁判所の建物内で起きた自爆テロ、およびチッタ ゴンの都市部で起きた爆弾テロという 2つのテロで 14人以上が死亡し、40人以 上が負傷した。[20bm] [83c] 2006年1月に発行されたEIUの報告書では、今回 の自爆テロが、テロリストの活動が新たな段階に入ったことを示すものであ り、これらのテロは可能な限り多くの人々を殺害することを目的としたもの であると指摘されている。警察はJMBの反抗であると考えている。[40d]

12.03 2006年 2月28日、ジェナイダ県の裁判所は2005年8月17日に全国で起き た400個を超える爆弾を一斉に使ったテロに関与したとして21名の被告に対 し死刑を言い渡した。そのうちの 3名は裁判に欠席していた。21名の被告全

員は JMB のメンバーであると報じられた。(フランス通信社)[23p] シェイ ク・アブドゥル・ラフマンとシディクル・イスラム(別名「バングラ・ブハ イ」)は 2006 年 3 月 2 日および 3 月 6 日にそれぞれ逮捕された。[39ac]

[20bq] 2006 年 5 月 29 日、ジョルコタ県南部の街の裁判所はアブドゥル・ラ

フマンとシディクル・イスラム(別名「バングラ・ブハイ」)両名を2005年 11 月に 2 人の裁判官を殺害した罪で有罪とし、両名に死刑を言い渡した。

JMB の他の 5 名の武装メンバーも同様の罪で死刑を言い渡された。彼らの中 には JMB の統治評議会「Majlish-e-Shura」の 3 人の委員が含まれていた。

(Keesing’s、2006年5月)[5j] 2007年 3月29日、アブドゥル・ラフマン、

シディクル・イスラム、および他の 4名のJMB指導者の処刑が執行された。

(Keesing’s、2007年3月)[5o]

以下に示す「新しい組織、2007 年 5 月 1 日以降の動向」の項を参照するこ と。

ジャグラタ・ムスリム・ジャナタ・バングラデシュ(JMJB

12.04 2005年8月28日に発行された特別報告書において、Daily StarはJMJBにつ いて、聖戦を通してイスラム革命を果たすことを目的とした原理主義による

「自警主義的な」グループであると説明している。この団体は当初、1998 年 に設立されたとの主張がある。「JMJB」という現在の名称が初めて登場した のは 2004年 4月である。シェイク・アブドゥル・ラフマンは JMJB の amir

(「精神的指導者」)であると同時に、JMJB との関係性が深い Jamatul Mujahedin Bangladesh(JMB)の指導者であるとされた(上の説明を参照す ること)。「バングラ・ブハイ」との異名を持つシディクル・イスラムは JMJB の「活動」を指揮する上層メンバーであった。[38ac] [59b] 12.03 項で指 摘されるように、アブドゥル・ラフマンとシディクル・イスラムは、2 名の 裁判官を殺害した罪で有罪となり、2007年3月29日に処刑された。[5o]

12.05 JMJBの活動家は、「非イスラム的」または「犯罪者」であると彼らが見なす

人々の殺害と攻撃を含む 100 を超える活動を遂行していると報告されてい る。(Daily Star)[38ac] [38w] JMJBと(毛沢東主義の)Purba Bangla共産党

(PBCP)の間で暴力的な紛争が2004年4月から起きている。例えば、2004 年 5月、JMJBの工作員が PBCPのメンバー6人を殺害し、PBCPはJMJBの メンバー2 人を殺害し、他の 6 人を負傷させることで報復を行った。2004 年 5月 22日、竹やホッケー用のスティックを手にした数千人に及ぶ JMJBの活 動家が警察の護衛を受けながらラジシャヒ県の都市部で集会を行った。この とき、彼らに対して敵対する報道を行った記者たちに殺害をほのめかす脅し を行った。2004年 5月、政府は「バングラ・ブハイ」の逮捕状を発行した。

[59b] [38ac] JMJB は 2005 年 1 月 14 日にシャハジャハンプルで開催された

jatra フォーク・シアターの公演で起き、2 人が死亡し、70 人負傷した爆弾テ

ロを含む、数々の爆弾テロと自警主義的な殺人に関与していると考えられて いる。[38t] 2005年 1月 25日付の Daily Starは、前日にバグマラで起きた治 安部隊とJMJBの過激派の衝突で8人の警察官を含む50人以上が負傷したと

報じた。[38r] 2005年2月4日、警察のスポークスマンは、JMJBが「非イス

ラム的」であると見なす映画館、劇場、および jatra を標的に爆弾テロを引き 続き計画しているとの警告を発した。NGO団体もテロの標的とされた。[38w]

12.06 2005 年 2 月 23 日、政府がジャグラタ・ムスリム・ジャナタ・バングラデシ ュ(JMJB)およびこれに関連する組織である Jumatul Mujahedinの活動を公 式に禁止したとの発表があった。[61b] [23j] しかし、2005 年 7 月 21 日付の

Prothom Alo 紙は、JMJBが活動を禁止されてからも秘密裏に資金調達とメン

バーの獲得を続けていると報じた。[21f]

Harkat-ul-Jihad-al-Islami( 別名「HuJI 」または「Harkatul Jihad」)

12.07 2005年8月28日付のDaily Starによれば、Harkatul Jihadは恐らくオサマ・

ビン・ラディンの支援を受けて1990年代初頭に設立されたという。設立者の 多くは 1980年代にアフガニスタンのムジャーヒディーン(聖戦を遂行する者 たち)と共に戦闘に参加した経験を持つ。[38ac] 現在の指導者はシャウカト・

オ ス マ ン (Shawkat Osman) 、 別 名 「 シ ェ イ ク ・ フ ァ リ ド (Sheikh

Farid)」である。HuJI はチッタゴン管区に訓練施設を保有しているようであ

る。(南アジアのテロリズムに関するポータル - SATP)[59c] HuJI は、

シェイク・ハシナが首相を務めていたときに彼女の暗殺を企てたとして起訴 されている。[38ac] 2006年 4 月 28日、HuJIの指導者にこの暗殺計画に関与 した容疑がかけられた。[59c] 2000 年、逮捕された HuJI の幹部を警察が尋問 したことで、28 名の著名な知識人の殺害計画が存在していたことが明らかと なった。[38ac] 2005年10月17日、政府はHarkat-ul-Jihad-al-Islamiを「自ら をテロリスト集団として公言する組織」であるとし、この組織の活動を禁止 した。(SATP)[59c]

新しい組織:2007年51日以降の動向

12.08 新しい武装組織「Jadid al-Qaeda Bangladesh」の存在が初めて明らかとな ったのは、1 人の負傷者を出したダッカ、シレット、およびチッタゴンの都 市部にある地下鉄の複数の駅で同時爆弾テロが発生した2007年5月1日のこ とである。(第 4 節:最近の動きを参照すること。)2 つの現場に残されて いた金属板に刻まれたメッセージの内容から、Jadid al-Qaeda Bangladeshの 犯行であることが明らかとなった。当時警察は、この組織が全く新しい組織 であるのか、既存のテロ組織の新しい名称であるのかを調べていると伝えて いた。(BBC News。2007年5月1日)[20cn]

12.09 2007年 5月 4日付の New Ageという日刊紙は、バングラデシュの諜報機関 の職員の話として 5 月 1 日の爆弾テロは Jamatul Mujahedin Bangladesh

(JMB)の直接的な監視の下、実行に移され、犯行声明を出している Jadid al-Qaeda Bangladesh は JMB の 6名の指導者が処刑された後に JMBから分 離して独立した派閥の一つであると伝えている。[96a] しかし、3月19日付の Daily Star は 、 警 察 の 監 察 長 官 の 話 と し て 、 警 察 が ま だ Jadid al-Qaeda Bangladeshの存在を裏付ける確かな証拠を得ていないと伝えている。[39u]

12.10 New Ageによれば、諜報機関はJMBと他の7つの武装組織が2007年3月 5 日にボグラ県のサリアカンディで会合を開き、組織を再編成する計画につい て話し合った事実を把握したという。これらの 7 つの組織は、「Jamaatul Muslemin」 、 「 Majlish-e-Tamuddin」 、 「Hizbul Zihad」 、 「Hizbut Tahrik」、「Jamaatil Muslemin」、「'Dawatul Jihad」、および「Jadid al-Qaeda」と呼ばれている。New Ageは、「Jamaatul Muslemin はボグラ県と

その付近の地域で過激派を組織する任務を与えられた一方で、Hizbul Zihad はダッカのウタラ、アシュリア、およびトンギに配属され、Hazbut Tahrik は ラジシャヒ、チャパイナワブガンジ、およびナオガオンに配属され、Majlish-e-Tamuddin と Jadid al-Qaeda はダッカ中心部とその付近の地域に配属され た。この会議では、Jamaatul MusleminとDawatul Jihadが十分な力とネット ワークを持っていないとの理由で、これら組織が Jamaatul Mujahideen の直 接的な監視の下で活動を行うことが決められた。諜報機関は過激派のための 訓練施設がタンガイル県のケンドゥアに 1 つ、ボグラ県のサリアカンディと ドゥナトに 2 つずつ、およびジャマルプル県のイスラムプルとメランダに 1 つずつ、およびガジプル県に 3 つそれぞれ存在することを突き止めた」と伝 えている。[96a]

12.11 2007年 6月 16日付の New Ageは記事の中で、JMBの新しい指導者をマウ ラナ・アブドゥル・マキト・サラフィ(Maulana Abdul Makit Salafi)である と指摘した。彼は、2007年3月30日に開かれた7人で構成される

Majlish-e-Shura(組織の最高位の政策決定機関)の会議の中で指名されたという。

Majlish-e-Shura の他のメンバーには、ジョルコタ県で起きた裁判官の殺害事

件 で 有 罪 の 判 決 を 受 け 、 逃 亡 し て い る ア サ ド ゥ ル ・ ラ フ マ ン ・ ア リ フ

(Asadur Rahman Arif)、ハシブル・ラフマン(Hasibur Rahman)、イクバ ル・ハニフ(Iqbal Hanif)、サイフル・イスラム(Saiful Islam)、ファイサ ル・アラム(Faisal Alam)、およびヌルル・フダ(Nurul Huda)がいる。

New Ageは、諜報機関の職員より以下の情報を得ている。

「JMB を構成する 4 つの階層は、[下層から]sathi または sudhi、ghayer ehsarehsar または amir、および majlish-e-shuraと呼ばれている。Sathi

たは sudhi には比較的若く、強い忠誠心を持った者が徴用されている。県を

担当する者は ghayer ehsar と呼ばれ、管区を司る指導者は ehsar と呼ばれ る。Majlish-e-shura は 7 人の指導者で構成される最高位の集団である…。

『Nayak(英雄)』と改名された県の責任者に導かれたJMBは現在、国を40 の地域に分け、21 の下位組織を通して国内で活動を展開している。JMBの工 作員は、5 人の中心人物と 12 の地域と県の『英雄』の監視の下、活動を行っ ていると、高位の情報源は先ごろ逮捕された JMB の指導者から聞いた話とし て伝えている。3 月 19 日、警察はクリグラム県で自爆テロを画策する責任者 であるマティン・メディ(Matin Mehdi)と共犯者3名を逮捕した。それに先 立ち、諜報機関は自爆テロの指揮官 39名を特定しているが、彼らは現在も逮 捕されていない。県に配属された 64 名の指揮官のうち 25 名前後は今もどこ かに潜伏している。」[96b]

6 名の指導者の逮捕、裁判、および処刑の後から潜伏していた JMB の工作員 をはじめとする様々なイスラム系過激派組織に所属する数百名に及ぶ活動家 が、新しい指導体制のもと新たに組織を結成しようとしていたと、2007 年 6 月20日付のNew Ageが報じた。[96c]

12.12 2007年 5月1日、ダッカ、シレット、およびチッタゴンの都市部にある地下

鉄の複数の駅に仕掛けられていた爆弾が同時に爆発した。この事件で 1 人が 死亡し、地下鉄の利用者の間でパニックが起きた。これまでに存在が知られ ていなかった Jadid(新しい)al-Qaeda Bangladesh という組織が犯行声明 を出した。(BBC News、2007 年 5 月 1 日)[20cn] 2007 年 5 月 4 日付の

New Ageという日刊紙はバングラデシュの諜報機関の職員の話として 5月 1