32.01 米国国務省が2009年2月25日に発行した「2008年の人権問題に関する国別 報告書」(USSDによる2008年の報告書)には、以下のように記述されてい る。
「法律は、1951年の国連による難民の身分に関する条約とその1967年の議 定書に従った亡命者または難民の認定に関して規定しておらず、政府は難民 を保護するためのシステムを確立していない。実際には、政府は命や自由に 危険にさらされる国への追放または送還から難民を保護する措置を講じてい る。」[2b](第2節d)
32.02 米国難民移民委員会(USCRI)が 2008年 6月に発行した「2008年の世界の 難民に関する調査」によると、2007年に UNHCRに登録された難民または亡 命申請者が追放または送還(ルフールマン(refoulement))された例は報告 されていないという。しかし、この報告書ではさらに、「[2007 年]12 月 下旬…当局はミャンマーから逃げてきたイスラム教徒である 14名のロヒンギ ャ族の人々を本国に戻している。バングラデシュ政府は彼らに対して厳しい 制約を課しているため、数百名以上がマレーシアをはじめとする他の国々に 渡っている…。UNHCR は、国境警備を行う[バングラデシュ国境警備隊の 人員を対象に]亡命申請者と移民との違いに関する教育を始めたが、彼らは 依然として亡命申請者を不法入国者として扱い、しばしば拘束して、賄賂を 受け取った上で釈放している」と記述されている。[37h]
32.03 米国難民移民委員会(USCRI)が 2009年 6月に発行した「2009年の世界の 難民に関する調査」には、以下のように記述されている。
「一般的に、当局は登録された難民を強制的に本国に送還することはない。
ミャンマー政府はバングラデシュで拘束されたロヒンギャ族の人々の本国送 還を受け入れないため、BDRは難民として登録されていないロヒンギャ族の 人々を逮捕し、適切に処理し、あるいは正式に本国に送還するのではなく、
ミャンマー国内に力ずくで押し戻しているのである。」
「バングラデシュは1951年の難民の身分に関する条約にも1967年のその議 定書にも加盟しておらず、難民に関する法律も制定していない。1972年の憲 法は政府に対し、『人種差別…に対する闘いを繰り広げて世界の抑圧された 人々を支援する』ことを義務付けている。この憲法はまた、『法律に準拠す る場合を除き、人々の生活、自由、身体、名誉、および財産に対して不利益 をもたらす行為を行ってはならない』と定めている。しかし、これらの規定 を難民に対して適用した裁判所に関する報告は存在していない。2004年の出 生登録法は、難民となった子どもの登録について具体的に規定している。
1920年のパスポート法、1946年の外国人法、および1952年の入国管理法 は、難民を例外とすることなくすべての外国人に適用される。」[37i]
ロヒンギャ族の難民
32.04 米国難民委員会(USCR)が発行した 2002年の国別報告書には、以下のよう
に記述されている。
「1991年末から1992年初頭にかけて、約25万人のロヒンギャ族の人々がビ ルマからバングラデシュに流入した。イスラム教徒であるロヒンギャ族の 人々は、ビルマにおいて宗教およびその他の理由による迫害を受けていると 主張している。当初、これらの難民は、彼らと民族的かつ文化的なつながり を持つバングラデシュの人々により歓迎されたが、難民と地元の住民たちと の関係は急速に悪化した。1992年中頃から1999年までに、23万人のロヒン ギャ族の人々がビルマに戻った。自分たちの意思で本国に戻った者もいた が、彼らの多くはバングラデシュ政府によって無理やり本国に戻されたので あった。」[37c]
32.05 USCRIが 2009年 6月に発行した「2009年度の世界の難民に関する調査」に は、以下のように記述されている。
「バングラデシュは約19万3,000人の難民を受け入れている。彼らの多く は、一般的にロヒンギャ族として知られるミャンマーの北ラキネ州に住んで いたイスラム教徒たちである…。政府は、彼らのうち約2万8,100名をコッ クスバザール県南部のナヤパラとクトゥパロンのキャンプに収容している。
UNHCRはこれらの難民を登録し、政府は少なくとも一時的な亡命者として
の権利を認めた。政府は、さらに10万人から20万人のロヒンギャ族の難民 が法的な身分を保障されることなく、コックスバザール県とチッタゴン県の バンダルバン郡のキャンプの外で暮らしていると見積っている。政府はこれ らの難民のうち9,000人をナフ川の近くにあるテクナフの非居住者用のキャ ンプにからレダに移し、さらに1万5,000人をクトゥパロンのキャンプ周辺 の仮設住居に住まわせた。」[37i]
32.06 USSDによる2008年の報告書には、以下のように記述されている。
「政府はビルマから新たにやってくるロヒンギャ族の人々については受け入 れを拒否し続けている。政府はこれらの難民を経済活動を目的とした不法移 民であるとして、可能な限り国境で流入を防いでいる。しかし、国境から入 り込む余地は十分にあるため、政府は国境からの移民の流入を食い止めるこ とに成功していない。国連難民高等弁務官(UNHCR)によると、政府が本国 に送還した者の中には難民として認定できる者もいたという。登録を受けず
にUNHCRのキャンプにいる複数の者たちは、ビルマに正式に送還された
後、不法に戻りキャンプの住人として登録されて配給を受けている親族と食 料や住処を共有しているのである。地元警察はしばしば登録を受けずにキャ ンプの外に暮らす人々を連行し、外国人法に基づいて収監している…。政府 はUNHCRと協力することで、約2万8,000人に上るロヒンギャ族の難民を 2箇所の難民キャンプで一時的に保護すると同時に、UNHCRが面接して難民 であると適宜認定された亡命申請者も一時的に保護している…。本国に送還 されているロヒンギャ族の人々はいない。」[2b](第2節d)
32.07 UNHCR は、1992 年に政府がロヒンギャ族の難民の登録を停止したことを確
認した。それ以降、政府職員や UNHCR がロヒンギャ族の難民を新たに登録 することが認められていない。その結果、その年以降にバングラデシュにや ってきたロヒンギャ族の人々は難民として登録できない状態にある。[67g]
32.08 2005年 9 月、UNHCR は政府が運営するナヤパラとクトゥパロンのキャンプ での生活状況を劣悪な水準であるとする報告書を発表した。住居は過密状態 で、修理や改修が必要な状態にある。キャンプに暮らす人々の 65%を占める 子どもたちは、不完全な教育しか受けていない。キャンプの住人はしばし
ば、Mahjees と呼ばれる難民の指導者とその部下からの暴力を受け、配給を
受けるために必要な家計簿記を彼らに没収され、金銭が搾取されていると訴 えている。[67c] USCRI の 2006年の報告書によれば、「難民キャンプで暮ら す子どもの 65%が慢性的な栄養失調を患い、13%が急性の栄養失調を患って いる」という。[37f]
32.09 USSD による 2008 年の報告書には、「政府は UNHCR と協力することで、
衛生状態、栄養状態、およびシェルターの状態が最低の国際基準を下回って いるとの調査結果が示された後、難民キャンプの状態を改善するための努力 を続けている。政府は UNHCR に対し、新しいシェルターとトイレ設備を建 てることを許可し、技術訓練、教育、および医療のためにより多くのNGO団 体が難民キャンプで作業することを認めた」と記述されている。[2a](第 2 節 d)
32.10 2009年 6月、国境なき医師団(MSF)は登録を受けずにクトゥパロンのキャ
ンプの中、およびその周辺で暮らす難民の状況に関して以下のように報告し た。
「バングラデシュのクトゥパロンの仮設キャンプに登録を受けずに暮らす数 千人に及ぶロヒンギャ族の難民は、威嚇や暴力を受けることで強制的に退去 させられている。国際的な医療団体である国境なき医師団(MSF)は、大多 数が女性と子どもで占められる負傷した数多くの人々を治療した。さらに MSFは破壊された家々を数多く目撃し、シェルターから退去しなければ危害 を加えるとの警告を受けて人々が退去させられていると聞いた…。現在まで のところ、推定で2万5,000人もの人々が難民の認定と支援を求めてクトゥ パロンの仮設キャンプに詰めかけている。しかし、彼らは支援を受けられる どころか、バングラデシュ政府と国連高等難民弁務団の支援を受けて正式に 作られたキャンプの付近に居住することはできないと告げられている。さら に、彼らは隣接する森林局が所有する土地にも合法的に住むことはできな い。彼らに行き場はなく、生活に必要な基本的な物資を得る術もないのであ る…。2009年3月、仮設キャンプに住む人々の数に危機感を抱いたMSF は、調査を実施した。その結果、2万人に及ぶ難民の間で急性栄養失調の罹 患率が緊急レベルを超え、彼らの90%が食糧不足の状態に陥り、水と衛生状 態が劣悪で、支援が全く提供されない状況にあることが判明した…。MSF は、栄養状態が極めて悪い子どもたちを治療し、基本的な医療サービスを提 供し、水源と給水施設を改善することで直ちに対策を図った。」[29d]
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