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第 5 章 二つの儀礼と相互行為

第 2 節 死者儀礼

カオダイ教では、信徒個人にまつわる通過儀礼もおこなわれる。通過儀礼には、第 2 章 でも述べたように、聖浴儀礼、婚姻儀礼、葬送儀礼、そして供養儀礼がある。また、入信 儀礼も、このなかに位置づけられる。

ハノイ聖室でも、信徒個々人の要請に応じて、それぞれに通過儀礼がおこなわれる。調 査中におこなわれたものとしては、「聖浴儀礼」が1回、入信儀礼が2回あった。婚姻儀礼 に関しては、かつてハノイ聖室で婚姻儀礼をあげたという50歳代の一組の夫婦信徒がいる にとどまり、近年はほとんどおこなわれていないという。これらに対して、葬送儀礼は 4 回、供養儀礼は30回以上おこなわれた。すなわち近年のハノイ聖室では、通過儀礼の大半 が葬送儀礼とその後の供養儀礼によって占められているのである。したがって、ハノイ聖 室の在家信徒は、年間を通じて極めて頻繁に死者にまつわる儀礼に参列している。対象と なる故人によっては、参列する信徒に入れ替わりもあるが、中心メンバーの女性たちに関

しては、執行される儀礼のほとんどに参列している。

本節では、死にまつわるこれらの一連の儀礼を「死者儀礼」と呼び9、それに関連したい くつかの出来事を紹介しながら、儀礼過程における信徒たちの発言と行動、そして信徒間 の相互行為に着目する。それを通じて彼女たちの関係性を述べていく。

2 ‐ 1 伝統的な死生観

ハノイ聖室の在家信徒による死者儀礼の理解のために、まずは、ベトナム社会における 伝統的な死生観について述べておきたい。

マラーニーによると、ベトナムの人びとは、人間の身体が 3 つの要素から構成されると 考えている。一つ目は、呼吸し、生命を維持するために身体を構成する物理的な諸器官で ある。二つ目は、「魄(vía / ヴィア)」である。魄は、男性は7つ、女性は9つあるとされ る。三つ目は、「霊魂(linh hồn / リン・ホン)」である10。諸器官と魄は、死を迎えると機 能が停止し、消滅するが、霊魂は存在し続け、生前と変わることなく意識や感覚、感情を もった状態で死んだ場所にたたずむのだという。このときの霊魂は、非常に傷つきやすい

9 ここでは、「祖先祭祀(ancestor worship)」の語ではなく、「死者儀礼(worship of the dead)」 を使用している。以下に、その理由を述べておく。従来の人類学において、祖先崇拝とは、

「ある集団の現成員の生活に死亡したかつての成員が影響を及ぼす、また及ぼすことがで きるという信仰に基づく宗教体系」であり、「『崇拝』行為をおこなう現成員と、これを受 ける死亡した成員の関係は、『子孫』と『祖先』の関係として認識される」信仰形態をさす。

また、「一定の儀礼を通しておこなわれる『子孫』から『先祖』へのコミュニケーション」

を一般に祖先祭祀とよぶ。つまり祖先祭祀は、血縁関係あるいは出自原理に基づく社会集 団を基盤として実施される宗教的行為といえる。

一方「死者儀礼」は、「死者が超自然的な力を備えることを認める観念」をめぐる儀礼行 為であり、「対象となる死者の超自然的効力は血縁集団の範囲を超えた広がりをもち、また どのような死者が尊崇の対象となるのかは、基準が血縁、出自原理とは別のところに求め られる」ものである。ハノイ聖室で執行される死者をめぐる儀礼は、生前ハノイ聖室ホ・

ダオに所属し、他の成員とともにホ・ダオ活動に参加していたものを対象としておこなわ れる。儀礼への参加者は、所属の成員と、死亡した成員の血縁関係にある家族および親族

(非成員も含む)によって構成されるが、成員によっては血縁関係にある家族/親族が参列 しない場合もある。そうした場合は、成員のみの参加によって実施される。成員間の関係 は、第 2 章で言及したように、血縁関係に限らず、地縁や、職業にもとづく縁などの社会 関係が基盤となる。ここで実施される死者をめぐる儀礼が、そうした関係性の集合体を基 盤として実施される儀礼であること、また崇拝の対象となる死者もハノイ聖室=ホ・ダオ 所属であった成員であることが条件となる以外、そこに血縁や出自原理は求められない。

これらを鑑み本論では、「死者儀礼」の語を用いている。

10 末成は「霊魂」を「魂(hồn / ホン)」と述べている。

ため、生者の助けを必要とする。また、霊魂が平安を得るには、生者の世界から「あの世

(thế giới khác / テェ・ゾイ・カック)」へ旅立つ必要があるのだという11

「あの世」は、生者の世界である「この世」とよく似ており、霊魂はそこで生前同様の 生活をする。ただし霊魂は、「あの世」での生活で必要なものを、生者から与えられない限 り、得ることができない。そこで、葬送儀礼および供養儀礼によって構成される死者儀礼 の執行が必要となる。死者儀礼では、食物やお金、衣服などを供物として供え、線香を奉 じる。これらの供物は、線香の煙を通じて「あの世」に届けられると考えられている [Malarney2002:113-119、マラーニー2008:16-17]12。したがって、ベトナムの死者儀礼は、霊 魂があの世でも生前同様の安定した生活を得るための手段であり、適切に執行することが 重視される。なぜなら、不適切な方法でおこなうと、霊魂が怒りや不満を抱え、生者の世 界であるこの世に対して、病や不幸などの災厄をもたらすと考えられるからである。

また、故人の臨終の場所が明らかな場合は、魂の所在もはっきりしている。したがって 魂を「あの世」に送り出すための死者儀礼も形式にのっとって容易におこなうことができ る。しかし、故人の臨終の場所がわからない場合には、その魂は浮遊すると考えられてお り、所在がわからないため、死者儀礼をおこなうことはかなわない。死者儀礼の執行がか なわない死者の身体(この場合は、物理的な意味)が消失すると、その魂を「この世」に 縛り付けられると考えられる。すると魂は怒って「亡霊(con ma / コン・マー)」となり、

遺族や周囲の者たちに災厄をもたらすと信じられているのだ[マラーニー2008:14-15]。

これまでの研究では、こうした一連の死者儀礼の場において、人びとは礼物や礼拝とい

11 末成によると、死後、「魂(hồn)」と「魄」は空に飛び立ち、遺体の周囲をうろつく が、葬送儀礼の一過程の「復魂儀礼」によって「遺体に帰し一つになるように」遺族が呼 びかけると、魂はバナナの梯子を伝って降りてきて位牌に入り、魄は遺体に入るという観 念がある[末成1998: 340]。2005年11月に、私がハノイ聖室信徒たちの南部地域へ巡礼 に同行したときのことだが、タイニン聖座敷地内にある庭園を訪れたハノイ聖室の信徒が、

幾層にも実をつけたバナナの木を見て驚愕の声をあげ、記念撮影に興じていた。ここでの 彼らの行為は、「魂はバナナの階梯を伝って位牌に入る」という末成の記述に通定しており、

興味深い。

12 葬送儀礼の執行には、遺体(死者の身体)の所在が重視される。ベトナムでは、自宅な どで天寿を全うして迎えた死は、遺体の所在も明らかで、霊魂も戸惑うことはないことか ら「良い死」と表され、葬送儀礼も通常通り執行される。一方、不慮の事故や故郷から離 れた地での死は、霊魂がショックを受けどこかに逃げ出してしまうと考えられる。この場 合葬送儀礼とその後の鎮魂儀礼の執行を適切な手続きで行うことが困難となる。形式上の 執行は可能だが、遺体の所在が不明確であるため、霊魂はこの世にとどまり、「あの世」へ と旅立つことができない。こうした霊魂は「亡霊(con ma)」となり、さまざまな災いをも たらすと考えられる。

った行為の形式を重視するのではなく、むしろ「適切な」死者儀礼を執りおこなうための3 つ社会関係をより重視している点が指摘されてきた[cf. Malarney2002、末成1998]。3つの社 会関係とは、故人と家族・親族との関係、故人とその近隣住人を含む知人・恩人との関係、

親族と近隣住人を含む知人・恩人との関係をさす。これらの関係が重視されるのは、一生 の総決算として捉えられる葬送儀礼への参列や手伝いのものが少ないことが、故人にとっ てもその子孫にとっても最大の「恥辱」とされるためであるという。したがって、それを 避けるために、ベトナムの人びとは、普段の付きあいに気を配っているのだと末成は指摘 している[末成1998:351-352]。

2 - 2 カオダイ教の死者儀礼

カオダイ教の死者儀礼にも、ベトナムにおける死生観は反映している。ただし、いくつ かの相違も指摘できる。以下では、末成による民族誌との比較から[末成1998:331-375]、そ の行程をみていく。

2-2-1 葬送儀礼

葬送儀礼は、以下に示す 5 つの行程を故人の自宅でおこなう。信徒たちは、白いアオザ イを着用して故人の自宅に集団で訪問する。そして、代表者が行程に則してさまざまな行 為をおこなうなかで、信徒たちは整列し、行程に則した読経を奉じていく。

① 「タン・リェム礼(lễ tẫn liệm)」

「タン・リェム儀礼(lễ tẫn liệm)」は、臨終前におこなう儀礼である。病気、あるいは老 衰等で臨終を迎えようとしている信徒がいる場合、その家族は信徒の状態をみてホ・ダオ 内の「通事班」に連絡をする。「通事班」はその旨を代表者に報告し、信徒たちにも臨終目 前の信徒の自宅に集まるよう連絡する。

臨終前の信徒の自宅では、ホ・ダオ代表者が、自宅の「天板」の至高神に対し「三宝(tam bưủ / タム・ビュウ)」を奉じる。「三宝」は、真水、酒、茶から構成される。次に、至高神 に対して上奏文「ソゥ・タン・コウ(sở tân cố)」を奉じ、新たな死を報告する。その後、

信徒たちとともに『四時経』を読み、跪拝(クン・ライ)をする。ここでは、臨終を迎え ようとしている信徒の家族もクン・ライをする。家族がクン・ライを奉じるあいだ、信徒 たちは死に逝くものの魂が安らかに浄華するための読経をはじめる。読まれるのは、臨終 を迎えようとしている魂の浄華を促す経『Cầu hồn lúc hấp hối(カウ・ホン・ルック・ハッ プ・ホイ)』と、魂を送り出すための経『Đưa linh hồn(ドゥア・リン・ホン)』である。上 奏文の「ソウ・タン・コウ」は、のちに信徒の家族によって聖室に持ちかえられ、聖室内 の「報恩祠」に奉納される。

末成によると、村落での一般的な葬送儀礼も、臨終前の当事者を祭壇脇の寝台に寝かせ