第 5 章 二つの儀礼と相互行為
第 3 節 小括
本章では、二つの儀礼とそこでの在家信徒たちによる発言や行為に着目して、信徒たち の関係構築の過程を記述してきた。ハノイ聖室に集う信徒たちは、数あるカオダイ教の年 中儀礼のなかでも「仏母礼」を重視していた。また人生儀礼では、死者儀礼への参加が多 かった。
ハノイ聖室において執行されるカオダイ教の「仏母礼」は、ベトナムの民間信仰の中心 として位置づけられる聖母信仰を背景にして体系化された宗教実践である。ただし、聖母 信仰が、それぞれの地域に根ざしながらも、さまざまな人びとが集うという意味において は開かれた場として展開しているといえる。一方で、カオダイ教の「仏母礼」は、聖室と いう場において信徒のみが参加し、とりわけ女性信徒が主体となって、準備や儀礼に深く 関りながら執行されているという特徴があった。すなわち「仏母礼」は、出身村落からハ ノイに移動し、人生で何らかの「困難さ」を経験してきた女性信徒たち個々人が、場を共 有し、行為を共同していく過程で、さまざまな感情をも共有していくことを通じて、内部 での関係を構築していくものである。
他方、死者儀礼を構成する葬送儀礼と供養儀礼に関しては、非信徒である他者との関係 のなかに位置づけられていることが指摘できる。葬送儀礼は、故人の自宅において、故人 の遺族、すなわち喪家が儀礼のイニシアチブをとっておこなわれる。したがって故人が信 徒であったとしても、葬送儀礼自体は一般の形式が優先され、カオダイ教の形式は周縁に 位置づけられる傾向にある。しかしそれは、カオダイ教の存在を外部にむかって表現する 契機にもなっているのだ。「白いアオザイ」を着た信徒たちが整列して読経を繰り返す行為 は、葬送儀礼の過程で信徒たちを極めて目立たせていた。
供養儀礼に関しては、聖室で、信徒たちが主体となっておこなわれるという点で、葬送 儀礼とは性質が異なるといえる。しかし、非信徒である故人の遺族が参加する意味におい ては、これもまた他者との関係のなかで展開している儀礼であったことが指摘できる。実 際に、葬送儀礼が入信のきっかけとなり、供養儀礼を通じて、信徒たちの活動に徐々に参 加していったという信徒も数名いる。
終章では、中心メンバーの女性たちがメンバー同士の関係を表する「タン・マット」と いう言葉に着目したい。それを通じて、ハノイ聖室という場に集う女性たちの関係を、あ らためて検討していく。
終章
本論文の目的は、ハノイに暮らす女性たちが、ハノイ聖室という特定の宗教施設に集い、
さまざまな宗教的活動に参加するなかで、どのような関係をいかに構築しているのか、ま たその関係が彼女たちにとって、どのような意味をもつのかを明らかにすることであった。
本章では、これまでの記述をまとめながら、本論文の主題をあらためて検討していく。
序章では、村落研究を基盤として進展してきたこれまでのベトナム社会研究を、北部地 域の村落構造に関する研究、モラル・エコノミー論、ドイモイ以降のベトナム社会研究、
そしてベトナム女性に関する研究の 4 つの視点にわけて整理し、その延長線上に本論文の 視座を位置づけた。
それをふまえて、第 1 章では、ハノイ聖室という場が、歴史的にどのように形成されて きたのかについて述べた。そこでは、フランス植民地期末期の1930年代から、北部地域の 社会主義化とその後のベトナム戦争を経て、1986 年に施行されたドイモイ政策による社会 経済的な発展をむかえたベトナムの歴史的変遷のなかで、ハノイ聖室という場が、都市化 と政治化によって特徴づけられていくプロセスを描いた。
第 2 章では、はじめに、現在のハノイ聖室の施設、信徒たちの組織体系および活動内容 の 3 点について概観した。ここでは、ハノイ聖室の施設全体が、ホアによって管理されて いるなかで、客室棟一階にある部屋に限っては、在家信徒に解放された空間になっている ことを指摘した。次に、ハノイ聖室に集う女性たちの社会的特徴について言及した。そこ で明らかになったことは、以下の 2 点である。一つ目は、ハノイ聖室に集う高齢の女性の 大半が、ベトナム戦争中から戦後にかけて、北部地域一帯の出身村落からハノイに移住し、
新たな生活基盤を組成してきた経験をもつという点である。二つ目は、聖室の活動を支え る中心メンバーは、未婚、離婚を経験していたり、戦争で夫を亡くし戦争寡婦となった女 性、あるいは子供の夭折や自身の病気などの経験をもつ女性であるという点である。これ らの点から、ハノイ聖室に集う女性たちは、地理的な空間や属性を共通にしないが、人生 の一時期において何らかの「困難さ」を抱えた経験のある女性たちであったことが明らか になった。そして、異なる属性や経験をもつ女性たちが、ハノイにおいてそれぞれの生活 を新しく組み立てていくなかで、ひとつの帰属の場として選択したのがハノイ聖室であっ たことを指摘した。
続く第3 章から第5章では、ハノイ聖室に集う女性たちの関係について具体的に述べて いった。その際に注目したのがホ・ダオとダオ・ミンという二つの言葉であった。
第 3 章では、代表者のホアが頻繁に言及するホ・ダオという言葉を取りあげた。ホ・ダ オとは、信徒を特定の集団として括る教義上の概念であり、地理的な区分にしたがった「教
区」という意味にくわえて、擬似的な家族共同体としての意味も含意していた。教義によ ると、ホ・ダオに所属する成員としての信徒は、活動基盤となるそれぞれの地域の規範に 反しないような活動を維持することが言及されていた。その点から、ホ・ダオに帰属する 信徒個々人は、それぞれの地域内の規範を守りつつ、カオダイ教の宗教的活動に参加し、
ホ・ダオとしてのコミュニティをかたちづくってきた可能性があった。このようなホ・ダ オの特徴は、南部地域社会の地域性のなかで、地域基盤を強化する役割の一助となってき たのかもしれない。
転じて、都市に流入してきた人びとが活動するハノイ聖室では、一定の地域社会の背景 がなく、代表者ホア個人の考え方と価値観が大きな影響力となって、信徒たちの行為の統 制がとられていた。すなわちホア自身の思考様式が、地域の規範に替わるものと為ってい たと思われる。彼女はそれをカオダイ教の「修行」として語ることで、彼女が描く理想的 なホ・ダオの実現を目指していた。ホアが理想としたホ・ダオとは、すなわち信徒たちが 聖室という「家」に集い、ホアのダオ観念にしたがった「修行」につとめながら、相互に 敬意を示し配慮しあう関係であった。このようなホアによる理想のもとに、聖室内におけ る在家信徒たちの行動には、一定の規範に従うことが求められ、それにあてはまらない場 合には、ホアからの批判の対象となっていた。
しかし、在家信徒たちは、ホアが語る理想上のホ・ダオに対して積極的にくみしている わけではなく、そうした信徒たちの意識は、聖室活動への不参加や、その関係から距離を 置くという選択、あるいはホアに対する直接的な意見の申し入れなどによって徐々に表面 化しつつあった。
第 4 章では、在家信徒たちがハノイ聖室を介した宗教的行為を言及する際に使うダオ・
ミンという言葉に着目した。ダオ・ミンは、「私 / 私たちの信仰 / 道(方法)」を意味する。
それは、信徒たちが、信徒たちの社会的文脈に則したなかで解釈しているカオダイ教の「修 行」を指し示していた。
信徒たちがダオ・ミンを構成するものとして理解している宗教的行為は、主に二つに大 別された。すなわち彼らをカオダイ教信徒として徴しづける行為と積徳行為である。これ らの行為をめぐる信徒たちの実践では、不可視なものとしてのカオダイ教の世界観や「師」
の教えの詳細についての理解はさほど重視されず、それを可視的に理解するための行為や 型、ないしそれに関連する知識の理解に対して、より価値がおかれていることが明らかに なった。また、そうした行為や型とそれに関する知識は、信徒間で厳格な統一が図られて いるわけではなく、多少の逸脱があったとしても信徒間の相互の関係内で許容される傾向 があった。ハノイ聖室の在家信徒たちは、信徒同士の関係内において、差異のあるかたち で共有されている知識を実践し、それを相互に利用しながら「私 / 私たちの信仰 / 道(方 法)」としてのダオ・ミンを編成していることが明らかになった。
ハノイ聖室に集う女性たちによって編成されるダオ・ミンの構成要素となる宗教的行為 は、儀礼において顕在化していた。第 5 章では、カオダイ教の儀礼の中でも、より多くの