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第 4 章 在家信徒の宗教的行為

第 5 節 ダオ・ミンの編成

本章では、ハノイ聖室の在家信徒による宗教的行為に着目して、信徒たちが語るダオ・

ミンという言葉が、どのように編成されているのかを述べてきた。

ハノイ聖室の信徒たちは、カオダイ教の信徒であることを徴す要素として、「天板」の所 有や、「白いアオザイ」の着用、クン・ライ(跪拝)の所作をあげる。ただし、それぞれに 対する信徒たちの取り組みは、教理とは異なる形式で展開していた。

「天板」は、信徒の社会的背景にあわせた形式が選択され、「白いアオザイ」も、高齢の

信徒たちが好ましいとするアオザイの型があった。またクン・ライは、それを構成する所 作の型が評価の対象となり、教典に従って一 4 回取り組むことを配慮する信徒はほとんど いなかった。また、積徳行為に関しても同様であった。カオダイ教の積徳行為が「三功」

とよばれる 3 つの「功」から構成されることは、既述のとおりである。ハノイ聖室の信徒 は、この 3つのなかのひとつである「功果」だけを語り、それ以外の 2 つに関しては、そ れぞれの言葉を発することもなかった。そして本来は、別の分類にあてはまる行為も含め て、読経、菜食、見舞い、聖室の清掃、南部地域への巡礼の 5 つの行為をすべて「功果」

と捉え、ダオ・ミンの積徳行為としてあげていた。すなわち信徒たちは、カオダイ教の教 理を自分の現実生活に則して再解釈しながら、比較的寛容な形式で取り組んでいるといえ る。

在家信徒による教理の解釈を示すこのような特徴は、信徒たちによる神格の認識をみる ことで、より理解できる。以下に示すのは、私とある道友の女性信徒が聖室で交わした、

神格に関しての会話である。

(私) 「(神様で)一番大切なのはなんですか?」

(女性信徒)「まずは、タイに祈りを捧げます。そのあとに祖先に。そして最後にチョイ かな。」

(私) 「チョイって?」

(女性信徒 「あ、チョイ・ファットです。これであってる?正しい答えかしら?」(周 囲の女性たちに尋ねる)

日頃から、信徒たちがカオダイ教の神格を示すために用いる呼称には、「師(thầy / タイ)」

21、「チョイ(trời)/ オンチョイ(ông trời)」22、「玉皇上帝(ĐứcNgọc Hoàng Thượng Đế/ ド

21「師(thầy / タイ)」とは、ベトナム語で、一般的に「男性教師」をさす言葉として汎用さ れるが、宗教的な場面でも、教えを施す「神」を指す言葉として使われることが多い。カ オダイ教の場合では、至高神である玉皇上帝を指す。ホアの説法でも、玉皇上帝の教えを 述べるときに、しばしば用いられる。カオダイ教の教典を含むさまざまな関係資料には、「師 曰く」というニュアンスの「タイ・ザイ(thầydạy)」という言葉が頻出する。

22「チョイ(trời)」は、一般に天、空、天の神を意味する語である。ベトナムの人びとは、

「チョイ」の前に、人称代名詞の一つで、高齢の男性を意味したり、社会的地位の高い男 性に対する敬称として使われる「オン(ông)」をつけ、「オンチョイ(ông trời)」として用 いることが多い。オンチョイは、「万物の創造神」を明示する語として理解される傾向にあ る。なお、驚きや惜しみといった感情を表す場合には「チョイ・オイ(trời ơi)」という言葉 を多用するが、これは、ニュアンス的に、英語の「Oh, my god」に近い。

ゥック・ゴック・ホアン・トゥオン・デェ)」23、「祖先(tổ tiên /トォ・ティェン)」24、そし て「仏陀(đạo Phật・trời Phật / ダオ・ファット・チョイ・ファット)」の5つがある25。信 徒たちは、神格をさし示すこの 5 つの呼称をたびたび用いる。しかし、彼女たちは共通の 解釈にもとづいて、それぞれの呼称を使っているわけではない。上述の会話は、それを表 す内容といえる。

会話の相手となった女性信徒は、入信年数が10年になる。彼女の義母は中心メンバーの ひとりであり、義母を介して彼女自身も聖室活動に参加する機会が比較的多い。以上のや りとりでは、彼女が、タイと祖先、そしてチョイを神格として認識しており、タイが最高 位に、その次に祖先が、そしてチョイが3番目に位置付けられることが示されていた。

ここで注目したいのは、後半のやりとりである。私が「チョイ」に関して再度聞き返す と、彼女は「チョイ」が「チョイ・ファット」を意味すると言い直したものの、それが正 しい答えなのかどうかを、周囲にいた信徒たちに確認したのであった。そして彼女の態度 を見た中心メンバーである女性の道友ランから、「ダオ・ミンではチョイとはタイのことだ よ」と、答えを正されることになったのだった。

ハノイ聖室の在家信徒は、この女性のように、神格の認識を明確にもたない傾向が強い。

ランのように、他者からの質問に窮することなく返答できる者のほうが少数派といえる。

ただし、信徒たちは、こうした状況を問題視することはない。たとえ間違った認識をして いたとしても、周囲にいる誰かが、その場で正す程度で、それが原因となって批判された り、信徒間の関係から排除されることはない。すなわち、こうしたカオダイ教の世界観の 理解を、彼女たちはさほど重視していないといえる。

以上の点から、ハノイ聖室の在家信徒は、不可視なものとしてのカオダイ教の世界観や

「師」の教えの詳細についての理解には重点を置かず、それを可視的に理解するための行 為や型、ないしそれに関連する知識の理解に対して、より価値をおいていることが指摘で きる。そして、これらの行為や型とそれをめぐる知識に関しては、信徒間で厳格な統一が 図られているわけではなく、信徒個々人が自分をとりまく現実生活のなかで再解釈をし、

たとえ多少の逸脱があったとしても信徒間の相互の関係内で許容されながら、実践してい るといえる。信徒たちは、こうした実践知を相互に利用しながら「私 / 私たちの道(方法)」 としてのダオ・ミンを編成しているのである。

23「玉皇上帝(ĐứcNgọc Hoàng Thượng Đế/ドゥック・ゴック・ホアン・トゥオン・デェ)」 は、カオダイ教の至高神の固有名称である。

24「祖先(tổ tiên /トォ・ティェン)」は、血縁、非血縁双方を含む「祖先の霊」を指す。

25「仏陀(đạo Phật / trời Phật / ダオ・ファット・チョイ・ファット)」は、逐語訳すると「仏 道 / 天仏」となり、仏陀を指し示す。「仏母(phật mẫu / ファット・マウ)」とよばれる女 神信仰の最高位に位置付けられる仏母も、コンテクストによって含まれる場合もある。