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第 5 章 二つの儀礼と相互行為

第 1 節 仏母儀礼

(thành mẫu / タイン・マウ)」ないし「公主(công chúa / コン・チュア)」とよばれる女神 がそれに連なるとされる。玉皇上帝は、村落の守護神として「亭(đình / ディン)」とよば れる宗教施設で祀られる傾向が、各地域の村落に共通してみられるが、聖母や公主に関し ては、地域に特有の神話や伝説にもとづいてそれぞれに神格化され、「殿(đền / デン)」と よばれる宗教施設で祀られている。

聖母信仰の特徴は、「婆童(bàđồng / バー・ドン)」とよばれる女性霊媒師や、「翁童(ông

đồng / オン・ドン)」とよばれる男性霊媒師による憑依儀礼をともなうことにある[大西

2004]3。憑依儀礼では、霊媒師が楽隊にあわせて踊りながら諸神格に祈りを捧げ、自分の身

体に神格を降臨させて、その言葉を伝える。

霊験あらたかと評判な聖母や公主のデンには、不安や悩みからの救済や、現世利益を願 う多くの信奉者が各地域から集まる。デンは、それが位置する地域の住民や行政によって 管理されていることが多いが、そこには、さまざまな地域からの参拝者が集まる。ベトナ ム全土から多くの人びとが巡礼地として参拝するデンもある。こうした聖母信仰とその儀 礼は、ベトナムの人びとにとって最も馴染みのある女性の神格にまつわるさまざまな実践 の総体と考えられているのだ[cf. Taylor 2004a、Watson 1985、Weller 1987]。

1 - 2 カオダイ教の世界観と仏母信仰

カオダイ教の世界観では、第 3 章でも述べたように、玉皇上帝と仏母が世界を創造した と考えられている。こうした観念には、上述のような聖母信仰が反映していることはいう

聖母信仰が、主要民族であるキン族に限らず、近隣に居住する各少数民族を含めベトナム 全土に広く見られる文化現象のひとつであると指摘する[NgôĐứcThịnh 2007]。

3 1990年以降ベトナムにおいて、憑依儀礼は伝統文化との関連から再考されるようになっ た。ただし、それ以前は、宗教政策上、「異端」や「迷信」として捉えられ、「弾圧」の対 象となり、活動が制限されてきた。

また、憑依儀礼を介した聖母信仰に対しては、ベトナムの主要宗教である仏教の関係者 らも、「社会悪」と捉えて、批判の対象にした動きもある。タイラーによると、数人の著名 な僧侶が、聖母の精霊とのパトロン-クライアント関係を基盤とグラス-ルーツな信仰の定 着に対して、「それらに関わるさまざまな宗教的行為を非論理的な懸念すべき活動とみな

す」

と言及をしたという。彼らは、仏教信仰にねざした宗教活動が、ベトナム社会に秩序を取 り戻し、近代的で豊かな発展をもたらすものであると強調した上で、聖母信仰をはじめと する民間信仰や呪術、精霊信仰を、「時代遅れ」の「非現実的なもの」とみなした。その際 彼らが同時に非難の対象としたものがタイにおける仏教実践であり、近代化の過程におい て立ち現れた自己認識によって仏教徒が合理化した点を指摘し、それを批判した[Taylor

2004a]。このような政府による取り締まりや仏教側からの聖母信仰に対する批判は、ベト

ナム社会における聖母信仰が、そこで生を営む人びと生活世界を支配する強力な力を発揮 してきたことを裏付けるものと捉えることができる。そしてハノイ聖室の信徒による仏母 儀礼への傾倒は、ベトナム社会における人びとの生活世界にねざした聖母信仰のあり方を 反映したものといえる。

までもない。信徒は、玉皇上帝を「父(cha / チャー)」、仏母を「母(mẹ /メ)」4、そして 自分を「子(con / コン)」として捉えている。

カオダイ教の世界観にもとづくと、精霊の住む天上界は12層からなる。玉皇上帝は、最 上層である12層目に存在している。他方、仏母は、「瑤池金母(diêu trì kim mẫu / ヂウ・チ ィ・キン・マウ)」、あるいは「仏母瑤池(diêu trì phật mẫu / ヂウ・チィ・ファット・マウ)」 とよばれ5、それに仕える9人の仙女とともに表される。「瑤池(Diêu Trì / ヂウ・チィ)」と は「瑤池宮(diêu trì cung / ヂウ・チィ・クン)」という池の略称で、仏母が居住する神殿を 表象する。また9人の仙女は、「九位仙娘(cứuvị tiên nương / キュウ・ヴィ・ティエン・ヌ オン)」あるいは「九位女仏(cứuvị nũ phật / キュウ・ヴィ・ヌゥ・ファット)」とよばれ、

それぞれに呼称がある。第 1 位から順に、ホア(Hoa)、カム(Cẩm)、トゥエン(Tuyến)、 ザム(Gấm)、リェウ(Liễu)、フエ(Huệ)、レェ(Lễ)、バック・リエン(Bạch Liên)、カ オ・ティ・キエット(CaoThị Khiết)とよばれる。ホアからリュウまでは、ベトナムの聖母 信仰に由来しているが、フエは、フランス革命のシンボルであるジャンヌ・ダルクの転生 とされる6。またレェは、1900年に南部地域のサイゴン(現ホーチミン市)に近接する華人 街であるチョロン(現在の第5区あたり)で誕生した実在の人物ヴオン・ティ・レェ(Vương

Thị Lễ)をさし、バック・リエンは中国に実在した女性の生まれ変わり、そしてカオ・ティ・

キエットも実在した人物と考えられている。これらはいずれも、カオダイ教の教理や組織 体系といった基層の形成に使われた交霊術の一種である「機筆(コォ・ブット)」(序章で 既述)を介して降臨した神格であるとされる。

9人の仙女は、精霊が住む領域の天界を構成する各層の管理人という役割がある。彼女た ちは1 層から 9 層までの各層を管理しながら、仏母による万物の創造を補佐する存在とし て位置づけられている。死者の魂は、9人の助けを借りて、この階層を一層ずつ上昇し、最 終的に、天地宇宙の起源でもある最上層の「混源天(hỗn nguyên thiên / ホン・グェン・ティ エン)」に到達して、至高神のもとに還ると考えられる。

玉皇上帝と仏母には、それぞれを祀るための固有の儀礼がある。前者は、10月14日、15 日(旧暦)におこなわれる「玉皇上帝生誕礼」、後者は8月14日、15日(旧暦)におこな われる「仏母と九位仙女生誕礼(以下、『仏母礼』)」である。双方ともにカオダイ教の儀礼

4 仏母に対する「母」という呼称は、ハノイ聖室の信徒に限られるわけではない。2005年 に短期調査した仏教系非政府団体「積徳会(Hội TíchĐức / ホイ・ティック・ドゥック)」 所属の女性たちも、「母」と呼んでいたのを確認している。この団体は、100名近くの女性 仏教信奉者によって構成れる。共産党傘下の大衆団体である女性連合の幹部をつとめた経 験のある女性が代表をつとめている。彼女たちは、各地域の仏教寺院のなかでも、とりわ け尼僧が管理者を勤める寺院を通じて、貧困や災害支援を中心とした社会活動を積極的に おこなっている。

5 中国の民間信仰では、西王母として知られる。

6 ジャンヌ・ダルクは、カオダイ教の聖人のひとりとされる。ヨーロッパに起源のある人物 では、ビクトル・ユゴーも聖人として祀られる。タイニン派の本山であるタイニン聖座で は、カオダイ教の教典を指し示すユゴーと孫文等の絵が掲げられている。

のなかでは「大礼」に分類される。

第2章でも述べたように、カオダイ教では、「大礼」が、以上のふたつを含めて11ある。

繰り返しになるが、これらを儀礼暦に沿って述べると、①「玉皇上帝生誕礼」(1月9日)、

②「老子生誕礼」(2月15日)、③「釈迦仏生誕礼」(4月8日)、④「姜太公聖誕礼」(4月 18日)、⑤「観音菩薩生誕礼」(6月19日)、⑥「関帝聖君生誕礼」(6月24日)、⑦「仏母 と九位仙女生誕礼」(8月15日)、⑧「李太白生誕礼」(8月18日)、⑨「孔子生誕礼」(8月 27日)、⑩「開道記念礼」(10月15日)、⑪「キリスト生誕礼」(12月25日)から構成され る。①から⑩までは旧暦に沿っておこなわれるが、⑪は新暦にしたがう。

各儀礼は、信仰を司る「礼士(lễ sĩ / レェ・シィ)」をともなって、カオダイ教の宗教施 設である「聖会」ないし各「聖室」で、儀礼日の前夜から執行される。職位者たちは職位 の序列に応じた正装の「道服」で参列し、多くの「道友」がそれに連なる。とりわけ本山 である「聖会」には、各地域の「聖室」からも信徒が集まるため、1000 名近くの信徒で賑 わうことになる。すなわち、以上のような「大礼」は、カオダイ教信仰の中枢をなす各神 格にまつわる最も重要な年中儀礼として捉えられているのである。

ハノイ聖室でも11の「大礼」が予定はされるが、多くの信徒が集まるのは4つの儀礼に 限られる。すなわち、「開道記念礼」と「玉皇上帝生誕礼」、「ハノイ聖室開室記念礼」、そ して「仏母礼」である。

1 - 3 ハノイ聖室における「仏母礼」の準備

「開道記念礼」、「玉皇上帝生誕礼」、「ハノイ聖室開室記念礼」の 3 つと、「仏母礼」は、

その儀礼過程において相違がある。3つの儀礼は、他の「大礼」にも共通してみられる、カ オダイ教の旗の掲揚と、「礼士」をともなう儀礼の執行方法によって特徴づけられる。他方、

「仏母礼」の場合は、それに加えて、「仏母礼」だけにみられる「ハウ」とよばれる宗教行 為が加わる。また、儀礼の準備にも違いがある。これらの点から、儀礼に取り組む信徒た ちの反応は、他の「大礼」とはあきらかに異なる。とりわけ女性信徒たちは「仏母礼」を より重視しているように見うけられる。男性の礼生アインマイは、「仏母礼」の日に聖室が 女性信徒で賑わう様子を見ながら、「この儀礼は女性のためのもの」という。こうした背景 には、上述の「仏母礼」の特徴が関連しているようだ。

「仏母礼」は、他の儀礼よりもその準備に時間と労力を費やす。なかでも、準備を担う ハノイ聖室の中心メンバーの女性たちは、聖室に集いながら、その準備を長時間にわたっ て共に取り組む。

儀礼の準備は、主に 3 つの仕事にわけられる。一つ目は聖室の清掃、二つ目は儀礼執行 に必要な道具のセッティング、そして三つ目は供物の購入と配置である。女性メンバーた ちは、ホアから事前に出された指示にしたがって、儀礼の数日前からこれらにとりかかる。

ホアからの指示は基本的に指名制で、事務室に集まった女性メンバーそれぞれに、経験則 にねざして仕事を割り当てていく。そして「それぞれの仕事に責任を持って取り組むよう