第 3 章 ホ・ダオの理想と現実
第 2 節 ホ・ダオとしてのハノイ聖室信徒集団
ハノイ聖室代表者のホアは、日頃から頻繁にホ・ダオを語る。本節では、はじめに、ホ アの「聖室」での暮らしを概観する。その後、彼女がホ・ダオをいかに語るのか、またそれ をめぐって彼女はどのような行動をとるのかを、具体的な事例をあげながら述べていく。
2 - 1 ホアの「聖室」生活
ホアは、20歳で出家し13、カオダイ教に入信した。その後ベトナム戦争中の疎開を除き、
ハノイ聖室に止住しながら、出家者としての生活を送る。
ホアは、「四時礼拝」を基軸として一日を過ごす。朝、4 時半過ぎに起きると、5 時から の礼拝のために身支度を整える。普段着兼寝間着としている綿製の白いシャツの上に、カ オダイ教信徒用の白いアオザイを羽織り、黒いポリエステル製のズボンはアオザイと組に なる白いものに履きかえる。腰まで伸びた白髪は、頸のつけ根あたりで団子状にまとめな おす。冬になるとその上に毛糸で編まれたカーディガンを着て、頭からスカーフを巻いた 防寒の装いに変る。普段のこうした彼女の装いは、ベトナムの高齢女性一般に見られるも のと何ら変わりはない。しかし、彼女は、礼拝や儀礼に臨むとき、そして外出するときは、
「道服」とよばれる白いアオザイに必ず着替える。それがカオダイ教出家信徒の正装なの
13 ホアの生家は、ハノイ聖室施設からバイクで15分程度のところにある。現在は、弟夫婦 家族が居住し、ホアの亡父母の祭壇も管理している。ホアは、祖先祭祀や婚姻儀礼など特 別な行事がない限り、生家に帰ることはない。「出家以来一夜も生家で過ごしたことがない、
出家者である私の帰るところはここ(ハノイ聖室)だから」というのが彼女の口癖である。
である。「レェ(礼拝 / 儀礼)は、『師(thầy)』に仕える時間だから14、礼儀を尽くさなけ ればならない。外出のときに白いアオザイを着るのは、私は(カオダイ教の)出家者なの だから当然のこと」とホアは語る。
身支度が整うと、礼拝を行う前の準備のために「宝殿」施設に入る。薄暗い「報恩祠」
の室内に電気を灯すと、2階への階段をゆっくりあがる。
「宝殿」では、まず、「天板」に茶、水、神酒を供え、線香を手向ける。そして1階に下 り、「報恩祠」の祭壇上にも線香を手向ける。礼拝前の準備のためのほんの少しの階段の上 り下りで表情をゆがませる。体調を崩しがちな最近のホアには、数段の階段の上り下りが 苦痛に感じられるのだという。
「天板」上の準備が整うと、「宝殿」の天井裏にのぼり、鐘と太鼓を鳴らし、礼拝の合図 をする。ここでも足下に気をつかい、転ばないように段差に注意する。そして鐘と太鼓を 鳴らし終えると、また注意深く屋根裏からの階段をおり、「宝殿」の「天板」前に跪き、読 経とクン・ライをはじめる。約40分間、たち膝の姿勢で読経しながら、クン・ライを繰り返 す。礼拝を終えると、一階におり、灯した「宝殿」施設内の電気をすべて消して、普段着 に着替える。
その後、事務室で朝食をとるが、毎朝必ず食べるわけではない。体調が良いときは、供 物として供えておくには熟れすぎた果物を祭壇から下ろして食べたり、隣の商店から買っ てきたフランスパンを、何もつけずにつまむ。出家者は菜食を遵守しなければならない。
ホアは肉類、卵、香辛料等を一切口にしないが15、在家信徒によると、彼女の菜食は極端な 偏食なのだという。彼女が普段食べるものは、上述のようなフランスパンか供物の果物、
野菜ジュース、あるいはサツマイモを蒸したもの等と限られ、在家信徒によって差し入れ された野菜粥や副菜を、積極的に食べることはない。彼女は「食べ慣れないものは、気持ち が悪い」といって退け、長年食べてきた限られた食材のみを食すのである。
その後、午前中は、事務室にて、バンチンダオ派本山のベンチェー聖会から送られてき た会報に目を通したり、読書をする。前庭の落ち葉が気になれば掃き掃除をする。天気が 良ければ自分の衣類の洗濯をする。そして 8 時頃になると、私がハノイ聖室に通い始めた 2000年頃は、自転車に乗ってひとりで出かけていた。行先は、大方、「聖室」に顔を見せな くなった高齢信徒や病気療養中の信徒の自宅で、体調を崩していないかと様子を窺いに行 ったり、見舞いの声をかけに行くのであった。また、婦人連合や赤十字団体等の支部会に も自転車で出かけていた。近年は、高齢で自転車をこぐことができなくなったため、出か ける機会も減った。気にかかる信徒がいる場合にのみ、治事の男性在家信徒アインフンに 依頼してバイクで連れて行ってもらうようになった。支部会への参加には、2004年以降は、
14「師(thầy)」とは、カオダイ教の至高神である玉皇上帝に対する呼称である。ベトナム語 では、一般的に教育に携わる男性を指す言葉として使われる。
15 信徒は、出家 / 在家、職位の順位、個人の修行のレベルにあわせた菜食の規約がある。
礼生の男性在家信徒アインマイに任せるようになった16。
ホアの一日の活動内容は、体調の善し悪しに左右される。体調が悪いときは、所定の長 椅子に一日中横になり、体を休めていることが多い。そして礼拝の時間になると、「礼拝の 時間がきた(thời cúng rổi)」と独り言を言いながら、「道服」の白いアオザイに着替えて準 備をし17、「宝殿」の「天板」前に跪く。
11 時の礼拝が終わると、空腹感を感じた場合は果物を口にする。ここでも、朝食と同様 に、祖先の祭壇上の供物のなかでも足の早いバナナやパパイヤをよく食べる。在家信徒が 自宅で調理した粥や副菜が定期的に届けられるが、それを食べることはあまりない。食べ 終わるとテーブルの上に置いてある白湯を飲み、所定の長椅子に寝転がるが、「寝転んでも 頭が痛くて一睡もできない」ことが多いという。体調がいいときは、再び読書をはじめる。
そして 17 時の礼拝の時間がくると、再び道服に着替えて準備をし、「宝殿」の「天板」前 に跪く。
本山であるベンチェー聖会にも頻繁に電話をかける。ハノイ聖室の近況報告や、自身の 健康状態、またはベンチェー聖会で暮らす高齢出家信徒らの様子が主な話題となる。ただ し、いつもホアの方から「長くなると悪いから」と電話代を考慮して、数分間話して電話 を切る。切ったあとは電話帳を眺めながら、ほかに誰か電話をかけ忘れたものがいなかっ たかどうか確認するのが癖になっている。
このようなホアの生活は、基本的に恩給と在家信徒の布施で賄われている。彼女はかつ て小学校教員として務めていた。55 歳で退職してからは、毎月政府からの恩給を受けてい る。それは彼女が死亡するまで支払われる。恩給の具体的な金額はわからないが、ホアひ とりが生活する分にはさほど不自由しない程度の額であるらしい。食費は、供物にしてい た果物や近隣の店からしばしば購入するフランスパンと野菜ジュース、あるいは中心グル ープのメンバーが自宅で調理して届けた菜食(野菜入りの粥や、野菜と豆腐の炒め物等)
を食しているので、ほとんど経費がかからない18。「聖室」の電気代、水道代、供物代等は、
在家信徒による布施でまかなわれ、「通事班」の女性信徒がそれを管理している。ホアの生 活費は、実質、入院等で想定外の支出がない限り、ほとんどかからない。ホアは政府から 月々支払われる恩給を、毎年2回の南部訪問の旅費や聖会への献金、あるいは2000年に完 成した客室棟の建設費等に充て、あとは貯蓄にまわしているという。
2 - 2 ホアのホ・ダオ観
ここでは、ホアの言動から、彼女のホ・ダオ観について検討していく。
ホアは、ハノイ聖室の信徒個々人に対しても、自分と同様に「修行」に努め、ホ・ダオ
16 彼は、ホアが自分の後継者として期待する信徒の一人である。
17 道服については次章で詳述する。
18 フランスパンは、私の調査当時(2004年3月から2005年10月)1000ドン(約7円)、 野菜ジュースはコップ1杯2000ドン(約15円)であった。
に対する責任をもつようにと指導する。とりわけ中心メンバーに対しては、「聖室」訪問と 儀礼への参加に加えて、「聖室」内における瑣末な行為に関しても厳しく指導する。
2-2-1 「聖室」訪問と儀礼参加
信徒に対するホアの指導の重点は、信徒が「聖室」を頻繁に訪れることにある。ホアと 信徒たちの間では、「聖室」への訪問を「聖室に『帰る(về)』」と表現するが、ホアは、信 徒たちに対して「ホ・ダオの一員として聖室に『帰る』ことが責務である」と繰り返し説 教し、信徒たちが「聖室」で「四時礼拝」と儀礼に参加することを指導する。
ここで、2004年4月から2005年3月までの約1年間で(新暦)、ハノイ聖室でおこなわ れた年中儀礼と信徒個人にまつわる通過儀礼を含むすべての儀礼を以下にみてみたい19。な お、信徒の自宅でおこなわれた葬送儀礼は、括弧に入れた。
(4月)朔望礼2回(入信儀礼も含む)、大礼1回、供養儀礼2回
(5月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼3回、(葬送儀礼1回)
(6月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼2回、(葬送儀礼1回)
(7月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼3回
(8月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼3回
(9月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼1回
(10月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼3回
(11月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼2回
(12月)朔望礼2回、大礼1回、供養儀礼2回
(1月)朔望礼2回、供養儀礼1回、(葬送儀礼1回)
(2月)朔望礼2回、大礼2回、供養儀礼1回
(3月)朔望礼2回、大礼3回、ハノイ市郊外に新しくできたタイニン派聖室の落成記 念儀礼1回、供養儀礼3回、(葬送儀礼1回)
こうした儀礼は、上述のとおり、毎月 4 回から 5 回おこなわれており、あらかじめ日取 りも決まっていることから、平日になることが多い。
このような儀礼への参加に加えて、信徒たちは、夏の 4ヶ月と冬の 1 ヶ月の読経とその 後の説法会への参加も求められる。さらに、中心メンバーは、職位者が担うそれぞれの仕 事もある。
このような活動のすべてを、ホアは、ホ・ダオの一員としての「責任」として捉えてい る。したがって、信徒は、彼女の指導を厳格に守ると、聖室活動のためにかなりの時間を 費やすことになる。とりわけ中心メンバーの日常生活は、聖室活動によって追われること になる。
19 なお、2005年10月は、私が日本に一時帰国したため、資料の収集が叶わなかった。