第 2 章 東北地方の後期旧石器石刃石器群の検討
第 5 節 その他の対象遺跡
上記の 7 遺跡の他に分析対象とする遺跡について、その概要を述べる(第 2.84 図)。
a. 懐ノ内 F 遺跡
懐ノ内F遺跡は鳥海山山麗南西部の月光川右岸に展開する扇状地に位置する(大川 2001)。調査地点の標高は約 170m あり、頁岩の採取可能な地点(八幡町・荒瀬川)までは 8.5km の距離にある。
調査では石刃・米ヶ森型台形剥片とその石核が共伴することが確認された(石刃核は表採 資料)。石刃・台形剥片ともに少量が遺跡内で製作されたことと、石刃の多くは搬入が想定 される。報告者が指摘するように、分割礫を用いた石刃の製作や米ヶ森型台形剥片との共伴 などの特徴は、岩井沢遺跡が比較対象になりうる(大川 前掲、佐藤編 2006)。
b. 新堤遺跡
新堤遺跡は新庄市盆地の東南部にあたり、横前遺跡の 1km 南に位置する。新田川に対し、
横前遺跡とは緩やかな丘陵を挟んで対峙する形となる。1962 年の埋蔵文化財調査事業の過 程において発見され、そのころ横前遺跡を発掘していた加藤稔らによって注目された。東山 型ナイフ形石器、エンドスクレイパーなどとともに小形の杉久保型ナイフ形石器、神山型彫 刻刀形石器が採集されており、両者の層位的関係が判明する可能性に関心が集まった。
1964 年の発掘の結果、杉久保型ナイフ形石器は共伴せず、東山型ナイフ形石器を主体 とする石器群が検出された(宇野・佐藤 1973)。12 点のナイフ形石器、彫刻刀 1 点、エン ドスクレイパー 18 点、石刃多数が出土し、石材には頁岩のほか、黒曜石・玉髄が一定数 用いられている。黒曜石の産地推定において、深浦系 1 が推定されている(渋谷・佐々木 2018)。1966 年の第二次調査では貯蔵穴および住居跡とされる柱穴群などがローム層中か ら検出されたことが概報(加藤 1967)にて報告されているが、詳細な情報がないため精査 できない状態にある。
c. 横前遺跡
横前遺跡は新庄盆地の東縁に位置し、標高 120m 前後の中位段丘面上に立地する。1953 年ごろから地元の採集者によって地点が確認されており、1962 年・1963 年に加藤稔を調査 担当とする新庄市教育委員会による発掘調査が実施された(柏倉編 1964)。
遺物はナイフ形石器、彫刻刀形石器、エンドスクレイパー、石刃、石刃核などで構成され る。ナイフ形石器は中型と極めて大型のものがあり、一部には先端に衝撃剥離が確認される。
石刃にも礫面つきの大型品が確認され、縁辺が刃こぼれしている。エンドスクレイパーは玉 髄製が多数を占め、ナイフ形石器には黒曜石が多用される。石刃核は 7 点確認されている。
円筒形の石核の全周が作業面となり、輪切りにしたような打面再生剥片が接合している。
d. 南野遺跡
南野遺跡は新庄市の南端にあたり、芦沢川の最上流部にあり、西に最上川・南に小国川に はさまれた段丘上に立地する。対岸の舟形町側には高倉山遺跡が立地する。昭和 49 年(1974 年)に新庄市教育委員会の本間・長沢らによって発見され、翌年に発掘調査が行われた。遺 物はナイフ形石器 57 点、エンドスクレイパー 39 点、彫刻刀形石器 7 点、石刃 129 点、剥片・
砕片類 253 点、その他 9 点である。ナイフ形石器は基部加工が施され、東山型に比定される。
舟底状石器など、特殊石器と呼ばれる器種も出土したことで注目された(大友ほか 1977)。
遺構としては礫群や楕円形の土坑の存在が指摘されているが、確実に旧石器時代に属するか どうか検証ができない点に注意すべきと考える。
e. 乱馬堂遺跡
乱馬堂遺跡は桝形川の支流である戸前川沿いにあり、背面に高位段丘(猿羽根Ⅱ面)に比 定される丘陵を控え、前面に開けた段丘面が広がる展望の良い舌状台地に立地している。
1962 年の山形県埋蔵文化財包蔵地緊急調査によって発見されたが、遺跡は破壊されたも のと認識されていた(柏倉編 1964)。1976 年になって一帯が水田化される見通しにつき予 備調査が行われたところ、129 点の遺物が検出され、包含層が残存していることが判明し た。そこから 1978 年、1979 年に新庄市の発掘調査が行われた。その後、圃場整備が正式 に決定したことを受けて 1981 年に上層の中世舘址の調査を含む大規模な第 4 次調査が実施 された。旧石器時代の包含層からはナイフ形石器 246 点、エンドスクレイパー 348 点、彫 刻刀形石器 34 点、石刃 1240 点、剥片・砕片類多数、石核 20 点などが出土した ( 長沢・鈴 木 1982)。
e. 山屋 A 遺跡
山屋 A 遺跡は桝形川の右岸、扇状地を形成しながら新庄盆地に流入する地点に立地する。
山屋遺跡と呼称する際には舌状に張り出した 3 つの丘陵を指し、山屋 A 遺跡とする場合は、
南側の丘陵上の遺跡を指す(長沢 1979)。
山屋遺跡についての記述は新庄市によるもの(1964)、柏倉らの報告(1964)などにみら れる。本論で対象とする山屋 A 遺跡の資料は、新庄市教育委員会が 1977 年から 1978 年に かけて複数回の調査で発掘したものを指す。遺物はナイフ形石器 12 点、エンドスクレイパー 21 点、彫刻刀形石器 4 点、石刃 25 点、剥片類 602 点が出土している。基部加工ナイフ形 石器の特徴から東山石器群に属するとされるが、採集されている特徴的なラウンド・スクレ イパーなどから、異なる石器群も存在する可能性が指摘されていた。
f. 上ミ野 A 遺跡
山形県新庄市上ミ野 A 遺跡は新庄盆地の西縁に位置し、枡形川が形成する標高 88m 前後、
比高 15m ほどの中位段丘上に立地する(羽石ほか 2004)。東北大学が調査した白山 E・白 山 B 遺跡とは同一の段丘面にある(洪ほか 2015)。1987 年・1991 年にそれぞれ実施された 第 1・2 次調査では、主に剥片を素材とした小型~中型の二側縁加工のナイフ形石器が、ス クレイパーや彫刻刀形石器・ノッチ・鋸歯縁石器といった器種を伴って出土した。肩の張り 出した特徴的な形態のナイフ形石器は、同時代の西日本にみられるものと類似性が指摘され ている。また、近年の成果として黒曜石の産地同定が行われ(鹿又ほか 2015)、黒曜石は青 森県の深浦からもたらされていることが明らかとなった。使用痕分析(高倍率法)では一部 のナイフ形石器に皮革加工が推定され、その他は使用痕が見られず、衝撃剥離などの狩猟痕
跡も観察されていない。
第 3 次調査では、1・2 次調査とは離れた調査区から東山型ナイフ形石器を伴う石刃石器 群が検出され、こちらを B 群とし、前次調査区を中心とした A 群とは区別して比較検討が 行われた。両者の明確な層位的前後は確認されず、同時存在した可能性も否定されていない
(傳田ほか 2012)。石器は十和田八戸テフラと AT の間から出土し、後期旧石器後半期に属 する。A群に絡む炭化物の放射性炭素年代の測定結果は 23,230 ± 80yrBP を示している(第 4.1 表)。
g. 高瀬山遺跡
高瀬山(たかせやま)遺跡は縄文時代~中世に渡る大規模な遺跡として知られ、1932 年 の高瀬山古墳の調査をはじめ、過去に繰り返し調査されてきた。2010 年、HO(ハイウェ イ・オアシス)地点第 3 次調査において旧石器時代の遺物が出土したことから、高瀬山遺 跡の利用がさらに旧石器時代まで遡ることが示された。放射性炭素年代測定が行われており、
18,350 ± 70yrBP の値が得られている(今ほか 2012)。
旧石器時代の遺物集中が発見された J15 トレンチでは、ナイフ形石器 4 点、彫刻刀形石器 12 点、彫刻刀スポール 41 点、細石刃 21 点、石刃 118 点、剥片 798 点、石刃核 7 点などが 出土した。良好な接合資料が出土し、また使用痕分析ではほとんど未使用という結果になっ ている(佐野・傳田 2012)ことから、集中的な石刃製作遺跡と考えられる。また、石刃や 利器の製作について、詳細な製作技術の検討が加えられ、横道遺跡と同様の 2 つの石刃製作 技術とトゥールへの選択性が指摘されている。2011 年には学術調査として J15 トレンチを 拡張する形で発掘調査が行われている(大場 2012)。ここでも一括性の高い石刃製作の痕跡 が残されており、遺跡形成過程の検討(傳田 2015)では原位置を残している可能性が高い ことが示され、使用痕分析(鹿又 2012b)では衝撃剥離のあるナイフ形石器を除き、先の調 査と同様に石器の使用度が低いという結果が出ている。
h. 金谷原遺跡
金谷原(かなやっぱら)遺跡は山形盆地の西端、最上川左岸の河岸段丘上に立地する。遺 跡の前面には最上川の形成した沖積段丘面が広がり、標高は 117m をはかる。
1961 年に加藤稔らによって発掘調査が行われ、基部加工のナイフ形石器を含む石器群を発 掘した。このナイフ形石器は基部加工によって整形されるが、素材の打面を残すものが多く 典型的な杉久保型ナイフ形石器とはいえない。加藤はこれを「金谷原型」とし新たなタイプ とした(柏倉編 前掲、加藤 1983a)。