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宮城・山形県域における移動生活様式

第 5 章  「基部整形石器」に関する東アジア的視点

第 2 節  宮城・山形県域における領域間行動パターン

5. 宮城・山形県域における移動生活様式

 新庄盆地周辺は反復利用される遺跡があり、周囲には狩猟活動を軸に機能分化した遺跡が 点在する。非常に狭い領域内で、回帰的な移動が繰り返された結果として捉えられる。一方 で石刃製作遺跡であるお仲間林遺跡までは約 40km の距離にあり、また頁岩が採取される地 域は新庄盆地から数 Km 離れる(秦 2012)。生業に関わる日常的で密な移動領域を中心とし、

その外には石材獲得戦略に関わる比較的に広域な移動領域が重層的に活用されていたと考え られる。

 以上を踏まえ、空間利用モデルとの比較において当該地域の移動生活様式を検討する。宮 城県域の遺跡を考慮すれば、移動領域はもう一つの外縁部をもつ。すなわち、短期間に遠距 離(半径 70 ~ 80km 圏)かつ山脈を超えて移動するグループである。遺跡の性格上、集団 全体で移動したというよりも少人数を派遣した拠点回帰型(コレクター・モデル)が想起さ れる(第 6.21 図)。しかし、乱馬堂遺跡などの大規模遺跡は貯蔵などを伴う恒久的な拠点で はなく、領域内における他の遺跡と並列の関係性の上に成り立つものと予想される。加えて、

集団の派遣は必ずしも拠点からではなく、移動領域の外縁部にあたる石材産地あるいは石刃 製作遺跡から出発している可能性もある。新庄盆地で狩猟活動が行われていたのに対し、仙 台平野では狩猟に重点が置かれていたとは考えにくい。採集活動など、より多様な生業が展 開されていた可能性を指摘しておきたい。

 一方、宮城県の遺跡が単独ではなく連鎖的な関係をもつと仮定する場合、山形県域に存在

する拠点から派遣された小集団ではなく、長期間にわたって宮城県域に居住し石材の補給の ために山形県へ移動する単独居住のモデルが想定できる(第 6.22 図)。

 いずれの場合においても、本地域では回帰的な行動パターンが入れ子状の構造を持ち、そ の重層的な領域内を横断するように石材や生業資源の分布に応じた集団の移動や派遣が行わ れていたと考えられる。石刃技法を基盤とした石材消費戦略によって異なる機能をもつ領域 間に対して柔軟な移動性を確保しつつ、その中に拠点的な機能をもつ領域を形成するのが、

この地域における移動生活様式の特徴と言えよう。

6. 小結

 宮城・山形県域の石刃石器群について、生業および居住形態の面から検討した。先行研究 において石材の獲得・消費戦略および生業活動の多角的検討が進んでおり、東北地方におけ る移動生活の様子が復元されつつあることを受けたものである。検討の結果、本地域には特 徴的な移動生活様式が存在し、それは領域内の石材環境、石器製作技術、生業資源など様々 な要因によって形成されたものと推定された。とくに生業に関しては遠隔地へ移動する意図 を狩猟に求めてナイフ形石器の分析を行ったが、量・質ともに宮城県域出土のナイフ形石器 に狩猟具としての製作意図は見出されなかった。ただちに宮城県への移動が狩猟を目的とし たものではないと結論づけられる訳ではないが、従来想定されている主要 3 器種を基本の道 具とした生業活動とは異なるスタイルの活動があっただろうことが予想される。今後、石器 の機能研究および植物相・動物相などを含む資源環境の復元を通して、本来多様であってし かるべき後期旧石器時代の生業活動の様相を明らかにすることが求められる。その上で継続 して、民族誌との体系的な比較によって移動生活様式の検討を進めたい。

第 6 章註

6.1) こうした遺跡間比較は、石刃・剥片剥離に関して共通する技術基盤(藤原 1983)と石材環境(会  田 1993)を対象としたマクロな視点を提供してきたと言える。とくに遺跡機能の並列的な関係(移  動キャンプやベースキャンプ・狩猟場など)の推定は、民族考古学的理論モデル(フォレジャー・

 コレクターモデルなど)(Binford 1982)との対比によって、狩猟採集民の領域利用形態について  の考察に繋がってきた(鹿又・佐野編 前掲)。

6.2) 沢田敦は、石器の形態が機能やスタイル、剥離面・研磨痕は製作、遺跡内での遺物分布がその  場の人間行動を示すといった現象と解釈の間にある固定的な対応関係を「単純なモデル」とした(沢  田 2003)。

6.3)技術基盤の類似は有効な基準であるが(鹿又 2015)、集団の保有する石器製作技術も柔軟性を  持ち、管理的・便宜的(Binford 1979)あるいは臨機的(Nelson 1991)などの概念によって説明  されるように、必ずしも一対一の対応を持たない。会田容弘がかつて指摘したように東北地方の石  刃石器群においても、簡易・単純な剥片剥離を便宜的に行う傾向がある(会田 1993)。

6.4) 素材選択による目的剥片の欠落や、変形論の立場を認識する必要はあるが、これらは時期的・

 地域的に限定された製作技術の存在を否定しない(榊 1998)。

6.5) 分析には統計分析フリーソフト R 言語(ver.3.5.1)、パッケージ「Momocs」(ver.1.2.9)  

 (Bonhomme et al. 2014)を利用した。

6.6) 遺跡選択に際しては上記のような共通の特徴をもつほか、①詳細な報告書が既刊であること、

 ②数量・器種分類基準が把握可能なこと、③出土地点の三次元測量が行われていることなどを基準  とした。なお、お仲間林遺跡と高倉山遺跡については筆者が計測・観察した情報に基づき、太郎水  野 2 遺跡は報告書(菅原・斎藤 2008)の情報を用いている。完形石刃の抽出基準として①長幅比 2.0  以上、②最大長 50 ㎜以上の資料を抽出し、③末端がウートラパッセを呈する資料および作業面に  ネガティブなステップ剥離を残すもの、④稜形成の痕跡が残るもの、⑤頁岩以外の玉髄・珪化木・

 珪藻土・凝灰岩などの資料を除外した。①・②はナイフ形石器をはじめとするトゥール類の最大長・

 長幅比との対比から、この数値以下の石刃がトゥール素材としての役割を果たさない可能性を考慮  した。③・④は作業面再生や稜形成時の剥離である可能性を鑑み、また突出部をもつことから目的  的な石刃とは区別した。

6.7) 打面(細部)調整(B または C)は、お仲間林遺跡 1986 年調査の報告(阿部・五十嵐編  1991)でもその技術的意義について検討されている。本節の分類では入念な打点位置の制御を目  的とした C 類と、前面角を潰すような D 類がそれぞれ異なる目的で行われた調整である可能性に  着目し、便宜的に前者を複数剥離調整、後者を細部調整としている。単打面に細部調整を施す B  類の存在が、打面調整に伴う前面角の偶発的な潰れではないことを示している。須藤隆司はこの技  術を打面縁細部調整とし、「高倉山型石刃技術」の特質として挙げた(須藤 2017)。高倉山遺跡お  よびお仲間林遺跡の報告では、いずれも状況に応じた調整技術としており(熊谷 2016b)、可能性  として打面縁庇の除去が指摘されている。

6.8) こうした理論モデルは純粋かつ閉じたシステムを仮定していることに批判があり、非狩猟的要  素を排除しているとも言われる(佐々木 2002)。これに関して、渡辺誠は旧石器時代から縄文時代  に移行するまでの狩猟採集民の居住形態を「真正の遊動型」から「固定型定住」までの 5 類に分類  し、段階的な変異を認めた。この過程は「万人狩猟制社会」から「非狩猟者許容社会」への移行と  して捉えられている(渡辺 1990)。また、安斎正人は生態系と居住システムの関係を明らかにする  には、肉食・菜食の両極間にある雑食を含む広範な民族誌との比較が必要としている(安斎  1996)。

終章

終章

 本章は、ここまでの分析結果の考察を兼ねる。また、本論の目的・方法として提示した石 刃石器群の石刃運用戦略に対する行動論的研究および機能形態学的方法論について得た課題 と展望を述べてまとめに代える。

第 1 節 東北地方後期旧石器時代における石刃運用戦略

 本論の分析で示されたのは、当該時期・地域の石刃石器群のあらゆる意味での多様性であ る。石器製作技術、形態、器種組成、石材、立地、空間分布などの各要素は極めて多様であり、

かつ相互の関係性に固定的なつながりがないことが特筆される。ある石材に対応する製作技 術、特定の機能と形態の関係、「集団」と型式・器種組成などの、従来理論的または先験的 に予想されていた事柄がこれにあたる。本論で検討した限りにおける各要素間の関連は柔 軟で、より上位の諸条件(環境)や行動戦略に応じたシステム(技術組織)(Binford 1979)

を形成していることが察せられる。

 こうしたシステムの総体は極めて複雑で、現代の経験や民族誌から説明可能な部分が限ら れる。一方で、本論が抽出を試みる石刃の運用戦略はとくに実利的(機能的)・合目的的な 体系として表出するであろうことから、遺跡の利用形態(居住形態)にかかわる状況性と、

これまで進めてきた石器の機能形態学的分析結果の遺跡間変異が手がかりになる。

 改めてこうした視点に立ち、共時的・通時的な石刃運用戦略に接近すべく各種の行動モデ ル(第 1 章第 1 節)や石器使用実験(第 3 章)、石器の機能形態学的研究(第 4 章第 3 節以降)

の結果を参照しながら考察していきたい。