第 2 章 東北地方の後期旧石器石刃石器群の検討
第 6 節 小結
本章では研究史の流れを踏まえて、分析対象遺跡についての詳細を再確認した。それによっ て、石器群の年代として想定される時期と、石刃(縦長剥片)の製作技術および器種構成の 間にある程度の関係性がみえる形となった。これは従来の技術基盤研究や放射性炭素年代と 矛盾せず、大枠の編年として利用できるだろう。また、対象の石刃石器群には製作遺跡か消 費遺跡、あるいはそれらの複合・重複した遺跡としての性格が想定できる。おそらくは対象 地域の外にまで広域に及ぶ行動領域と遺跡間連鎖・ネットワークがあったと想定すべきだが、
山形県域という地域内における多様な在り方は相互補完的(野口 2006)、あるいは連鎖的な 行動の結果を予想させる。
さらに注目すべきは、各々の遺跡にみられる個性的な機能分化が、古手の石刃石器群に比 定される岩井沢遺跡や清水西遺跡の段階で既にあり、また東山石器群・杉久保石器の段階ま で基本骨子として通底することである。岩井沢遺跡の段階では剥片剥離技術や台形様石器の 製作など石刃と異なる系統の技術を包括しているが、すくなくとも石刃とその技術に関して は、製作と消費を分化するという運用上の概念が存在していたといえる。「石刃」の定義あ るいは意義に関する議論に関して、一か所で集中的に製作すること、そして出来るだけ未加 工のまま維持することが効用・効果を最大に発揮する要件のひとつであり、運用上の前提に なっていると考えておきたい。そして、このことが各時期の石刃石器群の移動・居住戦略お よび生業(狩猟採集活動)にとって大きな制約になっていただろうことが指摘できる。
東北地方における後期旧石器時代石刃石器群の石刃運用システムを理解するには、この制 約がどのような背景で受容されていたのか、そのメリットとデメリットの面からアプローチ することが適当と思われる。技術基盤としての石刃技術を維持しながら、時期・遺跡あるい は単位行動ごとに剥片剥離技術や石器の維持・管理技術などが選択的に応用されていること が本章での整理からは示唆されている。
第 2 章註
2.1) 芹沢長介と麻生優が野尻湖底遺跡群の旧石器(無土器)時代の石器を報告した際(1953)は、
出土したナイフ形石器(Knife blade)を ABC の 3 類型に分類し、そのうち C 類型を「杉久保形ナ イフ形石器」と呼称した。B類がそれ以前から東京都茂呂遺跡で注意された「茂呂形」に対応する 類型であり、C 類にも「形」が用いられたと思われる。しかし、続く芹沢の論考(1956)以降では、
それぞれ茂呂型・杉久保型と変化する。また、山形県横道遺跡の略報(加藤・佐藤 1963)の段階では「杉 久保形ナイフ形石器」の語が使われているが、翌年発刊の「山形県の無土器文化」(柏倉編 1964)
では横道遺跡を含む県内出土遺物の類型に「杉久保型」が使われている。研究史上のこの時期に、
ナイフ形石器に対する形態的特徴の分類から型式学的な分類へ移行し、それが地域研究へ影響する 流れが伺える。
2.2) 一般に杉久保型ナイフ形石器は小型で薄く、柳葉形や先刃尖基となるよう素材面の除去された 基部と先端加工を特徴とする。技術的特徴として素材打面の先端配置、基部裏面の加工(インバース・
リタッチ)、切断加工がある(沢田 2006)。東山型ナイフ形石器は杉久保型に比べ大型で厚く、素 材石刃先端部の対向剥離面を取り込むため斜刃・平刃となるものを一定量含む。基部は素材打面を 大きく残すものを主体とする(沢田 前掲)。
2.3) Binford(1977) はヌナミウト・エスキモーの民族考古学的調査から、遊動生活者の装備(の構 造や内容)を決定する条件について分析している。第 1 章で整理したとおり、考古資料にみられる パターンは組織された行動、とくに道具の維持・管理の影響下にあり、管理的技術の下にある道具 の遺跡間変異は比較的小さく、重要な道具はむしろ遺跡に残らないことが予想される(Binford 前 掲、沢田 2018)。
2.4) 新潟県の上ノ平A・C遺跡、吉ヶ沢B遺跡の出土石器をもとにした沢田敦(1992・1997・2001など)
の研究では、在地の頁岩を用いた集中的な中・小型石刃の生産(吉ヶ沢 B)と、石刃生産の痕跡が 少ない他の遺跡を対比し、前者から石刃・製品を持ち出す異所製作戦略が想定される。持ち出され た先では在地の粗悪な石材に対しても石刃技術を適応し、細身の石刃を適宜補充する技術を有して いたとされる(森先 2004)。新潟県津南地域・野尻湖周辺ではこれらの頁岩を主体とする杉久保石 器群とは別の黒曜石や安山岩に依拠した石器群が存在する(及川 2012)。こちらでは遠隔の黒曜石 産地との間に段階的な消費遺跡の存在が確認できないため、集団間の流通あるいは遊動生活中の「埋 め込み戦略」が想定できず、石材獲得のための分業集団が派遣されたとされ、黒曜石は板状原石の ようなかたちで搬入されたことが想定されている(及川 前掲)。
2.5) さらに最終氷期の植物遺体の組成(西内ほか 2015)を現在の植生環境と比較すると、当時の東 北地方で優勢だったと考えられるマツ科針葉樹(チョウセンゴヨウとトウヒ属バラモミの混交)は 現在の中部高地に分布するため、比較的冷涼で雨量・降雪ともに少ない環境だったことが考えられ ている(吉川 2018)。
2.6) 縦長剥片の基本的なサイズや属性についても分析され、当時において既知の東北地方石刃石器 群と比べて幅広であること、剥離角が 105 度~ 110 度に集中することなどを示した。これらの特 徴から連続剥離を行うにも関わらず縦長剥片と呼称している(加藤ほか 1973)。本論でも取り扱い は石刃と変わらないが、呼称は報告に倣う。
2.7) 折れ面での接合については、折損の要因として使用以外に踏みつけや自然作用による折れなど 埋没前後の作用(Schiffer 1987、佐野 2011b)を考える必要がある。清水西遺跡の折損石器はが非 常に近い位置や丘陵の斜面に沿って分布する傾向にあるため(植松編 2015)、埋没後の破損を検討 しなければならない状況にある。
2.8) 高倉山遺跡ではトゥール類と整形のための二次加工剥片(砕片)が接合した例は確認されない が、砕片のなかには先行する二次加工の痕跡を背面に持ち、かつ石刃の主要剥離面を打面としたも のが確認される。エンドスクレイパーの刃部作成や再生、ナイフ形石器のブランティングなどを遺 跡内で施していた可能性は高いと考えられる。
2.9) 横道遺跡出土石器の器種組成は報告(柏倉編 1964)をもとにしているが、筆者が資料を実見 して分類したためトゥール類の組成が変わっている。また、石刃の数量はペリグランらの分類 (2016)を参考にしている
2.10) ペリグランらの論考(2016)では、重めの石刃の製作意図は東山石器群にみられるような大 型基部加工尖頭器の素材とすることと推測された。同様に、大場正善(2016b)は東山石器群と
トゥールの機能差による作り分けである可能性を指摘している。
2.11) 河島山遺跡(第 2.1 図)で採集された基部加工ナイフ形石器は基部の裏面に平坦加工があり、
技術上の特徴からは杉久保型ナイフ形石器に分類可能だが、最大長が 136 ㎝あり大型である。先端 には衝撃剥離と思われる破損がみられる(渋谷 1973)。同様に、お仲間林遺跡(県調査)で出土し たナイフ形石器も杉久保型としてみるのであれば非常に大型といえる。