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山形県小国町岩井沢遺跡

第 2 章  東北地方の後期旧石器石刃石器群の検討

第 2 節  後期旧石器前半期の石刃石器群

1. 山形県小国町岩井沢遺跡

 岩井沢(いわいざわ)遺跡は小国町大字元諏訪に所在し、荒川とその支流である横川によっ て形成された洪積低位段丘上に立地する(加藤ほか 1973)(第 2.12 図)。1972 年に発見さ れた石器が栃木県磯山遺跡出土遺物と類似することが注目され、加藤・渋谷の両名によって、

同年 8 月から発掘調査が行われた(小国高校 1973)。出土遺物は第 2.2 表を参照されたい。

この他、自然石 17 点が取り上げられており、敲き石や台石などの可能性が指摘されている。

自然石を除く石器石材はすべて硬質頁岩であり、荒川の転礫が利用されたと考えられている

(加藤ほか 前掲)。以下、基本的に加藤ほか (1973) の報告に則って記載するが、観察による 所見を含む場合はその旨を明示する。岩井沢遺跡の資料観察は 2017 年 9 月 19 日~ 21 日に 実施した。

 

(2) 発掘調査における層位・出土状況

 第 1 次調査ではA・Bの二つのトレンチが設けられた。Bトレンチの遺物包含層内には、

炉跡とおぼしき炭化物集積があったと報告されている。第 2 次調査では、Bトレンチが拡張 された。この際の平面分布図(第 2.13 図左)によれば、調査区中央に石核や縦長剥片の集 中があり、その周辺には縦長剥片が距離をおいて分布している。剥片剥離作業の痕跡が一か 所に集中していることが分かる。

 基本的な層位としては段丘礫層にあたるⅦ層の上にⅡ層までの水成層が重なる形で形成さ れており、遺物包含層はⅡ層下部からⅢ層最上部とされる(第 2.13 図右)。表土からは 70

㎝ほどの深さになる。現地形の緩斜面はⅡ層堆積後の浸食によるとされ、水成堆積の休止期 に遺跡が形成されたと考えられる。

(3) 出土石器の製作技術と分類

 31 点ある石核のなかには縦長剥片が高い割合で接合する(第 2.16 図)2.6)。これらから縦 長剥片が連続して剥離される工程が検討され、縦長剥片の剥離角は打面部の凹凸に応じて 変更されること、打点の移動は不規則で作業面の稜を意識したものであることが示唆され ている。山形県内でも古相を呈する特徴的な技術を有するとされる(加藤ほか 前掲、藤原

1989、須藤 2017)。

 頁岩原石の径は 15 ~ 20 ㎝ほどと考えられ、石核の多くは これに由来する転礫の自然面 を残す(第 2.15 図 2・3)。原石は複数に分割され、それぞれが分割面を打面とした石核の 祖型(ブランク)となる(第 2.16 図・第 2.17 図)。おおよそ直方体に粗割された石核祖型 から一方向に後退しながら剥離が進められた(佐藤編 2006)と考えられるが、残核は多様 な形態を呈し、作業面が打面周縁を一周回った円錐形(第 2.15 図 1)、作業面の反対側に礫 面を残す半円錐形(同 2)などがある。加藤ら(1973)は以下のように石核整形・剥片剥離 技術を復元した。

①原石

②調整剥離(打面作出の準備。これによって作られた面が打面となる場合もある)

③分割による打面作出→一つの原石から二つ以上の石核ブランクを調達する

④石核の胴部調整(自然面除去)

⑤打面からの調整剥離(自然面除去、石核整形)

⑥目的剥片の剥離→調整剥離(頭部調整)→目的剥片の剥離

 目的剥片の剥離時に加えられる調整剥離に、岩井沢遺跡の特徴が見いだせる。技術基盤研 究において頭部調整(藤原 1989)や前面角調整と呼ばれる、打面から作業面に向かって短 い剥離を連続的に加える調整が顕著に確認できる(第 2.18 図・第 2.19 図)。調整の入念さ と位置によって、これを以下のように類型化する。

 

1 類:無調整

2 類:前面部の全体に対して、打面直下 5 ㎜程度を連続的に調整するもの。

3 類:背面中央の稜線上に対してのみ、打面直下 5 ㎜程度を調整するもの。

4 類:前面部の全体にたいして、打面直下 1 ㎝ ~2 ㎝を連続的に調整するもの。

5 類:4 類の調整に先行して、背面中央の稜上にステップを呈する剥離を入れるもの。

 特徴的なのは 2 類や 4 類で、この調整によって打面の奥行はやや減じられる。円錐形・

半円錐形で単設打面石核のため急角度になりがちな打面直下の前面角を垂直に近く整え、打 撃時に破砕するのを防ぐ目的があったと思われる。5 類のような中央稜の除去の意図は、同 様の目的で三角に突出した稜を取り除き、前面部をなめらかな弧状あるいは直線状に整形す るための調整と考えることができる。こうした調整によって打点はより奥に位置することに なるため、前面角の極端な鋭角化を防ぎ、結果として打面の後退によるリダクションの限界 を遅らせる効果(青木 2018)があった可能性がある。また、先行する剥離や意図的な除去 のため中央の稜が打面から器長の半分ほどまで失われ、最大幅は打面からやや下側になり、

そこから残った中央の稜に向かって収束し先端が尖る(第 2.18 図 1・6)。打点は明瞭で、

直下のバルブ(打瘤)は大きく発達する。加藤らは間接打撃(パンチ)による縦長剥片の剥 離を想定していたが、大場(2016a)の提示する珪質頁岩の剥離実験試料と比較すると硬質

な石製ハンマーの直接打撃がもっとも近い特徴を示している。縦長剥片の背面構成は主要剥 離と同方向のものが大半を占め、対向剥離は稀にみられるのみである。

 岩井沢遺跡のナイフ形石器は、縦長剥片を素材とし、その打面部付近の両側縁あるいは片 方の側縁に二次加工が施されることを定義として分類した。先端を尖鋭化させる加工は行わ れない(第 2.14 図)。技術形態学的には基部加工ナイフ形石器といえるが、急角度整形(ブ ランティング)とは異なる微弱な加工であり、No.1・No.2 などは打面の幅をやや削りすぼ める形で素材縦長剥片の形状を変更する。

 トゥールには縦長剥片の端部に微弱な二次加工を加えた縦長剥片や、そのほかの二次加 工剥片がある(第 2.20 図上段)。後述する東山石器群や杉久保石器群と比較して、「定型的」

な器種は存在しない。素材となる縦長剥片や剥片も不定形で、長幅比や先端形状・断面形状 などの面でナイフ形石器の素材としがたいものが選択されている。

 一方、頁岩の分割礫や礫面付きの剥片から連続して台形剥片を剥離する、いわゆる「米ヶ 森型台形剥片」(冨樫・藤原 1977)に類似する剥片とその剥離技術が存在する(第 2.20 図 下段)。これについては加藤らの報告(1973)の以後に言及されているもの(佐藤編 2006、

吉川 2007)に対応する。比較的に良質な灰白色頁岩の剥片の主要剥離面のバルブの膨らみ、

あるいは平坦な分割面を作業面として、求心状に打点を右に移動させながら 2 枚~ 5 枚程 度を剥離している。剥離された小型剥片は背面に素材剥片の主要剥離面と、直前に剥離され た剥片のネガ面を同時に取り込んだ形となり、右側縁がゆるやかな弧状あるいは直線を呈す る鋭い刃部を形成する。一部には打面部付近に二次加工が施され、対向あるいは直交する縁 辺に微小剥離や光沢が発生しているものが観察された。他の遺跡で観察される台形剥片と同 様に、保持のための二次加工と、使用による使用痕が残ったもの(鹿又 2005)とみること できる。

(4) 遺跡の性格と年代  

 遺跡の年代は確定していない。遺物包含層の直下から出土したとされる炭質物による放射 性炭素年代測定の結果では 11,730 ± 840yrBP という値が得られているが(加藤ほか 前掲)、

石器から想定される編年観とは一致しないことに注意が必要である。縦長剥片の剥離技術や、

米ヶ森型台形剥片の存在から考えると、AT 降灰以前の後期旧石器時代前半期にあたる可能 性が高い。東北地方の石刃石器群を分析した鹿又喜隆による石刃技法の類型では、石刃技法 1 類・米ヶ森技法をもつ 2 群(岩井沢石器群)の指標的な遺跡とされている(鹿又 2015)。

おおよそ 30,000-28,000yrBP に比定されており、本論でもこの前後として考えておきたい。

技術的・形態的な類例に山形県遊佐町の懐ノ内 F 遺跡がある。

 接合する石核と縦長剥片や、製作時に生じる調整剥片類が組成の大半を占めることから、

岩井沢遺跡は縦長剥片を中心とする石器の製作遺跡であったと考えられる。出土量の多さや 炉跡の存在を鑑みると、少なくとも複数回の利用が想定されるだろう。加えて、二次加工に よって整形されるトゥールの類が極端に少ないこと、破損石刃が少ないことから、岩井沢遺 跡で製作された縦長剥片をほかの地点へ持ち出し、そこで整形・使用されるような性格が考

えられる。これは遺跡ごとに製作と使用(消費)の機能が分化していることを示唆する。た だし、この場合、岩井沢遺跡に残されている縦長剥片はトゥール(ナイフ形石器)の素材や 携行する道具として選択されなかった「失敗作」である可能性が指摘される(加藤ほか 前掲)。

上述した製作技術の復元や素材選択性を考える際には、遺跡内に目的剥片や管理的なトゥー ルが不在である可能性(Binford 1977、会田 1992)を、分析上の問題として意識する必要 がある。

 一方、補助的な剥片剥離技術として台形剥片の連続剥離が確認され、こちらは多くの資料 に二次加工や微小剥離痕がみられた。縦長剥片が遺跡外へ持ち出すことを前提に製作され、

その場での使用・加工が管理あるいは制限されていた一方、製作工程の副産物である大型剥 片や残核から台形剥片を剥離し、便宜的な用途に使用していたことが想定できる。

 

2. 山形県村山市清水西遺跡 (1) 遺跡の概要

 村山市清水西(しずにし)遺跡は山形盆地と尾花沢盆地との間を分かつ河島山丘陵と呼ば れる丘陵地に立地する。調査によって明らかになった基盤層は「北山層」と呼ばれる湖成層 であり、一帯の基盤層とは異なる(山野井編 2010)(第 2.21 図)。

 2011 年に東北中央自動車道関連の県教育委員会の踏査により発見され、2012 年に山形県 埋蔵文化財センターによって調査された。中~大型の石刃に基部加工を施したナイフ形石器 が特徴であり、局部磨製石斧や台形様石器・台形剥片を伴う(植松編 2015)(第 2.26 図)(第 2.2 表)。

 以下、基本的に山形県埋蔵文化財センターの報告(植松編 2015)に則って整理するが、

観察による所見や既報(鹿又・熊谷 2015)の内容を含む場合はその旨を明示する。清水西 遺跡の資料観察は 2015 年に東北大学へ貸出された期間および 2018 年 10 月 16 日~ 17 日 に実施した。

(2) 発掘調査における層位・出土状況

 遺跡の基本層序はⅠ層からⅣ層まであり、Ⅱ層は平安・縄文時代の遺物包含層、Ⅲ層上部 が肘折火山灰(10,000yrBP)(豊島 1980)を含む層、中層~下層が旧石器時代遺物包含層、

Ⅳ層が北山層上部の赤色風化した層である。高位段丘面の赤色風化は全国的にみられる現象 で、形成は 8~10 万年前と考えられる(第 2.22 図)。

 旧石器時代の遺物は丘陵の中央部平坦面から東斜面にかけて分布する(第 2.22 図、第 2.23 図)。主要な遺物包含層はⅢ層中部と考えられ、自然要因によるⅢ層下部への落ち込みが一 定割合あるものと考えられる。一方、同一母岩の剥片がまとまって出土するなど、原位置を ある程度保っている可能性も指摘された。